司法権の限界16・謙抑性4(民主主義の基礎1)

司法権のあり方に戻りますと、日経新聞に出ていた訴訟手続外の「心象風景」を重視する裁判官が増えて来ると結局はマスコミさえ味方に付ければ、民意を知るために行なわれた選挙の結果を覆すことが出来る・・政治の負けを挽回できる図式になります。
こう言う繰り返しの結果、政治論争をドンドン司法に広げて行くと政治と司法の限界がなくなってきます。
この結果・・司法権が肥大して行き政治論争のうち重要なテーマであればあるほど憲法違反の言いがかりをつけ易いことですから、重要事項については全て司法権が最終決定する場になってしまいます。
16年3月27日紹介したように右翼から批判されている日経新聞でさえも「裁判所が国民心象を認定する・・」危惧を示しているように民意吸収の場になってしまって良いか・・裁判所周辺デモやマスコミ報道だけを民意のように誤解させてしまう訴訟戦術は民意を覆す=国民主権の憲法理念を空洞化させてしまう・・民主主義を破壊する悪い戦術ではないかの疑問が生じます。
こう言う実質的憲法破壊勢力を見ると、何かと憲法違反と言い立てる集団構成員に多いように見える・・冗談みたいな集団です。
買収に応じる役人が悪いのは当然としても、これを誘惑する贈賄提供する方も汚職罪として処罰されるになっているように、民意は選挙で決めるべきが憲法の原理なのに選挙結果無視の裁判を求めるのが日常化すると民主主義が死滅します。
憲法は下位目的の運動に誘惑される裁判官個人の責任だけと言い切れるのでしょうか?
人権団体?がアメリカの大統領選挙の結果を認めないと言う主張で、連日激しい反トランプデモを繰り広げていますが、人権団体の主張は憲法をより所にすることが多いのでですが、出たばかりの選挙結果を認めないと言うデモをする人たちが憲法を拠り所に運動する集団って、どこかおかしい印象です。
選挙後の政策が憲法に反すると言うならば分りますが、選挙後まだ何もしていない選挙の翌日から、反トランプ運動するのでは、何のための選挙だったのか・選挙制度否定論と同じです。
自分の意見に合わない集団には表現の自由や人権を認める必要がないと言う(気に入らないデモは暴力的妨害しても良いし、中ソの核実験や公害・人権侵害等々不都合な事柄には一切触れないなど)偏頗な我が国の人権団体と同じ偏頗集団に見えます。
大統領選挙後のアメリカの騒動を見ていると、サッカーの試合に負けた方のフーリガンが暴れているようで、我が国のような落ち着いた民主主義社会(・・合議を尽くす社会)になるには、数千年単位で遅れているから無理が出て来たと見えます。
過去何世紀もアメリカが何とかなっていたのは、産業革命後必要になった豊富な資源+労働力の(移民をドンドン入れることによって補給する)供給力、右肩上がりの成長経済によって、不満が隠されていたに過ぎません。
アメリカの成長ドンか・・ニクソンショック後で言えば約30年以上経過で遂に国民亀裂を隠し切れなくなって来た印象です。
中国でもサウジでも、どこでも成長しておこぼれをある程度分配出来ている限り不満は起きません・・。
配分が減り大災害や敗戦などで、国民が困り切った極限状態で国民がどのような行動をとるかで民度・・元々の信頼関係が試されます。
イザとなれば、団結するのか分裂するのか、略奪に走るのか助け合うのか、国外脱出に走るのかが民度・信頼関係の簡単なバロメーターです。
中国でも韓国でも少しでもお金を造り、子供を如何にして国外脱出させるかが大きな目標になっている社会です。
民主主義とは本来「信なくんば立たず」信頼関係があってこそ定着するものです。
信頼していないがお金をくれる(補助金などで分配してくれる)限度で支持すると言うのでは、実質的賄賂を合法化しただけの社会です。
実利優先社会では、相手が落ち目になると(あるいは韓国やアメリカの大統領のように任期満了近くなるとレームダック状態になります)潮が引くように去って行きます。
論語
子貢問政、子曰、足食足兵、民信之矣、子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先、曰去兵、曰必不得已而去、於斯二者、何先、曰去食、自古皆有死、民無信不立。
書き下し文
子貢(しこう)、政(せい)を問う。子曰わく、食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必ず已(や)むを得ずして去らば、斯(こ)の三者(さんしゃ)に於(おい)て何(いず)れをか先きにせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者(にしゃ)に於て何ずれをか先きにせん。曰わく、食を去らん。古(いにしえ)より皆死あり、民は信なくんば立たず。
イザとなると何から順に棄てますかと聞かれて孔子様が、先ずは「兵力」次に「食糧」→「信頼は最後まで死守すべし」と言うことです。
孔子様は兵や食糧よりも、最上の政治は「信」であると喝破しています。
我が国では、このフレーズが好きな人が多い・・そうあるべきと考えている政治家が多いので人口に膾炙していますが、肝腎の中国では個人・人民としては最優先選択肢は食糧=財貨でしょう。
諸子百家時代には中国でも立派な考えが出たコトを何回も書いていますが、肝腎の中国現地では良いものを誰も顧みない・下劣な考えが尊重される民族になり下がったのは構成する民度によります。
今でも中国に立派な人が皆無とは思えません・・要は民族総合評価時代になっているので、少しくらい立派な人がいても埋没して守銭奴的中国人ばかり目立つのです。
立派な古典を読んでも、その中のどこに感動するかは読む人の能力によるのと同じです。
シックな洋服と成金趣味の洋服がある場合どちらを選ぶかは客の品性が決めます。
現在中国の為政者としては、不満を抑えるためとあちこちに武張るコトによって国益・国富を損じても平気・・兵力を棄てるよりは兵力拡大が優先課題のようですが・・上記孔子様の意見によれば、上中下のランクで言えば最下策です。
他方国民の関心は食糧・実利・守銭奴的関心が際立った民族ですが、為政者は外国に威張るために国富を損じる=国民の腹に入るものが減っても兵力強大化に邁進しているのは矛盾関係ですから、経済破綻が現実化して来ると無理が来ます。
欧米の自慢する民主主義と言っても「相互信頼」によるものではなく実利で民心を釣る政治ですから、中国人民同様の中〜下等度の民度向けです。
アメリカの「スクラップ&ビルド」と言うとなんか格好いい印象で教えられましたが、状況が悪くなるとその町をゴーストタウンにして棄てて行く安易な実利社会を表現するものです。

司法権の限界15・謙抑性3

法は元々国民主権思想=国民の代表である国会が作るものであって、司法が法を作ることは憲法では予定されていません。
司法の限界・自制の必要性に対する関心で16年3月11日以降このシリーズを書いてきましたが、タマタマ日経新聞3月20日朝刊2pに「縮む政治と膨らむ司法」の大きな囲み記事で重要事項が全て国会ではなく、(選挙制度や沖縄普天間基地訴訟や家族のあり方等々)司法が最終的に決めて行く社会になっていると言うテーマの記事が出ました。
(この辺・・ここから先は3月に書いていた原稿が先送りになっていた分が、今・・8ヶ月遅れになっているので、引用新聞記事が古くなっています)
マスコミは司法に対する批判は控えめですから結論を書いていませんが、司法に対する賞讃記事と言うよりは、最近司法がのさばり過ぎていないか?と言う私と同様の関心が背景にあるように思われます。
マスコミも私にとって批判対象ばかりではなく、意外に評価出来る意見もあります。
有明海の干拓事業も本来政治で決めるべきことを司法権が無自覚に介入して来たことによって、これを利用する勢力の思惑によって、司法判断が区々に分かれてしまい、矛盾関係になって収拾のつかない状態になっています。
司法は当事者が上告しない限り独自に最高裁で統一意見を出せません・・政治勢力の思惑によって、有利な判決を悪用しようと思えば、民主党政権時代の菅元総理のように上告させなければ高裁で確定させてしまえます。
司法と言うのは誰かが訴え出ない限り自分から進んで(職権で)裁けない仕組みですから、いつでも最高裁で統一見解を出せる訳ではありません。
民事では、関係者がいくら困っていても当事者からの申し立てがない限り裁判所が進んで裁判に出来ない仕組みです(民訴246条)し、刑事件でさえも検察官からの公訴提起がない限り裁判所が勝手に裁判(刑訴378条1項3号)出来ません。
同じく高裁も最高裁も当事者から不服申し立てがない限り裁判が始まりません。
民事訴訟法
(判決事項)
第二百四十六条  裁判所は、当事者が申し立てていない事項について、判決をすることができない。
刑事訴訟法
第三百七十八条  左の事由があることを理由として控訴の申立をした場合には、控訴趣意書に、訴訟記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている事実であつてその事由があることを信ずるに足りるものを援用しなければならない。
一  不法に管轄又は管轄違を認めたこと。
二  不法に、公訴を受理し、又はこれを棄却したこと。
三  審判の請求を受けた事件について判決をせず、又は審判の請求を受けない事件について判決をしたこと。
四  判決に理由を附せず、又は理由にくいちがいがあること。
たまたま諫早訴訟が矛盾関係で確定してしまったのは、直接的には当事者である政治家(菅政権)の介入で変なところで敢えて確定させてしまったことによるもので、司法に責任がないと言うスタンスですが、ソモソモ、政治問題に司法が乗っかって行くことが間違いだったように私は考えています。
・・裁判所は政治論争の場ではないとして、政治論を相手にしないスタンスで望むべきだったのです。
訴えさえあれば何でも口出しをするのではなく、砂川事件判決のようにこれは「政治の領分に司法は関知しない」と、謙抑性を発揮すべきだったのでないかの反省が必要です。
司法が出しゃばり過ぎていないかの意見を上記新聞記事には書いてはいませんが、マスコミがここまで書くようになったことを司法関係者にとっては心すべき段階に来ています。
介護責任・・家族に鉄道事故の損害賠償義務があると言う名古屋高裁の判断も社会の実態から見ておかしなものでしたが、仮処分ではなかったので、すぐに効力が出ずに最後に最高裁で覆ったので実害がありませんでしたが、ここでは特に仮処分の即時効発生の実害を書いています。
もしも介護責任の裁判も仮処分申請していて認められていれば、即時に効果が出てしまっていたことになりますが、この事件の場合にはまだ金銭支払だけのことですので最後に負ければ鉄道会社には支払能力があるので実害はなかったでしょう。
原発の場合、4年も5年も停止させておいて最後に負けたときに住民側にはその巨額損害賠償能力がないことは明らかです。
こう言う重大な結果の出る事柄について・・算数のように百人いれば百人の意見の一致している自明のことではなく国論の分裂していることについて、仮処分で執行してしまうことに対する間違いの恐れがないと言う自信が何故あるかの疑問です。
話題が変わりますが、隣人訴訟の三重地裁、原発仮処分の出た大津地裁、福井地裁など小規模裁判所では、非常識な裁判が連続する印象を持ちませんか?
何回も書きますが、原発賛成か否定すべきかの結論が非常識と言うのではなく、神様しか分らないようなことは民意・・政治で決めるべきなのに裁判所が神様になったつもりで決めるのが非常識でないかと言うだけです。
民主主義とはそう言うことであって、民意の多数で決めて行くしかないのです。
多数の民意獲得に負けた方が敗者復活戦のように司法を利用するのは邪道ですし、これに便乗して司法が口出しするのも邪道です。
反対派が全国津々浦々で仮処分を仕掛けると、どこか一件でもこれに引っかかって停止の仮処分が出る可能性があります。
しかも仮処分の場合即時効があるので、(僻地立地特性のある原発や自衛隊基地→小さな裁判所が原則)左翼系は色めき立っていますし、(既に全国で裁判闘争?を始めています)大津地裁の決定が出るとこれを嫌気してすぐに電力株下落になっています。
裁判闘争と言う一般に利用されている標語自体から明らかなように,裁判闘争を仕掛ける勢力は、政治問題を司法に持ち込んで「闘争の場」にしようとしていることを自白しています。
以下は、国民救援会「裁判闘争に勝つ」とは何か 」
  第21回裁判勝利をめざす全国交流集会 記念講演からの引用です。
「・・私たちは裁判で必ず市民、国民、労働者に支持署名を求めますが、裁判での法廷闘争ですべてが決せられるのであれば、何も法廷外で汗水垂らして署名集めなんてすることはないです。やはり主戦場は法廷の外なんです。裁判官ほど世論を気にする官僚というのはいないんじゃないでしょうか。そこに支持される判決を自分が書くという勇気が求められるわけです。その勇気は、ビラまき、宣伝、報道、要請、署名などによって、「こんなにもあなたの勇気を支え、支持している国民がいますよ」ということを見える形で裁判所に示すことで培われ、その中で、裁判官が正義と公平を貫く判決というものを模索し、決断していくんだという ことを強調したいと思います。」
上記講演者の貴重な運動が日本社会の人権擁護に役立って来た結果・功績自体を私もある程度敬意を持って認めますが、このような訴訟手続外の「場外闘争」が原則になって来ると、司法判断の名を借りた政治運動そのものになるリスクもあります。
政治と司法のけじめを誰が・・どのような基準でつけるかの問題が起きます。
政治で負けたらそのテーマを司法に持ち込み、司法でも負けそうになると場外のマスコミによって勝負する・・マスコミを牛耳れば良いと言う戦術が多用され、更には国連でロビー活動して、国連調査官を招聘するなど際限がありません。
マスコミに干されると困るので、誰も本当の意見を言えません(マスコミに出る識者はマスコミの振り付けどおりしか発言していません)が国民は真実を知っている・これが明らかになるのがサイレンとマジョリテイー→秘密選挙の醍醐味です。
結局は左翼支配のマスコミによる歴史修正主義者・レイテイストなどなどのレッテル張りが横行しているので、怖くてマスコミの意に反した意見や疑問を一切言えないマスコミ空間・・言論の自由が死んでいる状態を表したのが、9日に判明したアメリカ大統領選の結果です。
大統領選の結果に関しては国益に絡んでの議論が活発ですが、民主主義の動向と言う視点で見るとマスコミの作り上げた虚構民主主義の敗退が大きなテーマになるべきです。
マスコミ主導のグロ−バリズム拡大・・移民増加その他各種人権保護と言う名の下に気に入らない意見をレイシストやネオナチその他のレッテル張りで国民の発言を封じて来たコトに対する不満を抱いていたのに、マスコミはこれを黙殺し続けていた結果、選挙(EUでもマスコミの必死の誘導にも関わらず移民流入反対論が大きくなっています)で覆った点です。
日本ではネット言論ではマスコミに迎合しない人が早くからトランプ氏優勢を論じている人がいましたが、日本を含めて世界中のマスコミ・論者はこぞってクリントン支持の方向で、低レベル報道に如何にもどちらも人気がないかの報道に終始してトランプ氏の正当な正論を取り上げていませんでした。
トランプ氏のイメージ悪化に努力していましたが、米国民の多くの人がトランプ氏を支持していたことを(私の知る限り)全ての世論調査会社が敢えて虚偽報道していたかあるいは見誤っていた・・国民が怖くて本音を言えないほど言論空間が窒息していることを証明しました。
(イギリスのEU離脱国民投票も同様ですが、世論調査会社が虚偽報道していたとは思えませんので・・何故調査能力が落ちているかの点検が必須です)
EU離脱〜EUの難民反対〜今回のアメリカの動きは、選挙で認められなくとも、マスコミを抱き込んで報道を続ければ司法がそれに呼応して修正する図式の構築を目指す人権活動家の運動の行過ぎた結果に国民がノーを突きつけたのではないでしょうか?
反グローバリズム・格差反対とマスコミは宣伝しますが、今の時代完全鎖国は不可能ですから反グローバルと言っても程度問題でしかありませんし、格差反対と言うだけでどうなるものでもありません。
金融資本・ユダヤ支配反対の意味もあったでしょうが、さしあたりの対象は金融資本の手先となっているマスコミに対する反マスコミがテストされる結果の選挙であったと言うのが私の印象です。
正々堂々と論争して政党が国政の場で負けた以上は潔く結果に従うべきであって姑息な土俵外の邪魔・ケチを付けるべきではない・・これが民主主議のルールだと言う意見を11月4日まで書いて来ました。
クリントン氏が有利と言う筋書きのときにマスコミが投票結果を認めるのか?とトランプ氏に畳み掛けていたことをその頃紹介しましたが、トランプ氏が勝つと民主党支持者が認められないと言う抗議?でナチスを模した左翼系得意のレッテル張りをして、頻りにデモを繰り広げている様子が報道されています。
マスコミとしては、負けを認められなくて、トランプ氏には民意の支持がないと言う虚構を強調したいのでしょう。
選挙に負けた方が何の根拠で「認められない」と言うデモをしているのか不思議です。
左翼系・マスコミはじぶんの都合によって「民意」だ「人権」だと言うご都合主義があることをこの数日書いて来ましたが、その本質がアメリカでも出ています。

司法権の限界14・謙抑性2

国家としてのあるべき制度論に戻りますと、何でも裁判で決着を付ける・・今年の春に出た原発仮処分について、国論の割れている重要テーマを選挙の洗礼を受けていない裁判所が最終決定するのは国民主権の原理から見ておかしな制度であること、ましてや、過疎地の裁判官が仮処分で決めて一時停止させてしまうのは司法権の乱用ではないか?と言う関心で書いてきました。
「裁判官の良心とは何か?」から入って、「April 7, 2016「司法権の限界13(人材と身分保障1」から身分保障〜「裁判闘争と合法的テロ?1」〜「地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)」を書いている途中でテーマが横に逸れていましたが このシリーズのテーマと基礎思考が同じ・・その続きでもあるし、ある程度繰り返しになっています。
沖縄の普天間基地移転が裁判で争われているのも、公有水面埋め立て工事許可権限・取り消し権限が知事にある・・国は県の構成員・・住民や企業ではないのに、国が県の許可を受けねばならない変な仕組みを前提に裁判しているようですから、この仕組み自体が狂っているから漫画っぽい争いになっているのです。
※ただし沖縄での知事と国の訴訟内容を直截知っている訳ではありませんので、本当の争点を知りません・・ここは憶測にわたる意見です。
http://www.news24.jp/feature/110/feature110_01.html2016年7月22日 12:20
「米軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、国が指示した「埋め立て承認取り消しの撤回」を行わないのは違法だとして、22日、国が沖縄県を再提訴した。移設については、国と県が法廷で対立していたが、今年3月、和解が成立していた。」
上記によると国に指示権があるとしても、知事が従わないときには裁判しないと効果が出ない制度らしいです・・この裁判の必要により、工事が約2年遅れると言う見通しもあります。
・この辺のテーマは今年の春頃原発運転停止仮処分が出たときにMarch 26, 2016「高浜原発停止と司法権の限界1」以下で書き始め、その後国家的テーマについて過疎地の裁判官→過疎地自治体首長・が決めるべきことか?
・・地元にも大きな影響があるので、ある程度地元意見を尊重すべきですが、最終決定権まで地元住民持つことが妥当かのテーマで、April 20, 2016「地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)」前後で連載しました。
以上考えて行くと、自治体の各種の許認可事項については、国を何故例外扱いの制度設計にしていないのか?の疑問です。
占領軍は地方自治を置き土産として決めただけでしたが、その後を受け継いだ学者が拡大発展させて中央政府をがんじがらめにして各地の自治体の協力がないと政府が何も出来ないようにドンドンとガン細胞のように拡大させて来た印象を受けます。
国策として国権の最高機関である国会の議論の結果、過半数以上の支持で決まったことでも、全国の一部・人口比で言えば数百分の1もない過疎地の1つが反対すると全国的国防網に穴があいてしまう仕組みが統一国家のあり方として合理的である筈がありません。
与那国島の例で言えば人口1500ですから約8万分の1の人口です。
10月16日に紹介した災害対策法に「協力」と言う文言が明記されていますが、政府が決めてもあらゆることで各自治体に協力を求めるしか出来ないのが戦後法制度の骨格です。
今は末端の拒否権が上記のとおり事実上(裁判その他の是正手続が一応ありますが・・)認められている上に、住民が拒否するかどうか決める投票資格が3ヶ月前からその自治体に居住していれば良いと言う緩い要件・・その上外国人にまで投票権を認める自治体がある・・与那国島の例を紹介して書いています。
ここで司法権の謙抑性に戻りますが、March 29, 2016,司法権の限界4(謙抑性1)の続きです。
原発稼働基準は、政治の手続に則って新基準が合法的に設定されているとした場合、司法権はこの基準に合致するかどうかしか判断する権利がない・・基準そのものを批判して政治決定を「間違っている」と決定するのは憲法の予定する司法権限の逸脱であって、許されないと思います。
喩えば、金融政策でもその結果どうなるかを必ずしも専門家も分っていません・・市場が専門家の予想どおり動く保障はありませんが、専門家の意見で兎も角やって見るしかないものです。
私有財産権侵害といえば憲法問題ですから、何でも気に入らなければ裁判出来ることになってしまいます。
司法が日銀の金融緩和決定が(いくら何でもマイナス金利は行き過ぎだとして)間違っている(最近はやりの「国民の理解を得られていない」と言う理由で?)として、(金利が下がるのは預金者の権利侵害には違いないですが・・・)停止を命じるのは、司法権の逸脱です。
年末の日韓合意で言えば、間違っている・・憲法違反として、司法権が無効判決する事自体が許されません。
社会のあり方(無限に近い膨大な要素判断が必要)の判断は民意を受けた政治・国会意思→法で決めて行くべきであって、司法が法の内容が民意にあっているかどうかを決めつける権利がありません。
法と言うものの多くは実際上の必要性が認識されてから、利害関係者双方の綱引きの結果規制法が制定されるのが一般的ですから、実際の不都合発生よりも遅れるのは仕方がないことです。
法がないからと言って利害調整する機関・民意吸収の場でない司法権が前もって判断するのは憲法上許されません。
これが罪刑法定主義の基礎理念で、人権保障の意味で、一般に事後法処罰は出来ないと言われますが、それは結果的効果から見た意見に過ぎません。
法理論・本質的には、司法と政治を分ける基礎思想・・司法は過去の事実を見て当時の状況から見て、違憲判断や有罪判決するのが原則的業務で、将来こうなるべきとして法改正を要求することは許されません。
最近出た非嫡出子の相続分が半分しかない点に関する違憲決定も、当該事件の相続開始時に既に差別するべき合理性が失なわれていた・・国民意識が変化していたと言う過去の事実認定です。
最高裁判所大法廷平成25年9月4日決定
「・・・以上を総合すれば,遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府の裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。」

上記のとおり、判決時の約12年前の事実認定であって将来このようにすべきと言う判決ではありません。

文化発信源の多様化4(西欧の限界2)

経済発展と文化の関係に戻ります。
文化で装う能力がないので生産力で追いついてくる競争相手にイチャモンつけて武力抑圧を目指したのが、第1次2次世界大戦でしたが、戦後再び日独の挑戦に敗れてしまったのは、西欧諸国がこの間に新たな価値観創出・文化発信が出来なかったからです。
スポーツ等で言えば、自分のレベルアップ努力しないで負けそうな相手選手の足を引っ張ることに終始していたことになるのかな?
西欧は自己発展出来ない欠点が戦後よりいっそう明白になって、・・日独との競争に負け続け冷戦終了後は現地生産化進行で新興国との競争にも負け、減って行く従来型輸出製品の穴埋めをしきれていないのが英仏等西欧諸国ジリ貧の原因です。
イギリスに限らず西欧諸国がEU結成による障壁造りと移民による人口増や金融業に頼るしかなくなっているのは、新たな需要創出・・新製品開発能力がない・・これは消費者の声・・民のレベルが低いことによります。
生産力+資源に頼って来たアメリカも資源安によって資源保有の旨味に限界が来たので、移民と障壁造りに励むべし・・これがトランプ氏の主張ですが,アメリカ国力衰退・・日本に負けるばかりの状態を背景とすれば、誰が大統領になってもTPP成立は無理があるでしょう。
欧米ジリ貧の原因は、西欧では未だに階級格差がある・・アメリカは言うまでもなく大格差社会です・・まずい食事など客の声、庶民生活レベルが低過ぎることが消費時代について行けない理由です。
ドイツは今のところ黒字国で元気ですが、これはEUの囲い込みによって域内輸出を独占しているからに過ぎず・・しかも生産に偏っている・・内需の低さ・消費・・文化に昇華する能力の低さが今後問題になって行く点ではアングロサクンと同じです。
韓国も同じですが庶民が厳格に支配されていた国では、内需レベルが低く、消費材のきめ細かな発達が期待出来ません。
中国は異民族支配が長かった結果、反語的ですが庶民と政府が無関係で来た・・儒教国家と言いますが支配層・士大夫階層だけの道徳律であって、庶民には道徳規律も何も関係のない野放図なまま放っておかれたことを書いてきましたが、これが今になると野生のママの庶民の強さであり、したたかさの根源です。
政治的には「上に政策あらば下に対策あり」と言われる土壌です。
これを消費者視点で見直せば、・・消費者には元々何のモラル教育もないまま古代から来たので、商品工夫にも制約がありません・・新天地に行って開放感に溢れて自由な発想が出来るようになったアメリカ人同様・思想にモラル枠のない自由さがあります・・下水から食品を作り、プラスチック系から卵を作ってうるなど・・そこまでやるか?と言う驚きがありますが、何のタブーもない工夫が活発・期待・意外な発展性を秘めている可能性があります。
ただし、対策・うまく立ち回る工夫が中心ですから、根気よく物を作って行く能力には欠ける・政府等に対する信頼関係がないのでと次世代のために見を粉にして積みげて行く習慣がない代わりに既存技術の組み合わせ能力が高い・・あんちょこに何でも作ってしまえる点・・高級品は作れないが便利なものをちょこっと作れる点が今後有利に働くと思われます。
今簡易スマホ?利用の決済が席巻しつつあるようですがこれなどもその一種でしょう。
消費レベルの重要性に戻りますと、政府主導の旧ソ連や今のロシアや中国が、人工衛星を作れてもクルマやウオッシュレットやうまく炊ける電気釜1つマトモニ作れない現実が証明しています。
西欧国民の基礎的レベルの低さは気候風土上の問題・・マトモな野菜果物すら出来ない風土的産物の貧しさに由来します。
良い土地から出来るものは全てうまいし、その土地に住む動物も魚も皆うまいし、人間も素質が良いように見えます。
民度も結局は気候風土の制約から逃れられません。
単調な景色からは個性のある芸術も生まれようがないですが、私の子供の頃には、単調な街を「西洋の都市は整然としているのに日本の都市は雑然としていて統一感がない」と頻りに日本批判する有識者が溢れていました。
今になってみると共産主義国家のように単調な表現しか出来ないのが西洋であることが分ります・これは景色・気候が単調なのと軌を一にしているからです。
西欧が個性重視と言い出したのも如何に長い間、個性が無視されて来たか・・その反作用・反省の上に立っているに過ぎないことを理解する必要があります。
信教の自由も深刻な宗教戦争・弾圧を経て生まれた「解」であり、日本のように元々八百万の神が相互を認めあう社会ではありません。
動物愛護も人権も民主主義も皆同じで「民の声など無視し続けて来た」歴史が重要です。
4〜5km先に見えている山を越えれば違った生活習慣のある日本列島・・自ずと相対的思考が進みますが、千km歩いて行っても何の変化もない風景気候が続く平原・単調社会との違いです。
近代が弱肉強食・・何でも武力で解決する砲艦外交・・野蛮な4〜5世紀になってしまったのは、西欧による世界支配に由来します。
大航海時代以降西欧人は世界に乗り出したのですが、西欧の気候風土の貧しさから行く先々で交換すべき土産がない・・その他の世界に行っても交換すべき文物がなかったことに由来します。
元々西欧以外の世界のルールでは、交易・・すなわち何かと交換すること・これが古代から人類共通のルールで世界の交流が成り立っていました。
今でも他人の家を訪問するときには何か手土産を持っていくのは「強盗ではない」と言う証し・・その名残です。

文化発信源の多様化3(西欧の限界1)

内需力・国民を本当に大事にしているかどうかこそが、この先の国際経済競争で勝敗を分ける指標です。
西欧の場合どうでしょうか?
西欧の誇るオペラやクラシック音楽は・・王侯貴族階層が顧客ですが、日本の歌舞伎や浄瑠璃は庶民が支えて来たものです。
絵画や音楽も西欧は教会音楽や王侯貴族の肖像画中心でしたが、日本では古くから花鳥風月を描き庶民まで楽しむものですし、音楽も雅楽の外平安末期頃から今様・琵琶法師を代表としていろんな歌謡が庶民から始まっています。
万葉集では、各地地方の庶民の歌が一杯掲載されていますし,日本の和食文化は庶民から始まったものが中心ですし、今も現場からラーメンや餃子などB級グルメが発信され続けています。
ノーベル賞でさえも現場研究系の田中氏が授賞したことでは世界をびっくりさせました。
日本企業の強みは現場力にあると言われています。
遊び心、例えば昔から庶民が楽しんだ「なぞなぞ」その他の言葉遊び(掛詞・語呂合わせを基本とする)もそうですが、これが和歌や連歌〜俳諧、狂歌・川柳〜現在の落語やお笑い芸人の世界に引き継がれています。
歌舞伎などの飛躍した人物設定も突飛な連想・・連歌は連想遊びの高度なものです・・利用したモノでしょうし、草の根の文化が日本文化の基礎です。
欧米が世界に覇を唱えられた原因を見ますと、英米仏等産業革命先進諸国は産業革命による先行者利益によりますが、その後の発展性に乏しいのが20世紀に入ってからの惆楽の原因ですし21世紀に入っていよいよ衰退が明らかになってきました。
新大陸アメリカを起点にベルトコンベアー方式〜コンピューター革命等の生産技術革命はありましたが、アメリカは資源に恵まれていた点が主たる取り柄であって、文化力による上乗せ能力が低い点は同じです。
遅れて参入したドイツの挑戦はば同一文化圏内競争ですが、日本の挑戦には文化自体の違いが徐々に出て来ました。
欧米の植民地支配が過酷になったのは、文化力に自信がなかったのでその違いを悟らせないように白人の優越性を洗脳し、一方で現地文化を根絶する思想があったからのように見えます。
植民地支配では白人の優越性思想・人種差別意識の徹底で現地人に対する無力感を植えつけて現地人の成誇りを奪い,それでも努力して自民族の主体性回復を図る人が出ると過酷な弾圧をしていました。
南米の原住民を殆ど皆殺し?文化を根こそぎ奪い抹殺してしまい、・・今になるとインカ帝国の事績を伝承する人間すらいなくなるほどの徹底したジェノサイドぶりに人のすることかと戦慄を覚えない人は人間の心を持っていないのではないかと疑いたくなります。
ヒットラーのジェノサイドはいきなり出現したものではありません。
アメリカインデイアンに対する過酷な抑圧も良く知られています。
いわゆるブランド戦略なるものの浅薄さに気が付いている人が多いでしょう。
先進国に対する素朴な憧れに悪乗りしただけのことで、文化度が全く感じられないものをさも高価なもののように勝手に決めつけてボッているだけです。
田舎者に、がらくたを高価なものだと騙しているような商法です。
騙すと言うよりそれしかない・・その程度が自慢の文化と言うことでしょう。
産業革命に始まる生産力競争は・・装置産業が基本ですから、遅れて来た挑戦者の方が(資本さえあれば)効率の良い機械一式を備えることが出来,キャッチアップが簡単ですので普通は有利です。
この競争を阻害するために植民地支配民族に競争に対する絶望感を植え付ける・・人種差別を徹底して来た所以です。
西欧対等者であるドイツの挑戦激化に対する欧米の解決方法は、相手を引き摺り下ろすこと・・独に対する大戦争への引きずり込み、2度の世界大戦は挑戦者を叩き潰すと言う延長思考で起きたものです。
欧米の異教徒に対する差別化の穴をすり抜けて来た日本に対する叩き潰し方は、ドイツに対するものとは本質が違い・・アメリカインデアンに対する卑劣な扱い・・民族劣化・殲滅作戦とも言うべき戦争ですから太平洋戦争は西洋での大戦とは本質が異なっていました。
欧米は、異教徒でありながら台頭して来た日本人に人種間競争を意識させないために?名誉白人なる称号を与えてくれていましたが、日本人は欧米の人種差別に対する疑問を持ち続け、アメリカ本土居住日系人が個人が黒人解放運動を地道に進めて行く人が出て来たほか、政府としても国連で人種差別禁止の正式提案をして米英を怒らせたことが、アメリカの対日戦計画開始になったものです。
日米戦争の本質は、経済戦争の名目を取っているものの、台頭して来た唯一の有色人種をこれ以上多めに見ていると他の有色人種の反抗を誘発する危険を感じた欧米諸国一致の戦略で(日本の同盟国である筈のヒットラーのアメリカ大統領への祝電が如実に物語っています)植民地支配に喘いでいる他の非支配民族同様の地位に落としてしまう欧米全体の暗黙の合意実行に移したものでした。
名誉白人の地位は、植民支配地の王族をパリ、ロンドン等に招いて良い思いをさせておいて、反抗すればすぐに没落させるぞと脅していたようなものです。
ヒットラーがアメリカの対日開戦に「◯◯をやっつけろ」とアメリカに祝電を送っているくらいで本質はソ連もドイツも便宜上同盟や不可侵条約を日本と結んでいただけで黄色人種に対する敵意の方が優っていたのですから、ソ連が最後に裏切ったのは当然の帰結というべきでしょう。
対日戦ではアメリカインデイアンに対するのと同じ思想・・アメリカは当初から主に白人間のために成立している戦時国際法など人道的取り決めを・・日本も締約国ですが・・対日戦では守る気持ちなど全くなかった理由がここにあります。

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