司法権の限界14・謙抑性2

国家としてのあるべき制度論に戻りますと、何でも裁判で決着を付ける・・今年の春に出た原発仮処分について、国論の割れている重要テーマを選挙の洗礼を受けていない裁判所が最終決定するのは国民主権の原理から見ておかしな制度であること、ましてや、過疎地の裁判官が仮処分で決めて一時停止させてしまうのは司法権の乱用ではないか?と言う関心で書いてきました。
「裁判官の良心とは何か?」から入って、「April 7, 2016「司法権の限界13(人材と身分保障1」から身分保障〜「裁判闘争と合法的テロ?1」〜「地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)」を書いている途中でテーマが横に逸れていましたが このシリーズのテーマと基礎思考が同じ・・その続きでもあるし、ある程度繰り返しになっています。
沖縄の普天間基地移転が裁判で争われているのも、公有水面埋め立て工事許可権限・取り消し権限が知事にある・・国は県の構成員・・住民や企業ではないのに、国が県の許可を受けねばならない変な仕組みを前提に裁判しているようですから、この仕組み自体が狂っているから漫画っぽい争いになっているのです。
※ただし沖縄での知事と国の訴訟内容を直截知っている訳ではありませんので、本当の争点を知りません・・ここは憶測にわたる意見です。
http://www.news24.jp/feature/110/feature110_01.html2016年7月22日 12:20
「米軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、国が指示した「埋め立て承認取り消しの撤回」を行わないのは違法だとして、22日、国が沖縄県を再提訴した。移設については、国と県が法廷で対立していたが、今年3月、和解が成立していた。」
上記によると国に指示権があるとしても、知事が従わないときには裁判しないと効果が出ない制度らしいです・・この裁判の必要により、工事が約2年遅れると言う見通しもあります。
・この辺のテーマは今年の春頃原発運転停止仮処分が出たときにMarch 26, 2016「高浜原発停止と司法権の限界1」以下で書き始め、その後国家的テーマについて過疎地の裁判官→過疎地自治体首長・が決めるべきことか?
・・地元にも大きな影響があるので、ある程度地元意見を尊重すべきですが、最終決定権まで地元住民持つことが妥当かのテーマで、April 20, 2016「地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)」前後で連載しました。
以上考えて行くと、自治体の各種の許認可事項については、国を何故例外扱いの制度設計にしていないのか?の疑問です。
占領軍は地方自治を置き土産として決めただけでしたが、その後を受け継いだ学者が拡大発展させて中央政府をがんじがらめにして各地の自治体の協力がないと政府が何も出来ないようにドンドンとガン細胞のように拡大させて来た印象を受けます。
国策として国権の最高機関である国会の議論の結果、過半数以上の支持で決まったことでも、全国の一部・人口比で言えば数百分の1もない過疎地の1つが反対すると全国的国防網に穴があいてしまう仕組みが統一国家のあり方として合理的である筈がありません。
与那国島の例で言えば人口1500ですから約8万分の1の人口です。
10月16日に紹介した災害対策法に「協力」と言う文言が明記されていますが、政府が決めてもあらゆることで各自治体に協力を求めるしか出来ないのが戦後法制度の骨格です。
今は末端の拒否権が上記のとおり事実上(裁判その他の是正手続が一応ありますが・・)認められている上に、住民が拒否するかどうか決める投票資格が3ヶ月前からその自治体に居住していれば良いと言う緩い要件・・その上外国人にまで投票権を認める自治体がある・・与那国島の例を紹介して書いています。
ここで司法権の謙抑性に戻りますが、March 29, 2016,司法権の限界4(謙抑性1)の続きです。
原発稼働基準は、政治の手続に則って新基準が合法的に設定されているとした場合、司法権はこの基準に合致するかどうかしか判断する権利がない・・基準そのものを批判して政治決定を「間違っている」と決定するのは憲法の予定する司法権限の逸脱であって、許されないと思います。
喩えば、金融政策でもその結果どうなるかを必ずしも専門家も分っていません・・市場が専門家の予想どおり動く保障はありませんが、専門家の意見で兎も角やって見るしかないものです。
私有財産権侵害といえば憲法問題ですから、何でも気に入らなければ裁判出来ることになってしまいます。
司法が日銀の金融緩和決定が(いくら何でもマイナス金利は行き過ぎだとして)間違っている(最近はやりの「国民の理解を得られていない」と言う理由で?)として、(金利が下がるのは預金者の権利侵害には違いないですが・・・)停止を命じるのは、司法権の逸脱です。
年末の日韓合意で言えば、間違っている・・憲法違反として、司法権が無効判決する事自体が許されません。
社会のあり方(無限に近い膨大な要素判断が必要)の判断は民意を受けた政治・国会意思→法で決めて行くべきであって、司法が法の内容が民意にあっているかどうかを決めつける権利がありません。
法と言うものの多くは実際上の必要性が認識されてから、利害関係者双方の綱引きの結果規制法が制定されるのが一般的ですから、実際の不都合発生よりも遅れるのは仕方がないことです。
法がないからと言って利害調整する機関・民意吸収の場でない司法権が前もって判断するのは憲法上許されません。
これが罪刑法定主義の基礎理念で、人権保障の意味で、一般に事後法処罰は出来ないと言われますが、それは結果的効果から見た意見に過ぎません。
法理論・本質的には、司法と政治を分ける基礎思想・・司法は過去の事実を見て当時の状況から見て、違憲判断や有罪判決するのが原則的業務で、将来こうなるべきとして法改正を要求することは許されません。
最近出た非嫡出子の相続分が半分しかない点に関する違憲決定も、当該事件の相続開始時に既に差別するべき合理性が失なわれていた・・国民意識が変化していたと言う過去の事実認定です。
最高裁判所大法廷平成25年9月4日決定
「・・・以上を総合すれば,遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府の裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。」

上記のとおり、判決時の約12年前の事実認定であって将来このようにすべきと言う判決ではありません。

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