中国バブルの本質(マンションバブル)

中国では、巨大な鬼城・・ゴーストタウンが外国人旅行者・ウオッチャーに目立つので、マスコミあるいはネット論者がそこに注目して不動産バブル崩壊近しと早くから注目していましたが、(17日紹介した勝又氏の意見も同じです)中国に限らず新興国では、17日から書いているとおり不動産投資だけが過大ではありません。
ここ1年〜半年くらいでは製鉄所の製品が野積みされていることを報道されるようになりましたが、要は通りがかりに見えるものを基準に報道している感じです。
中国経済不振は不動産バブル破裂だけが原因ではない・・1つの原因にすぎないことを以下で書いて行きますが、仮に不動産バブル破裂が(正しい)原因としても、わが国の不動産バブル破裂とは違って大きな影響があります。
我が国不動産バブルは、業者による宅地分譲やゴルフ場用地買収など土地転がし中心で、エンドユーザー・庶民は、数年先に必要となるものを値上がりしそうだからと早めに購入して家を建てたり転勤族が定年後のために早めに土地を買っておこうかと言う程度で参加しただけであって、使いもしない家を建てたり庶民自身の投機(転売目的)参加は限定的でした。
当時の我が国はまだ戸建て需要(それも個性のある注文住宅)が中心でしたから、転売目的に家を建てておくような発想はありません・・業者の建て売り住宅は個性が乏しいので転売用になりますが、耐用年数の短さから短期に売り抜けないと損をするので、やはり投機目的は更地が主流でした。
この辺ワンルームマンションを投機用に買わないかと言う勧誘が当時引っ切りなしにありましたが、マンションの場合没個性・耐用年数の長さから、中国に限らず投機目的になり易いことが分ります。
バブルとは、実需がなくて投機売買で成立するものとすれば、土地売買バブルほど格好なものがありません。
チューリップや商品先物取り引きは「限月」の限界がありますが、土地は腐らないので際限なく転がして行けることと、実需の有無はマスコミによるもっと上がると煽る世論誘導次第によるのでそれほど難しくありません。
工業施設や店舗はむやみに投資すると取得資金だけではなく大量の従業員を雇用し、生産・販売用の原材料を仕入れたり、運転資金がいりますので本当に製品の販路があるか、ペイするかどうかの堅実な読みが要請されますが・・店舗の値あがり期待でラーメン屋や洋服屋を開店する訳には行きません。
1年先に仮に1割高く売れる期待があっても、店舗は陳腐化するしその間の赤字の方が大きくなるでしょう。
土地を10〜100倍仕入れるだけならば、何もしないで寝かしておけば良いので、「◯◯管理用地」と言う立て看板を立てる程度の管理コストしかかかりません。
土地は仕入れて寝かしておいて1年先に何割か高く売れれば、その間の金利コストよりも大きければ良いので計算が簡単です。
かかるのは仕入れ資金の金利コストくらいですから金融機関の出方次第でバブルが起きたり縮小したりします。
(金融機関・・金融行政の責任が大であることが分ります・・今回のアベノミクスも金融政策の舵取りが基本です)
上記のように設備投資には従業員や原材料仕入れ等のコストが付いて来るので、転売・投機目的では新増設出来ませんが、土地は金利コストが主なコストでしかないので、転売目的にぴったりの商品であって、金融姿勢と世論誘導次第でどうにもなる商品です。
中国の不動産開発は、我が国のような土地売買ではなく、「鬼城」の報道で知られるようにマンション販売が中心です・・これが建設用鋼材その他のバブルにも波及しますし、2戸目以上の購入を禁止したり緩めたりしていることから分るように、庶民が投機に参加していることが特徴です。
(いまでは株の投機売買にまで庶民が参加していることも5月13日に書きました)
ちなみに我が国は土地バブルでしたが、中国ではマンション建設バブルになっているのは、法制度・・我が国だけが土地と建物は別の不動産になっている特徴にも関係します。
世上共産主義国家で土地の個人所有がないからだとまことしやかに宣伝されていますが、法制度的には我が国が模範としているドイツ等の西洋諸国でも、土地と建物は一体の物=1個の不動産となっているそうです。
(そう習っただけで実際のドイツ法を知りません)
木造で耐用年数の短い・・2〜30年で建物販売価値がなくなる点が問題視されていることはご承知のとおりです・・我が国で、建物を別の権利とするのは不思議な印象を受ける人が多いでしょうが、逆に木造だからこそ良いものは移築可能と言う面があります。
国宝のふすま絵は簡単に外して博物館に保管出来ます。
レンガや石造りでは解体して移転する発想が起きません。
東京の第7環状線工事のときに環7予定地にあった細いくねくねした道路を良く走っていましたが、工事のために立ち退く家が個人の家でも、道路拡幅によって後ろに下がるときに曳き家する方法が普通にありました。
しょっ中解体修理して姫路城や法隆寺や大仏殿などが残って来たことも関係します。
聚楽第の遺構を伏見城へ移築したなど知られているように我が国では、解体して他の場所で復元するやり方が伝統的(明治村の発想も同じです)ですが、こう言う歴史を反映したものでしょうか?
国宝級ではないものの、京都の正伝寺だったかに夫婦で4〜5年前に立ち寄ったときに、伏見城の血が染み込んだ床板が廊下の天井板になっているとタクシー運転手さんから説明を聞いたことがあります。
また宇都宮で修習中に近所に立派な新築のお屋敷があって、夫婦で招かれて訪問していましたが、そのトキ奥様が家老の家柄だったとかでご実家の屋敷の板をこの新築の家の床の間の床板に使っていると説明されたと私の妻が記憶しています。
悪い方では、明治初年の廃仏毀釈・廃藩置県で五重塔や天守閣が短期間に大量に解体されたのは、その土地が欲しいからではなく部材を欲しい人が多かったからです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC