政治の担い手(企業から個人へ)2

政治と国民の間に入るべき組織・団体の政治機能が弱体化し国民個々人が自分のこととして直接政治の主役になって行くしかないので自衛のためもあって、政治意識が高まるのは良いことです。
その結果1億総評論家時代が到来し、ひいてはその意を受ける政治家も百家争鳴のなかで多数の個々人の民意を直接把握しなければならないので大変です。
国民は自分がアマチュアであることからプロに対する反感があるのも理解出来ますが、感情の赴くままに支持する傾向が強まるとアマチュア的政治集団の民主党・・あるいは維新の会のような政党がが有利になります。
政治のステークホルダーがアマチュアである個々人に下りて来たのだから、(元々最終利害関係者は国民個々人でしたが、これまでは会社その他の団体が介在してその恩恵を間接的に受ける関係でしたので気楽だったのです)その支持を受ける政党もアマチュア的政党になるのは仕方がないとも言えますが・・・。
厳しい消費者・利用者がいてこそ、商人が鍛えられて良い商品・サービスが生まれて来ます。
政治に対しても厳しい注文をつけ情報を提供して鍛えてくれる企業実務家が疎遠になり、政治家がアマチュアから直接支持を受けるようになると批判・不満情報が中心となり、その意見を通せば全般的社会・産業構造がどうなると言う有益な情報が入らなくなります。
家の建築でこの柱が邪魔だからない方が良いと思っても、その柱を取り外したら家の安全性がどうなる・・補強可能かという全般的見通しとセットでないと実現が無理なことは誰でも分りますが、政治に関してはその先の検討不要の無責任な意見がはびこり勝ちです。
原発で言えばアマチュア的に言えば危険なものはやめた方が良いに決まっていますが、アマチュアの主張はそこで停まっていて、原発をイキナリ全面的にやめた場合の市民生活がさしあたりどうなるか・どう対処すべきかの意見(情報提供)がありません。
原発に頼って経済市民生活がこれまで組織されていた以上は、これをイキナリ止めた場合(時速2〜300キロメートルの運動体でも徐々にスピードを落とせば安全ですが、イキナリ崖にぶつかって急停止するような事態です)の日本の産業構造への影響・・市民生活がどうなるかという総合的判断を捨象した一方的意見ばかりになり勝ちです。
「自分は反対しているだけだ・・その結果困ったことになるとしたらそれに対する善後策を考えるのが政治家・政府の責任だろう」という自分の意見通りになった場合及ぼすマイナス面に対する手当を考えようとさえしない無責任な意見が多いのが市民意見の大多数・特徴です。
ものごとには、長期・超長期の方針ばかりではなく短期の視点も重要です。
大飯原発の再稼働に関して弁護士出身の大阪橋本市長は当初大反対で民主党をボロクソにケナしていましたが、次第に現実的判断に同調せざるを得なくなった推移を見ても、アマチュアの支持に頼る政治家の限界が明らかです。
(橋下氏はテレビ番組に出ていて有名になり政治に出た経歴であって・弁護士出身というよりはタレント出身という方が正確でしょう・・維新の会も基本的には実務経験による裏付けのない集団です)
今回のように目前の電力危機・・経済・市民生活直撃という結果が目前に見えていてもあれだけ抵抗してほぼ時間切れになるまで難航させたのが衆愚政治というものです。
言わばギリシャ国民が最後の最後まで緊縮政策に反対してゴネていて再選挙までした結果、ギリギリの所で「やっぱりユーロ離脱もイヤだ」ということで渋々緊縮政治に舵を切るようなそぶりで決着したのと似ています。

政治の担い手・・企業から個人へ1

民主党の実務能力のお粗末さにあきれて自民党政権に戻っても、(民主党よりマシかも知れませんが)自民党政権時代の約3年前に比べて企業の海外構成比率がより上がっているので、以前よりも熱心に政策実現のために応援する必要性を感じていないので、自民党にまともな実務能力が育つ訳ではありません。
自民党は政権を離れたので企業が寄り付かないと焦っているようですが、自民党が仮に政権政党になっても、企業は昔に比べて国内政治重視レベルが下がっているからあまり期待しない方が良いでしょう。
マスコミ中心の時代には左翼の評論家が幅を利かしていましたが、ここ数年ネットの発達で右翼保守系評論家の方がネット上では華々しい感じになっています。
いずれにしても企業をバックにした組織的政策提言・・地味なものがなくなったので、彼ら思いつき的発言・・極端に走りがち・・純粋な理屈だけ述べていれば良いので分り易くて脚光を浴びているに過ぎません。
・・実務能力に裏付けられない単発的評論でいくら有名になっても、誰が現実政治を担えるのかということです。
経済評論家・技術評論家がトヨタや日産の社長や現場の責任者を出来ません。
物事の決断というものは単純ないくつかの論理を突き詰めれば良いのではなく、人智の及ばない無数のファクターを総合直感力で決断して行く作業です。
料理でも健康でも分っている個別栄養素の集合さえすればおいしいものが出来たり、健康維持出来るものではありません。
評論家は政治家や経営者が意識にのぼっているいくつかの要素を取り出してその論理矛盾を論破して喝采を受けているのですが、(悪く言えば揚げ足取りみたいなものです)現実には意識下で判断している要素がその何倍もある事実・・人智ではまだ分らない物事の方が多い事実を無視した議論になりがちであることを自覚・・謙虚にする必要があります。
実務指揮者・・その他指導者には無数にある無意識下の要素を判断出来る能力に優れた人がなっていることが多いので、これを意識にのぼった要素だけで批判・討論しても本来議論がかみ合っていません。
土俵が違うのですから、マスコミ的議論の場では実務家は決断の根拠をうまく説明が出来ず(意識下の深層心理の集合的決断を言語で論理的に表現するのは無理があります)不利に決まっています。
個人企業経営の親子の議論で言えば「お前らには分らん・・」と経験豊富な親父が一喝するしかない場面です。
経営評論家が経営してもうまく行かないことが多いのは、上記理由から出て来ることで、評論家(口舌の徒)は意識に出た言語の要素分析に長けているのに反比例して無意識下の要素判断能力がその分逆に低い人が多いことに由来しています。
民主党政権で軍事評論家が、6月初めころに防衛大臣に任命されて物議をかもしましたが、(この供給源は保守系の牙城でしょうが・・・)民主党に限らず、今や、実務家ではない単発的評論家しか政治に関心を示していないことを象徴しています。
現実政治を堅実に担えるのは、もの言わない・・無意識下の要素吸収能力の高い多数の実務家ですが・・・。
話がそれましたが、企業が政治から離れつつある現象・・政治はどうなるかのテーマに戻します。
企業が以前ほど政治に熱心ではなくなり、・・熱心でなくなっただけではなく、ときに利害対立しかねない存在となって来ました。
これまでは自分の勤務している会社の命運と自分個人の損得はおおむね一致していたので、大方のことは会社の指導者の意見に任せておけば良かったのですが、今や、会社の都合で日本の労働者を見捨てて(リストラしてでも)海外生産増に動くかもしれないのでは、利害対立関係になるので安心して任せておけません。
実際、6月24日の日経新聞第一面では多くの企業が海外生産増=国内生産縮小の方向性を打ち出しています。
企業は海外に軸足を移しつつばかりではなく、昭和年代の従業員中心経営から株主重視へ軸足を移しつつあり・これの原因とも言えますが海外株主獲得へとシフトしています。
2012年6月30日日経朝刊15面「日本の株主」欄によれば、例えばトヨタ・住商などは10年前には、国内金融機関の保有率は5割をこえていたが、今では保有比率が2〜3割に下がっていて減少分の穴埋めに海外株主獲得に力を入れていると書いています。
海外株主が増えれば従業員利益よりは配当期待が高まるのは当然の帰結ですから、企業利益は従業員である自分たちの利益でもあるという蜜月関係は終わりつつある原因と思われます。
国民個々人が直接のステークホルダー・利害関係人になってしまった時代は、国民にとっても国民の福利を実現すべき政治にとっても大変です。
これがここ20年ばかり続いている内需拡大政策に関して、最近では公共工事や企業補助金支出よりは、個々人への直接バラマキ→消費拡大期待噴出の基礎となっているのでしょう。
この期待を受けて民主党は「コンクリート(企業)から人へ」と個々人への直接支出の方向性を打ち出しています。
しかし仕事の場を縮小してその分個人に対しての補助金・・失業給付や育児手当その他個人向け給付を増やす政策では産業は逃げ出すばかりで日本経済は左前になります。

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