アメリカ式移民モデルの破綻2(朝鮮人学校1)

比喩的に言えば、フィリッピン人100人が100の小学校に散らばっていて各地の先生が個人的に困っているよりは、まとめてフィッリッピン学校をフィリッピン人に作ってもらって、(政府が一定の補助金を出してでも)そこである程度アイデンティを保ちながら日本社会と同化して行くための教育をする・・中間的教育機関を作って行く方が合理的です。
この意味では、朝鮮人学校の存在は(内部で反日教育しているとすれば問題がありますが存在自体は)日本社会のために良い効果を発揮していることになります。
これを民族意識強調のために機関と見られるようになったのは、朝鮮人被害者論を強調して来たマスコミの偏った報道姿勢による被害と言えるかも知れません。
マスコミが一方的報道を繰り返すので、沖縄県民が皆偏っているのか?と誤解されつつあるのと似ています。
朝鮮人も皇国臣民として一緒に戦ったように、沖縄人も強制されて仕方なしに戦ったのではなく、日本人として命がけで沖縄戦を戦ったのです。
この点を強調して如何に勇敢に戦ったか・・その評価をして欲しいと言うならば分りますが・・・。
異民族として自決を強制されたかのようにアメリカ軍によって戦後教育がされて来たことに沖縄人が安易に乗っているのが事態を複雑化しています。
マスコミは占領時から今まで、ずっとアメリカに支配されたままですので、これを強調して来たのは当然としても、沖縄人がニッポン民族の誇りを棄てて、アメリが主導していた異民族説についた人が多いように見えるのが不思議です。
独立容認論は別としても甘やかすから図に乗っている・・むしろ締め上げた方が良いんじゃないかと言う意見も当然出て来ます。
今になると日本がそんなにイヤならば独立したら?と言う意見が、ちらほら出ている状態ですが、いわゆる嫌韓感情・・日韓断交までは行き過ぎとしても出来るだけ関与しない・応援したくないと言う意見が主流化しているのと対沖縄でも似た状態になりつつあります。
少なくとも沖縄専任の大臣など廃止した方が良いでしょう。
慰安婦・徴用工の問題は日本人として貢献していた点は同じですから貢献した点をきちんと評価して欲しい、日本人同様に平等に原爆被害も補償すべきと言うならば正攻法ですが、これを反日材料とするから嫌韓感情を煽る結果になります。
ただ、偏ったマスコミの暴走に呼応するか呼応しないか・・帝国臣民としての要求をするかの知恵を利用した方が良いかを決めるのは、マスコミの責任ではなく、沖縄県民や民族レベル次第ですからある程度自己責任の範疇です。
遠い昔にメキシコやトルコが遭難時に日本に助けられたと言って、近寄って来るのと日本に酷い目にあったと言って言いがかりをつけて近寄って来るのとどちらが良いかの判断です。
朝鮮人組織による反日の声を期待しているマスコミにマトモに応えていると、その国でい辛くなるのが普通ですから、煽られてニッポン民族の悪口を言わないように自制教育するのが普通です。
民族衣装を着て何が悪いと開き直ったり、日本政府批判の声をマスコミにのせられてしまう自衛力の弱さは彼らの自身の能力の低さを表しています。
京都在特会事件はやり過ぎだった点を捉えて法的パンチを繰り出して勝ったつもりでしょうが、却って大規模世論喚起になってしまいました・目先しか分らない・高度な政治判断出来ない弱みです。
マスコミは朝鮮人が如何に虐げられて来たかと戦後70年間宣伝して来やことが朝鮮人の居場所を狭めているのですが、贔屓の引き倒しと言うか朝鮮人や沖縄人を煽って、お際の独立運動を煽る・・本気で朝鮮人を日本にいられなくして追い出そうとしているのかよく分りません。
いわゆるシバキ隊が結成され,在特会関係の街宣に必ず朝鮮人らしい厳ついお兄さんが駆けつけるのがユーチューブで流されていますが、イカツく強迫することが逆効果になることに気が付かないようです。
日本人でも田舎から都会に出る人が多かった時代には◯◯県人会と言う親睦組織があって見知らぬ都会での情報交換に努めホームシックを癒したように、外の世界から移住した人のために親睦組織がある方がその社会の安定に役立ちます。
20年ほど前に女川に2泊旅行したときにホテルの送迎バスに乗ると同乗したグループは東京から仙台転勤族の奥様の親睦会のグループでした。
国内でさえも、地方に転勤したか家族にとっては地元情報交換や精神安定のための一種の県民会組織のようなものが必要なことが分ります。
世界に展開している企業戦士も各地で日本人会を組織してそのバックアップを受けていいます。

アメリカ式移民モデルの破綻1(ユダヤ排斥と在日非難の共通項)

欧米が依存して来た移民さえ入れれば何でも解決出来るかの今回のテーマに戻します。
もともと輸入とは果物であれ何であれ、自国製品よりも(同じ品質でも季節的に日本で出来ない冬に出来る果物とか)優れている(信長が黒人を珍しがったように珍奇性も競争力があります)・・競争力があるから輸入するものです。
ところが、移民労働者は・・多くは本国の社会レベルが後進社会であることが普通ですから、例えば介護や子育てでも出身国の方が日本の水準より良い筈がありません。
高齢化は先に日本の方が進んでいて経験豊富ですし・利用するべき高齢者にとってもフィリッピン人の方が日本人よりも意思疎通し易いとは到底思えません。
製造工場でも出身国の工場の方が進んでいる場合にその技術を日本に教えに来るのならわかりますが、遅れた国から日本に来ても受入れた日本では教えなければ使い物にならないので重荷になるだけです。
中学高校で言えば優秀な生徒が転入して来れば良い影響を与えますが、授業について行けない子や不良が入って来れば、廻りが悪影響を受けレベルが下がるだけです。
不良が身近にいて勉強になった・・いろんな人がいて良かったと言う意見(決まり文句ですが・・)も言えますが、ここでは大方の生徒や先生(独りでも授業について行けない生徒あるいは不良がいると先生の負担が増します)が受けるマイナス影響を書いてます。
移民労働者は、言語意思疎通もママならないのが普通で、しかも別世界から来るので、移民先の慣習や仕事の手順すら分らない・・全ての分野で未熟練労働者ですから、移民を入れれば目先の総労働力が増えますが平均レベルが下がってしまいます。
しかもその企業・・例えば居酒屋やラーメン屋で言えば、皿洗いなど安く使えて少しは得するでしょうが・・企業外の社会の負担・・2世になると教育負担、不良対策負担など半端ではありません。
アメリカで言えば、移民を入れて労働生産性が下がっているのに、平均生活水準を保つには荒稼ぎの人・巨額収入者のおこぼれ分配にすがるしかありません。
彼らの多くが底辺労働に入るのが一般的です・・底辺労働中心の移民の場合非課税所帯・・社会保障負担や税負担がほとんどない・・高齢化すると蓄積がないので生活保護所帯に転落するのが普通で、次世代も秀才になるよりはお荷物になる率が高いから、受益以上の税負担するよりは受益の方が多くなる・・社会保障負担が増えることになります。
在日は移民と言っても既に2〜3世に入っていますが、今でも大手に就職出来ないので逆強の中で有能な人・・孫正義その他パチンコその他でタマに成功すると目立つものの、99%の庶民は末端現場労働で人生を終わっているのでないかと想定されます。
この辺は欧米で根強いユダヤ人批判・特定少数の成功者が目立つものの実は成功していない一般庶民の方が圧倒的に多い筈ですが、彼らに対するお荷物扱い・・犯罪者が多い・・テロ予備軍だとかの不満・・自分たちに分配されるべき福祉予算が彼らに食われている不満と目立つ成功者・・金融関係者の高額報酬へのやっかみの矛盾した不満を受けているのと同根です。
これはイギリス・欧州その他世界中での移民排斥論の基礎・心理状態でしょう。
在日の生活保護受給率が高い点を批判する意見が最近見られますが、不正受給が多いとは限らない・・社会保障の充実した大企業への就職困難→数人規模の零細事業・・飲食店等にやっと就職出来て働いて来た場合、まじめに年金を払って来た人でも国民年金だけでは老後苦しい・・生活水準が基本的に低い点に問題がある可能性があります。
生活保護受給率は生活水準に左右されることを無視して、人種別在日の受給率だけを取り出して(在日が不正をしている率が高いかどうかの検証なしに)あたかも不正が横行しているかのような在日批判をするのは論理飛躍があります。
他の移民に比べて在日の受給率が高い点が強調されていますが、フィリッピン,タイ、ベトナム、イラン系などは、今のところ移民1世代目で働き盛り中心で高齢化していないし、次世代が子供〜青年期なので(暴力団幹部の年齢になっていない)犯罪率も生活保護需給率も高くないのはまだ表面化するだけの期間が経過していないことによる可能性があります。
他民族に比べての犯罪率・需給率を主張するならば同世代での受給率や犯罪率と比べないと合理的主張とは言えません。
既に、我々実務界では、小中学校で問題児化が顕著になっている(クラスに一人言葉の通じないイランやフリッピン系人がいると先生の苦労は察するにあまりあります・・日本社会に負の負担がのしかかっています)ほか、18〜20代に達している世代では非行?化率も上がり問題になり始めています。
むしろ朝鮮人のようにこれを包み込む組織(民団や朝鮮人学校)がないことから、バラバラと個人的に入って来たその他の移民の子供は日本語もフィリッピン語もままならないまま日本社会に放り出されています。
母親は夕方から風俗に働きに行き朝方帰ってくるとすぐに寝入ってしまうので、子供と顔を合わせる暇もない・・学校へ行く準備すらまともにしてやれない・・勉強の面倒を見られない(・・元々日本語の教科書をオヤも読めないでしょう)小中学校に行ってもなんにも分らないまま大きくなって行く状態です。
こんな状態でも小学生の場合不良になる基礎能力がありませんが、中高校生になって来ると家に帰っても慰めてくれる母親がいない状態では自然に不良交友が始まってしまいます。
18〜9歳の犯罪事件の家事審判では、母親が(朝起きられないから寝ていると言う理由で)来ないまま手続が始まってしまう・・(どうしたのと?と電話すると寝ぼけ声では母親で電話に出る状態)日本人社会では想像もつかない状態が進行しています。
この辺は一定数の在日系社会が形成されて受け皿が整っている朝鮮系の方が底辺層の数が多いにしては、不良加率は低い・・うまく日本社会に融和しているように見えます。

社会保障とその限界2

介護サービス分野の労動力不足問題は移民導入で解決する問題ではなく、これを提供する側のコストを利用者が負担出来ない・・税で負担しようとするところに無理があります。
給与4〜50万も払えば求職者が殺到するでしょうから、人口不足ではなく給与水準の低さにあることが明らかです。
移民導入論は、移民の労働条件は日本人よりも低くて良いという思想を前提にしないと成り立ちません。
この思想は移民が他産業へじわじわと浸透して行くのを期待して最低賃金水準を結果的に引き下げて行きたい思惑が背後にあると思われます。
この効果が出ているのが欧米であり、今や中国に負けないほど賃金水準が下がったと豪語している状況ですが、これがイギリスやアメリカ国民の不満爆発に繋がっているのです。
日本をそう言う社会にして良いかの議論が必要です。
有料老人ホームの待機問題が起きないように、保育所や介護費用も利用者が必要なコストを払うならば民間参入が進むし税負担がいりませんので、国会で議論する必要すらありません。
高齢者介護は医療同様に家庭内で見るのが無理なのでこれを社会化・・サービス産業化して行くのは必要ですが、補助比率を徐々に下げて行き民間参入を増やして公的比率を減らして行く工夫が必要です。
明治維新当時を振り返れば分りますが、国営製鐵や国営鉄道その他揺籃期には、税で後押しする必要がありますが、いつまでも公営であり続けるべきかは別問題です。
千葉の例で言えば、モータリゼーションが始まったばかりの昭和40年前半頃に繁華街での路上駐車対策で?始まった公営駐車場がまだ残っていて、5〜6年前からこんな施設を税で運営している事自体おかしいと思っていたら遂に、今年から一部廃止することになったようです。
今では100円パーキングがあちこちにあって、税負担でインフラとして用意する必要性がなくなっているからです。
美術館・・公営会館などは一見ペイしないので、税が必要と言う意見が多いでしょうが、東京になると民間美術館が一杯あるので、民間と競争するために税を投入する必要があるの?と言う想定外の視点が必要でしょう。
公民館やスポーツ施設などもフィットネスクラブや民間のいろんな組織・貸しホールが発達して来るとコミュニテイーセンターなどの役割に疑問が出て来ます。
ビジネス街の公民館の利用を見ると民間より数十円安いから利用する人が中心になって来ると何のために巨額の税投入で維持しているかの疑問が出て来ます。
まだ結婚式が個人宅で行われることが多かった昭和30年代始め頃に大田区のどのあたりだったか忘れましたが、(奥沢か雪谷だったかなあ?)をクルマで通りかかったときの光景を今で思い出しますが、・・新装なった公民館で結婚式をやっていましたが、それが当時の新生活運動だったのです。
屋敷を持たないアパート住まいの労働者も一人前に結婚式をやれる時代到来の象徴でした・・いま公民館で結婚式や葬儀をやっている人は滅多にいないでしょう・・役割が終わったのです。
学校制度も公営は民間が育つまでの過渡的制度であるべきで、最後は民間の授業料を払えない階層のための社会保障としての公立小中高校・国公立大学制度に絞れば税負担が大幅に減りますし、自由な競争に曝した方が、教育レベルがあがると思われます。
明治維新時の織物工場や製鐵や鉄道・今のロケット技術等先端分や制度創設当初には補助金・・公営が必要かも知れませんが、創設時に民営化するまでの工程表を策定しておく発想・・民営化して行く前提がどんな分野でも必要です。 
明治維新の官営工場がいつまでも官営のママであれば、日本の近代国家への離陸発展がなかったでしょう。
保育所や介護関係は、業界の自立が見込めない・・いつまでもコストの大部分を政府が出し続けなければならない点に無理があります。
必要なコスト負担しない・・この差を埋めるために国家支出・・みんなの善意?を求められているのが今の保育所増設や介護士増員や特養増設要求であって、払えないコスト分は国家支出に頼る以上国策の優先順(宇宙飛行士の給与、大学教授の給与〜公務員の給与・・・道路や文化予算等々)で総枠が決まって行くしかありません。
利用者がコスト負担する場合・・放っておいても需要がある限り供給されるでしょうが、税でコスト負担する場合には需要がある限り供給すべしと言う理屈にはなりません。
介護や哺育関連従事者の賃金も税で供給されているから市場価格と乖離する・・人が集まらなくなるのは仕方がないことです。
自分の収入に匹敵する費用を払っても良いと言う国民合意があってこそ、賃金の市場価格が成立します。
介護士や保育士は平均賃金で良いがコストの5分の4を政府が負担すべき(保育所の敷地購入負担・建物建設や管理その他運営費用がかかるので、介護士や保育士の給与だけでは運営出来ません)と言う現在の要求では、いつかは国家予算が持たなくなります。

過大消費と消費者破綻(資金環流策)

ちょっと軍事費負担能力から話題がズレますが、軍事費も含めたアメリカの過大(収入以上の)消費について書いて行きます。
ニクソンショック以降のアメリカの消費力維持は国際収支黒字国に付け回す・・いわゆる資金環流によっていたことを連載したことがあります。
資金環流とは何か・・言い換えれば、借金で収入以上の生活を国家ぐるみでして来たことになります。
現在の世界経済における巨大不安の根源は、アメリカが自己資金・対応する労働収入以上の消費を何十年も続けて来た無理に対する不安です。
収入以上の消費をして来た結果,20世紀に入ってから長年の蓄積を食いつぶしてしまった結果の第一次破綻がリーマンショックであり、その余震が南欧諸国の経済危機ですが、アメリカ社会が過大消費を改めるどころか、異次元緩和によって消費の下支えをして来ました。
この点は中国がバブル崩壊ショックを緩めるために国内再投資拡大しているようなもの・・誰も中国に対するような批判していませんが、中国の破綻先送りと本質は同じです。 
アメリカはリーマンショックの教訓を忘れて?過大消費復活モードに入っている=貿易赤字拡大する→資金環流促進が必要だが、このまま低金利が続くと逆にアメリカへの資金環流が縮小するリスクがあるのでFRBは必死になって一刻も早い金利引き上げ時期・・消費抑制+資金環流促進を探っている状態です。
この利上げのタイミングがうまく行かないので、さしあたり対米貿易黒字国に対する円高要求等・・相手国為替が切り上がると輸入物価が上がる→消費抑制になるし赤字も減ると言う目論見・・金利上げと結果は同じ目論みに繋がって来た原因です。
そこが堅実消費社会・・金利の上下はそれほど消費に影響しない日本との違いです。
最近の根源的不安はアメリカの第二次破綻が迫って来ていて、その帳尻合わせに苦しみ出したことに根源があって、それのキッ掛けになろうとしているのが中国の破綻現実化局面です。
中国がリーマンショックによる消費減退の穴埋め役を担当して、環境も何も無視した無茶な消費をアメリカにおだてられるままにやってしまった・・約50兆円投入して無茶な内需拡大・・いわゆる中国の爆買いをした結果、今そのツケ・帳尻合わせが出来ずに苦しんでいる状態です。
例えば個人の懐ならば、1000万円の蓄積があるときに海外旅行などで贅沢して500万円使ってもまだ500万円残っているときに、今年から旅行をやめればどうってことない筈ですが、国家経済はそうは行きません。
個人の場合でも旅行や観劇消費と違って環境健康無視の「ドカ食い」の場合、健康被害や公害が残る・・後始末の費用が必要であるように消費の仕方にもよります。
中国の場合、50兆円消費するために新幹線や高速道路やビルを建てまくったので、製鐵、セメント会社などが設備投資して労働者を雇っているので、来年からゼロです・・これ以上作りませんと言う訳には行きません。
長野オリンピックの後で地元企業が苦しんだ大型判です。
中国は企業をバタバタと潰す訳に行かないので、需要がなくとも無駄な工事をイキナリゼロにしてやめる訳に行かない・・苦しいところです。
個人商店でも商売を辞めようとすれば、相応の後始末資金を残しておく必要・・大企業で言えば工場閉鎖やリストラなどをするには損失計上体力が必要です。
上記例で言えば、中国が50兆円使ってもまだ50兆円残っている段階で縮小に転じても、大混乱回避・・ゾンビ企業延命のために残りの資金供給が必要ですが、残りの金で足りるかどうか・・途中で足りなくなって破産するかどうかが注目の的になっている状態です。
個人の場合計算さえあっていれば良いのですが、国家の場合、市場の信用次第・・本来足りる筈なのに、(政府の信用度が低いと)信用不安でドンドン資金流出して行き、折角の外貨準備を崩して買い支える必要があるので、十分足りる予定だった資金が半分〜3分の1も使えないうちにデフォルトになる危険があります。
今中国はこの過程・・国際金融資本家〜小金持の資本の海外逃避とのせめぎ合いで、外貨準備が日々流出している状態です。
ちなみに5月の外貨準備減少額は以下のとおりです。
[北京 7日 ロイター] – 中国人民銀行(中央銀行)が発表した5月末時点の外貨準備高は3兆1900億ドルで、2011年12月以来の低水準だった。ドル高や散発的な市場介入が影響した。
ロイター調査による予想は3兆2000億ドル、4月末時点は3兆2200億ドルだった。
5月の減少幅は279億ドルで、月間の減少としては2月以来の高水準。

人民元流出の主役はソロスなどのプロと言うよりは、中国を見限ったかその先が危ないと思う裸官その他の中国国内の小口資金保有者の国外資金逃避のために合法取引を装って両替申請する・・人民銀行はドル不足になって外貨を取り崩す繰り返しです。
中国2000年間専制王朝を崩壊させて来た農民の流民化と同じ現象が、資金逃避と言う形で始まっています。
ただ、中国の外貨準備が急減するとアメリカの過大消費をファイナンスしていた資金が流出→消滅する危険があります。
これをアメリカががどうやって穴埋め・ファイナンスするかの悩みです。
その穴埋めにパナマ文書等に始まる・・タックスヘイブン摘発がイキナリマスコミを賑わすようになった原因のように見えます。
アメリカ国内のデラウエア州にタックスヘイブンがあって、そこにはアメリカは手を入れない・・特殊扱いが知られています。
要はアメリカ国内に資金を持ち込むならば、目をつむると言うアナウンス・摘発方式です。
結果的に中国を筆頭にした逃避資金はドンドンアメリカ国内に非合法に集まって行きます。
アメリカは中国政府を資金流出で追い込みながら、自身は非合法資金を集めてでファイナンスされているので、当面金利を上げる必要がない・・消費抑制には上記のとおり円高などを要求すれば良い状態です。
非合法資金の摘発と称して世界中の非合法資金を脅して、非合法資金の摘発を受けない「安全地帯」アメリカ国内に集める政策をとっているのです・・もちろん根拠のない穿った見方です。

近代法理の変容13・破綻4(日本固有の法理5)

原因究明・再発防止のためにどうするかのために調査は必要ですが、責任追及目的で行うのとは、方向性が違っていて建設的ではありません。
責任追及されるための調査では自発的反省意見が出難いのすが、そうでなければ「あのときこうしておけば良かったかなあ」と言う自発的反省が一杯出てきます。
日本人が韓国に植民地支配がどうのと言われると多くの日本人としては、西洋の植民地支配のような過酷なことをしないで本土並み以上にいろんなことして来たつもりでも、「援助される方は辛いこともあったかもな?」と反省していたのですが、反省すれば、それを良いことに突っ込んで来る・・際限なく次々と非難され続けられると、「いい加減にしてくれ」と言いたくなる人が増えてきました。
対中関係も同様で大戦中迷惑をかけたことは事実ですから、それなり反省していましたが、ここまで来ると限界線突破・・こう言う人達には、誠実に対応するだけ損となってきました。
中韓共に、日本的な信頼社会とは違う・・どこまで行っても「建設的な関係を築くのは無理な相手だ」と言う意見を持つ人が日本人に増えて来たようです。
日本の相互信頼社会・・絶えざる進展の歴史は、日本的な古来からの生き方の建設的な成果を物語っています。
日本の社会発展の歴史をみると、ある人が大儲けしようとして技術革新が起きた例は滅多になく、何らかの大きな苦しみや悲劇があった場合、この克服のために薬品や工作物の工夫をして少しでも多くの人にこの恩恵が広く行き渡り、助かるように頑張るのが普通です。
成果が出ると無償でこの普及に努力する・・元々諸外国の発明発見者と心がけが違うので、儲けを独り占めするような人は皆無に近いのです。
最新知見で言えば「TRON」の開発者が無償で世界公開しているのはその一例ですし、最新医療技術開発者も世界中を飛び回って新技術の無償伝播に熱心です。
日本以外の国では何かの製品開発等に成功するとブランド化して実際の価値の何十倍もの高値を吹っかけるのが普通ですが、日本人は成功すると日本中への普及に努力し、最近では後進国に無償どころか私財の持ち出しで出掛けて行って、その土地の人が安く利用出来るように身を粉にしてして努力するのが今でも普通に行なわれています。
この基礎的な行動意識の違い・・災害をみんなの不幸として捉えて悲しみ(誰か一人に責任を押し付けたり儲けを独り占めにしない社会)も共有する絆・重視社会で縄文の昔からやってきたのが、社会のの絶えざる発展と安定の基礎です。
西洋法理の意思責任主義に戻りますと、事件を起こしたのが、意思能力のない狂人・精神障害者だからと言って放置する意思主義の法理では社会の維持が出来ません。
西洋近代の意思責任・個人責任主義による矛盾解決のために、仕方なしに漸く心神喪失者等医療観察法と言うものが制定されたことになります。
この法律によって、重大事件を引き起こしても、心神喪失等によって不起訴や無罪になった場合、刑事事件としての釈放と同時に一定の手続を経て強制的に医療施設で医療を与えることが出来るようになりました。
個人責任主義では実際に解決出来ない・・古来からの親兄妹の慣習法的責任感でこれまで何とかなっていたのですが、表向き個人責任主義と言いながら実際には親や親族に任せていた矛盾が出て来た・・社会実態があります。
親族の助け合いに頼っていた介護の社会化・母一人の育児の社会化と同じ問題です。
私の担当した精神障害者事件経験の多くの場合、親が高齢化して来て精神病の息子等を制禦し切れなくなって来た・精神病院への通院をいやがるなどで放置状態になって多くの事件が起きて来ている例が多いのです。
高齢化社会の弊害かと言うとそうではありません。
いつかは親が高齢化して障碍者の面倒(病院へ無理に連れて行くなどの事実上の強制力を含めた)を見切れなくなる時点が、従来の50台から80台に先送りされて来た違いがあっても、いつかは面倒見切れなくなる点は今も昔も同じですが、核家族化進行が大まかな社会連帯を崩して来たことによります。
社会連帯で個人責任を誤摩化して来た矛盾が出て来たのです。
法律家が近代法をなまじ学んでいることを振りかざし、意思責任がない以上は放置しろと言うものですから、(今まで親兄妹がその矛盾を補充して来たのですが・・)却って社会の必要性に対応出来ない事態が起きていたのです。
学者や秀才とは、過去の事例蓄積を学ぶのに秀でた人のことですから、(学者=学ぶ人)自分が学んだ2世紀も前には先進的であり、妥当したルールにこだわって、目の前の時代の流れを見ない傾向があって、時代遅れになる傾向があります。
10/15/03「教育改革18・・・・・多様な人材を育てる教育システム1」06/27/03「学者と実務家 6(教育改革の方向)」等々で、秀才が時代変革に対応する能力がないのに偉そうに意見を言うので、国を滅ぼしてしまうと言う意見を何回も書いてきました。

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