市民と人民〜地球市民?2(白樺派)

日本のNGOは出自・スポンサーの多くが日本であるという事実によって、国際的発言力があり国際的行動力(日本のパスポートは世界最強と言われています)が担保されている点を軽視すべきではないでしょう。
一方で世界市民・・一方で日本の経済力や日本人というだけでイメージされる信用力を背景に事実上日本の良心代表のような発言や発表しているのは、良いとこどりではないでしょうか?
武者小路など白樺派の同人らで「新しき村」を作って移り住みましたが?彼らお坊ちゃんたちの理想主義は、それをやれる財力を背景にしていた点でほとんどの日本人はその偽善性を内心感じていたのではないでしょうか。
https://kotobank.jp/word/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%8D%E6%9D%91-25865

〈新しき村〉の精神は,自他を犠牲にすることなく自己を生かすことにあり,村民は,みずからの労働によってみずからの生活を支えたうえで,自由を楽しみ,個性を生かせる生活を全うすることをめざした。ロシア革命の成功による社会主義思想の普及,国内の政治的経済的混乱,大正デモクラシーの運動など多様な社会的要因に,実篤のトルストイズムが結合した白樺派人格主義の実践は,とくに青年層に大きな反響を呼び起こした。

白樺派に関するウイキペデイアの解説です。

大正デモクラシーなど自由主義の空気を背景に人間の生命を高らかに謳い、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作した。人間肯定を指向し、自然主義にかわって1910年代の文学の中心となった。1910年(明治43年)刊行の雑誌『白樺』を中心として活動した
同窓・同年代の作家がまとまって出現したこのような例は、後にも先にも『白樺』以外にない。
白樺派の主な同人には、作家では志賀直哉、有島武郎、木下利玄、里見弴、柳宗悦、郡虎彦、長與善郎の他、画家では中川一政、梅原龍三郎、岸田劉生、椿貞雄、雑誌『白樺』創刊号の装幀も手がけた美術史家の児島喜久雄らがいる。武者小路はその明るい性格と意志の強さから思想的な中心人物となったと考えられている[3]。多くは学習院出身の上流階級に属する作家たちで、幼いころからの知人も多く互いに影響を与えあっていた。
彼らは恵まれた環境を自明とは考えず、人生への疑惑や社会の不合理への憤る正義感をすり減らさずに保ち得た人々であり、トルストイの影響を強く受けたことや有島武郎がその晩年に自分の財産を小作人に分かち与えたこと、武者小路の「新しい村」の実験に見られるような急進主義にもそうした傾向はよくあらわれている[4]。

私自身青春期に思想背景など知らずに武者小路を中心に白樺派の文学を愛読しましたが、一方で財閥系の子弟中心でおぼっちゃん文学の批判もあったかも知れませんが、お坊ちゃんの良さが横溢してい文学作品が私の青春期の心を捉えたのかもしれません。
いわゆる空想的社会主義に対する偽善性を抱くのと同様の無意識の疑問もあったでしょうが、若い頃はともかく白樺派の青春もの?に惹かれて愛読していました。
その後大人になってこの種の文芸を卒業していたので遠い歴史事実と化していたのに、弁護士になってから武者小路実篤の死亡記事が出て、驚いたことがありました。
10年ほど前になるかな?大阪へ行ったついでに奈良ホテルに2泊した時に、夫婦で新薬師寺に詣でた帰路偶然志賀直哉旧宅を見学したことがあります。
子供部屋に気を配った今風の斬新な考えに感じ入ったものですが、大正デモクラシーの陽光を目一杯吸収した時代の申し子らの集まりだったのでしょう。
ただし、文学的にはそうですが、絵画方面では椿貞夫など白樺派文学主流と出自が違うイメージで、それほど一般化しなかったのではないでしょうか?
民族主義対グローバリズムの潮流に話題を戻します。
英国EU離脱の動きは、まさにグローバル化行き過ぎに対する英国民の我慢の限界を示したものですが、これに対して時代錯誤の動きであるかのような批判を滲ませるメデイアなどのトーンは、彼らにとって親和性のある世界連邦化=非武装社会実現の夢に逆行する点で許しがたいのでしょうか?
中国や旧ソ連のように巨大権力を握った方は国内粛清やりたい放題になりますが、世界支配していない限り、香港の場合、国外の目があるのでまだ政府も弾圧するには思い切ったことができないようですが、これが世界支配になると世界中がウイグル族のような弾圧を受けても逃げ場がなくなります。
左翼系文化人はソ連の厳しい粛清にだんまりを通し、中国の文化大革命という狂気の粛清に対しては手放しで賛美してきました。
メデイア界は基本的に民族主義を毛嫌いする傾向があり、その延長で英国のEU離脱を馬鹿げた行動であり時代錯誤であるかのような批判的論調が普通です。
ところが、ロシアや中国の民族主義的主張や行動が前面に出た周辺領土領海拡張主義や威嚇行動には何も言いません・・一刻も早い世界国家が出現のためにはやむを得ない一里塚という評価なのでしょうか?
でもこういう国々が世界支配するときの状態って、本当に怖い気がしませんか?
日本は古代から合議制の国であり幕藩体制も大名の連合体のヘゲモニーを徳川氏が握っている程度でしたから(徳川政権内も合議制)独裁による恐怖政治の経験がありません。
いわゆる大陸の中央集権体制自体に馴染みがないのです。
イギリスのEU離脱の方向性は、海洋国日本にとって将来の可能性を残す試みであって、好意的に見たい・・育って欲しい気持ちの日本人が多いのではないでしょうか?
日本の進歩的文化人はソ連支配が最上という刷り込みで育ったDNA・・三つ子の魂百までと言いますが、ソ連創設の共産主義国家の世界拡大の道具思想・・同時革命論〜コミンテルンの運動を進めていた本家ソ連が崩壊し、その後継政権のロシアは民族主義の権化みたいな行動をしています。
本家本元のロシア・プーチンの行動原理は、民族主義一辺倒に戻っている・・コミンテルン指令?はもともと自国勢力伸長のための道具思想だった本質を表していますが、ソ連勢力拡大のお先棒担ぎこそ見果てぬ夢・・深層意識への埋め込みがまだ効いているのではないでしょうか?

市民と人民〜地球市民?1(NGO)

中国も中東由来の商業都市国家から始まったことをこのコラムで書いてきましたが、その後の農業社会化の進展で城壁外の土民も支配・市場取引の相手方として始まり、支配下に入ると搾取対象になってきたので、共通項的には政治の対象として視野入っただけのことで、もともと日本のように同胞から始まっていないので国民と違った「人民」という言語にこだわっています。
ただし、ここでの人民論は旧共産圏のみで使われるようになっている現状・実態を前提にした語感を書いているものであって、歴史的には色々変遷してきた結果いまの利用例に絞られているようですからその程度の意味で書いているとご理解ください。
この辺は市民概念も同様でしょう。
共産圏以外では、「人民が〜人民がぁ」と繰り返すのがなんでも反対運動のようなイメージなって疎まれるようになったので、ソ連崩壊後は進んだ文化人?を意識するグループでは、国家の枠を超えた「市民活動」をする人?を強調する意味で自己の立ち位置を「市民活動家」行動を「市民運動」等表現するのが流行になったようです。
地球市民というキザな(進歩的?)表現もこの一種です。
地球市民とは、都市国家の上に民族国家が出来上がった現状を否定したい現存の主権国家を無用な中二階化したい・・「グローバリズム」意識が含まれているイメージです。
本来都市とは、その上の組織である民族国家が出来上がる前の小単位でしかないのですから、日本で言えば、何々の国や郡という制度ができる前の何々ムラ人と言うのと同じです。
村人と言わず「市民」といえば、なんとなく国家対立を超越した進んだ人になるようなイメージになってきたようです。
日本では、市と町村とでは、元は人口集中している程度の違いであり、今では市町村合併により山奥の方まで何々「市」になっています。
伊豆諸島や奥多摩地域住民も東京都民と言うのと同じで、みやこの人というイメージとはだいぶ違っています。
日本では行政上の区画を意味するだけなので「市民」にこだわる意図がピンときませんが、日本や東南アジア等の海洋系民族を除けば、世界的に城壁内の住民=「市民」と城壁外の土民とはまるで違うエイリアンそのもの意識があるようです。
内外での異質感が連綿とつながっている都市国家由来の社会では、人種差別や階級差別が身についているでしょうし、欧米系差別意識の好きな進んだ系の人たちには自分は「市民」だ!という特殊表現が気に入っているのでしょう。
中国では今でも法的に農民戸籍と都市戸籍で厳重に区分され、上海など都市部への出稼ぎ農民は、各種保障の埒外・・一種の外国人扱いです。
https://toyokeizai.net/articles/-/70555?page=3

中国人が逃げられない、「戸籍格差」の現実
これが「努力しても報われない」の実態だ  2015/05/26 6:00
すべての中国人の戸籍は、農村戸籍(農業戸籍)と都市戸籍(非農業戸籍)に分けられている。農村戸籍が約6割、都市戸籍が約4割で、1950年代後半に、都市住民の食糧供給を安定させ、社会保障を充実させるために導入された。
以来、中国では農村から都市への移動は厳しく制限されていて、日本人のように自分の意思で勝手に引っ越ししたりはできない(ちなみに都市で働く農民工、いわゆる出稼ぎ労働者がいるではないか、と思われるだろうが、彼らは農村戸籍のまま都市で働くので、都市では都市住民と同じ社会保障は受けられない)。

日本でも千葉県人が東京で働いても千葉の住民税を払うし、国民健康保険や生活保護、子供の学校区域など居住自治体の責任ですが、それは行政区域の関係でそうなっているだけで、都民となるのには誰の同意もなんお条件もありません。
中国の場合行政区割の関係を表すのではなく、「農民」戸籍と「都市」戸籍に画然と別れるところがすごい発想です。
古代都市国家時代から制度が続いているわけではないとしても、城壁の内外では霧別れる古代からの精神そのまま体現している社会です。
市民標榜問題に戻ります。
香港の人は日本で中国人と言われるのを嫌う・・「香港からきました」と自己紹介するのが普通・・イタリア人もイタリア人と言わず、出身地域を名乗るのが普通と言われていますが、ここまでいけば本物です。
日本人の世界市民論は「いいとこ取り」自分らは日本人であることによる国際的恩恵を受けながら、都合よく世界市民を使い分けているように見えます。
慰安婦問題に連動してNGOなどが国際機関などで日本の児童売買春を誇大宣伝していたか?の騒ぎがありましたが、いかに日本の性道徳がひどいかを世界でアッピールしてかのように(事実不明ですが)注目を浴びたことがありましたが、意図はどうであれ、こういう運動をしてれば中国や韓国等から日本の良心と持ち上げられて気持ち良かったかも知れません。
国際舞台で華やかに活動できるのは、母体になる日本の信用があってこそ出会って、母体を貶すのがかっこ良いと喝采を受けているに過ぎず、彼、彼女らがアフリカ等の小国のNGOであれば同じこと言っても注目を得られないはずです。
NGOを担っている人物像(イメージだけで根拠ありません)を見ると、もともと国際的に活躍してきた経歴で信用を得たり活動資金が国際的に幅広く集まっているのではなく、日本国内の支援による資金で国連等へ出っ張って行き日本道徳の否定的主張や日本企業の海外進出企業の環境破壊や劣悪労働条件を告発するパターンが中心のようです。
日本の経済力は巨大ですので、国民の0、0何%未満の支持でも国連に出張する程度の経費を集められるということでしょう。
このような活動は国民から信任も受けていないので自らを世界市民(ここでは逐一の文言チェックしている暇がないので、正式にそのような発言をしているというのではなくそういう表現に親和性・傾向があるように私には感じられるという程度です)と称するのが合理的なのかもしれません。

人民と棄民の親和性(香港騒動と米国人権法)

