市民と人民〜地球市民?3(姉妹都市?)

地球市民というフレーズの広がりと軌を一にしているのか不明ですが、メデイアの主導に従うのか?近年多くの市で国家の枠を超えて国外の市との姉妹・友好協定を結んで市民交流事業を推進しています。
外交は国家の専権事項ですが、事実上政府外交権を空洞化したい思惑があるのでしょうか?
千葉市の姉妹都市に関する説明の例です。
https://www.city.chiba.jp/somu/shichokoshitsu/kokusai/sistercity-index.html

姉妹都市のおこりは、第2次世界大戦後、再び戦争を起こさないために国際関係はもとより、市民の相互理解と友情を深めることを目的として始まりました。
日本で最初の姉妹都市提携は、1955年に長崎市とアメリカ合衆国ミネソタ州セントポール市との間で行われました。現在では、多くの自治体が世界各国の都市と姉妹都市提携をして、市民間の交流を中心に経済、文化、スポーツなど、多くの分野で交流が行われています。

交流さえすれば戦争が起きにくいのであれば、国家間文化交流等を広げても同じ筈ですが、国を飛ばして市が行うとどういう効能があるのでしょうか?
企業や個々人が外国人とどういう関係を日々持つか・・海外に行くと一人一人が日の丸を背負っている感じで日本全体が悪印象を持たれないように気をつけるものですが、それとわざわざ市長や市議会議長などが相互訪問してパーテイなどやることとどういう違いがあるか?です。
国家間の場合、輸入規制の緩和要請や投資保護や在留日本人保護(現地旅行者等への情報提供などの日常業務)その他日々外交ルートを通じて懸案解決に努力していますし、あらゆる国との関係で複雑に絡み合った貿易上の条件交渉や事務方レベルの協議や合意が行われ、これに基づく処理が日々発生しています。
・・事務方任せでは解決困難な政治決着の必要な案件では首脳会談で解決する必要があるのですが、市町村が直接国外の自治体と取引条件の基礎になる相手国の法令変更等について交渉したりする場面は皆無に近い・・まして市長や県知事の権限が違うのでやれる次元が違います。
国内隣接自治体間でも自治体トップ会談で懸案解決に迫られるテーマはあまりないでしょうし、国外の自治体間でトップ会談で何かを決めなければならないような懸案事項はほぼ皆無でしょう。
舛添前都知事が交流と称して諸外国都市訪問してメチャ高いホテルに泊まっていたのだったか?ファーストクラスの飛行機代がめちゃ高かったなどがメデイアで問題化して辞任に追い込まれた記憶(うろ覚えで記憶違いがあるかも?)ですが、こういう相互訪問的自治体間交流に何の意味があるのか実は不明です。
ネット検索すると以下の通りでした。
https://www.sankei.com/politics/news/160620/plt1606200033-n1.html
2016.6.20 18:12

【舛添氏公私混同疑惑】
海外出張9回7カ国訪問 舛添氏、経費2億5千万円
舛添氏は9回の出張で英国や米国、韓国など7カ国を訪問。ファーストクラス、スイートルーム使用で批判を集めた舛添氏の航空運賃は9回で計約1230万円、宿泊費は計約340万円だった。
米国出張は4月12~18日で、随行職員は15人。往復にはファーストクラスを利用。ワシントンでは1泊15万円超、ニューヨークでは約14万円のホテルに泊まった。

