次世代の生き方4(過剰労働力1)

7月30日に紹介した東大教授の少子化・労働者不足のために企業が海外進出すると言う論文ですと、我が国で何故4〜5%もの失業がありその何倍もの無業者や非正規労働者が膨らみ続けているのかに対する答えにはなりません。
ちなみに失業者も約20年前に2%前後だったように思いますが、これに比べればジリジリと上がっていますが、それだけではなく、家族愛の強い我が国では職安に通わない(大学を出ても就職しないで親の家に寄生したままの人が多いのです)無業者数が大きな意味を持っています。
以下に念のために統計数字をコピーしておきます。
失業率だけみても約2倍になっていますが、この実態・国民の不安を無視して労働力不足を何故心配する論文になるのかということです。

1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
2.02 2.21 2.36 2.65 2.71 2.62 2.77 2.84 2.51 2.26
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999
2.10 2.10 2.16 2.51 2.89 3.15 3.36 3.40 4.11 4.68
2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009
4.72 5.03 5.36 5.25 4.72 4.43 4.13 3.85 3.99 5.07
2010 2011 2012
5.06 4.55 4.50

求職を諦めている無業者は失業統計に出ませんが・・社会を論じるには重要な数字です。
無業者の統計を取るにはやる気さえあれば、少し複雑ですが計算出来る・・例えば15歳以上65歳以下の男子総数から現実の総就労者数を引き、ここから一定数の身体障害者・長期入院・自宅療養者数を引けば大方の数字が出る筈です。
どこも悪くないのに働く意欲がない人もいるから、無業者の統計は意味がないのだという人もいるでしょうが、彼らの多くは何回かチャレンジしてうまく行かなかったから、あるいは就職難でとても無理だと初めっから意欲をなくしている人がかなりいます。
怠け者と言っても実際には、あきらめが先に立っている人がかなりいます。
内心の調査までするのは費用がかかり過ぎるから、先ずは無業者の統計を取ることから始めれば世の中の実態が大方分ります。
女性の場合仕事がないことを理由に働かない人ばかりではない(専業主婦希望が多い)ので一概に言えませんからもっと詳しいデータが必要ですが、(これだって精密な工夫をすれば統計が可能です)成人男子で病気でもないのに働かない人は滅多に・・主夫希望は統計に加えるほどいないので統計数字には加える必要がないでしょうから、簡単に概数が出ます。
そのうえ、若年者の多い国を含める国際統計と違い我が国の研究としては、長寿化が進んでいる上に労働・勤労意欲が高く65〜70歳でも仕事さえあれば働きたい人が多いので、意欲のある限度で彼らも就労可能人口に加えて統計を取るべきです。
年齢別の就労意欲調査がありますから、この比率を年齢別人口に掛け合わせれば高齢者の就労可能人口(概数)を簡単に計算出来ます。
簡単に出来る計算をしないで、何故か彼らを統計に加えない議論が多いのですが、彼らの内就業出来ていない人数は(諦めて職安には行きませんが)実質失業者でと言うべきでしょう。
我々弁護士で言えば、70歳前後でまだ現役の方が多い状態ですが、この人口を計算に入れないで、65歳以下だけの弁護士人口を計算してまだ弁護士は足りないと言っているようなものです。
統計上隠退したことにしている団塊世代(彼らは実際にまだかなり働いています・・)の彼らを就労可能人口に加えると労働力が逆に増えている可能性があるので、労働力減少のマスコミ大合唱に合わないのでこれをあえて加えない暗黙の合意があるのでしょう・・。
しかし彼らの高齢者の労働力化・・繰り返される定年延長がストレートに若者の新卒採用減に繋がっていることを繰り返し書いてきました。
男子だけに限っての簡単な無業者調査すら学者があえてサボタージュして調査研究をしない・・あるいはしていてもマスコミに都合の悪いデータなのでマスコミに出て来ないだけかも知れません。
(シンクタンクと言っても、企業や官庁からの調査研究依頼でお金をもらってやっているだけですから、調査研究依頼が「少子化の◯◯に与える影響」などと言うテーマで来ると、それに拘束されてしまうのは仕方がないでしょう。)
最近、研究助成金や委託料を貰わねばならない大学教授やシンクタンクの論文よりは、ブログで意見発表する人の方が人気があるのは、お金に縛られていないことによるのでしょう。
原子力ムラの科学者がまとめて信用をなくしたのも同じ理由です。
(少なくとも原子力ムラに属していないと実務も全く分らないでしょうし、そこで村八分になる訳にも行きませんので好きなことを言えるのはリタイヤーしてからになります)
中部大学教授の武田先生のように事実上リタイヤーしていて、欲も得もなくなった人たちだけが本当のことを書ける強みがあります。
(私などもどこからもお金が出ないので逆に気楽です)
以前学問の自由と言っても昔のように書斎で思索を重ねていれば良い時代と違い、政府や企業から研究委託・助成金が出ないと何の研究や調査出来ない時代では、その時々の力のある勢力の代弁的研究しか出来ないことになる傾向を書いたことがあります。
膨大な無業者・・あるいは時々働く程度の人が最近では4〜50代にまで及んでいる重要な事実を、研究助成金や委託料に縛られる高名な学者がネグレクトしたままで・・そう言う学者ばかりが、マスコミで採用されて議論しているのは困ったものです。
私の依頼者関係でも50代になってもまだ家にゴロゴロしている人が結構います。

次世代の生き方1

戦前あるいは戦後昭和40〜50年代ころまでに亡くなった世代と今の中高齢者を比べれば、現在の中高齢者の残してくれる公的・私的遺産(次世代への学歴付与を含めて)の大きさは誰の目にも明らかでしょう。
どう言う根拠で今の若者が前の世代に比べて損をしているとの風説をマスコミがまき散らし宣伝しているのか、理解に苦しむ妄言です。
(増税したい官僚の御機嫌取りをしているのでしょうか)
我々世代は焼け野が原あるいはその直後のバラっクから始まったので自分の住むところから道路港湾すべてを作るために膨大なエネルギーを取られてきました。
一般サラリーマンでも、収入の中からかなりの貯蓄をする必要がありましたがそれはすべて将来のマイホーム取得のための貯蓄でしたし、一定額まで溜まってからマイホームを取得すると今度は住宅ローン支払におわれ、子供の教育費(戦後世代の育った頃に比べて中卒が高卒になり、高卒が大卒〜院卒になるなどワンランク以上アップしています)に追われている生活でした。
言わば我々世代は自分の消費する分はホンの僅かで、自宅取得資金や次世代教育費に大方使って来たのです。
国や自治体にとっても同様で、予算の大部分は道路整備・美術館博物館その他の公的資産の充実や教育予算に使ってきました。
先進国の若者は親世代の残してくれた膨大なインフラの御陰で、自分の日々消費する衣料と食費・サービス受益分だけ稼げば(自宅やインフラ新規形成分の稼ぎがなくとも補修費程度の負担さえすれば)ハイレベルの生活が出来る恵まれた状態になっています。
若者はこの恵まれた状態・遺産の承継・無償使用が原因で、就職難に遭遇しているパラドックスになっているのでは気の毒・可哀想という外ありません。
現在やるべき公共工事もあらかた終わっているし、自宅も大方の人は持っている・・しかも戦後直ぐのように安普請でなく恒久的な(100年住宅)建物を多くの人が取得していて次世代はそのまま住める家が多くなっています。
新しく作らねばならない道路や団地もなければ、高校、大学の教室も住家も足りていますから当然そのための建築土木工事・・これらに供給すべき原材料の生産その他の仕事も激減です。
この大きなプラス遺産が皮肉にも彼らのするべき仕事をなくしているので、その分だけ仕事場が減っている・・就職難になるのは当然です。
次世代が損しているから苦しいのではなく生まれつき得しているから、するべき仕事がなくて苦しいというパラドックスに陥っているのです。
海外進出パターンでも同じで、草創期にはいろんな人が出張して足場固めに奔走しますが、海外進出に成功している会社でも安定期になると現地スタッフに徐々に権限委譲して行くしかありません。
草創期の人が
「俺たちはペットボトルもなくて現地の水で腹を壊しながら歩き回って顧客開拓に汗を流して頑張ったのに比べて、今の社員はちょっと出張してくれば良いだけで楽だよなあ」
という図式ですが、楽していて仕事が間に合うのに比例して若手社員の仕事場・・するべきことは減って行きます。
アメリカ軍の空襲で全国殆どで住む家さえ燃えてしまって、何もかも再建・復興しなければならなかった時代と違って来たのですから、今の若者が何もかもなくなってしまった復興時代の人生モデルを踏襲しようとして仕事がないと困っていること自体、智恵の足りない話です。
同時代であっても大震災の復興需要・・主として土木建築・その骨材建材等需要・その方面の労働需要)のある東北地方と、震災の災害を受けていないその他地方とでは需要が違い、これに合わせてやるべきことも違って来ることから見ても明らかでしょう。

国際収支3(原発停止)

所得再分配資金についても同じで、政府がどの水準まで国民に生活保障すれば国際収支が均衡し、それ以上ならどれだけの赤字になると言う試算表が公表されるべきです。
学者も政府のお先棒ばかり担いでいないで、こうした国民が本当に知りたがっている研究発表を自発的にするくらいでないと存在価値がありません。
仮に生活水準が現状で国際収支トントン、今の1割アップで2割の赤字ならば、これ以上社会保障水準を引き上げないことが肝要であって、水準を1割引き上げてその資金源として国債を減らして増税しても収入以上の生活をしていれば、対外的な赤字は減りません。
日本経済にとって重要なのは生活水準をどの辺に置くかの議論であるべきであって、国債によるか税収によるかは全く関係がないことを、April 6, 2012「財政収支と国際収支1〜2」で国債が悪で税が善とする意見が誤りであることを連載しました。
現在での具体的な例で言えば、原発停止による燃料費の支出増でイキナリ貿易赤字体質に転落していますが、これに比例して電力消費減・節約が叫ばれているのは上記理論の無意識な応用です。
もしも現状の生活水準を維持したままで従来通り電力を使えば、貿易赤字が恒常的になるとすれば(その他輸出が以前よりも増えなければ)、第1の原因である電力消費を先ず減らすこと・・それでも足りなければ第2にその他の支出も減ら(結局は生活水準低下)して行かないと巨額貿易赤字が定着してしまいます。
これまでの生活水準は原発依存で成り立っていたのですから、これをやめる以上は、コストアップした分・・高価な電力利用・家計負担増加・・ひいては値段に応じた消費削減を求めるのは仕方のないことです。
(原発の方が火力・水力よりも総体的にコストが安いと主張しているのではありません。
原発の方が事故があったときの損害倍賠償や廃炉コストなど加えればトータルでは高いかも知れませんが、これまでこうしたコストを織り込まないでやっていたので外見上安く見えていたに過ぎませんが、外見上の安さに比べて高くなるということになるでしょうか?)
もしもこのままの電力利用の場合、対外収支としてはやって行けなくなる(巨額赤字が継続する)とすれば、家計負担を嫌がって国家で(補助金・・原資は国債もあれば税もありますが)負担しても、国際収支赤字そのものが減る訳ではありません。
以上の次第で、我が国の国債が資金ショートするとしたら稼ぎ以上の生活をすること・国際収支の赤字継続→外貨準備・対外純債権の枯渇が前提であって、国債発行残高の増減には全く関係がありません。
原油や天然ガス輸入拡大によるここ1年間の貿易巨額赤字が恒常化するか否か私には不明ですが、もしも恒常化するとすすれば赤字がなくなる程度まで生活水準を落とさない限り、日本は将来的にギリシャ危機のようなことになります。
具体期には、原発をやめることによってその比率・・仮に原発依存度30%だったとすれば国民が30%電力消費を削減出来れば、原発をやめることによる原油等原燃料の輸入拡大は起きません。
しかし、一律に30%削減すれば、生産活動も同率30%縮小する(画期的な省エネ技術の開発がない限り国内総生産は電力消費量にほぼ比例するのが現状です)ので国内総生産が30%縮小・・従来の輸出用生産が大幅減になりますので、結果的に従来通りの国際収支にはなりません。
と言うことは家庭消費用の電力を8〜90%削減して、生産用電力削減を10〜20%減(国内総生産も1〜2割減)程度にしなければ、経済が成り立たなくなる理屈です。
家庭用とは言え、8〜9割も削減したのでは文明生活とは言えませんので、結局その他の支出(果物その他嗜好品の輸入を抑えてでも原油等の輸入を増やすしかない)電気の方は最大でも従来の10〜15割減くらいにしたいものです。
(これでもかなりの不自由・生活レベルが落ちますよ!)
原発全面停止による原油等の輸入拡大分が仮に昨年1年間6兆円であったとした場合、それを元に戻せない・・仮に最大節約(風力・太陽熱等代替電力の開発・省エネその他で)努力しても半分(3兆円)しか減らせないとすれば、残り3兆円分の赤字を原油以外のどの部分の輸入をどの程度減らして収支を事故前の国際収支に戻すべきかを(いろんな)パターンに分けて(原発依存度をイキナリゼロにするのではなく徐々に軽減するパターンも含めて)研究しておく必要があります。
(原発事故前よりも車や精密工業品などの輸出を増やして原燃料の輸入増の穴埋め出来れば言うことがないですが、海外展開や韓国等の追い上げを受けて国内生産が縮小して行く速度を緩めるのがやっとで・・輸出増をこれ以上期待するのは無理でしょう)
赤字国債を税に切り替えても国債収支の改善には何の解決にもならない・役人の自由度をどれだけ増やすかの議論が政治の主要テーマになっていますが、今はそんなことよりは、原発をやめる・あるいは徐々に縮小して行くとしたら、どの程度まで生活水準低下を国民が受入れられるか、輸出増努力と生活水準低下で穴埋めし切れないで残る貿易赤字をどうするかの研究・・活発な議論が必要とされているのではないでしょうか?

国際収支と財政赤字1(国債の外国人保有比率2)

1家の経済で言えば、家族内の貸し借りだけにしてよそから借りてまで(一家の総収入以上の)豊かな生活をしないようにするために、外国人による国債引き受けが必要になった時点で緊縮経済に切り替える仕組みにすれば健全です。
政治的に見ても外国人の出資を受けなければ、外国人の意向に左右されなくなるメリットがあります。
外国人投資家に国債を引き受けさせない・・あるいは一定保有率以上になったら国債発行を出来ない制度設計にすれば国内資金で賄える限度しか政府支出が出来なくなりますし、国内資金の限度で賄っている限り国債残高がいくら膨らんでも対外経済上(デフォルト)の心配は全く要りません。
国債発行残高問題の論点は、財政赤字になるか、その額が大きいかどうかではなく、当初引き受けだけではなく転売後も含めて外国人保有比率をどうすべきかこそを議論すべき事柄です。
ただし、国際政治上我が国だけ外国人保有禁止を出来るかの配慮は別に要りますし、国民が買った後の転売・名義貸しを考えると法的禁止まで進むのは無理があります。
そこで実質的外国人保有比率を何%まで認めるかの政策判断・・何%を超えたら、新規国債発行を禁止するガイドライン・トリガー制度が必要となります。
無制限に外国人比率を上げて政府が安閑としてることになれば、そのような制度設計こそが危機管理として問題ですから、これをマスコミが報道すべきことです。
これまで約40年くらい連続して国際収支黒字でしたが財政赤字が累積している現状に明らかでなように国際収支が大幅黒字でも、税を取らずに国債で賄えば財政赤字ですし、税で国費を全額賄っても国際収支の範囲を超えて国内で消費すれば国際収支は赤字になります。
国全体の収入以上の生活を政府が保障しているとその差額資金が税収によるものであれ国債であれ結果的に国際収支が赤字累積になります。
何回も書いていますが、一家の総収入の範囲内の生活かどうかが重要であって、一家の総収入(40万円)以上の(50万円の)生活をするために自分の収入30万円に加えて息子から20万円を生活費として借りたことにしている場合に、強制的に(税として)20万円取るように変えても、一家の総収入が赤字であることは変わらず、いつかは家計が破綻してしまいます。
この逆に総収入の範囲内であれば、息子からの借金名目の数字が如何に膨らんでも健全性が変わりません。
「負債を次世代に残すのか」という報道も多いですが、親が死ねば相続人である息子の貸金が相殺によって、ゼロになるので何の問題もありません。
国家経済も同様で、赤字国債が如何に巨額になろうとも、その債権者も自国国民に限定していれば次世代はその債券を相続しますので、差し引き零以上の遺産を受け継ぐことになります。
この辺の原理については7月15日の「マスコミによる世論誘導の害2(不毛な財政赤字論1)」前後のコラムで紹介しました。
国民が債券相続出来るかどうかの意味でも、外国人が債権者の多くを占めているとその前提が崩れますので、外国人保有比率をどうするかを考えないでノホホンと発行を続けるシステムであると問題が大きくなります。
外国人保有比率の限度に関する内部ルール策定こそが喫緊の課題であり、これの議論をしないで財政赤字額の大きさだけを議論しても意味がありません。

