原理主義と利害調整3(成熟社会1)

成熟した社会とは、具体的利害調整能力に長けた社会と同義ですから、高度な調整能力のある社会だけが本来の民主政体の成果を享受出来ます。
どんなに気のあった同志で結成した政党も、いろんな問題が生起する都度、完全に意見が一致する訳がないので、意見があわないからと言ってその都度分裂したり・・これが部族間の利害対立の場合、何かある都度意見相違の調整能力欠如のために毎回殺しあいの対決をしていたのでは、社会が安定しません。
幼児に自分たちで自主的に運営しなさいと言っていろんな行事の進行運営を丸投げすればどうにもならなくなるのと同じです。
新進党から始まる野党の歴史をみると、意見がちょっとあわないと言っては、分裂・合流を繰り返していますが、こんな未成熟な人の集まる政党では国政を任せられないと思う人が多いでしょう。
現在野党の構成員を日本社会の縮図の反映としてみれば、妥協・利害調整能力のない・・または調整したくない原理主義的グループ代表のようです。
世界で複雑な利害調整能力のある民族・社会は、英仏独伊を中心とする西欧諸国と日本・カナダくらいでしょう。
それ以外の世界ではアメリカ以下いろんなランクがありますが、100%民意に任せていると無茶苦茶になってしまいます。
これがアラブの春以降のアラブ諸国で起きている大混乱の原因です。
日本は古代から庶民レベルが高く元々ボトムアップ社会です・・多様な意見を併存させて行く社会(八百万の神)ですから、これが排他的な一神教を嫌う基礎的原因です。
・・このために排他的宗教活動に邁進している日蓮が鎌倉・北条政権から弾圧を受け、江戸時代に入ってもこれの原理主義的行動をやめない不受不施派が江戸時代に禁圧されると同時に、キリスト教が弾圧された真の原因です。
占領軍の思想支配下で、戦後教育が始まりましたので、頻りに江戸時代には厳格な階級社会であったと教えられますが、そんなことはありません。
幕末動乱で活躍した下級武士を如何にも例外のように教えられますが、約200年前に天下の政治を動かした新井白石はただの浪人上がりでした。
薩長に限らず幕末に幕府代表として活躍した勝海舟は下級ご家人上がりですし、武士が町人になったり(芭蕉や平賀源内など)いろいろ入れ替わりの激しい社会でした。
「平等を説くキリスト教が弾圧された」と学校で教えますが、日本は万葉の昔から、元々庶民力の強い・・能力さえあれば天下人にもなれる平等に近い社会でした。
まさに・・庶民から出た秀吉が天下をとったばかりのときに切支丹禁止が発令されているのですから、日本の身分社会に合わなかったと言う説明の虚偽性が明らかです。
このころのキリスト教社会は日本と違って強固な身分社会でしたし・・今でも階級制が強固に残っていることをココ・シャネルの映画を見た感想としてコラムで書いたことがあります。
戦後の教科書説明では占領軍=キリスト教にオモネて虚偽説明を始めたまま、今も改めない・・教育界がアメリカによる日本支配思想にどっぷりと浸かったまであることと、もしも改めようとするとこの支持者がアメリカに御注進に及ぶことが目に見えています・・戦後秩序挑戦とアメリカに警戒され・・お決まりの世界で孤立すると言う論争になるのでしょう。
上記のように西洋社会では多様な価値観を否定して来たキリスト教支配から始まっているので、多様な価値を認める社会を知りませんでした。
ちなみに多神教のギリシャ・キリスト教国教化前のローマと西洋社会は連続性がなく、別物です・・念のため。
宗教改革を経て漸く縛りが緩み、いろんな価値観を認める社会基盤が出来て来たことから、フランス革命(言論・思想信条・信教の自由)に繋がり、(その後もナポレオン〜第二帝政など行きつ戻りつしましたが・・ド・ゴールの第五共和制で漸く安定したことを以前書きました)以降約200年経過で徐々に民意・・各種利害調整能力がついて来た状況です。
それ以外の社会では当面、民主化したと言っても選任するときだけ民意を反映して、後の具体的政治決定はリーダーにお任せの大統領制にしてお茶を濁しているのが実情です。
(大統領制も独裁に近いロシア型からアメリカ型までいろいろあります)
この辺は、「民意に基づく政治4(大統領制と議院内閣制3)」Published July 16, 2013前後で連載しました。

原理主義と利害調整2

以下は当然のことながら、私個人意見ですが、平和の対極にある戦乱ほど人権侵害の大きなものがありませんから、人権保障のためには平和を守ることは重要です。
しかし、それと平和をどうやって守るかの具体論の相違(どの程度の軍備が必要か、どのような配置が良いか)・非武装のまま敵が攻めて来れば異民族支配下に入って屈従している方がより大きな人権侵害ならないか等の意見は、弁護士会が関心あるべき人権擁護から遠く離れた政治問題・政治で決めるべき問題です。
国民の人権を守るためには、国内治安維持が必要だと言えますが、その予算はどうあるべきか、誰を課長や主任にすべきかまで行くと人権擁護との関係が遠くなり過ぎて弁護士会として、意見を言うべき問題ではないことは誰も分るでしょう。
特定担当刑事等の人権侵害行為があったときに限って、個人資質を問題にするのが関の山でしょう。
自殺多発化すれば、人権上重要ですが、個別のイジメの結果については弁護士の出番ですが、総体として増えているのを減少させるには先ず経済の底上げが重要ではないか、どうすれば底上げ出来るか・高齢者の病苦を原因とする自殺増加は・・など論点がいくつもあります。
安倍政権になって経済活動が活発化した後の統計では、結果的に自殺数が顕著に減っています。
このように全ての問題は人権に関係があるとは言え、弁護士会の人権擁護運動は人権侵害に直接的関係のある範囲内にとどめるべきであって、その先は政治=国民が決めるべきことです。
生命は人権の基礎ですから死刑は人権侵害の究極ですが、それと重大犯罪を犯した場合死刑期制度を残すべきかどうかとは別の問題だと言うのも私の個人意見です。
通行の自由があっても信号・スピード規制や運転免許が必要ですし、表現の自由があっても名誉毀損や猥褻画像の禁止のように、いろんな人権は全て公共の福祉との兼ね合いで制限されて行くものですから、基本的人権を尊重しろと言えば何でも解決出来るものではありません。
特定秘密保護法も単に知る権利侵害と言う主張だけではなく、この秘密保持と対テロ対策としての安全性その他各種価値の調整が必要ですから、具体的議論が必要です。
特定秘密保護法のコラムで書きましたが、「知る権利」と言う抽象論ではなく、テロ対策や国際競争力の維持などの観点だけで言えば、(その他もっと多様な並列する利害がありますが・・)官邸や空港の設計図・警備計画や原子炉や宇宙ロケットの設計図など、5年や10年で公開して良いものではありません・・このように利害調整して決めて行くべきです。
イスラム原理主義に限らず、その他いろんな分野で原理主義者と言われるグループが最近目立ちますが、原理原則に固執し妥協しないグループと言えば格好良いし、分りよいようですが、社会運営には妥協と言うよりは、各種価値の競合があって、その調整を必要としています。
「妥協を排する」と言えば勇敢そうな印象ですが、はっきり言えば、各種利害調整の必要性を無視した単純な主張・蛮勇と言うべきでしょう。
共産党や旧社会党に対する国民の支持が一定に留まっていたのは、利害調整を無視して「ぶれない野党」を強調していたからです。
逆から言えば、利害調整のようなややこしいことは出来ないし、理解出来ない・・自分の要求だけ主張していれば良いと言う支持者がこの程度しかいない・・かなり進んだ社会をあらわしています。
現実社会は原理・原則の適用すべき限界・・応用分野で議論(・・いろんな施策に必要な他の予算を削る兼ね合いで今年度予算でどの程度の保育所や信号機を設置出来るかの議論)を必要としているのですから、他の必要性との兼ね合いを何も考えなくて良いから「原理どおりやれ」と言っても何の解決にもなりません。
安倍政権誕生時に少しこのコラムで書きましたが、一定の経済成長が必要と言う点は、長年歴代政権(民主党も含めて)がみんな言って来たことです。
どのような具体的政策を採用し縮小するかで、国民が支持、不支持を決めているし政権担当能力が決まります。
成熟した社会とは、具体的利害調整能力に長けた社会と同義ですから、高度な調整能力のある社会だけが本来の民主政体の成果を享受出来ます。
世界でこれが可能な民族・社会は、英仏独伊を中心とする西欧諸国と日本・カナダくらいでしょう。