直接費用だけでなく、これら準備コスト(随行職員の出張手当や日程調整等の人件費)も膨大でしょう。
千葉市の場合7都市との交流らしいです。
千葉市のことではないですが、韓国や中国と何かある都度、「今は実行できる雰囲気でないので・・」というような理由で交流予定事業中止・ドタキャン報道が目立ちましたが・・。
こういう報道の受け止め方はいろいろですが、反日運動では効き目が低いので?お前の国が悪いからこうなる!という見せしめ的なドタキャンが中国の反日暴動時には目立ちました。
韓国の場合も交流事業中止が続きましたが、ボイコット対象追加措置を受けた印象を受ける・こんなことまで中止(テイの良いボイコット)を求めてくるのか!と腹の立つ人もいるでしょう。
慰安婦像設置したアメリカ・グレンデール市に対しての友好・姉妹関係にある大阪市が抗議しても返事もないなどから友好・姉妹土地関係を解消したとニュースで見た記憶ですが、日頃の交流ってなんのためだったの?となりませんか?
日韓関係で言えば、在日の数が多いのに比例して個人的に交流が多いことが、日韓関係をよくしているのか?
の実証研究が必要です。
韓国は日常日本への観光客が多かったことが、あるいは日本製品愛好者が多いので友好関係を深めていたように見えてイザ国家間対立が起きると逆に日本製品ボイコット運動等の報復材料に使う・輪番制の総合訪問の首脳会談や各種団体の交流その他すべてドタキャンするなど・・日本は在日いじめをする・・相互に見せしめ的報復合戦になると、人間関係が入り組んでいる分、関係悪化・感情的対立を深める要因になりそうな印象です。
第二次世界大戦の場合で見ると、米国で日系人というだけで米国籍があるのに収容所へ入れられてしまいました。自由を奪われただけでなくせっかく軌道に乗っていた事業活動が全て倒産です。
米国の人口構成で言えば、南北戦争以来ドイツ系が主流と言えるほどの人口を擁し、支配勢力を構築していましたが第一次第二次両大戦で米国はドイツを敵にして戦いました。
過去現在の実態を見ると、いざという時に何の役に立たないばかりか、逆に報復連鎖を誘導して足りる激化材料を付け加えるためにあるようなものです。
個々人の生き方で言えば気候の挨拶以上深入りしないのが生きる知恵・・これが社会のコンセンサスです。
遠隔地の南米やアフリカ等と貿易上の不都合が起きても、その問題に限定した合理的交渉だけであってその国に対する感情論までわきおこりません。
ヘイトスピーチ禁止などが必要になること自体異民族混在が進むマイナス問題を表しています。
こういう関係がない方が良いのではないでしょうか?

市民と人民〜地球市民?1(NGO)

中国も中東由来の商業都市国家から始まったことをこのコラムで書いてきましたが、その後の農業社会化の進展で城壁外の土民も支配・市場取引の相手方として始まり、支配下に入ると搾取対象になってきたので、共通項的には政治の対象として視野入っただけのことで、もともと日本のように同胞から始まっていないので国民と違った「人民」という言語にこだわっています。
ただし、ここでの人民論は旧共産圏のみで使われるようになっている現状・実態を前提にした語感を書いているものであって、歴史的には色々変遷してきた結果いまの利用例に絞られているようですからその程度の意味で書いているとご理解ください。
この辺は市民概念も同様でしょう。
共産圏以外では、「人民が〜人民がぁ」と繰り返すのがなんでも反対運動のようなイメージなって疎まれるようになったので、ソ連崩壊後は進んだ文化人?を意識するグループでは、国家の枠を超えた「市民活動」をする人?を強調する意味で自己の立ち位置を「市民活動家」行動を「市民運動」等表現するのが流行になったようです。
地球市民というキザな(進歩的?)表現もこの一種です。
地球市民とは、都市国家の上に民族国家が出来上がった現状を否定したい現存の主権国家を無用な中二階化したい・・「グローバリズム」意識が含まれているイメージです。
本来都市とは、その上の組織である民族国家が出来上がる前の小単位でしかないのですから、日本で言えば、何々の国や郡という制度ができる前の何々ムラ人と言うのと同じです。
村人と言わず「市民」といえば、なんとなく国家対立を超越した進んだ人になるようなイメージになってきたようです。
日本では、市と町村とでは、元は人口集中している程度の違いであり、今では市町村合併により山奥の方まで何々「市」になっています。
伊豆諸島や奥多摩地域住民も東京都民と言うのと同じで、みやこの人というイメージとはだいぶ違っています。
日本では行政上の区画を意味するだけなので「市民」にこだわる意図がピンときませんが、日本や東南アジア等の海洋系民族を除けば、世界的に城壁内の住民=「市民」と城壁外の土民とはまるで違うエイリアンそのもの意識があるようです。
内外での異質感が連綿とつながっている都市国家由来の社会では、人種差別や階級差別が身についているでしょうし、欧米系差別意識の好きな進んだ系の人たちには自分は「市民」だ!という特殊表現が気に入っているのでしょう。
中国では今でも法的に農民戸籍と都市戸籍で厳重に区分され、上海など都市部への出稼ぎ農民は、各種保障の埒外・・一種の外国人扱いです。
https://toyokeizai.net/articles/-/70555?page=3

中国人が逃げられない、「戸籍格差」の現実
これが「努力しても報われない」の実態だ  2015/05/26 6:00
すべての中国人の戸籍は、農村戸籍(農業戸籍)と都市戸籍(非農業戸籍)に分けられている。農村戸籍が約6割、都市戸籍が約4割で、1950年代後半に、都市住民の食糧供給を安定させ、社会保障を充実させるために導入された。
以来、中国では農村から都市への移動は厳しく制限されていて、日本人のように自分の意思で勝手に引っ越ししたりはできない(ちなみに都市で働く農民工、いわゆる出稼ぎ労働者がいるではないか、と思われるだろうが、彼らは農村戸籍のまま都市で働くので、都市では都市住民と同じ社会保障は受けられない)。

日本でも千葉県人が東京で働いても千葉の住民税を払うし、国民健康保険や生活保護、子供の学校区域など居住自治体の責任ですが、それは行政区域の関係でそうなっているだけで、都民となるのには誰の同意もなんお条件もありません。
中国の場合行政区割の関係を表すのではなく、「農民」戸籍と「都市」戸籍に画然と別れるところがすごい発想です。
古代都市国家時代から制度が続いているわけではないとしても、城壁の内外では霧別れる古代からの精神そのまま体現している社会です。
市民標榜問題に戻ります。
香港の人は日本で中国人と言われるのを嫌う・・「香港からきました」と自己紹介するのが普通・・イタリア人もイタリア人と言わず、出身地域を名乗るのが普通と言われていますが、ここまでいけば本物です。
日本人の世界市民論は「いいとこ取り」自分らは日本人であることによる国際的恩恵を受けながら、都合よく世界市民を使い分けているように見えます。
慰安婦問題に連動してNGOなどが国際機関などで日本の児童売買春を誇大宣伝していたか?の騒ぎがありましたが、いかに日本の性道徳がひどいかを世界でアッピールしてかのように(事実不明ですが)注目を浴びたことがありましたが、意図はどうであれ、こういう運動をしてれば中国や韓国等から日本の良心と持ち上げられて気持ち良かったかも知れません。
国際舞台で華やかに活動できるのは、母体になる日本の信用があってこそ出会って、母体を貶すのがかっこ良いと喝采を受けているに過ぎず、彼、彼女らがアフリカ等の小国のNGOであれば同じこと言っても注目を得られないはずです。
NGOを担っている人物像(イメージだけで根拠ありません)を見ると、もともと国際的に活躍してきた経歴で信用を得たり活動資金が国際的に幅広く集まっているのではなく、日本国内の支援による資金で国連等へ出っ張って行き日本道徳の否定的主張や日本企業の海外進出企業の環境破壊や劣悪労働条件を告発するパターンが中心のようです。
日本の経済力は巨大ですので、国民の0、0何%未満の支持でも国連に出張する程度の経費を集められるということでしょう。
このような活動は国民から信任も受けていないので自らを世界市民(ここでは逐一の文言チェックしている暇がないので、正式にそのような発言をしているというのではなくそういう表現に親和性・傾向があるように私には感じられるという程度です)と称するのが合理的なのかもしれません。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC