シビリアンと信教の自由3(共産主義とシビリアン)

フランス革命では政体がどう変わろうとも(途中王制復活もありましたが共通の敵?)キリスト教の千年以上にわたる思想・内心統制の復活だけは怖かったのです。
何か外形行為をして処罰されるのはまだ防ぎようがありますが,黙って考えている内心を審査されて処罰されるのって,恐るべき支配です。
内心をどうやって第三者が判定出来るのかの技術問題から,証拠裁判主義の原理が生まれて来たし,証拠と言っても自白だけではなく補強証拠がいると言う原理も生まれて来ました。
自白等に関する証拠法則についてはDecember 9, 2014, 「証拠法則と科学技術5(自白重視5)」前後で紹介していますので参照して下さい。
しかしそれは言わば瑣末な技術論であって,そもそも内心自体を支配しそれを理由に処罰出来る原理・・一神教原理の恐ろしさの自覚・・フランス革命当時の市民はこれからの解放を切実に望んでいたことの理解こそが重要です。
内心支配=違反者処罰の思想が多神教社会では起きようがありませんから,破門されると逃げ場のない社会・一神教支配と表裏の関係にあったことが分ります。
フランス革命の経験では,政体がどのように変わろうとも,市民の心の中まで・日常生活のあり方まで根こそぎ規制する教会・聖職者・・これの強制装置である軍の復権に対する恐れがあったので,これのお目付役としての「シビリアンコントロール」をコトの外重視して来たことが分かります。
制度上信教を自由化しても簡単に社会に根付くものではありません・・いつ反動・復活し、権力と結びつくか戦々恐々だったし、革命の混乱中に王党派などの乱立がありましたが,キリスト教支配復活を主張する党派は成立していません・・それほど警戒されていたのです。
欧米でシビリアンコントールを重視する歴史経緯・元はと言えばキリスト教による内面支配に対する市民の警戒感から始まっていることをこのシリーズで書いて来ましたが,これの反革命・・信教の自由違反を潜脱し一神教支配を復活したのがソ連共産党一党独裁制です。
共産党は宗教ではないから,単なる一党独裁に過ぎない・一党独裁に反するから?宗教自体を認めない・・信教の自由を侵害するものではなくこれが近代社会の究極の形・・市民社会よりも進んでいる?と言う変な論理です。
政権の気に入らない人物の行為を咎めて共産主義主張に反する反党行為であると烙印を押しては粛清・・シベリア送りや処刑する・・芸術表現から何から何まで思想統制していたのですから、結果から見れば近世の魔女裁判との違いが不明で実態は排他的新興宗教そのものでした。
結果から見れば,魔女裁判との区別不明・・いわゆる人民裁判と言うやり方で吊るし上げては、徹底的に排撃していた中国の文化大革命を想起しても良いでしょう。
ちなみに専制君主と絶対君主の違いは一般の説明では分り難いですが,私の大雑把な(粗い)独自解釈では過去から積み上げられた宗教解釈のルールに一応従っているのが西洋の絶対君主(王権神授説はでキリスト教の範囲内で支配する意味)であり,宗教ルールも何も基準がない・・君主の恣意的基準で処刑出来るのが専制君主であると言う使い分けが可能です。
ロシア革命の結果出来た共産主義政権は,専制君主制と一神教による絶対君主制との(支配者にとっては)いいとこ取りみたいな専制支配政体です。
こう言う制度が成立したのは,ロシアが古代社会状況に留まっていたところに近代生産技術を上から導入したことと密接な関係・・先進国の技術導入・模倣するのがやっとでその次の自由な発想を必要としていない・・まだ思想表現の自由を求める市民階層が育っていなかった・シビリアンと言う抵抗勢力がなかったことによります。
人民にとっては,(共産主義思想と言う基本基準・スローガンに毛が生えたような程度?はあるもののキリスト教神学ほどの学問蓄積がないので共産主義の外延が不明です)いつ反党分子の烙印を押されるか不明・・自衛するスベがない点では恐怖政治・・いわゆる収容所列島になります。
専制君主制のときは恣意的基準で君主の癇に障ると一瞬にして文字どおりクビが飛びましたが,その代わり強い者にへつらいさえすれば良かった・内面までチェックされることはありませんでしたが,共産「主義」社会になると「主義」に反する思想かどうか・・内面まで規制される窮屈社会になります。
共産主義は経済原理である以上,日々新たに起きる(国内だけでなく国外の変化があります)経済変化対応が必須ですから、共産主義の内容はキリスト神学のように特定時期の理想に固定出来ません。
社会や産業構造の変化に対応して現場で工夫するといつ共産主義の範疇を越えている反党行為として粛正されるか不明になります。
例えばレーニンのネップ政策のように一歩後退路線も政策的には(物事には妥協が必要です)有効でしたが,これを中下位幹部がうっかりやると粛清の標的にされる恐れがありました。
こう言う政体下では,西洋中世以上の暗黒社会ですから,活発な創意工夫が生まれるわけがない・・せいぜいアメリカの技術を盗んでは真似する・・これは国策ですからお墨付きがあって安心です・・のが限度ですから,(ロケットなどは大資本を掛けて盗めますが多種多様な民生技術窃取は無理なので)民生レベルが低下する一方になった原因です。
中国やロシアでロケットを飛ばせても、おいしいご飯を炊ける電気釜やウオッシュレット、クルマのエンジン1つ国産技術で作れないと言われている原因です。
両国共に国民がスポーツを楽しむ余裕が無くてオリンピック種目だけ集中練習させても、国民の体育レベルが上がるものではありません。
ソ連崩壊後にロシアが政治経済の自由化をしたらめちゃくちゃになった・・揺り戻して身の丈にあった,プーチンによる事実上の独裁制に戻って一息ついているところであるのに対し,中国の場合、改革開放政策がロシアよりうまく行っているのは,辛亥革命まで専制支配しか知らない民族とは言え,社会の発展段階がロシアとは格段に違っていたことにあります。
ただし、中国がロシアより社会構造が進んでいるにしても,日本のように千年単位の時間をかけて健全な市民階層(日本の場合武士層)を育てていなかった点は同じですし,これが一党独裁制(形を変えた専制支配)が未だに機能出来ている根拠です。
中国の社会構造は1君万民体制とは言え,極く少数とはいえ士大夫層が数千年単位で存在していたし,政体・・政治権力と関係なく商業活動は活発でした。
これは以前から書いているように中国地域はメソポタミヤ文明の先進商品販路の最東端として,(ずっと後世の名称ですが)過酷な中央アジアの通商路・シルクロードを経由して来て山を越えて初めて出たところ・・山々を越えて黄河上流域から入って来て一旦落ち着いた場所が黄河文明と言う位置づけです。
伝説上の古代王朝殷を中国では「商」言いますが,まさに「商」のクニが始まりです。
そこから河川沿い拠点を広げて行った歴史・・都市国家・・拠点網の形成から始まったこととも関係しています。
黄河文明?はメソポミヤ文明の東端商業拠点として始まったもので,独自文明ではないと言う意見を10年ほど前から書いて来ましたので,参照して下さい。
攻略軍が入城すると城内の有力者が祝いの酒をもって出迎える・・誰が勝っても(異民族でも)商売さえ出来れば良いのですから,これが古代から繰り返された風景で・・日本軍の南京入城も同じですから,出迎えた南京市民を大虐殺するわけがないのです。
どの政体・異民族も,城内進軍しても折角手に入れた都市の商売を潰すわけに行かないので,(上澄みとして商業社会と関係なく祭り上げられて来ただけ・・特に異民族支配のときはこれが顕著)先行している商業社会そのものを破壊する能力がなく,商売人自体は支配者の変更に関係なく連綿と続いていたことをここでは書いています。
03/27/10「農業社会=世襲→封建制と商業社会=中央集権→専制君主制1」以降に書いたシリーズでは,商業と規制は表裏の関係で馴染み易いことを書いたことがあります・・専制支配と馴染みが良いのです。
物造りになると自由な発想が必要ですが,商人は売れ筋情報を逸早くつかんで・・情報収集に励み急いで真似する・・商機を早くつかんだ方が勝ちでその程度の自由があればその他は規制がきっちりている方が便利です。
これが中国の模倣・・ブランド窃取等に繋がりサイバー攻撃が得意なのは中国商人の歴史によります。
中国はロシアより社会構造が進んでいる面で共産主義の思想統制・内面支配が緩いだけのことで単なる専制支配+商業社会の焼き直し・現在的表現です。
この限界・市民社会未成熟=言論重視=約束を守る社会に至らない点で、限界に突き当たっているのが現状です。
先端技術を盗む・模倣し身につけるだけでは追いつくには容易でしょうが、自発的にその先に進むには限界がある・・世界を指導する模範社会になるのは無理があります。

農協法4(共産主義的組織1)

農協は弁護士会のように加入強制まではしないものの、元の小作地を売り渡された零細農民は、一人残らず地域農協に加入しないと種苗の入手に始まって出荷に至るまで何も出来ない仕組み・・(共同購入共同出荷)事実上加入強制されている関係でした。
零細化の原理は以下のとおりです。
小作人にその耕していた農地を分与することが原則ですが、地主にも生活がある・・搾取が行けないと言うだけですから、1町5反前後くらい?まで地主に保留した分がありました。
そうすると小作人の耕していた分の何割かが地主分として残すことになるので、従来小作地よりも一定量減ってしまいます。
100人の小作人がいれば1%減るだけでも大きいですが、そんな大地主は全国で何軒もなく、4〜5〜10人程度の小作人しかいない地主が普通でしたから、4〜5人が地主生活分としての農地を残すには各人の小作地の何割かを減らすしかなくなります。
結果的に過去の小作地よりも減ってしまいますが、地主に搾取されていた分が減るから良いだろうと言うことだったのでしょう。
地主は搾取するばかりで改革の機運が全くなかったかと言うと、地主と言っても上記のとおり小規模零細企業みたいな規模が中心でしたが、中から時間経過で中規模経営に成長して近代化に進む人・・近代農業に脱皮するべく工夫する人が生まれる余地もあったと思われます。
日本農業は04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」前後に紹介したように江戸時代には農地売買禁止令の時代でしたから、人力利用で耕作可能な零細自作農ばかりだったのですが、明治の地租改正で徐々に資金力・経営力のある農家に集約され始めたばかりでした。
農地集約が始まったばかりでイキナリ企業家的地主が生まれるとは限りませんが、そこから起業家精神が生まれて来るには世代交代等の期間的流れが必要です。
言わば中小地主層とは一次予選を勝ち抜いて来た有能な階層だったと言えます。
この効果が出るかどうか・第2次予選で更に有能な人が活躍するかどうかと言う時間軸のところで、もう一度ぶちこわして零細農家に再分配してしまったことになります。
一次予選を勝ち抜いた地主層は、農地解放に嫌気をさして多くは都会へ脱出してしまいました。
全国一律の更なる細分化でそのような工夫努力する余裕も能力もない・・中央の指導に従う弱い人ばかりになってしまいました。
農村地区での農協の役割を見ると、事実上の全員加入組織ですから、(農村社会での非農家はホンの例外)一種の政府みたいな役割・・丸抱えでした。
純農村では政治と言っても農政が基本ですから、農協組織の意見に村長さんが従うしかないほぼ重複関係です。
(勤め人は役場の職員、農協職員、学校職員と駐在所のおまわりさんと国鉄の駅員・・彼らも家に帰れば農家の一員です・・その他はお寺や医師くらいで他は殆ど農民です)
戦後直後は特に食糧難の時代ですから、我々のような引揚者・そのムラの厄介者でしかありません・・の発言力は全くない・農家=資産家の意見が基本で地方政治が動いていました。
今でも共産圏・中国で共産党の中央・地方組織が中央政府・地方政府と2重行政的関係になっているのと似たような体制だったことになります。
中国では、市長等行政機関の長は(選挙で選ばれていない関係もあって)同地区の共産党支部長の方が市長や省の長よりも権限が上になっているし、警察よりも党の規律委員会が先ず拉致して行って、高官が突然音信普通になってから半年くらい経ってから刑事事件にすると言う報道が出て来る社会です。
子供のころの印象ではまさに農協や農業委員会(各種委員会統治形式も戦後占領軍の導入による共産主義的組織の1つです)の方が事実上の権力を持っている関係でした。
農村や元地主の状態(・・どの程度の規模が多いか生活状態)をどうして知っているかと言うと、私の一家は東京大空襲の結果、焼け出されて戦後田舎に住んでいたからです。
抗日戦勝利70周年と中国が宣伝する結果、最近大空襲関連報道が増えてきました。

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