和解力(ウエストファーリア条約3)

国際情勢が変わり,朝鮮半島の地政学的重要性が希薄化している現状下では、韓国のわがまま外交継続は無理になっています。
明治維新当時のように(中国カードを交渉材料に使うのと合わせて)韓国が日米対中国の2勢力の強い方になびけば良いという発想・・・現在は中国の方が将来有力と見て,交渉カードに使う限度を超えて・AIIBや反日軍事パレード参加など中国に露骨にすり寄ってしまったのが朴大統領の前半2年間でした。
これを見て逆に日米が韓国を見限る態度を示したので・・驚いた朴政権が一転15年末の日韓慰安婦合意し、アメリカの求めるサード配備に同意するなど一歩(日米側に)後退しました。
政府が反日を煽りにあってしまった効果が出ている単細胞国民が納得していないこともあって,中国が猛然と巻き返しに動くと直ぐにぐらつきます。
いつも自分の軸足がなく,強い要求の方になびくだけのクニとみんな思うでしょう。
大きな流れで見れば,大統領退陣要求勢力の現在の過激な運動は民族の経済破綻が迫っていてもそんなことは関係ない(と言うより多元的思考が出来ない)・・日米勢力圏に戻る流れに対する巻き戻しだけ(そのためにはその他与件・国際信義破壊のマイナス・経済破綻リスクは一切考慮しない・観念空間の自己満足で生きています)を期待しているとしか見られません。
慰安婦像撤去約束を守るどころか新たな設置認可になると(たまらず)日本が・すかさず日韓スワップ協定その他修復交渉中断を発表しました。
現在韓国経済は,2回目のデフォルトになるかどうかが心配されている状態にあって,スワップ協定・日本の経済保障を受ける見通しがなくなるのは国際信用上かなりのマイナスになる筈です。
国民にはその辺が理解出来ない・・知っていても感情が先に走る・・二元論以外にはその他の与件は目に入らない民族性のようです。
勿論最後の最後になれば,(対韓投資している日本企業救済のために?)日本は放っておけないので何とかしてくれるだろうと言う期待・読みもあるでしょう。
これまで周辺3カ国から甘い汁を吸い続けて来たのが裏目に出て、双方から強迫・・報復を集中的に受けて困りきっているのが現状です。
未だに単純二元論で中国が良いか日米が良いかで迷いながら,行きつ戻りつしているのが、韓国の民度です。
アメリカは西欧に比べれば、韓国並み?に民度レベルが単純な社会です。
エスタブリッシュメント流の政治から脱却して,この民度レベルに併せようとするのがトランプ氏の行動スタイルとも言えます。
アメリカの単純な「敵の敵は味方」的見え透いた「戦略」がある程度機能していたのは,突出した経済力・軍事力によりましたが,イラク・アフガン戦争の結果を見れば分るように圧倒的兵力投入だけでは一時的占領は可能ですが、その後の最終解決にはどうにもならないのが中東地域の錯綜した現実です。
単細胞的介入の限界が出てきたのが、国際社会混迷の原因です。
アメリカは占領後欧米価値観に従って、日本の支配層・軍人さえ悪者にすれば済むと安易に考えて戦犯問題を起こし、慰安婦騒動を背後でけしかけて来ましたが,軍人を貶めることはニッポン民族みんなを貶めることになるのに気が付かなかったように見えます。
戦争に勝ったからと言って相手を貶めては行けない・・むしろ敵将の健闘を誉め称えるのが日本の武士道です。
日本では縄文時代の昔から勝っても「やって良いこと悪いことの区別」は決まっていました・・これこそが人間社会としての「文化」と言うべきであって、「感情に任せて負けた方を無茶苦茶痛めつけても良い社会」は猛獣社会と同じです。
朱子の言う「性即理」情動に動かされない安定した「性」の社会こそが、人間のあるべき姿です。
相手を許せない社会には,「文化のある社会に到達していない」と言っても良いのです。
西欧では野蛮のママで来て,戦争があまりにも長く続いた結果、戦争で勝った方もやって良いことと悪いことを決めた始まり・・国際合意・・この程度のことが漸く分って来たことをAugust 26, 2016,以降ウエストファーリア条約の紹介で何回か連載中でしたが,その続きが先送りになっています。
上記連載は西欧で漸く芽生えた「大人の智恵」が異教徒にも及ぶかの関心で書き始めたものです。
アメリカは西欧の人間が移住して始まったたクニですが,西欧近世に到達した智恵・道義は、日系人だけ収容所に入れるなど全ての分野で・・異教徒である日本人には及ぼす必要がない・・と確信していたように見えます。
そうでなければ,逃げ惑う住民を焼き殺す目的で焼夷弾で攻撃し、生身の人間・・しかも人口密集地を狙った相手に原爆実験を二度もするようなおぞましいことは想像すら出来ないでしょう。
そう言う目で見ると,西欧全体がアジア人を植民地化し住民を奴隷化していたこともその現れです。
ウエストファーリア条約は勝敗に関わらず主権尊重が歌われた国際条約・・この精神から言えば、弱いクニを占領し植民地化することを合法化する論理はあり得ません。
アメリカは漸く西欧の歴史を学ぶ必要に気づいたのか、あるいは,仕方なしに人道を言い出したのかは不明です。
兎も角1昨年の慰安婦合意圧力もそこまで理解した上ではなく,日韓紛争が大きくなるのはアメリカにとって不都合・・敵の敵は味方・・中国が正面の敵対国になると日本の反米感情の盛り上がりを放置しておけなくなったからに過ぎないでしょう。
16年12月29日以来書いているように日本の武人は一族を守るための代表戦士であって背後の一族とは敵対関係ではありません・・この辺の理解の違い・(支配被支配の対立を前提にする)欧米の誤解の基礎になって現在に至っているのですが,この辺をじっくりアメリカ人に分らせる必要があります。
アメリカ人が(日本と世界とは,成り立ちが違うことが分りさえすれば,)後に残るのは靖国参拝・訪問ですが、これはトランプ氏の得点チャンスとして残したとすれば?
アメリカは極東軍事裁判は間違いだったとは言えないでしょうが,ただ参拝すれば良いことです・・彼の懐の深さ次第・・・さてどうなるやら・・。
戦犯の汚名・靖国神社のわだかまりがなくなれば、戦争に引きずり込まれた恨みまで言っていてはキリがないので,(それは横に置いておく智恵は日本にはあります)日本にとって真の和解成立です。
アメリカは戦時中の日系人迫害を明白に謝罪し,更に昨年の一連の行為で和解能力があることを内外に示しました。
ロシアの場合,不可侵条約違反と,シベリア抑留を謝らない限り本当の民族和解にはほど遠い関係ですが,ロシアの場合、簡単な・・島さえ返せないレベルです・・アメリカは戦後直ぐに奄美諸島を返すなどドンドン返して来ました・・そこまで至りそうもない・・全く期待薄である点では、アメリカよりかなり稚拙・文化度が5〜6世紀単位で西欧社会よりも遅れているのは仕方がないでしょう。
こうして見ると謝る能力のない民族は、許す能力もない・・物事には・・商取引や友人関係でも男女関係でも・・どちらかが,勢いで行き過ぎやり過ぎが起きることが生じますが,ちょっと気に入らないことがある都度「もまあ良いか!」と許せない人の場合にはトラブルが絶えない・・和解する能力もないことになります。
硬直的原理にこだわる朝鮮族が、日本と和解する能力がないのは仕方がないと言えます。
文字文化普及のテーマで書き漏れましたが,ロシアは西洋諸国のような安定した中世〜近世がなく中央アジア地域で興亡した多くの諸国同様に古代国家的状態が近世まで続いていました。
黒土帯を中心に農耕社会化した点で一定の文化蓄積が起きた点が、中央アジア諸国に多い遊牧系と違う点でしょうし,その分古代的な(農業)国家形成に寄与したと思われます。
近代に入っても(内陸でもハンザ同盟の出来た)西欧のように商業社会化しませんでしたので,基本的には農民しかいない社会でありながら、末端農民=農奴中心社会であったので,農奴は殆ど文字に関係なく暮らしていたと思われます。
第二次世界大戦後シベリア抑留時に収容所の集合で兵の数の点呼が出来ない・いくらやっても数えられないので日本兵が代わって点呼していたとさえ言われます。
上記のとおり,アメリカにとって日米同盟強化への方針変更はそれほどの実害はありませんが、中韓を煽って来た手前どうするかだけですが、上記のとおり折角アメリカが立ち会いまでして日韓慰安婦合意をさせた以上は(俺の顔を潰すな)「合意を守れよ!」と言うのは簡単です。
はしごを外した・・裏切りにはならないでしょう。
こうなると韓国で政権交代があったからと言って「ちゃぶ台返しは困難」と予想されるのがこれまでの展開でした。
ただトランプ氏自身過去の合意無視のスタイルですから,これがどうなるかはアメリカの国益次第で予断を許しません・・。

観念論の弊3(財政赤字論)

金貨・貨幣が決済用に用いられるようになると材質は問題ではない・・本来は数字の問題でしかない・紙切れ(日銀紙幣)どころか電子記録(フィンテック)でさえも良くなっているのを見れば分ります。
元禄当時平和な時代が続き日本経済が拡張期(元禄文化)にあって,貨幣発行の基礎になる金に見合った金貨だけでは膨張して来た貨幣経済・必要な貨幣供給(折柄金産出量の減少に見舞われていました)が間に合わなくなった・・実態経済の需要に合わせる勘定奉行荻原重秀の政策が合理的だったと思われます。
言わば客が殺到してスーパーのレジ機に客が列をなしているような時代です
レジ機(決裁手段)が足りなければ増設を迷う必要はありません。
この原理が分らずに(今の財政赤字悪政論同様に)古代意識・儒学(とどう言う関係もないでしょう・・古代からの価値観を踏襲しただけ?)道徳だけを適用したのが新井白石の政策でした。
金の含有量を元に戻したので,貨幣量がヘリ,(貨幣の信用が戻ったと言うのですが・・)結果的に大デフレになって大変なことになりました。(ただし私の素人判断です)
金そのものを取引対象・商品としている場合,含有量を偽り、その他各種品の品質をこっそりと落として同じ価格で販売するのは、今でも不道徳です。
貨幣取引の歴史を素人的に遡ると,直截自分が欲しいものとの物々交換から,他の人が共通に価値を認めるものを代わりに受け取ってその後に知人と更に交換する→より多くの不特定多数人が交換に応じそうな金や銀が媒介物としての利用から始まった→原初金貨時代には,金そのものの物質的価値が99%重要であったでしょう。
政治権力が生まれて権力が金貨の価値が保障するようになると取引に当たって,その都度の品質確認作業が不要になって交換経済が円滑化します。
今でも銘柄の信用があると個別に味や品質確認しなくとも良いので円滑です。
こう言う時代には金貨の信用保証が重要なことで政権にとっても死活問題であったことが分ります。
いわば、金が金貨となり純粋決裁手段になる前の未分化時代・・これが貨幣の改鋳(含有量誤摩化し?)を非道徳視する基礎だったでしょう。
取引対象・商品として金と流通決裁手段しての貨幣との未分化状態の古代においては含有率を偽らないことが(秦の始皇帝の時代に権力背景に度量衡制度が始まったように)金貨のブランド維持・・王権による発行権独占に必須であったことは分ります。
現在でも大手企業が商品の品質維持に腐心するのと原理が同じですが、金が貨幣となり決済手段に使われるようになると約束事の世界・・誰でも交換代用に使ってくれれば良い・・紙切れでも良いのですから,金の含有量の程度は公表さえすれば関係がありません。
経済活動が活発化して,貨幣が決裁手段としての比重が高まり純化してくると決裁手段が金でも紙切れでも同じ・・材質に意味がない・・,社会の約束事の象徴でしかありません。
新井白石の時代より前の元禄時代・忠臣蔵・赤穂藩断絶のときに、大石内蔵助は発行済藩札を全部決裁したことが美談として語り継がれていますので、元禄時代にはこの過渡期・大名領地内で藩札が流通していたコトからも分るように、決裁利用の信用さえあれば紙切れでも良い時代が既に来ていたのです。
当時の経済活動の拡大に貨幣発行量がついて行けなかったので,列島・・とくに西国では既に藩札・紙幣の時代が来ていたコトが分ります。
藩札の信用は外貨・・幕府発行貨幣との両替で担保されていました。
今でも外貨準備+国民経済の実力の裏付け=為替相場こそが政府発行紙幣の価値の担保であり,政府単体の赤字とは関係がありません。
消費増税延期直後に官僚の意向を受けた?格付け会社によって,日本国債格付けを下げた途端、日本円が上がり始めた「喜劇?がこれを証明しています。
新井白石と荻原のどちらが時代にあっていたか?当時貨幣の中心機能が決裁機能に移行し,物質としての金取引と関係が少なくなっていた以上・経済取引拡大・必要に合わせて金の含有率を減らして幕府発行貨幣を多く発行した勘定奉行の決断は,実態経済の必要性に見あっていたのです。
何ごとでも(金自体の取引重視とは利用場面が違ってきた)「過去の正義」(鎖国の正義も家光のときと幕末とは国際情勢が違うように)とらわれると大きな間違いを起こす例の1です。
旧理論と現在進行形社会との齟齬は今もあります・・,伝統価値観に従ったIMFや経済官僚・エコノミストを中心とする現在の信仰的とさえも言える財政赤字「悪」論・・にも共通します。
今は政府と国民経済は一体ですから、政府財政赤字と国民経済赤字とは同じではありませんから、経済単位の1つに過ぎない政府財政赤字だけを強調するのは間違いです。
政府保証債は信用が高いように、政府債務は国民経済全体が保障している関係です。
この辺が中世スペイン王室が国民経済と関係なく破産した時代と違います。
実態の変化を無視した過去教養の固まり・緊縮経済を主導したがる秀才の集まるEU官僚支配に多くの市民がノーを言い始めた実体的基盤です・・EU離脱論やトランプが支持を広げる基礎には,実態無視のEU官僚政治にうんざりしている人が増えて来たと言う見方が必要です。
新井白石のこだわった金含有量についてその後の推移を見ますと,大恐慌以来日本その他が早くから金兌換制度をやめていたの(金含有量ゼロ政策)は正解で,アメリカが最後に金交換停止(ニクソンショック)をしましたが,これは「アメリカも遂に金が足りなくなったか!と言う(アメリカの威信低下程度のショックに過ぎず)世界の物価が急上昇にはなりませんでした。
金持ちが無駄に土蔵や長屋門を維持していたのを、遂に取り壊して貸し駐車場にした程度のことです。
取引の決裁道具としては、金の裏付けの必要としない政府信用だけの時代に入って久しかったからです。
政府信用も金非有の裏付けだけはなく、日々の貿易決裁や資本取引等を通じた総合信用・為替変動相場制に移行していますので,紙幣の材質には関係ありません。
今では紙切れの印刷さえ不要・・電子マネー決裁が目前に迫って来ました。
この一事を見ても白石が金の含有量にこだわったのは社会変化の流れを見ない時代錯誤であったことが(今になると)明らかですが,未だに歴史家は,白石の業績を(正徳の治」などと評価し,積極経済政策をした荻原や田沼を批判するのが普通です。
これまで繰り返し書いて来ましたが,金の裏付けがないと・・その代わり中央銀行の節度がないと紙幣大量発行に走り,超インフレになると心配をする人がいますが,インフレは需要に供給が間に合わないときに起きるものであって,供給過剰(需要不足)の現在では貨幣量がいくら多くてもインフレにはなりません。
ドイツ敗戦時の超インフレは敗戦で物資が不足したことによります。
逆から言えば特に現在社会では,紙幣発行を100〜1000倍にしてもそれだけではインフレにはなりません・・。
クルマを投機的に買う人がいるとしても,それは短期的現象であって必要以上にクルマを100台も買う人はいません・・紙幣が増えてあるいは金利が下がって買いたくなるのは需要範囲に留まりますので、必要以上に紙幣を発行しても必要以上のスマホなど買わない・・貯蓄・退蔵・ストックが増えるだけ・・銀行は預金が増えても貸す先がないので,自然に金利が下がりますが、下がっても必要以上に借金してクルマやテレビ・スマホを何台も買いたい人はいません。
だから私は紙幣大量発行→ハイパーインフレ論には組していませんし、現在のゼロ金利政策や紙幣大量発行による・・インフレ目標設定・・景気対策などは,茶番だと言う意見を大分前から何回も書いて来ました。
一国閉鎖経済時代の気候に左右される食糧品中心社会と違い,今の消費材は工業製品中心社会ですし、国際物流の時代です。
家電やクルマ、スマホなどは、需要がある限りいくらでも増産出来ますし,増産が間に合わず値上がりすれば競争相手のクニが黙っていない・・輸入品が直ぐに入ってくるので、国内紙幣発行量や低金利と価格の関連性はありません。
すぐに増産出来ない食料品も外貨さえあれば輸入が簡単です。
今でも新興国が金融危機で超インフレになることがあるのは,・・国民経済の信用毀損=金融危機・貨幣価値暴落で輸入資金(紙幣を10倍刷っても為替相場が20分の1に下がれば,半分しか輸入出来ません・・外貨を勝手に発行出来ませんので)外貨が足りなくなる・・輸入出来なくて供給不足になるからです。
1つの公団の赤字程度はその内政府が面倒を見るだろうと世界が問題にしないのと同様に、国民経済内の一単位に過ぎない政府の財政赤字だけとり出して議論するのは間違い・国全体の外貨準備(対外純資産)や国民の個人資産の総合評価・・結局は外為相場の動向が経済危機の重要指標であるべきです。
ただし,我が国のように敗戦・・民族の危機になると,命がけで国に帰って復興に努める民族とは違い,個人と政府の信頼・一体感のない中国では,クニが危機に直面すると,富裕層から真っ先に資金の国外逃避を始めるので個人金融資産の意味は国情によって違います。
政府赤字にこだわる論者は、中世から近代までの王室財産と国民経済分離時代の恐怖心を未だに引きずっていると思われます。
スペインフィリッペ2世が何回も破産し,次いでイギリス王権が増税失敗で革命になり、フランスも同じ結果でした。
この歴史経験の恐怖が、政府赤字にたいする恐怖感・・非合理で説明のつかない経済官僚の宗教的執念に繋がっているように見えます。
しかし今は,政府は国民財産管理者でしかありませんから管理者が管理している当座のお金がマイナスであろうとプラスであろうと民族の信用に関係がありません。
財政赤字論は,国内政治上どこに資金が配布されるべきか・・資金配分の議論でしかないでしょう。

民度3(朝鮮民族)

韓国は李氏朝鮮以来の伝統に復帰して,庶民無視・・戦後約70年に及ぶ人民(ピープル)に対する愚昧化政策+反日教育の成果が出て来て収拾のつかない状態を招いていると思われます。
鳩山氏の「少なくとも県外へ」の主張同様に韓国野党は日韓合意破棄など国際常識無視の無茶な主張をしてますが,政権を取ったらどうするつもりなのでしょうか?
現政権は国際合意の重みをある程度理解しているようですが,次の政権に変わったら前政権の約束を守る必要がない」と言うような思い込みで野党候補が運動してるようです。
幼稚な政治レベルで国際社会で一人前にやって行けると思っているのが不思議です。
(事実上次期大統領選に出馬予定と言われる)前国連事務総長の潘基文が,「先ず10億円を返そう」と言う意見を述べている様子です。
国連事務総長を務めていた彼が,「貰ったお金さえ返せば」国際合意を反古に出来るかのような発言をするとは驚きです。
潘基文氏の公式発言は以下のとおりです。
http://www.sankei.com/world/news/170113/wor1701130027-n1.html
【ソウル=桜井紀雄】韓国メディアは13日、次期大統領選への出馬に意欲を示す潘基文(パンギムン)前国連事務総長が、慰安婦問題に関する日韓合意について、日本政府による10億円の拠出がソウルや釜山(プサン)の公館前に設置された慰安婦像の撤去が条件なら「金を返すべきだ」と発言したと報じた。」
こういう国・・対価を貰うだけもらった後は約束を守る気がない・・これが「詐欺みたいだ」と批判されることがやっと分ると「じゃ返せば良いだろう」と言う次の段階に気づいた・・少し進歩した程度のことです。
先取りしたお金を返せば良いのではなく,「合意や約束を守るべき」と言う大前提が理解出来ていない点では、前国連事務総長すらも同じですから驚きです。
こう言うレベルの相手に何百億ドルと言うスワップ(相保障)の約束を出来るわけがないと言うのが国際常識ではないでしょうか?
このテーマで今後交渉を進めるように持ち込んだ安倍外交は成功と評価すべきか、感情的対応と言うべきかは短期間に結果が出るように思われます。
1月12日のコラム冒頭で,中韓も民度レベルが低いだけで士大夫層・エリートは相応の政治経験がある(筈)と書きましたが,韓国の場合クニのエースとして国連に送った人材でさえもその程度のようです。
朝鮮族は朝鮮通信使の時代から,儒教を早くから信奉していたので?日本より一日の長があると自慢しますが,ヤンパン層の政治経験レベルはそんな程度・・彼らは長い間何を学び・考えていたのでしょうか?
儒教は専制支配秩序に便利なので,(日本の封建制・・利害調整必須社会とは違う)漢王朝が支配道具としたのですが,李氏朝鮮も「これは便利だ」として専制支配に利用して来ただけ(その分思考回路が硬直していただけのように見えますが)ではないでしょうか?
専制支配・強い者が論理の正当性無視で決める社会しか知らないので,合意の重要性を理解出来ないまま現在まで来た様子です。
社会生活の基礎・・「合意を守る」と言う基本原理が理解出来ない・朱子学には深遠な哲理?があっても、社会あるところに必要な「合意重視」ルールの教えがなかったのでしょうか?
赤穂浪士処分に際して「忠孝重視」の教えと「社会秩序維持」の相克について荻生徂徠以下儒者が困った原因です。
日本の場合,遣隋使以来中国大陸の学問や芸術の優れたものは概ね取り入れて来ましたが,朱子学までの儒学は学問的価値を左程見いだせなかったので軽視されて来たに過ぎません。
朱子学になって初めて理論哲学として優れたモノがあったので,徳川幕府がこの時点で漸く取り入れたのは理にかなっています。
ただし中国や朝鮮では,朱子学以外の学問が科挙試験から切り離された結果、事実上その他学問が窒息して行った・・これが明清時代や李氏朝鮮社会停滞の原因になったと言われています。
儒学思想が停滞の原因と言うより,「科挙」と言う国家試験が強力過ぎて,学問を志すほどものにとって,科挙試験合格が登竜門・・科挙試験で採用されないと誰も勉強しない・・私塾や出版が成り立ちません。
朱子学以外には学問として生き残れない・・その解釈学に特化して行くと全く発想の違う視点の自由な学問が生まれる素地をなくしてしまった・・学問が朱子学を中心とする訓古学になってしまった原因です。
文芸も社会制度も何もかも,過去の解釈が優れているかどうかだけで,新たなものを考える力をなくしてしまったのです。
焼きもの・・天目茶碗で言えば,トッピン級の画期的なものが出来ると・・清朝国内では異端扱いで見向きもされないので、良いものが出来ると直ぐに日本へ輸出する習慣があったと言われるのはこの所為です。
漢民族の逸品(書画骨董)の多くが日本に集まっている原因です。
現在日本で言えば科挙制度再来と言われる司法試験制度の弊害がここにあります・・異端学説では合格出来ない?・・一旦主流になった学説が幅を利かす弊害・占領期にアメリカの正当性を主張するために確立された憲法学説・歴史観を勉強しないと一流校→1流大学に合格出来ない→司法試験合格に不利となる現象です。
平和憲法の実質を議論するより先に問答無用式に「これを守れ」と言う論調がはびこる原因です。
ただし、司法試験は論理が優れていれば反主流の学説でも合格出来る点で,中国ではびこった学閥形成の弊害(漢時代に始まる党錮の禁その他面接官との個人的関係・・繰り返し弊害が起きています。)のない公正な制度ですが,それでも先ずは主流派の学説をマスターしておかないとマトモな論文を書けないので,主流派学者の方(ホンが売れます)があちこちで引っ張りだこ・・有利(事大主義意識が自然に刷り込まれる仕組み)です。
中国や朝鮮では,当時民間需要が発達していない・・官僚にならないと食えないし、政府買い上げでないと芸術品も売れない・・相手にされない時代ですから,その弊害の大きさが分るでしょう。
ちなみに現在日本では司法試験に合格しなくても民間でいくらでも実力発揮出来ますし、江戸時代にも将軍家お抱え絵師でなくとも民間でいくらでも活躍出来たし新たな浮世絵その他が輩出しましたし、芸大を出たからと言って芸術家と言えない社会でしたが,実は学歴社会の場合,その弊害が大きくなります。
これを利用したのが米軍支配制度で大学その他マスコミ等を占領政策貫徹目的の置き土産にした弊害が今になって目について来た状態です。
韓国では日本の何倍もの学歴重視社会ですから,一流大学やマスコミを内部侵蝕した方がた方が世論動向支配に有利・・・マスコミの多くは北朝鮮の工作成功の結果、事実上の支配に入っていると言われています。
最近の日本での法律家の政治運動・主張を見ると,(私もその一因ですが関与していませんので,運動を推進しているグル−プト言うべきかな?)どこか硬直した印象を受けます。
「秀才とは馬鹿の一つ覚えに特化した人材だ」と言うのが私の持論ですが)司法試験を頂点にする準科挙制の弊害・・主流学説=アメリカの占領政治の置き土産重視・事大主義の弊害を引きずっている結果かも知れません。

ピープルと文字文化普及3

我が国では古来から,外来語その他社会の変化によって新たな表現が出来るとすぐに新言語を創作して,適応して来ました。
自民族固有の文字文化を大切にして来た(民族内差別意識が少ない・同胞意識が強い)からです。
とりわけ幕末から,明治に掛けてまったく未知の社会組織や機械類がはいってきたので、各種用語の創作発展に目覚ましいものがあることは周知のとおりです。
現在の漢字仮名交じり文は,表意、表音の良いところをうまくミックスさせたもので,文字表記方式としては世界最高到達点と言えるのではないでしょうか?
言わば漢字文化圏での最高到点です。
漢民族は漢字を発明したかも知れませんが,原始的蒸気機関を発明してもクルマや新幹線に到達しないようなもので,最高最終完成品にしたのは,日本民族だったことになります。
中国由来・経由のいろんなものが日本で立派な完成品になっているものが一杯あります。
中国では社会変化にあわせた自国言語の応用変化・創作力が追いつかなくて近代以降に生まれた社会生活上の用語は、日本語をそのまま直輸入利用している状況です。
自民族の表現のために生まれた文字文化ならばもっと柔軟に応用変化出来る筈なのにこれが出来ない民族・・漢字は本当に中国人の言語を表す文字であったのかの疑問が起きるのは私だけでしょうか?
今の中国支配下人民は,1950年代の簡体字化教育開始まで自民族の99%?が自国文字をまともに読めない・・あるいは自由に操れない状態で放置されていたこと・・ほぼ文盲状態であったことを表しています。
自分の気持ちを表す文字道具すらない・・こんな酷い状態で人民に何の不満もなかったことも不思議です。
日本では漢字が入ると直ぐに万葉仮名の用法工夫→漢字の簡体化ん繰り返し=仮名の前身になる何段階もの工夫繰り返し→仮名の完成となっています。
古今集の仮名序は1月7日に紹介したとおり905年です(正確にはその後に選者が作った和歌も入っているので若干遅れるようです)から、その頃までには完成型のひらがなカタカナが出来あがっていたのに対して,漢字発祥の地の中国地域では昨日まで紹介したように760年ころに漸く「的」の前身の利用例が発見されているだけです。
古今集完成より140年早いとは言え,せいぜいようやく間接詞利用が芽生えた程度・・現在でもまだ完成していない・・中国現在から見れば1100年以上早いことが分ります。
建物様式が入ってもそのまま取り入れて満足ではなく・・住居様式も,寝殿造りから書院造り等に発達し,戦後洋風建築が入っても日本独自性を失いません。
仏像や絵画でも当初は西域から入ったままの観音様などがありましたが(東京国立博物館内の法隆寺館の仏像など見ると日本に伝来したばかりの観音サマの多様性に驚きます)平安時代に入ると我が国独自の表情などに変わって行きます。
絵画でもいわゆる独自の「大和絵」表現が始ります。
漢民族の先祖は他地域から入って来た文化を生煮えのママ・・自国民族用に昇華して醗酵させられないまま、20世紀半ばまで来たのではないでしょうか?
25〜30年ほど前に中国へ旅行して先ず驚いたのは,西欧と住形式やお城の形式が同じことでした。
勿論文法・語順・S+V+Cも全く同じです。
ここ10年ばかりこのコラムで何回も書いているように中国発祥の文明はなかったのではないか(私の根拠なき仮説です)・・その都度他所から入って来た文化を自国文化と僭称して来ただけではないかと言う主張根拠の1つです。
日本で言えば中国から文物を真っ先に輸入した博多が、自分が発明したと偽って「博多文明」と称していたような疑いがあります。
博多の場合文明発祥地として独占宣伝したくともその先に海があっていろんなルートで違う湊に船が入って来るのでで,その先から入って来たことがすぐに分りますが,黄河最上流で町が始まった場合,何千kmもはるか砂漠の先の・・奥の院がどこあるか誰も分らないので独自文明の僭称が成り立ったのではないでしょうか?
中国歴史で言えば、匈奴に追われた月氏族が,西域に新たに大月氏国を立てると,漢の張騫の頃には西域の先の事情が分らなかったので,その先にあったクシャーナ朝も大月氏国と同じクニと誤解した歴史書が編まれています。
大月氏と言えば,中国人の大好きな璧玉も月氏を経由して輸入していたので,月氏の特産品と誤解していたのもその一種です。
この辺は「和氏の璧」に関するの解説で昔読んだ記憶だけですのでネット再確認しようとしてなかなか出て来ません。
ただし以下の文献には「目次」としてそれらしい項目がありますので紹介しておきます・目次だけでは当てにならない・・正確に知りたい方は,下記の文献を直接お読みくして下さい。
「古代中国の玉の世界-その科学と文化-鄧淑蘋監修茅原一也編古代中国の玉の世界(平成18年10月20日)
第12章
古文書にみる崑崙の玉
11. 1神話・伝説世界における玉
11. 2「史記」に記述された崑崙の玉
11. 3「漢書」[西域伝] にみられる崑崙の玉
11. 4「北周書」巻五十,異域伝-于?の記録
11. 5「五代史」巻七四,四夷付録三,于?の条
11. 6「重修政和経史証類備用本草」巻三,玉石部上品の条
11. 7西域南道の国々と玉
11. 8 月氏の玉
11. 9十世紀ごろの玉交易
11. 10 完璧の故事-和氏の璧

要するに古代には中国がどこから文明を仕入れたか誰も分らなかったと言うだけのことです。
ところで、自民族の発音そのままの文字にイキナリ変えると,変更前の異民族由来の文字文化・・過去の文献には研究者以外の一般人(庶民ではないある程度の教養人)が触れることが全くなくなります。
古い家を壊して最新式洋風建築するとその前にあった家屋内にあった文物の記憶が失われるのと同じです。
西洋でラテン語表記しかなかったのを自民族語表記(いわゆるローマ字がドイツ語フランス語英語その他、地域民族別の発音に合わせて少しずつ綴りが変化して行った・・この結果フランスはイギリスドイツよりラテン語の影響が強い・・遠くなるほど薄れているのは,このときからになります)に変わって行った場合,ラテン語表記に触れられるのはラテン語研究の学者だけになったのと似ています。
韓国は日本統治まで漢文だけの文字社会だったので,ハングルのみの教育制度になると,国民の多くは日本統治以前の文字記録を読めなくなって・・文化断絶・歴史無視の荒唐無稽な国民意識が生まれた原因がここに胚胎します。
・元々大した独自文化がなかった・・家屋で言えば建て替え前の家屋は貧民窟のバラックであって,残すような文化がないと言えばそれまでですが・・。
西洋では,ルネッサンス以降民族別独自文字利用が徐々に広がり一般市民〜庶民にも(自国語で書いているので)文字に触れるチャンスが広がったのですが,一般人にとってそれまでに書かれたラテン語文献に触れるチャンスがなかった点は韓国と同じです。
中世にドイツやフランス、イギリス(12〜15世紀に掛けて徐々に完成したアーサー王物語程度?)その他の独自文化がほとんどなかったとすれば、韓国同様ですから、ラテン語を読める層が学者限定になっても殆ど困らなかったでしょう。
ダンテの神曲が現地語で書かれたと言っても,それは超エリートの話であって庶民相手に意図的教育をしなかった当時では実際に庶民に文字文化が広がるには数世紀〜20世紀までの時間が必要だったでしょう。
西洋では15〜6世紀から徐々に独自文字表現が始広がったとすれば,韓国が20世紀後半から始まった点で500年の差があるだけ?の違いです。
西洋では自然に自民族文字が広がるのに任せていたので,数世紀以上・・あるいは幕末頃には日本に比較してまだ文盲率が高かったことが知られていますが,中国朝鮮では意識的にやって来た・・促成栽培の結果・・半世紀で漸く多くの人民にも自民族日常言語どおりに表記する文字文化が普及したところですが、その分底の浅さは否めません。
中国も簡体字普及政策で初めて庶民にも自国文字文化が広がり始めた・・そもそも少なくとも中共政権成立時には,全国的な初等教育制度自体なかったのですからこれをイキナリ全国展開出来るものではありません・・。
朝鮮半島と満州では日本が教育制度を戦前から整備しておきましたが,それ以外の中国では元々教育制度のなかった中国で全国一斉教育開始は(仮に資金があっても教員自体がいません)無理ですから、仮に一斉に初めても世代交代しないとすぐには普及しませんので,大方に広がったのは早くとも1980〜2000年頃からでしょう。
とすれば、文字文化普及の歴史では韓国より数十年遅れたレベルです。
上記のとおり教育制度整備の時間差があって、韓国が先に近代化した原因ですし,中国内では旧満州地域の人材が早く頭角を現した原因です。
韓国台湾の発展期に漢字文化圏とか儒教文化圏の有利性が言われましたが,文字教育制度がいつから始まったかの差です。

フランス革命3と中韓露の財政危機対応への教訓

昨日紹介したようにフランスでは,財政改革が暗礁に乗り上げて,収拾のつかない状態打開のために三部会を開いたものです。
戦費調達のための議会招集はうまく行かないで革命に発展することは,イギリスの2度にわたる革命の教訓から,フランスでも良く知っていた筈ですが,敢えて三部会招集の轍を踏んだのは,フランス王家は貴族と聖職者から税をとろうとしていて市民を対象にしていなかったので,うまく行くと思ったからではないでしょうか?
この経緯から国王は当初聖職者・貴族等と第三身分との仲裁者的立場でしたから、国民公会の最初の決定事項は立憲君主制であり,教会財産の没収・国有化決定だったことを12月17日に紹介しました。
最初は三部会の議決方式(部会別か全体合算決議か)で市民と貴族聖職者連合と揉めた争いが切っ掛けで、第三身分が国王の招集がないのにテニスコートに集まる事態(国民公会の前身)に発展し,次第に騒ぎが大きくなって行きました。
貴族と聖職者に対する増税が元々のテーマだったのに,革命騒動進展の結果貴族層がうまく生き残って,聖職者と王様だけが引き摺り下ろされて終わった・・今になっても貴族層が生き残っているのですから,宮廷の権謀術数下で生き残って来た才覚を活かした政治力は大したものです。
我が国では,古代から(信長時代の近衛前久)戦前の近衛家に至る藤原氏と応仁の乱以降生き残って来た細川家(明智の謀反の危機や関ヶ原でもうまく切り抜け,明治維新では薩長土肥政府に参画し・20年ほど前の細川元総理は近衛文麿の孫)のような能力です。
16年12月20日過ぎ頃に日経新聞連載のファッションデザイナー高田賢三の「私の履歴書」では,同氏のパートナーの紹介部分で貴族が現在も生き残っている状態が紹介されています。
イギリスに比べて貴族層が厚かったことや貴族自体が既に資本家として活躍していたことも原因でしょうし、民間の力まだ弱くて貴族層との共存が必要だった可能性もあります。
元々国王と二人三脚で世界展開していた筈の商人が植民地戦争でうまく行かなかったからと,最後に国王を処刑する方に回るのは変な結果ですが,絶対王政と協調する重商主義の限界・・産業脱皮の限界に不満が出て来た・・保護者的?国王が不要になって来たのでしょう。
現在国際政治で言えば,中ロ等地域大国が国威発揚による内政失敗の誤摩化しが効かなくなったときに,どのレベルで民間が不満を持っているかによってその後の変化が決まって来ます。
韓国で言えば,歴代政権による国民不満逸らし目的で毎回反日批判していても、これまで日本が反撃しなかったので、これで溜飲を下げて政権満足度が上がる国民レベルでした。
こう言う赤ちゃんのような低レベル国民の場合、当てが外れると大変です。
朴政権も歴代政権の成功体験そのままでやったところ安倍政権の反撃で失敗に終わったのですが、朴政権が反日の旗を降ろすしかなくなると・・(国民はがっかりしたでしょう)突如朴大統領降ろしの嵐になって来ました。
当然次の大統領野党候補のスローガンには「日韓合意破棄」が掲げられていますし、数日前には釜山の日本領事館前に慰安婦像を建てる許可をしたと報道されています。
中ロのように「自分らのレベルはこんなもの」と達観できない・・まだまだこ反日を繰り返すしかないのでしょう。
中ロも中進国の罠を抜け出せなくて国内不満を逸らすために対外威信発揮に生き残りをかけていたように見えますが,(シリアで成功しても次々と手を広げることは出来ないので)威信発揮することがなくなると国民がどう出るかはフランス革命同様に国民レベルにかかって来ます。
ロシアではソ連崩壊後民主化・自由化して大失敗した経験があり、(実はロシア革命自体・・農奴解放などして行ったことが,逆に大貴族の反発を受けて命取りになったようにも見えます)このときにプーチンのような強力指導者がもしも出なかったら[アラブの春」のような大混乱に陥っていたと思われます。
この経験から,資源安による財政危機程度の不満でプーチン体制を変えても人民レベルが先進国水準に追いついていない以上どうにもならない・強権支配体制を変えようがないのが実態でしょうし、国民もこれを知っていると思われます。
資源安による経済低迷は仕方がない・・政治責任ではないと国民が達観しているとすれば、プーチンが焦って(経済が苦しいのにむだな軍事費を使って)国威発揚をする必要がなかったことになります。
国威発揚行為が行き詰まったときには,この点に関する(無駄なことに国費を使わないで欲しいと言う)国民批判が起きる可能性がある・・フランス革命で言えば[王様の見栄で戦争しないで!」)ということになるのでしょうか。
同じことは中国にも言えて,国内不満逸らしが本当に必要でやっていたとすれば,対外示威行為が行き詰まると大変なことになりますが,(中華の夢再現は)政府が勝手にやっていただけで,人民の方は冷めた目で見ていたとすれば,行き詰まってもそれ自体で大政変になりません。
アラブ世界のように無茶苦茶にしても意味がない・・歴代王朝末期に毎回繰り返したような大流民化時代を百年規模で繰り返さない・・少しは智恵がついたのではないか、ロシアが完全民主化するのは無理と分ってからプーチンを選んだように、その程度の智恵があると思われます。
中国人民も軍事費(岩礁の埋め立て工事などは世界で孤立する上に莫大な無駄です)に無駄遣いされたことの責任をとって欲しいかも知れませんが,独裁制自体をやめる必要がないと思っている可能性があります。
中国は先端技術を盗む追いつき型社会・・国策によるサイバー攻撃等で先端技術を盗んで追いついて来た側面があります。
今は,まだ完全自由化・民主化しても世界トップに立つのは無理があることは自明・・どうせ5〜6番手に近づく程度がやっとならば、個人で技術を盗むより国策でやって欲しい・・もう少し先端技術剽窃で追いついて行く方が特だと言う判断と完全自由化とどちらを選ぶかまだ分りません。
中国がトランプ氏に脅されて海外膨張よりは,内政に向き合うしかなくなってある程度自由化するしかないとしても、国策による組織的剽窃が必須とした場合,フランス革命型・・貴族に代わる共産党幹部の特権を前提にした国家関与を大幅に残した自由主義社会を目指すことになるでしょう。
これが為替を完全自由化出来ない原因(実力・WTOで非市場国認定を受けている実体的基礎))であり、完全自由化しないのは,中国社会能力に適した政策選択でもあります。
こうして見ると中国は内政的にはレベル相応の適正な政治(経済政策)をしているのですから,矛盾があるのは対外的に実態以上に威張り過ぎる矛盾だけ修正すれば済むことになります。
評論家の多くは完全自由化こそが経済発展に必要であるから,自由化を半端にしたままで政府がところどころつまみ食い的介入しているから,無理・限界が来ている・・完全自由化=共産主義経済統制経済の矛盾を認めるしかない→共産党一党支配の終焉しかないだろう式のニュアンスの主張が普通です。
いわゆる神の手・市場が決める方が優れている意見自体に私も反対しませんが、社会の中でもいろんな組織がある・家族で言えば「優先順位が弱い者順」になるなど市場の自由競争原理とは違った原理があるように・・構成要素の違う部分社会ごとに違った決定仕組みの方が良いこともある・・小学1年生に「何でも自分らで決めなさい」と言っても学級運営はうまく行かない・レベルに応じた自治が必要なように・・これがうまく行く社会とそうはいかない社会があることも事実として受入れるしかないでしょう。
国家単位で見ても小学生レベルから働き盛り〜老成したクニまで発展段階の違うクニがあります。
1直線に伸びて来た中国経済には無理が来ているのはそのとおりですが,だからと言って(ソ連崩壊後のように)無防備(抵抗力もないのに)に完全自由化さえすれば解決するものではありません。
私の考えでは完全自由化しないから中国がダメになりかけているのではなく,1直線の成長路線が曲がり角に来た・・修正が必要と言うだけであって,ここで大幅な自由化したもっと無茶苦茶になる・・先進国の餌食になるだけだから半自由化でも良いから,自己能力が低いこと認めて,[この程度で勘弁して下さい」とやる方が合理的です。
ハンデイをつけてもらって堂々と悪びれずやる方がなんぼか気持ちが良いでしょうし、周辺も協力してあげようとなる筈ですが、謙虚姿勢に転じるには沽券を重んじる意識が邪魔になります。
中韓共に国際社会で生き難さを助長している原因・謙虚さの逆張り・沽券意識が邪魔している点では共通です。
沽券や格式にこだわるならば相応の公徳心・礼儀があればバランスが取れますが,格式に見合う道義心が皆無・道路で痰を吐き,技術その他盗み放題・・道義心が最低のままで沽券・・大国意識だけ振り回す・・文字どおり形式だけで威張る沽券意識ですから世界で嫌われているのに気が付かないのです。
GDPその他指標をかさ上げして,威張り散らすのは百害あって一利無し・・・「今のところこれしか出来ない」ので教えて下さいと言えば済むことです。
数字で言えば実態以上のGDPや外貨準備等の自慢〜SDR採用成功などが端的に背伸びし過ぎを現わしていますが,「かさ高さ」をやめて低姿勢で教えを乞うように修正すれば廻りとうまく行き、実利もあって何の問題もありません。
個人もクニも原理は同じ・・実力相応に自己表現出来るようになれば良いだけのことであって、これが出来ないで実力不相応に空威張りしていると世界・友人との軋轢が絶えません。
これが洋の東西を問わない礼儀作法と言うものです。
若い頃には自信喪失と過剰の振幅が大きいと言われますが,クニや社会にとっても同じことが言えます。
民族、先祖の誇りを持ち自信を持って生きるのは(植民地支配で失った民族の誇りを取り戻し再起するエネルギー源は必要で)良いことですが、それを振りかざして近隣をバカにするようになると行き過ぎです。
何ごとも行き過ぎを押さえるのは余程の智恵がないと難しいものです。

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