ロシアとトルコの関係2(トルコ危機?1)

トルコのエルドアンは強権政治(権力維持)の代償として、国是であった欧米依存から、宿敵ロシアにすり寄ってしまった事になります。
トルコとしては、十字軍遠征以来の敵役であった西洋が産業革命以降圧倒的力を持つようになるとその力を借りないとロシアの攻勢から国を守れなくなった象徴がクリミヤ戦争でしょう。
この因縁の地をロシアがウクライナから奪ったのが、この2014年のことです。
この侵略行為に対して欧米は対露経済制裁しているのですが、エルドアンは狂犬支持批判を受け入れたくないために制裁で困っているロシアと手を組んで欧米に背を向けようとしていることになります。
オスマントルコ時代末期から現在に至るまで欧米寄りの姿勢を国是にしてきたのは、国力衰退の現実に合わせて、国家(民族)の存立を図るには格下と思っていた西洋列強に頼るしかないと判断した結果でした。
その行き着くところ、第二次世界対戦以降は対露大規模相互防衛条約であるナトーへの正式参加を許されるなど、対露防衛を盤石化してきたのがトルコでした。
NATO・北大西洋条約機構に関する本日現在のウイキペデイアです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%9D%A1%E7%B4%84%E6%A9%9F%E6%A7%8B

2017年時点で29カ国[1]
加盟した年 国 1949年 アイスランド、 アメリカ合衆国、 イギリス、 イタリア、 オランダ、 カナダ、 デンマーク、 ノルウェー、 フランス、 ベルギー、 ポルトガル、 ルクセンブルク 1952年 ギリシャ、 トルコ 1955年 ドイツ

その後西欧ではEUが結成されたので、単なる軍事同盟だけではなく共同体の一員となることを求めていくら擦り寄っても擦り寄っても西欧(キリスト教社会)の仲間に入れてもらえない差別意識・屈辱感に苛まれることになります。
対露防衛を目的とするNATOという軍事同盟に早くから入れてもらっているが、運命共同体と認めるべきEU参加申請にあれこれと注文をつけられて一向に加盟が認められない現実・・運命共同体になるのは嫌だが、お互いの利を持って軍事面だけで協力関係を築くという露骨な西欧の態度・・これがエルドアンがさじを投げるようになった下地でしょう。
エルドアン個人の意見ではなく(屈辱的関係はゴメンだという)トルコ民族全般に流れる不満が背景と見るべきでしょう。
しかし、運命共同体にまではなれないとしても、どうせ支配下・あるいは他人づきあいするにしても、ロシアの支配下あるいは服従関係に入るよりは、西欧の方が優しいというのが、歴代トルコ指導者や民族の判断だったのではないでしょうか?
実際ロシア支配下に入ったクリミヤ半島などではトルコ系というか、中央アジア系原住民の多くはシベリヤ等へ集団強制移住させられて現地にいなくなっていると言われます。
バルト3国その他でもロシア支配下に入った地域では、ロシア系人口の急増・原住民の激減が見られます→人為的強制移住政策・・シベリア送りが言われてきた・・うろ覚えの記憶ですが、詳細根拠までチェックしていませんので正確性は?と思ってください。
欧米に従うのとソ連・ロシア民族に従うのとどちらが良いか・・第二次世界大戦後の結果・・東独と西独の発展の差・・ソ連軍支配地となった東独では鉄道線路まで剥がして持って行ったと言われています。
日本の場合、北海道がもしも戦後ソ連支配下に入っていれば北海道住民の日本人の大方がシベリア送りになっていて(その多くは反共思想嫌疑対象にされて粛清され極寒の地で死亡してしまい、人種的には消滅?)北海道住民の大方はロシア人に入れ替わっていた可能性が高いでしょう。
60年安保騒動の頃に、メデイアでは公式報道はありませんでしたが、・我々世代は「アメリカがひどいからといって、ソ連支配・服従関係に入るのとどちらがひどいかの選択の問題」だという意見を聞いて育ちました。
満州駐在の関東軍将兵がシベリヤに連行され抑留された過酷な経験もあって(不可侵条約を破って満州侵攻してきた連軍の残虐さ、腕時計など見つかると身ぐるみ剥がれされるような経験、婦女子の暴行など)メデイアが報道しなくとも日本をソ連侵略から守らないと大変なことになるという選択のテーマ・・口コミの恐怖感の方が強かったのです。
実際その時の国民の選択・欧米よりいわゆる西側・・日米安保体制選択が正しかったことは、今や歴史的事実でしょう。
戦後思想界・メデイアを席巻していた左翼・・ソ連系思想界の失敗・・が白日の下にさらされ始めましたが、この批判論台頭に恐れをなしたのか?最近左翼系思想界からの巻返し運動・・60年台から70年初頭にかけての思想あるいは芸術界の過激な動き・吹き荒れた学生運動等の回顧展が宣伝されていますが・・これは批判のうねりに対する最後の反撃のつもりでしょうか。
日経新聞1週間前の文化書評?に高坂正嶤に関して誰かが書いた書物の書評が出ていました。
論壇では左翼系信奉者の多い丸山真男論ばかりで高坂正堯氏に関する評伝が少ない・・安保騒動が歴史になった今になると、高坂正堯氏の思想意見の通りの歴史展開になっているので彼の功績が見直されるべきで時宜を得た書物だというというような書評が出ていました。
文献では60年安保でも表向きの議論ばかりですので後世の人は誤解しますが、現実に生きている当時の人は占領政治に気持ちの良い人はいない・・米軍人による強姦事件多発や日米戦争開始に関する日本側の言い分が100%封じられてしまう不満などいくらでもありますが、(GHQ司令部跡を22日に見てきた感想をクリスマスのコラムで書きますが、せっかくの文化遺産をペンキで塗りたくるのがアメリカの文化度です)「じゃソ連だったらどうなのかの比較が庶民間では行われていた・・メデイアで論じられない重要な価値判断があったのです。
現実生活者の目はしたたかですが、メデイア界の寵児・思想家評論家は(共産社会は貧富の差がない理想の社会という)青臭い議論ばかりで社会体験のない青年を煽っていたのです。
学生運動家上がりの文政権の「最低賃金さえあげれば皆幸せ」という書生論が韓国経済を苦しめているようですが「韓国のアメリカ離れ」中国寄りの動きもトルコの動きと似ていますが、要は選択の問題でしょう。
擦り寄るといえば、ロシアの西欧崇拝も相当なものです。
フランス宮廷風文化取り入れに歴代皇帝は熱心でしたし、今もできれば西欧の仲間に入りたいのに西欧から見ればどう猛な野人扱いで本当の仲間に入れてもらえない悔しさで、今やプイッと横を向いて嫌な中国のご機嫌伺いするしかない状態です。
地理的に見ればトルコもロシアも西欧世界から見れば辺境の地という点で共通的・ひいては粗暴なイメージですから、社会意識・文化的に遠くなるのは仕方がないことでしょう。

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