STAP細胞事件3と日大アメフト事件2(第三者委員会とは?1)

小保方事件での早稲田大学の処分は、判断基準がずれています。
日大は内部実力者に対する忖度でにっちもさっちもいかなくなって内部懲戒制度が機能しなくなっていたので、第三者委員会に頼ったのでしょう。
早稲田大学も内部で処理する能力がないならば、第三者委員会でも立ち上げる必要があったように思われます。
うやむやにできてホッとしているでしょうが、その代わり「早稲田大学の学位ってそんなものだったの!」という評価の定着の方が大学にとって長期的に大きなダメージです。
学位授与審査の現実は仕方がないとしても「不正がバレても学位授与を取り消さない」というのって理解不能です。
刑事処罰の場合、検察官や裁判官が被告人を個人的に知っていることは万に1の確率もないでしょうし大手企業の内部懲戒処分もほぼ同様でしょう。
しかし、学会や弁護士会の懲戒処分で言えば直接会ったことがなくとも、直接間接によく知っている仲間内の処罰ですから「泣いて馬謖を斬る」ような辛い面もありますが、個人を守るためではなく、組織を守るためにある制度ですから、ルール違反があれば穏便に済ます訳にはいきません。
この意味では朝日新聞の慰安婦報道事件、あるいは日大アメフット部の騒動では、第三者委員会が設けられていますが、第三者委員会設置発表自体・・自分たち内部自浄機能が作用していない・国民の信用がないことを潔く告白したようなものでしょう。
4〜5日前に日大第三者委員会の調査結果が発表されましたが、一見したところ想定外に?にきっちりした報告のようで、第三者委員会が、本来の面目を施したように見えます。
http://www.sanspo.com/sports/news/20180629/spo18062920470013-n1.html
「中間報告書に記載されているとおり、本学職員による反則行為の指示が存在したことは誠に遺憾であり、被害選手、保護者及び関西学院大学アメリカンフットボール部の関係者の皆様、並びに反則行為の指示を受けた本学の選手及び保護者に対し、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
第三者委員会は中間報告で内田前監督と井上前コーチを「指導者としての資質を著しく欠いている」とした上で、責任転嫁するような姿勢を「極めて悪質」と指摘。問題発生後の対応で、一部の日大関係者により当該選手に責任を押しつけ、監督やコーチの指示はなかったことにしようとする不当介入が行われ「事件のもみ消しを図ろうとした」と断じた。
https://www.asahi.com/articles/ASL6Y3VH3L6YUTQP01F.html
日大第三者委、内田前監督らの指示認定 悪質タックル
2018年6月29日15時25分

中間発表の骨子の主な内容
・ルールを逸脱した極めて危険なタックルは、(前監督の)内田正人氏と(前コーチの)井上奨氏の指示で行われた
・試合直後のミーティングや記者会見で、内田氏が自らの責任を認めるような発言をする一方、事情聴取では井上氏とともに不自然な弁解を繰り返し、自らの責任を免れ、(当該)選手に責任を押しつけようとしている
・事件発生後、一部の日大関係者より、(タックルをした)当該選手に責任を押しつけ、監督コーチの指示はなかったことにしようとする不当な介入が行われた

これまでの朝日新聞の第三者委員会報告などの例では、依頼者である朝日新聞の意向を忖度しながら、ある程度世論動向に合わせて批判的に書く・「この程度まで批判的に踏み込まないと世論が納得しない」だろうという政治思惑による調査報告・.時間稼ぎの印象が強かったのですが、今回はズバリ日大執行部の悪しき行動まで踏み込む切れ味の鋭い指摘です。
日大側としては、内田常務一人を悪者にして大学全体の生き残りをかける覚悟を決めていたものの、実力者内田氏の首に鈴をつけられないので第三者委員会にそこまで踏み込んでもらって「その認定事実を基礎に内部処分を決める」という図式を描いてこれに合わせて「結果ありき」の調査だったのかもしれませんが・・。
第三者委員会設置時点で内部の権力闘争が決まっていたというおどろおどろしい結果だったのかもしれません。
日本特有かどうか知りませんが、「第三者委員会」という代物ほどおかしな立ち位置はありません。
正式には第三者委員会ではなく、第三者「的」委員会というべきでしょう。
弁護士会の懲戒委員は総会で選任される仕組みですが、事実上執行部の推薦による点は事件後に設置される第三者委員会と外見上似ています。
しかし、単位弁護士会の場合には、執行部任期は1年限りであり懲戒委員の方は任期2年ですが、事実上本人が辞めるまで一定期間続ける慣習ですから、執行部に都合の悪そうな事件が起きた時の委員は9割方5〜6年以上前の執行部推薦委員ばかりで現執行部に何らの義理もない上に、委員は高齢者ばかりでこの先なんらかの役職につきたいような欲のある弁護士はいません。
そもそも弁護士会は職能団体組織であって、構成員の意向をまとめて表明することですから、上命下服的組織が普通の一般企業組織と違い、執行部の姿勢による不祥事・その進退を決めるような不祥事が社会問題になるようなことは想定できません。
この辺は経団連であれその他職能団体の多くは皆同じでしょう。
今朝の日経新聞2pでは、プロゴルフ協会がプロアマ大会で招待客に対してプロが働いた非礼な行為(というのでどんな行為かと思って読んでみると「招待したアマがプレー中にプロがウオーミングアップ用に自己練習をした」という点が失礼だったとされているようです・)「こんなぐらいいいじゃないか!」と言いたい人もいるでしょうが、これについて罰金30万の他に厳重注意処分」というのですが、業界としては身内をかばっているよりは、「スポンサーのご機嫌を損ねたらおしまい」というあたり前の価値基準の行動ですし、内部権力抗争と関係がありません。
慰安婦騒動に関する朝日新聞の場合には、特定人物の暴走ではなく組織挙げての体質のようですから、アサヒ関係者の誰も本気で反省していない・・スケープゴートを作り出すわけにもいかず、第三者員会を設けても時間稼ぎ程度の結論にしかなりようがなかったのでしょう。
国民の怒りが一過性のものならばそれで良い・スポンサー・顧客である国民に対して「襟を正す」必要がないので、成功となります・自社の報道姿勢は正しかったという姿勢堅持ですから、いわばどちらが正しいか?いまだに真っ向勝負勝負を社会に挑んでいるように見えます。
慰安婦騒動では国内的に陳謝していても海外版では一切の訂正がないと言われ(海外版を見る能力がないのでそういう噂があったという記憶だけです)ますし「江戸の仇を長崎で」と言わんばかりに安倍政権打倒に的を絞った「森かけ問題」に執念を燃やし「日本には言論の自由度が低い」と国連活動している(ただし、匿名者が特別調査者に説明しているだけで朝日がやっているとは限りません)のは、その一環で「最後の勝負にでている」ように見えます。
この勝負はどうなるか政治の世界は一寸先は闇ですが・・・開き直りに徹している以上は、朝日新聞の体質改善には結びつかないので、新聞購読数・発行部数のジリ貧傾向が続いているようです。
http://biz-journal.jp/2016/10/post_17001.html
2016.10.26
企業・業界 企業・業界
朝日新聞、4年間で発行部数105万減の衝撃…新聞業界、存亡の危機突入へ
内容を見ると残紙率の減少が進んだ結果もあるので、実購読者が減った分の実態はヤブの中です。
http://www.garbagenews.net/archives/2194431.htmlは最新である他にいろんな角度からのグラフがあってわかり良いので一部紹介しておきます。

新聞の販売部数などの推移をグラフ化してみる(2017年後半期まで)(最新)

↑ 主要全国紙の朝刊販売数(万部)

 

本文は16年の記事ですが、グラフの方だけ更新されているらしく18年まで出ています。
グラフでは100万部どころか200万部近く減っている様子で下げ止まっていないようです。

STAP細胞事件2と日大アメフト事件2(危機管理2)

私の理解によれば研究成果が内部で評価されるだけで、外部批判にさらされ難い・・「社会によって批判され難い」場合にモラルが低下するという区分けが可能です。
製造現場でのデータ捏造による革新技術開発発表は、それを利用する工程ですぐにバレるので、再現できない発表は起こりえません。
STAP細胞問題は、実用化が待望されていた分野であったからこそ話題性があったし、その分その成果を利用してみようとする追試が盛んに行われたので、再現不可能性の疑問が早期に巻き起こったのでしょう。
小保方氏は、誰も相手にしない学位論文同様に、「ネイチャーの書類審査さえ通れば良い」的気分で捏造データによる発表をしてしまったものと思われます。
大学の研究部門発表では、実用性に乏しい分発覚しにくい・・言論自由市場論のまやかし同様で、学問の自由にアグラをかいて、外部批判どころか学内からの批判さえ事実上受け付けないシステムに問題があるように見えます。
早稲田大学が小保方氏の学位論文を非公開にしていた訳ではないとしても、理系論文の場合、よその大学の若造の学位論文がインチキかどうかなど、他大学のプロは誰も手間暇かけて検証したいうほどの価値がないのが普通です。
たまたま同方向の研究者で「もがいている」テーマの発表がでれば、興味を持って研究・追試対象にするでしょうが、そうでなければ本当に価値ある新発表であればそのうち誰かが利用して世に出るだろう・そのとき参考にすればいいと言う程度で放っておくのが普通の動きでしょう。
たまたま同方向で実験を繰り返しているような場合には、発表した実験が自分と違った方法、あるは混ぜる資料が一つ違った工夫というような場合には、その資料だけ入れ替えて再現実験できるので簡単ですが、そうでない無関係な研究者が追試しようとすると新規に実験装置全部用意するしかないのでは膨大なコストがかかります。
そんなことが本当にできるかな?と科学常識で疑問に思っても、おいそれとは追試実験出来ない・再実験するには巨大な装置コストがかかる仕組み・採点教官でさえ合理的チェック・批判するには「そっくり同じ装置や資料をゼロから用意して同じ実験をしてみないとわからない」ので、その実験が発表通り行われた前提でしか採点できないのでしょう。
(「ABCD試料を合成してXになった」と言う場合、目の前で混ぜている試料が本当にABCDの試料かどうかまでチェックするには容器にAと印字されているだけで信用せずに中身を実際に確認する必要・・実験材料からして自分で集めて見ないとわからない・・200時間の実験成果であれば自分も200時間同じようにやるしかない(・・プロは要点を見れば出来の良し悪しがわかるとしてもデータが前後矛盾なく差し替えられている場合、捏造か改変されているかどうかまでは分からないでしょう)→そんな時間がないので事実上合理的チェック不可能な状態と思われます。
昨日出た会議でも、役所のアンケート結果の集計を見せられてそれを議論するのですが、そのアンケート集計が正確かどうかを議論する暇がない・正確性を前提にした議論しかありません。
こういう前提をつき崩したのは働き方改革法案の前提になっている集計がおかしいという批判でしたが、こういう批判ができるのは審議会の偉い人ではなく、集計に関与している現場の人しかありません。
4〜5日前に公共施設利用者のアンケート集計結果を紹介しましたが、回答者の属性不明のママ議論することになります。
民俗調査・・東南アジアや太平洋諸島などに出かけるフィールドワークの学問発表・古老の話の採録発表も、いくつか事実があるだけで重要部分が作文かどうかは(客観資料との比較の他に)採点者が現地に行くなどして古老に聞いて歩いて確認しないと本当のことは分からないはずです。
サンゴ礁のやらせが発覚したのは、地元漁協の憤慨があってこそバレたものですが、大して手間のかからないことでも多くの場合裏付けまで取らないしそんな暇もなく報道をそのまま受け入れるしかないのが普通だから起きるのです。
NHKによる台湾の現地住民に対する「人間動物園」だったかの報道では、テレビカメラまで入っての「客観性ありそうな」報道でしたが、台湾原住民が別のことに感動し涙を流しているのに違う方に演出していたことが、問題になったようですが、訴訟としては映像をどのように利用しようと編集権の範囲で文句言えないという判決だったようです。
慰安婦報道の元になった吉田調書も結果的に「フィクションで何が悪い」となったようですし、
指導教官や審査委員ではない部外者の場合、本気でチェックしようとすれば装置や材料の準備まで全て新規に揃えて同じ実験をするしかない・・理系研究は装置産業化している点で事実上の参入障壁・非公開性があり、ひいてはデータ捏造の誘惑が高まります。
この現実をどうすべきか(やりようがないと匙を投げ、放置するのではなく)こそが、大学や研究機関に求められている「自浄期待」と思われます。
まずは、不正に対する厳罰のルール化が必須です。
バレたら研究者生命を失うとなれば、安易な不正に手を染める人は激減するでしょう。
この点で内部の懲戒処分制度の厳格運用姿勢は重要です。
最近大騒動になっていた日大アメフト部のルール違反に対する社会の批判の視線もそこにあります。
井上コーチはまだ30歳のようですが、あるいは20歳そこそこの選手でも選手に出るからには、選手としてやっていいことと悪いことの区別はつくはず・・公式試合に出す以上はルールを理解していない選手はいないのが原則でしょう。
ましてコーチともなれば業界からの追放処分を誰も重すぎるとは思わないでしょう・重すぎるという批判意見を見たことがありません。
人権擁護の一方的報道の雄である毎日新聞でも、以下のように客観的に報道するのみで処分を(「市民感覚があ〜と批判せずに)肯定するかのような報道姿勢です。
https://mainichi.jp/articles/20180530/ddm/005/070/126000c

日本大アメリカンフットボール部選手の悪質なタックルをめぐる問題で、関東学生連盟が関係者の処分を決めた。日大の内田正人前監督と井上奨(つとむ)元コーチは除名とした。
除名は懲罰規定で最も重く、大学アメフット界からの永久追放にあたる。学生に限らず、スポーツ界での除名処分は極めて異例だ。
・・・・・こうして内田氏を頂点とするピラミッド型のゆがんだ支配構造が構築されていった。学連の処分は、この構造こそが問題を引き起こした本質だと断罪したに等しい。

組織維持の根幹に関わるルール違反があれば、国家の場合、刑事処罰・・国外追放から死刑、〜刑務所への隔離等があるように、組織有る限り、組織維持のために除名→業務停止〜戒告等の順に厳しい処分を行うのが原則です。
これがきっちりできないとその業界・組織がジリ貧になります。
アメフト業界(関東学連)による上記処分は日大の組織挙げての違反行為を看過できないとしたものですが、日大としてはこの処分を受けても(元凶と言われる内田氏の大学支配が強すぎて)誰も「首に鈴をつけられない」状態らしく大学の対応をどうするかの腰が定まらないママでした。
早稲田大学が、身内教授らへの波及を恐れて小保方氏の不正を認定しながら学位剥奪をしなかったのと似ています。
我々弁護士会でも、懲戒制度の適切な運用こそが、弁護士自治・弁護士の信用維持を実効性あらしめる核心的位置にあると言われる所以です。
懲戒請求された弁護士が可哀想という人権論・同情を基本に運用していたのでは、社会の信用を維持できません。
まず第一に非違行為の事実があるかどうかは人権を守るために厳格に認定する必要がありますが、非違事実があった場合にそこに至った情状を総合して弁護士のあるべき姿に対する社会の信頼がどの水準かを知り、また「あるべきか」の価値判断で決めるべきで、知り合いか、可哀想かどうかを判断要素にしたのでは国民の信頼が揺らいでしまいます。

STAP細胞事件2と日大アメフト事件1(危機管理1)

今回の日大アメフト部のルール違反事件処理の拙さといい、早稲田の小保方事件に対する処理能力といい、日頃偉そうなことを言っている「大学の自治能力って、一般企業以下でないの?」と疑問符のついた事例が続いたことになるでしょう。
日大事件では日大に「危機管理学部」?が、あることが、ネット上で揶揄されていましたが・・・!
https://www.asahi.com/articles/ASL5T323RL5SUTIL03T.html

「対応遅すぎ」日大・危機管理学部生が見たタックル問題
張守男、円山史
2018年5月25日09時47
日大には、自然災害対策や情報管理などについて学ぶ、国内で珍しい危機管理学部がある。
同学部1年の男子学生(18)は「大学の対応は遅すぎた。先に選手を表に出してしまい、責任も学生になすりつけようとしている」とあきれた。
23日夜の内田正人前監督らの会見について「誰が見ても指示は明確。全て認めて辞任しておけば騒動を沈静化できたかもしれないのに、信じられない思いだった」と語った。
23日夜の会見では司会者が質問を遮る場面もあった。別の1年の男子学生(19)は「こっちが加害者側なのでもっと丁寧な進行をすべきだと思った。危機管理の対応を考えるきっかけになった」と話した。
前監督は大学の常務理事。1年の女子学生(18)は「学内でも権力のある人だったから大学も動きにくく、まずい対応になったのではないか」。別の1年の男子学生(18)は「周りが監督に物言えないのなら、早く大学のトップが出てこないといけない」と指摘する。

上記は報道機関の意見を学生の名を使って書いているのかも知れませんが、とんだ反面教師の教材提供になったものです。
こういう実例教材に事欠かないという宣伝効果で日大危機管理学部の人気が上がるのでしょうか?
小保方事件に対する理研の対応を見るとプロの世界では再現テストをして再現不能を確認した上での処分であり、プロの世界の信用意維持にかろうじて成功したようですが、この経過を見ると実証するには大変なコストが掛かることもわかります。
再現テストをするには、膨大なコスト+時間がかかる・例えば医薬品開発の巨額資金の必要性が知られていますが・・これの再現実験ってどうやるの?という問題があります。
いわゆる治験を例に考えると・・10万人に対する数〜5年単位の追跡調査など・本当に別のグループでやっても同じ結果が出るかなどを考えて見ると、誰が?どこの企業が知的好奇心のみで膨大なコストと時間をかけて、酔狂な再現実験をしてA社の実験発表が正しいかどうかの実証検査をすることができるでしょうか?
学問研究の成果でも同じで、採点側の教官としてもコストがかかったり時間のかかる再現実験を自分でしていると自分自身の研究や仕事をしている暇がなくなるから、学位論文を出す学生や研究者がまさか虚偽データを潜り込ませていないだろうという信用で判断するしかないのが現実でしょう。
小保方氏の論文を掲載したネイチャーだって、その実験成果が正しいとすれば掲載価値があるかどうか、論文の論理を追って外見上の矛盾さえなければ掲載する程度の審査でしょう。
世界中でいろんな分野に広がって発表される論文をネイチャー自身が掲載前に自前であるいは第三者委託で再実験する能力(装置)があるはずがありません。
電池製造など実用分野の発明発見ではその企業が製品化するための実験繰り返しですから、虚偽発表してもし品化して作動しなかればすぐにバレるのでデータ捏造する意味がないでしょう。
あるいは新製法では、消費電力が半減するとか持続力が二倍になるなどの触れ込みの場合、その製法による電池などを機器に組み込めばすぐに結果が出ます。
(ただし医薬品の場合、副作用がきつければすぐに問題化しますが、「毒にも薬にもならない」風邪薬程度の場合、虚偽データの発覚リスクが低いことがわかります・・)
工業製品でもプロが機器に組み込んでコストダウン出来るのではなく、新製品(化粧品・風邪薬など)を消費者が受益するような場合、消費者には直感程度(しかも個人差が大きいので、自分の体質に合わないのか程度の疑問しか持ちません)のしか違いがわからないので、捏造の誘惑が高まります。
車の燃費偽装や免震ゴムの偽装なども途中どの業者も損がない・・消費者のもとで効能を発揮する仕組み、結果の分かり難いもので誘惑が高まるようです。
論文発表が自由な批判にさらされ、自由市場で淘汰されるといっても、製品化に遠い分野あるいはその成果を利用してその次の段階の実験に取り掛かろうとしているような場合を除けば、第三者が好奇心だけでは(実験設備その他膨大なコストがかかるので)容易に再現実験できないので虚偽データによる成果捏造の誘惑が高まると言えそうです。
大学の学位論文など現実社会で実用になるような論文は皆無に近いでしょうから、着眼の斬新さと論文作成の様式にあっているかの形式審査程度で、実態調査や引用した統計データなど正しいかどうかなど精査しきれないのが実態ではないでしょうか?
ドイツ・ワーゲンの燃費偽装に始まり、日本企業での燃費偽装や神戸製鋼その他の大手で検査データ偽装が続々と出てくる背景を見ると、企業モラルの実態に関心が行きますが、モラル低下というよりは、発覚し難いことが誘惑助長につながっていると見るべきでしょう。
犯罪率低下には、検挙率アップが重要と言われている所以です。
他方で、もともと大して信用がなかった飲食店や農産物業界の信用が必要になり、信用が高まってきたことによる期待を裏切られたという逆方向の問題でもあります。
政治モラルなどの事件では、昔普通だったことが国民の期待・要求が高まって許されなくなってきた面が目立ちます。
期待の高まりによる不祥事の場合、期待度が上がるのに関係者全員一律について行けない部分(人材)が残るのは当然で、その部分に焦点を当てるとしょっちゅう不祥事が表面化するのは当然であって、モラルが下がったことにはなりません。
昔普通にあった事件が減って稀少化するとニュース価値が高まる結果、ちょっとした殺人事件等が全国ニュースで駆け巡る結果、「最近物騒になりましたね」という人がいますが、少年事件や刑事事件の絶対数が大幅に減っている現状と合わないのは、被害に対する敏感度が上がってきたことによります。
学会・研究者は学問・求道者としての矜持があるでしょうが、現場検査要員によるずさん処理となると人材レベルが違うので研究者と彼らを同視批判するのは妥当ではないと言えますが、現在社会における企業製品に対する品質信用の重要性が高まってきているという点では軽く考えてはいけません。
個々人で見れば政治家には政治家のモラルがあり、公務員や弁護士や医師、教師〜会計士それぞれの職種に応じた必要なモラル・ルールがあります。
大学の研究者に要求されるモラルと現場の品質検査要員に要求されるモラル・・同じ食品業界でも高級レストランと個人飲食店での衛生モラルでは、(個人商店は不衛生で良いわけではありませんが)国民期待度・信用がそれぞれ違うし歴史も違います。
小保方氏の場合、まだ経験未熟の若手とはいえ、大学院での論文執筆の修練・・研究ルールを体得して博士号になっている者であって、学位授与されている専門家としての能力を前提に理化学研究所の研究員に採用されていたのでしょう。
プロとして基本ルール違反があれば専門研究家の資質がなかった・・業界から排除されるべきは当然のことです。
小保方問題は、研究者に対する信用度が上がったのに小保方氏がついて行けなかったからではなく、大学や研究者に対して「昔からある信用基準を満たさないプロがいたことに社会が驚いた」ということでしょう。
小保方氏擁護論は「研究者なんて実は大したモラルがないんだ」という科学会全般批判・現実直視・肯定論のようです。

本田鑑定2とSTAP細胞事件1

郷原氏は本田鑑定の問題は、小保方氏のSTAP細胞事件のデータ捏造と流れが同質だと言いたいようです。
小保方氏のSTAP細胞事件ついては、「誰でもやっていることだ」という擁護論がチラチラと聞こえてきましたが、この種の意見によれば、こういうずさん発表が常態化・蔓延しているから小保方氏だけ批判するのはおかしい・・・業界内暴露のようです。
1昨日書いたように各種検査偽装発覚が相次いでいる実態とも合っているような印象を受けますが、要はこれを現実として容認していくか、ずさんな運用が表面化した機会に「タガを締め直す」ために厳しく処分して行くべきかは国家運営の価値観によります。
弁護士会の懲戒事件を見ると、自分だってホンのちょっとした違いで起こしかねないミス?と背筋の寒くなるような事例が多く、(自分の能力を省みると偉そうに)「人の批判できるか?」と忸怩たる思いがいつも付き纏いますが、他方で弁護士に対する世間の信用維持には、「これを不問にして良いか」の別の基準に想いをいたして勇気を奮い起こして「泣いて馬謖を切る」処分を出すしかないのだろうなと思うことがあります。
「データ偽装くらいいいじゃないか」という意見は「データ偽装でも実験成果を認めろ」という意見とすれば幾ら何でも論理矛盾・・実験していないのですから、実験成果が否定されることは認めるが小保方氏に対するパッシングが酷すぎるという程度の意味になるのでしょうか?
その論理が成立するには科学界ではしょっちゅうデタラメな成果発表していて「信用できないのは当たり前だ」という論者の科学者の論文はデタラメだという「常識の成立を認めろ」というに等しいことになります。
ネット上の小保方氏擁護論は学会の頽廃を前提とするもので、一般人には衝撃的意見で負け組の庶民からするとエリート・研究者といっても日頃から「嘘ばかり発表している」という宣伝に同調したい気持ちをくすぐったように見えます。
しかし、科学界としては、「非常識なことが日常的に行われているから処罰するほどの悪事ではない」かのように言われると、→日本の科学界全否定→日本発論文が世界で信用されなくなるので、この種の擁護論に流されなかったようです。
科学系発表に至る素人のイメージでは、こうしたらどうなるか?と色々な実験して見たらいい結果が出たので、何回もやり直してみる→同じ成果が出る・・「これは本物だ」となれば発表用にきっちり記録化しながら再実験を繰り返した結果を発表するものでしょう。
発表する以上は、データは再実験可能なように克明に記録化しながら進めるのが実験のイロハと思われます。
一回だけうまく行ったがその後何回やっても結果が出ない・・「だから記録にできなかった」が「本当に成功していたのです」と言う言い訳に合理性があるでしょうか?
科学とは「同じ手順でやれば誰がやっても同じ結果が出る」という再現実験可能性が基本と学校で習った記憶です。
いわゆる検証可能性が科学の特徴で、検証不能な意見はいわば主観的意見・・思い込みの類です。
小保方氏のSTAP細胞の発表には、そうした基礎データがなかったという調査結果とすれば、「データのない研究発表を科学業績と認める指導者がいるなど考えられない」と言うのが学界のルール・共通認識であるべきでしょう。
小保方氏の問題点は、理研の指導官が実験データをきっちりチェックしていてどうしてこういう事件が起きるのか?という基本的疑問です。
東大博士とか〇〇大博士と大学ごとの称号がありますが、チェック機関の信用を表すもので・小保方氏のような事件が起きない限り大学ごとのレベル信用を暗黙の了解として無意識に評価していて、学位論文を検証する暇のある人は滅多にいないでしょう。
だからこそ指導官の責任「道を踏み外した責任」→自殺にまで追い込まれた・・小保方氏擁護論者が言うほどには日本の「学会全体が腐っていない」と言う社会の評価だったのではないでしょうか。
(自殺=ルールに反してOKした指導官に対する学会仲間の無言の批判の強さ健在という推論は、門外漢の私の憶測です)
画像も別の実験記録をコピペし流用したことまで判明し本人がこれを認めている上に、小保方氏は理化学研究所から正式に実験データの捏造を認定されたときの記者会見で
「自分は不正をしていない」
と「一応」否定しただけで、不服申立期間内に不服申立てもしないで終わっています。
上記の通り、理研の小保方氏に対する処分や関係上司の自殺などの一連の流れを見ると、多くの科学者は真面目にやっている「開き直りをしない」)ように安心した人が多かったと思います。
ただし、早稲田の学位論文調査の結果、実験成果が捏造であることを認定しながら、学位授与を取り消さない決定をしたうえに「学位論文審査者」に対する言及がもしも一切ない(ニュースで見かけないだけなので「処分をしていない」とは断言できできませんが・・)とすれば、同大学の学位授与に対する信用・・・「この程度は皆やってることだ」「データを見る暇なんかないよ!虚偽がない前提で審査している」と言わんかのような結果ですから、大学学位授与の信用をおとしたことになるように思われます。
https://www.news-postseven.com/archives/20140729_267914.html

小保方氏の博士論文に早稲田大「不正は故意ではない」と判断
2014.07.29 07:0
論文の第一章は80%が剽窃(パクリ)であり、画像、イラストの剽窃も多数見つかった。なんと参考文献のリストすら別の論文からコピーしていた。
その他、画像があるのに説明文がない、意味不明の用語が使われている、論旨不明箇所が多数、実験手続の記載なし、誤字脱字が42か所などと指摘され、さすがに報告書も「合格に値しない論文」と結論づけた。
報告書では寛大な処分を下す理屈として、学位を剥奪すれば小保方氏の「生活の基盤、社会的関係を破壊する」からだと主張するのだが、不正に対して認識が甘すぎる。
※週刊ポスト2014年8月8日

事実認定が客観的に行われるべきは当然ですが、どの程度の処分にするかも制度目的に忠実であるべきであって、情実を絡ませるのは異常・非常識です。
かわいそうかどうかの情状論は学位論文信用性維持の法益を基礎として、情状で考慮できる範囲がどの限度かの判断がつかなかったようです。
刑法で罪種によって法定刑が決まっているのは、情状を考慮しても罪種による最低の枠がある・・その枠を踏み外さないようにという意味があるからです。
車の免許不正取得でいえば、不正行為に対する処罰・・罰金や懲役刑の選択については情状を考慮できても、情状如何に拘らず運転能力がないならば、免許取り消しすべきです。
学位・・資格授与は職業上の資格・免許同様の機能ですから、学位(免許)取得に不正があることを認定しながら(入学試験や公務員試験受験の不正行為を認定しながら、可哀想だからと罷免しないのと同様?)可哀想論で学位授与を取り消さないのって、「早稲田大学って大丈夫?」という疑問を持つ人が多くなりませんか?
可哀想だから取り消さないというのを逆から見れば、「可哀想な人には能力がなくとも学位を与えるの?」という疑問につながります。
早稲田大学は学位を剥奪すれば小保方氏の「生活の基盤、社会的関係を破壊する」から学位剥奪しない・・博士号の利用を許すというのですが、これの実用性があるでしょうか?
可哀想だという理由で博士号剥奪されなかった「博士」をありがたがって採用する研究機関があるのでしょうか?
小保方氏の生活を心配したのではなく、学位審査に関わった人たちの責任問題(自殺までいかないでしょうが)に波及するのを防ぐ目的99、9%だったのではないでしょうか?
そこにあるのは、仲間をかばう意識の方が早稲田大学の価値・信用を守るより優先している状況です。

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