中韓思想大事の影響を受けた日本人権活動家は、30年ほど前、改革開放後残留孤児大量帰還が始まった時に頻りに「棄民政策」という用語を使っていました。
聞きなれない熟語に当時ピンと来ませんでしたが、今になるとこれは中国〜韓国の人民思想を日本に当てはめた借り物概念だったように見えます。
文化大革命当時メデイアを通じて「造反有理」などのスローガンを氾濫させた再現のつもりだったかもしれません。
中国や朝鮮では古代から歴史では、支配被支配の2項対立社会ですから、被支配者は支配・政治の対象でしかない・牧畜業の家畜や企業で言えば商品みたいな対象です。
不要な商品を廃棄するような社会では人口が多過ぎれば口減らしのために国外に吐き出す・・棄民がぴったりの表現でしょうが、日本は満州へ同胞をゴミのように捨てたわけではないでしょう。
満州へ開拓団として赴いた青年らは、お国のために出かけたものですし、送り出した方も、満蒙開拓団員として出ていった子供を心配しない親兄弟はいなかったでしょう。
棄民政策とはあまりにも先祖を卑しめる表現です。
ゴミのように国民・同胞を海外に捨てる思想は我が国の現実に合わない・・中国社会の説明を鵜呑みにする主張が多すぎるので左翼系は信用をなくすのではないでしょうか。
日本政府は棄民したのではなく不可侵条約破棄によるソ連軍の突然の侵攻によって在留日本人家族が逃げ遅れたし、兵隊さんは無条件降伏→武装解除するとシベリアに連行されて文字通り奴隷労働を強いられたソ連の蛮行を覆い隠す便利なスローガンだったのでしょう。
敗戦後日系米人等の移民が日本本国人より豊かにしていてもやっかむような話を聞きませんでしたが、中国や韓国では政府の人民圧迫が強く苦しい毎日を送っているから、幸福そうな人を見ると妬み等に苛まれる・政府も人民の政府に対する不満をそらすために自害同胞に対する妬み心をそそるので余計そうなる面があるのでしょう。
韓国では世界一自殺率が高いほか、国外脱出願望の高さや国外売春婦輸出の多さなどなど、不幸指数というものがあれば世界ダントツというべき国ではないでしょうか。
19年11月23日まで中韓国民の不幸度を書いてきましたが、以下はその続きになります。
今回のノージャパン運動で困っているのは韓国人観光客特化によって潤ってきた韓国系資本のホテルや在日の経営する土産物店、韓国経営航空会社中心(対馬の現状を紹介してきました)が実態です。
(韓国客が減ってもトータル観光客が増えているので日本人経営のホテルや日本の航空会社も観光関連業界・対馬のように韓国客に偏った地域が部分的に困っているものの日本全体では増加傾向です)
にも拘らず韓国側では、ボイコットジャパンで成功していると思っているような強がりを言っているのは、日本人に対するより在日や対日投資で儲かっている本国企業に対するやっかみの方が強い・・歪んだ心理が本音にあるからかもしれません。
香港の誇る自由がなくなりそうな危機に際して、「香港でさえ言論の自由がなくなれば明日は我が身にもっと厳しく及ぶかも?」と本土人は香港人と懸念を共有する気がない・・応援する気になれない報道(メデイアによる情報操作でないとすれば)は、韓国人の在日に対するのと似たようなゆがんだ心情があるからでしょう。
中国政府は、中国本土での人民監視や締め付けを厳しくすればなるほど、中国領土として自由に往来できる香港でも自由を締め付けないと本土人との格差が大きくなりすぎて本土人民に示しがつかないから、香港に対しても締め付けが厳しくせざるを得なくなってきたようにも見えます。
本土では表現行動の自由の締め付けが日々強化される中で本土の人民にとっても香港の自由がなくなるのは重要な利害がある筈ですが、連帯の心さえ持てないほど、本土人民と香港人には相互反感の歴史があるのかもしれません。
中国は国際社会で香港書店主の拉致事件報道があっても無視・・問題にしないフリでしたが、やはり香港でも合法的身柄拘束できた方が良いので、本土への拉致合法制度化・犯罪人引渡し条例の立法を公然要求するに及び、さすがに香港市民の危機感が募ったのでしょう。
中国政府の気に入らない発言・思想表明すれば好きなように拉致されていたのが、今後合法化されてしまうのでは、言論の自由の形骸化どころではすみません。
身近に思想統制の網が広がってきた危機感で一般市民も怖くなって黙ってられなくなったようです。
ウイグル族が百万人近くも収容され、思想改造教育を受けていると知っても遠くの事件だったでしょうが、今度は自分たちの番になって、思想改造収容所にいれられたのでは、叶いません。
香港市民が最後の踏ん張りを見せたのは、今回に限りちょうど米中対決下で米国の応援が期待できる国際環境にあったことも影響しています。
米国としては、対中対決の材料として遠慮なく中国批判し、関税攻撃だけでなく人道批判攻撃(だけでなく、自由市場としての香港の経済価値を死滅させる脅迫)手段も手に入れたことになります。
11月28日のニュースでは米国で香港関連のいわゆる人権法が大統領署名により成立したと報道されています。
香港人は本土の同胞?の連帯表明よりは、米国や国際社会の連帯の方が重要と見ているいるようです。
本土と香港人は同族の連帯感などあてにできない、異民族関係同様の心情になっていると見るべきでしょうか?
中国では人民の抵抗など幾百万あろうとも戦車で簡単に蹂躙できるので気にしない政治体制・・抑止力は国際政治圧力しかないと冷厳な事実を知っているようです。
香港の場合本土と隣接しているので誤解しますが、元々の住民がほとんどいないところに華僑流入でなり立っている点ではシンガポールと成り立ちが同じです。
香港が英国から中国に返還されたと言っても、香港人は清朝時代から香港に住んでいた人たちの子孫ではありません。

