左翼系文化人の伸張3

一見?民主的組織である筈の弁護士会も含めてサイレントマジョリテイーのテーマですが、これも書きかけで中断していますがその内再開するつもりです。
委員会組織で下部から決議を積み上げて行く方法は一見民主的ですが、実は誰も本音の意見を出せない仕組みになっていることをこの後で書いて行きます。
アメリカ型民主化政策を投票箱民主主義と揶揄しますが、秘密投票以外に国民の本音はわかりません。
選挙その他なんらの裏付けもないマスメデイアが威力を持つのは、周到にイメージ刷り込みすれば民意がそれに影響を受ける・・選挙に影響するのでマスメデイアが煽り立てれば、それが民意であるかのような倒錯した決めつけが起き、世論調査に影響を与える・・トキにメデイアが一方に偏った報道をすると弊害が大きくなります。
メデイアの暗示にかかりやすい難点があるとしても投票民主主義の有効性を否定するのは間違いです。
問題点はメデイアが政治動向に大きな影響力を持つにも関わらず・・中立性の要請だけでは中立の基準が難しくてこの基準では事実上効力がない上に、公務員と違って民間なので外国勢力の影響遮断に関する規制がない・・フリーパスになっている現状をどうするかでしょう。
日本の戦後経済政策は実体経済を知らないマルクス経済学者に任せられないので、東大法学部卒が主流を占める元大蔵省官僚が担っていたこと・・在野?経済現場が現実経済を何とかして来たのです。
審議会では、マスコミで大事にされている錚々たるマルクス経済学者の意見を拝聴しながら、官僚が実態に合わせて修正して来たのが我が国の歴史でした。
錚々たる大蔵・財務官僚の多くが、東大経済学部卒ではなく、法学部卒が中枢を占めて日本の現実経済運営をやってきた不思議の源泉がここにあります。
アメリカのでっち上げそのママの意見をさも偉そうに説教して来るエリートに対して常識的な庶民が「難しいことは私らにはよく分りません・・」といなして来たのと同じ扱いです。
共産主義者は組織中枢に対する浸透作戦・・ドンドン仲間を昇進させて行く戦略にしている・・党派性のない人はそう言うことをしないから・・のがうまいから一旦経済学部を牛耳るとその後は思想の自由→学問の自由→「大学自治を侵すな!」のフレーズで独占支配を維持できる仕組みです。
報道界も同様に表現の自由→知る権利→報道の自由を守れの大合唱で一旦組織内(共産主義者の好む「細胞」として)浸透して、これを牛耳ればガン細胞のようになっていきます。
今の北朝鮮と韓国経済はどちらが良いかは一目瞭然ですが、南北の政治闘争では北が南の政権中枢や政治家への浸透作戦では圧倒的優勢と言われています。
(韓国は内部に北朝鮮系がうようよしていてどうにもならない状態になっていると言う噂です・・)
国連などの多数派工作で中韓が頑張って、反日的強引な決定がでることが多いのと同じです。
専制主義の長い歴史を持つ社会では、王朝内の「足の引っ張りあい・・多数派工作」が死命を制するので、この種の競争が得意です。
韓国と北朝鮮の競争では、未だに専制体制の北の方がそう言う人材が現役ですから、有利な結果になっているのでしょう。
中国とアメリカの関係でいえば、一方が汚職もサイバーテロ〜知財盗用も汚職もできないが相手)中露はやり放題となるとヤラレテしまいますので、こういう相手に自分だけルールを守っているとやられてしまうのではないかとで欧米が怒り始めたところです。
韓国の慰安婦デマ運動の反論していると日本まで同じレベルの争いになるから・・と黙っていると大変なことになってしまいましたが、・強盗相手に抵抗してこちらが勝つ場合まで抵抗すると同類になってしまうから、無抵抗がいいと説教されているような関係です。
相手が拳銃や包丁で向かってくるのにこちらが人命尊重といって素手で向かうようなもので、戦後の人権思想はどこか狂っています。
犯罪には遠慮なく警察も腕力で向かうべきです。
蛇の道は蛇と言いいますが、犯人がスピード違反で逃げているのに警察が制限スピードでしか追いかけられないというのはおかしいのでパトカーには例外がありますが、相手が法の例外を尽くして暗躍しているときにこのテロ犯の情報蒐集する方はまどろっこしい法手続きを経てからしか追いかけることできないのでは、おいかけっ子になりません。
比喩的に言えば、中韓やロシアのスパイ・テロ組織が好き勝手に他人の屋敷を横切って縦横無尽に移動するのに追いかける方は違法なことが出来ないので合法的に屋敷の外を迂回して追いかけるしかないという変な時代です。
(パトカーのような例外がありません)
時代映画のように特定資格者に限り緊急時には天下御免で他人の屋敷を突っ切り縦横に活躍できる権限付与が必要でしょう。
「プライバシーはどうなる」という非難が普通ですが、すでにテロリストがプライバシーを犯しているのですから「犯罪人は黙認だが警察関係ならば許せない」という基本思想自体がおかしいように思います。
学問・思想・報道の自由論に戻しますと、日本ではアメリカは民主主義国家なのに・・と、マッカ−シズムを批判的にみる報道・文献が多いのはこの結果です。
当時マッカーシズムは、濡れ衣だと言う批判が強かったのですが、昨日紹介したヴエノナ文書の公開によって、当時米英の諜報機関は暗号解読によってスパイ網・・証拠をつかんでいたが、暗号解読の事実を知られたくないためにソ連崩壊時まで暗号が読めないふりをしてきた事実がわかりました。
とは言っても今の違法収集証拠排除の理論からいえば、暗号解読自体が通信の秘密違反で違法でしょうから、何の証拠もないということになるのでしょう。
CIAの秘密情報を持ち出してロシアに亡命しているスノードン文書や昨今世間を騒がせているパナマ文書も同じです。
メデイアは自分の都合の良いことにならば、収集方法の違法性を不問にする不思議なルールです。
サンフランシスコ講和条約・独立後はアメリカの影響が縮小するばかり・・結果的に大学やマスコミは学問の自由を旗印に左翼系再生産の牙城になって行きましたが、これはアメリカにとっても悪いことではありませんでした。
アメリカの基本は米ソ冷戦以来自由主義陣営に日本を協力させることですが、日本が強くなり過ぎるのは困る点は譲れない1線です。
「ジャパンアズナンバーワン」と言われるようになるとイキナリに中韓を唆して日本叩きするようになったのはその1例です。
現在中韓の反日行動はアメリカの唆しに始まるもので、アメリカの行動基準は中国が強くなり過ぎると今度は日本の味方になる・・自国に対する挑戦者をいつも叩きたいと言う自己中心基準の国です。
16年8月25〜6日頃に書いたように絶対に仕返しされない前提で原爆人体実験その他最大限残虐なことをして来たことから、左翼系が強くて(核兵器アレルギーその他)再軍備のブレーキになる・・日本の発展になりそうなことには「何でも反対する」勢力は利用価値があるので、CIA中心にこれを温存してきたことも、左翼系伸張の基礎になっています。

左翼系文化人の伸張2(ポポロ事件)

16年9月4日に書き始めていた「占領政策と左翼系文化人の伸張1」以来アメリカ政府に対するコミンテルンやユダヤの影響に逸れていましたが、日本の文化人が何故左翼系中心になったかのテーマに戻ります。
左翼系文化人はニッポン民族批判にはアメリカ基準・・言論の自由や人権が・・と騒ぐのですが、国際政治になるとイキナリ旧ソ連や中韓の応援します。
高度技術漏洩防止の必要性や、防衛の必要性になるとイキナリアメリカ軍が使っていた軍国主義国家論が復活すると言うスローガンが出回ります・この二重基準の基礎にはルーズベルトの二重基準・反共国家の指導者でありながら容共体質・によって占領政治が始まったことにあります。
今のトランプ大統領が、個人的にはプーチンや中国の独裁政治・自国中心主義の身勝手な政治に対する賛美する資質を隠していませんが、その分ロシアゲートなどで国民批判を受けて反中・反ロシア政策をとるしかないねじれ現象担っているのと似ています。
アメリカ占領政策初期の政策にはルーズベルトのスターリン贔屓の影響でコミンテルン・今の言葉で言えば「グローバル化」の貫徹)とアメリカ民族主義の本音が混在していたことになります。
以下はルーズベルトと共産主義の関係に関する記事です。
http://ameblo.jp/rekishinavi/entry-11586757334.htmlの引用です。
「ヴエノナ文書とは第二次世界大戦前後の時期にアメリカ政府内部に多数のソ連のスパイが潜入 してことを暴いた文書で、アメリカの情報公開法に基づいて開示されたのですが、江崎氏が研究すればするほど、ルーズヴェルトはソ連やCHINA共産党と通 じていたことが明らかになってきたそうです。」
