民主主義と正義5

フランス革命当時は政権が民選・民意によるとは言うもののその内実は・・選出母体を王族から有産階層に広げさえすればよかったのですから、王家から次順位の貴族層に支配階層を広げるのがものの順序とすれば、貴族層や騎士層はブルジョワジーに飛び越されてしまったことになります。
ついでに、我が国の流れを概観しますと、天皇家と大豪族蘇我氏等との権力争いを経て天武持統朝が確立した後に貴族層トップの藤原氏に実権が移り、その次に武家の貴種である源平の政権となり、応仁の乱を経て更に下位の守護地頭(大小名)クラスの武家政権(織豊から徳川)が続き、明治維新では下級武士プラス庶民クラス(制限選挙→普通選挙)に政権が移るなど順当な流れです。
いつも次順位実務家として経験のある階層に政権が移って行くので、政権担当能力/政権運営によどみがありません。
話題をフランス革命に戻しますと、反王党派は政権担当者を決める権限さえ奪い取れば、その政権の政治目的自体は正義でも不正義でも何でも構わなかった・・政治目的を問題にしていなかったと思われます。
この点は革命後植民地(人種差別の制度保障です)獲得競争等に精出していたことや、国内的には弱者である労働者階層への思いやりがなかったことから明らかなように、正義の価値観(民・強弱老幼男女すべてを中心にする福利の思想)などまるで持っていなかったと昨日から書いて来たとおりです。
フランス革命の成果は自分たちで政治家を選出すれば、自分たちにとって悪いような政治をする筈がないという程度の共通認識だったでしょう。
彼らブルジョワジーは選出母体になり、自分たちの代表さえ出せればよかったのです。
昨日のブログ最後に書いたfor the peopleのピープルとは字義から言えば民衆ですが、実際に意味したところとしては、「選出母体」のためにと訳すべきだという根拠です。
民主政体とは選出母体のために精一杯働く政治のことです。
古来から他者を思いやる余地のない社会であるから抑圧に耐えかねて暴動が起きるし、その結果政権が倒れるのですが、今度からは思いやりのある政治をしようというのではなく、打倒した方は今度は自分が搾取する良い方に回ろうとするだけの変化を繰り返して来たのが中国の歴史(専制王朝の繰り返し)でありフランス革命です。
革命とは言っても、政治目的を構成する人間みんなの幸福のための政治する目的ではなく、自分たちも為政者選出グループに加えてもらって自分達も良い思いをしたいと言う目的の革命だったのです。
為政者は被支配者を抑圧し搾取するものであると言う点をそのままにして、あるいはそれを前提にして選出母体枠を広げて「自分たちも選出母体に含めて搾取した結果の分け前を貰える立場にしろ」という意見を実現したことを革命と言っていることになります。
現在の中国共産党政権の腐敗をしきりに先進国では問題にしていますが、フランス革命同様に政権樹立に功績のあった共産党が支配権を握った以上は、その分け前にあずかるのは当然です。
幹部あるいは中堅幹部から末端に至るまで分け前を貰うための組織ですから、彼らがうまい汁を吸っている事自体異とするには当たりません。
為政者の選出母体の利害に応じた政治をする・・被支配者から搾取出来るだけ搾取するという思想が行き着く所、代表を出せる階層にとっては我が世の春・平家の公達になったみたいですが、代表を出せない階層はやられっぱなしになる社会のままですから、(支配階層=搾取する人数が増えた分だけ)革命前より悪くなったでしょう。
選出母体の利益追求政治が行き着く所・・一方ではアメリカの独立(代表なければ課税なし・・)に繋がり、他方では有産階級の代表だけではなく労働者階級も自分達も選出母体にしろとなって労働革命思想が生まれてきます。
代表を出すための競争社会とは、他者を思いやる政治を目標とするのではなく、自分達のグループ利益を際限なく追究する社会(即ち他グループの利益排除)を前提にしています。
民主主義体制とは血縁政治から脱却して、為政者選出母体になる競争社会になったことを意味し、この社会では階層・集団グループごと(政党の発達)に自分たちの利益代表を必要とし、その支持を受けた政治家は支持者権益の実現を図ることが賞賛される社会となりました。
この競争社会では、為政者選出権獲得競争に敗れた少数者の権益を排除して政治をする(平家が勝てば源氏を排除し、徳川が勝てば豊臣は滅びます)・・エゴ追及を基本とする社会と同義です。
少数意見の尊重というものの、これは少数意見を排除する前提・原則があって(敗者にもある程度配慮しろという意味で)生まれた言葉であって、せっかくしのぎを削って競争に勝って政権を獲得した以上は、支持母体の利益追求に邁進したいし、するべきは当然です。
そうでなければ、支持者に対する背信行為となるでしょう。
我が国は古代から国民全体の福利増進が政治の至上目的でしたが、西洋で発達した民主主義政体は本質的にエゴの追及を基本とする(民主主義の進展と対をなして発達した資本主義経済も同様です)ものであって、国民全体の福利を考える政体ではありません。
ただし、個々人が飽くなき利益追求をする資本主義経済は結果的に文物が発展して社会全体の利益になるし、政治も支持者獲得競争が、(有権者層の拡大によって)結果的に多くの国民の利益実現目的になって行くことを否定しているものではありません。
ここでは革命時には、限定された有権者が前提になっていて=有産階層の利益実現だけが目的だったので、本来的な「万人の幸福」と言う正義の価値基準がセットされていなかったことを書いています。

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