GM破産2(遅れた不採算事業切り離し)

会社側の再建案は新会社設立案を基本にしたものでしたが労組優遇で、一般投資家(米国は個人投資家が多い・子供の入学資金用の株式投資など)に対して大きな負担を求めるものでしたので債権者の同意が得られず破産に突入しました。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1176

切り捨てられた「普通の人々」
GM倒産劇の裏側 2009.6.9(火) 小浜 希

GMが発行した無担保社債など約270億ドル分の債券保有者には、新生GMの10%の株式と引き換えに100%の債権放棄を要求。その一方で、GMに約200億ドルの医療費関係債権を抱える労働組合の債権放棄比率は50%とし、新生GMの株式39%を与える内容だった。
米国では労働者個々人も銀行預金より小口投資する投資社会なので、投資家と言っても一般の労働者が多い社会ですから、GM労組優遇の提案で合意できるはずもない・・世論も応援しないので合意不成立で破産に突入します。
日本や韓国では、労組=弱者→優遇という図式化した運動・市民代表を僭称する運動が多いのですが・・アメリカの場合、労働者切り捨て投資家保護反対!という図式的スローガンが成り立たなかったようです。
ウイキペデイアのGM破産解説に戻ります。

2009年6月1日、GMは連邦倒産法第11章(日本の民事再生手続きに相当する制度)の適用を申請した。負債総額は1,728億ドル(約16兆4100億円)。この額は製造業としては史上最大である[9]。同時にアメリカ政府が60%、カナダ政府が12%の株式を保有する、事実上の国有企業として再建を目指す事になった。
・・・しかし、子どもの教育資金や、老後の生活の備えとして、なけ無しの金を注ぎ込んだ個人投資家が、労組偏重の再建計画を甘受できるはずもなかった。

従業員の新時代適応拒否症?が、部分的とは言え企業活性化を妨げる効果を上げ、現在米国の国際的地位低下が目立ってきた基礎構造でしょう。
アメリカの活力は、スクラップアンドビルド・あるいは用済みの都市を捨て去り(ゴーストタウン化して)別の街を作る・効率性重視社会と言われていましたが、一定の歴史を経ると古い産業構造を残しながら前に進めるしかなくなった分、非効率社会になったのでしょう。
破産により不採算部門を切り離し、新会社移行(国有化後国保有株の市場売却で民営に戻っています)により新生を目指すGMですが、破産後10年経過で先祖帰りしたらしく今年に入って以下通りのストらしいです。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49865800X10C19A9000000/

GM工場のスト続く、労使合意なお時間 株価は急落
2019/9/17 5:20
ただ、米国内に業界平均より3割多い77日分の完成車在庫があるため「すぐに販売面に影響が出る可能性は低い」という。

業績不振のおかげで在庫が77日分も溜まっているので企業はストが続いても余裕らしいですが、こう言うのってめでたいのかな?
アメリカの製造業は低賃金国への脱出盛んですが、今でも製造業大国らしいです。
製造業草創期から蓄積した技術があって世界に進出した各種工場のマザー工場機能を果たせる仕事があるからのようです。
ただしマザー工場的役割は従来の内需を満たし輸出までしていた工場群の数%(雇用も同率)で足りるものですから、国外脱出の穴埋めには力不足でしょう。
別の側面から見ると、日本の自動車産業が輸出の限界を悟り現地生産を増やして成功していることを見ると、この限度で日系企業が米国内製造業生き残りに貢献していることが分かります。
米国の外資による国内生産受け入れ政策は、後進国が輸入規制によって、自国産業育成のために高関税などの権利を留保できている役割の逆張りです。
米国の日系企業の米国内誘致政策は、先進国製造業が新興国の追い上げを受けて雇用が急速縮小する激痛緩和の役割を果たして来たようです。
後進国のこれから育つ産業育成を待つのは、少年期に成長期待して見守ってやるのに似ていて成長確率が高いですが、新興国に追い上げられる先進国社会保護のために時間猶予を与えるのは高齢者を大事にするようなものでいわゆる延命策です。
ここでいきなり話題がそれますが、いわゆるM&Aに関する関心を書いていきます。
日本企業の株価収益率の低さが長年問題視されて来ましたが、その裏側の米国企業の目線で考えると企業のあり方に関する基礎的考え方の違いがわかります。
時代遅れになる分野→ローエンド〜セコンドエンド生産にこだわり、同業他社との競り合いを続けてさらに20〜30年生き残れるとしても、これをやっているとその間収益率が徐々に低下していきます。
米国的価値観では、自国産業は利益率の高い高度化転身を目指して不採算見込み事業をどんどん切り離し(M&Aでこれを処分し)て行くべきというもののようです。
比喩的事例で言えば、現在15%の高収益事業が5年サイクルで13%〜11〜8〜7〜3%〜0〜マイナスと変化していくパターンの場合、その事業を今売れば1千億円で売れるが11%に下がってからだと5百億円で、3%に下がってからだと30億円でしか売れない見込みの時に、どの時点で処分するのが合理的かの判断が重視される社会です。
処分金で再投資すべき事業の存在との兼ね合いで合理性が決まるのですが、処分金を年利数%で預金する予定の場合と現在5%の収益率があり、3年後に8%、5年後に1%8年後には15%に成長可能な企業があった場合どの段階で自社事業を切り離して売却するかの複合判断です。
ちなみに雇用を守るために簡単にリストラクチャリングできないとも言われますが、倒産と違って企業を買う方は事業に慣れた従業員が継続してくれることこそ購入価値ですので、原則全従業員が引き続き雇用継続される前提・雇用確保の社会的責任への考慮はこの場合不要です。
マイナスになるまでリストラを先送りし、大混乱の倒産を引き起こす方が無責任経営の評価を受けるのではないでしょうか?

