信義を守る世界4(ロビー活動と正義2)

昨日(11月19日)書いたようにどこもかしこも嘘でも何でも宣伝合戦の時代ですが、これを受入れる政治形態の国が幅を利かしていることがその大本の原因です。
日本のような信義を重んじる国ではあることないこと嘘で塗り固めた陰口ばかり言っている人や組織は存在が許されなくなる社会ですが、日本以外では真偽を問題にせずにそんなことよりも(有力政治家をロビー活動で取り込んで・・)大きな声で繰り返した方が信用される変な社会になっています。
言論表現の自由とは言うものの、今では壮士が街角で演説する自由ではなく、ネット社会では巨額資金をつぎ込んで一方的な意見交換会や広報をユーチューブで流すなど資金力次第になっています。
アメリカ的正義では、言論市場で勝敗を決めれば良いというのですが、この後で米大統領選の資金獲得競争を紹介しますが、資金の多い方が勝ってしまう言論市場の時代・・昨今の大量広報時代の正義とは何かということです。
我が国で言えばマスコミによる韓流の売り込みに辟易した人が多いと思いますが、辟易した何倍もの人たちが宣伝に乗ってその気になってしまった筈です。
大衆というのは勝ち馬に乗りたいというか、大量情報の方を正しい・・乗り遅れないようにしようとする性向を有しているからです。
自己判断力のない庶民としては、大きな流れに乗ろう/乗り遅れまいとする生き方に徹しているのは、正しい生き方でしょう。
我が国ではそれでも積極的に嘘を報じるのは恥ずかしいという道徳がありますが、他所の国では異民族の入れ替わりが激しかった歴史があって、(企業に就職しても終身いるつもりがなく転々するのが原則的志向)日本のように長期的交際を前提にしない社会であれば、5〜10年先に嘘がバレてもどうってことはない・・目先「誤摩化してもさしあたり得すれば良い」という短絡的志向になり易いのでしょう。
世界中が信義に反する価値観を共有している社会なので、お互い虚報宣伝合戦・・これが気に合うでしょう・・になっているのですが、日本だけが宣伝合戦に取り残されて来たように見えます。
私はそれでも虚報合戦に参加せずに、日本はそれに使うヒマや資金があればより良い物・文化をしこしこと作って行く方に精出した方が良いという意見で、このシリーズを書いています。
私はトヨタ社長の姿勢・黙って我慢の姿勢を貫くことが、日本の長期的信用になるという考えでトヨタ社の対応を支持しています。
同じようにいろんな国際紛争に対しては、ある程度日本の正しい考え・事実を伝えて行く必要があると思いますが、感情的反発をするのは日本のレベルを相手のレベルに下げてしまうので良くないと思います。
話を明治初期の対朝鮮問題に戻します。
李氏朝鮮王朝は日本と協力して国内改革によって日本と手を組んで欧米に対抗するよりは自己保身中心でした。
日本政府は日本だけで欧米に対抗するのは無理・・すなわち植民地化されてしまう恐怖があったので、何とかして朝鮮を味方に引き込むことが生命線でした。
朝鮮国内で民族意識に目覚めて危機感を持った愛国者との連携して属国で充分とする李氏朝鮮・・専制君主制打倒に協力して行くことになります。
その結果王朝打倒に成功して大韓民国が成立し、そことの協調によって植民地ではなく併合になりました。
しかし、いっしょになってみても日本のように庶民教育の歴史経験がないので、先ずは朝鮮民族の底上げのために国内同様に普通教育の普及に邁進しました。
元同根ですから教育さえすれば、日本人と同じレベルに達する筈と思っていたからです。
今でも教育投資はお金のかかるものですが、すべて日本本国からの税を投入して始めたもので、搾取どころではありません。
日本国内の場合、江戸時代からの寺子屋や藩校・・あるいは私塾などの庶民教育熱の歴史がありますし、京都の最初の小学校設立などの事例でも分るように、地元有志が資金を拠出して始めるものです。
朝鮮には公共のために自費を出すような公共思想がなかったし、庶民教育の歴史がないし、下地になる教場自体がありません。
資金提供するような有志など存在せず土地提供もないので、日本本国からの税でマトモに賄って出来て行きました。
その分、日本本国で普及させるよりも教育費・・教える人材も育っていないので大変です・・がかかっていたのです。
こうして日本がせっせと投資した設備・資産を、韓国や北朝鮮は日本が戦争で負けて弱体化したことを良いことにそっくり無償で自分の物に横領してしまったのです。

