左翼系文化人の伸張2(ポポロ事件)

16年9月4日に書き始めていた「占領政策と左翼系文化人の伸張1」以来アメリカ政府に対するコミンテルンやユダヤの影響に逸れていましたが、日本の文化人が何故左翼系中心になったかのテーマに戻ります。
左翼系文化人はニッポン民族批判にはアメリカ基準・・言論の自由や人権が・・と騒ぐのですが、国際政治になるとイキナリ旧ソ連や中韓の応援します。
高度技術漏洩防止の必要性や、防衛の必要性になるとイキナリアメリカ軍が使っていた軍国主義国家論が復活すると言うスローガンが出回ります・この二重基準の基礎にはルーズベルトの二重基準・反共国家の指導者でありながら容共体質・によって占領政治が始まったことにあります。
今のトランプ大統領が、個人的にはプーチンや中国の独裁政治・自国中心主義の身勝手な政治に対する賛美する資質を隠していませんが、その分ロシアゲートなどで国民批判を受けて反中・反ロシア政策をとるしかないねじれ現象担っているのと似ています。
アメリカ占領政策初期の政策にはルーズベルトのスターリン贔屓の影響でコミンテルン・今の言葉で言えば「グローバル化」の貫徹)とアメリカ民族主義の本音が混在していたことになります。
以下はルーズベルトと共産主義の関係に関する記事です。
http://ameblo.jp/rekishinavi/entry-11586757334.htmlの引用です。
「ヴエノナ文書とは第二次世界大戦前後の時期にアメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入 してことを暴いた文書で、アメリカの情報公開法に基づいて開示されたのですが、江崎氏が研究すればするほど、ルーズヴェルトはソ連やCHINA共産党と通 じていたことが明らかになってきたそうです。」
上記研究の信頼性は分りませんが、(意見には当然反論があり得ます)アメリカ本国では(ルーズベルト死亡後彼が政権に引き入れていた共産主義信奉者の影響が大き過ぎることに懸念が生じ)その後周知のとおりマッカーシー旋風で共産主義者が政権中枢から一掃されますが、それほどまで政権中枢にコミンテルンの細胞?が浸透していたことが分ります。
日本では独立後占領支配権力・・公式にはアメリカは反共陣営筆頭です・・が縮小して行く過程で、左翼系文化人は一旦勢力を張った大学やマスコミでの支配勢力維持のために、アメリカの持ち込んだ思想表現の自由・・これを拡大した大学の自治?をそのまま主張して民族系学者の復帰・浸透を許しませんでした。
大学研究機関、マスコミ界では共産系思想家はそのままとなり、却って自由主義系学者は後ろ盾がなくなり共産主義思想が大学等研究機関での支配勢力になって行く原因になりました。
現在でもNHKの「偏った」報道に対する批判に対して、「報道の自由」と言う偏った?意見で反論しているのがその代表的現れ方で、戦後ずっとこのやり方で学問の自由、大学の自治などで聖域化してやってきました。
この代表的事件がいわゆるポポロ事件でした。
ウイキペデイアからの引用です。
ポポロ劇団は1952年2月20日、東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で松川事件をテーマとした演劇『何時(いつ)の日にか』(農民作家・藤田晋助の戯曲、1952年1月発表[1])の上演を行なった。これは大学の許可を得たものであった。上演中に、観客の中に本富士警察署の私服警官4名がいるのを学生が発見し、3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせ、学生らが暴行を加えた。奪った警察手帳は東京大学の決議によって警察に返還されたが、警察手帳のメモから少なくとも1950年7月以降から警察が東大内を張込・尾行をして学生の思想動向等の調査を行っていたことが判明した。私服警官に暴行を加えた2人が暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴された。
最高裁判所大法廷は昭和38年5月22日、原審を破棄し、審理を東京地方裁判所に差戻した。理由として
「大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである」。
しかし、
「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」。