個別処理から事業転換等の処理システムへ

2017年12月10日現在の(内容は施行後5年経過時点のようです)裁判所のホームページhttp://www.courts.go.jp/saiban/wadai/2203/index.htmlによれば以下の通りです。

  1. 労働審判制度とは
    労働審判制度は,個々の労働者と事業主との間に生じた労働関係に関する紛争を,裁判所において,原則として3回以内の期日で,迅速,適正かつ実効的に解決することを目的として設けられた制度で,平成18年4月に始まりました。制度全体のイメージは下図のとおりですが,労働審判手続では,裁判官である労働審判官1名と,労働関係に関する専門的な知識経験を有する労働審判員2名とで組織する労働審判委員会が審理し,適宜調停を試み,調停がまとまらなければ,事案の実情に応じた解決をするための判断(労働審判)をします。労働審判に対する異議申立てがあれば,訴訟に移行します。

労働審判制度

 2. 制度の運用状況

 制度開始から約3年半の労働審判事件の運用状況をみると,審理に要した期間は平均で約2か月半です。調停が成立して事件が終了する場合が多く,労働審判に対する異議申立てがされずに労働審判が確定したものなどと合わせると,全体の約8割の紛争が労働審判の申立てをきっかけとして解決しているものと思われます。
こうした労働審判事件の解決の状況からすると,制度導入の目的は一定程度達成されていると考えられます。また,当事者等からも事案の実情に即した柔軟な解決が図られているとして,おおむね肯定的な評価を受けており,事件の申立件数も年々増加しているところです。
なお,現在は各地方裁判所本庁のみで取り扱われていますが,制度開始5年目を迎える平成22年4月から,東京地方裁判所立川支部と福岡地方裁判所小倉支部でも労働審判事件の取扱いが開始されます。

私の経験で知っている限りでは、ほとんどの事件では金銭解決で終わっています。
借地借家法の正当事由の判定で書いたように現在社会では不確実性を嫌います。
借家法との正当事由の認定と違い、上記の通り労働審判制度は数ヶ月でケリがつくことが多いので、非常に使い勝手の良い制度で司法界の大ヒット作品というべきでしょう。
昨日紹介したように労働審判制度は現在まで、約10年以上におよぶ試行的運用の結果、労働者も自分を必要としていない企業にしがみつきたい人は滅多にいない・相応の金銭解決で納得する人が多い現実を直視した方がいいのではないか?
という意見がふえてきます。
上記統計では約2割が裁判手続きに移行しているようですが、私の経験ではこういうことがありました。
その事例では、企業側に何の落ち度もない勝訴予定事例でしたが、裁判所の提案は日本的解決の推奨・ともかく解決金として、「1ヶ月分の支払いをしてくれないか?」という和解案の提案でした。
企業としては、数十万の支払いで済むならば、その方がコストが安く済むので訴訟に移行しても負けることがないとしても時間コストその他で和解案に応じましたが、(企業の方は不当な訴訟をされたと怒っていましたが・・)これが金額の大きな事件であれば、訴訟に移行する場合も結構あるでしょう。
このように訴訟に移行した場合でも金銭解決の方向が同じで若干の修正で終わった事件がいっぱいあるはずです。
一般民事の控訴事件でも地裁での和解案の数字の開きが大きすぎる場合に一旦判決をもらって高裁での若い前提で控訴になる事例が圧倒的多数で、(1審の和解ではまだ・判決は予想でしかない・弁護士からこれまでの流れでは、こちらが勝ちそうとか負けそうという予想でしかないので、判決が出ると読み違いがあります・・勝敗がはっきりしないで、どちらも強気になるメンがあるのですが、高裁では一審での勝敗が決まっているので、(高裁が記録を読んだ結果勝敗をを逆転させる気持ちがなければ)すぐに1審判決線上での和解手続きに入るのが普通です。
上記の通り労働法分野では、借地法の正当事由のように長期裁判を必要としなくなって来たのですが、その代わり(三菱銀行の例で分かるように)事業分野変更の場合、(遅刻が多いとか失敗が多いなど)個別事情によらずに画一的大量処理が必須ですので、もともと個別事情中心の裁判に馴染みません。
企業も個人もお互いに個人的感情の行き違いでもめているのではなく、トラブル・裁判までしたくないのですから、トラブルのない場合も金銭で解雇できるスキームができないかというのが、最近の議論です。
今朝の日経新聞朝刊19pには、成長分野シフト企業の収益貢献例が出ています。
以下は私の要約です。

「① ミネビアではスマホ向け液晶部品を中心とした電子部品事業が急成長している。7年前には機械加工事業が営業利益の8割を稼いで電子部品は2割に満たなかったが、携帯電話の普及を見越して世界最大手だったパソコン用キーボードから撤退した」
② 大和ハウス工業は、人口減を見据えて住宅部門から事業施設へ転換して成功している
③ TDKはスマホ向け2次電池などフィルム応用製品で6割を稼ぐ,数年前まではパソコン用ハードデイスクの磁気ヘッドを中心とした磁気応用製品が利益の7割を占めていた。
④ 日産化学は、動物向け医薬品強化・・1割に満たなかった農業化学品事業がでは稼ぎ頭だ

果敢な事業転換には畑違いの方向への社内配置転換では(基礎的技術が違いすぎて)無理なので、短期間での人材入れ替えが必須です。

国家的事業と自治体の拒否権6(一坪地主運動)

自治体には自主性が重んじられるからと言って、国で決めた開発方針に逆らって、開発予定地の学校や道路付け替えなどに応じないのは「自治の本旨」に反していませんか?
国会で十分な審議をして折角決議しても全国〜広域規模の施設が必要な施策について、その計画地の1つの自治体が反対すると政策実行出来ない不思議な国家制度となっています。
たとえば、全国〜広域規模の新幹線や高速道路は、・・誘致競争しているので政党による反対がない=問題が起きていないだけ→もしも与野党で新幹線や高速道路敷設に関して意見対立あったた場合、その予定沿線の一部にでも野党系首長がいると前後数百kmの工事が貫通しなくなります。
こう言う運動をしている野党は、与野党一致の政策以外は何も出来なくて良いと言う考えによるのでしょうが、これでは自治体が独立国になっている・・友好国・連合の関係と同じで統一国家内の自治体とは言えません。
ソモソモ民主主義制度とは意見が対立する前提で違った意見・・議論を尽くした上で多数決で決める前提で成り立っています。
その議論の結果評決で負けた以上はその結果に従い次の選挙で雪辱するのが民主主義の原理です。
スポーツでも何でも一定のルールで試合して負けた以上はその結果に従うべきです。
昨日アメリカ大統領選最後の討論会の模様が報じられていましたが、(マスコミのでっち上げテーマかも知れませんが)最終討論会の大きなテーマは「選挙結果に従うかどうか」が大きなテーマであるとして掲げられていました。
ブッシュ氏に選挙で負けたゴア氏も相応の言い分があったでしょうが、「敗軍の将兵を語らず」で不満を言っていません。
スポーツで相手が卑劣っぽい勝ち方をしたときに負けた方にマイクを向けるとこれには答えず、「私が弱かっただけです」と答えるのが普通です。
負けてもグジグジ言うのは、アメリカでも嫌われているからこそ,このルールをトランプ氏が守りそうもない印象を強調するためにこう言うテーマを民主党系マスコミが大宣伝していると思います。
成田空港の例で言うと最大野党社会党が反対して1坪地主運動を推進したのですが,全国の国民が支持していない・・選挙で負けた結果をイレギュラーな方法で国策実施段階で妨害をするのは民主主義ルールに反しています。
「飛行機は騒音があるだけで何の国益もない金持ちの贅沢品に過ぎない」と言う政策のママ(私が弁護士若手の頃にこう言う理由で反対運動参加の勧誘を受けていたことをこのコラムの始め頃に紹介したことがあります)でいたら、日本経済はどうなっていたかと思う人の方が多いでしょう。
多分当時の社会党や共産党も飛行機の有用性を知っていたでしょうが、「日本人に飛行機にさわらせない・絶対に作らせない」と言うアメリカ占領軍の置き土産を代弁していたのだと思われます。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/editからの引用です。
「 一坪地主 」 とは土地登記簿上の名義人 ( 地権者 ) を増やして、土地収用手続きを煩雑化させる目的で作られたものですが、三里塚・芝山連合空港反対同盟が、空港内の地権者から土地を購入し昭和41年(1966 年)に始めました。一時は約1,260 人におよびましたが、成田空港が開港すると約 400 人に減少しました。
昭和 58 年(1983年)に反対同盟は、2期工事阻止をねらい再度「 一坪地主 」運動を始めた結果、平成7年(1985年)には約1,400人に増えました。
社会党 ( 現社民党 ) も空港反対闘争の一環として、組織的に 「 一坪地主 」運動を推進しましたが、当時の土井たか子委員長も 一坪地主になりました。空港建設に反対し妨害行為をしながら、彼女と社会党 ( 現社民党 )員たちは、訪朝、訪中の度に成田空港から出入国していました。
ある時成田空港へ帰国した土井党首に対して、 カメラの前で テレビ記者からその矛盾点を追求されると、記者を無言でにらみ付けただけで何も答えませんでした。( 正しくは 答えられなかった のでした )
公の立場にある政党の党首が 成田空港を常に利用しながら 反対派の 「 一坪地主 」 に名前を連ね、空港建設工事を自ら妨害するという矛盾や、その愚行を テレビの視聴者の前に露呈した結果になりました。」
土井党首が答えられなかった問題はマスコミで大きく報道されたので、記憶されている方も多いでしょう。
「飛行機製造絶対禁止政策」の結果飛行機技術者が新幹線製造研究に方向転換したことは良く知られているとおりです。
このような激しい反対運動の連続の結果、今頃、ホンダや三菱の国産旅客機が漸く離陸出来るかどうかと言うほど国産旅客機製造が遅れてしまいました。
統一地方選挙制度であればこう言う「ズル」を防げますが、地方選挙・・例えば今回の新潟知事選や東京都議会選挙は時期がずれているし、各種反対決議等は時間差があるのでいわゆる「プロ市民」が巡業的に何回でも参政権?を行使出来る制度設計になっています。
例えば国民の1%しか支持されていない勢力でも活動家率が高いと、これを組織してあちこちの選挙の都度移動して行くと・・仮に100カ所に移動すると全く移動しない人から支持を受けている政党に比べて100倍の得票が出来ます。
以上によれば自治体選挙結果は実は当てにならない・全国一斉の国政選挙での得票率こそが本来の国民意思の現れと言うべきでしょう。
活動家が押し掛けて来て投票しても、彼らがいなくなれば、もう一度選挙し直せば良いかと言うとそう簡単には行きません。
アメリカのグランデール市の慰安婦像設置と同じで、集中的運動期間を決めて一度勝てば良いのです・・その後中韓系移民がどこかへ行ってしまっても一旦設置されてしまった像は簡単に撤去されません。
ダムでもロケット基地でも公民館でも一旦建設されれば、再決議をして簡単に撤去出来ませんし、あるいは一旦撤去され、否決されててしまえば、再設置の機運は(空港でも工業団地、港湾整備でも反対運動が激しくて予定が立たなければ・・事業家は別のところに進出してしまうので)簡単に再度の機運が盛り上がりません。
自衛隊基地や原発立地・空港設置やダム工事の可否も同じで1回否決してしまえば、その後活動家がいなくなっても、計画そのものを一旦頓挫させたり、施行を長引かせて時機遅れにしてしまえれば或る国策反対論者としては、目的を達することが出来ます。
与那国島の基地問題で言えば、レーダー基地を設置するかどうかで小田原評定を続けているうちに中国に占領されてしまえば議論不要になります。
成田空港も何十年も計画完成を遅れさせ、その後拡張が必要になっても簡単でない(上記のとおり拡張工事が必要になると又一坪地主が増えました)結果、国際ハブ空港の地位が韓国に移ってしまいました。
先進的産業発展計画も「◯◯があったらどうするのだ」と言う反対ばかりして、実験用地買収に反対しているうちに国際的先端技術開発競争に負けてしまいます。
与那国島の例で言えば住民投票条例は6年前に出来ていると言うのですから、長い間掛けた争点だったこと・・あるいは成田空港の例で言えば、野党が反対している国策決定後実現までには何十年もかかる我が国の実態が分ります。

国家的事業と自治体の拒否権5(原発の可否は国政で!)

現在日本の法制度は何重にも地元自治体の協力を必要とするようにシステム化されていて、1つの事業についてある部分では地元の村や町の許認可・例えば国道を通すのに小さな公園や小学校の移転が必要な場合など重層的な地元自治体の協力がないとどんな国策も進まないようになっています。
3日ほど前に新潟県知事選挙で反原発派?知事が選挙に勝ったと報道されていてこれに迎合するように近くに学校があって、これではいくらなんでも危険だ、無理だと言う尤もらしい意見が流布しています。
そんな些末なテーマは、原発をどうするかの議論で決着がついている話のすり替えまたは蒸し返し論です。
成田空港の例を書いて来ましたが、日本に空港が必要でありどこに立地するかが国政の場で決まった以上、その空港予定地内の道路や公園を廃止するのは当然の原理です。
あるいは境界ギリギリに保育所などあれば、これを移転するのが本来です。
決まってから、計画地内あるいは直ぐ近くに道路、小学校や幼稚園があるからダメ、民家が空港内では困ると言う議論すること自体が馬鹿げていると言うか、論理すり替え・・新たな知見に基づいて考え直す必要があるならば、国政の場で議論すべきことです。
ダム工事や自衛隊基地その他国策的計画の場合、計画地周辺に民家も道路も何もない土地は普通に想定出来ません・・当然予定に入っているのが普通です。
工業団地計画でも、敷地内だけではなく周辺住民の危険を防ぐために国道等からの取り付け道路まで計画するのが普通です。
国政の場での決定段階で地元代議士が道路のつけ替えなどで住民にはこう言う不便が起きるとか、学校も移転する必要があるから困るとか逆に誘致する立場の人はその程度のマイナスは良いからそれでも地元産業振興のために誘致するかを決めて運動して来た結果でしょう。
今回のオリンピック会場経費問題もそうですが,誘致する方(会場までの道路整備など知られています)も審査する方も共に相応の周辺整備負担を考えて行動しているものです。
もしも原発近くに学校があって危険ならば地元自治体が移転すべきことであり、これを(補償交渉で「この範囲まで保障して欲しい」と言う議論までしたら誘致出来ないと思って黙っていたのか・)しないで今になって、「近くの学校が危険だから原発反対」と言うのは議論のすり替えです。
仮にどちらの責任でないとしても(津波のような大災害が想定されていなかったと言うならば、津波の危険があるならば原発がなくと移転すべき問題であり)保障の問題でしかありません。
危険でないと思っていたが大津波を想定すれば危険と言う判断に変わったとするならば、学校の移転などの対応を変えれば良いことであって(間違っていたとすれば、当時誘致運動していた人の責任であり、その分の保障をもらっていたのに移転しかなった場合もあり得ます?)そこからイキナリ原発をやめなければならないかの問題にはなりません。
ある場所で交通事故多発しても、すぐに通行止めにしないで、信号設置やカーブミラー設置などいろんな対応があるように、学校が近いのが危険と言う意見に変わったならば、学校移転を議論すれば良いことです。
柏崎原発のデータは以下のとおりです。
  着工 1978年12月 運転開始 1984年11月
着工後約40年経過と言うのですから、・・その前の計画や賛成反対運動の時間を考えると50年くらい前からの議論です・・原発後に学校が出来たのか前からあって5〜60年間誰も問題にしなかったのか?当時から危険性が問題になっていながら、誘致に決まったならばその直後に移転すべきだったでしょう。
学校は昔からある(筈・・原発設置後に作ったならば作った自治体の見通しミス)なのに、今になってイキナリ反対材料として言い出した印象があります
前からあった場合「何故学校そのままの前提で誘致したのだ」と言う内部責任追及の問題・・自治体の当時の責任者・・誘致活動した政治家などのミスを、何故交渉相手の政府や東電の所為にするのか不明です。
日本政府が外国と損な約束していたとしても、それは内部責任追及の問題であって次の担当者が引き継ぐしかありません。
オリンピック会場設営経費が高くなってしまった分を国際オリンピック委員会で補填してくれとは言えないのが普通です。
もしも現状の学校が危険ならば学校を移転すべきで、今まで問題がないとして移転しなかった地元自治体の責任を論じるべきです。
空港計画で言えば、計画区域内に道路や公園・小学校があるから空港作るなと言うのではなく、国政の議論で空港の必要性と設置場所が決まった以上は、国政決定に従う義務・・自治体は計画区域内に公的施設が邪魔にならないように移転すべきであって、(相応の保障は当然)公的施設や公園・保育所があり村道が走っているコトを理由に計画に反対出来る・公園や道路廃止手続などサボタージュが許されるのでは、国政は何も出来ない・・統一国家とは言えないでしょう。
この原理はダム工事(集落丸ごと水没する場合さえあります)でもゴルフ場開設(民営の場合公益性が低いので所有者同意が必要・・収用出来ません)でもみな同じです。
自治体が反対すれば国政が滞る前提でこれを悪用することを羞じない人材が増えて来ると、これを狙って国政上の議論で負けた政党が特定地方に人を集めて反対させる邪道がはびこります。
日本の人口1億数千万人として、僅かに0,001%でも意図的に集めれば過疎地では相当な影響力があります。
10月17昨日紹介した与那国島の住民投票の例で言えば、外国人の投票まで入れて賛否の票差が約200票ですから運動員が直前(3ヶ月前)に300人も移住届を出していれば反対結果になる仕組みです。
特定組織が3〜500人規模のキャラバン隊をいくつか組織して専従化させれば、問題のありそうで賛否拮抗している自治体を狙って、移住(住民登録だけ?)巡業?して行けば僅か数百人でもキャスチングヴォートを握れるので次々と決議を成立させることが可能です。
国政選挙では、補欠選挙を除いて全国一斉ですから、2重3重の投票権行使が出来ませんが、全国一斉でない自治体選挙や住民投票では、「ズル」が普通に行なわれている印象です。
国策(国会決議)で多数の支持を得られなかった政党支持層が、日本全体人口の0、01%以下でも、ある時期めがけて過疎地の特定の町やムラに数百人も集めれば大勢力になります。

国家的事業と自治体の拒否権4(外国人参政権2)

外国人参政権に戻しますと、中国人や韓国人(正確には外国人全部ではなく永住者に限定するなど規定の仕方によって資格を絞れますし拡大も可能です)が特定意図のために1年ほど前から与那国島や石垣島あるいは壱岐・対馬などに大挙して移住すれば、(既存基地廃止や移転反対決議)事実上決定権を握ってしまいます。
将来的にどこの国に帰属するかについて住民投票しましょうとなると、小さな島々に中国人が大挙し定住して行くとあっという間に中国領土になって行きます。
与那国島の場合には、自衛隊レーダー基地設置に対する住民の意思決定について外国人も投票権があったと書いていますが、高校すらない過疎が進む町.与那国島に外国人が入って来てどう言う就職先があったのでしょうか?
何のために外国人がいるのか不明ですし、何のためにこのような優れて国家的関心事である重要事項について外国人に投票権を認める決議(条例)が出来ていたのか不明です。
ウイキペデイアの与那国町のデータです。
与那国町(に相当する地域)の人口の推移
1970年=2913人 1975年=2155人  1980年=2119人
1985年=2054人 1990年=1833人  1995年=1801人
2000年=1852人 2005年=1796人  2010年=1657人 
総務省統計局 国勢調査より
1昨日紹介したウイキペデイアによると住民投票時の人口は1500人に減っていることになります。
外国人参政権を認めるべきかどうかの議論をするには、与那国島の投票例がちょうど良い事例を提供していると思われます。
折角の事例ですから、実態調査・・住民投票条例制定前後に(日本人を含めて)移住した人がいるか、いつ移住したのか?どう言う職業に就いているのか?住民投票後5年〜10年後も定住を続けているかなど外国人参政権賛否両者は調査報告する必要があるでしょう・・。
当然日本人活動家(活動家かどうかのデータは無理としても直前直後の社会的人口増減)の事前移住などのデータも集積して行く必要があります。
実証研究抜きの観念論だけで議論しているとすれば、政治家・政党として怠慢です。
以下、印象的・・根拠のない空想ですが、・・先ずは日常生活関連を決める自治体には国籍は関係がないと言う宣伝で外国人の投票権を認める運動を数十年単位で先行させておいて、これが浸透して来た時点で原発や自衛隊基地設置予定の過疎地で反対運動を始める・・平行して国策上重要な地域への外国勢力の浸透が始まっている可能性があります。
尖閣諸島の土地国有化を当時の石原都知事が求めたのは、個人のママだと成田空港反対派による一坪地主のように、中国人に買い占められ住み着かれると大変なことになると言う心配があったことによると思われます。
全国原発立地地域や自衛隊基地その他国策上重要施設のあるところに反対活動家が一斉にちらばる必要がない・・狙い定めた特定地域に(外人に限らず日本人でも一定の反対論者がいます)活動家を集中的に移住または周辺土地を買収して行き1回でも否定決議に持ち込めば次に狙った地域に移住巡業?して行けば良いのですから、人口的に言えば国民の0、00何%以下の少数者でも可能です。
例えばダム建設用地の周辺山林・・何町歩と言う広大な山林でも僅かな資金で買収可能ですが、これを成田空港用地のように活動家に一坪ずつ名義変更して行けば良いのです。
100人でも有効な反対運動が可能になります。
成田の場合で言えば、最後は土地収用法による強制買収が図られましたが、この収用委員会自体が自治体・千葉県の権限です。
土地収用法
斡旋・仲裁委員→知事の任命(15条
第五十一条  この法律に基く権限を行うため、都道府県知事の所轄の下に、収用委員会を設置する。
(訴訟)
第百三十三条  収用委員会の裁決に関する訴え(次項及び第三項に規定する損失の補償に関する訴えを除く。)は、裁決書の正本の送達を受けた日から三月の不変期間内に提起しなければならない。」

国政レベルで決まったことが、最後は司法権が最終決定権を有することになります。
この辺の問題点については司法の謙抑性のテーマで別に書いている途中です。
ここでは、折角国会で決まっても実施段階で何十年単位の膨大な時間軸が必要なシステム上の問題点・・これに事実上外国人が関係出来る問題点を書いています。
当時千葉県知事は国策協力方向でしたので、自治体と政府の対立関係がありませんでしたが、それでも収用委員会手続に入るコトまでに長期間を要し、空港開設計画実施・・着手が大幅に遅れました。
いわゆる過激派全学連の成田闘争とは、計画作成に必要な事前現地測量妨害事件だったと思われます。
具体的に委員会が始まると収用委員長に対する身体攻撃が発生し(文字どおりテロ行為です)後任の収用委員を引き受ける人がいなくなり、その後何年も委員会自体を開けない事態が生じていました。
収用委員会が麻痺したまま(この10〜20年くらいの動きを知りまんので再開しているかどうか不明)となったので、結果的に反対派農地を残して工事が進み開港にこぎ着けたので、今でも成田空港には滑走路を妨害するかのように農地・農家が点在しているし、滑走路の増設計画が難しいのはそのせいです。
この現実を見れば地元農民の内1%あるかないか・・国民全体から見れば何十万分の1にも満たない反対者を野党が唆すだけで、政府の国策推進がどうにもならない(占領軍の残した)我が国の制度設計とこれを濫用するものがいた歴史遺物と言えます。
(時流に反対ばかりして来た社会党は消滅してしまいました)
この残存農家・農地こそ、当時の野党が如何に民主主義制度を濫用して来たかの歴史を示す遺物として後世に記念館?として残す必要があると思います。
私は世界各地に建造した慰安婦像もこうした歴史価値があるこう言う捏造批判する国だと言う「韓国の恥の歴史」として残して行けば良い・・撤去運動する必要がないと思っています。

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