信義を守る世界3(ロビー活動と正義1)

バブル崩壊に対する智恵の浅い経済学者による処方箋どおりに政策運営しない日本の金融政策に対して非難轟々でしたが、アメリカや欧州で実際にバブル崩壊が起きてみると20年以上も前の日本の対応が結局一番良かったことが分って来ています。
経済学者等ちょっとした秀才の考える底の浅い能力は、古来から鍛え抜かれた日本の智恵に遠く及ばないことが実証されてきました。
(欧州危機に際してIMF型秀才の発案はアジア危機で失敗だったことが実証されて、今回はむやみに緊縮を求めない方向に推移しています)
日本は明治維新までは「信義を重んじれば最後の勝者になれる」という価値観で来たのですが、あまりにも欧米諸国が野蛮でしかも武力を持っている(アメリカ黒人奴隷の実態やアヘン戦争には日本人は心底驚きました)ので、相手の非違行為を許してしてやるだけでは、こちらが奴隷にされてしまいかねない時代であったことから、自衛のために富国強兵に邁進せざるを得なかったに過ぎません。
日本一国では獰猛な欧米に対抗し切れないので朝鮮にも協力を求めたのですが、李氏朝鮮は今の北朝鮮の将軍様同様で自分の地位さえ保障してくれれば、清朝への服属のママで良い・・清朝が駄目になればロシアへの従属で良しとしていました。
(これが西南の役の切っ掛けとなった征韓論の伏線です)
欧米の植民地支配は現地有力者を温存して間接統治するのが伝統的手法でしたから、(アラブの王様などを擁立したのも同じやり方です)朝鮮王族及び政府高官にとっては清朝に服属しているのも欧米列強の支配下に入るのも同じことですから、これで良いと言う姿勢でした。
我が国以外では、(日本人には理解し難いことですが・・・)為政者は国民・・将来の国家のためにどうかの視点よりは、自己保身が主目的で生きています。
我が国では天皇家に始まり下は企業経営者に至るまで、自分の保身どころか自分の命を犠牲にしてでも、一家や一族あるいは部下を守る行動基準の社会構造ですが、他所は違います。
例えば落城に際して城主が責任をとって腹を切る代わりに、城兵の命を助けてもらうなどは、日本では普通の価値基準です。
だからこそリストラが必要になっても、最後の最後まで決断出来ないし、イザとなっても配置転換を基本にしていて簡単に社員の首を切れません。
関ヶ原で負けた毛利や上杉家で領地・収入が大幅減になっても家臣がついて来たので収入に比べて大量の家臣を抱えて苦労した例でも分るでしょう。
ところで、国民がどうなろうとも国家がどうなろうとも、自己保身が第一である点は専制君主制か民主制かあるいは中国のような共産党独裁かによっては変わりません。
民主主義国家の本家であるアメリカ大統領もこの点は変わりません・・。
長期的に見て国家がどうなるかよりも自分が当選すること・自己保身(このために巨額の資金が必要ですが、この出し手に応援してもらうことが国家のためになるかどうかは二の次です)が先ず第1の関心であることは同じです。
民主主義政体と売国奴的為政者・あるいは中国のような賄賂政治の出現とは何の関連もありません。
だからこそ中国や韓国は、巨額資金を投じてアメリカでのロビー活動に邁進しているのです。
日本人の場合、そんな心理は全く理解出来ないし、そんな不当なことまでしたくないという意識が強いので、アメリカでのロビー活動資金を政府が出す方向にはなりません。
誠実にやっていれば理解してくれるだろう式の行動パターンで戦前も戦後も痛い目に遭いながらも現在も踏襲しています。
戦中戦後で言えば、援蒋ルートなどアメリカの応援を引き出した蒋介石の奥さんが美人だったし有名です。
日本人の価値観から言えば不正なロビー活動の御陰で日本は戦前戦後を通じてアメリカ政府の覚えが目出たくないという意味では、ものすごく割を食ってきました。
数年前には根拠のないトヨタ叩きにイキナリ火がつきましたが、これは韓国のロビー活動によったものだという噂がもっぱらです。
(単なる噂であって嫌韓派によるデマかも知れません・・この種のことは、刑事事件にでもならない限り誰も真実を知ることが出来ません・・だからこそやり得になるのでしょう。)
結局インチキな被害情報だったことが分りましたが、実際に被害を受けていないのに名乗り出ることなど慰安婦問題とそっくりの構図です・・。
しかし、今回は対象が客観的な車の性能に関するものなので、被害情報は虚偽であったことは一定期間でバレてしまいましたが・・・バレることは計算済みだったでしょう。
バレてもこの間に韓国製車の売上を伸ばす・・一旦顧客を奪ってしまえば有利・・トヨタに対するクレームがインチキだったと分っても分るまでの間に一旦購入してしまった客は3〜5年以上は乗るしかないので、その間に整備その他継続的ないろんなサービスで自分の客にしてしまえる大きなメリットがあります。
それに騙された客の心理として「自分はデマにオドロされた」と思いたくない・・「やっぱり韓国車の方が良い」と言い張りたい人が何割か増えるメリットもあります。

