大統領令4と法(異民族と価値観分裂1)

アメリカ国籍を持っているのに、日系人と言うだけで強制収容したり、クリントン政権の対日100%もの極端な差別課税を課すための行政命令?・・今回のアラブ7ヵ国人だけ標的の入国禁止令・・メキシコ国境に壁を作るなどの共通性をみると人種差別や対外行為・要は国内少数派相手ならば、法に基づかずに何でも出来るような大統領令制度が有効なクニって?近代法治国家と言えるかの疑問でこのシリーズを書いています。
フィリッピン大統領の犯人射殺命令に対しても、(これがフィリッピン社会に適合しているかどうかの判断は別として反対者さえ少なければ良いのかの基準ここでは書いています)犯罪集団が反対デモ出来ませんし、その支持者も少ないでしょう。 
反対さえ少なければ正義に反するかどうか無視して何をしても良いので社会が成り立つかの疑問です。
正義の基準と言うと何が正義か不明・・「アラブ人を収容所に入れることがテロを防ぐために正義」だと言う多数決が仮にあるとした場合、誰が正義を決めるのだと言う意見が出て来そうです。
喩えば、誰も疑わない正義→1+1=2が正しいときに、多数決で1+1=4にしたり、3+3を2にしたり出来るクニ・社会が成り立つのでしょうか?
1ヶ月すると大統領の考えが変わって大統領令で1+1=6にしたり、3+3を5に変えたりする社会って持続可能でしょうか?
数学的合理的基準・・合理性無視の政治は出来ないとしても、「天賦不可譲の人権」思想を数学的正しさの必要性と同一視出来ないことも確かです。
何が人権でどう言う場合にどこまでの制約が許されるかの基準・正義は、民族ごとの歴史的経験・・積み重ねによるしかないと思われます。
この種の正義は共同体の長い期間を経た共通意識によるとすれば、共同体の理想型は価値観共有社会と言うべきです。
同じく国際正義も長年かけて合意形成されて来たものを当面の「正義」として尊重するしか秩序が保てません。
日本の場合で言えば、漸進的変化・・既存価値を認めた上で、(古いお祭りや、様式美がそのまま残って行く)新たな価値を積み上げて行くので社会が何千年も安定的に推移して来ました。
これが大災害時にも略奪に走らずじっと救援を待つ・・相互信頼社会が構築されている基礎構造です。
長年かけて形成された民族合意・国内秩序や国際合意・国際秩序が気にいらないからとイキナリ、否定・ちゃぶ台返しの主張は、国内的には民族共同体意識の否定・・国際的には既存国際秩序の否定を企図することになります。
既存秩序破壊を訴えるのは、漸進主義主張より激しい分(家の修理をしますと言うより、ビルを建て替えると言う方が夢があります)人目を引きつけますが、トランプ氏の主張は現秩序を破壊したあと何をするのかがもう1つはっきりしないことが問題です。
反政府運動や国際秩序挑戦者としてならば、(赤ちゃんは泣くだけで良い・・自分で解決策を示す必要がありません)不満をぶっつけるばかりでも意味がありますが、権力者である大統領になっても既存秩序破壊を主張し続けるだけでその先の展望を示さないのでは、自己のよって立つ共同体統合をぶちこわす自己矛盾行為となるリスクがあります。
トランプ氏の場合アメリカンファーストと言うだけで(政治家たるもの国益第1は当然で全く新味がない)国内外に対して移民排斥論以外に新しい方向性・・正義を示せていません。
移民排斥論も・・「家に閉じこもりましょう」と言う次元で、その後の国家運営の提案がありません。
移民排斥や二国間主義=管理貿易逆戻り政策は、その先にどのような国際秩序を構想しているのかがまるで見えていません。
何と書く「強い者が何をしても勝手」と言うルール不要の野獣の世界に戻るような印象を受けます。
もっとも政治はすぐに分らなくていいのですが・・新たな価値観の提示が出来ないままで既存秩序をぶっ壊すだけで終わると(鎖国も1つの政策ですが・・これが国益になることをきちんと説明出来ないと)、単なるストレス解消・・民衆騒動・・(赤ちゃんが泣きわめくだけのような)暴動を政治家が煽動しているだけになります。
高校生が不満だからと、校舎のガラスを割って歩いたり、授業が荒れて授業にならない→教育政策の見直し、赤ちゃんが泣く場合、ミルクやおむつの取り替えあるいは、どこか具合が悪いのかなど気が付く効果・・対策の必要性を訴える効果がありますが、為政者・権力者は自ら政策を立案する立場であり世間に訴える立場ではありません。
過去に積み重ねて来た正義感・生き方が間違っていると主張する場合、間違っている・・納得出来ないと騒ぐだけなら民衆暴動や子供が泣き叫ぶのと区別がつかない・・どうするかを提案すべきがリーダーの責任です。
移民を多く入れると経験して来た歴史の違う集団同士になるのですから、価値の分裂が起きるのを防げない・・来たばかりでものの考え方習慣の違う人と同胞意識がある訳がありません。
トランプ氏は、移民を制限することによって、共同体意識を時間をかけて築いて行く長期展望を考えているのかも知れません。
隣近所の人とは挨拶程度で良いのですが、他人と同居するとなれば、余程気が合わない限りイヤだと思うのが普通です。
これを無視して「寛容の精神で受入れましょう」と移民導入を煽って来たのが、いわゆるPCの流布強制であり欧米社会でした。
外国人が観光や商用で短期間だけ来る程度では許容範囲ですが、毎日一緒に暮らすとなれば、許容範囲を超えていると思う人が普通ではないでしょうか?
異民族と一緒でも良いと覚悟を定めて移民して来た外国人自身が、一定数以上になって来ると◯◯人町など集団で居住するようになるのが普通であることを見れば、移民自体が気の合う仲間・・気持ちの通じる仲間を求めていることが分ります。
これが普通の人情であり、「異民族と仲良く暮らしましょう」と言うのは、やせ我慢・・無理があります。
よその人は他所の人のままで、一定の距離を置いてあっさりとつきあうのが大人の智恵です。
敢えてべたべたと同居する必要はありません。
民族的言えば、外国人が入って来ても一定期間限定の訪問者程度に限定しようとするのは1つの許された主張だと思います。
労働力獲得目的に異民族を多く入れることによる共同体意識拡散〜対立のマイナス(これは低賃金労働者導入だけの問題ではなく知的労働者の方が出身民族の価値観を身につけていることが多いために逆にリスクが高くなります)に気が付かないで来たのが欧米です。
あるいは気が付いていても金儲けの方を優先して敢えて無視して(特に民族差別を厳しく批判する)PCを事実上流布させて言論統制して来たトガメが出て来たとも言えます。
移民導入論者によって多様な人材が入れば多様な発想が可能になるメリットがしょっちゅう・・ダイバーシテイーなどと宣伝されますが、古くは遣唐使、南宋の朱子学や水墨画、禅宗、火縄銃、幕末欧米文化流入、明治維新でのお雇い外国人等々の歴史を見ても、鉄砲職人集団や学者集団や僧侶集団、画家音楽家などが大量に移民してくる必要がなかったことが明らかです。
日本の精神界に大きな影響を与えた仏教伝来でさえ、古くは来日したのは鑑真和上程度ですし、大量に人材導入した明治維新時の御雇外国人でも、各分野ごとにせいぜい1〜2名で、しかもあっという間に御引き取り願ったことが知られています。
全人口比で言えば10万人に1人2人程度の流入により違った角度からの意見を求め刺激を受けるのはわさびのように重要ですが、各分野で何万人・・合計人口の5%〜1割も入って来る必要がありません。
一定量以上になると自衛のために出身別に集団を作り固まる傾向(今は地域的に固まって住まなくとも通信手段の発達で別の形)があるので、却っていつまでも地元民と融合出来なくなるリスクが高まります。
アメリカも旧ユーゴスラビアのようなモザイク国家になりかけているのではないでしょうか?
これを抑制するために移民流入を抑制すること自体は政策判断の範囲内であって合理的であり、かつ主権行為ですし、これが何故憲法違反になるのかは(大統領令自体見ていないこととアメリカの憲法条文を知らないので)不明です。

大統領令4と法の優劣

レーガン大統領のトキに議会で成立したスーパー301条は2年間限定の時限立法だったので失効していた筈ですが,クリントン大統領が301条を行政命令で復活させたと1月27日に紹介しましたが,ここでズバリ大統領令・行政命令とはどう言うものかを見ておきましょう。
大統領令に関するウイキペデイア(正確かどうかは別として一応の解説)からの引用です。
「君主国や立憲君主国における勅令に相当し、法律と同等の効力を持つが、アメリカの大統領令の場合、権限の制限範囲はアメリカ合衆国憲法で明確に規定されているわけではない。
アメリカ合衆国大統領は、1789年以降、行政官による任務遂行の命令に助言するために大統領令を発してきた。大統領令は連邦議会の制定する法律に従い、その法律による大統領への委任を受けて発することもあり、その場合法的強制力が付与される。」
「日本で有名なものに1942年2月19日付けのフランクリン・ルーズベルト大統領による『大統領令9066号』がある。これは軍が国防上の必要があると認めた場合には強制的に立ち退きさせることを認めたもので、これが大規模な日系人の強制収用の根拠となった。」
仮に大統領令に戦前の勅令同様の効力があるとしても,法と抵触する場合どちらが優先すると言うルールがないと混乱します。
上記ウイキペデイア説明では「法と同等の効力を持つ」となっていますが,同等と言うことは法理論上後から出来た法が改正法になりますから,後法優先と言う意味でしょう。
喩えば、逮捕状がなければ逮捕出来ないと言う法律があっても,大統領の指定したものは無制限逮捕・勾留権をもつと言う大統領令が仮に出るとそれが優先することになります。
この適用例が何らの違法行為もしていないのに日系人と言うだけで日系人に対する強制収容・資産没収令の執行だったのでしょう。
フィリッピンのドウテルテ大統領の麻薬犯罪者現場射殺命令?も同じ原理かも知れません。
現在トランプ大統領が関税をイキナリ45%に引き上げるとか水責めなどの拷問取り調べ復活を主張しているのが報道されても・・日本的に膨大な法改正が必要と言う前提で考えると緻密膨大な関税関連法や移民法・・人権保障手続が網の目のように張り巡らされている現在、「無茶なことがそう簡単に実現出来る訳がない」・・・これらの法改正には数年かかるがその間事実上の運用で嫌がらせされるのが怖いので企業などがなびいているだけと思っていた人が大多数だったでしょう。
こう言う前提論で選挙時の極端なスロ−ガンは、大統領になれば現実的なものに修正されて行くだろうと言う読みが一般的でした。
ところが、就任後も選挙中の放言?とおり,有言実行とばかりに続々と大統領令が出て来て、直ちに入国制限が始まったのでみんな驚いています。
入国制限や関税を35〜45%にしたい思えば議会を通さずに大統領令に署名さえすれば、(ウイキペデイアの解説によれば)現行法より後から出来た大統領令が優先する以上、数分間の署名だけで即時発効してしまうとすれば、法改正の困難さに直面して現実化されることはなさそうです。
日本では法を一瞬にして無効化出来る制度がないので,そんな乱暴なことが出来るわけがないと思うのが普通ですが,アメリカでは彼が大統領令に署名すると既存の人権保障手続による制約を即時に無効化出来る前提になっているとすれば、全てその場で実現出来るシステムですから彼は自信を持って言っていたことになります。
ただ無茶をやれば支持率が下がるので、その塩梅をどのように見ているか・・支持が下がっても次の選挙に出ない覚悟ならば何でも出来ます。
(支持さえあれば何でも出来てしまう制度の危うさは別に書きます)です。
移民法も膨大ですし、関税法も緻密に出来あがっていますが,45%とか35%課税と言っても簡単に議会を通せないだろうと思う人が多かったのですが、トランプ氏が大統領令の威力を前提にしていたとすれば納得です。
自由自在に現行法と同等の命令(後で作った法が優先とすれば)を発効させられるのが大統領令となれば,どんなに緻密な法令システムが出来上がっていても署名だけで即時に無効化してしまえる・・生殺予奪の権を持つ専制君主制とほぼ同じです。
ある犯罪は懲役5年と決まっている場合,大統領令で「10年」と決めればそのときからそれが優先させられるとすれば驚くべき制度です。
議会による法の制定には(関連業界の意見聴取など)与野党の綱引きを経るなど膨大な時間がかかります・・数年かけてやっと法が成立しても、極端なことを言えば,大統領がその法律を気に入らなければ,その10〜30分後に反対内容の大統領令に署名すれば,逆の法が生じてしまいます。
戦前日本の勅令だって天皇が個人の思いつきで出していたものではなく,それなりの手続を経て出していたものですし,日本の政令は閣議決定が必要であり,省令も省内のしかるべき手順を踏んで決まります。
局長通達でさえ内部手順があり局長が個人的に出す文書が全部通達になるものではありません。
ところがアメリカの大統領制は、日本の閣議のような手続がいらない・・各行政部門のトップは大統領の部下・・企業の部長みたいな扱いで社長は直截なんでも出来る企業のようなシステムに見えます。
大統領令を無効化するにはもう一度大統領令に反対の法案を可決すれば,後から出来た法が有効になりますが,大統領署名には順次の内部手続すらいらないとすれば、その10〜30分もあれば次の署名が出来るので効力否定競争では大統領の方が格段に有利です。
司法によるチェック・・憲法違反の無効判決を仮に得ても、直後にちょっと変えてまた施行すれば、次の最高裁判決が出るまでの期間は有効です。
国内政治の争点は憲法問題は滅多にない・・ちょっとしたことでしょっ中法律が出来ているので(憲法違反になるような政治案件は少ないので,)大方は大統領令を後出しされたらおしまいです。
例えば税率を何%にするか,産業振興のための◯◯法など新たな分野でこれを刑事処罰の対象にするか、ある種の犯罪の刑を何年にするかなどの意見相違で法律が議会を通過した場合、憲法違反をテーマにするのは難しいのが普通です。
結果的に大統領の意見に反した法律を審議会を経て何年もかけて議会で通しても・直後に懲役何年・税率何%(消費税適用除外品目など)と言う大統領令を出されたら直ぐ変更になってしまうのでは,議員が地元民の意向を吸い上げ,議会で何年も議論した意味がなくなります。
これでは議会と大統領の関係は対等どころか圧倒的に大統領有利・・殆ど専制支配と変わりません。
実際にはこう言う泥仕合は起こらなかったのは・・国民の支持が少ない大統領令を濫発すると次の選挙で落選するし、明白な憲法違反を繰り返すと革命騒動が起きるでしょうから,歴代大統領が自制して来たので大きな問題が起きないまま現在に来たと思われます。
この結果、せいぜい反発の少ない少数民族・・戦時中の日系人だけ、(ドイツ系民は何千万人もいるので出来なかった?)今回はアラブ人だけを標的にしているように,少数者迫害向けの大統領令が多くなる傾向があります。
今回もマスコミが支持率の多少を気にしているのは,法律論・・人権保障よりは、「多数の支持さえあれば良い」と言う実際的効果の重要性を意識しているからです。
支持率の多さだけを基準に少数民族に対して何をしても良いと言うのでは,(実際今回の入国制限で最も被害を受けるアラブ系米国人が反対運動さえ出来ていない弱さをみれば・・)ナチスのユダヤ人迫害とどのように違うのかの基準が見えません。
戦時中の日系人迫害に対して日系人は反対運動することが出来ませんでしたし,数年前にはトヨタ標的の言いがかり的騒動でも「でっち上げ」と言う反論さえ許さない雰囲気でした。
古くはハンマーで日本製品をぶちこわす・・ナチスバリにいつもスケープゴートを作り上げては、マスコミ挙げて興奮する・・巨額課徴金を徴収するなどの繰り返しでした。
