企業の政治離れ1

企業が海外に簡単に逃げられない時代には企業体が政治に対して必死(文字どおり存続・浮沈にかかわりますので)に注文を付け、政治もこれに呼応して政策立案能力が磨かれて行きました。
グローバル化が進み企業体としては海外展開の余力・・おまけとして政治に注文を付けるだけで足りる時代が来れば、苦労して政治に訴え理解のない官僚を教育し・鍛えて実現する必要性が弱くなります。
また、特定政策推進に肩入れし過ぎると、反対派から不買運動を起こされるリスクの方が大きくなりかねません。
原発再稼働であれ風力発電・太陽光発電であれ何であれ、中立で見守っていて結果が不都合ならば、そこから逃げ出して都合の良い政策採用している国・・例えば太陽光発電業者は太陽光発電に対する補助金の多い国で増産すれば足ります。
FTAであれTPPであれ業界は日本政府の尻を叩かなくとも、(日本国内の生産を縮小し)アメリカやメキシコで生産増して韓国中南米等へ輸出すれば良いのですから、必死になって推進する(農家の機嫌を損ねる)必要がありません。
法人税が高いと思えば、税の安い国で投資拡大すれば良いので政治活動までして(政治には反対派の存在がつきものです)嫌われる必要がありません。
実際には投資済みの生産能力削減は大きな損失を伴うので容易ではないのですが、国内でしか生きる場のない時代に比べて死活的重要性が減少していることを書いています。
また殆どの企業は現状維持ではなく、いつも増産するチャンスあるいはスクラップ&ビルド(大手コンビニその他で言えば新規出店と不採算店の閉鎖の繰り返しと同様に世界企業もいつも最適生産・出店を検討しています)をしているので、不都合な国での増産や更新投資を見合わせて都合の良い国で増産をする・・こうした繰り返しの結果国別の投資比率が徐々に変わって行くのが現状です。
このように政治から距離をおく企業が増えて来る・・海外比率が高まる一方になると企業・官僚の二人三脚による政策すりあわせが減り、官僚の政策立案能力が低下して行きます。
これが官僚に頼って来た自民党の政策遂行能力を徐々に弱体化させて、ついには下野する所まで追いつめられた基礎的構造変化だったと思われます。
それまで国民の大方は企業に属していることもあって、職場の代表である企業にお任せしておけば、国際問題も海外事情に詳しい企業と政府(官僚)が協議して何かとしてくれる・・間接的な立場でした。
(若手→中堅→古参と順次昇進して行く企業では企業首脳部や先輩の判断に委ねておけば自分が考えるよりいい結果になるだろうという信頼感が基礎にあります)
日本を取り巻く環境変化に対する切実感の最大利害関係者・・ステークホルダ−だった企業が今では国内政治の脇役になってしまった以上は、簡単に逃げられない国民個々人が直接政治を担うしかない時代が来ています。
個々人が国際政治の利害結果を直接受けるようになって懸案を自分で(どこか中間団体に任せておけず)解決するしかない・・その集合体である政治に直接訴えて解決して行くしかなくなったのが、グローバル化進行以降の政治状況です。
実務能力のない個々人の訴えによって政権が成立する時代が来ると、その政権(民主党など)には実務的すりあわせする相手がいないのですから足腰が鍛えられない・・能力不足になるのは仕方がない所です。
政策立案遂行能力は、政権支持者によって磨かれるからです。

短期資金(投機?)と長期資金(企業進出)

ところで、外資に対して短期資金と長期資金の区別で流出入規制をしようとしても、定期預金と普通預金のようには明確に分けられません。
10年もの国債でさえも、途中の相場次第で簡単に処分出来ますので債券の券面上の期間は基準になりません。
長期保有株式と言っても結果から見ればそうなるだけで、長期保有のつもりで保有を始めても売る気になれば何時でも売れます。
例えば、シンガポールはアメリカと金融自由化の協定を結びましたが、短期資金に関しては危機的状況の場合、取引を停止させることが出来るという規定をおくことにこだわって、これに成功しています。
その代わりアメリカはその結果に対する損害賠償請求権を持つということで折り合いがついたようです。
ここで言う短期長期の区別は10%ルールです。
資本金の10%の取得率を基準にしているようですが、%・比率で決めるのは金融自由化の例外としての規制の基準としては外形的に分りよいから便宜的に利用しているに過ぎず本来的な基準ではありません。
ただ、ある企業の10%以上もの株式を取得するのは日々の取引市場では無理で、大株主からの譲り受けや第三者割り当て増資の引き受けやTOBなど事前交渉がないとうまく行きません。
と言うことで%・比率で決めているのでしょう。
実質的には企業進出としての現地工場や店舗を設けている場合が長期投資ですが、これを法的に見れば、日本のトヨタでも本田でも現地法人の株式の保有者に過ぎません。
日本法人がそのままアメリカやカナダ中国で土地や工場を持っているのではなく、現地法人(・・それも現地資本との合弁方式しか認めまられないことが多いので・・・資本金の保有率・%で区分するのが便利なのです)を合弁等で設立して、現地法人名義で土地や店舗を所有する仕組みです。
ですから対外資産と言っても直接の土地保有ではなく、現地法人の保有ですから有価証券保有でしかありません。
現地進出の場合、株式を持つだけではなく株式の価値を高めるために、最新技術・企業秘密まで持ち込んだり、人材まで送り込んで技術指導したり販路を広げる工夫をしたりしている点が実質的な違いですが、法的・会計的には子会社は親会社に特許料を払う、技術指導料や出向社員の人件費を払うので他人との関係と会計上は変わりません。
しかしこれを一義的に定義するのは難しいので、出資比率で見ようとしているのです。
企業進出・投資の場合、昨日・5月14日のコラムで書いたように、進出国の言いなりになるしかないので、非常に弱い立場になります。
今朝・5月15日日経朝刊18面では来日予定のパラグアイ大統領に対する記者会見の記事が出ていましたが、同国はこれからまだ外資が必要だからボリビヤやアルゼンチンのような国有化はしないと明言しています。
(釣った魚にえさをやらないと言うか、国内産業が充実したら国有化もあり得るという結果になります)

国債残高の危機水準8(企業の資金)

4月20日に書いたように、国債発行残高が個人金融資産以下であれば安全には違いないものの、これを越えたら危険になるとは限らない・・危険を見分ける基準とは全く別ものなのに、マスコミはこれを強調し過ぎです。
放射能汚染に限らず、砂糖でも塩でも水でも一日どの程度の摂取なら(例えば一日当たりコップ一杯の水の量は)何ら問題がないと権威者が言ったとしても、1日に一杯以上の水を飲むと危険と言ったことにはなりません。
放射能の規制基準も短時間被曝は一定量を越えた被曝で危険なことが明らかとしても(これが放射線取扱者などの管理区域設定の基準です)長期間になるとまだ科学的には不明のままです。
この点に関する武田教授の意見には賛成出来ない(同氏の多くの意見には私は賛同していますが・・)ことを March 28, 2011「放射能の危険性2(管理区域)」前後のコラムで書きました。
放射線に関しては、訳が分らないと言うだけでは不安なので、さしあたり「これだけ少なければ問題がないに決まっている」と言ういい加減な基準で決めたものが一人歩きしているのが現状です。
これを少しでも越えると危険であるかのごとき印象になってしまい、今や世界中が非合理なヒステリー状況になっています。
コップ一杯の水の例・・「この程度なら議論にもならないほど安全でしょう」ということがいつの間にか危険基準に化けてしまっているように、我が国では元々の基準が違うのにこれをごっちゃにした論調が多すぎます。
究極的には個人金融資産が岩盤・担保と言えることと、当面の資金繰りとは違います。
国債需給に関しては、個人よりも国内各機関・企業の保有する流動性資金が需給の大きな部分を担っています。
企業の現預金は前年比4、6%増の205兆円となっています。
企業は、現預金からだけ国債を買うのではなく、長期投資としての国債保有もあり得るので、その動向・可能性も国債需給のメルクマールとすべきです。
通常の取引主体としては企業や金融機関
自体が資金の重要な出し手ですから、国債金利上昇圧力(札割れリスク)に関してマスコミが個人金融資産にこだわるのは合理的ではありません。
韓国の株式の外国人投資家保有比率のコラムでも書きましたが、韓国では金融機関でも外国人投資家比率が高いのですが、我が国でも金融機関に対する一定の外国人投資家がいますし、事業会社であるトヨタでもソニーでも同じです。
国債保有者はこうした外国人株主のいる金融機関や企業の比率が大きいので、必ずしも個人金融資産の範囲内に安定購入者が限定されている訳ではありません。
外国人株主や社債購入者の意見がある程度反映されるでしょうが、トヨタ等の意思決定には、やはり民族企業としての意思が濃厚に出るので、(経済合理性を越えた国内生産維持に対するこだわりを見ても分るように・・)個人金融資産だけが購入能力の限界ではなく民族企業や金融機関の総合購入力も緩衝勢力として存在することになります。
数字的に比喩すれば、3割の外国人株主がいる企業体では多数派を形成する日本人株主が、その3割の資本を自由に運用出来る資産に加えられることになります。

