税収弾性値2(財務官僚・定免法への郷愁)

税収弾性値をどう見るかは、我が国でもどこでも実は難しい問題で弾性値だけを取り上げる単純な決めつけは無理がありそうです。
放っておけば1億円の売上不足で赤字になる企業が、公共工事1億円受注で収支トントンになっても、法人税支払はゼロ・税収が増えません。
1億の受注があって従業員を解雇しないで済んだので昨年同様に給与払って給与所得税を払えたとしても、昨年同様の税収でしかありません。
下請けも昨年同様の受注があって赤字を免れるだけであれば、下請け企業の納税が上がるけワケがないでしょう。
また工場やショッピングセンターなど民間施設設置の場合には設備稼働による税収も上がりますが、医療機関や公害防止設備義務付けや美術館、学校などの公共工事の場合、完成稼働しても税収が上がるどころではありません。
レストラン経営者が自宅建設を後回しにして出店加速している場合、店舗完成後の新店売上増が税収に寄与しますが、出店を一服して自宅・・豪邸を建てるために出費した場合、完成後の税収(固定資産税程度しか)が増えません。
GDP増加率と税収伸び率の関係は、投資対象によります。
どんな統計も1の指標だけで結論付けると歪みます・・無駄な公共投資をして体面を繕うためにGDPだけかさ上げしても税収が増えないのは確かですが、税収が伸びていないから・・無駄な投資をしているとは限りません。
無駄・・非効率・・GDPアップに繋がらない非効率な投資にも2種類があって、生活レベルアップ投資・・自宅内装模様替えや衛生基準強化や排ガス規制等の投資・教育機関設置費や公園整備や美術館や博物館新設などはもともとその投資が翌年以降のGDPアップを期待したものはありません。
文字どおりGDPアップ目的でやったが失敗した投資・・漁場を閉鎖して港湾を造成したが船の利用がほとんどない・・農地を潰して地方空港が完成したが利用飛行機がないような場合があります。
食うための心配からの脱出が必要なクニの場合、美術館等への投資は文字どおりさしあたり無駄でしょうが、中進国へ移行した国にとっては次のステップへの投資が長い目で見て無駄とは言い切れません。
税収弾性値も似たようなもので、公園や学校その他施設に投資した場合、その年のGDPが上がっても(美術館完成後の収入は微々たるものでしょう)翌年以降の税収には繋がりません。
このようにいろんな指標(・・例えばGDPアップの構成費)を組み合わせないで単にGDPアップ比に比べて税収弾性値が下がっていると言うだけでは、無駄な投資が多い・・あるいはGDP数値インチキ論に直結しません。
ただしこの機会に我が国の税収弾性値論に対してちょっと感想を書いておきます。
今朝の日経新聞3pにはタマタマ「税収曇る先行き」と題する税収弾性値に関する大きな記事が出ています。
税収に占める消費税率の比率が90年度の7%から17年度には30%に上がっていると書いている・・景気が良くなって1割増産しても税収には7割の1割しか寄与しないのです。
税収弾性値論は日本の場合、固定資産税や消費税の比重が上がると弾性値が下がるので、これの内容変化を見ないと正確なことは言えない時代が来ています。
日本の消費税論議の1つの論点でもありますが、景気に硬直的な消費税が占める比重が上がると、景気変動に税収が左右されないので財政の安定性を求める財務省が、景気変動に関係の低い消費税にこだわる傾向があります。
悪く言えば無策の政治家に取っては政策に連動して税収が変わらない・悪評価され難い利点があります。
メデイアでは消費税の必要性論として財政赤字__次世代に債務を先送りするなとか国家が破綻すると頻りに強調されていますが、本音としては、安定収入が欲しい・・政策の影響を受けない・・成績が出難い点が妙味・・重要目的でこれを隠している印象を受けます。
民進党・・リベラル系は、発展や増収策には関心がなく分配に関心のある政党ですから、政治家の成績判定に関係しない固定収入・消費税アップにこだわる傾向があるのは当然ですし、西欧でもリベラル系が強いので分配策ばかりで西欧社会が長期停滞に沈んでいる原因です。
アベノミクスは政策で勝負しているので、消費税率が低い方が政策効果・成績が直接的に現れ易い・・消費税率引き上げに抵抗する所以です。
経営者の地位も成績連動でないとたるんでしまう・・どんな職業でも常に成績評価・市場評価される方が合理的であることは論を待ちませんし、逆から言えばトップに立てば成績評価から逃れたくなるのも人情です。
国民の収入と無関係=政治の巧拙に関係なく安定収入・税を取りたいと大規模に始めた歴史を見ると、日本では吉宗の始めた定免法がその嚆矢と言うべきでしょう。
定免法に関するウイキペデイアの記事からです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9A%E5%85%8D%E6%B3%95
「起源は平安時代にあって、鎌倉時代、室町時代、豊臣時代にも用いられたが、広く用いられたのは江戸時代である。
従来の年貢徴収法は、年毎に収穫量を見てその量を決める検見法(けみほう)が採用されていたが、これでは収入が安定しないので、享保の改革の一環で導入された。享保7年(1722年)のことであったとされる。
定免法では、過去5年間、10年間または20年間の収穫高の平均から年貢率を決めるもので、豊凶に関わらず数年間は一定の年貢高を納めることになった。しかし、余りにも凶作のときは「破免」(年貢の大幅減)が認められることがあった。」
逆から言えば不景気で所得が減っても、税だけ昨年と変わらずに(多く取られるような気持ちになる)システムはおかしいと言う反論も然りです。
財政をあずかる立場から言えば不景気のときこそ財政出動のために税収を上げねばならないと言うことでしょうが、民間からすれば不景気で収入減のときに税が変わらないのでは変な気持ちがします。
政府対国民の被害者意識で税が上がるのを反対と言う愛であいあのスキな感情論ではなく、経済原理から言っても多分この素人的感覚・・不景気・減収なのに税が同じでは、結果的に国民負担率が上がり過ぎて無理がある・・この素朴な印象が重要でしょう。
不景気のときに経済にカツを入れるための出費は、税で市場から資金を吸い上げるのでは民間投資や消費が減って余計不景気になる・・他方で財政出動しないで放置出来ないので、赤字国債で賄うという現実的発想が生まれて来ました。
学校秀才・既存学習論理から言えば赤字国債の大判振る舞い・まして日銀引き受けは鬼っ子ですから、経済官僚とその意を受けたエコノミスト総出で「異次元緩和」を批判している構図です。
アメリカ連銀もこの妥協を迫られて一刻も早い異次元緩和の出口戦略にこだわっているのは一応優等生らしさを失わないためでしょう。
好不況の波を放置する20世紀初頭までのやり方を克服するために、金融引き締めや財政出動によって、この波を平準化・・穏やかにする手段を手に入れたのです。
この方法も当初は金利調節機能のみだったのが、財政出動になり、更にはマネタリーベースの調節にまで移って来ると、「異次元緩和」とは言い得て妙ですが・・)既存理論では間に合わない・理解不能になっていることは確かです。
金融政策は景気変動の平準化機能に留まらず、先進国では、GDPアップに関連しない公共投資・・財政出動だけではなく社会保障政策→負担も増えて来ますし、民間投資誘導政策も必須化しています。

企業と政治(官僚政治)

ここで戦後政治の担い手を振り返ってみると、戦後20年くらいまでは地方名望家出身の地方政治家の国政進出(市議→県議→代議士)が多かったのですが、地方名望家の供給源が縮小したばかりではなく、高度成長による経済摩擦が常態化して来て、政治の中心が国際政治・国際経済にどのように対応すべきかというテーマになって来ると地方名望家出身では手に負えなくなったことが明らかです。
高度成長期以降海外貿易に携わる経済界が海外事情に詳しいことから、経済界と官僚機構が二人三脚で国際変動・交渉に立ち向かって来たので、地方名望家出身に代わって経済界から支援を受けた官僚出身者が政治家になる時代が続きました。
日米繊維交渉その他重要交渉が外務省を通じて行うのではなく当時の通産省が中心となって行って来たし、農産物解放交渉は農水省が行って来たことは記憶に新しい所です。
(外交官が外交のプロと言っても経済の実態を知らないと何をどのように交渉して良いか分りませんが、経済界は日頃つながりの深い通産省に・農業界は農水省に情報を上げていたし、戦闘機等の購入交渉は防衛庁へと、交渉実務が通産省や農水省に・防衛省とそれぞれの実務官庁に握られてしまいました)
高度成長期から昭和末まで官僚の能力が高そうに見えたのは、(官僚)政治に対する期待の高かった(悪く転ぶと自社に大きな不利益が及ぶ関係もあって)経済界が必死になって業界の最新情報や智恵を御注進に及んで特定の政治結果を出すことに一緒に協議して智恵を絞っていたことによります。
これに対応して自民党政治家も族議員化・・専門化していました。
我々弁護士や裁判官が多くの事件処理を通じて、各種業界関係者から取引その他の実情を教えてもらうのでその業界の実態を知悉するようになるのも同様です。
私達弁護が事件処理が少なくなってヒマだからと◯◯の処理方法と言う本ばかり読んでいても、実務能力がつく訳ではありません。
プラザ合意に始まるグローバル化以降、経済界が外国に拠点を設けるようになり、これに比例して政治への関心が自社の拠点のある国々へと分散されて行くと、その分国内への関心が低くなり、ひいては官僚へのお願いの頻度・情報注入量が減少して行くのは必然です。
海外拠点が増えるとこれに比例して国内政治の結果に死活的利害がなくなって来る・あるいは利害関係が希薄化するので特定政治勢力に対する必死の支え・・情報提供が少なくなり官僚と官僚出身政治家の情報源が枯渇して行きます。
海外展開が進めば進むほど、企業の関心が国内から海外に向きがちなので(仮に海外生産比率・従業員8〜9割に達した場合、経営者の関心比率もこれにほぼ比例するでしょう)官僚の政策立案能力が低下する一方なので、官僚が全盛期に握っていた権限が能力以上に大き過ぎることに対して国民の批判を受けるようになって行きます。
ここ20年ばかり官僚不信が極まっているのは(この頂点になったのが大蔵省解体に至る結末でしょう)この辺に原因がありそうです。
経済界が政治から距離を置くようになると、官僚への栄養補給が細って来たことによって、官僚の政策立案・遂行能力低下になったと思われます。

企業の政治離れ1

企業が海外に簡単に逃げられない時代には企業体が政治に対して必死(文字どおり存続・浮沈にかかわりますので)に注文を付け、政治もこれに呼応して政策立案能力が磨かれて行きました。
グローバル化が進み企業体としては海外展開の余力・・おまけとして政治に注文を付けるだけで足りる時代が来れば、苦労して政治に訴え理解のない官僚を教育し・鍛えて実現する必要性が弱くなります。
また、特定政策推進に肩入れし過ぎると、反対派から不買運動を起こされるリスクの方が大きくなりかねません。
原発再稼働であれ風力発電・太陽光発電であれ何であれ、中立で見守っていて結果が不都合ならば、そこから逃げ出して都合の良い政策採用している国・・例えば太陽光発電業者は太陽光発電に対する補助金の多い国で増産すれば足ります。
FTAであれTPPであれ業界は日本政府の尻を叩かなくとも、(日本国内の生産を縮小し)アメリカやメキシコで生産増して韓国中南米等へ輸出すれば良いのですから、必死になって推進する(農家の機嫌を損ねる)必要がありません。
法人税が高いと思えば、税の安い国で投資拡大すれば良いので政治活動までして(政治には反対派の存在がつきものです)嫌われる必要がありません。
実際には投資済みの生産能力削減は大きな損失を伴うので容易ではないのですが、国内でしか生きる場のない時代に比べて死活的重要性が減少していることを書いています。
また殆どの企業は現状維持ではなく、いつも増産するチャンスあるいはスクラップ&ビルド(大手コンビニその他で言えば新規出店と不採算店の閉鎖の繰り返しと同様に世界企業もいつも最適生産・出店を検討しています)をしているので、不都合な国での増産や更新投資を見合わせて都合の良い国で増産をする・・こうした繰り返しの結果国別の投資比率が徐々に変わって行くのが現状です。
このように政治から距離をおく企業が増えて来る・・海外比率が高まる一方になると企業・官僚の二人三脚による政策すりあわせが減り、官僚の政策立案能力が低下して行きます。
これが官僚に頼って来た自民党の政策遂行能力を徐々に弱体化させて、ついには下野する所まで追いつめられた基礎的構造変化だったと思われます。
それまで国民の大方は企業に属していることもあって、職場の代表である企業にお任せしておけば、国際問題も海外事情に詳しい企業と政府(官僚)が協議して何かとしてくれる・・間接的な立場でした。
(若手→中堅→古参と順次昇進して行く企業では企業首脳部や先輩の判断に委ねておけば自分が考えるよりいい結果になるだろうという信頼感が基礎にあります)
日本を取り巻く環境変化に対する切実感の最大利害関係者・・ステークホルダ−だった企業が今では国内政治の脇役になってしまった以上は、簡単に逃げられない国民個々人が直接政治を担うしかない時代が来ています。
個々人が国際政治の利害結果を直接受けるようになって懸案を自分で(どこか中間団体に任せておけず)解決するしかない・・その集合体である政治に直接訴えて解決して行くしかなくなったのが、グローバル化進行以降の政治状況です。
実務能力のない個々人の訴えによって政権が成立する時代が来ると、その政権(民主党など)には実務的すりあわせする相手がいないのですから足腰が鍛えられない・・能力不足になるのは仕方がない所です。
政策立案遂行能力は、政権支持者によって磨かれるからです。

官僚機構と秘密体質2

政府(官僚)が自分のしていることが国民に明らかとなった場合、批判に耐える自信がないなら(民主国家では国民の信任で成り立つべきですから)民主国家の政権とは言えませんので、政権を下りる(官僚を辞める)べきです。
オープンな議論を避けようとしていると国民はよけい疑心暗鬼になり、政府発表を信用しないことになります。
風評被害が起きるのは、政府発表に信用がない・・この対で民間のデマの方が信用され易くなっているからでしょう。
風評と言う言葉には無知蒙昧な階層がデマに惑わされ易いと言う意味が含まれているのでしょうが、要は無責任デマと政府発表のどちらが庶民に信用されるかの競争に過ぎませんから、政府発表が負けないためには正確な事実発表が命です。
後から出たデータで政府が過去に発表したことがおかしいと言う事例が積み重なれば、誰も政府発表を信用しなくなるでしょう。
嘘の上塗りと言う言葉がありますが、後で正確な事実が出ると困るので政府はどんなことがあっても非を認めて事実修正をしない傾向があります。
01/28/03「止められない公共工事(無修正主義の問題点 3)」07/12/06「政府の無修正主義・無謬性」と言うテーマで書いたことがあります。
正確な事実があってそのデータに基づく論評の優劣は説得力の問題ですが、これは政治決着・・多数の意見によるしかありません。
古くは新興宗教の多くは愚民を惑わすものとして取り締まり対象になって来たことは歴史上明らかですが、宗教弾圧は許されないことになって久しい・・・すなわち説得力の優劣は民主的・・市場原理的に決めて行くしかないのです。
データ自体を開示しないで、国民は愚昧だから教えない方が良いと言う発想は、むしろデータ公開による論争に政府が自信がない事によると言うべきです。
ただし、原発問題のデータ不信の蔓延は菅政権の秘密主義に由来するのか、歴代政権の習慣に基づいて官僚が小出しにする習性があったので結果的に菅政権がそれに振り回されていたかは別問題です。
危機管理システムの事前準備不足は歴代政権の問題であって菅政権の責任ではないことを5月31日まで書いたのと同様で、菅政権になったからと言っていきなり官僚や東電の秘密主義・体質が改まることはありません。
風向きによる放射能の飛散状況を動画化するシステムが日本にもあったことが後で分ってきましたが、こんなことを政府が秘密にする必要がないので、「知っていれば避難区域の設定の参考に出来た」と言う官房長官の言い訳は信用が出来ると思います。
要は歴代政権の秘密体質が、東電や官僚の行動形態に引き継がれていて現政権の事実開示・処理能力を規定していたことが分ります。
この体質改善には時間がかかるのは当然ですから、政権を取ってまだ年数のない民主党政権の責任問題ではないことになります。
膨大な官僚機構の秘密体質が引き継がれていた場合、透明化を掲げる民主党政権になったからと言って、1年や2年で末端まで改まる筈がありません。
こうした不毛な秘密体質を形成して来たのは歴代自民党政権の思考方式によるのですから、長期間掛けて形成して来た官僚の秘密体質を改めるには10〜20年単位の時間がかるでしょう。
ところで、菅内閣に対する不信任決議案提出騒動(自公両党は6月1日午後6時前に不信任案提出、明日2日に採決の予定が決まりました・・民主党内では鳩山前総理と小沢氏は不信任案に賛成の立場を明らかにしています)
タマタマここ数日のコラム内容が、原発問題の不手際の根本は自民党歴代内閣の責任であって菅内閣の責任ではない言う趣旨の意見ですから、菅内閣打倒の政局の動きに棹さす内容となりました。
不信任決議案の提案理由書を見ていないのでどこに不満・・菅内閣に非があるとするのかよく分りませんが、もしかして秘密体質や危機管理能力の問題ではなく、イラ菅と言われる個人資質を指摘してこれでは(有能な・あるいは秘密体質に染まった)官僚を使いこなせいないと言う矮小な理由かも知れません。
何事も急激な改革では官僚はついて行けないのも事実ですから、微温的改革前進・・これには従来の秘密体質を知っている自民党の方は官僚を使い慣れていると言う主張かも知れません。
私は今のところ菅内閣を擁護したいとも倒閣したいとも思っている訳でなく、単に自分の好み・・思う通りを書いて来ただけです。
どちらにも、知り合いがいないので自分の思った通りのことを書ける・・のは気楽なものです。
私の関心は連載中のテーマの尻取りゲーム的コラムの連続にあるので、今のところ政局に関する意見は書きません。

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