ロシアの脅威5(人民圧迫の反動としての残虐性1)

幕末の危機感として西欧列強の脅威ばかりを我々世代は教育されてあるいはメデイア報道で育ちましたが、幕末日本にとってはロシアが最大の危険な国であり、その抑制勢力として西欧列強との多角的交渉があった・・「同じルールでやってくれ」とロシアに言えるメリットを利用していたと見るのが正しいような気がします。
黒船来航ばかり教えられますが、西欧流儀の作法から見れば新興国のアメリカは(今も同じですが・・)少し乱暴な程度であって、基本的にはルールのギリギリまでやる程度でロシアのように問答無用式の実力行使まではしていません。
西欧諸国とその亜流・少し乱暴な米国とロシアの弱小国に対する交渉流儀の違いは、前者の来航は領土欲にあるのではなく、通商の利益を求めて来た立場である結果、交易開始後の商取引・・人間関係の重要さを前提にしているので無茶はしません。
商取引の場合、相手の好感度を獲得するのが重要・・だからこそどこの国・民族でも、他の職業の人に比べて商人は腰が低く愛想がいいし、その分相手の気持ちを汲むのに長けています。
ロシアの進出・膨張の場合は、支配欲の(金の亡者同様で「足るを知らない」)権化になっていることによるもので、商取引に主たる関心がない点が大きな違いです。
今でもロシアの主たる収入源は原油その他の資源しかないことから見て生活様式や価値観が変っていないと思われますが、資源獲得→まず領土・支配欲が先に来ている点が粗暴な言動に走る原因と見えます。
ロシアの場合、人民に対する過酷な支配・・帝政ロシアでは農民といっても「農奴」という表現で知られるように、世界の農民の中で最も最悪の環境下で隷従させられてきた社会です。
前近代においては人口の大多数が農民の社会ですから、農民の待遇が世界最悪ということは支配層と被支配層の関係・・人民大多数は世界最悪の過酷支配を受けていた社会だったことになります。
ロシアの場合、後進国特有の頭でっかちな運動による結果、まだ新政権を担うべき人材不足・・円滑に話し合い解決し運営する能力がない不幸で、政治関係者間では粛清に次ぐ粛清の恐怖政治をスターリン死亡後の1956年のフルシチョフによるスターリン批判まで続けてきました。
恐怖政治の内容は「穏やかな」表現による演説だったとはいえ、以下の通りです。
ソ連では、1956年2月、ソ連共産党第一書記フルシチョフがソ連共産党第二〇回大会においてスターリン批判の演説を行い、世界を驚かせた。公開の一般演説ではスターリン(53年死去)の名を挙げなかったものの、それまでのソ連共産党の公式見解である戦争不可避論(資本主義陣営との戦争は避けられないとする考え)を批判して、西側との平和共存路線への転換をはかり、また暴力的手段によるのではなく議会制度を通して平和的に社会主義への移行することが可能であることを呼びかけた。これは従来のスターリン体制からの大きな転換を意味していた。ただし、共産党一党支配を否定するものではなかった。
http://www.y-history.net/appendix/wh1602-035.htmlからの引用です。
スターリン批判
 それ自体が画期的な方向転換であったが、さらに大会最終日の2月24日から25日にかけて開かれた非公開の会議で、再び演壇に上がって『秘密報告』と呼ばれる報告を行い、スターリンを名指しで批判した。この秘密報告は、正式にいうと『ソ連共産党第二〇回大会非公開会議における演説』ということになっており、その表題も『個人崇拝とその諸結果について』というごく穏やかな名前になっている。この非公開の会議には、1355名の決議権をもつ代議員と、81名の審議権だけを持つ代表、計1436名が出席した。内外の記者、外国代表は退席を求められた。代議員もノートをとることを禁じられた。しかし、その内容が海外に漏れ、アメリカなどの新聞が報道し、世界に衝撃を与えた。スターリン批判の内容は以下の点であった。