専制君主以上の権限を持つ大統領制と民主主義の関係を日本が危惧しても意味がない・・ソモソモ全人類破滅に追い込む核のボタンすらも,彼・大統領一人の判断で出来る制度設計からすれば専制的権力を持っていても驚くにあたらないかも知れません。
「民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)」その他で民主主義のランク付けでJuly 16, 2013「議院内閣制に比べて大統領制は民度が一段遅れた社会向け・・専制支配権力行使を前提に任期と選任手続が担保されるようになった違いだけ」と言う意見を連載して来ましたが,大統領令にその制度的担保が残されていたことになります。

金融支配→法の支配の重要性2

明治維新当時の治外法権制度は西欧が自分のルールを押し通すための条約であり、その延長で砲艦外交が花開いたのですが、(アヘン戦争もイギリスの論理で言えば商品を(欽差大臣林則徐が)勝手に没収・廃棄するのは、違法と言う論理・・アヘンを売る事自体が許されないと言う大きな倫理違反があるので今ではイギリスの方が悪いとなっています・・これは戦後ナセル中佐によるスエズ運河接収・国有化に対して(有名なレセップスが民間資金で投資で作ったものですから、正当な保障を求めて)英仏が軍を動かしたのと論理が同じです)歴史的に貸金や投資中心になると武力ではうまく行きません。
このように強制力に頼るのは弱いので、内心道徳律の育成・・如何にルールを守る持ちにさせるかが関心の中心になります。
商取引の場合は継続性が基本ですので、一度でもルール違反すると次の商売(仕入れ先が限定されている上に支払停止すると同業組合一斉に納品拒否する仕組み・・これの一般化が手形不渡り→各種取引停止制度)が出来ない・・自分自身が業界から抹殺されてしまうリスク(自分のみならず従業員全が路頭に迷う)があるので余程のことがないとルール違反で来ない仕組みが出来上がっています・・法の世界では商慣習が重視されている所以です。
権力による強制=法がなくとも商人は商道徳・(慣習法・・デファクトスタンダード)ルールを必死に守りますので強制的「法」の必要性が乏しかったのです。
戦後相次いだ独立国による国有化宣言は、民間商取引と違ってすぐに国単位での取引停止にはなりませんが、投資危険国として警戒されるので長期的にはその国の経済活動が停滞して行きます。
アフリカのやソ連の長期停滞の原因は、独立や革命と同時に旧政権時の債務支払拒否や旧宗主国出身技術者の追放あるいは重要施設接収のトガメであると言われています。
ソ連解体後ロシアがソ連成立時に支払拒否していた旧帝政ロシアの債務支払を始めたのは、こうした長期的マイナス(取引すると危ないと言う評判)除去にあります。
消費者がお金を借りたり買ったりする当事者に浮上すると同じ人から1買い切りの取引が多いのでもう一度借りなくとも踏み倒していることを知らない別の人から借りることが可能です。
1万円札は誰から借りても同じ・・この辺が個性のある商品仕入れとの違いですが、(コンピューター化の進展で個人も信用情報が整備されましたがそれまでは)貸す側にとって借りに来た人がどこかで借金を踏み倒しているかの情報がありませんから借りる方や分割払い約束する人の内心のモラルだけが頼りなってきます。
江戸時代に三井高利が始めた「現金掛け値なし」の商法は、ムラ社会で知り合いばかりの時代から大都会化して来て(匿名の)消費者の信用情報がない時代に消費者層を広げる近代的方法でした。
現代では遠隔地の取引や現金を持たない階層・・最貧国まで対象にする時代ですから、現金取引に限定すると顧客が限定されてしまうので、再び信用重視になってきます。
こうなって来ると相手の資産状況不明ですから、相手のルールを守る気持ち・・法教育・・約束・ルールを守る可シと言う強制力の整備や道徳教育やその精神の浸透が重要になってきます。
道徳教育だけでは限界があるので、これを意図的に破る悪質な場合には刑事処罰する必要性も出て来ます。
他所で借りていて既に返せなくなっていて、返したり払う当てもないのにこれを隠して借りたり商品を買ったり契約して財産上の利益を得た場合(以下に紹介する刑法の2項サギの)場合、詐欺罪で処罰する法律が整備されてきましたし、守らせるための民事法や民事執行法も年々着実に整備が進んでいます。
武力・腕力支配がいけないとなれば、民意に裏打ちされた「法による支配]」強制しかないのは当然です。
古代からの10戒では財産犯に関して盗みを禁じるだけですが、近代法では詐欺(これも人を騙すだけでは罪にならず財物騙取・財産上の損害を与えた場合だけ)罪が重視されるようになった所以です。
刑法
(詐欺)
第二百四十六条  人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。
2  前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。
国際関係も世界支配の源泉が武力から金融力に変わって来ると武力による強迫から道徳・・法を守る意識の植え付けが必須になります。
欧米が何かと言えば、(自分たちの作った)法の支配を強調するようになった所以です。
韓国の場合まだ近代法意識が根付かない・・待ってるだけでは貸金を返してくれないので過酷な取り立てが横行する社会になっているのか?・・借金地獄解消のために時々借金棒引き令を出したり、若い女性が海外売春に出掛けているのが知られています。
中国ではまだ政府自体が公式に法の支配を行なっていない・法的手続外で共産党批判者を拘束したり、政府発表自体虚偽に満ちている社会ですから、国民に法を守れと言うのは背理です・・国民意識がその程度ですから対外的に窃盗団や知財剽窃やサイバーテロやり放題ですし、その意識のママ海外旅行に行くとマナーの悪さ(結局はルール違反・分らない)が評判になります。
政府は私兵(人民軍は国軍ではなく共産党の私兵です)を擁している強みで、国内ルールに従わず違法なことをしているだけではなくこの延長で海外でも臆面もなく行なっているのが、領海侵犯(小笠原でのサンゴ乱獲など)などですが、これは自発的なルール遵守意識が育っていないことの現れです。
国際司法裁判所の判決が出てもそんなのは関係がないと臆面もなく言い切るのは、中国政府自身が国内同様に・・国際社会でもルールを守らないと言う宣言です。
国際ルールを守らない民族と取引するとカネや商品を受け取るまで安心できません。
資本自由化に応じないという意味は、中国国内に投資しても回収金を簡単に日本への送金をさせないことがあるという意味です。
中国では法の支配がないとすれば、リスクに応じた投資抑制しかありません。
先進国内では、過酷な取り立てが出来ないし武力で取り立てるのでは採算が合わないので、借りたものは返す・・法を守れと言う法教育が必須です。
対日戦争の結果植民地を失って結果的に旧植民地人を武力・警察力で支配出来なくなった欧米は、法を守れと言いだしたのですが、そうなると人種によって法適用が違うと矛盾しますので、植民地支配に対する反抗者を監獄島などに幽閉していたのをすっかり忘れたフリをして?方向転換して西欧諸国がイキナリ法の下の平等..人道主義を言い出したのです。
自分がクジラを好きなだけ捕っておいて、不都合になるとイキナリ捕鯨反対に切り替えるのと同じです。

金融支配→法の支配の重要性1

消費力→金融支配に戻ります。
今や国際発言力の基準になっている消費力・購買力についてみて行きますと、財の購入者が借金によるか自己資金によるかに関係なく商人は目先消費してくれる人・お客が大切です。
借金を払えなくなるかどうかは金融業者がリスクを負えば良い・・移民でも何でも客が増えれば良い・・その先の治安や教育コスト、生活保護負担は政府が考えることと言うのが,マンション業者・自動車会社やレストランであり遊園地でしょう。
(弁護士になったばかりのころには、販売会社直接の月賦販売方式でその回収の仕事をやりましたが、昭和50年代末頃から◯◯ファインンスなどのファイナンスの全額一括払い形式に変わりました。
この結果営業マンは、データ入力してブラックでさえなければいいので、顧客の支払能力を全く気にしなくてもよくなりました。
現在のカード決裁システムではそうなっています。
この5〜10年では、アパート賃貸業でさえ保証会社と提携している場合顧客の信用・・人相や職業など知る必要がなくなっているばかりか、管理会社に一任しておけば一定の家賃収入を保証してくれるシステムまであります。
この原理では貧困国・貧困層相手でも、お金さえ貸す・あるいは出す仕組みがあれば、商人はいくらでも売れます。
結果的に貧困層も一定の消費生活が出来る点では金融制度の発達は画期的制度ですが、将来の収入を当て込んで先に消費する点では、例えば2〜5年の分割払いの場合、その期間支払額に人生が縛られることになります。
いわゆる可処分所得の考え方ですが、任意に決めたこととは言え借金の支払いに追われる金額まで可処分所得に加えてもその人の自由度が測れません。
猫も杓子もカード利用社会・・債務支払のために行動が制約される社会の仕組みを作り上げて来たのが戦後社会構造です。
「債務負担とは時間を買うこと」だと習ってきましたが正にそのとおりで、将来の収入を当て込んで今消費する結果、将来の時間が縛られます。
お金の支払額が生活活動の大方に比例すると考えると、仮に月収の6割が分割払いに費やされる場合人生活動の6割が予め自分で決めたこととは言え、予め拘束されてしまうことになります。
もしも月収の9割9分が、先月までの買い物などの分割払いに当てられるとした場合、来月〜1年間、その人の生活は予め殆ど決められたことしか出来なくなります。
来月〜1年先までの分割払いで新たに自由に何かの契約出来ますが、もしも何かでつまづいたらたちまち支払い不能になる不安に苛まれている上に、将来にわたって現金で買う選択肢がなくなっています。
いろいろ言えばキリがないですが、債務にしばられる関係・・国際関係も武力一辺倒から、金融・資本支配力が武力に変わる支配の道具に変わってきました。
個人の場合、借金していると借りている(投資を受けていると引き上げられると大変ですから)方はアタマが上がらないのが普通ですが、国と国の関係で同じです。
借金漬けにして先進国が製品を売り込んでおいて金融支配する・・これが戦前の植民地支配に代わる戦後欧米による旧植民地に対する支配方式でしたが、行き過ぎると最貧国では払えなくなるのでデフォルト・・最貧国に対する債務免除問題として時々吹き出していました。
中世の終わり頃には、スペイン王室がイタリア商人に操られて戦争ばかりしていて何回も破産したのと同じです。
これを先進国が自国民に対してもやるようになっていた結果、先進国内で多発していたのが消費者破産であり、爆発的発生(一種の債務バブル崩壊)したのがサブプライムローン問題でした。
韓国では国内で財閥とその従業員に対その他大勢・一般国民に対する一種の植民地支配(両班支配の復活もどき)が行なわれていると言われていますが、その代わりに借金棒引き政治が時々実施されて来たと言われています。
共和党候補者選びでのトランプ氏の場合、全て自己資金だ・・どこからも資金が出ていないから支配されないと言うのがカレの売り文句でした。
今では、貸し付けが主力ではなく、投資による支配方式になっていますが、金融資本による支配である点は同じです。
中国はまだ「借りたら返す」と言う近代のルールを守れる社会段階に到達していないので、格好つけるために先進国による資本支配をふせぐために資本の完全自由化に踏み切れていないと言っています。
どちらが本当の原因か不明ですが結果的に資本自由化出来ない社会状態にある点は同じです。
元々商業発展と(取引)ルール強化には一体性があると言う意見を絶対王政のコラム・あるいはイスラム布教の広がりと関連して03/26/06「商人と規制の親和性8(戒律・・・宗教の成立)」前後に書いたことがありますが、商取引には取引ルール・共通化がないとうまく行きません。
(現在進行中のTPPも高度な知財その他の取引に関しても共通裁判ルールで最終的に決めようとする点にあります)
重商主義時代にはルールを守ってくれる背景として国内的には絶対王政が発達し,対外的には(行く先々で自分のルールを守らせるための)海軍力がその背景でした。