上記の通り事件としては公開の集会だから警官の立ち入りが違法でないとされたものの、前提としての大学自治が保証される判決でしたので、大学側の要請がない限り犯罪行為があっても警察が踏み込めないかのような行き過ぎ・・聖域化が始まり、教授吊るし上げ等のやり放題・以後荒れる大学が生まれる素地になっていきました。
民放の場合には顧客による選別・市場選択権がありますが、国営放送の場合一方的中韓政府主張代弁報道ばかりされたのでは、国民は溜まりません。
この批判不満が漸く進出して来たのが昨今ですが、マスコミ界は報道の自由論で一歩も引きません。
この種の意見は、日弁連の政治運動に対する批判に対しても「弁護士会自治」と言う理論で批判を寄せ付けないのと軌を一にしています。
私が大学を出た頃には経済学と言えば、近代経済学派系よりはマルクス経済学派系の方がマスコミで大事にされていて、隆盛な印象を持つ時代でした。
歴史・・漫画その他一般的ストーリーでも唯物史観が幅を利かしていました。
マルクス経済学者である美濃部氏が共産党から出て都知事を何期かやったのは、その直後頃でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki
革新統一による知事として知られ、政党では日本社会党と日本共産党を支持基盤とする革新知事として1967年(昭和42年)から1979年(昭和54年)の12年間(3期)に渡り、東京都知事を務めた。
どちらの経済論理が正しかったかはソ連の破綻、何千万の餓死者を出していた中国の失敗をみれば明らかですが、間違っていた共産主義理論が、学問組織内では逆に圧倒的優勢だった・・現在もこれが続いていることに学問の自由とは何か?と言う歴史の真理があります。
「◯◯の自由」とは「一旦支配権を握った方が半永久的に専制支配を続ける自由」と読み替えることが可能です。
何回も例に出していますが、大学自治会がどこからも介入を受けない結果、過激派の拠点になっていて、大学自治会のほぼ100%が、一般学生と関係のない政治組織になっていることを想起してみれば分ります。
自治と言うものは活動家が独走を始めると構成員総意を反映しなくなっても是正方法がなくなるリスクが多い・・・実はくせ者です。
スターリンの恐怖政治は、民主的選出方法による筈の共産主義国家で起きたものです。
司法試験受験科目であった政治学言論では、共産主義国家は自由主義国家ではないが、が、民主的選任方法があるから民主主義国家であると言う分類を習いました。
何となく詭弁っポイ説明でしたが、今や北朝鮮や中国等の共産主義国家が民の声を充分に吸い上げている国であると思っている人は皆無に近いでしょう。
こんな詭弁を信じ込んでいまだに中国の肩を持って活動しているのが革新系野党です。

行政警察2(最判51年決定〜米子銀行強盗事件)

昨日の中央ロージャーナルの論文・第一京浜事件最判部分引用続きです。

II 第一京浜職務質問および車内検査事件での最高裁判所判断の検討
だが,この事件での車内の検査は違法と判断されるべきものなのだろうか。
1.家のプライヴァシーと自動車のプライヴァシーの相違
5.車内に立ち入って「懐中電灯で車内を照らし,背もたれを倒し,座席をずらせて調べる行為」の適法性─同意・承諾は絶対的条件か
(1) 最(3小)昭和 51・ 3・16 決定18)との関連
この事例は,飲酒運転で物損事故を起こした疑いのある被告人を警察署に任意同行し
た後,呼気検査を求めたがそこでも呼気検査を拒否し,母親が来れば警察の要求に従うと述べた被告人が,母親の来署前に,マッチを取ってくるといって,玄関の方に向かって小走りに行きかけたのを,警察官が,「風船をやってからでもいいではないか」といって左手首を摑んだところ, 被告人がこの警察官に暴行・ 傷害を加えたという場合であり,第一審はこれを任意捜査の限界を超えたものだと判示したが,第二審はこの警察官の行為は説得のための活動であるとみて許されるとした。
最高裁は次のように判示している。
「捜査において強制手段を用いることは, 法律の根拠規定がある場合に限り許容される」。しかしながら,「ここにいう強制手段とは,有形力の行使を伴う手段を意味するものではなく,個人の意思を制圧し,身体,住居,財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものであつて,右の程度に至らない有形力の行使は,任意捜査においても許容される場合があるといわなければならない。
・・・必要性,緊急性などをも考慮したうえ,具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されるものと解すべきである。」

 このように判示してこの事件での巡査の手首を摑んだ行為は,呼気検査に応じるよう被告人を「説得」するために行われたものであり,その程度もさほど強いものではなく,適法な職務行為であると判示した。
・・・・強制手段とは,「個人の意思を制圧し,身体, 住居,財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」を意味するとの判示は,職務質問のあらゆる場合について相手方の同意が得られなければならないことを判示したものではなかろう。
・・・常に同意によることが必要であると解することは,後述のように,職務質問の制度の趣旨と合致しない場合を生ぜしめ,職務質問の必要性が最も高い事案で全く実効性を発揮できない制度としてしまうことになろう。
最高裁判所の判断も, 自動車の挟み撃ち検問を認めた事例やエンジンキーを回してスイッチを切った行為20)やエンジンキーを取り上げるなどして運転を阻止した措置
21)を職務質問の観点からも適法とする判断を示して, 上記の51 年判例の事例とは異なる,事例の特徴を踏まえた判断をしてきている。

(2) 米子銀行強盗事件最高裁判例との関連

(第一京浜事件では・稲垣注)違法である根拠が「 承諾がない」,というところに求められているが, この点は 米子銀行強盗事件と整合しているのか否かが問われなくてはならない。
銀行強盗の不審事由のある被告人らに,緊急配備検問により停車させた自動車から下車を求め職務質問したが,質問に答えず,所持品の検査も拒むなどの状況があり,そのままでは不審事由の解明に支障がある状況で,承諾がないまま,施錠されていないバッグのチャックを開けて中を一瞥した行為を最高裁は適法であるとして,次のように判示した。
「警職法は, その2条1項において同項所定の者を停止させて質問することができると規定するのみで,所持品の検査については明文の規定を設けていないが,所持品の検査は,口頭による質問と密接に関連し,かつ,職務質問の効果をあげるうえで必要性,有効性の認められる行為であるから,同条項による職務質問に附随してこれを行うことができる場合があると解するのが, 相当である。
所持品検査は,任意手段である職務質問の附随行為として許容されるのであるから,所持人の承諾を得て,その限度においてこれを行うのが原則であることはいうまでもない。しかしながら,職務質問ないし所持品検査は,犯罪の予防,鎮圧等を目的とする行政警察上の作用であって,流動する各般の警察事象に対応して迅速適正にこれを処理すべき行政警察の責務にかんがみるときは,所持人の承諾のない限り所持品検査は一切許容されないと解するのは相当でなく,捜索に至らない程度の行為は,強制にわたらない限り,所持品検査においても許容される場合があると解すべき」である。
・・・「所持品について捜索及び押収を受けることのない権利は憲法三五条の保障するところであり,捜索に至らない程度の行為であってもこれを受ける者の権利を害するものであるから,状況のいかんを問わず常にかかる行為が許容されるものと解すべきでないことはもちろんであつて, かかる行為は 限定的な場合において,所持品検査の必要性,緊急性,これによって害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡などを考慮し,具体的状況のもとで相当と認められる限度においてのみ,許容されるものと解すべきである。」
この判示は職務質問制度の趣旨に適っている。
とりわけ都市化された社会における犯罪の予防・犯罪発生後の早期の摘発・発見という警職法の目的を達成する観点からすれば,職務質問に伴う所持品検査が明文で規定されていないとはいえ,所持品検査により不審の有無を確認することができるときに,これができないとすれば,立ち去るのを許さなければならないことになり,その後に犯人であることが判明したとしても,遅きに過ぎ,街角を曲がっただけでもとらえにくくなり,都会のビルやその他の不明な場所に移動し潜伏し,あるいは,自動車で逃走されてしまった後の逮捕は困難となり,犯罪の予防や犯罪発生後の早期の摘発・発見という警察官職務執行法の目的は挫折させられてしまう
このような観点からすれば,法執行の安全性を確保し,不審事由がある場合の不審事由解明のための活動が, 殺傷等を懸念することなく行えるように凶器の捜検(frisk)23)が認められるのはもちろん,それに限らず,不審事由解明のための所持品の検査も認められるべきことになろう。

中央ロージャーナルでは省略されていますが、米子事件の判例解説では以下の判旨も記載されていますので、ついでに紹介しておきましょう。
http://hanrei.blog.jp/archives/958438.html
⑤ 本件をみるに、被疑事実は猟銃及び登山ナイフを使用しての銀行強盗という重大な犯罪で、犯人の検挙が緊急の警察責務とされていた状況のもとで、深夜に検問の現場を通りかかった被告人らが犯人としての濃厚な容疑が存在し、凶器を所持している疑いもある状況の中で、被告人らが黙秘し、警察官による採算のボーリングバッグ等の開被要求に応じないなど不審な挙動をとり続けたため、所持品検査の必要性、緊急性が強かった反面、検査の態様は、施錠されていないバッグのチャックを開被し内部を一瞥したに過ぎず、法益侵害の程度も大きくないから適法とした。これに対して、施錠されたアタッシュケースをドライバーでこじ開けたことは刑事訴訟法上の捜索と目すべき行為であって違法であるとして原審判断を是認した。
もっとも、施錠されたアタッシュケースをこじ開けた警察官の行為は、ボーリングバッグの適法な開被により既に緊急逮捕できるだけの要件が整い、極めて接着した時間内にその現場で緊急逮捕手続が行われている本件では、緊急逮捕手続に先行して逮捕の現場で時間的に接着してされた捜索手続と同一視うるものであるから、アタッシュケース及び在沖していた帯封の証拠能力はは移譲すべきものとは認められないとした。」
ドライバーでこじ開けたのは行き過ぎ・所持品検査としては違法であるが、(その前に紙幣の束が見つかっていたので)刑訴210条の緊急逮捕の要件があった状況を認定した上で(刑訴法220条で)逮捕時に所持品の捜索差押えが令状なしにできるので)結果的に証拠能力の排除をしていないようです。

刑事訴訟法

第二百十条 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由がある場合で、急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときは、その理由を告げて被疑者を逮捕することができる。この場合には、直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならない。逮捕状が発せられないときは、直ちに被疑者を釈放しなければならない。
第二百二十条 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、第百九十九条の規定により被疑者を逮捕する場合又は現行犯人を逮捕する場合において必要があるときは、左の処分をすることができる。第二百十条の規定により被疑者を逮捕する場合において必要があるときも、同様である。
一 人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若しくは船舶内に入り被疑者の捜索をすること。
二 逮捕の現場で差押、捜索又は検証をすること。

上記事件では一つのバッグから合法的に銀行強盗によるとみられる紙幣が見つかっているので、緊急逮捕手続きに入ってからもう一つのバッグをこじ開けていれば違法でなかった事件だったからでしょう。

行政警察とは?1(川崎民商〜第一京浜事件事件)

外国の憲法解釈は別として我が国憲法でも行政行為に令状主義の適用があるかどうかは、新憲法制定直後から争点になっていました。
もともと戦前での違警罪即決例の濫用などを多くの人が記憶しているからです。
明治維新以降日本の西洋法構築は、ボワソナードを招聘してフランス法体系の導入による治罪法から始まり、その後ドイツ法体系に変化していきましたが、(明治維新以降の刑事法整備の詳細は旧コラムで連載しました)仏独どちらであってもいわゆる大陸法体系では司法警察と行政警察の2分類の法体系でした。
戦後憲法・刑事訴訟法(自治体警察に始まる警察制度も)が全面的にアメリカ法継受に切り替った以上は、戦前の区別を維持する必要があるかどうかの問題(そんな単純化すべきでないという意見との論争?)です。
憲法

第31条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第35条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第33条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
第38条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。

上記憲法の保障が刑事手続だけか行政手続きにも及ぶか?がさしあたりの焦点でした。
所得税法に関する川崎民商事件で解決したと思われますが・・.・・・。
結論だけ覚えていたのですが、今読み返してみると以外に複雑です。
(難解すぎるから結論だけ記憶していたのかも?)
判旨1では税務調査・行政行為からといって憲法の令状主義の適用がないと言えないとしながらも、判旨2では、結局税務調査には令状が不要と言う複雑な判例です。
(判例要旨2には出ていませんが、判決書によると所得捕捉の実務的必要性との総合判断?も書いています)

事件名  所得税法違反 事件番号 昭和44(あ)734 昭和47年11月22日 判例集 刑集第26巻9号554頁
裁判要旨  一 当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が、憲法三五条一項による保障の枠外にあることにはならない。
二 所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条、七〇条一〇号に規定する検査は、あらかじめ裁判官の発する令状によることをその一般的要件としないからといつて、憲法三五条の法意に反するものではない。
三 憲法三八条一項による保障は、純然たる刑事手続以外においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続にはひとしく及ぶものである。
四 所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条、七〇条一〇号、一二号に規定する質問、検査は、憲法三八条一項にいう「自己に不利益な供述」の「強要」にあたらない

犯罪の予防鎮圧・行政警察行為に関しては警職法で、司法警察官としてではない行政警察としての権限・職務質問、任意同行などが規定されています。
警職法の職務行為は行政警察そのものであって、今も令状不要です。
職務質問や任意同行その際の所持品検査で得たものを刑事手続の証拠にできるか・・違法収集証拠か否かで争われていますが、警職法の職務行為=行政警察行為による所持品検査段階では令状不要ですから、その段階の所持品検査が警職法の範囲内かどうかの争いでもあります。
範囲内かどうかの判断をするのに憲法のデュープロセス法理に反しないかのスクリーンニングがあって、ややこしくなっています。
実務を見ると、同じ警察官が怪しそうな人物や車に検問・職務質問・任意同行〜事情聴取その他の犯罪予防行為をした時に、その直感が的外れでなかった時=犯罪容疑が出た時点で警職法の職務行為から刑事訴訟法上の司法警察官の行為として現行犯逮捕などの司法手続きに移っていきます。
同一警察官の行為が、どこからが司法警察行為なのかは法理論上はっきりしているとしても、前段階の令状なしで例えば覚せい剤所持を所持品検査で発見した行為が、警職法上合法か?警職法上の任務としてもそれが憲法の令状主義に反しないかが問題となってきたのです。
この辺は、所得税法違反事件での立ち入り調査も構造が同じです
下記加藤氏の論文は2015年点でも行政警察と司法警察の区分の必要性があるかどうかに関するものです。
論旨展開の必要に応じて各種判例が引用されていますので、部分的にそのまま紹介すれば私の意見を書くよりわかり良いのですが、原文は縦書きのためにコピペでは読みにくいの引用できません。
行政警察と司法警察の区分要否に関する諸説を分類した上で著者の意見を書いていますので関心のある方は下記の(上)(下)論文に入ってお読みください。
論旨を展開するために主要判例の多くが引用されています。
上記川崎民商・所得税違反法事件も紹介されています。
http://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/nihon/80_4/01.pdfに日本法学第80巻第4号(2015年2月)加藤康榮氏の「行政警察活動と犯罪事前捜査」(上)とhttp://www.law.nihon-u.ac.jp/publication/pdf/nihon/81_1/03.pdf#zoom=60第81巻1号(2015年6月)(下)のテーマで連載論文が出ています。

上記論文でも言及されている米子銀行強盗事件の最判(最高裁昭和53年6月20日第三小法廷判決、刑集32巻4号670頁)が違法収集証拠論の角度から以下の論文に出ていましたので関心のある限度で部分的に紹介しておきます。
中央ロージャーナルですから毎号事務所に送ってくるので見ている筈ですが、事務所に書籍が溜まりすぎるので読むとすぐに廃棄にまわしているので、こんな時にはネットに出ていると便利です。
http://ir.c.chuo-u.ac.jp/repository/search/binary/p/9765/s/8268/

違法排除法理の展開における違法認定と証拠排除
─第一京浜職務質問および車内検査事件最高裁判例を契機に─
I 問題の所在および本稿の概要
II 第一京浜職務質問および車内検査事件での最高裁判所の判断
III 第一京浜職務質問および車内検査事件での最高裁判所判断の検討
IV 終 わ り に        中野目 善 則第13 巻第 2号(2016)

I 第一京浜職務質問および車内検査事件での最高裁判所の判断
「以上の経過に照らして検討すると, 警察官が本件自動車内を調ベた行為は, 被告人の承諾がない限り,職務質問に付随して行う所持品検査として許容される限度を超えたものというべきところ,右行為に対し被告人の任意の承諾はなかったとする原判断に誤りがあるとは認められないから, 右行為が違法であることは否定し難いが, 警察官は,停止の求めを無視して自動車で逃走するなどの不審な挙動を示した被告人について,覚せい剤の所持又は使用の嫌疑があり,その所持品を検査する必要性,緊急性が認められる状況の下で,覚せい剤の存在する可能性の高い本件自動車内を調べたものであり,また, 被告人は,これに対し明示的に異議を唱えるなどの言動を示していないのであって,これらの事情に徴すると,右違法の程度は大きいとはいえない。
・・・本件採尿手続も,右一連の違法な手続によりもたらされた状態を直接利用し,これに引き続いて行われたものであるから,違法性を帯びるといわざるを得ないが,被告人は,その後の警察署への同行には任意に応じており,また,採尿手続自体も,何らの強制も加えられることなく,被告人の自由な意思による応諾に基づいて行われているのであって,前記のとおり,警察官が本件自動車内を調べた行為の違法の程度が大きいとはいえないことをも併せ勘案すると,右採尿手続の違法は,いまだ重大とはいえず,これによって得られた証拠を被告人の罪証に供することが
違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められないから,被告人の尿の鑑定書の証拠能力は, これを肯定することができると解するのが相当であり(最高裁昭和五一年( あ)第八六五号同五三年九月七日第一小法廷判決・ 刑集三二巻六号一六七二頁参照),右と同旨に出た原判断は,正当である。」

以下米子銀行強盗事件最判の紹介は明日のコラムに続きます。

ロシアの脅威(幕末対馬・不法侵入事件)4

幕末の欧米が通商を求めて次々とやってくる中で、ロシアの海軍が対馬に実力上陸して居座る事件が発生しました。
ウィキペデイアによると以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%BB%8D%E8%89%A6%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6ロシア軍艦の進出
ニコライ・ビリリョフ
文久元年2月3日(1861年3月14日)、ロシア帝国海軍中尉ニコライ・ビリリョフは軍艦ポサドニック号で対馬に来航し、尾崎浦に投錨し測量、その後浅茅湾内に進航した。
対馬藩内では対応を巡って、武力での排撃を主張する攘夷派と紛争を避けようとする穏健派で論争が起こり藩内は混乱した。宗義和は事を荒立てず穏便に解決しようと接しながらも、問状使をポサドニック号に派遣し、その不法を何度か詰問した。しかしロシア側は無回答を貫き、優勢な武力をもって日本側を脅かしたり、住民を懐柔したりし、木材・牛馬・食糧・薪炭を強奪または買収して滞留の準備を整えた。またロシア水兵は短艇を操って沿岸を測量し、山野を歩き回って野獣を捕獲したり、中には婦女を追跡して脅かす水兵もいたため、住民は激昂し、しばしば紛争が起こった。
ビリリョフ艦長は対馬藩に対し藩主への面会を再三要求し、3月23日には芋崎の租借を求めて来た。ロシア側としては強引に対馬藩に租借を承諾させ、これを既成事実として幕府に認めさせる思惑であった。対馬藩では対応に苦慮し、面会要求を拒否しつつ、長崎と江戸に急使を派遣して幕府の指示を仰いだ。
江戸に戻った小栗は、老中に、対馬を直轄領とすること、今回の事件の折衝は正式の外交形式で行うこと、国際世論に訴えることなどを提言。しかし老中はこの意見を受け入れず、小栗は7月に外国奉行を辞任することになる。
5月26日、交渉に行き詰まった対馬藩では藩主謁見を実現せざるを得なくなり、ビリリョフは軍艦を府中に回航し、部下を従えて藩主宗義和に謁し、短銃、望遠鏡、火薬および家禽数種を献じ、長日滞留の恩を謝した。しかしロシア側は芋崎の永久租借を要求し、見返りとして大砲50門の進献、警備協力などを提案した。対馬藩側では幕府に直接交渉して欲しいと回答して要求をかわした。沿道警備にあたった藩内士民はロシア兵の傲岸な態度に激怒したが、辛うじて事なきを得た。
イギリスの介入
7月9日、イギリス公使ラザフォード・オールコックとイギリス海軍中将ジェームズ・ホープが幕府に対し、イギリス艦隊の圧力によるロシア軍艦退去を提案、老中・安藤信正らと協議する。
7月23日、イギリス東洋艦隊の軍艦2隻(エンカウンター、リンドーブ)が対馬に回航し示威行動を行い、ホープ中将はロシア側に対して厳重抗議した。しかし実はこの時点においてオールコックも、イギリスによる対馬占領を本国政府に提案していた(8月2日付・坂本藤良『小栗上野介の生涯』講談社)。
また老中・安藤信正は再度、箱館奉行・村垣範正に命じてロシア領事に抗議を行わせた。これまでビリリョフの行動をそのままにさせていたロシア領事ゴシケーヴィチは、イギリスの干渉を見て形勢不利と察し、軍艦ヲフルチニックを対馬に急派し、ビリリョフを説得。文久元年8月15日(1861年9月19日)、ポサドニック号は対馬から退去した。
3月から9月までの6ヶ月間も他国に侵入して居座って、何ら根拠もなく租借の要求をしていたのですから、いわば強盗行為です。
強盗に押し入った者が、「家屋敷の一部を寄越せそこに住み着くから・・」と要求しているような事件でした。
上記ロシア軍艦の幕末対馬への実力上陸は、日露の外交交渉が成立して函館を開港場として、ロシアは函館に領事を置いて平穏な付き合いがはじまってからのことですから、対米戦争敗戦時の不可侵条約破っての満州侵入同様の酷い話です。
日露通商条約は以下の通り安政2年1855年締結であり、対馬上陸事件は1861年ですからこんなことが白昼公然と行われるのでは何のための和親条約締結か分かりません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E5%92%8C%E8%A6%AA%E6%9D%A1%E7%B4%84
日露和親条約(にちろわしんじょうやく、露: Симодский трактат)は、安政2年12月21日(1855年2月7日)に伊豆の下田(現・静岡県下田市)長楽寺において、日本とロシア帝国の間で締結された条約。日本(江戸幕府)側全権は大目付格筒井政憲と勘定奉行川路聖謨、ロシア側全権は提督プチャーチン。
本条約によって、千島列島の択捉島と得撫島の間に国境線が引かれた。樺太においては国境を設けず、これまでどおり両国民の混住の地とすると決められた[1]。この条約は1895年(明治28年)に締結された日露通商航海条約によって領事裁判権をはじめ全て無効となった。
以下は函館日ロ交流史研究会の記事からです。
http://hakodate-russia.com/main/web/hakodate-russia/
箱館開港
 ロシアは樺太・千島・蝦夷地に早くから開港を求めていたが、ロシアに先立ちアメリカがペリー提督を日本に遣わし、幕府は1854年(安政元)日米和親条約を結び、箱館・横浜・長崎を開港しアメリカ船に薪炭給水食料の補給を許した。
 1854年(安政元)日露和親条約が締結され、箱館にロシア領事館が置かれることになった。」
上記函館日ロ交流史研究会の記事では安政元年となっていて、1年早くなっています・・どちらが本当か今のところ私には不明ですが、何れにせよ日ロ間では正式に外交条約が結ばれているのに、条約無視で実力行使してくる始末です。
幕府は無断上陸したロシア艦隊・条約無視の違法行為を自力で追い出す軍事力がないので困っていたところでイギリスが動いてくれて追い出してもらったのでことなきを得ました。
この時イギリスの仲介解決がなかったら(その分イギリスに借りができましたが・・)大変でした。
対馬は海路遠く離れている関係で援軍を送って戦端を開いても、当時日本には洋式軍艦ひとつない・・海軍力のない我が国が防衛しきれたか不明の状況でしたから、その内ロシアの要求に妥協するしかなかった可能性がありました。
そうなるとその他列強も「遅れてはならじ」とばかりに我先に各地で占拠〜租借地要求事件が起きたでしょうから、幕府も手がつけられなくなり、清朝末期の中国のように国内は租借地だらけになっていた可能性があり、重大な事件に発展するところでした。
こうしてみると1904年の日露戦争前からの日英同盟の下地・日本の英国頼りの信頼感は、この頃から準備されていたことになります。
最近EU離脱の影響からか英国の日本接近が急ですが、日英同盟復活?気運が出ていることに、(経済面の結びつき・対欧州の経済・貿易関係も日本企業の多くが英国を足場にしてEUへの輸出していることが知られているとおりです)多くの日本人はそれほど悪い気がしないのはこうした歴史があります。
幕末の乱暴な行動を見てもロシアという国は、(韓国もいくら国際合意しても自己都合によって簡単に破る国ですが)せっかく平和条約を締結しても相手が抵抗できないとなれば、何のトラブルもなくとも条約破棄してすぐに侵略してくる国であることは、対米敗戦の時の日ソ不可侵条約破棄の前から分かりきっていたことです。
その上ロシアは未だに北海道全土に対する領土意欲を隠していないし、これに呼応するかのように「もともと日本の領土ではないアイヌの土地だ」という運動体が国内で着々と育成されているのですから、平和条約締結さえすれば済む簡単な話ではありません。
以上がロシア軍による6ヶ月間に及ぶ対馬実力占領行為に対する顛末ですが、ロシアの条約無視・武力万能・・強盗的体質は日本敗戦時の満州侵入の時だけのことでないことを肝に命じておく必要があるでしょう。

憲法改正・変遷3(自衛権肯定・砂川事件判決2)

憲法解釈は制定した占領軍の意向によるのではなく、「日本国民のための憲法である以上は国民意思によるべし」とした場合、違憲状態か否かの憲法解釈は、国民意識がどこにあるか・・意識変化の認定が必要ですので夫婦同姓制度が違憲か、非嫡出子の差別が許されるかの判断には昨日大法廷決定文を紹介したように、判定には数十年の経過を見る必要があります。
12月18日に紹介したチャタレー事件で言えば、その当時ではその程度の表現(伊藤整氏の翻訳文表現)でも「猥褻」と言う社会意識があったとしても、今では猥褻とは言わない程度の表現だと言う常識になっています。
憲法9条の解釈変更の必要性も、国民のための憲法・・日本国の安全保障の必要性を認定する以上は、じっくりと国際情勢の変遷と近い将来の環境条件を見極める必要があることは論を俟ちません。
敗戦直後の国際情勢・・アメリカの庇護の元にあれば、国際信義を信頼する非武装平和論も一定の合理性がありました。
朝鮮戦争直後にはアメリカによる庇護が必要となったのと日本の自衛権を認める必要があって自主防衛権と安保条約が(統治行為論によって)砂川事件判決で事実上合憲となりました。
野党や左翼系学者は憲法の文言通り理解して自衛権すらない・・非武装平和しかない・・戦争が起きれば非武装中立しかない・・武装したり、特定国と組すれば戦争に巻き込まれると言う意見に固執していた・・現在の集団自衛権反対論も同工異曲・・駆けつけ警護すればよその国同士の紛争に巻き込まれると言う意見ですが、日本に中国やソ連が攻めて来た場合、あるいは韓国による竹島占領の場合、日本は当事者であって、「中立」と言う概念自体成り立ちません。
彼らの論理によれば領土占領されたらそのまま認めるしかない・・竹島占領に連動して、これを無視して近づいた日本漁民が拿捕・殺されても?国民の生命・安全を守る必要がないと言う結果になります。
野党的理解によればこのような非道な憲法を無効と解釈をするしかなくなるのですが、これにも反対し、いわゆる護憲運動の主体になりながら、同時に自主軍備反対論を展開していたことになります。
強制されたか否かを声高に議論する・・空中論争にこだわっているとモノゴトが解決しないのが普通ですから、国民主権・・国民のための憲法に適合させるために、(制定した占領軍の意向を解釈基準にせずに)現在日本の社会実態・社会の意識に合うように静かに変容しながら合憲解釈して行くのが、合理的であり成熟した大人の智恵と言うべきでしょう。
自衛権すら認めないような憲法文言規定通りの解釈では実際無理があるので、これを異民族の強制によることを理由に無効とせずに、自主防衛は出来ると解釈変更して来た(解釈合憲)のが、最高裁砂川事件判決でした。
12月15日には引用が長くなり過ぎるので統治行為論しか紹介していませんでしたが、統治行為論の直前段落に「平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではない」ことがはっきりと認定されていますので、この部分を引用しておきます。
昭和34年(あ)七710号
同12月16日大法廷判決
理由
1.先ず憲法9条2項前段の規定の意義につき判断する。・・・9条1項においては・・・戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。
・・・すなわち、われら日本国民は、憲法9条2項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もってわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであって、憲法9条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。・・・・・
2.次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法9条、98条2項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。
3・・(15日引用したとおり統治行為論の展開です・・稲垣)

以上のように国際情勢に応じて立法府の裁量により相互防衛条約も許されることはこの大法廷判決で確定していることになります。
中国の台頭によるサラなる国際情勢変化に応じて、国際情勢の把握・・どの程度の軍備あるいはどこと相互防衛条約を結ぶか・・集団自衛権が必要かは正に司法権が認定する能力を超えています。
国際情勢は時々刻々に変わる性質のものですが(2015年11月24日トルコ軍機のロシア軍機撃墜事件などは直前まで誰も想定していなかったでしょう・・)司法権は、冒頭に書いたように大事件では、10年ほど掛けて過去の事実調査・認定して結論を出す仕組みですから、近い将来の可能性を判断するようになっていません。
損害賠償、契約金請求、刑事事件、その他全ての訴訟事件は過去の出来事の認定によっています。
原発訴訟等各種行政行為が裁判対象になっていてマスコミが如何にもこれらが日本国に必要かが裁判対象になっているかのように報道しますが、立地等に関する過去の許認可手続に裁量権の逸脱があるかの手続内容を争うのが普通で、将来の必要性決定は民意を受けた政治家固有の直観的判断分野であって、司法権は分りません。
この意味でも将来の国家の安全をどうすべきかと言う・・防衛条約の最終決定権限を司法が持つことを期待すること自体、無理があります。
※12月25日日経朝刊には高浜原発差し止め訴訟判決が出ましたので、追記になります。
手続に瑕疵があるかだけの判断に対して、原告団は裁判所の意見がでていないと落胆?していますが、学会総意で決めた政府基準そのものの批判を期待するのは間違いです・・ソモソモ裁判は手続瑕疵の有無を判断するだけあって、地震想定基準がどこにあるべきかなど科学者でさえいろんな意見があって言い切れないことに、素人の裁判所が超越的判断するようなことは越権であってありえないことです。
その意味で、先行した仮処分判断自体がおかしかった・・裁判の常道を踏み外していた・・今回の判断が妥当と言う意見を書いている学者意見も併記されています。
マスコミもマトモになって来たようです。
以上が平和条約の有効性など高度な政治判断の必要な行為に対する司法の謙抑・・統治行為論を正当化する原理です。
なお、これから始まる普天間基地の移設工事に対する沖縄県知事による法廷闘争も、基地が必要か、どこにあるべきかの政治議論ではなく、手続瑕疵を巡る・・揚げ足取り目的の争いになりますから、政治家の本分である政策論争を放棄したことになる・・政策論争に負けた方が法廷闘争に持ち込むのは、社会党以来使い古された時間稼ぎの手法ですから、一種のリング外・場外乱闘行為であって、政治家の職務法規と見られてしまうでしょう。
民主主義国家においては少しでも良い結果が得られるように、政治家や学者など幅広い健全な言論空間・・訴訟でも充分な反論権の保障が必要ですが、選挙制度が完備していて、・・・ボトムアップ社会の日本では選挙制度施行以前からテーマごとに根回しが行なわれていて民意の充分な把握が行なわれています・・言論戦を尽くした以上は、その結果に従い反対論者も速やかな政策発動に協力すべきです。

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