行政警察2(最判51年決定〜米子銀行強盗事件)

昨日の中央ロージャーナルの論文・第一京浜事件最判部分引用続きです。

II 第一京浜職務質問および車内検査事件での最高裁判所判断の検討
だが,この事件での車内の検査は違法と判断されるべきものなのだろうか。
1.家のプライヴァシーと自動車のプライヴァシーの相違
5.車内に立ち入って「懐中電灯で車内を照らし,背もたれを倒し,座席をずらせて調べる行為」の適法性─同意・承諾は絶対的条件か
(1) 最(3小)昭和 51・ 3・16 決定18)との関連
この事例は,飲酒運転で物損事故を起こした疑いのある被告人を警察署に任意同行し
た後,呼気検査を求めたがそこでも呼気検査を拒否し,母親が来れば警察の要求に従うと述べた被告人が,母親の来署前に,マッチを取ってくるといって,玄関の方に向かって小走りに行きかけたのを,警察官が,「風船をやってからでもいいではないか」といって左手首を摑んだところ, 被告人がこの警察官に暴行・ 傷害を加えたという場合であり,第一審はこれを任意捜査の限界を超えたものだと判示したが,第二審はこの警察官の行為は説得のための活動であるとみて許されるとした。
最高裁は次のように判示している。
「捜査において強制手段を用いることは, 法律の根拠規定がある場合に限り許容される」。しかしながら,「ここにいう強制手段とは,有形力の行使を伴う手段を意味するものではなく,個人の意思を制圧し,身体,住居,財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものであつて,右の程度に至らない有形力の行使は,任意捜査においても許容される場合があるといわなければならない。
・・・必要性,緊急性などをも考慮したうえ,具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されるものと解すべきである。」

 このように判示してこの事件での巡査の手首を摑んだ行為は,呼気検査に応じるよう被告人を「説得」するために行われたものであり,その程度もさほど強いものではなく,適法な職務行為であると判示した。
・・・・強制手段とは,「個人の意思を制圧し,身体, 住居,財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など,特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」を意味するとの判示は,職務質問のあらゆる場合について相手方の同意が得られなければならないことを判示したものではなかろう。
・・・常に同意によることが必要であると解することは,後述のように,職務質問の制度の趣旨と合致しない場合を生ぜしめ,職務質問の必要性が最も高い事案で全く実効性を発揮できない制度としてしまうことになろう。
最高裁判所の判断も, 自動車の挟み撃ち検問を認めた事例やエンジンキーを回してスイッチを切った行為20)やエンジンキーを取り上げるなどして運転を阻止した措置
21)を職務質問の観点からも適法とする判断を示して, 上記の51 年判例の事例とは異なる,事例の特徴を踏まえた判断をしてきている。

(2) 米子銀行強盗事件最高裁判例との関連

(第一京浜事件では・稲垣注)違法である根拠が「 承諾がない」,というところに求められているが, この点は 米子銀行強盗事件と整合しているのか否かが問われなくてはならない。
銀行強盗の不審事由のある被告人らに,緊急配備検問により停車させた自動車から下車を求め職務質問したが,質問に答えず,所持品の検査も拒むなどの状況があり,そのままでは不審事由の解明に支障がある状況で,承諾がないまま,施錠されていないバッグのチャックを開けて中を一瞥した行為を最高裁は適法であるとして,次のように判示した。
「警職法は, その2条1項において同項所定の者を停止させて質問することができると規定するのみで,所持品の検査については明文の規定を設けていないが,所持品の検査は,口頭による質問と密接に関連し,かつ,職務質問の効果をあげるうえで必要性,有効性の認められる行為であるから,同条項による職務質問に附随してこれを行うことができる場合があると解するのが, 相当である。
所持品検査は,任意手段である職務質問の附随行為として許容されるのであるから,所持人の承諾を得て,その限度においてこれを行うのが原則であることはいうまでもない。しかしながら,職務質問ないし所持品検査は,犯罪の予防,鎮圧等を目的とする行政警察上の作用であって,流動する各般の警察事象に対応して迅速適正にこれを処理すべき行政警察の責務にかんがみるときは,所持人の承諾のない限り所持品検査は一切許容されないと解するのは相当でなく,捜索に至らない程度の行為は,強制にわたらない限り,所持品検査においても許容される場合があると解すべき」である。
・・・「所持品について捜索及び押収を受けることのない権利は憲法三五条の保障するところであり,捜索に至らない程度の行為であってもこれを受ける者の権利を害するものであるから,状況のいかんを問わず常にかかる行為が許容されるものと解すべきでないことはもちろんであつて, かかる行為は 限定的な場合において,所持品検査の必要性,緊急性,これによって害される個人の法益と保護されるべき公共の利益との権衡などを考慮し,具体的状況のもとで相当と認められる限度においてのみ,許容されるものと解すべきである。」
この判示は職務質問制度の趣旨に適っている。
とりわけ都市化された社会における犯罪の予防・犯罪発生後の早期の摘発・発見という警職法の目的を達成する観点からすれば,職務質問に伴う所持品検査が明文で規定されていないとはいえ,所持品検査により不審の有無を確認することができるときに,これができないとすれば,立ち去るのを許さなければならないことになり,その後に犯人であることが判明したとしても,遅きに過ぎ,街角を曲がっただけでもとらえにくくなり,都会のビルやその他の不明な場所に移動し潜伏し,あるいは,自動車で逃走されてしまった後の逮捕は困難となり,犯罪の予防や犯罪発生後の早期の摘発・発見という警察官職務執行法の目的は挫折させられてしまう
このような観点からすれば,法執行の安全性を確保し,不審事由がある場合の不審事由解明のための活動が, 殺傷等を懸念することなく行えるように凶器の捜検(frisk)23)が認められるのはもちろん,それに限らず,不審事由解明のための所持品の検査も認められるべきことになろう。

中央ロージャーナルでは省略されていますが、米子事件の判例解説では以下の判旨も記載されていますので、ついでに紹介しておきましょう。
http://hanrei.blog.jp/archives/958438.html
⑤ 本件をみるに、被疑事実は猟銃及び登山ナイフを使用しての銀行強盗という重大な犯罪で、犯人の検挙が緊急の警察責務とされていた状況のもとで、深夜に検問の現場を通りかかった被告人らが犯人としての濃厚な容疑が存在し、凶器を所持している疑いもある状況の中で、被告人らが黙秘し、警察官による採算のボーリングバッグ等の開被要求に応じないなど不審な挙動をとり続けたため、所持品検査の必要性、緊急性が強かった反面、検査の態様は、施錠されていないバッグのチャックを開被し内部を一瞥したに過ぎず、法益侵害の程度も大きくないから適法とした。これに対して、施錠されたアタッシュケースをドライバーでこじ開けたことは刑事訴訟法上の捜索と目すべき行為であって違法であるとして原審判断を是認した。
もっとも、施錠されたアタッシュケースをこじ開けた警察官の行為は、ボーリングバッグの適法な開被により既に緊急逮捕できるだけの要件が整い、極めて接着した時間内にその現場で緊急逮捕手続が行われている本件では、緊急逮捕手続に先行して逮捕の現場で時間的に接着してされた捜索手続と同一視うるものであるから、アタッシュケース及び在沖していた帯封の証拠能力はは移譲すべきものとは認められないとした。」
ドライバーでこじ開けたのは行き過ぎ・所持品検査としては違法であるが、(その前に紙幣の束が見つかっていたので)刑訴210条の緊急逮捕の要件があった状況を認定した上で(刑訴法220条で)逮捕時に所持品の捜索差押えが令状なしにできるので)結果的に証拠能力の排除をしていないようです。

刑事訴訟法

第二百十条 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由がある場合で、急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときは、その理由を告げて被疑者を逮捕することができる。この場合には、直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならない。逮捕状が発せられないときは、直ちに被疑者を釈放しなければならない。
第二百二十条 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、第百九十九条の規定により被疑者を逮捕する場合又は現行犯人を逮捕する場合において必要があるときは、左の処分をすることができる。第二百十条の規定により被疑者を逮捕する場合において必要があるときも、同様である。
一 人の住居又は人の看守する邸宅、建造物若しくは船舶内に入り被疑者の捜索をすること。
二 逮捕の現場で差押、捜索又は検証をすること。

上記事件では一つのバッグから合法的に銀行強盗によるとみられる紙幣が見つかっているので、緊急逮捕手続きに入ってからもう一つのバッグをこじ開けていれば違法でなかった事件だったからでしょう。

   讒言(濡れ衣を着せる)社会

中韓両国人民は、専制君主による強制しか行動基準を知らない・・心底からの正義感の裏打ちがないので、検挙さえされなければ良い式・・相手が自分より弱ければ何をしても良い式の意識が根強く残っています。
中韓両国は、日本がアメリカに負けた以上は、勝ったアメリカ相手に虚偽でも何でも宣伝しロビー活動さえすれば何でも出来るという思い込みで行動している様子です。
実際に第二次世界大戦ではまんまと中国のアメリカにおけるロビー活動にしてやられて、日本人から見れば何故そんなことをするのか理解不能な無理難題を次々と押し付けられて開戦の已むなきに追い込まれてしまいました。
日本が開戦に追い込まれて行く状況を見れば、アメリカインディアンがその誇りを踏みにじられてこうなったら負けると分っていても・・全滅を覚悟で・・民族の誇りを掛けて戦うしかないと言う悲壮な決意で最後の戦いを挑んだ状況と同じです。
今になって徐々に分って来た開戦直前の状況を見ると、日本は最後の最後までアメリカと戦っても勝てないのが分っていたので、卑屈になるほどアメリカに譲歩を繰り返しても、アメリカは日本が絶対に飲めな非道な条件を次々と(所謂ハルノート)押しつけて来たので已むなく開戦に追い込まれたものでした。
この辺は英仏が譲歩を繰り返しても次々と要求を拡大していったナチスと逆の関係でした。
ちなみに日本が真珠湾を奇襲攻撃をしたとアメリカに非難される材料になっていますが、大きな目で見れば「煙でいぶされた狸が苦し紛れに穴からイキナリ飛び出したら奇襲攻撃になるの?ということです。
猟師が舌舐めずりしながら狸の飛び出すのを待ち構えている状態で、死を決意して飛び出して向かって行くのが何故悪いのというのが普通の解釈でしょう。
まして開戦前夜の日本の大使に対する暗号文がみんな解読されていたことが今になって分ってきましたが、アメリカは開戦の決意その他の動きをみんな知っていたのに、知らぬ振りして日本にだまし討ちにあったと世界中やアメリカ国民に対してに宣伝しているのです。
何しろそのときの太平洋艦隊(主力)の動きが怪しくって攻撃を予測していたとしか読めない動き・・日本の攻撃を誘発するような動きになっていることも分って来ています。
9・11事件も同じような疑問があることを以前書きました。
日本はいぶされて飛び出す狸のような状況に追い込まれていたし、彼らはその行動を前提に動いていたことになります。
アメリカが日本を壊滅させる最終目的を何故持つようになったのか・・ともかく壊滅目的で次々と要求して来ていたのですから何を日本が提案しても無駄でした。
以前書いたことがありますが、ナチス同様の人種差別意識がもの凄くアメリカでは強かったことが基礎的要因だと思います。
日系人・・それも8分の1でも日系の血を引く人というだけで、開戦と同時に問答無用で全員強制収容所に送られました。
勿論私有財産も全部没収でした。
日本より早くから戦っているドイツ系人に対しては何の制裁もしていません。
日本以上に強い相手であったドイツには原爆を使用していません。
この原爆投下は戦争を早く終わらせるためというのは口実であり、放射能を大量に浴びた人体実験をしたかったことがその後の動きで明らかです。
原爆投下後・・降伏後僅か40日後には組織的な調査団が現地に入っています。
日本の降伏があっても安全性が確認されるまでは現地入り出来なかったでしょうから、この40日という早さは驚異的です。
彼らは日本人を助けるために健康診断をしたのではなく、データが欲しくって投下計画の一環として事前に組織されていて現地入りの許可をうずうずして待っていた可能性が高いと言うべきです。
下記に引用するデ−タだけが機密文書扱いから研究のために1995年に漸く解除されましたが、原爆投下に至る決済文書や健康診断等の研究計画等はアメリカの暗部ですから、永久的に機密解除しない・・出来ないでしょう。

健全財政論9(中央銀行の存在意義3)

中央銀行が低金利にしたくとも、スペイン危機による国債金利相場上昇の例をみれば分るように、政府や中央銀行には国債の金利を決める能力がなく、市場が(国際収支の状況によって)金利を決めてしまう時代です。
危機状態でなくとも、普段から金が余っている国は資金需要が弱いので金利が低くなるのは当然ですし、資金不足・・国際収支赤字継続国は資金需要が高いので金利が上がるのは当然です。
市場実勢に反した金利政策は無理があることから、日銀の金利政策は天気予報のような機能(気象庁が天気を決める能力はなく兆候を報じる)しかないこともどこかで書きました。
ちなみに、国際収支赤字トレンドの資金不足国で市場実勢に反して国内だけでも低金利に出来るでしょうか?
国際収支赤字国では資金不足→資金需要が元々強いので実勢よりも低金利・量的緩和すれば、借り手・顧客には不自由しないでしょうが、貸すべき国内の資金不足(仕入れが出来ません)に陥いります。
国際収支赤字国の銀行の貸し出し資金手当のために中央銀行がドンドン紙幣発行すると、借りた企業や人は海外からそのお金で輸入を続けるのでさらに国際収支赤字が膨らみます。
(貿易収支赤字トレンド国は、消費構造が輸入に大きく頼っている状態ですから、お金があって消費が膨らめば、ほぼ同率で輸入赤字が増大します)
国際収支赤字が連続している国では赤字分だけ国際決済するべき外貨不足状態ですから、決済資金としての外貨を外資から手当するしかありません。
貿易赤字ということは、物品サービスの購入対価として同額の商品サービスを提供出来ないことですから、売れなかった不足分=差額赤字を自国通貨を売って(自国通貨を輸出して)外貨を取得して穴埋めするか、借金(自国通貨の代わりに借用書を輸出して)で外貨を取得して決済するかによって収支均衡を保っている状態です。
すなわち、赤字同額分の自国通貨流出または借金の発生・長期の場合これの累積となっています。
国際収支赤字の穴埋めのために自国貨幣を売り続けると急激に自国通貨価値が下がるので、これを緩和するために支払期を先延ばしするか決済資金の借入(借用書=国債の海外引き受けなど)に頼るので両方が膨らむことになります。
・・貸す方は、将来の為替相場下落も見込む必要があるので、これを見越した高金利でないと貸せ(国債の場合買え)ません。
赤字国の資金は国際収支赤字の度合いに比例した高金利で外貨を確保するしかないので、国内でこれを決済用資金にして貸すにはそれ以上の金利でないと採算が取れません。
以上の結果、国際競争力(国際収支)を無視して国際取引上・市場原理で決まって来る金利と切り離した国内だけの低金利政策は出来ません。
ギリシャ・スペインのように国際収支が赤字になると中央銀行が金利を下げたくとも逆に上がってしまいます。
ユーロ圏のギリシャ、スペインの場合、自国紙幣を発行出来ないのでこの関係がストレートにそれぞれの国債相場に出ているだけで自国紙幣のある国でも結果は同じです。
他方、国際収支が40年以上も黒字が続いている=金あまりの日本では、強い立場だから実勢に反して何でも出来るかと言うと、強い国でも市場相場に反した金利政策は出来ません。
仮に高金利にした場合、資金あまりの日本では借り手がないことは明らかですから、(今朝の日経朝刊に民間需要が低いので国債購入だけではなく自治体への融資が急増している実態が報道されていました)集めた資金に対する高金利利払いに(仕入れ資金・・預金金利も連動して高くなりますので)窮してしまいます。
客が少なくなった商店で、商品値上げしているようなものですから自殺行為になります。

健全財政論8(中央銀行の存在意義2)

