社会党の教条主義化→孤立1

地域エゴそのものの場合、全国あるいは全県的支持の欲しい政党は手を出せませんが、国会で反対(の為の反対を)しても相手にされなかった国策実現を少しの時間でも停滞させたい政党の場合喜んで応援します。
地域エゴの応援依頼に答えるのは、全国的支持の希望を捨ててしまった抵抗政党にとって、最後の拠点になります。
国会で決まった政策の実行段階・政策の多くは(最先端の宇宙物理の実験装置でもロケット発射でも)現場工事が必須ですが現場には「国という抽象的な地域」がないので高速道路であれ空港であれ、研究所建屋建築工事であれどこかの地方自治体での工事が必須となります。
リニアーモーターカーで言えば、長大な沿線自治体の一つでも工事許可しなければ工事がストップ・・原発の場合、全国に発電所がちらばっている上に原発所在地・影響を受ける原告適格の範囲は最近広範囲(隣県住民も被害リスクあるとして原告適格が認められる)ですので、その地域内のひとつ二つの市町村や県を握るのは容易です。
人口数百〜千人の市町村でもどこかで反対運動が起き、あるいは地域エゴを煽れば国策実現妨害ができます。
「オスプレイ配備して墜落事故を起こしたらどうするんだ!」イージスアショアでいえば迎撃ミサイル発射基地になると、「発射後に発車直後に切り離すブースター?が人家に落ちたらどうるんだ!」と言う反対論で地元が反対していました。
こいう事を言い出したら軍事基地自体が成り立ちません。
集団自衛権反対論も同じで、古くから米軍基地があると米ソ戦争に巻き込まれるという反対論の現在版です。
地域や現地職場で拒否権を発動させれば結果的に国策遂行や産業革新政策等全て停滞させられるとなれば、苦労して全国的支持獲得する必要がなくなります。
地域エゴを主張するしかない地域(地元見返り大幅増を求める功利的な地元を含め)では、結局「大義などどうでもいい?」確かな野党・大義に関係なく?反対してくれそうなことで定評のある政党に頼るようになります。
反対論に取り憑かれた地元民としては、自己主張に冷静なチェックをせず正義の物差し抜きで率先して「絶対反対」で座り込みなどの実力行使もしてくれるし、そう言う運動に慣れている頑固な抵抗政党に頼るしかないので、抵抗政党がその地域で俄然支持を伸ばします。
国政レベルでは政党要件ギリギリの少数政党に落ち込んでも、特定地元に不都合なことについて反対運動を盛り上げれば、応援するのがその政党だけであれば、その期間だけはその地元で圧倒的支持を受けられる構図が生まれました。
社会党が天下を狙うのを諦めて党内純粋理論闘争に走ると一般支持がいよいよ減少する・・結果的に抵抗勢力として生き残るのに連れて、国策反対運動には理由を問わず?協力する・・座り込み等の実力行使に慣れてくる・・傭兵的役割を果たす専門集団としての信用が定着していったのでしょうか?
ただし、成田空港反対運動では、社会党は当時まだ2大政党でまだ天下取りの夢があったのでいわゆる抵抗政党を標榜していたわけではありません。
成田闘争では、社会党元委員長など錚々たるメンバーが個人として名を連ねましたが、自分が先頭になって「闘争」することまではしていませんでした。
この時闘争主力になったのは、当時学園紛争が収束し、プロ集団化していて行き場を失った状態のいわゆる三派十流といわれた過激派全学連(残党?)でした。
以来社会党はいわゆる長期低落傾向を続ける中で戦闘的現場集団を正面に立てて激しく争うのに慣れてきたのか、現在の沖縄基地闘争では、社会党後継政党である社民党が現地闘争系グループと関係があるかのような報道があります。
地元反対運動応援の草分け?となった成田空港開設時の反対運動を見ておきます。
成田空港開設場所決定について直接国会で議論する法律は存在しないでしょうが、新東京国際空港公団法が国会でできてその設置区域は政令で定めるというのが普通ですから、法に根拠を有するものというべきでしょう。
法に根拠を有する・国会の委任で決まったものとすれば、国会で決まっている国策実現に対し、現場で反対するのは国会の議論で決着したことの蒸し返し行動です。
これをやる政党は、言論の自由→言論を尽くした後は実現に協力する仕組み・民主主義制度の否定団体というべきでしょう。
社会党は、党として公然反対しなかったのは、まだ国政に意欲があった時期でしたのでこういう批判が怖かったからでしょう。
千葉県では、地元県知事や地元政界は農民への十分な補償その他配慮があれば協力する(飛行機時代到来に合わせるインフラ整備の必要性を承認し協力する)立場でした。
対する社会党は共産圏諸国を含めた全面講和以外の片面講和反対→朝鮮戦争直後の世界情勢から見て全面講和など実現不能な状況下での主張は、結果的に日本の独立反対論は、結果的にソ連圏へ忠勤主張でした。
天地開闢以来の初の異民族支配を受けた日本民族にとっては米国占領政治から独立は民族あげての悲願でしたが、この慶事にいちゃもんつけて独立に反対する無責任な神経・・その極論に国民の多くが驚いていたでしょうが、安保騒動は西側陣営参加反対の主張でしたので日本の独立反対論の延長上(一貫性にこだわるのが教条主義の特徴)の主張でした。