信義を守る世界2

アメリカが小国の核兵器保有熱を冷ましたければ、経済制裁等腕力によるのではなく、自らが核兵器を持たない国に対する武力行使(通常兵器による場合を含めて)その他腕力による強制を抑制する姿勢を示すことが先決です。
勿論中国も理不尽な武力行使を控える姿勢を示すことが必要ですが、意識が約100年遅れている中国には難しいことでしょう。
それでも世界平和のためには、憲法前文の精神・・国際信義の存在を信じて行く・・を普遍化するには、世界統一政府が出来るまでは不正品・不正行為その他の解決は、市場経済原理(条約・商道徳を守らない国に対しては取引を縮小するなど)で解決して行くのが正しい選択です。
信義だけに頼るやり方では悪いことをしてもマイナス効果が出るには時間がかかりマドロッコしいですが、縄文以前の昔から濃密な人間関係でやって来た日本ではこれ・・長期的な信義を重んじる価値観道徳が実現しています。
ここ数日前からある刑事事件を担当していますが、共犯者は幼なじみ同士で母親も知り合いという関係ですが、どちらもうちの子の方が悪いという態度で相手に責任を押し付けるようなことはありません。
刑事事件では最近の若い弁護士の立場ではアメリカ風に共犯者同士で戦う・・・相手が主役で自分が脇役と主張して行くのが普通ですが、本来の日本の美風では「俺が責任を取る」と先に言う方が尊重されていました。
友人と食事した後に自分の方が払うと言い、お金の払い合いの競争があり、その後でおつりを受け取る受け取らないの競争があって、結構大変だという記事が今日の日経新聞にも出ていました。
日本では相手が払ってくれるのをそのまま知らん顔して待っていれば、得するという態度は許されません。
上記刑事事件の示談でも同じ光景でした。
被害者は品物がそっくり返って来たので窃盗被害自体は1円もないのすが、営業が中断されたり警察に呼び出されて聴取されたりしてかなりの迷惑がかかっているのですが、被害者の方からいくら弁償してくれとは言えないのが日本的美風です。
犯人側(弁護士)の方から、「ご迷惑をおかけしましたのでこの辺で・・」という解決金を包んで行って相手も「お金まで要らないんだけどなあ・・」という所で、「ま、そう言わずにお受け取り下さい」の繰り返しで示談が成立しました。
日本社会の美風は自分から要求するのはハシタナイと言うか仕方なしに受け取る・・あるいはレストランの会計の場で何回か押し問答をした挙げ句に「ではお言葉に甘えてごちそうになる」というパターンになっています。
これを国際関係に及ぼしても、債務不履行・約束を破ったからと言って、短絡的に法による強制→武力侵攻するのではなく、デフォルトする国には今後物やサービスを売らない・・今後お付き合は遠慮しますという個人破産と似たような態度で臨めば良いことです。
今回中国の反日暴動に対して、邦人保護のためと称して戦前のように軍隊を出さずに今後は中国への経済進出・技術協力を抑制する・・・信用毀損行為があれば、それに応じた行動をとれば足ります。
少しでも損をすれば直ぐに何らかの仕返しを主張する右翼の言動は、アメリカや中国等の文化度の低い国と日本を同じレベルに落としてしまうことで恥ずかしいことです。
日本を除くすべての国が小学生レベルの短絡的行動レベルであると繰り返し書いてきましたが、マスコミはこうした短絡的見え透いた行動を「戦略的行動力」と絶賛し、日本の政治家にはこれががないと批判していますが、見え透いた行動を戦略的と賞賛するマスコミ人の意識自体・・レベルの低い話です。

信義を守る世界1

強国は・・何をしても良い・・どんな違法行為をしても国連は懲罰しない・・何らの制裁も受けない現行世界秩序は、武力の有無・強弱程度を前提に国際秩序・正義の基準を作っていることになります。
日本とドイツの戦争行為を違法視して米英仏が主導して戦前秩序を批判して作った筈の国連が、結局は国際連盟以上に武力中心の国連秩序を構築をして自分たちが支配者に居座ったのですから、そのこと自体で日本に対する軍国主義批判は矛盾していることになります。
ちなみに日本の場合、軍部の政治進出を非難されていますが、歴史上(ローマのカイザルの例に始まり)どこの国でも戦時下では軍部に一任するのが原則です。
戦後秩序に関しては、ソ連による北方領土の占領と竹島占領は、戦後の実力行使ですが、国連は何もしてくれませんでしたし、日本に対しては国際政治道義を守れというばかりです。
現在の世界秩序はその根底が武力原理によって成り立っていることが、上記の例や戦後中国によるチベット占領やソ連によるチェコやポーランドでの大々的弾圧の黙認等でも明らかですし、一旦中国の支配下に入ると中国による非人道的支配に如何に多くのチベット人が焼身自殺しようとも、世界は黙っているだけです。
アメリカや常任理事国(中国のチベット占領やソ連時代のチェコやポーランドへの侵攻など)による理不尽な武力行使を誰も止められない現実が続いたからこそ、小国でも核兵器さえ持てば同じ立場になれる・・あるいはチベットのような悲惨な目に遭わないで済むという気運が生じてしまいました。
国内政治でも同じで、政権が不当なことをしていれば反抗する者が出てきますし、これに対してむやみに弾圧すると、抵抗勢力が生まれて彼らも武器を持つようになります。
日本が江戸時代あるいは明治以降も平和で安全な社会でいられたのは、為政者が無茶をしないで来たからです。
(女性が夜道を歩いていて何の心配もない安全な社会は江戸時代に始まったものではありません・・義経物語で有名な金売り吉次が商人数で金の運搬をしていた例でも明らかなように、・・仮に物語は当てにならないとしても、女性の旅行記である更級日記でも分るように、平安時代の昔から安全な道中は保障されていて・西洋やアラブのように軍隊的隊商を組む必要のない社会でした。)
為政者や強者が相手が弱いと思って無茶をしない社会では、下々まで自衛のための武器を必要としません。
これが秀吉の刀狩りが成功し、現在に連なる平和・安全社会を作って来た社会的基礎です。
上は下々を気に配って経営する伝統は企業文化としても健全に引き継がれていますから、戦後何でも欧米の真似をして・・あるいは企業経営者や支配者は悪い者の集まりだというアメリカの宣伝教育(欧米ではそれが普通なのでしょうが・・・)に乗せられて(横文字を縦書きにすれば進歩的文化人という風潮もあって)ストライキが流行りました。
しかし日本の企業経営者のスタンスが欧米とは根本的に違うのですから、「相手が黙ってればいくら搾取しても弾圧しても良い」と言う欧米経営者・植民地支配のやり方を(学校教育・・経営者は悪者的養育)前提にしたストライキをしても意味がないことが分って来て、社会が落ち着くに従って労働争議は減ってきました。
(これに連れて共産党や社会党の支持者が減ってきましたが、日本国民の政治意識が低いのではなく、何周回も欧米よりも社会意識が先を行っているという私の意見の根拠です)
欧米の真似をして日本でも同じような非人道的な弾圧・搾取があった筈だという想像から「カムイ伝」など戦後多く書かれていますが、日本の一揆と言っても平和的なもので皆殺しになるような全面戦闘行為はありませんでした。
大衆動員して集団直訴すると農民の責任者が処罰されるものの、同時に治世不行き届きの廉(かど)でその大名家も取りつぶしになるのが普通でしたので、一揆をするという脅しで大体解決していたのですから、歴史事実に反した創作です。
むしろ旗本などの領主がムラ役人連名の「今年はこれだけ」という「お達し」をされて、これを受け取ってあるいはもう少しの増額要求の交渉をするなどして漸く生活していたもので、どちらかと言えば居候みたいな弱い立場だったことが分ってきました。
最高権力者である将軍吉宗でさえ、年貢の比率を農民代表との取引で決めるしかなかったの(この交渉が大変だったことが知られています)ですから、大名家も同じように年貢比率は地元代表との話し合いで決めるしかなかったように思われます。

国連秩序と核兵器拡散2

私は以前世界平和・・公正な世界の実現を本気で願うならば、世界中の国々(国の規模の大小にかかわらず)が核兵器とその運搬手段を一定量保有すべきであると書いたことがあります。
軍縮よりも核兵器保有の普及こそが、核兵器の報復が怖くてどんな大国も武力に訴えられませんから、本当の世界平和・本来の正義を招来する筈です。
軍縮では、平和を守れませんし正義も守れません。
1万の軍備を相互に5000に減らしても、更に3000〜1000〜500〜100と減らしても、お互いに似たような兵力である限り腕力に訴えたい人がいる限り戦端は開かれます。
昔から刀や槍しかないときからでも、(そのもっと前・青銅器しかないときからでも)戦争はしていたのです。
ですから、相互に兵器や兵力をどこまで減らして行っても、(軍事費に使わない分民生が豊かになりますが・・)平和維持には効果がありません。
(戦争になれば双方共にいつでも兵力増強可能です・・・軍縮交渉の場合、兵器生産能力以下に無理に削減しているので、イザとなれば直ぐに生産拡大が可能です。)
ましてやこれまでの軍縮交渉の歴史を見ると、国力と言うか、現状兵力比を前提にして、同率で兵力削減交渉をするものでした。
これではどこまで行っても兵力格差がそのままですので、言わば過去の実力差を固定しようとしているに過ぎず、新興国は不満を抱くことになり却って国際秩序が不安定になります。
第二次世界大戦前の軍縮交渉・・米英仏日独伊の戦艦比率を決めたワシントン軍縮会議に続くロンドン軍縮会議(条約)がこれでした。
軍縮の逆張りで、弱小国にいたるまで核武装と運搬手段を保有出来るようにすれば・・大国も全く手を出せないから武力に訴える紛争解決は皆無になります。
(米ロだけで使い切れないほど核兵器を持っているのですから、毎年最新式の核兵器を世界中の国々へ配給制にしたら世界中の軍事費が何百分の1に減るでしょう)
イランや北朝鮮の行動は、アメリカによる理不尽な攻撃の繰り返しに対する対抗手段獲得・・あるいは戦後の武力基準の正義に対する順応行為と言えます。
彼らは核兵器を広めることによって、世界平和に貢献するつもりではないでしょうか?
核兵器を拡散させる方が、戦争発生を抑制し世界で正義が守られる・・武力解決が皆無になるという意見を06/20/06「核兵器7と通常兵器(偶発戦争の確率3)国際秩序1」前後で連載しました。
どんな小さな国でも核兵器を持っている時代になると理不尽な行為・違法行為に対する制裁が出来なくなると思う人がいるでしょう。
しかし・・世界の警察官役としてのアメリカあるいは超越した強国が必要という意見は、世界の紛争解決手段を武力解決に頼る意見と同じになります。
アメリカあるいはその次に出て来る強国の意見がいつも正しい訳ではないのですから、おかしな論法です。
国連常任理事国に対してだけ拒否権を認めるルールは、この理事国らにだけ超法規的存在を認めることになりますから、これら強国の主張する正義だけを保障する・・裏返せばそれ以外の諸国は強国の主張する正義に従わねばならないことになります。
その差別基準は強国か否かというだけですから、正義の物差しによる合理性・保障がありません。
アメリカが覇者の時代にはまだ表向きだけでも「民主主義を守る」「人権を守る」と言う大義名分がありましたが、中国が覇者になる時代が来ると彼らは表向きも金儲けだけですから、(人のものを剽窃することすら問題にしない)(アヘン戦争の例で見るように)何ら名分がなくとも好きなように侵略しても良いというイギリス主導の19世紀型剥き出しの武力主義の時代に逆戻りする可能性があります。
ここに来て、世界中が自分の家を自分で守るしかないという意識に目覚めて来るのは当然です。
常任理事国を決めた基準は、国連創設当時の大国・武力強盛国だというだけですから、戦後の国連体制は、武力による懲罰出来ない強国を超法規的存在として認める価値体系にせざるを得なかったことになります。
戦後世界は「強国の判断だけが正義」の価値観を体現して(好きなことをして)いたのがアメリカだったし、これを露骨に実現しようとする中国の粗暴な対応によって、戦後の価値基準が武力にあると言うことが白日の下に曝されることになりました。
これに対する小国の最適対応としては核兵器保有願望・行動となるのは当然です。
通常兵器拡大競争は際限がないので世界全体で経済的に疲弊しますが、核兵器の場合、一定量持てばそれ以上は不要ですから、経済的にも少額で済みますので中小国に有利です。
(あるいは世界全体で見ても軍事費が低額化して民生が豊かになる全世界的メリットがあります。)

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