話題を貨幣価値維持に戻します。
武士上がりの経済官僚の使命感は前回(8月13日に)書いたとおり、弓鉄砲で侵略して来る外敵から郷土の妻子・一族を守ることから、貨幣増発・悪改鋳による生活苦から領民を守ることに変わって行ったのです。
徳川政府は武士に支えられながら、武士の中の武士・言わば正義の士は、武士でありながら悪改鋳・・インフレにしたがる徳川政府=主君に対抗すべき勢力に変わって行ったことになります。
どんな政権でも対外競争の関係で有能な人材が欲しいので、外国帰りの学者等を政権内に抱え込む・・あるいは国力の底上げを図るためには一般人の外国留学を奨励するしかないのですが、有能な人材ほど政権批判能力が高くなるジレンマがある点は、専制君主制あるいは中国共産党一党支配の国でも同じです。
政権が有能な人材を抱え込みたければ、民主化・・国民のための政治にしない限り矛盾に苦しむことになります。
貨幣価値を守るために存在する中央銀行の役割に戻します。
現在の先進国では、グローバル化以降新興国からの低価格品の洪水的輸入によって恒常的デフレ状態に陥っていて、インフレを心配するどころかデフレ克服すら出来ない状態に陥っています。
(貨幣をじゃぶじゃぶ供給しても、物価は上がらず輸入品が増えるだけでせいぜい輸入に馴染まない不動産バブルが起きるくらいです)
デフレは国民にとって(ミクロでみれば)良いこと尽くめですが、他方で全体のパイが縮小・「角を矯めて牛を殺し」たのでは何にもならないので、パイを大きくする経済成長も欲しいところです。
デフレ(低価格品の輸入攻勢)に悩む先進国では積極経済政策をどのようにしたらGDP上昇効果が出るかの智恵比べですが、景気過熱・物価上昇を押さえ込むDNAに特化している中央銀行官僚にはこの方面での能力適性がありません。
日本の官僚は元々武士上がりで「勤倹」には慣れていますが、「一所懸命」の語源でも分るように、愛する郷土を死守する「城を枕に討ち死に」とか「玉砕」など現状を守ることが武士の本領であって、積極的に投資して儲ける才覚がありません。
中央銀行を「物価の番人」とは言いますが、経済政策官庁とは言いません。
前向きな政治をやるには、郷土の守りに強い武士のDNA過剰体質から、積極的才覚のある人材に官僚を入れ替えて行く必要があります。
かと言ってアメリカのようにユダヤ系人材に頼って金融方向ばかりでは困りますので、物造り兼商才のある(積極性のある海洋民族系の混じった)人材と言う欲張った方向性が必要です。
こうした人材はパラパラといるのですが、偶然に頼ると官僚世界の内部で孤立して浮き上がってしまい能力発揮が出来ないので、高級官僚の採用制度から根本的に変えて行く必要があります。
江戸時代以降学校で習う・・賞賛される3大改革はすべて、質素倹約政策ばかりで積極財政派はいつも賄賂ばかりが強調されて悪役扱いでした。
積極財政を頭から悪と決めつける全体の雰囲気・・教育からして変えて行く必要があります。
積極財政には相応の不純物も副産物として生じますが、だからと言ってマイナス面ばかり強調するのでは経済が成長して行きません。
車が危険であれば、ブレーキを付けたり免許制にすれば良いように、積極財政の副作用についても制御の工夫を怠っているだけです。
こうした視点で考えると、静的チェック能力を求められる司法官と動的考察が求められる行政官僚とでは制度目的が違うのですから、国家公務員採用試験科目が司法試験の焼き直しみたいでは、おかしいのであって試験科目からして変更して行く必要があると思われます。
厳格な科挙制(丸暗記中心)によっていた中国や李氏朝鮮では発展性がなく、江戸時代の日本の発展に大きく水を開けられたのが明治以降の格差が生じた原因です。
司法試験や国家公務員試験は科挙ほどではないにしても、科挙の流れを汲んでいてアメリカ型ケースメソッド方式とは大きく違う暗記を主体にする方式である点は否めないでしょう。
大恐慌以降の中央銀行の独立制度は、経済政策・GDP向上策と物価の番人役を兼ねていた明治までの経済官僚を積極政策をする大蔵省と番人(ブレーキ)役(中央銀行)に分離したとも言えます。
(大蔵省の外局として途中で経済企画庁が出来ましたが・・平成に入って金融行政の金融庁と財務省に分離しました)
原子力政策推進官庁と安全を監視する役所の分離と同じ発想ですから、そもそも日銀に経済活性化のための協力を求める今の政治は、元々の機能分離体制が今でも正しいとすれば間違っています。
日銀が政府の言うとおりやるならば、推進派から協力を求められて、何でも安全と(津波の心配が既に指摘されていたのに、そんな100年に1回の津波まで心配していたら何も出来ないよ・・と)お墨付きを与えていた原子力保安院のようなものになります。
ただし、一国閉鎖社会と違う現在では日銀だけで物価を安定出来ないし、日銀の金利上下や量的緩和だけでは経済をインフレにもデフレにもしようがないので、行政府の積極財政に協力する量的緩和くらいしか出来ない時代です。
・・貨幣価値を守るべき日銀制度自体不要ではないかという意見を2012/03/30「日銀の国債引き受けとインフレ3」2012/03/31「日銀の国債引き受けとインフレ4」前後、最近では2012/06/19「新興国の将来11(バブルとインフレ1)」のコラムで書きました。
経済のグローバル化が進んでいる現在では、1国だけでの金融調節による経済運営機能が低下あるいは消滅する一方で、積極施策・財政出動・・これの基盤となる量的緩和に関しては、日銀には歴史的に経験がないので政府の言いなりになるしかないとすれば、日銀の存在意義がなくなっているのではないかと言う意見をこれまで書いてきました。
国民の生活を守るには貨幣価値を守ることが重要ですが、対外的にみれば貨幣価値は国民経済の実力(国際収支)の反映であって、官僚や中央銀行が観念的な気概さえあれば守れるものではありません。
為替の変動相場制が普通になって来ると、今ではある国の貨幣価値はその国の経済力(国際収支黒字または赤字のトレンド)によって日々決まるのであって、官僚の気概や日銀の金融政策(紙幣発行量や金利)とは殆ど関係がなくなったことも明らかです。
(仮に為替介入しても効果は一時的です)
貨幣価値=為替相場は市場原理(国際収支黒字または赤字による貨幣需給)によることについては、ポンド防衛の歴史のテーマ(連載中に横へそれたままでまだ途中で完結していません)でも連載してきました。
金利を下げて紙幣量を増やすと消費が活発になる傾向があるので、(金あまりの日本では大方が預金に回るとしても少しは消費拡大になるので)輸入量が増えて貿易黒字が縮小しあるいは赤字になり易い・・その結果円が高くなる速度を緩めたり安く出来るかも知れません。
しかし、これも国産化率が高い(エコカー補助金の恩恵を受けたのは国産車が大部分だったでしょう)とその関係が低くなるなど、間接的な関係しかありません。
(ただし、エコカー補助で売れたのが国産車中心でも、内需が増えればその原材料輸入が増えるのですが、風が吹けば桶屋が儲かる式の間接的関係です)

健全財政論7(武士の生い立ち)

「国民生活をインフレから守るベシ」との経済官僚の古くからの気概(DNA)は、大恐慌によって金兌換制が廃止された以降中央銀行と言う組織に委ねられるようになりました。
ちなみにインフレは消費者である国民にとっては収入が目減りするので損であり(他方で必ず得するもの=供給側企業)、デフレはこれと反対で消費者が得する関係であることについては、5月18日その他のコラムで書いています。
経済官僚(元は武士です)にとっては、貨幣の質低下→インフレ=国民生活混乱阻止に対する強固なDNAの歴史があるので、中央銀行はインフレにはすごく敏感ですが、デフレに対しては鈍感なのは、中央銀行制度成立の歴史によるものです。
ここで少し話題がそれますが、武士が国民生活を守るのに何故敏感であるかということについて書いておきます。
武士と我が国以外の多くで採用されて来た専制君主制の兵士との違いが大きいと思われます。
2012/08/09「貨幣維持1」でちょっと書きましたが、専制君主制の兵士とは違い我が国の武士は、地元血族集団・領民保護のために戦うべく自然発生して来たものであって君主のために徴兵されたものではありません。
戦闘集団として効率的に戦うためにその時々にもっとも有利なグループリーダーを推戴しているうちに、一時的に推戴された指導者の立場が強くなって行ったに過ぎません。
古くは源氏についたり平家についたり、鎌倉末期には北条についたり足利についたり、室町期には南朝についたり北朝についたり、戦国時代には各地土豪がその時々のリーダーの元に離合集散を繰り返して次第に越後の国や甲斐の国あるいは尾張の国などの国内統一になって行ったことは周知のとおりです。
最後の離合集散が、関ヶ原だったと言えます。
関ヶ原以降は圧倒的な武力を背景に徳川氏が、中国の思想を借りて来て専制君主のような主張(忠孝を強調)して勝手に専制君主に変質しようとしていた(最後まで成功しません)に過ぎません。
いくら借り物の儒教道徳を教え込んでも、草の根から興った武士の本質を変えられませんから、地元民(先祖代々の一族の集まり)を守るためには中国からの輸入概念であるニワカ主君の命に反することが武士にとっては本来の正義であり、謀反でもなんでもありません。
これが大塩平八郎の乱の思想的背景ですし、彼が謀反を起こした極悪人ではなく、「義士」として歴史評価されている所以でしょう。
この意味では応仁の乱以降下克上の時代と頻りに学校で習いますが、学校教育は江戸時代以降のかっちりした主従関係を前提にした誤解であって、一族・・その背後にいる郷土の親類縁者を守るにはどちらについたら生き残れるかの瀬戸際の判断でそれまで従っていた有力者から別の有力者に乗り換えるのは、謀反でも何でもありません。
下克上に関するこの種の意見を02/24/04「与力 (寄り騎)6(主従とは?2)」、09/22/04「源氏でなければ武家の棟梁になれない」の不文律はあったのか?3」に書いたことがあります。

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