NAFTA→雇用喪失と移民増のダブルパンチ1

カナダとの往来は事実上一体化が進んでも気にならないでしょうが、メキシコへ我が物顔で進出するようになると、自国への入国だけ厳しくしたままでは無理が出てきます。
自分は自由に出入りするが、お前らの出入りは勝手にするなという強者の論理は時間経過で無理が出ます。
強いものは・・お殿様は屋敷内のどの部屋に入ろうと誰の許可も(法律上?)いりませんが、その代わり部下、目下の私的空間に入るのは遠慮するのが暗黙のルールです。
個人で言えば、親は子供部屋に無闇に踏み込まないのが親子間の暗黙のルールですが、子供の方は、成人しても親の家に自由に出入りするのが普通です。
将軍家は配下大名家の屋敷に自由に出入りできないが、配下大名は将軍家城内の隅々まで体で知ることが可能でありそれが普通です。
奥方と腰元の関係も同様であり、社長周囲の秘書や側近は社長一家のプライバシーに接する機会が多いのですが、社長の方は秘書や側近重役の私的関係に立ち入らないのも同様です。
形式ルールと実質ルールは違う・・実は逆になっているのが普通です。
子供頃に覚えた言葉ですが、
「稔るほど頭を下げる稲穂かな」
本当に偉い人は威張らないのが日本社会です。
この数十年で重視されるようになったプライバシー関係も同様で、高位者・・権力に基づくプライバシー侵害は厳しく規制されているのに対して私人間の場合には原則として当事者間での自律に委ねているのはこの違いです。
・・例えば親は子供が心配で学校の様子など知りたいことが多いのですが、一定年学年以上になってくると詮索し過ぎると嫌われる・親が子供部屋をしょっちゅうかき回していると親子関係がうまくいかないなどそんなことは家庭の自律に委ねて間に合うのです。
西洋近代法の考えで・・・日本の憲法では、令状がないと家宅捜索できないなど決めていますが、そんな憲法以前に昔から日本社会では、殿様が家来の家をむやみに訪問できない・結婚した子供らが親の家に入るのは自由ですが、親が子供の家庭をむやみに訪問するものではありません。
こんなことはフランス革命で初めて手に入れた西洋とは違い、日本社会では常識だったでしょうから、憲法制度導入の当初から当然のように条文になっています。
こんな当たり前のことまで憲法に書いておかないと分からないのかと驚いた人もいたでしょう。

大日本帝国憲法(1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行)
第25条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
第26条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ

日本国憲法(1946年11月3日公布1947年5月3日施行)

第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。

アメリカは形式的な法の理解で実質関係は逆になる点に気付かないのかな?
このコラム最初から折に触れて書いているように、社会のあり方に関する発展度合い・文化レベルが日本に比べて欧米は何周回遅れの社会というのが私の直感的意見です。
米国は戦後一強になると・・グローバル化〜自由化すれば金と武力のある強いものの行動の自由が広がるという形式面しか理解できず、グローバル化・自由化を戦後ずっと推し進めてきたことになります。
饅頭を押し込めばあんこがはみ出る関係で、水が低きに流れるのを防ぐのはダムで塞きとめるようなものでどんな大きなダムでも、いつか満杯になると、本来の流量と同量の水を水門から継続放流するしかない・・ダムは一時の気休めに過ぎません。
古代から都会人が紀行文など残すし、旅行ガイドも都会人向けのものが多いので、都会から田舎に行く人の方が多いように見えますが、実際には田舎から都会に出る人の方が多いのです。
田舎では人口が少ないので都会から観光客がいっぱい来ているように見えますが、自然の豊かな場所は日本全国〜世界にいくらもあるので都会人はいくらでも行き先がある(分散する)のに対し、有名演劇〜相撲などのイベント〜スポーツ大会は、東京や大阪のような大都会にしか来ない・・即位の式典などその他東京にしかないものが多く、全国の人が東京などに集中します。
例えば千葉房総半島の人で東京へ行ったことがない人は滅多にいないとしても、東京の人が房総に来たことのある人は数%あるかないかでしょう。
みなさん故郷の人に置き換えてもわかる筈です。
このように数の上では経済力に劣る方からの華やかな方へ流入する方が多いのが原則です。
都心と郊外の人の日々の移動関係も同様で千葉から毎日東京に行く数と東京から千葉に向かう数は往復では同じですが、居住地発で見れば大幅な差があります。
このように経済活動の自由化に比例して低賃金地域から高賃金地域へ人の移動が多くなるのは、水が高い方から低い方に流れるような関係で、これを変える方法はありません。
私は今日日弁連委員会出席のために東京に行きますが、逆がないのです。
経済交流が増えるとこれに比例して人の移動が激しくなり法規制を変えなくとも結果的に人移動の障壁が低くなるのが普通です。
米国とメキシコの場合、法規制緩和しなくとも、大統領令という便法で不法移民の子供に対する永住権付与や国外退去処分のランク分けなど画期的枠組みなど運用緩和が進んでいました。

雇用喪失と移民増に対する米国の不満

NAFTA署名の92年当時といえば、1992年のEU発足と同時期ですから西欧が地域ブロック経済で米国に対抗するならば米国はこれに対する対抗心からもともと自分の裏庭と自負する北米地域で北米統一市場を企図した動きのように見えます。
もともとメキシコは米国にとっては、裏庭ともいうべきお膝元であり当時のメキシコ経済は近代工業製品輸出国ではなく工業製品を売りさばく市場そのものでしたから、米国はEUに対抗して米国の裏庭にあたる市場を囲い込み・支配独占を確かなものにする日本の高度成長期には意識に基づく政策だったと思われます。92年当時のメキシコの経済力を見るために当時から現在に至るGDPや貿易額推移を世界ネタ帳でGDPを見ておきます。
https://ecodb.net/country/MX/imf_gdp.html

メキシコの名目GDP(USドル)の推移

メキシコ輸出額の推移

上記両グラフによれば92年NAFTA署名〜94年発効以降を見ると、GDPや貿易量が急激に伸びています。
FTA・・貿易自由化の徹底は後発国(韓国や中国を含め)が先進国に追いつくには、後進国に有利な制度であったことがわかります。
19世紀型植民地支配は、被支配地域に工業生産を許さず先進国の輸出市場としか扱っていませんでしたが、戦後ほぼ独立してしまい植民地支配が出来なくなりました。
先進国間で戦後復興が終わり市場争奪戦が再開されると、(似たような生産ラインでの競争である以上)より安い賃金・安い地代等総合的低コスト地域に立地した方が同業者や競争国との価格競争に勝てるので、現地進出競争が始まりました。
日本の場合も中国が改革解放されると現地生産指導のコストをかけても、農産物等の価格が10〜20分の1の値段で仕入れできれば競争相手・同業者に勝てるので、中国現地に出向き日本人向き蔬菜づくりの現地指導に乗り出す競争が起きていました。
毒餃子事件で知られるように日本の食品メーカーは競って中国進出していましたし、食品は日常庶民の目につくので目立っていただけで、その他各種産業は中国から安く仕入れる競争時代が始まっていました。
米国とメキシコの関係もこれに似たようなものだったと推測できます。
米国としては市場囲い込みのつもり・EU理念に負けない市場一体化・もしかしたら北米全体をEU理念同様にアメリカ合衆国を拡大する意気込みもあったのでしょう?
その理念の事実上(EUのシェンゲン条約のように公文書ではっきりさせませんでしたが)人的移動の自由化も緩やかになる一方だった気分の実現として、米国企業が強者の論理で遠慮なく内国並みに自由自在に進出し、メキシコも中国のように進出企業に民族資本との合弁強制や知財移転要求などのイチャモンをつけずこれを受け入れていた状態を推測出来ます。

NAFTA→メキシコ生産シフト1

日本の高度成長期には収益性が落ちた米国企業が低賃金の海外に逃げて、その穴埋めに日系工場が米国に入っている構図でした。
ところが、NAFTA成立後自動車メーカー(に限らずいろんな製造業)米国内企業が積極的にメキシコ立地を選びほぼ米国との経済一体化が進みました。
米国企業のようにゲンキンな動きをするのはリスクがあるので様子見をしていた日本もメキシコからの米国輸出でも良いのかなと安心して?リーマンショック後日本までも工場進出先をメキシコに切り替えるようになりました。
その結果ビッグスリー等の米国内製造工場国外進出による国内製造業縮小の穴埋め的現地生産が急激に減るようになりました。
例えば、代表的製造業の車の例を以下の表で見るとメキシコでの日系車(トララックバスを含む)の生産台数を見ると16年から18年ではほぼ倍増していますが、(表は大きいので引用省略・関心のある方は下記に入ってご覧ください)米国生産数はほぼ現状維持です。
http://www.jama.or.jp/world/foreign_prdct/index.html

海外生産 進展する世界各国での現地生産
表1:日本メーカーの四輪車海外生産台数の推移

北米自由貿易協定によってメキシコ産品がほぼ内国待遇で米国に流入するようになると人件費の高い米国内製造がたち行かなくなったように見えます。
日系企業も米国進出や米国内新工場増設よりメキシコ進出へ舵を切り替える動きが知られていました。
例えばホンダの場合以下の通りです。
https://jp.reuters.com/article/honda-production-shift-idJPKCN1N01AD

ホンダは米国向けフィットをメキシコだけでなく埼玉製作所寄居工場(埼玉県寄居町)でも生産していたが、17年2月に同工場での生産を中止。それ以降は全量をメキシコでの生産に切り替えている。

ただし、念のためウイキペデイア確認するとNAFTAについては米国で評価が真っ二つに分かれているらしく、私の持っていた上記印象は共和党支持者に多い見解で民主党支持層では70%くらいで逆の意見が支持されているようです。
ところでNAFTAは1992年署名、1994年発効ですが、日系メーカーの工場メキシコ進出が目立つようになったのは、まだ4〜5年前・・早くてもリーマンショック以降の記憶ですので、メキシコ進出増の原因は他にあるのかもしれません。
https://www.mx.emb-japan.go.jp/keizai/kigyo6.pdf

相次ぐ日系企業の進出 ✔ 2011年以降、日系自動車メーカー4社がメキシコへの生産投資を発表。
✔ 関連日系企業も相次いでメキシコへ投資し、日系企業のメキシコへの投資案件数※は 190件以上に及ぶ投資ラッシュ。(自動車及び部品124件、鉄鋼16件、物流12件、機械15件他)
マツダ ホンダ トヨタ 日産 2011年6月 2011年8月 14万台+4万台 20万台 17.5万台 5万台 製造初進出 本格進出 (組立工場から一貫生産工場へ) 能力増強(第3工場) 生産委託 (組立工場から一貫生産工場へ) 2012年1月 2012年11月 2011 2012 (マツダ2、マツダ3) (小型車、エンジン) (小型車) 発表時期 (小型車) ※ 2011年~2015年に公表/報道された投資案件。
出典: 各社公表資料 ✔ 約6割がメキシコへの製造拠点初進出。アジアに加えてメキシコに拠点を置く事例多数。

上記によれば私のおぼろげな記憶通りでした。
日系企業進出と関係なくメキシコの車生産台数の年次推移を見ると以下の通りです。
https://www.google.com/search?q=%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A%E7%94%9F%E7%94%A3%E6%95%B0%E3%81%AE%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E6%8E%A8%E7%A7%BB&sxsrf=ACYBGNSHxFHffk1tO-Q94s-caHuNK36rEA:1573295974101&tbm=isch&source=iu&ictx=1&fir=-FVQckFgxact4M%253A%252CtsCMa6SVlqsJlM%252C_&vet=1&usg=AI4_-kTsEpPcvmQHQYIs5WyMSPP4igzoPQ&sa=X&ved=2ahUKEwiPsKad-NzlAhUGE4gKHUxKCl0Q9QEwAHoECAgQBg#imgrc=-FVQckFgxact4M:

「メキシコ自動車生産数の年次推移」の画像検索結果"

上記を見ると日系企業進出前から米国企業の国内からメキシコへのシフトでメキシコは順調に生産台数を伸ばしてきた結果、車産業を基幹産業としていわゆる新興工業国の仲間入り(G20)をしてきた様子が見えます。

日系企業米国生産と格差社会化緩和2

米国の貿易収支が出超から入超に変化すると、その分国内製造が減ります。
金融収支的には、知財収入や所得収支で均衡が取れますが、知財収入や金融取引の儲けでは多くの国民の雇用が守れません。
ファッション産業等も同様です。
あるファション製品が、世界最大の売りあげを記録してもファッションクリエイター部門雇用はわずかで、ユニクロやアップルの最終製品加工工場の雇用が増えるのに比べればゼロ%台の比率にすぎないでしょう。
アップルが如何に巨大な儲けを叩き出しても、その生産が中国の巨大生産委託工場で生産され世界に供給している状況では、米国内雇用にほとんど貢献していません。
11月9日日経朝刊1面トップにはアイフォーンは部品や材料が地球と月の1往復分複雑移動して「最後に組み立てるのは従業員が100万人もいる中国広東省・深圳の受託製造会社だ」と書いています。
1工場で数万数千人が組み立てにラインに並ぶ深圳の工場規模の報道に驚いてきたのですが、100万人とは驚きです。
最終組み立て部門はこれと言う熟練技術不要で文字通り人海戦術の分野ですが、それだけに雇用吸収力は甚大→中進国や先進国の雇用減と裏腹です。
米国得意の製造工程簡略化によって、数世代以上に渡っての職業訓練・教育を受けてきたかの違いや文化レベルなど全く問題にしない・・人間であれば誰でもできる程度の単純工程が最終組み立て作業ですので、近代産業革命によって先進国から雇用拡大した流れの逆張り進行が始まったのです。
国内雇用政策で見ると米国企業が従来の輸出に変えて国外現地生産を増やしていくと戦後当初世界に輸出していた分国内生産が過剰→縮小になりますが、当初その程度の漸減ならばシリコンバレー等での新規産業創出でなんとかなっていたのでしょう。
その後日本ドイツの追い上げによる各種輸入が爆発的に増えると輸出が減るだけでなく、自国消費分まで国内生産が縮小していきます。
欧州は戦後復興しても欧州の国内需要を米国に食われなくなっただけで米国への逆輸出がそれほど増えませんでしたが、(ドイツの貿易依存率が高いと言っても欧州域内輸出が大半です)日系メーカーの場合対米輸出だけでなく、対東南アジア輸出はどんどん増えていき、その分米国内製造が激減して行く構図になってきました。
輸出が減るだけでなく国内需要まで日本に食われるようになって国内製造業縮小に直面した米国は、国内雇用減緩和的穴埋めに、日系自動車メーカーに対して米国進出を許容し誘導(強制)してきたことになります。
米国の貿易赤字分を日本や中国がせっせと米国債を買い求めて貿易赤字の穴埋め・ファイナンスしてきたのと同じ構図です。
米国は元々戦後10年前後経過時点から軽工業段階・・超低賃金労働向けの繊維系やおもちゃ生産分野の場合、直ちに自国内製造を諦めて低賃金国へ工場進出して逆輸入に切り替えてきたのですが、(対中関税制裁で困るのは中国で生産している米国資本の工場と言われる所以でもあります)重工業や車産業等のセコンド製品等の男性中心職場でそうは簡単に行きません。
一斉に構造変換・・大規模リストラすると男性の大量失業等の影響が大きすぎるので、政府としては国内企業の存続を図りたくとも日独に追い上げられて収益率低下する一方の事業を切り離したいのが米国企業価値観です。
自由貿易を錦の御旗とする米国は輸入制限する口実が見当たらないので、国内雇用縮小の穴埋めのため輸入先企業・日系企業に国内進出させて失われる雇用の受け皿役を担わせ急激な国内失業回避する戦略だったし、日本もあくまで自由貿易の大義違反と米国と正面衝突するリスクを冒す事もできないのでやむなく湯h捨数量制限と米国工場進出で妥協してきました。
低収益部門と化した自動車製造事業を日系企業に委ねて置いて米国自動車業界・ビッグ3はチャッカリ中国韓国等へ進出して高賃金の米国から逃げています。
https://response.jp/article/2019/02/07/318888.html

2019年2月7日(木)17時00分
GM世界販売12.7%減の838万台、キャデラックは7%増 2018年
市場別の2018年の販売実績では、中国が引き続きGMの最量販市場に。ただし、2018年は364万5044台にとどまり、前年比は9.8%減とマイナスに転じた。
中国に続いたのは、地元の北米だ。2018年は、349万0114台にとどまった。前年比は2.4%減と、2年連続のマイナスだ。

上記のように中国市場販売の方が米本国での販売より多くなっています。
そのGMが18年国内工場大規模閉鎖発表しました。
これが6日に紹介した長期ストにつながっているのでしょうか?
ただし40日間に及んだストが10月25日終結したというニュースが出ています。
GM苦境の紹介です。
https://jp.reuters.com/article/us-gm-analysis-idJPKCN1NY0OU

2018年12月1日 / 08:50 / 1年前
焦点:米GMの工場閉鎖、セダン需要不足にはそれでも不十分
[デトロイト 28日 ロイター] – 米ゼネラル・モーターズ(GM)(GM.N)は、26日に打ち出した北米の3カ所の完成車工場閉鎖と人員削減計画を実施しても、同社のセダンに対する需要と供給の落差は一部しか埋めることができない──。ロイターが自動車業界の生産・設備関連データを分析したところ、こうした結論が導き出された。
LMCのデータに基づくと、ミシガンにある「キャデラックATS」などを製造する工場と、電気自動車(EV)の「シボレー・ボルト」などを製造する工場の稼働率はそれぞれ33%と34%。スポーツカーの「シボレー・コルベット」を製造するケンタッキーの工場に至っては27%にとどまっている。
つまりこれら4工場は年間生産能力が合計80万台超に達するのに、今年は36万台しか製造されない見通しだという。
業界アナリストの話では、自動車工場の稼働率の採算ラインは一般的には80%前後。バーラ氏は26日、GMの北米地域の工場の場合、操業時間を延長しているSUVやピックアップトラックの生産施設を含めても70%だと明らかにした。

一方で4年前のデータですが、日本メーカーの米国現地生産台数は以下の通りです。
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_seisaku-tsusyo20170129j-03-w420

15年は385万台と過去最高。米国の乗用車販売に占める日本車のシェアは4割を超すが、その6割は現地生産だ。日本メーカーは販売店を含め、米国で150万人の雇用を支えている。

交易必要性と米国盛衰 

大量生産品では欧州から対米輸出が成功していないので、対欧州では米国は輸出していた分がはげ落ちただけでした。
お互いさしたる能力差がないので同じような生産設備で勝負する限り自国市場分は自国で生産する関係に落ち着いたと見るべきでしょう。
資源以外の加工品の交易必要性は、品質と価格のバランスで決まることです。
例えば同時期に新装開店したスーパー西友あるいはイオンが2〜3キロ間隔である場合、同じメーカー品を買うのに、近くの店舗を通り越して遠くの店舗まで買いに行きません。
コンビニ等でセブン系とローソン系で弁当の味が少し違っても、ちょっとの差であれば最寄り店で買うのが普通です。
国家間貿易も同様で、同じ品質で同じ価格・米国得意の汎用品はこの種製品なら遠くから輸入する必要性がありません。
米国は欧州に比べて劣っていた能力不足分をカバーできる資源直近の好立地を19世紀後半から20世紀初期にかけて5大湖周辺に見出し、資源直近の利点を利用していわゆる中西部工業地帯が勃興し(国内産業構造変革・克服の苦しみが、19世紀半ばの南北戦争と解されます)欧州と互角に近い経済力を獲得しました。
20世紀に入るとベルトコンベアーに代表される(農産物も含めた)大量生産方式(販売でも個別顧客対応しないスーパー方式による合理化でプロの売り子不要+従業員最小化)の普及で労働者の能力差をカバーするなど生産性逆転したので母体国の欧州を圧倒して世界覇権を握れるようになったものです。
米国の基本コンセプトは自国民の能力レベルが欧州の底辺層の集まりであることを自覚した上で、この弱点カバーに特化して成功したものです。
個人技能に頼らない生産方式・・特注品の高度製品での競争を捨てて、アメリカ大陸の特性・豊富な資源と広大な農地や牧草地を有効活用した汎用品の大量供給方式・必然的に顧客は少数エリート階層から庶民大衆をターゲットにして成功したと評価すべきです。
いわゆる大衆・マスがターゲットですから、庶民消費の底上げ政策・・欧州の市民革命・産業革命は教養と財産のある有産階層の社会実現でしたが、米国の生産方式はこれといった技能訓練を受けない(ベルトコンベアーに適応できる程度の訓練で足り、徒弟修行不要)庶民が生産の主役になり、消費主役になる社会を実現しました。
結果的に庶民の購買力向上が命ですから、庶民の味方・大衆民主主義が基本価値観となっていきます。
米国の圧倒的優位性は、地元資源利用とこれを大量消費コンセプト(特殊技能不要)にあったのです。
ところが戦後エネルギー源が石炭から石油に変わり、鉄は国家なりと言われた・・各種工業品の素材も戦前は金属製が中心であったものが石油由来のプラスチック製に入れ替わって来ると商品単価がもっとさがると大量消費の米国価値観の最大化のように見えましたが、一方で資源に頼る米国産業の優位性が相本から崩れる始まりとなります。
中東から輸入する欧州と米国自国内資源保有との資源格差が低下すると競争力は能力差中心になっていったので、欧州への輸出〜現地生産シフトがジリ貧になっていった原因です。
車で言えば大量生産品では、欧米それぞれ地産地消に落ち着き、現地生生産になじまない(技術文化差を背景にする)イタリアの手作りに近い高級車の輸出程度に落ち着くイメージです。
ハム、ソーセージ、チーズ類も同じでしょう。
いつもラーメンの例を出しますが、札幌ラーメンがトウモロコシを乗せて大ヒットしましたが、この程度のことは一定期間経過で同業者が真似するようになれば、結局は基礎になるスープの味等の元々の競争力に戻っていきます。
米欧関係だけでなく鉄鉱石や原油等各種資源が国際価格で入手できるようになると自国資源の有無は輸送経費の差だけになるので、その差を能力差でカバーできれば良いとなれば、日本が飛躍できるようになった原因です。
資源制約度が下がり輸送コストや税関コスト等移動コストが下がれば、これに反比例して能力差(歩留まり率の差や環境技術差など)の比重が上がります。
自国資源かどうかの差の多くが輸送経費差になると陸路と海路の違いは格段の差になります。
陸路300キロ輸送より海路1000キロの方が割安・中国や米国内陸から上海やシカゴに運ぶより(高速道路発達前の悪路の場合・高速道路整備が進むと差が縮みます)港湾工業地帯(我が国戦後コンビナートは全て港湾立地です)を作って他国資源でも海路1000キロの方がコストで合理的)ですので、東南アジア中南米を含めて資源産出地や北米消費市場どちらからも遠い日本が互角に近い戦いができるようになった原因です。
日本が欧州市場進出がうまくいかないのは、一つには輸送コスト差が大きいからです。
日米間は地球の真裏で距離は最大ですが、太平洋一直線で米国西海岸到着に対して欧州への航路は、東南アジア諸国の海峡を巡りながら、インド大陸を大回りしてスエズ運河〜地中海を経るなど経路が複雑な分、多くの国と関係しながら移動する手間ヒマ、コストが膨大です。
日本からハワイへ飛行機で移動する場合とインドシアン半島を横切ってタイへ行く場合と比較すれば他国上空を通過する必要がないだけでも、航空会社のコストパフォーマンスの良さが想像できます。
近年で言えば、ソマリア沖海賊問題が収束してきたかと思うとイラン緊張での安全性問題など絶え間ないリスク管理必要ですが、ホルムズ海峡の場合公海部分がホンの少ししかないのでイラン領海内で自衛艦自衛行動が困難です。
少しでも侵犯すれば(これは水掛け論が多いので)大事件になりますので、日本はイエメン側の紅海方面の公海だけの警備活動にしか関与しない発表があったばかりです。
パックスアメリカーナのお膝元である太平洋横断にはこういうリスクがありません。
日本からハワイへ飛行機で移動する場合とインドシナ半島を横切ってタイへ行く場合と比較すれば他国上空を通過する必要がないだけでも、航空会社のコストパフォーマンスの良さが想像できます。
近年で言えば、ソマリア沖海賊問題が収束してきたかと思うとイラン緊張での安全性問題など絶え間ないリスク管理必要ですが、ホルムズ海峡の場合公海部分がホンの少ししかないのでイラン領海内で自衛艦自衛行動が困難です。
少しでも侵犯すれば(これは水掛け論が多いので)大事件になりますので、日本はイエメン側の紅海方面の公海だけの警備活動にしか関与しない発表があったばかりです。
https://www.sankei.com/column/news/191020/clm1910200002-n1.html

【主張】自衛隊の中東派遣 「ホルムズ」忌避は疑問だ
2019.10.20 05:00コラム

情報収集体制の強化が派遣の目的で、直ちに日本船舶の護衛を行うことは想定していない。活動海域は、オマーン湾▽アラビア海北部の公海▽イエメン沖のバベルマンデブ海峡東方の公海-で、ホルムズ海峡を外している。河野太郎防衛相は「現時点ではそういうふうに検討していく」と語った。

日本が中国による南沙諸島海域支配に神経をとがらせる所以です。

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