円安と貿易収支1

企業の立場にすれば、円安になっても例えばアメリカで価格据え置きで従来どおりの量しか売らなくとも、円に両替すると(円が2割下がれば2割)値上げして売れているのとおなじで・利益率2割アップになるので、多くの企業は価格据え置きで対応したと思われます。
円が2割下がった分価格も2割下げれば国際競争力が増して販売増→輸出増になりますが、企業はイキナリ増産や輸出対応が出来ません。
円が2割下がって2割下げれば、大繁忙効果で人員不足や商品・サービス不足に陥るので大多数の企業は価格据え置きの利益率アップに頼ったと思われます。
同じ量を売って利益率がアップするならば、・・忙しい思いをせずにこれが一番楽です・・。
仕入れが2割下がれば価格を2割値下げしても利益率は同じですが、(人件費や家賃その他与件があるので仕入れコスト2割安で2割値下げ出来ませんが、ココは分り易く単純化して書いています)値下げの結果、2割多く売れれば企業の受ける利益額はトータル2割増えます。
絶対的利益額では、定価据え置きで従来どおりの量を売って利益率2割アップした場合と同じです。
輸出企業にとっては同じことでも、値下げによる販売量アップの場合、増産効果が下請けや関連企業の裾野に利益のお裾分けが広がるメリットがあります。
全体で見れば、輸出増に繋がり幅広い国内産業が息を吹き返すのですが、企業が販売増で儲けるより同量売って利益率アップで儲けた方がいろんな意味で楽だし安全だから、この選択になってしまったのです。
円安がどのくらい続くかの見極めが出来ないと企業はこわくて増産投資できません。
現地販売価格の引き下げによる販売増・・現地販売店増・雇用拡大投資や輸出増加・・日本国内増産投資よりは、価格現状維持で儲けられるときに儲けておくのもその企業にとっては合理的選択です。
こうしておけば数年後に円が高くなっても余計な投資をしていない(利益の蓄積がある)ので、利益率減に対する抵抗力が強く価格据え置きのママ・・利益率減で対処できます。
仮に儲けをそのまま増産投資に回していると、数年して新規工場が稼働を始めた頃に円高に戻るとその設備や従業員が大変な重荷になり、値上げしないとやって行けなくなり、ひいては競争力を失います。
企業行動としては販売増よりは現状維持で儲けておくのが合理的ですから、利益率アップに対する期待感から直ぐに輸出企業の株価が上昇しましたし、現にこの1年で増収増益企業が多数出ました。
個々の企業としては合理的行動でもこうした選択が増えると折角の円安が、輸出企業の収益改善効果しか出ないで輸出増に繋がらず国内への波及効果が出ません。
逆に輸入価格が上がるマイナスが日本を直撃します。
外国での販売価格を下げて大幅販売増を目指しても直ぐに在庫不足に陥りますし、直ぐには製造や輸送がまに合わないので大量販売できません。
1年目は従来定価のママで利益率アップに動いたのは、仕方がなかったと思います。
これが1年目だけなのか、企業がずっと楽して(リスクをとらずに)儲けようとするかによって、貿易収支改善効果が出ないままで終わるかの分かれ道になります。
仮に製造業の国内回帰が徐々に進むとしても、当面は既存設備の稼働率の引き揚げで対処するのが普通ですから、国内工場新増設するには数年以上かかります。
国内増産が進むと日本は原燃料輸入加工貿易国ですから、原燃料輸入が半年程度先行して拡大し貿易赤字が拡大する仕組みです。
(鉄鋼製品輸出が増えるには先行して鉄鉱石等や石炭の輸入が始まります)
このように、1〜2年の円安程度で貿易赤字構造が劇的に変わる訳ではあり得ません。
経済見通しにはいろんな意見があり得ますから一概に言えませんが、楽観的見通しの立場でも短期的(数年程度)に貿易赤字→経常収支赤字が進むのは間違いないでしょうから、今は苦しくとも数年先に良くなる筈という程度の説明では、安倍政権を維持するのは厳しくなるでしょう。
政治というのは短気ですから、数年先には経済状態が良くなるという説明では政権が持ちません。
安倍政権の維持にはいわゆる第三の矢をどうやって効果的に打ち出せるかにかかっています。

貿易収支赤字転落(原発事故)1

これまで新興国の停滞ラインがどの辺になるかの関心で書いてきましたが、・・今後我が国の(国際平準化後の)安定ラインはどの辺になるかを見て行きましょう。
イギリスが第一次世界大戦前からドイツやアメリカの追い上げを受けても、我が国のように産業高度化に構造転換して穴埋め仕切れなかったことが、現在に続くポンドジリ貧の原因でしょう。
(勿論イギリスも一定限度で高度化出来ていてロールスロイスのように世界最先端技術もありますが、国・社会全体の裾野の広い転換が出来なかった・・トータルでみるには貿易収支でしょうが、貿易収支が黒字にならない限り転換がうまく行ってないと言えるでしょう)
ちなみにイギリスの国際収支を日本の財務省の統計でみると1980年以降1回も黒字になっていない・・ずっと赤字の連続です。
日本はバブル崩壊後も約20年間巨額貿易黒字のままGDPが微増あるいは現状維持を続けていたことを国際収支表を紹介しながら書いてきました。
世上失われて10年とか20年と揶揄されますが、国内総生産が微増を続け、経常収支の黒字が莫大なまま推移していたことを見れば、結果として昨年の大震災までは日本は中国等新興国に追い上げられながらも構造転換に成功していたことになります。
まして、対ドル円相場がこの間に2倍近くも上がっていることから、ドル表示で見れば、驚異的高成長を続けて来たことになります。
昨年の大震災以降発電用燃料の大規模輸入により貿易赤字が原則化し始めているのは心配ですが、石油ショック時にも一時貿易赤字になったことがありますが、苦節何年・・ついに盛り返して経常収支巨大黒字のままで現在に至っています。
今回も試練・・燃料輸入増による貿易赤字化のピンチをチャンスの切っ掛けにして更に強い日本を再生出来ることを期待しています。
貿易赤字が定着するとなれば、ギリシャ並みに緊縮・・更なる構造転換の必要性が現実化してきます。
先ずは貿易赤字の行方・・解消見通しが重要です。
石油ショックのときは、企業の海外展開はホンの僅かでしたので企業も一丸となって全力投球で適応するしかなかったのが功を奏したのですが、今では、大手企業の大半が世界各地に工場を持っていて国内生産はその一部でしかありません。
今では企業に取っては輸出・生産環境の変化は、内外生産比率の変更で事足りるので、政府に円高対策を求めるとしても切実ではないし、その他環境や規制変化に対し企業にとっては血のにじむような新展開努力をする必死さが薄れています。
国内のスーパーなどが各地方自治体の政治には関心があるものの、その結果に対して早く反応することが主目的であって政策実現に向けた努力を殆どしないのと似ています。
全国展開のスーパーや大型電気店にとってはどこかの県にこだわる必要がなく、より有利な所に出店を加速すれば足りる関係ですが、多国籍企業もこれに似ています。
6月24日日経朝刊第一面を見ると、ホンダ(はその一例)も日本からの輸出(生産)を減らしてアメリカで増産してアジア諸国への輸出に切り替えて行く戦略が出ていました。
こうなって来ると日本企業の定義って・・・?と疑問を感じる人が増えるでしょう。
こうした動きが目白押しですので、燃料輸入増で困っているので本来は輸出を増やさねばならないのに、日本からの輸出が減る方向の動きが多くなっていることと石油ショックのときにはまだ伸び盛りの時代でしたが、今は高齢化社会に入っていることもあって、今回は貿易赤字解消がかなり難しいかも知れません。

財政収支と国際収支3(純債権国)

国債引き受けに関する外国人比率が仮に2割3割と上がってもあるいは5〜6〜8割に上がっても、日本が対外純債権国である限り国債がいくら増えても対外的に困ったことにはなりません。
日本が外国国債を100兆円持っていて日本国債を外国勢が50兆円持っているときに売り攻勢を受ければ日本は保有している外国債券を売り浴びせて対抗すれば足ります。
現在で言えば日本はアメリカ国債を1兆ドル以上保有しています(その他にユーロその他の外貨も持っています)ので、外国人投資家(ソロスのようなアングロサクソン系デイーラーが現在の国債金融プロの中心です)が日本国債を売り浴びせて勝負を掛けて来たら、日本は保有しているアメリカ国債を対抗売りすればアメリカが困って直ぐに中止するしかない・・空売りを仕掛けた方が大損するしかありません。
日本が対外純債権国である限り、国債暴落事態は起きないのが論理的帰結です。
国民に心配を呼びかけるならば、国債の残高の大きさではなく、日本がどの程度の生活水準で貿易収支以上の支出を続ければ対外債務国に転落する心配があるかの研究とその成果発表であるべきです。
もしも現状の生活を維持すると国際収支が赤字になるとすれば、国費の繰り入れ方式が国債から税に変わっても政府の支出額が同じままでは国際収支がどうなるものではありません。
このときに必要な提案は生活水準を収入以下に落とすべき提案・意見です。
国債発行残高累増の問題・・国民の心配点は、国債の量と税収の関係にはなく国全体でその年ごとの収入以上の赤字生活・・貿易収支赤字を続けると対外的借金国に陥ってしまわないかの心配でしょう。
経済学者が国際収支赤字→純債務国転落を心配しているならば、今年度あるいは近い将来の日本の支出計画を示して、このままの水準で行けば、何年後には国際収支赤字に転落するから予算規模・生活水準をどの程度縮小すべきかの議論を仕掛けるのが筋です。
(国民に一定の生活水準を保障する思想が前提として編成される)予算規模が国際収支上持続可能かの議論をせずに、収入源を国債から税に変更すれば解決するかのごとき意見は論旨が無茶過ぎます。
このまま財政赤字が続けば大変なことになるから増税すべきだと多くの論者が言いますが、上記の通り財政赤字と国際収支赤字とは同じ赤字という言葉を使っても分野の違う概念です。
財政赤字は国民と政府の帳簿付け替え関係であり、対外的に赤字になるかどうかの議論とは関連性がありません。
税を一杯とって政府だけが財政黒字でもトータルとして国全体の支出が国全体の収入を上回っていれば(国際収支赤字である限り)不健全ですし、財政赤字でもトータル支出が国民の稼いだ総収入以下(国際収支黒字)であれば内部(政府と国民の)の分配問題に過ぎません。
息子や娘に生活費を強制的に入れさせずに子供らに借金しながら贅沢していても、息子らと親の対外的総収入の範囲内であれば、その一家は将来的に何の問題もありません。
逆に息子らに強制的に生活費を入れさせても息子らがそのために対外的に借金して入れている場合、息子らがサラ金地獄に陥ってしまうリスクが高まります。
国債が累増して行くと大変なことになるのは国際決済が出来なくなる(対外債務累増)ことにあるとするならば、政府の財政赤字額の多寡が問題ではなく、日本経済全体が対外的に赤字になるような支出計画かどうかです。
現在の予算(支出)規模で行くと、仮に何年間で日本経済が過去の蓄積を食いつぶして対外純債務国に転落するのであれば、予算=支出額をそのままにして税を上げても同じです。
現在の年金・社会保障その他公的インフラ水準を保障して行くと仮に今後5年で経常収支赤字を通り越して対外純債務国になるとすれば、年金給付等各種インフラ水準を引き下げるしかありません。
(国際収支が赤字になるのは国内生産以上の消費をした場合であって、その原資が国債によるか、税収によるかは関係がありません。)
国民は長期的には国際収支の範囲内でしか生活出来ない(一時的に借金で贅沢出来ますがいつかは破綻する)ことは自明です。
親の生活費として月25万円仕送りしている息子がこのままでは後5年で自分の貯蓄を食いつぶしてサラ金に借りないと親に仕送りを続けられなくなるとすれば、払えなくなる時点まで仕送りしてお金がなくなったら仕送りをイキナリストップするか、今から、親への仕送りを20万円に減らして(親に生活水準を落として貰い)仕送り期間を10年に延ばすかの議論が必要です。
この議論で、息子の仕送りを任意による(国債)のではなく強制的に親が取れる権利(税)に変更しても、事態は変わりません。
ちなみに税を上げる・国債増発は、政府支出を増やすことです。
もしもこのまま行ったら国際収支が近いうちに赤字になって大変だとするならば、むしろ政府支出を抑える方向・・減税して所得再分配基準を引き下げる・・国民に我慢を求めるための論説ならば趣旨が一貫しますが、国際収支の赤字の心配を煽った上で、それが増税の必要性に何故繋がるのか趣旨不明のマスコミ論調が多すぎます。
国債で賄うか税をどれだけ取るかは、日本経済全体の収入範囲内での分配問題でしかなく、税収を上げても国際収支が好転することはありません。
4月6日に書いたように国債による資金吸い上げは余剰資金の吸収ですが、税による場合有効利用出来るべき資金まで強制徴収してしまう結果、経済萎縮効果が大きくて却って国際収支赤字転落を早めてしまいます。
ただし私は消費税にシフトして行くのが公平だと言う意見を何回も書いているとおり、消費税率を上げて所得税を少なくして行く事自体には賛成です。
国債の累積を増税によって解消しないと日本経済が大変なことになるとする現在流行の論理がおかしいので反対しているだけです。

財政収支と国際収支2

たとえば収入70の人が80の水準で生活を続けると蓄積を毎年10ずつ食いつぶしてしまい10〜20年後に貯蓄がゼロになるとした場合、貯蓄ゼロになってから生活水準を70に下げるのはきついので、今から72〜73程度の水準で生活をして行くとどれだけの期間持ちこたえられるかです。
個人の場合には、5年後には子供が大学を出ているから生活費を抑えられると言う話がありますし・・国の場合30年後には少子高齢化の波が通り過ぎて人口構成が正常化するのを期待することも可能です。
100歳を越えた金さん銀さんが何故貯金するのか聞かれて「将来困らないために・・」と答えたのが笑い話になっていますが、高齢者でさえ「後3年でこの貯金を食いつぶす」と分っているのでは心配です。
ここで重要なことは、現在または近い将来の生活水準維持が国民のフローの稼ぎの何%超過(赤字)になっているのか、この(赤字)生活を続けたら何年で対外債権(蓄積)がなくなってしまうのかの計算式・見通しを示すことでしょう。
個人の場合で言えばあと30年生きるとして何千万円の貯蓄があって、年金収入での生活費不足分として月に何万円ずつ取り崩して30年持つというような計算をします。
国家としても(あるいは経済学者が)国民の平均生活水準として「家族3人で月40万で想定したらこれだけの国際収支赤字、この場合赤字転落後何年で純債務国転落、30万でやって行けば収支トントン、25万円だったら経常黒字の継続というような家族構成や年齢構成ごとのモデル式を示すべきです。
その上で、生活保護基準その他社会保障をこの平均値から何%減が良いか算出して国内合意をして行けば良いでしょう。
現在のように単に可哀想だからもっと上げろというばかりでは、基準のない感情論になってしまいます。
現在野田内閣では消費税増税を計画していることを受けて御用学者ばかりの日本では、赤字(国債)の累積と増税必要性の有無に議論が集中していますが、税収=再分配資金が一定量必要とすればその収入源を増税によるか国債によるかの区別は国際収支健全性のメルクマールと何ら関係がありません。
ここで必要なのは国民にどの程度の生活水準を保障すべきか、その水準で生活して行くと後何年日本経済は経常収支の範囲内で運営出来て、赤字転落してから何年間対外純債権国を維持出来るのか(その間に人口構成が正常化するなど)の見通しを示すことでしょう。
税金で取ろうと国債で集めようと現在の収入(国内総生産とは限りません)以上・・すなわち貿易赤字になっても現状の生活水準の生活を維持するために資金を吸収して国民に配っている(現金のバラまきに限らず公共工事等もインフラ整備も生活水準維持費です)と、いつかは過去の蓄積がなくなります。
消費税を10%から50%〜90%にしても、国全体で貿易赤字を無視して贅沢(公共投資その他)を続けて蓄積を食いつぶせばいつかは日本経済は破綻します。
現在の論壇は、財政赤字の解消のために増税しないと日本経済が破綻するというのですが、財政赤字と国際収支悪化との関連性に関する議論がありません。
財政赤字がいくら大きくてもその借金が国民からのもの(国際収支黒字)であれば、親子間で息子に生活費を入れさせるか入れさせないで借りたことにしておくかという帳簿処理に過ぎないのと同様で、何の問題もありません。
ギリシャ危機は対外的債務の方が大きいから危機になったのであって、財政赤字と経済危機とは直接の関係がありません。
マスコミが煽っている心配論は、国債残高累増によって、国内で購入し切れなくなって海外勢に頼るようになると世界最低金利では売れないだろう・・ひいては高金利化して利払いに困る・・日本経済もこの状態で高金利化するのは困るとの連想によるものです。
しかし対外純債権国である限り、国債の引き受け資金には困らない・・対外純債務国に転落しない限り国債がいくらあっても心配が要りません。

財政収支と国際収支1

前回まで書いたように現在の日本の経済状態では、紙幣発行量や金利の上下では景気を良くすることもインフレにすることも出来ません。
国債発行残高の問題は、財政赤字あるいは国内総生産との比率の問題ではなく、対外的に日本経済が赤字体質に陥るかどうかだけが論点であるべきです。
財政赤字がいくらあろうとも経常収支黒字または対外債権残高の範囲内である限り内部の分配問題に過ぎず何ら問題がありません。
今朝の日経朝刊25ページ(約1ページ全部に近い大きな論文です)にも、経常収支黒字が後何年かで消滅して行くので、この対策として財政赤字の改革・解消・・国債残高の縮小→増税が焦眉の急であると経済専門家が書いていますが、経常収支黒字が消滅して赤字になった後に税収だけ上げても経常収支赤字が続いたのでは、日本経済が大変なことになる点は同じです。
日本経済が大変なことになるかどうかは税収と政府支出の問題ではなく、国際収支赤字になっても日本人がごっつく稼いでいたころの贅沢をやめられないかどうかにかかっているのです。
国際収支赤字が続いて生活水準を下げる必要があるならば、このときに税収を上げても仕方がないどころか、逆に税収も下げて行くしかありません。
税の基本が所得再分配(現金の分配だけではなく公共工事も地域格差をなくすなどその一環です)のためにあるとすれば、再分配基準を上げるためには政府収入を増税または国債で増やすしかありませんし、経常収支赤字をなくすために生活水準を下げて行くときには、・・即ち生活水準を下げて行くときには政府収入・支出も減らして行く・・減税ないし国債発行額の縮小であるべきです。
税収を増やしても国際収支が好転する訳がない・・むしろ法人税その他負担が重くなると国際競争力が逆に低下するでしょう。
日本や世界の学者が日本の国際収支の悪化が迫っていることを理由にして財政赤字の解消・増税すべきだという主張を何故こぞってするのか意味不明です。
私のように財政赤字と国際収支は関係がないという意見を見たことがありません。
日本経済が大変なことになるかどうかは国際収支次第とすれば、国債で資金を吸収するか税で吸収するかの経済効果の違いこそ論じるべきでしょう。
同じ資金を市中から吸い上げる場合、税で取る方が経済発展を阻害する効果が大きいのは明らかです。
国債は元々使い道のない余剰資金が預金に滞留しているのを吸収してこれを政府が有効活用することですが、増税の場合企業その他の有効投資・使い道のある資金まで含めて強制的に取り上げるので、経済萎縮効果が大きいのは明らかです。
国際企業立地競争の面で見ても、法人税その他の負担を重くすれば海外に逃げるリスクがあるだけで、高率の税を求めて日本に来たい企業は万に1つもない筈です。
これまで日本は欧米の増税要求(論説)に応じないで、国債で対応して来たのは正しい政策だったことになります。
日本の高度成長以来、日本を叩きつぶすのが究極の目標で来た欧米は陰に陽に如何に日本をつぶすかの研究に余念がなくいろんな要求してきますが、欧米の手先のような日本国内学者(これが殆どです)をこの際一掃すべきです。
国債も税も国内でやり取りしている限り資金循環では本質的な違いがないことをこれまで書いてきましたが、トータルで赤字になって来て海外から資金導入しないと国債を維持出来なくなれば問題です。
(ただしこれに見合う対外債権があれば別ですから結局は対外純債務国に転落するかどうかが岐路になります)
私は長年日本人は刻苦勉励して黒字を貯めて来たので、この辺で少し放出し(フローの収支を少し赤字にしてでも)て所得再分配資金を作り豊かな生活をした方が良いという意見を2012/03/19/「税収2と国債1」で書いてから、このシリーズを始めました。
とは言え、一旦贅沢すると簡単に生活水準を下げられないのが普通です。
経常収支赤字になった後さらには対外純債務国になっても、なお日本人はアメリカのように贅沢し続けるのか、実力相応に生活水準を引き下げられるのか念のために心配しておきましょう。
アメリカは貿易赤字転落後でもなお豊かな生活を維持するために貿易赤字を継続し、結果的に対外純債務国に転落してもまだ貿易赤字を続けています。
我が国でも経常収支が赤字に転落してでも、なお国債増発あるいは増税を繰り返し国民にお金を配って借金で贅沢を続けることがあり得るかに日本民族の命運がかかっています。
私がこのシリーズ(税と国債)を始めるにあたって、Mar 19, 2012 「税収2と国債1」で書いたことですが、過去に儲けても儲けてもその多くを貯蓄し続けて来た我が国民は、この際少し豊かな生活をするために税で所得の再分配すべきだし、増税が出来ないならば、「税の代わりに国債で資金回収して再分配してもいいのではないか」とする趣旨を書いたことに繋がります。
苦労して稼いだ果実を取るべき時期が来ている・・フローの収入以上の生活をある程度しても良いじゃないか・・・とする意見です。
この意見は、対外純債権の範囲で豊かになることであって、過去の蓄積を使い尽くした後でもなお借金してまで豊かな生活を維持すべきだと言うのではありません。
問題はその時点で生活水準を落とせない可能性が高いことです。
サラ金相談でもそうですが、苦しいからと言って生活水準を落とすのはかなり難しいのが現実です。
アメリカが対外純債務国に転落したのが1980年代ですが、その後30年前後もアメリカは貿易赤字の垂れ流しを続けています。
赤字を続けているということは、家計に置き換えれば収入以上の生活を維持しているということでしょう。

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