海賊から商船隊を守るためと習いますが,行く先の地域ごと異なる商品交換のやり方・・西欧のルールに合わないもの10把一絡げに「海賊」と言っていたキライがあります。

司法権の限界9(法と良心とは?1)

テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
テロとは国家秩序を短時間でも矛盾混乱させるのが本質的目的ですが、たった1つの裁判所でも勝てば今回の仮処分のように全国的影響がある・・大逆転のチャンスがあるので「司法闘争」が合法的テロを仕掛けるような役割を果たしています。
政治で既に負けているので、裁判で負けて元々・・40回に1〜2回でも勝てば儲けモノ的訴訟が増えます。
ちなみに脱原発弁護団全国会議(全国脱原発訴訟一覧2016年3月15日現在)によれば、現在の原発訴訟の数は以下のとおりです。
表が大き過ぎてコピペしきれません(何日分のコラムになってしまいます)ので要約しますと、(青字のみ現在係争中とのことです)全体で41事件あって青字の部分は29件です。(数え間違いがあるかも知れませんが大方こんなものです)
都道府県の数からすれば、原発・関連施設のあるところ殆ど全てで裁判していることが分ります。
裁判官が自己の政治信条によって判断することが許されると地域ごとに変わった判決・・千葉と埼玉では同じ国政選挙が有効だったり無効だったりする矛盾した国家意思になってしまいます。
こうなると裁判官が個人的政治信条に従った裁判をして良いか・・政治に介入することが許されるかの議論の重要性が分るでしょう。
公務員の中立性の要請もその基礎は同じです。
ここで裁判官に求められている判断基準が何かが重要になってきます。
この後で書くつもりでしたがここでちょっと書いておきますと、裁判官は「法・憲法と良心のみに拘束される」のが近代法の原理ですが、主観的政治信条に(忠実に?)従った裁判をするのは「法と良心」に関するはき違えです。

憲法
第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
○3  すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

個人の主観的信条を裁判官の「良心」とは言いません・主観的意見とはちがっていても確定判例や通説に従うのが「法や良心」に従うことです。
ただしこのままでは判例変更出来ませんから、従来の判例通説が間違っている・・社会実態の変化にあっていないので改正すべきだとの確信があれば、堂々と新判例を出して上級審の判定を待ち、最高裁の場合判例評論等の批判に委ねるべきです。
例えば特定宗教に凝っていても共産主義を信奉していても裁判官になるのは自由ですが、その教義や主義に従って憲法を無視してたとえばイスラム法に従った判決や決定・・喩えば、不貞行為の主張に対してイスラム法を引いて「男は何人妻を持っても良い」と言う判決をすることは許されません。
自分の意見は司法界の通説判例(あるいは、司法界で通用している経験則)に反していて上級審ではすぐに否定されると分っていながら敢えて主観的意見による判決や決定を出すのは(裁判官が知っている法解釈に反した行為ですから)「裁判官の良心や法に従った」判断ではありません。
本来の訴訟による判決の場合不服のある場合には、すぐに控訴出来てその場合1審判決の執行力もありませんが、仮処分の場合異議申し立てしか出来ず直ぐに控訴出来ない仕組みですから、この仕組みを悪用すれば、申立人の意見が政治意見に共鳴する裁判官にあたって主張が偶然通るとしてもそれは異端説・・一般的解釈に反していることを見越しての訴訟提起です。
上級審では直ぐにも覆ることを知っていながら申し立てする場合、申立人は、本来本案訴訟でやるべき事件をすぐに上級審に移行出来ないように敢えて仮処分制度を悪用?することも可能です。

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