上記研究の信頼性は分りませんが、(意見には当然反論があり得ます)アメリカ本国では(ルーズベルト死亡後彼が政権に引き入れていた共産主義信奉者の影響が大き過ぎることに懸念が生じ)その後周知のとおりマッカーシー旋風で共産主義者が政権中枢から一掃されますが、それほどまで政権中枢にコミンテルンの細胞?が浸透していたことが分ります。
日本では独立後占領支配権力・・公式にはアメリカは反共陣営筆頭です・・が縮小して行く過程で、左翼系文化人は一旦勢力を張った大学やマスコミでの支配勢力維持のために、アメリカの持ち込んだ思想表現の自由・・これを拡大した大学の自治?をそのまま主張して民族系学者の復帰・浸透を許しませんでした。
大学研究機関、マスコミ界では共産系思想家はそのままとなり、却って自由主義系学者は後ろ盾がなくなり共産主義思想が大学等研究機関での支配勢力になって行く原因になりました。
現在でもNHKの「偏った」報道に対する批判に対して、「報道の自由」と言う偏った?意見で反論しているのがその代表的現れ方で、戦後ずっとこのやり方で学問の自由、大学の自治などで聖域化してやってきました。
この代表的事件がいわゆるポポロ事件でした。
ウイキペデイアからの引用です。
ポポロ劇団は1952年2月20日、東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で松川事件をテーマとした演劇『何時(いつ)の日にか』(農民作家・藤田晋助の戯曲、1952年1月発表[1])の上演を行なった。これは大学の許可を得たものであった。上演中に、観客の中に本富士警察署の私服警官4名がいるのを学生が発見し、3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせ、学生らが暴行を加えた。奪った警察手帳は東京大学の決議によって警察に返還されたが、警察手帳のメモから少なくとも1950年7月以降から警察が東大内を張込・尾行をして学生の思想動向等の調査を行っていたことが判明した。私服警官に暴行を加えた2人が暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴された。
最高裁判所大法廷は昭和38年5月22日、原審を破棄し、審理を東京地方裁判所に差戻した。理由として
「大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によつて自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである」。
しかし、
「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」。

上記の通り事件としては公開の集会だから警官の立ち入りが違法でないとされたものの、前提としての大学自治が保証される判決でしたので、大学側の要請がない限り犯罪行為があっても警察が踏み込めないかのような行き過ぎ・・聖域化が始まり、教授吊るし上げ等のやり放題・以後荒れる大学が生まれる素地になっていきました。
民放の場合には顧客による選別・市場選択権がありますが、国営放送の場合一方的中韓政府主張代弁報道ばかりされたのでは、国民は溜まりません。
この批判不満が漸く進出して来たのが昨今ですが、マスコミ界は報道の自由論で一歩も引きません。
この種の意見は、日弁連の政治運動に対する批判に対しても「弁護士会自治」と言う理論で批判を寄せ付けないのと軌を一にしています。
私が大学を出た頃には経済学と言えば、近代経済学派系よりはマルクス経済学派系の方がマスコミで大事にされていて、隆盛な印象を持つ時代でした。
歴史・・漫画その他一般的ストーリーでも唯物史観が幅を利かしていました。
マルクス経済学者である美濃部氏が共産党から出て都知事を何期かやったのは、その直後頃でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki
革新統一による知事として知られ、政党では日本社会党と日本共産党を支持基盤とする革新知事として1967年(昭和42年)から1979年(昭和54年)の12年間(3期)に渡り、東京都知事を務めた。
どちらの経済論理が正しかったかはソ連の破綻、何千万の餓死者を出していた中国の失敗をみれば明らかですが、間違っていた共産主義理論が、学問組織内では逆に圧倒的優勢だった・・現在もこれが続いていることに学問の自由とは何か?と言う歴史の真理があります。
「◯◯の自由」とは「一旦支配権を握った方が半永久的に専制支配を続ける自由」と読み替えることが可能です。
何回も例に出していますが、大学自治会がどこからも介入を受けない結果、過激派の拠点になっていて、大学自治会のほぼ100%が、一般学生と関係のない政治組織になっていることを想起してみれば分ります。
自治と言うものは活動家が独走を始めると構成員総意を反映しなくなっても是正方法がなくなるリスクが多い・・・実はくせ者です。
スターリンの恐怖政治は、民主的選出方法による筈の共産主義国家で起きたものです。
司法試験受験科目であった政治学言論では、共産主義国家は自由主義国家ではないが、が、民主的選任方法があるから民主主義国家であると言う分類を習いました。
何となく詭弁っポイ説明でしたが、今や北朝鮮や中国等の共産主義国家が民の声を充分に吸い上げている国であると思っている人は皆無に近いでしょう。
こんな詭弁を信じ込んでいまだに中国の肩を持って活動しているのが革新系野党です。

ピープル2と文字文化普及1

韓国で学歴志向が強いのは,「長かったヤンパン支配に対する憧れ」と一般に言われていますが,先進文化・・中国の知識を得られるのは,エリートだけ・・特権維持のために漢字文化独占にこだわって来たことに原因があり,中世を通じてラテン語にこだわった西欧文化人と意識では共通です。
欧米旧植民地でも,飽くまで英仏語等支配者言語文献を読み書き出来る人だけがエリート・・自国文字に翻訳せず民族に先進文化を移植する努力しなかった植民地の王族(傀儡支配層)も同じです。
シンガポール・香港を始め多くの旧植民地では今でも全て自国文字を持たないままで,意思疎通出来るように庶民まで英語を使えるように拡大・・外来文字・言語文化の大衆化を実現しただけです。
数十年前にシンガポール人が日本人の殆どが英語を話せないのを知って,日本人の多くは文盲・・自分達よりもレベルが低い民族だと誤解しているような記事が出回ったことがあります。
初めてビフテキを食べた庶民が,淡白な食事をしている上流階級を馬鹿にしているようなものです。
「子鹿のバンビ」の物語で,一時期人間に捕われていて群れに戻った若い鹿が,人間社会を自慢してバンビのお父さんから[可哀相なヤツメ!」と言われる場面があります。
ローマ社会が王族・周辺人を取り込むために,周辺未開人の主立ったものにラテン語やキリスト文化を身につけさせて、ローマ名誉「市民」の称号を与えて取り込んで行った過程で生まれた概念に過ぎません。
日本も古代には「漢の倭の奴の国王」とか卑弥呼の時代までは冊封を受けて特権(漢語では現地異民族で特権を受けた人が「王」(出先市場支配人の意味)この一定の取り巻きが地中海で言う市民)扱いを享受していました。
日本列島の民族独自性が強まった結果、自らを「天子」と称し,冊封を受けなくなったのは周知のとおりです。
聖徳太子が頭でっかちにイキナリ無茶を言ったのではなく,日本列島は,古来から充分な社会変化してから改革して行く社会ですので遣隋使以前の百年以上も前からじわじわと独自性が出来上がっていたからこそ,聖徳太子がそのように表現したと言うべきです。
要するにこのころには独自民族意識が確立していたと言えます・・この確立があってこそ,白村江の敗戦と同時に列島防衛意識が列島全体で自発的に生まれたのでしょう。
歴史上白村江敗戦→列島一体感形成と思われていますが,実はその逆です。
その前から独自民族意識が出来上がっていたからこそ、元々さしたる武力を持たない(だからこそ,やおよろず体制で))弱体な大和朝廷が大した抵抗もなく遠くの東国人を九州の防人に動員出来た背景でしょう。
民族意識が成熟していたからこそ(中世の蒙古撃退も幕末の植民地化阻止)出来たと言うべきです。
日本以外の西洋あるいは中国では,同化度合いに応じて特別扱いする・・社会構成員仲間として[市民」と」[ピープル」の二種類が出来上がったと見るべきです。
我国では聖徳太子・遣隋使の頃から,異民族支配下の経験・序列意識がありませんので,市民と言えば単に行政区画としての「◯◯市に住む人」と言う程度の意味しかありませんし,国民と人民の区別もピンと来ない所以です。
異民族支配の道具として名誉市民・・今でも外国の優秀な人材を取り込む道具としてレジオンドヌール勲章やガーター勲章・・ナイトの称号・名誉貴族・名誉学位などの称号を与えて西洋では取り込むのに利用している大もとです。
韓国はシンガポールが英語を庶民に広げたように戦後外来の漢字を庶民に広げる方向を採用するには,(英語に比べて漢字は難易度が高く)無理があるので語順に無理のない日本の漢字仮名交じり文の利用が合理的だったのですが,文化独立性を優先するために,逆に全面廃止・・民族文字・ハングル一本にしました。
これはこれで(民族独立の意気込みからしてある程度の無茶・元気も必要です)見識のある態度です。
中国も外来文化輸入社会として韓国の先輩と言うだけ・・李氏朝鮮のヤンパンと庶民の関係同様に、士大夫層のエリ−トと庶民とでは文化が隔絶して数千年経て来ました。
何回も書いて来ましたが、四書五経・漢詩・詞文などの高尚な文化を継承して来た士大夫層等はホンの一握り(十何億人中数百人〜数千人以下?)であって,庶民とはまるで文化の違う異民族のような関係だったのです。
民度差が国力差になって来た現在社会において,中国でも遅ればせながら,庶民も人的資源として活用する必要に迫られて来ました。
庶民のレベルアップ・戦後文字文化を庶民に広げるには漢文表記は難し過ぎて無理があるものの、(中共政権は中華の栄光が拠り所ですから)香港のように英語文化圏に入るのは沽券に関わるのでそれは出来ません。
そこで、漢字を簡体字化・・結局は日本の仮名文字の数段階手前の文字化して大衆化・・一般国民が読み書き出来るように努力するようになりました。
韓国のハングル普及と同じ動きですし、時期もほぼ同じです。
ウイキペデアの記事です
「簡体字(かんたいじ、中国語: 简体字、拼音: jiǎntǐzì)または規範字(きはんじ、规范字、拼音: guīfànzì)は、1950年代に中華人民共和国で制定された、従来の漢字を簡略化した字体体系である」
ところで、・・自民族が修得出来ない自国発祥文字とは何か?と言う基本的疑問に発展します。
民族自らの自己表現道具として生まれて来た言語表記であるならば,[てにをは」の助詞がないと不便ですが,我が国に一般に伝わっている中国の漢文表記は私の子供の頃に良くあった電報のようで,「てにをは」がありません・・。
元々象形〜表意文字の発展は原始形態であって,(絵文字を並べて意思疎通しようとする場合を考えれば分るように)表音文字で補足する方法がないと意思をきめこまかく表現する文字として完成しないと言うべきでしょう。
外国へ行って単語だけ並べて何とか物を買ったりタクシーに乗っているような生活は半端な状態です。
何となく犬猫が「ワン」と言ったり少ない表現で最低の意思疎通しているのに似ています。
以上は,私がフランス・イギリスにへ行ったときに「犬になったみたい!」とおかしく思った経験によります。
これを国民が日常的に行なっているしかないとしたら,知能の発達に大きな影響があります。
ただし犬猫と違い人間にはいろんな発音があるので,文字化出来ない不便だけですが・・・。
文字化しないと形而上的観念の反芻・思考訓練には不便・・知能の発達に甚大なマイナス影響を与えます。
ただし,この辺もいつも書くように素人の意見ですので,(漢字は専門的には前後の文字によって意味が変わるので表意文字ではないと言う分類らしいですし)そのつもりでお読み下さい。

シチズン(文化人)とピープル(無知蒙昧?)1

市民・・都市国家の始まりは,フェニキア人等が地中海沿岸に進出して市場を開いた場合に,現地未開人の夜襲等を防ぐために先ずは柵で囲んで城門を夜間閉じるのが先決だった歴史を物語るもので,都市国家とは異民族地域に進出した場合の現地駐在拠点に始まることを書いて来ました。
このやり方は(私の仮説によれば・・)メソポタミア文明の到達点であった中国古代も同じで,川沿いに荷物・交易品を運び現地有力者と交易場所を決めて交易する・・日帰りは不能なので,現地駐在時に夜襲を防ぐため、日没とともに城門を閉じて夜明けとともに城門を開けて(鶏鳴狗盗の故事のとおり)鑑札のある地元業者だけ出入を認める・・これが普通のやり方でした。
集落の交易点は水運を利用して始まるのが普通ですが,中国の場合水源近くの最上流から始まった不自然さは,中央アジアを通じて山を越えて来た異民族が最初に居着いた場所(山越え後平野部に出たばかりの扇状地)とすれば理解可能です。
中国の場合海岸沿いに都市文化が広がらずに,黄河上流から下流にかけて順次下りながら発展した原因です。
