万物共生3(器物損壊罪から動物愛護法へ1)

月1回程度のペースで東京地裁での午前中の弁論等の機会に、歌舞伎公演その他各種観劇等を妻とともに楽しんでいることを、このコラムで紹介したことがあります。
坂東三津五郎主演2012年10月に国立劇場(今は歌舞伎座が新築工事中です)で観た「塩原多助一代記」(初代三遊亭圓朝が創作した落語・人情噺。明治11年(1878年)の作・実在の塩原太助をモデルにした立身出世物語)を紹介しておきましょう。
「あおの別れ」の場面では、可愛がっていた愛馬「あお」との別れの場面が描かれますが、その何場面か後の最後で「あお」が殺されたと聞いて太助がおいおいと大泣きする場面があります。
親友が殺された情報よりも、愛馬が殺された情報に感極まる設定自体、期せずして我が国の動物に対する心情・・人間と動物を分け隔てしない心情が良く表されていると思います。
この場面が見せ場ということは、観客である日本人の多くがそう言う心情を共有しているということでしょう。
平家滅亡の始まりである以仁王の挙兵に連なる源三位頼政の挙兵の端緒は、息子の愛馬に関する平家の公達との確執が始まりでした。
(物語ですから事実かどうか分りませんが、この部分が国民の共感を呼ぶから千年単位で語り継がれて来たのでしょう)
戦時中の食糧不足で動物園の象が衰弱して死んで行く様子が繰り返し痛恨事として報道されています。
最近の原発事故による避難命令によって家畜を連れて行けなかった人たちが、一時帰宅が許されると、マッ先に涙ながらにやせ衰えた牛の餌を配って歩く姿が報道されていましたが、肉牛用であろうとも一緒にいる限り自分の子供に対するような愛情で接しているのが日本では普通です。
類人猿やオランウータン等の高等動物の研究で日本の研究水準が世界で群を抜いているのは、元々相手を自分と同格者として共生して行く基本思想があるから理解しあえるのではないでしょうか。
西洋では何の根拠か知りませんが、人間を万物の霊長として(何事も他者との差別化が基本の社会です)それ以外は物体(石ころ)扱いです。
民法のコラムで紹介したことがありますが、ローマ法に起源のある現在の法律では、人以外はすべて「物」と定義されています。
ここで項目だけ、その配列を紹介しておきます。
民法
(明治二十九年四月二十七日法律第八十九号)

 第二章 人
   第一節 権利能力(第三条)
   第二節 行為能力(第四条―第二十一条)
   第三節 住所(第二十二条―第二十四条)
   第四節 不在者の財産の管理及び失踪の宣告(第二十五条―第三十二条)
   第五節 同時死亡の推定(第三十二条の二)
  第三章 法人(第三十三条―第八十四条)
  第四章 物(第八十五条―第八十九条)

上記のように西洋法の体系では、先ず権利主体になり得るのは人だけであり(死亡により人ではなくなります)、これには自然人と法人の2種類が規定されています。
そして、人が利用し支配する客体としての「物」が規定されているのですが、上記のように人以外はすべて「物」として定義されていますので、すべての生物・・動物も石ころ同様の「物」です。
西洋から伝来した近代法では、犬を殺しても従来(動物愛護法等が出来るまでは)は器物損壊(不良が校舎の腰板を蹴飛ばしたのと同じように・・)になるだけでした。
器物損壊罪は他人の物を壊したときだけですので、自分の飼っている犬・猫を殺しても犯罪にはなりません。
その上、近所の犬や猫等を殺しても、その買い主からの告訴がない限り処罰出来ませんでした。(親告罪)

刑法
(明治四十年四月二十四日法律第四十五号)

(器物損壊等)
第二百六十一条  前三条(公文書等の場合・・・イナガキ注)に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
(自己の物の損壊等)
第二百六十二条  自己の物であっても、差押えを受け、物権を負担し、又は賃貸したものを損壊し、又は傷害したときは、前三条の例による。
(親告罪)
第二百六十四条  第二百五十九条、第二百六十一条及び前条の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。

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