個々人の政治能力と政党政治1

僅かな放射能汚染さえ嫌がって、東京圏から関西・中国地方へ移住している人もかなりいます。
そう言う人はその代わり文明の利器を手放すなら行動が一貫していますが、人並みに電気器具を利用して、あるいは電気の利用による企業製品を購入して普通に生活しているとしたら、良いとこ取りをしようとしていた大阪市民と考えが同じです。
大阪・京都市民も「反対さえ言ってれば後は政府や企業が何とかすべきだ」という無責任な態度で自分はその分電気を使わない・電気を利用した製品(工業製品の殆ど)を使わないと言わないのですから、無責任な主張だったことになります。
原発廃止・家から柱の取り外し等に比べて一般の政治決定は、その何百倍も複雑で一波万波を呼ぶような複雑な経路を経ていろんな方面へ波及効果を及ぼして行くのが普通です。
複雑な政治問題では市民の短絡的な反対に従って政策決定した場合、どのような危機・効果を招来するか(柱の撤去のように)目に見えないことから、市民運動家系・タレント系の政治家ではただ反対するだけで、その効果に対応した前向き提言がないまま(言い換えれば無責任発言)になり勝ちです。
政治決定に関しては、上記のとおりその及ぼす効果が複雑過ぎるので信頼出来る人や集団に一任すれば気楽ですし、その道に長けた人に一任するのが合理的であることから代議的民主主義制度が生まれて来ました。
私が受験したころの司法試験勉強科目であった政治学原論では、昔から政治はプロによるしかなくこれを世襲君主あるいはその側近によるか民主的手順で代議員を選出するかの違いで民主主義と言っているだけで、結果的に少数者による多数支配しかあり得ないと学んだような記憶です。
中国では古代から皇帝の政治権力の正当性・授権は天命によるとして、近世の西洋では王権神授説が流行しました。
市民革命以降世襲君主の代わりに民意によって選ばれる代議士とその代表者が権力の担い手になり、その代議士を選ぶのに所属企業や労組などの推薦に頼って来たのです。
ところが、誰かにお任せしていたらどうなるか分らない時代が来たので、自分で一々の政治課題を考え行動するしかなくなりました。
国民個々人にとっては目前のテーマとその後の複雑な経路を経て効果が出る結果の関係が分らない・・(部屋を広くしたいということとそのために間仕切りの壁や柱を取り払ったら安全性がどうなるか・・その先のことは素人には分りません)古代以来個々人がそんな能力のあったことはないので、大変なことです。
有価証券投資・運用のような値上がり値下がり程度の単線的見通しでさえも難しいことから、個々人が直接手がけるのは至難の業で投資信託みたいにどこかに委ねるしかないのが普通です。
投資顧問のAIJ事件が発覚したばかりですが、プロでない個々人どころか年金基金などセミプロでさえ、直接運用するのは至難のことですから、投資顧問会社に一任しているのが普通です。
そこで複雑な政治決断をどこかに任せるしかないということで間接民主・代議制になっているのですが、実務能力を信頼して任せていた自民党は世襲制がはびこり2世3世議員の時代になって絆創膏を貼った大臣が出て来たりして信用を落としてしまいました。

政治の担い手・・企業から個人へ1

民主党の実務能力のお粗末さにあきれて自民党政権に戻っても、(民主党よりマシかも知れませんが)自民党政権時代の約3年前に比べて企業の海外構成比率がより上がっているので、以前よりも熱心に政策実現のために応援する必要性を感じていないので、自民党にまともな実務能力が育つ訳ではありません。
自民党は政権を離れたので企業が寄り付かないと焦っているようですが、自民党が仮に政権政党になっても、企業は昔に比べて国内政治重視レベルが下がっているからあまり期待しない方が良いでしょう。
マスコミ中心の時代には左翼の評論家が幅を利かしていましたが、ここ数年ネットの発達で右翼保守系評論家の方がネット上では華々しい感じになっています。
いずれにしても企業をバックにした組織的政策提言・・地味なものがなくなったので、彼ら思いつき的発言・・極端に走りがち・・純粋な理屈だけ述べていれば良いので分り易くて脚光を浴びているに過ぎません。
・・実務能力に裏付けられない単発的評論でいくら有名になっても、誰が現実政治を担えるのかということです。
経済評論家・技術評論家がトヨタや日産の社長や現場の責任者を出来ません。
物事の決断というものは単純ないくつかの論理を突き詰めれば良いのではなく、人智の及ばない無数のファクターを総合直感力で決断して行く作業です。
料理でも健康でも分っている個別栄養素の集合さえすればおいしいものが出来たり、健康維持出来るものではありません。
評論家は政治家や経営者が意識にのぼっているいくつかの要素を取り出してその論理矛盾を論破して喝采を受けているのですが、(悪く言えば揚げ足取りみたいなものです)現実には意識下で判断している要素がその何倍もある事実・・人智ではまだ分らない物事の方が多い事実を無視した議論になりがちであることを自覚・・謙虚にする必要があります。
実務指揮者・・その他指導者には無数にある無意識下の要素を判断出来る能力に優れた人がなっていることが多いので、これを意識にのぼった要素だけで批判・討論しても本来議論がかみ合っていません。
土俵が違うのですから、マスコミ的議論の場では実務家は決断の根拠をうまく説明が出来ず(意識下の深層心理の集合的決断を言語で論理的に表現するのは無理があります)不利に決まっています。
個人企業経営の親子の議論で言えば「お前らには分らん・・」と経験豊富な親父が一喝するしかない場面です。
経営評論家が経営してもうまく行かないことが多いのは、上記理由から出て来ることで、評論家(口舌の徒)は意識に出た言語の要素分析に長けているのに反比例して無意識下の要素判断能力がその分逆に低い人が多いことに由来しています。
民主党政権で軍事評論家が、6月初めころに防衛大臣に任命されて物議をかもしましたが、(この供給源は保守系の牙城でしょうが・・・)民主党に限らず、今や、実務家ではない単発的評論家しか政治に関心を示していないことを象徴しています。
現実政治を堅実に担えるのは、もの言わない・・無意識下の要素吸収能力の高い多数の実務家ですが・・・。
話がそれましたが、企業が政治から離れつつある現象・・政治はどうなるかのテーマに戻します。
企業が以前ほど政治に熱心ではなくなり、・・熱心でなくなっただけではなく、ときに利害対立しかねない存在となって来ました。
これまでは自分の勤務している会社の命運と自分個人の損得はおおむね一致していたので、大方のことは会社の指導者の意見に任せておけば良かったのですが、今や、会社の都合で日本の労働者を見捨てて(リストラしてでも)海外生産増に動くかもしれないのでは、利害対立関係になるので安心して任せておけません。
実際、6月24日の日経新聞第一面では多くの企業が海外生産増=国内生産縮小の方向性を打ち出しています。
企業は海外に軸足を移しつつばかりではなく、昭和年代の従業員中心経営から株主重視へ軸足を移しつつあり・これの原因とも言えますが海外株主獲得へとシフトしています。
2012年6月30日日経朝刊15面「日本の株主」欄によれば、例えばトヨタ・住商などは10年前には、国内金融機関の保有率は5割をこえていたが、今では保有比率が2〜3割に下がっていて減少分の穴埋めに海外株主獲得に力を入れていると書いています。
海外株主が増えれば従業員利益よりは配当期待が高まるのは当然の帰結ですから、企業利益は従業員である自分たちの利益でもあるという蜜月関係は終わりつつある原因と思われます。
国民個々人が直接のステークホルダー・利害関係人になってしまった時代は、国民にとっても国民の福利を実現すべき政治にとっても大変です。
これがここ20年ばかり続いている内需拡大政策に関して、最近では公共工事や企業補助金支出よりは、個々人への直接バラマキ→消費拡大期待噴出の基礎となっているのでしょう。
この期待を受けて民主党は「コンクリート(企業)から人へ」と個々人への直接支出の方向性を打ち出しています。
しかし仕事の場を縮小してその分個人に対しての補助金・・失業給付や育児手当その他個人向け給付を増やす政策では産業は逃げ出すばかりで日本経済は左前になります。

企業の政治離れ1

企業が海外に簡単に逃げられない時代には企業体が政治に対して必死(文字どおり存続・浮沈にかかわりますので)に注文を付け、政治もこれに呼応して政策立案能力が磨かれて行きました。
グローバル化が進み企業体としては海外展開の余力・・おまけとして政治に注文を付けるだけで足りる時代が来れば、苦労して政治に訴え理解のない官僚を教育し・鍛えて実現する必要性が弱くなります。
また、特定政策推進に肩入れし過ぎると、反対派から不買運動を起こされるリスクの方が大きくなりかねません。
原発再稼働であれ風力発電・太陽光発電であれ何であれ、中立で見守っていて結果が不都合ならば、そこから逃げ出して都合の良い政策採用している国・・例えば太陽光発電業者は太陽光発電に対する補助金の多い国で増産すれば足ります。
FTAであれTPPであれ業界は日本政府の尻を叩かなくとも、(日本国内の生産を縮小し)アメリカやメキシコで生産増して韓国中南米等へ輸出すれば良いのですから、必死になって推進する(農家の機嫌を損ねる)必要がありません。
法人税が高いと思えば、税の安い国で投資拡大すれば良いので政治活動までして(政治には反対派の存在がつきものです)嫌われる必要がありません。
実際には投資済みの生産能力削減は大きな損失を伴うので容易ではないのですが、国内でしか生きる場のない時代に比べて死活的重要性が減少していることを書いています。
また殆どの企業は現状維持ではなく、いつも増産するチャンスあるいはスクラップ&ビルド(大手コンビニその他で言えば新規出店と不採算店の閉鎖の繰り返しと同様に世界企業もいつも最適生産・出店を検討しています)をしているので、不都合な国での増産や更新投資を見合わせて都合の良い国で増産をする・・こうした繰り返しの結果国別の投資比率が徐々に変わって行くのが現状です。
このように政治から距離をおく企業が増えて来る・・海外比率が高まる一方になると企業・官僚の二人三脚による政策すりあわせが減り、官僚の政策立案能力が低下して行きます。
これが官僚に頼って来た自民党の政策遂行能力を徐々に弱体化させて、ついには下野する所まで追いつめられた基礎的構造変化だったと思われます。
それまで国民の大方は企業に属していることもあって、職場の代表である企業にお任せしておけば、国際問題も海外事情に詳しい企業と政府(官僚)が協議して何かとしてくれる・・間接的な立場でした。
(若手→中堅→古参と順次昇進して行く企業では企業首脳部や先輩の判断に委ねておけば自分が考えるよりいい結果になるだろうという信頼感が基礎にあります)
日本を取り巻く環境変化に対する切実感の最大利害関係者・・ステークホルダ−だった企業が今では国内政治の脇役になってしまった以上は、簡単に逃げられない国民個々人が直接政治を担うしかない時代が来ています。
個々人が国際政治の利害結果を直接受けるようになって懸案を自分で(どこか中間団体に任せておけず)解決するしかない・・その集合体である政治に直接訴えて解決して行くしかなくなったのが、グローバル化進行以降の政治状況です。
実務能力のない個々人の訴えによって政権が成立する時代が来ると、その政権(民主党など)には実務的すりあわせする相手がいないのですから足腰が鍛えられない・・能力不足になるのは仕方がない所です。
政策立案遂行能力は、政権支持者によって磨かれるからです。

貿易収支赤字転落(原発事故)1

これまで新興国の停滞ラインがどの辺になるかの関心で書いてきましたが、・・今後我が国の(国際平準化後の)安定ラインはどの辺になるかを見て行きましょう。
イギリスが第一次世界大戦前からドイツやアメリカの追い上げを受けても、我が国のように産業高度化に構造転換して穴埋め仕切れなかったことが、現在に続くポンドジリ貧の原因でしょう。
(勿論イギリスも一定限度で高度化出来ていてロールスロイスのように世界最先端技術もありますが、国・社会全体の裾野の広い転換が出来なかった・・トータルでみるには貿易収支でしょうが、貿易収支が黒字にならない限り転換がうまく行ってないと言えるでしょう)
ちなみにイギリスの国際収支を日本の財務省の統計でみると1980年以降1回も黒字になっていない・・ずっと赤字の連続です。
日本はバブル崩壊後も約20年間巨額貿易黒字のままGDPが微増あるいは現状維持を続けていたことを国際収支表を紹介しながら書いてきました。
世上失われて10年とか20年と揶揄されますが、国内総生産が微増を続け、経常収支の黒字が莫大なまま推移していたことを見れば、結果として昨年の大震災までは日本は中国等新興国に追い上げられながらも構造転換に成功していたことになります。
まして、対ドル円相場がこの間に2倍近くも上がっていることから、ドル表示で見れば、驚異的高成長を続けて来たことになります。
昨年の大震災以降発電用燃料の大規模輸入により貿易赤字が原則化し始めているのは心配ですが、石油ショック時にも一時貿易赤字になったことがありますが、苦節何年・・ついに盛り返して経常収支巨大黒字のままで現在に至っています。
今回も試練・・燃料輸入増による貿易赤字化のピンチをチャンスの切っ掛けにして更に強い日本を再生出来ることを期待しています。
貿易赤字が定着するとなれば、ギリシャ並みに緊縮・・更なる構造転換の必要性が現実化してきます。
先ずは貿易赤字の行方・・解消見通しが重要です。
石油ショックのときは、企業の海外展開はホンの僅かでしたので企業も一丸となって全力投球で適応するしかなかったのが功を奏したのですが、今では、大手企業の大半が世界各地に工場を持っていて国内生産はその一部でしかありません。
今では企業に取っては輸出・生産環境の変化は、内外生産比率の変更で事足りるので、政府に円高対策を求めるとしても切実ではないし、その他環境や規制変化に対し企業にとっては血のにじむような新展開努力をする必死さが薄れています。
国内のスーパーなどが各地方自治体の政治には関心があるものの、その結果に対して早く反応することが主目的であって政策実現に向けた努力を殆どしないのと似ています。
全国展開のスーパーや大型電気店にとってはどこかの県にこだわる必要がなく、より有利な所に出店を加速すれば足りる関係ですが、多国籍企業もこれに似ています。
6月24日日経朝刊第一面を見ると、ホンダ(はその一例)も日本からの輸出(生産)を減らしてアメリカで増産してアジア諸国への輸出に切り替えて行く戦略が出ていました。
こうなって来ると日本企業の定義って・・・?と疑問を感じる人が増えるでしょう。
こうした動きが目白押しですので、燃料輸入増で困っているので本来は輸出を増やさねばならないのに、日本からの輸出が減る方向の動きが多くなっていることと石油ショックのときにはまだ伸び盛りの時代でしたが、今は高齢化社会に入っていることもあって、今回は貿易赤字解消がかなり難しいかも知れません。

新興国の将来14(中国暴発リスク1)

今回は外国からの投資も減っているし貿易黒字も減っていて・・その上バブル崩壊で金融機関の体力がなくなっていることなど総合して金利下げ政策しか出来なかったのでしょうが、金利による所得移転目的は思惑から外れそうな雲行きです。
話を中国の今年度予算に戻しますと、赤字予算で全体の規模拡大をしない限り公安関係予算を突出させるとその分他分野の支出縮小となってしまいます。
(ただし、2012-6-17「新興国の将来9(治安予算1)」で書いたようにこの点の事実関係が今のところ不明ですので仮定形です)
もしも予算規模が成長率の範囲内であるとすれば、一般予算を減らすのは経済危機に際して国内景気縮小を加速させる政策ですから、(軍人を増やせば失業救済にはなるかも知れませんが・・)経済不安から暴動が頻発しても仕方がない・・その代わり公安・軍事予算を2割も増やしたという開き直り予算になっているのではないかと、世界を驚かしています。
公安。軍事予算ばかり増やさねばならない所に現在中国(共産党政権)の真の危機があると言えるでしょう。
中国は秦漢の滅亡以来どの王朝・政権も常に末端の流民化が、政権の滅亡を早めたのが中国2000年の歴史です。
庶民流民化に対応して鎮圧用武力を政権安定時よりは増強するのが常ですが、結果的に政権崩壊に繋がってきました。
国民を満足させられず鎮圧に頼るようになれば、政権末期が近づいていることになります。
経済(政策)は、経世済民の略語ですから・・国民に満足してもらうためのものですが、その目的を放棄して治安強化で押さえ込もうとする方向に舵を切ってしまった共産党政権は、国内不満を激化させて最後を迎えることになるかも知れません。
尤も「経世済民」は中国古代文献に発する熟語ですが、これを一般的に使い始めたのは我が国の江戸時代に始まるので、中国では近代用語が我が国からの逆輸入ですから、中国特有・・「金儲けさえすれば良い」程度に変質しているかも知れません。
中国が経済的に行き詰まれば、どう言うことが待っているのでしょうか?
最初の内は国民の不満をそらすために、対外強行策が繰り出されると想定しておいて良いでしょう。
尖閣諸島、南沙諸島など対外摩擦がここ数年既に始まっていますが、これらは内政の行き詰まりから目をそらすための先触れかも知れません。
中国の暴発を恐れて妥協を繰り返すのは、ナチスに対するチェンバレンの融和策と同じ結果・・それどころか巨大な内部矛盾を抱えているので際限のないことになると思われます。
例えば沖縄や南西諸島に多くの中国人が住むようになると、その保護のためという武力進出をしかねません。
北朝鮮の暴発を恐れているマスコミ論調ばかりですが、北朝鮮は内部結束が固いのでその心配はむしろ少なく、中国暴発の方こそ危険性が大きい上に強大な武力を持っているのでその警戒が必要です。
そのときに備えて相応の国防力を用意しておく必要がある・・物騒な時代が来るような気がします。
多分アメリカの国力・軍事力低下を見越して中国は動くので、アメリカが圧倒的兵力で中国を押さえ込めないでしょうから、初期占領されてしまうと解決がグズグズと長引くことによって軍事占領を既成事実化して行くことが予想されます。
しかもその島の居住人口の大半を中国系人が占めているとその正当性が高まって行きます。

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