個別処理から事業転換等の処理システムへ

2017年12月10日現在の(内容は施行後5年経過時点のようです)裁判所のホームページhttp://www.courts.go.jp/saiban/wadai/2203/index.htmlによれば以下の通りです。

  1. 労働審判制度とは
    労働審判制度は,個々の労働者と事業主との間に生じた労働関係に関する紛争を,裁判所において,原則として3回以内の期日で,迅速,適正かつ実効的に解決することを目的として設けられた制度で,平成18年4月に始まりました。制度全体のイメージは下図のとおりですが,労働審判手続では,裁判官である労働審判官1名と,労働関係に関する専門的な知識経験を有する労働審判員2名とで組織する労働審判委員会が審理し,適宜調停を試み,調停がまとまらなければ,事案の実情に応じた解決をするための判断(労働審判)をします。労働審判に対する異議申立てがあれば,訴訟に移行します。

労働審判制度

 2. 制度の運用状況

 制度開始から約3年半の労働審判事件の運用状況をみると,審理に要した期間は平均で約2か月半です。調停が成立して事件が終了する場合が多く,労働審判に対する異議申立てがされずに労働審判が確定したものなどと合わせると,全体の約8割の紛争が労働審判の申立てをきっかけとして解決しているものと思われます。
こうした労働審判事件の解決の状況からすると,制度導入の目的は一定程度達成されていると考えられます。また,当事者等からも事案の実情に即した柔軟な解決が図られているとして,おおむね肯定的な評価を受けており,事件の申立件数も年々増加しているところです。
なお,現在は各地方裁判所本庁のみで取り扱われていますが,制度開始5年目を迎える平成22年4月から,東京地方裁判所立川支部と福岡地方裁判所小倉支部でも労働審判事件の取扱いが開始されます。

私の経験で知っている限りでは、ほとんどの事件では金銭解決で終わっています。
借地借家法の正当事由の判定で書いたように現在社会では不確実性を嫌います。
借家法との正当事由の認定と違い、上記の通り労働審判制度は数ヶ月でケリがつくことが多いので、非常に使い勝手の良い制度で司法界の大ヒット作品というべきでしょう。
昨日紹介したように労働審判制度は現在まで、約10年以上におよぶ試行的運用の結果、労働者も自分を必要としていない企業にしがみつきたい人は滅多にいない・相応の金銭解決で納得する人が多い現実を直視した方がいいのではないか?
という意見がふえてきます。
上記統計では約2割が裁判手続きに移行しているようですが、私の経験ではこういうことがありました。
その事例では、企業側に何の落ち度もない勝訴予定事例でしたが、裁判所の提案は日本的解決の推奨・ともかく解決金として、「1ヶ月分の支払いをしてくれないか?」という和解案の提案でした。
企業としては、数十万の支払いで済むならば、その方がコストが安く済むので訴訟に移行しても負けることがないとしても時間コストその他で和解案に応じましたが、(企業の方は不当な訴訟をされたと怒っていましたが・・)これが金額の大きな事件であれば、訴訟に移行する場合も結構あるでしょう。
このように訴訟に移行した場合でも金銭解決の方向が同じで若干の修正で終わった事件がいっぱいあるはずです。
一般民事の控訴事件でも地裁での和解案の数字の開きが大きすぎる場合に一旦判決をもらって高裁での若い前提で控訴になる事例が圧倒的多数で、(1審の和解ではまだ・判決は予想でしかない・弁護士からこれまでの流れでは、こちらが勝ちそうとか負けそうという予想でしかないので、判決が出ると読み違いがあります・・勝敗がはっきりしないで、どちらも強気になるメンがあるのですが、高裁では一審での勝敗が決まっているので、(高裁が記録を読んだ結果勝敗をを逆転させる気持ちがなければ)すぐに1審判決線上での和解手続きに入るのが普通です。
上記の通り労働法分野では、借地法の正当事由のように長期裁判を必要としなくなって来たのですが、その代わり(三菱銀行の例で分かるように)事業分野変更の場合、(遅刻が多いとか失敗が多いなど)個別事情によらずに画一的大量処理が必須ですので、もともと個別事情中心の裁判に馴染みません。
企業も個人もお互いに個人的感情の行き違いでもめているのではなく、トラブル・裁判までしたくないのですから、トラブルのない場合も金銭で解雇できるスキームができないかというのが、最近の議論です。
今朝の日経新聞朝刊19pには、成長分野シフト企業の収益貢献例が出ています。
以下は私の要約です。

「① ミネビアではスマホ向け液晶部品を中心とした電子部品事業が急成長している。7年前には機械加工事業が営業利益の8割を稼いで電子部品は2割に満たなかったが、携帯電話の普及を見越して世界最大手だったパソコン用キーボードから撤退した」
② 大和ハウス工業は、人口減を見据えて住宅部門から事業施設へ転換して成功している
③ TDKはスマホ向け2次電池などフィルム応用製品で6割を稼ぐ,数年前まではパソコン用ハードデイスクの磁気ヘッドを中心とした磁気応用製品が利益の7割を占めていた。
④ 日産化学は、動物向け医薬品強化・・1割に満たなかった農業化学品事業がでは稼ぎ頭だ

果敢な事業転換には畑違いの方向への社内配置転換では(基礎的技術が違いすぎて)無理なので、短期間での人材入れ替えが必須です。

国家的事業と自治体の拒否権3(外国人参政権1)

与那国島の例を見ると、レーダー基地1つ作るのにも地元住民同意が要るのに驚く人がいるでしょう・・私は少なくとも驚きました。
October 11, 2016「米軍の立証責任(不逞鮮人がいたのか?)2」前後で占領軍による検閲を通じたマスコミ・教育界の支配の浸透について書き始めてその後マスコミや教育界の左翼文化人の成長を書いているところで、話題が横に逸れていますが、その到達点の1つと言うか外国人の住民投票を主張する勢力が増えて来たことが分ります。
中央政府が何を決めてもそれを国内のどこかで実施するためには、(1昨日の新潟県知事選挙の結果原発再稼働について、原発再稼働について知事同意を得るのが困難になったと言う報道です)地元自治体の同意が必要になって来たことと、これと平行して自治体参政権や自治体職員への外国人に対する門戸解放運動の進展は、占領軍の残したことではなく米軍の意向に率先反応・迎合して、大義無視→ドンドン個人主義思想・地域エゴ拡張に精出す人を増やして来た成果の到達点と言えるでしょう。
国防問題を決めるのに、地域にいくらお金が落ちるかが争点になっているというのですから嘆かわしい低レベル化が進んでいます。
共同体意識に基づいて国防問題を議論すべきとすれば、共同体構成員でない外国人がこの議決に何故参加すべきなのかよく分かりません。
外国人にも自治体選挙権を与えるべきと言うのが、共産党や公明党や民主党の主張だったと思いますが・・。
10月15日現在のhttps://ja.wikipedia.org/wikiからの引用です。
外国人参政権
民主党・公明党・日本共産党など各党は、上記「傍論」を根拠の1つとして、外国人地方参政権付与法案を提出している。ただし、その対象者は、「傍論」が想定していた範囲(特別永住者のみ)を拡大し、一般永住者にまで参政権を付与することを想定している。民主党賛成派議連の2008年提言では、一般永住者にまで参政権付与対象を拡大する理由として「(両者)いずれも、我が国において地域社会の一員として、日本人と同様に生活を営んでおり、その点において本質的な差異はない」と住民権(市民権)を模範にした」
上記の民主党などの主張に呼応する自治体があって、自治体によっては外国人にいろんな関与権を認めるようになっていますが、昨日紹介したとおり与那国島では正に自衛隊基地設置の可否を決める国家的重要テーマの決定まで定住外国人の投票権を認めていることが分ります。
日常生活に密着した決定・どこに信号機をつけるかゴミステーションがどこに必要かなどの日常テーマでは外国人も日本人にも差をつける必要はないと言う主張には合理性があります。
ところが国防や列島全体の産業構造配置・・国レベルで決めるべき重要問題の実施段階で地元自治体が最終決定権..事実上の拒否権を持っている我が国では、こう言う権限のない諸外国の例を持って来て外国人でも居住している以上参政権を認めるべきと言う論理、説明は実態の虚偽説明、無理があります。
本当の日常的決定・例えば自治会役員やPTA役員のなり手がなくて困っている現状からみても、外国人参政権付与運動の本音は日常的決定参加にない・・国策その他重要事項決定への住民参加に関心があっての事と推測されます。
外国人参政権付与を主張しているグループや政党の実際の運動を見ても、国政レベルでは少数の支持しか得られない野党の主張を実現するために・・例えば自衛隊違憲論や成田空港反対論→現地反対運動の激化・・国政レベルでは全く支持されていない少数意見を自治体レベルの運動として実現しようとしているかのように見えます。
成田空港開設を例にすると空港設置段階で現地に入り込んで一坪地主と言う濫用的権利者を創設して反対運動を展開していましたが、こう言うことが許されると国政で決めるべき航空政策を地域限定の敗者復活戦が出来ることになります。
既存空港で見れば、各地で騒音被害による飛行差し止め訴訟が行なわれているのも、国政レベルで決めた(日本の発展のために空港が必要と言う政策決定・・空港など不要・・国際社会の航空機時代到来に遅れてしまえば良い?と言う意見が国政決定の場で負けた)ことを司法の場に移し替えて敗者復活戦をしている構図です。
こう言う争いばかりして国の政策実現妨害が続いたことによって、成田空港の拡張一つとってもものすごい時間がかかる結果、日本が国際ハブ空港競争に遅れをとった原因であり、もしかして彼らが日本戦後復興や発展妨害意図で運動しているとすれば、その成果が出ていることになります。
いわゆるネト右翼によれば「反日野党」と言う定義ですが、私にはそれが正しいかどうか真偽不明ですが、外国人の参政権が認められる地域がドンドン広がる・・参政権の認められる外国人の範囲も徐々に広がり、決定参加事項が広がって行くと中韓から意図的送り込みが行われるようになるリスクが高まります。
意図的に送り込まれている外国人の場合、日本発展のために決めるあらゆる政府施策に反対=野党支持層に回る読みがあるから外国人の参政権実現に熱心になっていると言う見方もま成り立ちます。
国家プロジェクトに対して住民参加権を与える議決があちこちの自治体で増えて行く・・結果的に国政の少数者が国政で認められない意見に基づいて現場施行段階で国政実行を阻止出来る仕組み構築を長期間掛けて構築して来たことになります。
国政段階では1票の格差違憲論を展開して、国政決定の権威失墜を狙いながら、足下では・・過疎地・・絶対的少数派が国政実施を阻止する権利を着々と植え付けてきたのが戦後政治です。
1票の格差があって、全国の得票率の少ない方が政権を取る逆転現象があれば・・その疑いがあるならば事前に問題視すべき違憲状態ですが、4〜5百人もいる代議士の内、2〜3の選挙区の人口が比較的少ないだけでは、(その選挙区人口が増えればその選挙区の当落が逆転する保障もないし、仮に数名入れ替わるとしても・・あるいはその選挙区代表が一人減っても)与野党の代議士数が僅差でない限りトータル政権正統性に何の関連性もありませんから、ソモソモ違憲状態を言う判決自体が野党系の主張に偏り過ぎているし、マスコミも大騒ぎし過ぎています。
この後で選挙前に住民移動する戦略が普通に行なわれていることを書いて行きますが、これを実行しているのが野党中心であるコトと、全国的選挙結果にそれほど影響がないためにマスコミは全くこの弊害を報じていません。
1票の格差問題は、結果に大きな影響がない・・もしかしたら結果に全く影響しないのに何故これだけをマスコミが選挙の都度毎回大げさに騒いでいるのか?
他方で国政段階で決めたことを実行段階で小さな自治体が覆せる・・あるいは成田の一坪地主運動のように何十年も遅滞させられる国家の基本に関する不都合を何故報道しないのかの疑問です。
1票の格差論の大宣伝は、国政選挙は正統性がないが、(外国人参政家付与を主張しながら)自治体選挙の方には正統性があるかのようなイメージ操作が疑われます。

国家的事業と自治体の拒否権(国家意思形成システム破壊)2

警察や災害対応制度ばかりではなく、原発や軍事基地設置・首都圏水源地など国家的大事業・関心のある事柄についてその是非を地元自治体が最終決定して行く・・占領軍が残して行った基本的制度設計・・地元の同意がないと何も出来ない仕組みの是非を議論して行く必要がありそうです。
近年の中国軍の激しい挑発・進出に備えた与那国島への自衛隊駐留の可否を15年に住民投票で決めていましたので、これを例題として考えて行きましょう。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/02/22/yonaguni-referendum_n_6729828.htmlからの引用です。
「国境の島」として知られる日本最西端の与那国島で、自衛隊配備の是非を問う住民投票が2月22日に実施され、即日開票の結果、賛成が過半数を占めた。47NEWSなどが報じた。
住民投票で問われたのは、陸上自衛隊の沿岸監視部隊約150人と沿岸監視レーダーの配備の是非。防衛省は南西諸島の防衛強化の一環として2015年度中の配備を目指していた。与那国島は中国・台湾が領有権を主張している尖閣諸島から約150キロ、台湾から約110キロの位置にあるため、監視部隊を通じて航空機や船舶の動きを把握する狙いがある。
■賛成派と反対派で島を二分する争いに
与那国島への自衛隊誘致は、2008年に町議会が決議をしてから約6年半が経過したが、島内は誘致賛成と反対で二分されてきた。町長選や町議選のたびに賛成、反対両派が激突した。
2013年に行われた前回町長選では、賛成派の外間守吉町長が3選を果たした。ただし、票差は47票に過ぎず、反対派の勢いは衰えなかった。
時事ドットコムによると、同島の全域を占める沖縄県与那国町の人口は約1500人で、有権者は永住外国人も含む中学生以上の1276人。投票率は85.74%だった。朝日新聞デジタルによると、開票結果は賛成632票、反対445票、無効17票だった。」
国家防衛の基地を設置することについて、最果て・国境付近の自治体が拒否権を持つことが合理的でしょうか?
泣いて馬謖を斬ると言い、医療で言えば、より重要な身体部位を活かすために身体の一部を切除したりきつい薬を飲んで胃腸が一時弱っても構わない・・全体のために一部に負荷をかける・・一部に犠牲を強いるのが生命体・組織維持の原則です。
その部位を全体の犠牲にするのが可哀相と言って放置していると全体が壊死したり、脳梗塞の場合で言えば出血していないところから切って脳の止血手術をするのはおかしいと行って拒否しているとドンドン出血してしまうし、その他の傷病でも一部に負荷をかけるのが嫌がって、出血止めのために包帯で縛ることさえ許さなければ、病原菌・毒素が全体に回ってしまったりして全体が死んでしまいます。
国防のための軍事基地は論理的に国境付近・・過疎地・・身体で言えば身体の端にあるのが古代から原則です。
険しい山地や絶海の孤島には当然人口が少ないのですが、僅かの人口が真っ先に攻撃されるからイヤだと言えるとすれば、もっと国境から下がった人口50万の地域も基地を置いて攻撃されるリスク・・1億のための犠牲はイヤだと言える理屈ですから、順次これを認めていると国防は成り立ちません。
基地設置に関して自治体が決める権利のある国は、およそ主権国家=自国の安全を自国で守る国においてはあり得ない選択と思われます。
自治体が自衛隊基地の設置や自衛隊の出動の可否、水源地のダム設置など国家維持に枢要なことを全部最終的に決める仕組みは、国家存続に必須のことを国家自体が自分で決められないことになります。
連合国や連合軍ならば要請がければ応援する必要がないのですが、1つの国である限り国境の町の要請がなくともそこで守らないと国全体が守れない場合や損害が拡大してしまう場合があります。
その街が防衛の要衝であるかどうかは中央政府の判断事項であって国境の町が自分で決めるものではありません。
どこで国を守るべきかの判断すら出来ない政府は・・政府としての機能を果たしていない・・国家統一出来ていないのと同じです。
ありとあらゆる組織や団体で自分の団体の行動を自己決定出来ない仕組みであるとしたら、「団体」とは言えないでしょう。
自治体が国防その他国家の重要事項に事実上拒否権があるのでは、独立国・主権国家のあり方としては本来不合理ですから、・・占領軍は、占領後武装解除の延長として非武装憲法を強制した外に日本国の統治気候そのものを機能出来ないようにしてしまう目的があったかのようです。
仮に将来今後軍備を持てるように日本が法改正しても、簡単に軍事基地を各地に設置し難いし、出動すら出来ない仕組みを作っておいたことが分ります。
警察制度や災害対策の外、占領軍の置き土産は統一国家としての運営を困難にするための制度設計でした。
中央政府が決めても実施するべき地域には必ず自治体があるので、実施するべき土地の自治体の同意がないと政策が何も実行出来ない・・連合国のような関係になっています。
例えば国立研究所・博物館・音楽ホール設立を決めても、地元での建設工事や開発行為には知事や市長の許認可がいります。
こう言う施設は歓迎するばかりで問題がありませんが、政治的意見の対立する分野では国政選挙で決まったことを小さな村や町の多数決でひっくり返せる仕組みです。
政府意思が貫徹出来ない制度設計(テロや敵国への空爆等は敵国の各種行為が予定どおり進まなくすることが目的ですから同じ効果を狙っています)が完成したのは、共同体利益を無視し、大義より、個人(地元)利益の飽くなき主張・小義を重視するように人格改造を目指していた効果が出て来た結果と思われます。
報道によると基地誘致によるメリットが当初想定より少ないと言うことで、賛否が拮抗して来たと言う報道がありました・・。
原発誘致も同じで地元に資金がいくら引っ張れるかその後の雇用がどうなるかが実質争点になって久しい・・何事も個人利益・地域エゴ思想が根付いてます。

国家的関心事と自治体の拒否権(国家意思形成システム破壊)1

ソモソモ、独立国家で治安維持に国家的責任を持つべき・・国家警察・実動部隊を持たない国が日本以外にあるのでしょうか?
占領軍は日本の「武力」部分を徹底破壊し尽くす目的であったことが分ります。
日本は独立後もアメリカのご機嫌を損なうことが出来ず、自治体警察の基本を変えられないまま現在に至っているのです。
占領軍による警察の組織力破壊ばかりはなく、福島原発事故対応に際して、消防出動が各都道府県知事または自治体首長の権限(石原都知事が何か不満を言っていたことが報道されていましたが国家的大災害に際して、国家・政府が直截出動命令を出せない仕組みになっている状態が報道されていましたが、国家規模の大事件に対しておかしいと思った人が多いのではないでしょうか?
これまでも大災害・・神戸大地震のときだったか自衛隊の応援要請が遅れた知事がいて問題視されたことがあるように思いますが、・・国家的大災害でも知事の意見次第と言うのは、国家のあり方としておかしくないでしょうか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/阪神・淡路大震災
「自衛隊については、地震発生数分後には行動を始めたものの、阪急伊丹駅へ近傍派遣(災害派遣)を行った第36普通科連隊を除き、神戸市中心部への災害派遣は直ちにはなされなかった。第36普通科連隊は、「近傍派遣」(自衛隊法第八十三条三項)によって出動しているが、他の部隊は知事の要請(自衛隊法第八十三条一項)の待機状態になっていた。」
「こうした状況把握の混乱の中、派遣要請は、地震発生から4時間後に自衛隊との電話が偶然繋がった野口一行・兵庫県消防交通安全課課長補佐(当時)の機転で行われ、知事へは事後承諾となった」
タマタマ中間管理職の機転で出動出来たと言う偶然によっているようです。
災害対策基本法
(昭和三十六年十一月十五日法律第二百二十三号)
(国の責務)
第三条  国は、前条の基本理念(以下「基本理念」という。)にのつとり、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護する使命を有することに鑑み、組織及び機能の全てを挙げて防災に関し万全の措置を講ずる責務を有する。
2  国は、前項の責務を遂行するため、災害予防、災害応急対策及び災害復旧の基本となるべき計画を作成し、及び法令に基づきこれを実施するとともに、地方公共団体、指定公共機関、指定地方公共機関等が処理する防災に関する事務又は業務の実施の推進とその総合調整を行ない、及び災害に係る経費負担の適正化を図らなければならない。
3  指定行政機関及び指定地方行政機関は、その所掌事務を遂行するにあたつては、第一項に規定する国の責務が十分に果たされることとなるように、相互に協力しなければならない。
4  指定行政機関の長及び指定地方行政機関の長は、この法律の規定による都道府県及び市町村の地域防災計画の作成及び実施が円滑に行なわれるように、その所掌事務について当該都道府県又は市町村に対し、勧告し、指導し、助言し、その他適切な措置をとらなければならない。

上記を見れば分るように警察庁法同様に政府は企画立案する程度でイザと言うときに統括して指揮命令出来る権能を書いていません。
指揮命令権がない前提で政府からの勧告や助言、自治体間の「協力」を強調しているだけです。
「協力」と言うことは自治体の首長次第で協力しない権利が留保されていることになります。
アメリカではハリケーン・カトリーナの大災害に際しての連邦政府の対応の不手際があって議論が続いているようですが、以下の論文を読むと、アメリカでは連邦政府成立独立戦争の歴史経緯があって、州軍・民兵と言うモノがあって、第一次的に州の軍隊が出動する前提があったところ、ハリケーンカトリーナでは、州単位では対応し切れない大規模災害になったことによるものらしいです。
http://www.mod.go.jp/msdf/navcol/SSG/review/3-1/3-1-4.pdf
海幹校戦略研究2013年5月(3-1)
48米国における軍隊の国内出動
―「カトリーナ」が残したもの
―井上 高志
本文省略(自警団?に始まる軍の歴史を説き起こしていて内容がありますので、関心のある方は直接お読み下さい)
日本の場合県単位の軍が元々ないし、アメリカの各州とは比較にならないほど地方自治体の規模が小さいのですから、県知事の要請(自治体軍で手に負えないときだけ?と言う前提がありません)が出てから出動する仕組み自体が不合理です。
要請がなくとも大災害があれば救援は一刻を争うのですから自動的に災害救援部隊は救援出動出来る・・職権発動形式にすべきです。
消防署やパトカーは被害者の救援以来がなくとも出動しています・・被害者・・被害が県単位の大規模になったときだけ、県知事の救援依頼手続を要求するのは矛盾です。
(大規模災害のときは被害甚大で却って急ぎますし、遠くから来てもらうには時間がかかります)
兵力は「悪」と言う非武装論同様の前提思想があって、依頼がない限り助けてはいけないという逆立ちした思想に縛られているからです。
EUやイギリス(連合王国)、アメリカ(合衆国と翻訳されていますが、国家形態としてはUNITED STATE . 連合・連邦国家です)ドイツも連邦制ですし、欧米系の国は、連邦・連合国が多いのです。
一定の主権国の連合体では、元々別の国が連合・連邦になっただけですから、隣の国の軍や警察が勝手に入って来るのは困るので救援要請の手順を要する歴史があるのは分ります。
EUの場合も同じでしょう。
我が国の場合列島全体が古代から同胞意識であり、現在の県単位は明治初期に中央政府の都合で決めた括りでしかありませんから、県単位で対立するための軍隊や警察を持ったこともないし、・・それぞれの民族意識や敵対意識がありません。
大災害が起きたら、隣の県の警察だろうと消防だろうとどちらでも良いから、速く助けに来て欲しいものです。
このため消防組織に関しては市町村の枠を越えた助け合い・・広域消防組合が出来て協力に留まらず(協力要請→承諾→出動ではなく)自動的な関係=出動指令体制の一本化が進んでいますが、これでも同一県内だけです。
県境を越えると飽くまで協力要請がないと何故行けないのか?
欧米流の自治・ステート概念に学者が毒され過ぎていると思われます。
欧米のステートと都道府県は全く成り立ちが違うのです。
国家とはどういうものか?
欧米の概念を翻訳してその制度をそのママ、国情・歴史の違う我が国に導入するのではなく、実質・成り立ちに遡って考え直すべき時期が来ているでしょう。

国債無制限発行3(ロンバート型融資システム2)

ロンバート型融資による国債引き受けの場合、4月2日に書いたように既発行債引き受け資金の必要性は事実上一旦ゼロになったようなものですが、既発債が担保ですのでその担保掛け目範囲しか融資出来ませんので、追加発行分の引き受けがどうなるかが気になります。
例えばロンバート型融資を始めたときに国債発行残高が1000兆円あった場合を例に考えると、以後満期が小刻みに来る都度全部を日銀融資で引き受けさせて行くと、既発行分が全部償還されたときには既発行分の1000兆円が全部日銀融資と入れ替わってしまい、民間の引き受け資金分はゼロ・・即ちその分全部民間に回収済みとなります。
同額の資金分だけ、国内にはなお国債引き受け余力が民間に残ります。
元々預金の使い道がないことから銀行救済目的も兼ねて(本来の目的は国内需要不足の穴埋めですが・・・)国債が発行され続けているとすれば、1000兆円もの使い道がなくなるのでは銀行その他金融機関が参ってしまうので、実際にはそんな極端なことは出来ません。
バブル崩壊前から銀行その他金融機関は集まった資金の融資先あるいは有効利用方法がなくて、今でも困っている状態がずっと続いています。
(銀行は国債を買えなくなると融資先のない預金を無駄に仕入れたままになります・・国内個人金融資産は銀行に限らず生保・年金・郵貯などもありますが、これらは運用難のために今事件になっているAIJ詐欺などに引っかかり易い状態です)
資金余剰国では銀行の融資機能が衰退するのは当然ですから、銀行の存在意義自体を見直すだと言う意見を以前から書いています。
実際にはロンバート型融資による金融機関の引き受けは、金融機関等の引き受け能力(投融資先不足であまった資金で引き受けられる額)を越えた資金不足分だけ日銀が融資すれば足りるので銀行等の引き受け業務を圧迫することはありません。
イザというときのためにロンバート型融資に道をを開いたというだけで実際には極く僅かな金額分だけ・・緊急避難的に行うことになっているので、実際にどれだけ発動されているか分りません。
担保価値の範囲内しかロンバート型融資が出来ないとしても、例えば発行残高1000兆円全部の国債が同時に満期が来ない・・例えば、年1回ではなく小刻みに償還期限が来るので、個別に期限の来る国債ごとではホンの少しずつの償還資金ですみます。
(ネットで見ると平成16年6月時点での長短合わせた発行額が出ていますが、当時月間平均10兆円平均の発行だったようです)
仮に借換債100億円分の内資金不足分10億円だけ融資を受けて100億の国債を購入すれば、直ぐ後で額面100億円の国債が償還されるので、その借金は即時に全部返済出来ます。
その数日後に入札があっても同じ繰り返しですから、超短期間内の10億の融資と返済の繰り返しでいくらでも回転する仕組みになります。
こうして見れば全体で1割の書き換え用資金不足としても、1000兆の1割が一時に必要ではなく小刻みに発行される発行額の1割の不足・融資の繰り返しで足りることが分ります。
償還額と同額の書き換え用資金がロンバート型で賄えるとしても、プラス増発分の資金が不足する場合はどうなるでしょうか?
書き換え用には3億円の新規発行で足りるが、赤字予算のための追加発行分2億円との合計5億の発行をする場合、5億満額を借りれば(満額不足はあり得ないでしょうが・・・仮定の計算です)直ぐに満期償還されるのは3億しかないので2億分は直ぐには返せなくなります。
(担保に入れる国債は直ぐに満期が来る物ばかりではなく、その先に満期が来る物も合わせても良いでしょうから5億まで借りることは可能です)
数ヶ月先に来る国債を担保にしているとそのときに返せますが、その代わり数ヶ月先に担保にするべき国債を先取りして担保使用してしまってることになりその分更に不足して行きます。
次の償還期日である数ヶ月先までに民間資金余剰(貿易黒字ないし経常収支黒字)が生じていれば良いですが、同じように不足しているとした場合の話です。
ロンバート型融資に頼る場合、同額の書き換えなら問題がないですが、追加型増発を繰り返した場合に上記のとおり資金不足が顕在化してきます。
しかし、上記は発行額満額の資金不足で満額を借りる場合のことで、一般的には1割とか5%足りないだけでしょうから、書き換え用国債3億の内1割の3000万円と追加用2億円分をそっくり借りても、そのときに償還される国債が3億あれば十分返せます。
その次に満期が来たときには、合計5億が日銀融資の担保国債なので融資枠が大きくなります。
利払い費あるいは新たな復興資金用などのために国債を増発する一方になった結果、もしも個人金融資産を越えて発行残高が2000兆円〜3000兆円になっても、書き換え債の引き受け資金の不足は上記の例で分るように小刻みに償還して行くので個人金融資産を越えた分と同じではありません。
仮に個人金融資産1500兆で国債発行残高が3000兆の時に、(個人金融資産だけが引き当てではない点は後に書きますが、ここでは仮の話です・・)引き当て不足するのは1500兆ですが、実際には満期・書き換えが一度に来ないのでその数%に過ぎません。

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