国債空売り1(円相場下落)

国債の場合満期まで償還する必要がないので、いくら空売りがあっても政府自体は1つも困りませんが、期中の売り浴びせは国債の市場相場を下げる=金利上昇をもたらすので国内金利市場での影響が生じます。
ただし国内資金あまり状態下で空売りをやっても、少しでも(債券相場が下がり)金利が上がれば資金の持って行き場のない国内勢の余剰資金での買いが入りますので、空売りは失敗に終わります。
空売りが成功するのは資金不足状態・・長期的国際収支赤字が続いている結果対外純債務国に転落している場合に限られます。
国債破綻問題・・心配があるとすれば長期的国際収支次第であって、国債の残高の多寡に関係がないと繰り返し書いている所以です。
長期的国際収支赤字継続の結果、もしも国内資金不足状態に陥ると、政府にとっては満期償還資金を手当てするための借換債を発行したくとも、その引き受けが滞る・・あるいは額面を大幅に割り込まないと引き受け手がなくなる・・金利負担が高まる心配がありますが、この場合でもその分を日銀引き受けにすれば解決します。
日銀直接引き受けの場合、その紙幣が政府に入り、政府が満期の来た国債の支払に回すので結果的に同額の紙幣が市中に多く出回ります。
これが従来理論では紙幣大量発行は紙幣価値を下げ(インフレ化)ますが、我が国の場合、消費成熟国ですので紙幣が多く出回っても物価が上がらず、再び銀行へ還流して行くか海外流出して行くだけです。

この辺の理は、2012/03/30「日銀の国債引き受けとインフレ3」2012/03/31「日銀の国債引き受けとインフレ4」前後、最近では2012/06/19「新興国の将来11(バブルとインフレ1)」のコラムで書きました。
国際収支赤字継続の場合,その赤字分だけ紙幣が足りなくなるので貿易決済に使われて、これがひいては円安に連鎖して行きます。
貿易黒字下では紙幣が還流した銀行では、低成長経済のために投資先がない・・使い道がないので会亜害で資金不足で困ってるところへ貸し付けるか(我が国は最低金利ですから海外勢は日本で借りて高金利の海外で運用すれば儲かります)国債を買うしかないので、次からは国債引き受け資金不足が起きません。
18日に書いているように中央銀行の金利政策は結果の追認または先取りでしかなく、今では金融政策と言えるのは、量的緩和くらいしかない状態です。
しかし、量的緩和の一環として発行済国債を市中から買い上げる日銀のいわゆる買いオペはしばしば札割れ・・応札不足になっているのは、資金余剰のために市中では国債を日銀に買って貰って資金を獲得する必要がない状態を表しています。
タマタマ今日の日経朝刊15面には,札割れが解消しつつあることを紹介していますが、これは日経新聞の解説・・日銀の応札条件変更によるだけではなく,ここ1年程度貿易赤字が続いている結果,我が国の資金余剰が緩んで来た(余っている資金が減って来た)経済状態を表しているのかも知れません。
これまで日本は国内不況とは言え,長期に及ぶ国債収支黒字の継続の結果,民間では資金余剰で困っているのに量的緩和をしても余計だぶつくだけで意味がなかったことを表しています。
以上が長年資金余剰であった我が国の現状ですが、もしも今後長期的国際収支赤字が続いた場合、輸入代金決済資金不足状態に陥りますから、国内企業が輸入代金決済のために銀行から借りる需要が継続的に発生します。
貿易収支赤字分だけ紙幣が戻って来ない・・市場に出たままになり、この円でドルを買うので円相場がそれだけ下がります。
国際収支赤字によって円相場の下がった分に比例して輸入代金が上がるので、結果的に輸入インフレになります。
マスコミでは頻りにデフレ脱却が必要・・インフレ目標設定が必要などと騒いでいますが、グローバル化時代では1国だけの金利政策で出来るものではありません。
国際収支が黒字である限り円は上がり続けるしかなく、ひいては輸入品は下がり続けますので、国際収支赤字にならない限り輸入物価が上がらない仕組みです。
デフレ脱却期待論・・最近では緩やかなインフレ目標論は、国際収支の赤字定着期待論・一種の亡国期待論と結果が同じになります。

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