構造変化と緩和策2(日本企業の利益率)

高度化努力だけではなく痛みの分かち合い方面でも日本企業がよく頑張っていると思います。
欧州危機や地震によって売れ行きが落ち込んでも直ぐに解雇せずに社内失業を抱え込んだりしている御陰で、アメリカその他の先進国に比べて失業率が低く留まっています。
海外投資収益を還元して国内労働者の高賃金を維持しているのも企業努力の御陰です。
このため海外に比べて企業収益が低くなっていて株式相場もずっとさえないままですが、それは痛みの分かち合い国家である以上甘受すべきです。
海外投資家にとっては、せっかく儲けても国内高賃金の穴埋めに使われて配当率が低いのでは、魅力がないのは当然です・・。
企業にとっては市場での資金調達力に影響するので株式相場は重要ですが、我が国の金利は世界一低いので社債等での調達に支障を来す心配がありません。
日本は中国や韓国等のように外資の導入で回っている経済ではなく、長期間蓄積した自前の資金が豊富であって、国債の引き受け手に困っていないのと同様に企業も資金が潤沢で外資の導入を必要とはしていないので、株式相場をそれほど気にしなくて良いから儲けを国民に還元し続けられるのでしょう。
(株が下がれば自社株買いなどでそれなり努力していますが・・・下がったところで買い戻すのはいい方法です)
高賃金・高コストの国内工場をドンドン閉鎖して海外展開を進めれば利益率は上がるでしょうが、それではアメリカ並みに高失業社会・高格差社会となってしまいます。
ユニクロが衣料品市場を機能性と廉価品で席巻し始めたのは、(製品に工夫があった点が単なる海外生産移行企業とは違っていますが)ほぼ全量中国生産でコストが安くなっている(国内に高賃金工場を殆ど抱えていない)面とのダブル効果があった点を無視出来ません。
日産のように国内工場を閉鎖して思い切ってタイ王国へマーチの全生産工程を移管した例もありますが、その他の企業は、国内労働者を安易に切り捨てる訳に行かないので国内高賃金従業員を大量に残しながらの海外進出ですから、海外の儲けを国内の高賃金支払原資に投入せざるを得ないことから、国内雇用維持にこだわるトヨタその他の企業は利益率が下がって苦労することになります。
この苦労の部分を見ないで、日本企業はもう駄目だなどと言い、国内雇用に大して貢献しないユニクロを賞賛しているのは誤りです。
外国人投資家にとっては、儲けを利益配当するよりも労働者保護に回している企業の株は魅力がないのは当然・・もう日本は駄目だと見放すのは立場上当然ですが、これを受け売りして日本人まで「日本企業は海外企業に比べて利益率が低すぎる」と批判しているのは馬鹿げた話です。
バブル崩壊後華々しいユニクロがいくら儲けても本社が日本にあり、販売店の多くが日本にあるだけで、それ以上のことはありません。
今、日本で必要なのは国内(高賃金)雇用を如何に守るかの問題です。
日本発の企業であれば本社部門その他比較的多くの日本人雇用が生まれていることは確かですが、国内工場中心の企業に比べて雇用比率が少ない筈です。
ユニクロが拡大して採用した国内店舗での採用従業員は、ユニクロが成功していなければ他所の販売店が残っていた筈ですので、差引増えた訳ではないでしょう。
この点は海外デパートが大量出店して国内デパートが廃業した場合雇用が拡大したと言えるかと同じ問題です。

為替変動と企業努力2

為替が上がれば為替の下がった国での生産を増やす・・・単純明快な企業合理的行動に走らずに民族意識に基づいてある地域での生産に飽くまでこだわるのが、我が国の企業行動です。
このためには、円が1割上がれば生産性を1割上げねばならない・・生産性を引き上げて輸出減を防いでいると、黒字が減らないので円がさらに上がっていきます。
企業努力の結果奏功して輸出減を防ぐ繰り返しでしたから、円が恒常的に上がるトレンドで来たのですが、こうした企業精神・努力の場合、絶え間ない円高=外圧が生産性向上努力を強制する状態です。
これは大変なストレスになりますが、この外圧による不断の努力を怠らなかった結果、我が国は戦後絶え間なく生産性向上が進み、生活水準が切り上がって来たのです。
日本企業の場合は、我が社意識・・幕藩体制以来・・実は一所懸命の語源通りもっと前の土に根ざした武士勃興以来と言えるでしょうが・・の郷土意識の残滓が強力です。
半端なことでは地元を捨てて簡単に外に出ようとはしませんし、海外に出るにしても国内既存工場の存続を前提とした増産分としては始めるのが普通です。
石にしがみついても・・の意識で最後の最後まで頑張る傾向があって、その分円高トレンドに負けないように生産性向上に資するメリットがあります。
オラが企業の強力な意識が、(安易に海外に逃げようとはしないで・・)際限のない熾烈なコスト削減努力が、省エネ技術や新たな製品・・コスト上有利な新部品を生み出す原動力にもなっていたのです・・。
海外株主比率・・あるいは国債保有比率・社債保有比率が上がって来るとそうはいかないでしょうから、我が国のためには外国人保有比率を上げない方がいいでしょう。
(民族意識に基づく非合理なしがみつき努力は薄まり、人件費の安いところで造れば良いに決まってるのに、何を無理して国内にしがみつくのか・・となり勝ちです)
経営者が外国人であるゴーン氏に変わっている日産では、数年前に特定車種だけですが日本国内向けの生産まで全量タイへ生産移管してしまったことは(マーチ効果と言われています)ショックとなって国民の記憶に新しいところです。
日産の外国人株主構成(ルノー1社で44、33%)も重要ですが、経営トップが外国人となっていることが、その決断を導いた大きな要因でしょう。
企業の損得だけで行動すれば前回書いた通り、為替相場の最適生産地を選んで生産量の調節をして行けば良いので、円高は企業が悲鳴を上げるべき問題ではなく、企業の生産地変更について行けない国民が悲鳴を上げるべき問題です。
アメリカの場合、例えばGMで見ても分りますが、最適地生産という合理主義ですから、(国内生産を死守するということはなく)昨年の世界販売台数のトップシェアーを奪回したと言っても、海外生産がその多くを占めていてアメリカ国内での生産が大幅に増えた訳ではなさそうです。
外国人投資家の売り越を心配するマスコミ論調が多いのですが、私は外国人比率が減ること自体は結果的に歓迎すべきことだと思っていることをJan 14, 2012「海外投資家比率(国民の利益)2」までのコラムで書きました。
外国人投資家に人気がないのは相応の原因があると考えて、反省すべき材料にはなりますので外国人が一定比率を保有しているとその傾向が理解できるメリットがありますが、一定量を超えてしまうと、その意向で運営しなければならないのでは、同胞意識で運営していきたい日本企業にとって困ったことになります。
仮に日産がマーチに限らず全生産を外国に移管したことによって生き残ったり利益を出している時代が来ても、国内雇用がゼロになって(勿論今はそこまで進んでいませんが・・分りよい極端に進んだ場合で議論すればの話です)しかも株主の大半が外国人投資家になった場合、日本人にとってめでたく、有り難いことでしょうか?

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