利害調整不全6→(地域エゴ野放し1)

民主主義社会・・自由な言論が際限ない対立を前提にするのではなく冷静な議論を経て結論が決まると挙国一致(企業で言えば企業)の方針が決まり、反対した方(一つの政策決定が自己利害に反する集団も決まればそれに従う)も実行に協力する社会を前提にしています。
経済活動場面・自由主義経済の場合→(見えざる神の手)市場による淘汰が行われ選ばれた企業が成長し、勝ち残った製品サービスが社会に行き渡る仕組みです。
商品の場合には市場規模が大きい場合順位1番から50〜100番までの多様な商品サービス並存可能ですし、多様なサービスが並存している方が消費者には便利です。
だから都会に人が集まるのです。
国家社会のルールや政策決定の場合、社会秩序そのものの決定ですので、商品のように並存可能というわけにはいかない・・・道路交通法でいえば、AB両地点のいずれに信号機設置すべきかどうかの議論でA地点だけと決まった場合、B地点派がA地点の信号設置に反対したんだからと信号無視して良いとなれば社会が混乱します。
制限速度や一方通行、駐車違反場所でも同じで、反対派だった人も決まった以上はそのルールを守るべきですので、集団別ルールが並存するのは不可能です。
民主主義とは統治の原理・統治ルール決定手続きに関するルールであり、自由な言論活動は一定期間内に一つの結論に収斂するための言論の自由です。
一定手続きで決まったこと(法)には反対派も従うことを予定していることになります。一旦決まったことを実行してみる不都合があるなどの修正変更の必要があるので、多数意見が決まったのちにも、少数意見者も「やはりこの方法の方が良い」と言い続ける言論の自由は残りますが、多数で決まったルールに従わない自由はありません。
すなわち民主主義とは意見・利害調整による意見一致を前提にした決定手続きをいうのであって、利害調整・意見一致できないで意見対立のまま終わることを予定していません。
民主主義であろうと、絶対主義であろうと自由主義であろうと一党独裁であろうとすべて社会は生命体同様の統一秩序を求めています。
一つの体で左足は横へ動く右足は前に動くというバラバラ行動は許されません。
幼児や小中学生レベルの場合、完全な自治運営が困難なように、言いたい意見を話し合いの結果合理的に収斂させる能力があってこそ自由な意見交換が成立します。
意見を言うなら議論の結果によっては相手の主張に従う度量が必要です。
年齢基準は年齢に応じてその比率が上がるだけであって、(小学3年生で5年生の能力ある子も2年生の能力しかない子もいます)大人になっても対話能力が育っていない人が一定率いるのですが、(私もそうかな?)そういう人は、自分の能力限界をわきまえて集会参加しても黙って聞いている・論争を聞いて最後にどちらが良いかの挙手をするだけで済ませば世の中が決まって行きます。
旧社会党の場合、議論にならない反対のための反対論(法案に関係ないキャンダル追求先行要求など)を繰り広げ、質疑打ち切りすると委員長不信任案や議長不信任案等を繰り出して最後は牛歩戦術や根拠ない不信任決議案提出で数時間でも採決を遅らせることで議決自体の妨害を図っていたので国民支持が離れました。
このような政治活動は技術革新の早い現在社会で、日本の国際適応を一国でも遅れさせる目的にしかならない・反日国家の意を受けた行動でないか?の疑念を抱かせるようになりました。
こういう疑念が一般化して来て・・革新的系政党支持率が低下一方になったのちは、地方自治体レベルでの抵抗戦術を始めたようです。
国政の場合2〜5%の支持率では何もできないのですが、地域特化し地域固有の問題が起きればその問題が続く限り、その地域限定で抵抗政党が圧倒的支持を得られるようになります。
数%支持でも特定問題・・例えば、放射性物質の特定市町村内廃棄貯蔵地問題が起きれば、その問題に限って過半の支持を得ることが可能です。
福島原発事故の結果、千葉県内で風向きの関係か?柏市中心に放射性物質の降下が多かった・・これの県内処理として原因企業である東電の広大な敷地がある千葉市内の臨海工業地帯・・広大な埋立地立地なので旧市街とかなり距離が開いている・近くに一般住宅街もない・・千葉市に白羽の矢がたったらしいのです。
これまで書いてきましたが、そもそも微量の放射能があった場合、どういう被害があるかの科学的意見を見たことがないのですが、宗教心のようにメデイアが恐怖心を煽り続けてきた結果だと思っていますが・・。
普段与党支持者でもこの問題に限っては、まず反対するしかないという宗教信念みたいな動きが起きます・・自治会等での議論を聴いていると風評被害がおきたらどうするんだ!式の反対で地元結束するようです。
原発問題もそうですが、「不可知な論争に持ち込んだ方が勝ち」というか、反対論者は対話にならないこの方式に頼ることが多いのです。
「〇〇があったらどうする」式の議論では、神ならぬ身、誰も「そんなことはあり得ない」と断言仕切れ無いので黙るしかない・・合理的対話が成り立ちません。
県内どこかで引き受けねばならないとなれば、被害の一番少なそうな場所に決めるしかないのですが、東京電力敷地が広大でしかも周辺と車で移動するほどの距離がある・・それ以上の適地がない・・しかし地元エゴに付き合わないと仕方ないので責任政党の与党系は「知事にかけあって努力する」というだけで腰が引けているので迫力がない・・不利です。
集会での議論を聞いていると「柏市のゴミを千葉市がなぜ引き受けねばならないか?」という一見尤もらしい議論で落ち着いて参加者が自己満足していたようです。
ちょっと考えれば無理筋の論理ですが、誰でも良識というか、良心があるので自分を誤魔化す目先の浅い論理が必要なのでしょう。

民主主義と利害調整力不全1

グランドプリンセス号がCDC命令どおりメキシコ行きの航路変更してサンフランシスコ沖に到着したのに、地元の反対で入港できず、4〜5日時間空費したことを紹介してきました。
4月頃には別のクルーズ船のフロリダ入港を巡って、フロリダ州政府がクルーズ船の入港を認めるとしても、フロリダ州民しか下船させない→州民以外の医療サービス提供拒否態度が紹介されています。
日本でも国策の最たるものである自衛隊基地設置(与那国島の設置)や装備(オスプレイやイージス・アショアなど)に関して地元自治体が同意しないと設置すらできないのが現状です。
たまたま河野防衛大臣によりイージスアショアの非効率性が明らかにされましたが、問題はそういう前向きの議論ではなく、地元の反対はその工事が国家存亡に関わる国策として有用であるか否かの議論に関係なく地元が少しでも負担になることは嫌!という意思表示が貫徹できる点にあります。
地上型迎撃装置の有効論でなく迎撃用に打ち上げたブースターが地元に落下したら怖いという次元の違う反対論でした。
リニアーの愛知県内工事に愛知県が同意しないことが2〜3日前に大ニュースになっていましたが、国家的大事業の場合、辺野古沖移設や自衛隊基地を含めほぼ全て公共工事を伴うので地元自治体が地元に不利益と考えれば拒否できるのが現状です。
日本だけでなく先進諸国では自己中心主義の権化みたいな主張が各地で噴出して、中央政府が利害調整ができなくなる姿が一般化してくると、逆にこのような国家運営に不満を抱く人が増えてきます。
格差問題〜人種差別問題などなどの各場面での対立が米国で目立つのは、民主主義・自己主張の行き過ぎにより、利害調整・社会統合が不可能になっている場面が表面化している姿と見るべきです。
民主主義とは自己(権利)地域・集団主張が先(表現の自由)にあって、意見相違(利害相克・調整)は公開の討議を経て止揚・統合されて行くのを理想とする社会です。
全体がどうなろうともそんなことは考えなくとも良い。
まずは自己(地域や集団)主張して行けば全体としての最適解は「思想の自由市場で(見えざる神の手で)決まっていく」という楽天的考えが基本のようです。
GPS操作を違法とした判例を紹介したことがありますが、弁護活動や最高裁判例も、電子機器のない時代に制定された人権擁護システムが、犯罪者が自由に電子機器や高速移動機関駆使して犯行をできるのに、捜査機関が電子機器を利用すると違法で許されないと言う奇妙な状況になっています。
以前犯人が逃走するのに民家敷地を横切って逃げると、警官がその敷地を横切って追跡すると違法になるのか?という比喩で書いたことがありますが、犯人追跡中は例外にしないとこういう変なことになります。
法制度が社会現実に追いついていない問題が今回のコロナ禍で続々と表面化しました。
従来非公式会話はズームで良いが公式の会議・・株主総会などズームやテレビ会議で開いても違法でないか等の疑問・・不便なことが大量に一挙に現実化しました。
いろんな会議は対面議論が原則ですが、災害等特殊事情下では、テレビ会議等が許されるとか、テレビ会議が許されるのを原則にして、電波不安定や機器の故障等による送受信が途絶した場合の効力は別に定めておけばいいのでしょうが、こうした各種問題点を先送りして来たツケが来たのです。
私の関係する日弁連選管委員会でも毎年のように問題になっていましたが、もしも訴訟になって委員会決議無効になると選挙がどうなる?という大事件になるのが怖くてこれまで先送りして来ました。
法律家には法匪と言う批判的名称がありますが、招来する結果の妥当性など問題にしない・・法令がそうなっている以上はそれを守るべきであるという形式論が普通です。
時代に合わない縛り・規則類は民間が無視しているし、警察も一々刑事事件にしないのでそのまま邪魔になっていないのですが、いざ屁理屈で争う人がいると不都合が表面化します。
結果が不当であれば、憲法や法令変更すべきであって、法律家は現行憲法や法令に違反してればその違法性を指摘すれば良いし、裁判所の職務はそこまでで犯罪捜査がどうあるべきかを判断すべき立場でないということでしょう。
ところがそう言う論者に限って憲法改正の議論すること自体に反対と言い、ちょっとした法令改廃でさえも国会審議に入ることすら反対という姿勢が顕著で政府の揚げ足取りに終始しているのが国会の現状で時代即応の改正が容易でないのが現実です。
原発反対運動や地元知事の不同意も設置稼働規則に適合しているかどうかであって、原発政策がどうあるべきかを裁判しているのではないというのが専門家の意見です。
ところが実際には、原発反対派が結束して全国的に訴訟しているのが現実・・日本中の原発訴訟弁護団はほぼ一つの中核的組織集団が地元別の弁護団を結成している・・地元別に構成員が入れ替わっていますが、中核人員はほぼ共通・・だけの実質全国規模の政治闘争の一環になっているし、与那国島基地設置反対運動や沖縄の普天間基地移転反対なども概ね特定運動家・・常連があちこちで運動しているイメージです。
もともと原発施設等の何がどの規則に違反しているかなど、普通の人に分かるはずもないので、いわゆるプロ運動家が初めっから反対するために規則のどこに違反があるかを見つけ出す方式のように見えます。
静岡県のリニア工事着工反対の根拠・・地下水脈がどうなる?という主張も、常識だけで分かるものではないので、まず反対したくてそういう問題があるかも?と見つけ出したということでしょう。
静岡県の主張は政府の有識者会議で水脈変更があるのか検討することになったようですから、同意しないと言えばいいだけのことを、格好つけでコレが心配と言っているような印象をうけます。

豪華クルーズ船対応批判7と米国の対応1

さて米国では感染者の出たクルーズ船に対してどのように対処したのでしょうか?
https://www.asahi.com/articles/ASN36412MN36UHBI012.html

米もクルーズ船100人を緊急検査
死者が下船者と判明 2020年3月6日 12時25分
新型コロナウイルスを巡り、米カリフォルニア州で4日に初めて死亡が確認された男性がクルーズ船からの下船者だったことがわかり、米当局が5日、このクルーズ船をサンフランシスコ沖に停泊させて、感染の可能性がある約100人の乗客らの緊急検査に入った。数時間で検査結果を出す見込みで、その後対応を検討するという。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200308/k10012319641000.html

カリフォルニア沖の米クルーズ船 入港で調整続く 全員検査へ
2020年3月8日 8時50分
アメリカのペンス副大統領は「グランド・プリンセス」を商用船が使わない港に入港させ、船内の全員の検査を行う考えを示していて、アメリカ政府と運航会社がどの港にいつ入港させるかなどについて調整を進めています。
運航会社によりますと、船内では感染の拡大を防ぐため、乗客がそれぞれの部屋に待機しているほか、陽性反応が出た乗員については隔離する措置をとっているということです。

船内感染発生が日本より約一ヶ月間も遅れているので、(日本の場合、横浜入港が2月3日です)日本を厳しく批判していた以上は、日本よりも事前受け入れ先の手配など対応準備ができていた筈です。
しかも米国の場合、外航船の寄港でなく米国内のクルーズ船がハワイからの寄港ですし、その上米国の場合この船は米国船籍だったのかな?日本と違い下船(入国手続きはありません)後も強制隔離権があるでしょうから、船内検査、下船後検査のどちらも法的に選択可能です。
日本の対応批判の中心であった筈の?アメリカが、ハワイからメキシコへ航行中の船をサンフランシスコへ航路変更させたのが3月4日で、5日到着したところ地元の反対?で8日になってもまだどの港に入港させるかも決まっていない状態で沖合停泊のままでした。
結果的に日本と同じ船内検査方式しか取れなかっただけでなく船内検査で陽性判明しても下船すべき港が決まらず下船させられず、船内隔離のままになっていうという体たらくです。
上記報道によれば、3月8日になっても入港させるべき港すら決められない状況「どの港にいつ入港させるかなどについて調整を進めています」というニュースです。
日本の場合船内検査が非難されましたが、検査によって陽性が判明した人はすぐ下船=入国して指定病院入院でしたが、米国の場合、陽性反応した人まで船室内自室待機と言うのですから、日本政府対応を批判していたメデイアや専門家(岩田健太郎氏)意見・責任は、どうなるのでしょうか?
日本の対応に比べて米国はいかに手際が良いかのニュース価値がなくなったからか?その後一般的報道が目立たなくなってしまいどうなったか、私にはわからなくなっていましたが、以下のレポートが文春から出ていることがわかりました。
大手ニュース系に情報を頼ると大手メデイアの取捨選択した情報しか入らない・大手メデイアの主張したい方向と展開が違ってくるとその事件の継続報道がぱたっとなくなってしまう傾向がありそうです。
探す気になればメデイアの流すホットなニュースだけでない・その後どうなったかの情報も入手できる時代が来ていますが、その気でワザワザ検索しないと出てきません。
忙しさにかまけて日々のニュースに頼っていると、大手メデイアの期待する展開にならないと次の報道が消えてしまうので、いつの間にか意識から消えてしまい大手メデイアのいいように情報操作されてしまいかねない自分に気づきます。
私の気になるレポートが見つかりました。
帰港→下船→収容(入院と待機者)の流れが収束後のレポートなので時系列率的にまとめられています。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/

感染19人残留のナゾ 米国グランドプリンセスはダイヤモンドプリンセスの“失敗”から学んだか?
飯塚 真紀子 2020/03/14 17:00

「ダイヤモンド・プリンセス号」に続き、同じカーニバル社が運航している「グランド・プリンセス号」で新型コロナウイルスによる集団感染が発生し、対応にあたるカリフォルニア州とCDC(アメリカ疾病予防管理センター)の動きが注目を浴びている。
(日本に寄港した)「ダイヤモンド・プリンセス号」については、船内感染が拡大したり、陰性の乗客を下船させた後さらに2週間隔離させなかったりしたずさんな危機管理対応が、アメリカのメディアから大きな批判を浴びた。
そのアメリカが「グランド・プリンセス号」の乗船者たちに対して、どのような危機管理対応のお手本を示すのか? 「ダイヤモンド・プリンセス号」の二の舞になるのではないかと危惧する声もある中、実際、どんな対応が取られているのだろうか?
ダイヤモンド・プリンセス集団感染のさなかに出航していた。
事の始まりは、2月11日に始まったメキシコ・クルーズだった。
「グランド・プリンセス号」はメキシコ・クルーズを終え、21日にサンフランシスコ港に帰港。同日、今度は、2422人の乗客と1111人の乗員を乗せて、ハワイ・クルーズへと向かった。

今日の引用はサワリ部分で終わり、明日から内容に入ります。

豪華クルーズ船対応批判7(米国の対応1)

当時の日本で初めてのクルーズ船対応では限られた人材と時間、設備で応急的に決めた現場作業ですので、ここをこうやれば動線として合理的だったかという議論は建設的ですし、専門家内で意見交換するのは後々のためになりますが、専門家委員間の意見交換をする前にツイッターで全否定のような公開意見を発表しその翌日だったかには外国人特派員を相手に記者会見をしてしまう。
外部者の評論報告なら別ですが、実務家として政府施策参加者が内部意見交換を飛び越した結果批判だけでは、専門家の行うべき手順を踏まない独りよがり的批判でないかの疑問があります。
6月13日や20日に紹介したように、岩田氏の現場発表後米国のCDCに比べて日本のシステムはお粗末という洪水のような批判報道が続いていましたが、アメリカでも3月4日頃から船内感染が判明した同じ企業運営のクルーズ船、グランドプリセンセス号が、サンフランシスコ沖にとどまっていて対応をどうするか検討中のニュースが出ました。
日本批判してきたと言われる(私の検索能力不足もあって?海外で批判されているというだけで本当にどこの機関が批判してきたのかすら不明です)アメリカがどういう対応できるかに、関心が集まりました。
何しろ日本の失態!を批判しているのであれば、少なくとも批判意見を発表(したとすれば?)その時点でアメリカ政府・CDCならばこのような対処できるという意見が基礎にあったはずです。
感染症対策の総本家の基準に合わないことが日本批判の中心だったのですから、米国は日本のクルーズ船入港以後約一ヶ月間も準備期間があった以上は、日本の経験を生かしてもっと鮮やかにスムースに対応できるはずです。
お願いしかできない日本と違い米国の場合国内法で強制権があるので、法律上船内か、下船後の検査かを迷う必要もありません。
やり易い方を自由に選べます。
紆余曲折の後に着岸・下船後、入院者以外の経過観察グループも米軍基地内やホテルへ分散収容できたのはその結果でしょう。
https://www.asahi.com/articles/ASN4767GVN47UHBI01X.html

緊急事態宣言、コロナと闘う国々 強制力はそれぞれ
米国は州権限で外出禁止
・・・米国の「連邦制」は地方政府に大幅な自治権を認めており、州政府の権限が極めて強い。各地の州政府はすでに強制力を伴う自宅待機命令などを発出。米メディアによると、州政府レベルの命令は、全米50州のうち41州で発令中という。
首都ワシントンに近いメリーランド州は、食料の買い出しなど一部の例外を除き自宅待機を命令。違反者に1年以下の禁錮と最大5千ドルの罰金を科す。ニューヨーク州も3月22日、州知事令で「原則100%の在宅勤務」を義務づけた。企業が違反し、従業員らに「深刻な身体的危害」を及ぼした場合、最大1万ドルの罰金となる。
イタリア、移動制限違反に罰金
世界最多の死者が出たイタリアではコンテ首相が1月31日、6カ月間を期限とする「国家非常事態宣言」を出した。宣言に基づく「政令」に議会の承認は不要だが、「15日ごとに議会に報告する」とした。国内感染者は当時2人だった。

以上の解説は、自宅待機を強制できると書いているのみでホテル等への「収容ができるか」まで書いていませんが、承諾を前提とする社会の日本とは違い強制権を前提とする米国その他の国とはトータルの制度設計が違っています。
日本の場合ホテルを借り上げていても利用者はホンのチョツト・6分の1程度しかいないと報道されています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57824390Y0A400C2000000/
2020/4/10 2:00

【8】ホテル代は誰が負担する?
厚労省は「入院措置と同様の費用負担とすることが考えられる」と見解を示している。だが、東京都は入所費用を全額公費でまかなう見通しだ。
新型コロナウイルス感染症の軽症者らを対象としたホテルなどでの宿泊療養が、全国的に進んでいない。軽症者が自宅で重症化して死亡する事例や家庭内感染が増えたことを受け、国は宿泊療養を基本とするよう方針転換したが、療養先の隔離生活に慎重な人も多い。中でも東京都内の自宅療養者は宿泊療養者の約三倍の六百三十五人に達しており、都は宿泊施設への移行に力を入れる。 (松尾博史)
都は四月七日から、ホテルを借り上げて軽症者に滞在してもらう仕組みを開始。五つのホテルで約千二百人を受け入れる態勢を整えたが、最近の一日あたりの滞在者は二百人前後にとどまる。小池百合子知事は定例会見で「ペットがいる、面倒を見なくてはいけない人がいるなどの事情で、自宅を選ぶケースが多い」と話す。
都は対策として、ペットを預かるための電話相談窓口を開設。感染者の家庭に子どもがいる場合は自治体などと協力し、医療機関や児童相談所の一時保護所で子どもを預かる。外出や面会ができないホテル利用者のストレスを和らげるため、精神科医らが対応する電話相談も始めた。

画一強制しない社会では人それぞれのいろんな実情に応じた対応を取るしかない・・為政者や上に立つものはいつも関係者の納得を心がけるための工夫・ソフト対応が発達するし、親身に聞いてくれると国民も為政者を裏切りにくくなり、期待に応えようとします。

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