すなわち都市国家形態の社会は先進異民族が遅れた地域へ進出して来た名残と見るべきでしょうし,市民(元は駐在員・長崎出島の居留民のようなもの)と城壁外の民族とは別部族と見るべきです。
ただし地中海世界とは違い西洋大平原の農業・牧畜地帯では都市住民と周辺住民とでは,16年12月29日に書いたように同一民族なのでローマ文化受容者とその他の違いでしかありません。
そこで違いを強調するには,「優れた外来文化(キリスト教)を持って来た人と・これを吸収した者のみ」がローマ市民資格と言えます。
キリスト教は西洋の原住民にとって自分たちで生み出した宗教ではない・隔絶した文化レベル差があったコトからキリスト文化を身につけた教養人だけが名誉?「市民」であり、その他はピープルと言う差別意識が生まれたのでしょう。
インデアンのうちで白人文化を身につけたものだけが、人間・市民扱いされる教育をして来たアメリカのインデアン同化政策はこれに似ています。
欧米植民地支配政策もこの延長で,地元酋長・有力者を留学させて欧米文化を理解させる・・名誉白人扱いで上流社会に出入りさせて,特権意識をくすぐり満足させていました。
自国に帰ると貧しい低レベル環境・文化に嫌気をさして文化施設その他インフラの整ったロンドンやパリ・・気の利いた詩文を口ずさめば受ける高度な社会に早く帰りたいと思うように仕向けて来たのです。
日本古代に国司等になって地方赴任すると早く都に帰りたいと願うのと同じ心境です。
ここで、元々の関心である欧米のシチズンとpeopleとの対置に戻ります。
フランス革命で支配権を奪取したのは城壁に守られた市内に住む「市民Citizenの政治参加の権利」であって庶民peopleは対象になっていません。
16年12月17日紹介した記事最後にあるように、フランス革命ではブルジョアのための革命である本質を逸早く表明しています。
ブルジョアとは何か?一般に教養と財産のある「市民」と翻訳されている階層ですが、ここで言う教養は・・天動説を含むキリスト教の教えが中世の支配概念です。
これを体系化するために努力していたのがキリスト教神学者であり,西洋の学問は神学が全ての始まりです。
神学は天動説と言う迷妄な理論ばかりが有名ですが,実は芸術表現も神学によるテーマしかなく,我が国のように花鳥風月や個々人の心情描写が始まりではありません。
漸く宗教から解放された後・・近代でも王様の肖像画中心ですし・・ミレーの晩鐘のように風景が絵画に入って来てもなお教会の鐘の音を背景にする程度です。
ウインザー城を見学して驚いたのですが、天井その他あちこちに書いている絵画は、キューピッドその他神話に出て来るらしい人物画ばかりです。
一緒に行った子供が,人間ばかりで夢に出て来そうだと怖がっていました。
フランス凱旋門の屋上にある塑像?も似たようなものです。
ルネッサンス芸術と言っても,(全部を知らないので遠慮して書くとほぼ全部?)キリスト教神話に基づくものばかりです。
日本の例・・万葉集の歌です。
「山部宿禰赤人が不盡山を望てよめる歌一首、また短歌
  天地(あめつち)の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き
  駿河なる 富士の高嶺を 天の原 振り放(さ)け見れば
  渡る日の 影も隠(かく)ろひ 照る月の 光も見えず
  白雲も い行きはばかり 時じくそ 雪は降りける
  語り継ぎ 言ひ継ぎゆかむ 不盡の高嶺は(317)
反歌
  田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ不盡の高嶺に雪は降りける」
赤人は(生年不詳 – 天平8年(736年)ですし、万葉集には自然描写が一杯あります。
数百年下がると日本人らしいきめ細かな感性も歌われています。
「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかねぬる」
上記は藤原敏行(生年不詳〜906〜7年頃死亡)ですが、西洋は近代に入っても肖像画に毛の生えた程度の絵画表現だったのですから,西洋文化の浅さが分ります。
自然現象その他全てが,キリスト教と言う迷妄な宗教・・神学と言う名の学問もどき?に縛られていたのです。
以下は冗談ですが、日本に来た西洋人がちょっとした地震に大騒ぎするのは,未だに地動説を心の底から信じていないからではないでしょうか?
日本では天地(あめつち)が動くことは,万葉の昔から誰でも知っていることです。
古今集仮名序(現代語訳)
「仮名序によれば、醍醐天皇の勅命により『万葉集』に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上された」
「やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける 世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり 花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける 力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女のなかをもやはらげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり」
上記に対する江戸時代の狂歌
「歌よみは下手こそよけれ天地の 動き出してたまるものかは(宿屋飯盛)」
ここで西洋庶民(ピープル)の文盲・・無知蒙昧時代が長かった原因・・元々の関心である欧米のpeopleとの対置に戻ります。
フランス革命で支配権を奪取したのは城壁に守られた市内に住む「市民Citizenの政治参加の権利」であって庶民peopleは対象になっていません。
16年12月17日紹介した記事最後にあるように、フランス革命ではブルジョアのための革命である本質を逸早く表明しています。
ブルジョアとは何か?一般に教養と財産のある「市民」と翻訳されている階層ですが、当時のキリスト教に対する批判的文化人であれ,キリスト神学教養が基礎になります・・例えばニーチエFriedrich Nietzsche(1844-1900)の「神は死んだ」と言う哲学はキリスト教神学の理解なしには書けないでしょう)がフランス革命で対象としていた教養人です。
トランプ氏以前のアメリカでは,「民主主義価値観共有」が文化人の資格です。

占領政策と左翼系文化人の伸張1

昨日紹介した日本人がホッテントットより劣っているどころか朝鮮中国人よりもみっともないと言うマスコミ報道はホンの1例であって、日本人は・・何かにつけて欧米どころか世界中どこの民族よりも体型人格的に劣っていると言う宣伝が溢れていました。
しかし、目の前の日本人は皆まじめに学び、律儀で良いものを作っては世界に輸出出来る実績が積み上がって行くと、いくら日本人はダメだと宣伝しても無理が出て来ます。
中韓は日本の優れた技術等を導入しながら一方で、このような宣伝を真に受けて(日本人が自分で言っているからと)日本を見下して来たのでしょうから,真実を知る機会がない・・本当のコトや歴史を知らない点では中韓の人も可哀相です。
パク大統領が、慰安婦騒動を起こしたトキに「歴史を学ばないものは・・」と偉そうに言うのに、(どちらだよ!と)びっくり仰天した日本人が多かったと思います。
彼らの知っている歴史とは、アメリカのでっち上げた歴史であって、本当のことは(知っていても知らない振りして)何も知らないままで来たことが分ります。
バカの語源・・権力者が「馬を鹿」と言えば誰も間違いと言えない語源「最高権力者アメリカの作り上げた戦後体制を日本は否定出来ない筈」と言う権力志向の韓国人の体質がそのまま出ています。
朴政権が慰安婦強制連行が事実かどうかよりは「安倍政権は戦後レジームへの挑戦者・歴史修正主義者」とアメリカでロビー活動をしていたのは、必然的戦術でした。
日本人の大方がびっくりしたのは、戦後70年間も噓の歴史を教育されていても国民は常識的に噓は噓・・「まさか本気じゃないでしょう」と思っていた人が多いからです。
「裸の王様が立派な服を来ている」と教えるオヤや教師がいたとしても、教える大人自身がばかばかしい噓を教えていると知っている・・子供に「王様の前で裸だと言わないように」教えているのと同じで教えている方も噓だと知っています。
教師は立場上占領軍・アメリカの言うとおりの歴史を教えているだけであって、「まさか本気でアメリカの強制している歴史を信じている」と思っている国民は滅多にいなかったのではないでしょうか?
たまに優等生・・エリート階層は目の前の事実よりも紙に書いてある方が正しいと思う人が多いので、王様が本当に良い洋服を来ていると思い込んでいるとすれば、常識のある国民が「本気だったの?」と内心驚くでしょうが、口に出して言いません。
国民は正面から反論しないで「偉い人の言うことはよう分らんわ・・」と言う形で学者や弁護士らの言う憲法論などに反対したことはありませんが、「大人の智恵」で対応していただけです。
いくら社会党が形式論を言っても・・目の前で「あんた間違ってるよ」と誰も言いませんが、サイレントマジョリテイ・・国民の支持が減り続けて党自体を維持出来なくなった原因です。
文字どおり本当の歴史を知らないか、悪乗りする人が韓国に多過ぎるのと日本ではまだマスコミや文化人が本気でそう思っているらしい人が多いことが、慰安婦騒動の遠因です。
ホッテントットの例は、「そんなこと言う人がいる」酷い時代だったと言う点で未だに記憶しているホンの1例ですが、報道時期は昭和40年頃になっていた記憶ですが、私を含めて高齢者は文字どおり占領軍による「偏狭な教育」政策を承継した日教組・学者、マスコミなどにどっぷりと教育されて育ちました。
慰安婦騒動や南京大虐殺運動もその延長で、「日本人はどのような悪いことでもして来た」と言う日本人への罪の意識植え付けに留まらず世界に広めるイメージ宣伝の一環です。
私の世代は戦後教育にどっぷり浸かって育ったので、ホッテントット論に象徴されるように日常的に日本人はダメ民族・以下に世界に迷惑をかけて来た民族か!と洗脳されて育てられましたが、どこかおかしいと思う人もいたでしょうが、みんな自信がないので言われるまま黙っていました。
教職員や秀才系は素直に教えられたとおりに身につけるタイプが多いので、本気でその再生産を繰り返して現在に至っている人が多いように見えます。
政治的意見も世代別にみると高齢層はマスコミ洗脳のママ、今になると旧態然・・アメリカがでっち上げたとおりの歴史が正しいと言う意見に染まったままになっている人が多い印象です。
反安保運動に参加する人たちは、アメリカに従順に従う民族性・・「植民地被支配者に軍はいらない」と言う占領軍の作り上げた思想が骨の髄までしみ込んでいる高齢者が多い印象です。
ちなみにルーズベルト大統領はスターリン贔屓・・共産主義贔屓で有名ですから、彼の個人思想傾向が影響して?政権内に共産主義者が浸透し過ぎた反動で、戦後マッカーシズム・旋風が起きます。
同じく日本の占領政策ではニッポン民族精神弱体化作戦の一環として最優先で行なわれた・神道精神を解体除去すればその空白・穴埋め思想がいりますが、占領政治はアメリカ国内のように政敵に邪魔されないようにこっそりやるような配慮もいらない・・アメリカ国内以上に共産主義浸透を一直線に図れたように思われます。
教育界やマスコミ系に対する占領政策は天皇制秩序破壊の空白・引力を利用した共産主義の浸透奨励関係にあった・・アメリカ占領軍による教育界やマスコミ支配は民族性敵視政策=世界革命を志向していた共産主義思想(ユダヤ思想)浸透と渾然としたものとなっていたことになります。
当時の世界規模での共産主義運動の流れは「コミンテルン」次第でしたから、今諷に言えばユダヤ系の大好きな「世界革命→グロ−バリズム」でした。
コミンテルンと言っても、西洋の激変(当時の平沼首相の言う「複雑怪奇」)に応じて世界革命戦略は転変極まりないものでしたが、基本戦略は共産主義国家を如何にして広げて行くかの権謀術数論であり・・日米開戦直前の動きでみれば、以下のとおりです。
https://ja.wikipedia.org/wiki
  第7回コミンテルン世界大会と人民戦線
7回目であり最後の大会は1935年7月25日から8月20日にかけてモスクワで開催され・・・統一戦線はコミンテルンの根本政策とした決議の第一には、・・・各国の特殊事情にも考慮して現実的に対応し、気づかれることなく大衆を傘下に呼び込み、さらにファシズムあるいはブルジョワ機関への潜入を積極的に行って内部からそれを崩壊させること、第二に共産主義化の攻撃目標を主として日本、ドイツ、ポーランドに選定し、この国々の打倒にはイギリス、フランス、アメリカの資本主義国とも提携して個々を撃破する戦略を用いること、第三に日本を中心とする共産主義化のために中国を重用することが記されている[17]。コミンテルンの主な攻撃目標にされた日本とドイツは1936年11月25日に日独防共協定を調印した。」

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