高度化努力の限界3と均衡1

2月27日の日経朝刊では2014年ころには中国の賃上げ傾向(とアメリカの下落傾向)から見れば、アメリカ国内の人件費を追い越す・・逆転するだろうと書かれています。
昨年報道されていた広東付近の先端工業地帯の工場労働者の賃上げ争議を見ていると、ほぼ月収2〜3万円の印象ですが、争議が頻発しているので、その内アメリカの人件費を追い越すことになると言う報道はもしもアメリカの労働者の平均賃金が日本円にして月額4〜5万円に下がっているとしたら(今後更にドルが下落し元が上がることも想定すると)現実味があります。
この賃上げ圧力に対応するためにか、中国ではラオス、カンボジア、ベトナムやヤンマーなど中国よりさらなる低賃金国への中国自身による工場進出が盛んになっています。
中国では就職出来ない大卒が600万人ほどいるが単純労務に就職したがらない・・他方で農民工もそれほど集まらなくなったなど、構造的問題が噴出し始めているようです。
日本でも失業者が一杯いるのに3K職場への求職者がなくてフィリッピン人などの外国人労働者導入論が昔から盛んです。
中国の場合、まだ経済が離陸し、先進国にキャッチアップ出来たかどうか分らないうちからこの状態では上昇率が打ち止めになるのは予想外に早いものと思われます。
日本が高度化努力・生産性向上で新興国の追い上げから逃げようとしても60→70→80→90点台とレベルが上がれば上がるほど上昇率が下がって行くしかありませんし、どこかで上昇率が打ち止めになることを防げないと言えるでしょうか?
物事の原理として100点以上の得点はあり得ないかと言うとそうではありません。
数学のテストの場合で言えば、学生のレベルが上がれば問題を難しくして行くことが可能なように、生活水準は無限に前進して行くので、100点満点の到達点は無限に先に伸びて行くので100点に近づく極限値はあり得ないのです。
30年前には考えられなかった携帯電話やパソコンの普及・・最近のスマホの普及などを見れば分るように工夫さえすれば競争すべき到達点は先送りの一方です。
上記のように考えると先頭ランナーは、どこまで頑張っても満点になって進歩する余地がなくなる心配はありません。
進歩が止まるのは工夫・進歩が止まったときですから、結局は民族の資質次第と言えます。
中世でアジア世界全体あるいは世界全体で進歩の頭打ちがあったかのように見えたのは、緩やかに進歩を続けながらも対抗する諸国との順位や差があまり変わらなかったからでしょう。
日本が仮に95点で頭打ちになり、韓国が85点、中国が80点でそれぞれ頭打ち(順位や距離が安定した場合)になるとしたら、その時点での賃金格差がこの点数差と一致していれば国際競争力が均衡することになります。

高度化努力の限界2

上昇率が相互に似たようなものになった場合、均衡を破るのは、産業革命のような大規模な革新的発明発見がどこかの国で起きたときでしょう。
ただ、グロ−バル化が進んでいるのでどこかの国で画期的技術を発明・発見しても世界中に直ぐに伝播しますから、先行者利益の期間が短いので、18〜19世紀型の先進国と後進国に分かれるような大きな格差は生じないと思われます。
例えばアイポド・アイフォーンが開発されてもアメリカだけで何十年も閉鎖的に進歩する時代ではありません。
05/26/07「現地生産化の進行と加工貿易の運命1(先行者利益の寿命)」で古代には文明の伝播に数千年かかっていたの次第に短期化されて来た経過を紹介しました。
上記発展段階の理解によれば、韓国や中国と日本の賃金格差は韓国や中国が近代産業に目覚めて発展を始めたときには妥当だったかも知れませんが、その後急激な発展を始めた以上は従来の賃金格差は大きすぎるので、急激な発展に合わせて賃金格差も急激に縮まるのが本来です。
中国が改革開放を始めた頃には日本と中国の賃金格差が3〜40倍あったように思いますが、今では約10倍の格差に縮まっていますが、文化力・技術力の差がそれだけあれば良いのですが、そうでなければ現状はまだまだ縮小不足となります。
(対中貿易、対韓貿易では我が国だけが?輸出超過国ですから、これで良いのかも知れませんが・・・)
アメリカの場合は、リーマンショック後のドル急落や国内人件費下落(26日に書いたようにGMに関しては倒産前の4分の1まで下がっているとのこと)によって賃金格差縮小が充分に進んだということでしょうか?
ちなみに今でもアメリカの一人当たり収入は中国の一人当たり収入をはるかに凌駕していますが、これは海外利権・石油採掘権・収益の還流等があって、これを国民の数で割るから大きくなっているだけで、労働者の賃金水準と一人当たり収入は関係がありません。
同じことは日本の一人当たり収入算出にあたっても気をつけるべきことです。
GMの好調は中国での販売好調に由来するものですが、これら投資収益があって企業は大もうけしたのであって、アメリカ国内のGM労働者の生産性にこれをカウントするとややこしいことになります。
企業の海外での大もうけが労働者の収入増に結びつかないので、アメリカ国内では格差が余計広がる仕組みです。
この点は我が国でも貿易収支の黒字よりも所得収支の黒字の方が大きくなって来ると、労働だけに所得源を頼る人は所得が総体的に低くなりがちであることを、05/26/07「キャピタルゲインの時代16(国際収支表1)」までの連載で書きました。
新興国と先進国との賃金格差の縮まり方が新興国の技術発展のスピードに追いつかないので、その間日本や先進国の貿易収支が赤字に傾く・・国際競争力が低下していくのは仕方がないことです。
2月27日の例で言えば、点数差が初期のころは急激に縮まるのに対して賃金差が縮まり難い・・・中国の方はいくらでも奥地から労働者が供給されるので、技術力アップに見合う賃上げが簡単に進みませんでした。
(最近様相が変わってきましたが・・・)
先進国の方は容易に賃下げが出来ない(下方硬直性)のが普通ですが、2月26日のブログの終わりころに書いたようにアメリカではレイオフが簡単(賃金相場も市場原理が貫徹し易い)なこと急激なドル安で、対外的な賃金水準引き下げに成功していることが却って格差社会の問題を引き起こしています。
GM人件費が倒産前の4分の1に下がっているというのですが、これを円に換算すれば分りますが大変な下落状況です。
1ドル120円前後のリーマンショック直前の給与水準が仮に月額25万円前後であったと仮定して計算すればアメリカ労働者の悲惨さが直ぐに分ります。
ドルの下落の結果今は1ドル約80円ですから、円換算で月収11〜12万円だったのが8万円、24万円だったのが約16万円に下がっていることになります。
為替換算だけで約16万円になっていたのが、更に国内で4分の1に下がっているとすれば、月収4万円前後に下がっていることになり大変なことです。

高度化努力と新興国追い上げの限界1

高度化努力を際限なく続けてその結果際限なく円高になるのを繰り返して行っても、いつかは力尽きる時が来ることは防げません。
ただ、例えば日本が年に1割の高度化努力に成功していたのが、8%〜6%〜4%と順次成果が小さくなって行くとした場合、前年比ゼロ%になった時点で海外競争に負けてしまうかと言うとそうとは言い切れません。
相手の方も生活水準上昇による賃上げ率の上昇があるので、適当なところで日本に対して追いつく力が尽きることもあります。
韓国や台湾がそれで、一定程度まで日本に追いついていましたが、最近その差がこれ以上縮まらくなっている感じです。
中国もその内一定以上に生活水準が上がったところで、ピークを打つ可能性があります。
学業の成績上昇の変化を例あるいはマラソン走者を例にに考えるとよく分ります。
全く勉強しなかった子供があるときに目覚めて勉強を始めると各科目平均20点台から始めた場合当初は急激に伸びますが、その勢いで際限なく伸びるのではなく、子の資質次第で50点台で上昇率が鈍り60〜70点くらいで打ち止めになったりします。
他方元々60〜70点台だった子も負けずに努力すると少しずつ上昇するのですが、20点台から40点台に上がる子に比べて60点台の子が5〜10点でも上げるのは大変です。
このように低水準から始めた子供よりも、元々の上級者の方が上昇率が低いのは当然です。
あるいはある人が1km先に走っていた後で次の人がスタートを切れば、先に走っている方は疲れているのでスピードが落ちていることから最初の数百〜1kmメートルは距離が縮まるでしょうが、一定距離を走った後はその走者の能力次第で同じ能力ならば、1kmの差に戻ってしまうし、逆に開くことさえあります。
(日本の高度成長は明治維新以降の技術力の蓄積の上に始まっているので、中国や韓国とはスタート台の違いも重要です)
この勢いの良い初期段階を見て新興国は今にも日本に追いつき追い越すかのような単純な妄想を抱いて高慢になり、日本のマスコミも「大変だ」と騒ぐ傾向がありますが、物事の発展段階のルールを知らない幼稚な議論に過ぎません。
このように新興国も一定水準以降は技術力・生産性の向上率が下がって先進国の上昇率と肩を並べることになったり、(追いつかない内に同じ上昇率になると差が縮まりません)あるいは止まって下降曲線になる国もあります。
相撲で言えば勢い良く昇進していた力士が幕内上位になると足踏みし、その内下がり始める力士の方が多いのとを想起しても良いでしょう。
最終的には遅れて目覚めて勢い良く上昇し始めた国がどこまで先進国に追いつけるか、どの段階で息切れするか、追い越せるかについては、日本人の資質と競合国の資質の差に落ち着くでしょう。
今のところ急上昇中の新興国の上昇率に賃上げが追いつかないので、先進国との賃金格差が大きすぎるのですが、最終的には資質差の範囲内に人件費の差が縮まって漸く安定することになります。
(画期的発明がなく)同じような製品の競争を続けている限り、日本も60→70→80→90点台になるとそれ以上技術力の向上は難しくなるので、どこかで打ち止めあるいは上昇率低下に見舞われることがあり得るでしょう。
日本が仮に95点で上昇率が頭打ちになり、韓国が85点、中国が80点でそれぞれ頭打ちになるとしたら、その時点での賃金格差がこの点数差と一致していれば国際競争力が均衡することになります。
(歴史を見ると一見停滞しているようでも少しずつ進歩して来たことは間違いがないようですから、何時の時代でも少しずつ進歩し続けるのですが華々しく目立たないだけですので、進歩が停止するのではなく上昇率が低下するだけです。)

為替相場と物価変動2(金融政策の限界2)

有史以来日本のバブル期ころまでは何千年も供給不足社会が続いていましたので、紙幣供給あるいは融資の拡大によって、購買力さえ上げれば、それまで欲しくても買えなかった人が購入に走った(それに対する供給を簡単に増やせなかった)ので需要供給の力関係で、一割紙幣を増やせばほぼ一割物価が上がる関係でした。
こうしたもの不足社会を前提にして初めて、実物と交換すべき商品の1つである紙幣量の増減(これは政府が簡単に増減出来ますので、一対一の交換比率のときに紙幣を2倍増やせば2対1の交換比率・2割増やせば12対10の交換比率になります))で物価を調節出来ていたに過ぎません。
(今でも供給者の論理・供給に限界がある前提で社会が回っている部分が多くて、これが日本社会の停滞を招いているのです)
国内で商品が飽和状態にあるだけではなく、仮に足りなくても中国等から需要に応じていくらでも短期間で商品が供給される時代では、仮に紙幣供給が商品量より多くなっても価格に影響を与えることは殆どありません。
この状態が約20年以上も続いているのが我が国の状態です。
供給過剰・グローバル化社会では、紙幣供給量の調節(金利政策も根っこは同じです)の効果よりは、物価の上下は為替相場変動が輸入物価の上下を通じて大きな役割を果たすようになっているので、円高傾向にある限り輸入物価は下がり続ける・・デフレ化しかありません。
逆に円安に振れれば金利如何にかかわらず輸入物価を直撃して上昇し、簡単にインフレになります。
今、円安に振れ始めましたが円が1割下がれば原油等燃料がその分上がって、物価を直撃する大変なことになるのは誰でも分るでしょう。
グローバル化による効果は日本に限らず外国でも同じで、その国の金利を上げて紙幣供給を絞っても、円キャリー取引等を通じて金利の安い他所から調達した資金がいくらでも流入して来る点は物の供給と同じです。
日本はグローバル化以降奔流のように押し寄せる低価格品に圧倒されていましたが、その代わりに低金利で貨幣を大量発行して高金利国に資金を送り込んで(海外工場建設投資などもその一種です)資金輸出していたことになります。
その結果日本は円高によるデフレが進行するばかりですし、他方で中国やアメリカは日本から低金利で調達した資金が大量に流れ込んだ(日本はいくら量的緩和しても国内での需要がない)ので、インフレが進行していたのです。
ちなみに中国ではまだ白物家電その他の生活用品が先進国並みには行き渡っていないので、資金さえ供給されればまだまだ購買意欲が旺盛ですので古典的経済論通りに上昇します。
上記のとおり、現在の成熟国では物価の上下変動の基本は、紙幣供給・金利動向よりはむしろ円高になるか円安に振れるか為替相場次第になっているのです。
日銀・中央銀行の金融調節による物価調節役割は我が国ではとっくに終わっているのに、学者を始めみんなで金融による金融調節にこだわって議論したり金融政策に反応して株を上げたり下げたりしているのは馬鹿げたことです。
こんな過ぎ去った幻みたいな基準にこだわって、上記のとおり日銀は金融調節によって物価を上げ下げする能力などないのにインフレ目標など掲げてみたりして無駄な政策に頭を悩ましているし、マスコミも経常収支の黒字を求めながらデフレは困るなどと矛盾した願望で政治は降り回されているから、何も解決にならないで経済が低迷している面があります。
日本は約20年前から世界最先進国の経済になったのですから、(約20年遅れでアメリカのリーマンショック・超低金利・・追ってギリシャ危機となり日本がやって来た道を辿っていますし、昨年の原発事故もそうですが、すべての分野で世界の未経験の先頭を走っているのが日本社会です)過去に妥当した経済理論のまま遅れた経済社会であるアメリカや欧州などの意見で政治・経済政策をやってもうまく行く訳がありません。

為替変動と物価(金融政策の限界1)

収支均衡の国ならば、現状維持努力が成功しても円は上がらないでしょうが、日本の場合長期間約20兆円もの経常収支黒字が続いていましたので、現状維持努力が成功すれば黒字がそのまま続くことになります。
製品高度化=生産性上昇の努力により、海外よりも高賃金でも貿易黒字を維持出来る・・空洞化阻止に成功すれば、輸出競争力維持=黒字のままですから円が上がってしまうので、再びこれに対する適応努力・・成功すればこれの繰り返しですから、際限ない努力が必要です。
それでも円安の進行による(生活水準低下による)均衡よりは、生産性上昇による均衡努力の方が生活水準が上がる楽しみがありますから、頑張りきれるところまで頑張るしかないでしょう。
高度化努力を怠り貿易赤字になるのを甘受して、結果としてもたらされる円安やインフレよる実質賃金低下に安住するのは、受験で言えば一ランク下の高校や大学を受験して楽しようとするのと似ています。
安易な円安を期待しないで円高期待・・「高くなればなったでそれ以上に努力して切り上がった円相場でも更に儲けられるようにして行くしかない」と腹を決めるのが我が国の正攻法と言うべきでしょう。
円安期待とは、逆説的ですが、競争力を維持出来ないことを見越して・・競争力強化努力が失敗した場合貿易赤字になって円安になります・・を結果的に期待していることになります。
競争力維持努力が成功すれば、これまで通り・・即ち黒字維持によって更に円が上がることの繰り返しですから、この努力が続く限り日本経済はインフレにはならず、デフレ傾向が続くことになります。
貿易黒字の蓄積=円高は輸入物価の下落によってデフレ要因ですし、貿易赤字=円安はインフレ要因です・・インフレ期待も考えてみれば貿易赤字を前提とした変な議論です。
古典的な紙幣供給とインフレ理論が妥当する時代が長かったのですが、今は社会状況が変わっていて、紙幣をいくら乱発しても閉鎖された一国経済と違い海外からいくらでも安い輸入品が入るので、物価は上がりません。
金融政策と言うと難しい理論のようですが、結局は紙幣の量(紙幣も金同様に商品交換対象の商品の1つです)と商品数との需給による価格決定メカニズムの一場面に過ぎません。
例えば古典的理論では大根や牛乳その他商品の供給量が一定の場合、紙幣を2倍供給すれば大根や牛乳その他商品の値段が2倍になる理屈を利用して、金融調節によってインフレ抑制したりデフレからの脱却をして来たのです。
金利の上下や預金準備率の上下は、結果的に市場に出回っている紙幣を金融機関に吸収したり放出することによって量を間接的に調節をする政策であり、量的緩和はズバリ紙幣自体を大量供給する政策です。
しかし消費市場が成熟しグロ−バル化している現在では、これらの政策は底抜けのザルに水を注いでいるようなもので殆ど効果ありません。
大根や牛乳その他商品が消化し切れないほど供給されている日本社会では、給与が2倍になってもその前から飲みたいだけ飲んでいるので)牛乳を従来の2倍も買いたい人がいないどころか殆ど増えないので、価格は同じままで供給された紙幣は預金に回るだけです。
生産材も同様で、輸出低迷による供給過剰状態で低迷しているのですから金融緩和をしても、その資金で思い切って過剰設備を廃棄するのに使うくらいで、設備増強出来る企業は稀です。
(政府から資金を押しけられた銀行も借り手がなく、使い道が分らなくて主に国債を購入しています )

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