大晦日

今年もいよいよ大晦日・大団円と言えるかどうかは人によって違うでしょうが、ともかく全員にとって今年最後の日になりました。
年の終わりと元旦にかけていつもの俗論を忘れて、「来し方行く末」を思う期間となります。
自身が高齢化したからでしょうか、若い頃には来年は良いことがあるように!とか、がんばる系・・飛躍を願う気持ちが普通でしたが、いつの間にか是日々好日的な関心になってきたようです。
年末にして思うことは「無事1年が終わったか!」という感慨中心になってきました。
幸不幸いろんなこともあったのですが、終わってみるとこの程度で済んで良かった的な自己満足・「まあ無事だったことになるか!と総括したくなる自分に驚いています。
こういうオメデタイタイプはうつ病にはかかりにくいのかもしれません。
今年はどういう年であったのかに思いを致すと、多くの人から「母親または父親がなくなったことによる年始の挨拶を失礼します」というお知らせが目につきました。
私の知り合い・前後10年前後の誤差のある世代では多くの方の父母が・・享年90代半ばを中心にする訃報でした。
ついこの間まで享年80代半ばの訃報が多かったのに比べると、ホンの短期間に約10歳前後も寿命が延びている感じです。
統計上の寿命の伸びは微々たるものですが、80代まで元気に生きている周りの目につく人(この街の町内会会長は87歳前後ですが、しっかりこなしています)の健康寿命の伸び(早くから亡くなった人や入院中の人は目につきませんので)と乳幼児期に難病等でなくなる人の寿命の伸びとは、一致していないからではないでしょうか?
人生の終わりや高齢化したのちの問題等については、すでに後期高齢者になってる自分も年齢的にその入り口に立っているのですが、独居高齢者(誰もがいつかは伴侶に先立たれるので)の生き方や人生の終わり・就活に向けた諸問題を見ると、いまだに「人ごと」のような気持ちで相談に乗り、こうしたら良いのではないかなどの、意見・自分に関係のない遠いことのような意識で考えているのが不思議です。
まだ15年以上も先のことだという無意識の気持ちがあるからでしょうか?
自分が後期高齢者になって見ると、(今でも信号が変わりそうになると走ってみたり、電車が来そうになると階段を駆け足で上がったり)後期高齢者という名称が始まった頃の75歳に比べてずっと元気で日常の生活は何も変わらず、ただ弁護士会(東京3会および神奈川千葉埼玉の共同)健保から後期高齢者だけ入る老人健保に切り替わっただけの違いです。
(歩くのが遅くなり疲れるまでの時間が早くなり回復力が落ちるなど、全ての分野で徐々に衰えているのは明らかですがその程度のことで・・)
長年親しんだ弁護士会保険とのお別れで、自分は元気なつもりで弁護士業にしがみついていても法制度上は容赦なく引退勧告・切り捨てられたような気持ちです。
この保険証を出すと誰もが世捨て人というか「もはや現役ではない人」という瞬時の判定ができる仕組みです。
千葉市美術館では年会費で入っていたのと自分が会員ではない東博や歴博などの特別展では、会員になっている娘が持ってくるおまけの入場券で一緒に行くので気が付きませんでしたが、ある日東博では企画展以外の参観は無料になっていると知って驚きました。
70歳を超えたあたりから世の中では世捨て人扱いになっていた・・されていたのに、ようやく気がついた次第です。
医療面でこの一年で見ると、足首あたりが痒くなったのでつけぐすりをもらいにいった程度です。
そろそろ歯科医に行って歯垢を取ってもらう必要があると思いながらも1日伸ばしで今年は行かないで終わりました。
60歳の還暦で周りの人たちに還暦の祝いを企画していただいた時には、「もう今はそんな時代ではないのでないか?」と内心恥ずかしく思ったものでしたが、その後16年の間に社会意識がすっかり変わってしまい、70歳になった時には、誰も気が付かない時代になっていました。
今では60歳でお祝いをするかどうかを迷う人などいなくなったように思います。
最近でもさすがに87〜8歳を過ぎるとお年寄りの印象になりますので、年金支給開始年齢の繰り下げ論・・お金の問題ばかりかまびすしいですが、年齢に関する意識が急速に変化している現状を踏まえると先ずは後期高齢者の名称を実態に合わせて85歳からにした方が良いように思います。
約1週間前の日経新聞だったかネット上だったか記憶がはっきりしませんが、75〜80歳頃まで元気なうちは働きたい人が多いという意識調査が出ていた記憶ですが、今どき75歳以上は病気ばかりしているイメージの保険制度で高齢者意識を煽るのは古すぎませんか?
ましてや「65歳以上の高齢化率何%」としょっちゅう報道しているメデイアの姿勢を「ばかか?」と思っている人が多いのではないでしょうか?
75歳くらいまでは、原則として(体調の悪い人は別として)社会的義務の負担者に加えるべきでしょうし、元気な人は80歳でも社会貢献すべきですし年齢だけでそのチャンスを奪うべきではありません。
その前提として70歳以上?一定年齢以上の人を公的施設で無料化するのをやめるか、無料化する年齢を引き上げるべきではないでしょうか?
お金の問題を描いているのではなく、社会意識変化の必要性を書いています。
もともと個々人の能力には赤ちゃんの時からばらつきがあるものですが、これが5歳〜10歳〜20歳〜30歳〜50歳〜60歳〜70歳と長年の積み重ねで差が開く一方になるのが一般的考えでしょう。
給与で言えば、働き始めの20台ではほとんど差がなくとも60台になるとゴーンさんのように巨額を稼ぐ人と、日雇い人夫等では若い時よりも日当が下がる人との差が大きく開いていきます。
大卒スタート時に同じ企業に就職できた場合(初任給は同じ)でも、70台になるとその間にどこまで出世したかあるいは途中独立して成功したか失敗したかなどの結果で、億単位の資産保有者差・・まだ大手企業の社外取締役で稼いでいる人と月収15万円前後の年金生活との格差が広がります。
我々弁護士や裁判官でもスタート時・司法修習終了時は横1線に並んでいた筈ですが、最高裁判事になったり、大学教授になったり日弁連で活躍する人と食うや食わずの弁護士・懲戒処分を受ける人まで格差が広がっていきます。
話題が変な方向にずれてしまいましたが、まだ庭掃除などの仕事が残っているのでこの辺で大晦日のコラムを一旦終わりにして、正月のコラム終了後に気が向けばこの続きを書きます。
話題が途中で変わってしまう気まぐれコラムですが、1年間ご愛読ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC