シビリアンと信教の自由3(共産主義とシビリアン)

フランス革命では政体がどう変わろうとも(途中王制復活もありましたが共通の敵?)キリスト教の千年以上にわたる思想・内心統制の復活だけは怖かったのです。
何か外形行為をして処罰されるのはまだ防ぎようがありますが,黙って考えている内心を審査されて処罰されるのって,恐るべき支配です。
内心をどうやって第三者が判定出来るのかの技術問題から,証拠裁判主義の原理が生まれて来たし,証拠と言っても自白だけではなく補強証拠がいると言う原理も生まれて来ました。
自白等に関する証拠法則についてはDecember 9, 2014, 「証拠法則と科学技術5(自白重視5)」前後で紹介していますので参照して下さい。
しかしそれは言わば瑣末な技術論であって,そもそも内心自体を支配しそれを理由に処罰出来る原理・・一神教原理の恐ろしさの自覚・・フランス革命当時の市民はこれからの解放を切実に望んでいたことの理解こそが重要です。
内心支配=違反者処罰の思想が多神教社会では起きようがありませんから,破門されると逃げ場のない社会・一神教支配と表裏の関係にあったことが分ります。
フランス革命の経験では,政体がどのように変わろうとも,市民の心の中まで・日常生活のあり方まで根こそぎ規制する教会・聖職者・・これの強制装置である軍の復権に対する恐れがあったので,これのお目付役としての「シビリアンコントロール」をコトの外重視して来たことが分かります。
制度上信教を自由化しても簡単に社会に根付くものではありません・・いつ反動・復活し、権力と結びつくか戦々恐々だったし、革命の混乱中に王党派などの乱立がありましたが,キリスト教支配復活を主張する党派は成立していません・・それほど警戒されていたのです。
欧米でシビリアンコントールを重視する歴史経緯・元はと言えばキリスト教による内面支配に対する市民の警戒感から始まっていることをこのシリーズで書いて来ましたが,これの反革命・・信教の自由違反を潜脱し一神教支配を復活したのがソ連共産党一党独裁制です。
共産党は宗教ではないから,単なる一党独裁に過ぎない・一党独裁に反するから?宗教自体を認めない・・信教の自由を侵害するものではなくこれが近代社会の究極の形・・市民社会よりも進んでいる?と言う変な論理です。
政権の気に入らない人物の行為を咎めて共産主義主張に反する反党行為であると烙印を押しては粛清・・シベリア送りや処刑する・・芸術表現から何から何まで思想統制していたのですから、結果から見れば近世の魔女裁判との違いが不明で実態は排他的新興宗教そのものでした。
結果から見れば,魔女裁判との区別不明・・いわゆる人民裁判と言うやり方で吊るし上げては、徹底的に排撃していた中国の文化大革命を想起しても良いでしょう。
ちなみに専制君主と絶対君主の違いは一般の説明では分り難いですが,私の大雑把な(粗い)独自解釈では過去から積み上げられた宗教解釈のルールに一応従っているのが西洋の絶対君主(王権神授説はでキリスト教の範囲内で支配する意味)であり,宗教ルールも何も基準がない・・君主の恣意的基準で処刑出来るのが専制君主であると言う使い分けが可能です。
ロシア革命の結果出来た共産主義政権は,専制君主制と一神教による絶対君主制との(支配者にとっては)いいとこ取りみたいな専制支配政体です。
こう言う制度が成立したのは,ロシアが古代社会状況に留まっていたところに近代生産技術を上から導入したことと密接な関係・・先進国の技術導入・模倣するのがやっとでその次の自由な発想を必要としていない・・まだ思想表現の自由を求める市民階層が育っていなかった・シビリアンと言う抵抗勢力がなかったことによります。
人民にとっては,(共産主義思想と言う基本基準・スローガンに毛が生えたような程度?はあるもののキリスト教神学ほどの学問蓄積がないので共産主義の外延が不明です)いつ反党分子の烙印を押されるか不明・・自衛するスベがない点では恐怖政治・・いわゆる収容所列島になります。
専制君主制のときは恣意的基準で君主の癇に障ると一瞬にして文字どおりクビが飛びましたが,その代わり強い者にへつらいさえすれば良かった・内面までチェックされることはありませんでしたが,共産「主義」社会になると「主義」に反する思想かどうか・・内面まで規制される窮屈社会になります。
共産主義は経済原理である以上,日々新たに起きる(国内だけでなく国外の変化があります)経済変化対応が必須ですから、共産主義の内容はキリスト神学のように特定時期の理想に固定出来ません。
社会や産業構造の変化に対応して現場で工夫するといつ共産主義の範疇を越えている反党行為として粛正されるか不明になります。
例えばレーニンのネップ政策のように一歩後退路線も政策的には(物事には妥協が必要です)有効でしたが,これを中下位幹部がうっかりやると粛清の標的にされる恐れがありました。
こう言う政体下では,西洋中世以上の暗黒社会ですから,活発な創意工夫が生まれるわけがない・・せいぜいアメリカの技術を盗んでは真似する・・これは国策ですからお墨付きがあって安心です・・のが限度ですから,(ロケットなどは大資本を掛けて盗めますが多種多様な民生技術窃取は無理なので)民生レベルが低下する一方になった原因です。
中国やロシアでロケットを飛ばせても、おいしいご飯を炊ける電気釜やウオッシュレット、クルマのエンジン1つ国産技術で作れないと言われている原因です。
両国共に国民がスポーツを楽しむ余裕が無くてオリンピック種目だけ集中練習させても、国民の体育レベルが上がるものではありません。
ソ連崩壊後にロシアが政治経済の自由化をしたらめちゃくちゃになった・・揺り戻して身の丈にあった,プーチンによる事実上の独裁制に戻って一息ついているところであるのに対し,中国の場合、改革開放政策がロシアよりうまく行っているのは,辛亥革命まで専制支配しか知らない民族とは言え,社会の発展段階がロシアとは格段に違っていたことにあります。
ただし、中国がロシアより社会構造が進んでいるにしても,日本のように千年単位の時間をかけて健全な市民階層(日本の場合武士層)を育てていなかった点は同じですし,これが一党独裁制(形を変えた専制支配)が未だに機能出来ている根拠です。
中国の社会構造は1君万民体制とは言え,極く少数とはいえ士大夫層が数千年単位で存在していたし,政体・・政治権力と関係なく商業活動は活発でした。
これは以前から書いているように中国地域はメソポタミヤ文明の先進商品販路の最東端として,(ずっと後世の名称ですが)過酷な中央アジアの通商路・シルクロードを経由して来て山を越えて初めて出たところ・・山々を越えて黄河上流域から入って来て一旦落ち着いた場所が黄河文明と言う位置づけです。
伝説上の古代王朝殷を中国では「商」言いますが,まさに「商」のクニが始まりです。
そこから河川沿い拠点を広げて行った歴史・・都市国家・・拠点網の形成から始まったこととも関係しています。
黄河文明?はメソポミヤ文明の東端商業拠点として始まったもので,独自文明ではないと言う意見を10年ほど前から書いて来ましたので,参照して下さい。
攻略軍が入城すると城内の有力者が祝いの酒をもって出迎える・・誰が勝っても(異民族でも)商売さえ出来れば良いのですから,これが古代から繰り返された風景で・・日本軍の南京入城も同じですから,出迎えた南京市民を大虐殺するわけがないのです。
どの政体・異民族も,城内進軍しても折角手に入れた都市の商売を潰すわけに行かないので,(上澄みとして商業社会と関係なく祭り上げられて来ただけ・・特に異民族支配のときはこれが顕著)先行している商業社会そのものを破壊する能力がなく,商売人自体は支配者の変更に関係なく連綿と続いていたことをここでは書いています。
03/27/10「農業社会=世襲→封建制と商業社会=中央集権→専制君主制1」以降に書いたシリーズでは,商業と規制は表裏の関係で馴染み易いことを書いたことがあります・・専制支配と馴染みが良いのです。
物造りになると自由な発想が必要ですが,商人は売れ筋情報を逸早くつかんで・・情報収集に励み急いで真似する・・商機を早くつかんだ方が勝ちでその程度の自由があればその他は規制がきっちりている方が便利です。
これが中国の模倣・・ブランド窃取等に繋がりサイバー攻撃が得意なのは中国商人の歴史によります。
中国はロシアより社会構造が進んでいる面で共産主義の思想統制・内面支配が緩いだけのことで単なる専制支配+商業社会の焼き直し・現在的表現です。
この限界・市民社会未成熟=言論重視=約束を守る社会に至らない点で、限界に突き当たっているのが現状です。
先端技術を盗む・模倣し身につけるだけでは追いつくには容易でしょうが、自発的にその先に進むには限界がある・・世界を指導する模範社会になるのは無理があります。

マイナス金利の限界(三菱の資格返上の波紋2)

国債市場特別参加者制度を見ると、元々、特定グループを作って一定量の買い受けを約束をさせるのは、日銀のマイナス金利政策は市場実勢を反映出来なくなるリスク回避目的があったこと・・買い手がつかなくなってからでは間に合わないので早めにこう言う制度を作っておいたことがあきらかです。
日本は純債権国で資金余剰ですから、市場原理に任せておいても国際的に最低金利になるのは必然と言えば必然です。
しかし、国民はリスクがあっても他国の高金利債券等を選ぶ自由があります。
昨日外貨建債券発行が多くなっている現状を紹介しましたが、外貨建債券と国内債の金利差は、資金余剰国かどうかで決まるのはなく主として為替相場観によって決まります。
100%貿易自由化になっても物品やサービスの場合運賃やその後のアフターサビスの問題があって市場との距離が重要で、このため現地生産化が必須化しているのですが、金融商品の場合、物品と違って現物輸送がなくコンピューター処理するだけですから、日本との距離(野菜が古くなる)運賃の関係なく・瞬時に南アランドであれユーロであれ換金出来る・・両替コストだけです。
判断要素は為替リスクヘッジ程度ですから、物品や労賃に比べて国際平準化がすぐに達成出来ています。
以上の結果、資金余剰国だから金利が安くしても良いと言うのは国際化を無視した意見になります。
すなわち、トヨタ社債の場合どこの通貨建てであっても企業リスクは同じですから・・購入者が例えば3年程度で手放そうと思っている場合には3年先の為替リスクを考えて購入を決める・その間に円が発行国通貨に比べて3%上昇する読みの場合、金利が国内債より3%以上高くないと買わない・・為替相場観(個人の場合為替変動リスク回避のためのヘッジ能力がほとんどないので)に収束して行きます。
物品も純債権国・輸入資金が潤沢である限りその国の物価が上昇すれば、利を求めて安い国から物品・サービスが輸入されるので、日本だけが一方的に物価上昇し続けることはあり得ない・・輸入が増えることを繰り返し(安定的物価上昇目標はナンセンス)書いてきました。
逆に言えば中国から低賃金による安い製品(・・農作物から石化製品や鋼材に至るまで)が入ると日本国内物価が下落します。
中国の国際市場参加以来恒常的デフレ圧力に悩まされて来たのが我が国です。
原油相場を見れば分るように商品価格は、国際相場によって決まって行く時代ですから、1国あるいは数カ国の政策で、物価を上げ下げするのは論理的に不可能(我が国だけ物価を2%アップさせると言う日銀は素人の私が言うのは気が引けますが・・アタマがおかしいのか・・)と言うべきです。
資本・金融自由化が進んで来ると金融商品・債権株式相場も同じで、日本国内の金利を下げれば株式配当率が低くても株式を買うだろうと期待するのは、一時的な効果でしかありません。
金利安→配当率の低さ→国内資金が海外に逃避・投資するようになるのは必然・・金利も時間の経過で国際的に平準化して行かざるを得ません。
国内で日銀にゼロ金利近傍で社債発行しても国内投資家はそれならば国内で買わないで海外で買うようになる・・その結果日本企業のトヨタその他世界的日本企業が何%か上乗せ金利で海外通貨建てで社債発行するしかなくなっていることを昨日紹介しました。
日本企業が日銀に気兼ねして低利回り国内発行にこだわっていると日本投資家は日本企業の社債を買わない・・海外企業の高利回り社債を買うしかなくなってしまう・・日本企業が国内市場で資金を得られなくなります。
政府が金融に介入し過ぎた結果、国内金融機関が商売にならなくって来たようです。
金利低下が金融機関の営業利益を損なっていると一般に言いますが、利ざや縮小の問題よりは、公定価格になると民間活力がなくなって行く原理の現れです。
トランプ旋風その他金融関連に対する風当たりが強くなってきましたが、既に頂点を越えて下り坂・・地位喪失が始まっている後追いでしかありません。
この点でも日本社会は世界最先端を走っています。
日銀・官製相場に関連して株式相場についてちょっと書きますと、金利低下だけでは株式相場を維持出来ないので日銀が(国債だけではなく)上場投信(ETF)を直截購入していたのですが、7月29日にこの買入額を倍増して6兆円に増やすと発表していました。
(年金資金の株式購入比率アップもその一種ですが・・銘柄を特定していません)
これらの買い支え効果・・いわゆる年金・日銀相場・・官製相場に乗れば・・長期的買い支えは無理と分っていますが、短期的には損がないとばかりに投資家がトピックス構成株を売って、日経平均構成銘柄を買う歪んだ相場形成が始まっていると言われます。(今朝の日経新聞朝刊16p)
消費税から、国債や株式、金利政策と実勢相場に話題がそれましたが、ここで言いたいことはこれ全ての事柄は政府が国民からどうやって資金を吸収するかにアタマを悩ましている問題と関連しているからです。
私は、政府が資金を国民から吸い上げ(て頭の良い政府が使ってやら)ねばならないと言う政府・官僚や学者らの基本的視座が間違っていると言う意見でこのシリーズを書いています。
国民を豊かにするのが政府の目的であるとすれば、資金を国民から吸い上げるよりは国民の自由意思で使いたい消費を増やす方向へ政策の舵を切り替えるべきです。
資金をバラまいて国内生産を誘発するために政府が選別的に資金を使い、一方で日銀や年金資金を投入して株価維持するのは間違いです。
政府の力で市場操作することは、短期には出来てもすぐにメッキが剥げて大損してしまいます・・これは国民のお金です。

マイナス金利の限界(三菱の資格返上の波紋1)

三菱UFJ銀行のプライマリーデイーラー資格返上申請が大問題になっています。
http://jp.reuters.com/article/bk-mufg-bond-idJPKCN0YU0NN
2016年 06月 8日 18:15 JST
関連トピックス: トップニュース, ビジネス
焦点:三菱UFJの国債特別資格返上、決断の背後にマイナス金利
「[東京 8日 ロイター] – 国債市場を支えてきた三菱東京UFJ銀行の特別参加者(プライマリー・ディーラー)からの離脱は、日銀のマイナス金利政策によって市場構造が大きく変化している現状を浮き彫りにした。」
以下財務省「国債市場特別参加者制度」からの引用です。
http://www.mof.go.jp/jgbs/issuance_plan/pd/index.html
国債の大量発行が今後も続くと見込まれる中、我が国では平成16年10月以降、「国債市場特別参加者制度」を導入しています。これは、欧米主要国 において、国債の安定消化促進、国債市場の流動性維持・向上などを図る仕組みとして導入されている、いわゆる「プライマリー・ディーラー制度」を参考としています。
この制度は、国債入札への積極的な参加など、国債管理政策上重要な責任を果たす一定の入札参加者に対し、国債発行当局が「国債市 場特別参加者」として特別な資格を付与することにより、国債の安定的な消化の促進、国債市場の流動性の維持・向上等を図ることを目的としています。制度の 概要は以下のとおりです。
国債市場特別参加者制度 制度概要
特別参加者の責任・応札責任:
全ての国債の入札で、相応な価格で、発行予定額の4%以上の相応の額を応札すること。
・落札責任: 直近2四半期中の入札で、短期・中期・長期・超長期の各ゾーンについて、発行予定額の一定割合(原則短期ゾーン0.5%、短期以外のゾーンは1%)以上の額の落札を行うこと。
以下省略
上記のとおり(最低これだけは引き受ける安定消化の保障)条件で仲間入りさせる仕組みです。
日本の最大大手銀行がこれを断る・・特別な買い受け資格などいらない・・国債の安定消化を断わらざるを得ない事態が起きていると言う意味で激震が走っています。
ところで金融機関は本来一般から資金を集めて一般人には分らない有望投資先を見つけてまとめて投資したり融資するのが本来(は決済機能でしたが、この1〜2世紀に限る)の業務です。 
言わば政府が税を集めて道路や橋を造る・警察力などの公的制度維持するのに対して、民間需要に対しては民間の銀行が市場での需要に応じて資金分配する仕組みでした。
19世紀型政府としては、夜警国家思想が知られていますが、日本の場合明治維新以降欧米に追いつき追い越すための近代化資金として、郵貯制度を創設して民間から資金を集めて(国営製紙工場や製鐵その他)財政投融資して成功して来たことを紹介しました。
(この功績が大きいのでもはや無用になったからと、特定郵便局をむげに扱うことは許されません)
第一次世界大戦以降ケインズ説によって、日本だけではなく世界中の政府にとって財政投資政策の巧拙が重要になってきました。
安倍政権も「三本の矢」が知られるように経済政策が主要テーマになっていることからも明らかです。
金利水準だけを中央銀行が決めるとしても市場の資金需要とその配分・セールスを市場に任せていると、海外受注あるいは企業誘致(工場用地造成や固定資産税減免など)出来ない時代・・インフラ輸出その他政府が海外でトップセールスするしかない時代です。  
資金分配に関する政府の役割が大きくなる一方で市場の資金分配機能を見ると、株式市場に一般人が直截アクセスするようになった上に、各種ファンドが発達している結果、銀行の資金分配能力がなくなる一方ですから、銀行は資金を集めても何を出来るか(残っているのは祖業である決済機能だけか?)が問われねばなりません。
金融機関の使命低下・・喪失については、このコラム開始直後・例えば05/02/07「銀行の機能変化と銀行救済策12」以前から繰り返し書いてきましたが、リーマンショック以降の金融緩和・金利低下=紙幣のだぶつきが,唯一残っていた貸し出し機能についても致命的ダメージを与えたように見えます。
機能低下・・業務能力(資金分配機能や貸し出し)低下の結果、預かった資金をマトモニ運用出来ずに日銀に預けたり国債に滞留させて,確実な利ざやで儲ける無作為収入にあぐらをかいていること自体が産業としての存在意義がなくなって来た結果・・最後の足掻きだったのです。
本来の銀行業務をさせるためにも、日銀預金金利を下げて国債を日銀が買い上げて銀行には銀行の仕事させる発想は当然のことですが、国債金利もマイナス化して来ると全部日銀が買い上げてくれないと銀行が一部でも引き受けし切れなくなったのが特別資格の返上問題です。
これは、本当の市場需要がない・・マイナス金利は市場原理から見て無理があることを表しています。
無理に金融機関に引き受けさせるために一定の特典を与えるグループ化が、上記プライマリーディーラーシステムですが、一定率まで日銀が買い戻してくれる密約の恩典程度では・・100%買い戻してくれればリスクがないですが・例えば7〜8割しか買い戻さない場合,銀行は残り2〜3割を自力で売りさばく能力がない→エンドユーザーがいない・・国民がマイナス金利の国債を欲しがらないのは当たり前です。
私の場合、マイナス金利で敢えて買う気持ちがしない・・タンス預金にしておくか少しリスクがあっても、外債その他いくらでも投資先があるよ!と言うのが普通です。
三菱としては売り損ねて自己保有していると、将来の金利アップのリスクに耐えられない「損だ」となって来たのが(株仲間・ギルド資格)返上問題です。
末端の買い手がつかないと言うことは相場が高過ぎると言うことですから値引きして売れば良いのですが、それが何故出来ないかと言う問題です。
三菱銀行はリスクがあると思えば市場金利をつけて損切りすれば良いのです・・・・例えばゼロ金利で売れないが1%つければ(割引価格で)売れると思えば、その金利で売り出して損切りすれば良いことですが、それを1社でもやると日本国債の暴落・・日銀の無理なマイナス金利設定の崩壊が始まってしまいます。
三菱UFJ銀行の態度表明は「王様は裸だ」と子供ではなく大臣にあたる最大手銀行が「プラス金利でないと売れない」と言い出したことになります。
日本の代表的大企業がゼロ金利では、社債発行出来ないよと言い出したのと同じです。
ところで、何年も前からトヨタなど大手日本企業発行の社債が、南アランドやトルコリラなど何%の高利回り外貨建てで売られていて、これの営業を受けることが多くなっています。
買う立ち場になれば為替リスクのない円建て買いたいのですが、国内でゼロ%近辺の金利で発行したらいくらトヨタでも買い手がつかないので、金利の高い国の通貨でワザワザ発行しているようです。
外国の金融業者を儲けさせないで国内で売れる金利で発行すれば良い筈ですが、日銀の金利政策をコケに出来ない・・遠慮があるからでしょうか?
市場原理無視の金利政策は発行企業に、ワザワザ海外金融機関に頼んだり当地の機関に届けでるなどの手間をかけさせ、日本の社債発行機関の仕事を奪い海外為替の動きにうとい国民にリスク負担をかけるなど、みんなに損をさせている印象です。
三菱の資格返上問題は、日本の代表的大企業がゼロ金利では、社債発行出来ないよと言い出したのと同じです。

弁護士資格と弁護士業務1

世の中には元社長や元校長、元◯◯がいくらもありますが、こう言う表現は何か事件があったときマスコミがつけるものであって、自分から名乗れないところが困るのでしょうか?
課長は課長の待遇、定年後再雇用されて非正規になれば元部長、元課長などと言いません。
社長は社長の待遇、辞めればその後転進後の肩書きが付き、肩書きがなくなれば、その人のそのときの人柄だけで勝負する・・このようにありのままの人柄・人格でそのときの待遇を受けるしかないのではないでしょうか?
弁護士だけが現在やっていない過去の仕事の肩書きにこだわるのはおかしい気がします。
ただ、人間を合理的側面だけで割り切って行くのは間違っています。
高齢者施設等では、ボケ始めた人をバカにしたような扱いが良くないと言われていて、もと校長先生には先生と呼びかけたら・・嬉しそうに反応して生き生きとするようになったなどの話が一杯あります。
人間は最後まで、誇りを持って生きたいものですから、非合理な感情だと言って馬鹿にしてはいけません。
ところで論理的に整理してみると、司法試験を資格試験と考えれば、(20年ほど前に大量合格制度の議論が始まったときにも、資格試験か競争試験かの議論がありました)大卒その他のいろんな資格を見れば分るように、一旦得た資格は終身で良いことになります。
調理師や建築士や介護士や美容師、溶接資格など総べてそうですが、美容院経営をやめても美容師の資格はなくならないでしょう。
あまりにも職業に密接過ぎてその仕事を辞めたら意味がないからでしょうか、元美容師とか言うものの、調理師などをやめて別の仕事や無職の人が自分は調理師です・美容師ですと自己紹介する人はいません。
大学教授を辞しても博士号はそのままですし、江戸時代の武士は、奉行その他の役職を辞して隠居して出仕しなくなっても、 武士の資格が変わりませんでした。
弁護士の場合は、生活の糧を得ることが主目的ではなく、武士のような資格制度から意識が始まっていたのですが、これが強制加入制度となって、弁護士会に加入しないと弁護士を名のり、且つ弁護士業務を出来なくなったことによって、資格名称と職業名称が合体してしまった歴史があります。
この歴史がDNAとして残っているので、業務を辞めても弁護士資格・学者で言えば博士号のようなもの?にこだわりたい人が多い原因があるのかも知れません。
このように考えれば75歳以上で会費免除を受ける会員は、弁護士業務をしないで資格を有するだけにすれば実態と一致しますが、顧客にとっては、業務をやれる弁護士とやれない弁護士の区別が付かないと混乱します。
会費免除者=名誉資格だけであると言う歴然たる新たな表示方法の工夫がいるでしょう。
高齢弁護士にすれば、「弁護する資格・能力はあるが、お金に困っていないから悠々自適の生活をしているだけだ」と言う気持ちがあるのでしょう。
とは言え、自分では若いもののには負けない自信があっても、実際に90歳になって来れば能力が落ちていることは明らかです・・資格剥奪までしなくとも自然ににやめて行くし、顧客にも分るので、実害が生じていないだけはないでしょうか?
会費が高いとこの自然的隠退を早めることになるので、一概に悪いとは言えない逆に良いことかも知れません。
ここではその点を議論するテーマではありませんので、このくらいにしておきます。
これからの人生がある若手・中堅にとっては、会費負担の比重が大きくなり、自分の意見と正反対の政治運動に会費の多くを費やしていることが多いとなれば、その分でも安くしてくれるかどうかは死活的問題です。
結果的に右であれ左であれ(はっきり中立の公益活動と分る分野は別として)一切の間接的政治運動しないで、その分会費を安くして欲しい希望者が増えて行くのは自然の流れになります。
こう言う人が増えて来れば、その意を組んで会執行部による政治活動(関連支出)が自粛されて行くようになるでしょう。
それが大人の智恵です。
多数で決めたのだからと言って、遠慮会釈なくやれば会内に亀裂が生じてしまいます。
大分前に書きましたが、各種委員会はその道の「お宅が集結している」関係で、次第にやることや意見表明がエスカレートして行く傾向があるように思えます。
執行部が大人の智恵でこれをセーブしようとすると、街宣行動や集会開催等を求める委員会対執行部の対立場面がこれから増えて行く・・セーブする役割を果たすことが却って必要ではないでしょうか?

最低レベル競争の有用性(入会資格)3

各地の弁護士会のランクとしては、長者番付に乗るような高収入の人が多くいても他方で会費納付に苦労して会費免除受けているような人が多い会よりは、高収入の人が少なくとも、会費納付に苦労している人が少ない会の方が、信用不安が少ない・顧客満足度が高いのではないでしょうか?
国や社会構成・学校・スポーツチームその他のあり方と同じで、最低底辺層の底上げ・基準をどこに置くかは組織にとって重要・死活問題です。
企業でも官僚組織でも不良社員・役人一人2人の行為で甚大なダメージを被る場合があります。
サッカーや野球等でも一人二人のポカが命取りですし、山登りでも何でも能力の低いところに合わすのが普通です。
我々が修習生の頃にはアパートを借りるのに保証人など要求されることはなかったし、地方の名士の仲間入りとしてどこでも歓迎されました。
それがこの10数年ほど前から修習生がアパートを借りるのに保証人を要求されるようになったり、収入不安定で住宅ローンなど組めなくなったと聞くようになりました。
我々のころは銀行でもどこでも弁護士になる人ならいくら(額の制限なく)でも借りて下さいという時代で(逆にこちらは借りる必要もない時代でしたが・・)生きて来たことから見れば信用力に雲泥の差が生じています。
(私が今の新事務所に移転したのは神戸の震災後でまだ10年あまり前ですが、そのころでも保証人も保証金も当然のように要求されていません)
若手弁護士の経済力の変化を、社会がシビアーに見ていることになります。
可哀想だからと言って、点数の低い人をドンドン入学させたり入社させているとその学校や企業の評価は下がって行きます。
組織維持には入会資格(最低基準)が重要・必須です。
客商売のレストランやホテルでも客単価を落とせばそれなりの人が入って来るし、上げればそれなりの客しか入りません。
国・社会の場合、生まれつきの人である限り一定レベル以下だからと言って国外追放・国籍を与えない訳に行きませんので、殆どの国で知能レベルで言えば精薄から重度知恵遅れまで一定数の分布がある・・知能レベル運動能力・会話能力等計測可能なレベルで言えばどこの国でも最低ランクのレベルは同じになります。
ただし新規加入資格としての帰化には、国籍法第5条4項に生活能力要件があります。

  国籍法(昭和二十五年五月四日法律第百四十七号)

第五条  法務大臣は、次の条件を備える外国人でなければ、その帰化を許可することができない。
一  引き続き五年以上日本に住所を有すること。
二  二十歳以上で本国法によつて行為能力を有すること。
三  素行が善良であること。
四  自己又は生計を一にする配偶者その他の親族の資産又は技能によつて生計を営むことができること。
以下省略

アメリカで一定額以上の預金があれば、永住権を与えるのも同じ原理です。
上記のとおり、生まれつき以外の後からの入会資格には一定の資格(弁護士や宅建業者で言えば試験合格)の外に殆どの組織では経済要件を課していることが分ります。
法曹3者で見れば、裁判所も検察庁も司法試験合格・修習修了者と言うだけで無制限に採用するのではなく、試験合格の上に更に厳格な採用基準を設けていて合格者500人時代と比べて採用者がその割に増えていません。
弁護士会も加入要件と試験合格とは別にすべきでしょうが、職域を守るための独善・競争排除との区別がつき難いのが難点です。
入会資格のハードルを引き上げるのは問題ですが、政治に迎合して引き下げる必要までないのではないでしょうか?
(例えば年収◯◯円以上という基準が仮にあるとすればその額を引き下げても)一般の資格引き下げはただそれだけですが、会費減免は会に必要な経費を他の会員の負担で賄おうことですから、一種の所得移転を計ることになりますから、なおさらです。
弁護士会費が元々高過ぎるのではないかと言う批判もありそうですが、弁護士会の場合、他の団体とは異なり膨大な無償社会活動を行っていて(本来公費で賄うべきところを)それが会費で賄われているからです。
巨額会費をつぎ込んだ無償・低廉活動(原発相談その他)会から担当者に相談料や日当が支給されます)の多くが若手会員によって担われていますが、若手会員の仕事の場・・顧客獲得にもなってるのですから(ひまわり基金その他無償あるいは低廉活動の多くは若手の新規職場提供にもなっています)会費支出の恩恵を一番受けているのも若手会員になります。
即独する人がまだ事務所を決めていないので、(卒業試験合格前に借りてしまうのはリスクがあります)新規登録申請にあたって届け出事務所を自宅にしておくしかないという話題から、どうせ直ぐに仕事がある訳でもないし事務所を借りるまで「登録を数ヶ月送らせたら会費も負担しなくていいのに?」という疑問に対して、早く登録しないと法律相談その他の仕事が回って来ないから・・と言う回答でした。

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