スターリンが1934年の第17回党大会以降、自らに対する個人崇拝を「わがまま勝手に」押し進めた。彼はレーニンの「集団指導」を無視し、党大会や中央委員会を開催しなかった。
社会主義体制達成後も階級闘争は続くという誤った理論から、反対派を「人民の敵」として捕らえ、銃殺するという大量テロル(粛清)を行った。
その手先となったのはベリヤらであった。その下でテロルを実行した人びとはそれが社会主義圏説に必要だと単純化していた。(取調官ロドスの例)
スターリンは軍事的天才ではなかった。ドイツとの戦争ではその侵入を予測できず大きな損害をこうむる原因をつくった。地球儀で作戦会議を開く有様だった。また、軍隊の有能な指揮官に対しても粛清をもって当たった。
民族大虐殺にたいしても責任がある。
スターリンは国内をほとんどあるくことなく、農村の実情を知らなかった。
『スターリン小伝』『全ソ共産党小史』などで自画自賛した。
中国ではまだ毛沢東批判はタブーですが・・。
このおそるべき恐怖政治を世界に及ぼそうとしていたのが、コミンテルンの民族国家よりも世界共産化思想という名目でのソ連による世界支配の野望でした。
国内では、民族同胞親兄弟よりもソ連共産党思想への忠誠を上位に置き、内部にスパイ網を張り巡らせて親兄弟をも密告させて粛清していく・これを国際的に拡大したのコミンテルン思想です。
ソ連に本部を置きその指導のもとに、世界に民族や同胞よりも共産主義というなのソ連政府に忠誠を誓う「細胞」浸透させていく仕組みでゾルゲ事件で知られる日本や米国(ルーズベルト政権)も世界中の支配層や軍部内に汚染がひろがっていきました。
ソ連支配は国民に過酷な分、少数民族にはなお過酷でした・・支配下に入った少数民族に対しては、文字通りの過酷支配・・気にいらない少数民族をそっくりリシベリア送りにするなど過酷悲惨な支配の連続でした。
例えば14年のロシアによるクリミア併合以来関心の高いクリミア半島の住民構成の変化をウィキペデイアで見ると以下の通りです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
「クリミア・タタール人は、2001年の国勢調査ではクリミア自治共和国の12.1%、クリミア半島全域の10.2%を占めるに過ぎないが[32]、クリミア・ハン国が成立した中世後期以降にクリミア半島内でキプチャク系のノガイ族の遊牧民とオグズ系のトルコ民族、南部の山岳地帯や海岸部に住む元キリスト教徒の諸民族の子孫が混交して形成された土着の民族である[33]:74。1944年にヨシフ・スターリンの政策で中央アジアに強制移住させられ、ソ連末期の1980年代末からクリミア半島に帰還し始めた[34]
以上のように原住民・土着民族(100%近いのが本来でしょう)が今では帰還が進んでも10、2%を占めるに過ぎない状態です。
ソ連支配下でシベリアに何かの嫌疑?を理由に民族丸ごと強制移住させられてしまった歴史があって最近帰還が進んでいるというのですがそれもやっと1割しかいません。
帰還できるようになったのは、スターリン批判後徐々に民主化が進んだ結果でしょうが、多分ソ連崩壊後ウクライナ領になって大幅に進んでからのことでしょうから、・・再びロシアに併合されるとこの先どうなるか・・多分ロシア人の人口比が大幅に上がるのか?・・分かりません。
北海道が仮にソ連領になっていた場合、ほとんどの日本人がシベリアに送られてその7〜8割が過酷な強制労働による病死等でなくなっていた可能性が大でしょう・・そして北海道にはロシア人の人口が多数派になっていたかもしれません。
日本のように日露戦争報復意識のない単純併合されただけのバルト3国やカフカスなどでも、ロシア人比率が上がっています。
以下ウィキペデイアによると
ラトビアの例
▼民族構成
ラトビア人が62%。(バルト人)
ロシア人が27%。(東スラブ人)
リトアニアの例
人口の83.1% がリトアニア人である。少数派としてポーランド人(6.0%)、ロシア人(4.8 %)、ベラルーシ人(1.1%)、ウクライナ人(0.6%)などがいる[51]。

共産党支配下の人民2

通州事件は、17日現在のウイキペデイアよれば以下のとおりです。
「1937年(昭和12年)7月29日に中国(中華民国)の通州において、中国人部隊(冀東防共自治政府保安隊)による日本人への襲撃が行われ、日本人居留民および日本軍部隊・特務機関が襲われて、日本人らが大量虐殺された …」
この事件記録の虐殺部分を日本軍による南京虐殺事件が実際にあった証拠として転用して、でっち上げしていると言われています。
ベトナムだったかマレーシアでは植民地支配に反抗〜反抗的だった植民地人に対する政治犯を収容していた監獄島が(日本支配下でこれらを解放しましたが、日本敗戦後再び植民地政府によって再利用された)今も史跡として残っているようですが、北朝鮮や中国では今も政治犯強制収容所は盛んで現役です。
共産党時代のソ連では、スターリンによる粛清による粛清で、収容所列島とも評価されていました。
現在のウクライナ・クリミア紛争で知られているように、トルコ系現地住民が反抗的ということで大多数がシベリアかどこかに強制移住させられて惨憺たる苦難を受けていると報道されています。
今回のウクライナ事件でこれがタマタマ明るみに出ただけで、その他多くの民族が大変な目に会っていることは想像に難くありません。
中国共産党も政権掌握後(競争相手がいなくなった以上やりたい放題になる傾向の政権です)シベリア開発に協力するためと農民から土地を奪う(農地の国有化推進目)両目的のために、シベリアへ数百万〜500万人規模で強制移住させたと言われています。
共産党政権にとっては、国民の気持ちなどどうでも良い・・工場の機械備品というスタンスです。
中国共産党の支援を受けたポルポト派の支配したカンボジアでは、支配に不都合だからということで文字の読める国民と言うことだけを基準に十把一絡げに大量処刑・・死刑(正確には公平な裁判がないのですから殺人行為でした)にしたことでも知られています。
現在中国で良く知られているところでは、法輪功に対する弾圧があります。
危険思想である法輪功信者として強制収容されると拷問の末、臓器摘出されてこれが大量に市販されているということですからおぞましい限りです。
公式な臓器提供者数とは桁違いに大量に出回っている・・手術が施行されていることから、法輪功支援者の主張でこれが分って来た面があります。
中国に限らず共産党政権では、人民は搾取すべき植民地支配対象人民と同視すべき対象と考えていることは間違いがないでしょう。
共産党政権=中国政府においては最大の仮想敵・警戒すべき相手は(その前に権力闘争の政敵があるでしょうが・・)人民であり、その次はウイグル・チベット族であり、その次は(撹乱工作して政権転覆工作をしかねない)アメリカであり、日本は攻撃の標的にはなるが敵にはならないという便利な存在です。
中共政権にとっての日本は、反撃を出来ないように縛られている上に政権転覆を仕掛けてくるリスクのある敵ではなく、言わば国内不満をそらすために使える便利な標的でしかありません。
日本は中韓政府にとってはサンドバッグみたいな存在です。
中国政府にとっては、国内不満が鬱積してくれば鬱憤ばらしに日本叩きをすれば良いし、日本から投資が減って不都合になれば政府高官が日本特使に会ってやれば、大喜びしてまた投資を始めるポチみたいな存在で、何のリスクもありません。
会う条件も中国が反日行動や尖閣諸島侵犯行為を反省したからではなく、日本が靖国参拝の誤りを認めれば良いと横柄な態度が表明されています。
(18日の日経朝刊1ページと3ページ)
韓国も自分が天皇に対する無礼な発言をしたことや竹島占領を頰っ被りしたまま、安倍政権が慰安婦問題を認めて謝罪する態度を示せば円満な関係に復帰できると偉そうな条件を付けています。
日本が遂に怒り出した結果、日本叩き方式は単なるサンドバッグではなく、リスクのあることが分った筈ですが、中韓両政府にとっては国内で反日教育をして来た結果今更これをひっ込めると弱腰批判を受けてしまうので、引くに引けなくなって来たのが今回の騒動です。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC