労働収入の減少4(遺産の重要性1)

もしも、公私(政府も個人も)共に親世代の遺産・資本収益で食いつなぐしかないとすれば、子世代が少ない方が親世代から受ける資産が一人当たり多くなってより長く持続し、豊かな生活が出来ますから、私の持論ですが少子化こそ早急に進めるべきです。
5月7日のギリシャやフランスの選挙の結果や中国の動きに関連して資本収益が将来的に安心出来ないことを、このシリーズ(資本収益の持続性シリーズ・・・・2012-5-5「海外収益還流持続性1(労働収入の減少1以下)では書いて行く予定です。
以前は自分の生活費くらいは自分の収入で賄えたので、ワンランク上の生活・・家を買うような負担があるかないかの格差でしたが、今はその日の生活費が不足気味なのでその分の下駄を履かせて貰えるかどうかが重要になっています。
遺産・・主として相続した家のある人とない人とでは生活水準がまるで違って来る・・これに加えて、金融資産も残してくれているかどうかも大きな違いになってきます。
(この辺は都会2世と今から都会に出る人との格差問題としてFebruary 5, 2011「都市住民内格差7(相続税重課)」前後で書いたことがあります)
上記コラムでも書きましたが、成長の停まった社会では世襲財産・・遺産の比重が大きくなります。
もしも将来資本収益がなくなって一般労働者が中国並みの月収2〜3万円だけで生活しなくてはならない時代が来た場合、現状の月4〜50万円を前提にする個人の生活費が賄えなくなる結果、親世代遺産の重要性が増しています。
個人に限らず公的資産の維持も収入の減った彼らからの税(フロー収入に対する課税)だけでは賄えなくなるので、公的団体にとっても親世代の遺産重要性(相続税・資産保有税の比重)が増してきます。
現在日本の工場労働者は中国人の約10倍の賃金を得ていますが、同じような工場設備を利用して生産活動してる場合、車その他の製品の品質に10倍の格差がある訳がないので、この差額の殆どは、資本収益(親世代の過去の稼ぎ・・本社機能を日本においていることなどを含めて)の配分によっていることになります。
日本全体が、現役労働対価よりも資本収益が多くなった社会・・例えば全収入の9割が資本収益・・過去の儲けの配当とすれば、この部分は、6〜70代以前の世代の稼ぎ・・相続が殆どでしょう。
国の方も、現役(フロー)収入に対する課税だけでは税収や保険料収入が減る一方になって来て、公的経費が賄えなくなって来るので、政府もこの遺産を欲しくなるのは必然で国と個人間で相続財産の取り合いになります。
そこで、格差是正のためには、相続税を重くして行くべきだと言う制度改正スローガンが出て来るのですが、これは上記の通り政府自体も収入源として相続財産に関心を持つようになったことのきれいごと的表現・・レトリックに過ぎないでしょう。
長い間遺産相続権は血族間で争うものでしたが、(日本の跡目争いやスペインの王位継承戦争など)これからは親族間で争う前に政府が先にどれだけピンハネするかの配分争いが先に生じることになってきます。
遺産の奪い合い・・争いは、今のところ格差是正のスローガンしか誰も気がついていないようですから、外の増税に比べて反対が少なく政府の方に簡単に軍配が上がりそうですが、反対が少ないから・・取り易いからと今後相続税の増税を繰り返して行っても社会が持つ・・持続可能でしょうか?

税と国債の違い4(市場評価)

  国債の場合、政府としては借り換えて行けば良いとしても満期・返還義務がありますので、国債の市場評価(運用ミスで支持者が減る)が下がると借り換え債の発行が回って行かなくなる(価格下落・金利アップ化する)点が民主的コントロール面で、税との大きな違いとなります。
国債が絶えざる市場評価に曝される弱点は、逆から言えば国債発行によって入手した資金の使い道・・官による投資がいつも市場・国民評価に曝され続ける分より合理化・民主化されるメリットと言えます。
増税するについては国民の批判があって(野田総理が政治生命をかけるほど)大変ですが、一回税率を上げてしまえば、政府はその後毎年何の必要性も説明しないで黙ってその税率で徴税出来るし、入手した資金は予算さえ通れば市場の批判を気にせずに勝手に使えるので放漫財政になり勝ちです。
予算は野党の追及もありますが、政治家同士のなれ合い・妥協でいくらでも決まって行きます。
何年かして更に増税(消費税で言えば税率アップ)しなくてはならないときになって始めて無駄遣いしていないか追及されるだけで、新規増税しない限り政治家同士の野合(主に官僚の振り付け)によって予算さえ通れば自由にお金を使える仕組みです。
どうせ資金を市場から吸い上げるならば、国債の方が拠出するかどうか自体を(拠出段階で)国民が選べる外に拠出した後その使い道について、常に国民の評価を気にしなければならない緊張感があってこの面からでもすぐれています。
10年もの国債なら10年間国民を気にしなければ良いかと言うとそうではなくて、数ヶ月間隔で次々と償還期限が来るので、(国政・地方選挙間隔の比ではありません)しょっ中国民の評価(価格下落)を無視出来ないことになります。
これまで書いていますが、税と国債の違いは、税の場合国内資金の限度でしか徴収出来ないのに対して、国債は海外からも資金調達が出来る点で歯止めがなくなるリスクのある点が違います。
ですから、民意に副い易い国債で政府資金を賄う方式の弱点を是正するには、国内消化率・・発行限度を国内消化率を90〜95%の一定水準に歯止めをかければ良いことです。
その歯止めをかけるのは法的・技術的に簡単です。
法で外国人保有比率を5〜10%に規制すれば足りるので、複雑な経済政策に比べて簡単な規制に過ぎません。
(ただし間接保有等の実態を含めた規制は難しいでしょうが、要は金利を世界一低くして外国人保有の魅力を減じることです)
原子力の安全性議論は国会で安全宣言しても安全になる訳ではありませんが、国債の場合、国会で禁止する法律を設ければ足りる簡単なことですが、これをしないでおいて「国債に頼るのは危険だ」という論調は不合理な主張です。
国債にたよると外国人の意向に影響を受けるから・・増税という論法は、ガソリンを燃やす車は危険だからと言って安全装置を考えないで車を禁止するようなものです。
増税は国内法人その他国内の資源しか対象に出来ませんから、元々外資を当てに出来ない点は国債以上に対象が厳しいのです。
国内消化が出来なくなったときは、国内で資金が余っていないということ・・即ち対外的に借金経済に陥るリスクが高いのですから、法で制限を設けるべきでしょう。
国際貿易決済上それぞれの国で一定額の外貨保有が必要ですから、外国人の国債保有比率を一定率認めるしかないとしても、例えば国民が新規国債の引き受けをせずに、海外投資家保有比率が1割から2割3割とドンドン上がって行くとき、国民が同額の海外債券を持っていれば借金経済かどうかの基準・・資金的には満たしていることになります。
しかし、民主主義の観点・国民意思による政治の重要性から見ると民間資金を政府が吸い上げて余計な仕事をして欲しいと思う国民がいなくなっていると言うべきです。
とすれば、政府が国民の意思を無視して海外から借金してまで、政府支出を増やして行くのは民主主義の原理に反します。
資金手当健全性の観点だけから見れば、海外引き受けを増やし、国民は海外債券をその分以上買って行くのが合理的であると書いてきましたが、直接民主主義の観点から見れば国民が買いたくない・・国債発行による財政運営に賛成していないのに海外投資家に買って貰って政権が財政ファイナンスをするのは政府が国民の明白な意思を無視していることになります。
国民意思を無視ないし軽視して外国人の意思に頼る・・彼らの意向が国内経済・政治決定に影響力を高める政府の存在意義は何でしょうか?
江戸時代でも藩札の所持者が殆どが藩内の人だけでも、実際にデフォルトするとその次から藩財政が回らなくなるので、大名家は極力これを避けるように努力し、気を使ってて来たものです。
この点はギリシャ政府だって同じことです。
日本の国債も今のところその殆どは国内消化であるからこそ外国の意向に左右されないでいられるのです。
領内の資金力のある人から回収して領内の資金不足者に回すのは、所得の再分配の1つの方法でしょうが、領外から持って来て分配するとなれば、他人からの借金・資本参加を受けることになるので本質が変わって来ます。
現在の日本はまだ国内での国債保有率が92%前後を維持しているので、(昨年までは95%と言われていましたがギリシャ危機で円購入者が増えた結果昨年末では8%に上がりました)言わば国民からの回収である限り、国税徴収と本質が変わっていません。

国債残高の危機水準5(海外保有資産はあてになるか?2)

中国や韓国などではイザというときのために大分前から金持ちから順に海外国籍取得が盛んですし、海外資金逃避が盛んです。
この意味するところは、国難・危機に際して逃げる準備・・3分の1〜半分でも海外逃避しておいてイザ危機が来たら残った資金も出来るだけ速やかに逃げ出そうとしているものであって、国難のときに買い支えるために海外に資金をプールしているとは考え難いところです。
大幅に値下がりすれば、儲けるための底値買いを入れることはあるでしょうが、それは純粋の(金儲け目的だけの)外国人投資家でも同じです。
中国(地域)の歴史は周知のとおり異民族の支配下にあったときの方が長いくらいですから、今一般に言うところの中国人というのは元々いない・・順次の被征服民がその地域にいただけですから、一族の紐帯以上のものがないのは当然です。
EUもいろんな国の集まりですが、一応民族別、国の原形を残したままの交流・一体化ですが、(ユーロ・通貨統合しながらも財政は別に行っている・主権が残る状態がその象徴でしょう)中国の場合、チベットやウイグルその他少数民族・自治区の例外がありますが、漢民族と言われる人たちは元はいろいろな人たちがごっちゃになっている点でアメリカ合衆国と成り立ちが似ています。
意外に思うかも知れませんが、アメリカにはムラ社会がない分、親族間の交際の密な社会です。
今から15年ほど前にニューヨーク郊外のある町のホテルに滞在しているときに、毎日のように朝食後ホテルでのレストランで長時間粘って・・朝食の後はコーヒーしか出ません・・コーヒーばかりがぶがぶ飲んでいたことがありました。
(アメリカのコーヒーは日本の麦茶みたいに薄くていくらで飲めるのです)
ボーイが通るたびに呼び止めるものですから、ボーイさんからMr.コーヒーと言われるほど仲良くなっていました。
(英語はマトモに話せなくとも気心は直ぐに通じるものです)
ホテルの部屋にいたのでは、都市型ホテルの弊で窓も狭いし狭苦しいのですが、レストランの窓際は眼下に道路が見えて行き交う車の流れを見ているだけで何時間でもボーッとしていられる良い場所です。
ある日いつものように夫婦で朝食後コーヒーを飲んでいると今日のお昼は貸し切りになっていると言うのですが、(英語は通じなくとも身振で何とか理解出来ました)困った顔をしてると結果的にお気に入りのいつも座っていた場所(コーナー)にいても良いと言って例外的に使用させてもらえました。
そのときレストラン中央部で集まって始まった貸し切りパーテイを見ていると、高齢の夫婦らしい人やその兄弟らしい人がいて彼らの子供夫婦や孫達の集まりらしく一族和やかにパーテイをしているのです。
後で聞くと、それは一族会みたいなものでアメリカではしょっ中こうした一族のパーテイを行っているそうです。
日本国民は、戦後地方から東京等大都会への人口移動の結果もあって、親族のつながりが薄れてしまいましたが、(今でも残るのは法事くらいでしょうか?)それでも愛国心というよりか郷土愛や同胞意識が強固ですからお金があるからと言って同胞を見捨てて海外国籍まで取得したい人が今でも少ない点は韓国人や中国人とは違います。
とは言え、それでも資金運用というものは合理的に行動するものですから、(前もって逃げ出さないまでも)海外に既に保有している資金をイザというときに国内救援のために逆ばり運用する人がどのくらいあるかとなると疑問なしとしません。
それどころか日本人でも国内株式が暴落傾向になれば自己防衛のために株式の損切りをするために売り急ぐ人が増え、銀行が倒産しそうになれば解約に走る人が増えるのはよその国とあまり変わらないのではないでしょうか?
現在国内企業が国内投資を控えて海外投資にシフトしているのも、その動きの一環と言えます。
ただし、繰り返し書くように日本国債も国内銀行の預金も円建てなので日銀券を印刷すればいくらでも払えることから、(円相場下落の心配は別として)国民は(預金保険の範囲内であれば)あわてて預金を解約する必要のない点が自国通貨を持たないギリシャとも違います。
国内金融資産だけは、既に質に取ったようなもので確かな資金と言えるからマスコミはこれを重視するのでしょう。

通貨切り下げ4(インフレ7)

アメリカが貿易赤字の穴埋め用に無制限にドル印刷を始めてドル下落が現実化して来ると、新規国債の引き受けは新札発行で対応出来るとしても既に買った人までも売り急ぐので、マーケットでは暴落傾向になって行きます。
連銀は新発債だけではなく既発債の買い支えまでしなければならなくなり、金融秩序はメタメタになるしかないでしょう。
連銀が買い支えてくれるので、売り浴びせた外国人はアメリカから資金(ドルを円や人民元、ユーロその他そのときの信用出来る通貨や金に替えて)を回収しては海外に引き上げるばかりですから、アメリカドルは際限ない外貨両替要求に見舞われて大幅下落どころか大暴落して行きます。
愛国心に従って指をくわえて見ていると自分の保有している国債の価値がみるみる目減りして行くのですから、その内アメリカ国民も売り競争に参加して行かざるを得なくなり、発行済国債のすべてが連銀保有に入れ替わるまで続くことに成り兼ねません。
ドル紙幣印刷は無制限に出来るとしても、その結果ドルの信任が地に墜ちて来ると、大幅下落中のドルでの取引はどこの国の商人でも敬遠しますので、結果的に今のギリシャみたいになってドル以外の通貨(アメリカにとっては円も外貨です)でしか取引が出来なくなります。
ところが、アメリカの場合・基軸通貨という美名に安住していたので外貨準備が経済規模に比べてホンの少ししかありません。
この状態では、外貨不足を補うための自国通貨建ての起債が出来ないので、円やユーロ建てで起債をするしかありません。
10日ほど前にインドの公社債募集用紙がおくられてきましたが、これによると同じインドの債券が円建ての場合1、何%、アフリカランド建ての場合7、74%、ユーロ豪ドル建ての場合5、93%と通貨ごとに金利差がついていてどれを選びますか?の募集でした。
同じ発行体の社債なのに通貨の信用によって金利差がまるで違うのが経済のルールです。
買う方から言えば、為替下落リスクのある通貨で買うときには、かなりの高金利でないと買えませんし、日本円のように上がる可能性のある通貨建ての場合、金利が安くても売れます。
ドル札を刷り過ぎて自国通貨建て起債の出来なくなった段階で、アメリカは普通の貧困国以下・・デフォルトしたの同様の格式が転落し、基軸通貨どころではなくなり、信用をなくして自国通貨建ての取引すら出来なくなってしまいます。
以上の次第で、現在の債務超過状態から見ればアメリカドルは何時崩壊してもおかしくない状態ですから、アメリカドルに対する基軸通貨という名称は実体的根拠のない空疎なものに過ぎません。
アメリカは、シェールガスなどの埋蔵量を誇示したり、人件費低下による製造業の復活可能性などをアッピールしていますが、人件費が中国に負けないほど安いという「売り」では国民が浮かばれませんし、どこまで復活出来るのか・・結局は資源国(後進国)として生き残って行くしかないのかも知れません。

基軸通貨とは4

基軸通貨の定義次第ですが、本来は債権国の通貨が基軸・・自立した通貨(好きなだけ発行出来る・・)であって、債務国の通貨は経済論理的にはこれに引きずられるしかなく、他国通貨に引きずられる通貨が基軸でありえません。
最早USドルは経済的な意味では(日本の金利政策に引きずられる立場の紙幣が)基軸通貨ではなくなっているのに、みんなが気づかないと言うか、アメリカの息のかかった学者ばかりなのでエコノミストは誰もこうした意見を言わないからでしょう。
昨日と4月1日に、中国が逆ざやにも拘らずアメリカ国債を買わざる得ない逆転現象を少し書きましたが、これは1つにはアメリカの軍事力による面と実際にアメリカが赤字でも商品を大量に買ってくれるメリットがあるからです。
いくらアメリカが軍事大国と言っても、中国が西洋やアジアから稼いだ黒字分までアメリカに逆ざやでお届けするとは思えません。
アメリカで稼がしてもらった分だけ仕方なしに還流するしかない・・還流しなければアメリカはこれ以上物を買えなくなる・・そうすると中国も日本も輸出が成り立たなくなった大変だからということで辻褄が合っているだけです。
その他に12日に少し書いた還流資金の新興国への再投資のからくりもありますが、これは14日書きます
この論理では最後にアメリカにデフォルトされても、「ま、なかったことにするか」という気持ちでアメリカ国債を買っていることになります。
日本人が日本国債を税金を払う代わりに買っているのと似たような心情になっているとも言えますが、そこは自分の国とよその国に対する気持ちとは違うので、アメリカが誤解していると大変なことになります。
アメリカの現段階は、債権国としてのゴリ押しではなく「大きすぎてつぶせない」という債務者の方が強い開き直り論理になっている・・こういう段階の国は・デフォルト寸前のギリシャ同様で本来的な基軸通貨国ではありません。
アメリカの危機的現状に気づいていても学者はそれを遠慮があって言い出せないとしたら、権力に遠慮して本当のことを言えない学者なんて本当の学者と言えるのでしょうか?
紙幣大量発行国は貨幣の価値が下がるので、経済学の理論ではインフレになる筈ですが、日本の場合約20年間もゼロ金利・紙幣大量供給にもかかわらず何故デフレが続いているか・・国債を30兆円枠内で大分前から引き受けているにも拘らず一向にインフレになる気配がない現状に焦点を当てた議論が全くありません。
この点については、9/15/08「国債の無制限引き受けとインフレ1」February 22, 2012「為替相場と物価変動2(金融政策の限界2)」前後のコラムでも書きました。
あるいは/「2012/03/28日銀の国債引き受けとインフレ論1」以下でも連載しましたが、日本の場合、国際収支の黒字の範囲あるいはこれを少しうわ回る程度しか大量発行していないので、円がホンの少し安くなって景気が良くなった程度でした。
国債の残高のコラムで書きましたが、GDP比でもなく財政赤字比率でもない、国際収支との比較の問題です。
日本の場合、国際収支黒字のまま日銀引き受け・紙幣増刷ですから問題がいないのであって、国際収支赤字の国がこれをやると通貨の下落に直結します。
今回のギリシャ危機対策として欧州中央銀行が引き受ける案がマスコミ意見では最良とされていますが、ユーロ全体の下落に繋がっているのはその結果です。
旧来理論では説明不能だから黙っているのでしょうが、これは一国閉鎖経済からグローバル社会になったので世界全体で見なければならなくなったこと・・経済学の基準を変えて議論すべき事柄です。

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