紙幣大量発行(成熟国)

金融資産膨張原因の第二は、発行紙幣量だけではなく、株式相場を例にすると、お互いにつり上げを繰り返せば、会社の実物価値の何倍でもつり上がって行くことから、実物価値以上に金融資本が膨らんでいます。
たとえば、時価総額100億円の株式の場合、その株式全部が毎日取引されている訳ではなく、たとえば仮に僅か1%=1億円の株式しか売買取引されていない場合を考えてみましょう。
この取引価格が5倍に跳ね上がって5億円で買う人がいた場合、(5億円の紙幣を払う人と受け取る人がいて)市場に出回る紙幣額は同じですが、取引に参加しなかった株式全体の相場を5倍に引き上げるので、僅かに4億円の投入で金融資産は400億円増える勘定です。
こうした仕組みから発行済紙幣量に関係なく取引が活況を呈すると株式時価総額が膨張する傾向があり、ひいては金融資産が実物価値を大幅に越えて来る傾向があります。
貸金の場合も、高利の場合、当初の借金1000万円が瞬く間に何倍もの名目上の借金になって行くのもよく知られている通りです。
このように紙幣発行量の膨張だけが原因ではなく、金融資産の性質からも膨らみ続けて来た金融資産は、いつかは経済実力・実態に合わせた調整をするしかありません。
紙幣発行量を倍増しても国内の富みが2倍になる訳ではなく、従来の経済理論では単に物価が2倍のインフレになるので、(その分対外的評価は為替相場の下落によって調整されるし)結果的に総紙幣の価値と国内総資産評価量は一致していました。
ところが、日本のような金融資産が1400兆円もある成熟社会での不景気は、紙幣不足で物が買えないのではありません。
大量に輸入品が入って来たことによる供給過剰の不景気ですから、紙幣を大量供給しても購買力にはあまり影響がないので物価が上がることはありません。
供給過剰による需要不足が問題ですから、紙幣を大量印刷したうえで金利を下げても消費がちょっと上向くだけ・・・比喩的に言えば政府が道路補修頻度を引き上げるなど無駄遣いすることによって100の需要不足の内3〜40の需要を補充する・・経済の底割れを防ぐ程度でしかなく、インフレになるどころではありません。
いくら紙幣を大量発行してもゼロ金利にしても、インフレどころかデフレ圧力が続いているのが、我が国のバブル崩壊以降約20年の経済です。
我が国のような成熟国では紙幣需要(財貨の購入意欲)があって発行するのではないので、紙幣を大量発行しても金利を下げても、それがインフレに繋がることはありません。
前回・11月27日に書いたように仮に2倍量の紙幣を発行して物価も2倍になれば発行された紙幣での購買力は結果として同じですが、2倍量の紙幣を発行しても物価が上がるどころかデフレで下がっていると、紙幣の価値が下がらずにその国民は名目上2倍の購買力を持つことになります。
でも国内の富みがかりに同じままとすれば、(高度成長でこの間に国富が2倍になっていれば均衡しますが、日本のように低成長で殆ど増えなかった場合)2倍に増えた購買力をみんなが行使すれば、物が足りなくて結果的に物価が2倍に上がります。
今の日本は、みんなが金融資産にして持っていて、紙幣による購買権を行使していない状態ですが、もしも使えば直ぐに2分の1になってしまう架空の権利と言えます。
上昇した株価も同じでみんなが権利行使・・売却して換金を図れば、直ぐに大暴落してしまう権利でしかありません。
このように、(サブプライムローンも同じことだったでしょうが)金融資産は実態経済から見ればその中間経路を複雑にして膨張し過ぎている部分が多いので、時々これの是正をして行かないとその乖離が大きくなり過ぎる・・一種のバブル崩壊まで待つのは却って危険です。
今回のギリシャ危機も独仏等の黒字国が、南欧諸国への貸付金を支払能力を超えて名目上膨らましていた咎めが出たに過ぎません。
我が国で過剰に発行された紙幣はタンス預金になって退蔵されたり、直ぐに銀行等に還流してしまい、銀行も民間資金需要がないので国債等へ還流していました。
余ってしまった紙幣の行き先は、(国債で得た資金を政府が税で財政投入資金として不足需要の穴埋めとして無理矢理に利用する以外は、)円キャリー取引としての外国人投資家への貸し付けが中心でした。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC