希望の党の体質・代表選候補者の主張

小池氏は共同代表制の奇策によって完全失脚を防ぎ、今後都政での実績次第による国政復帰への足がかり・・首の皮一枚だけ残せたことになります。
ただし、都民の目は厳しくなっています・・前担当者の吊し上げ目的の築地移転騒動・・・これによって遅れていた移転の日を数日前に決める予定だと報道されていましたが、以下の通り決定が先送りになりました。
・・オリンピック会場騒動などリセットと称して何も決められない政治を都民が期待しているのでしょうか?
希望の党内部では傷口を舐め合うような馴れ合い的留任ができるでしょうが、実害のある都民の目は厳しいものがあります。
http://www.sankei.com/politics/news/171109/plt1711090031-n1.html

2017.11.9 21:03更新【豊洲移転】豊洲開場日の決定先送り 地元懸念で協議会中止
築地市場(東京都中央区)の豊洲市場(江東区)への移転問題で、都は9日、豊洲の開場日を決めるために市場業界側と予定していた10日の協議会の開催を中止すると発表した。これに先立って江東区が小池百合子知事の豊洲移転・築地再開発の方針をめぐって現状での豊洲市場受け入れに懸念を示すコメントを出し、業界側が開場日を決めるような状況ではなくなったと都に申し出た。
業界団体で作る築地市場協会の泉未紀夫副会長は、開場日決定には都と江東区の関係修復が不可欠と指摘。「知事ご自身が動かなければ、しようがない。都政専念とはそういうことだ」と注文。

風が吹く間黙っていた利害関係者の注文も、風が止むとその反動で厳しくなります。
国政で大負けしたあとを受けて風向きを変えようとして「都政専念」と宣伝するだけでなく、政治家は政治家らしく関係者間の利害調整に汗をかいて欲しいという厳しい現場の注文です。
つい先日も埋立地の帰属を巡る江東区と大田区の利害調整に都が失敗して大田区が訴訟提起する前代未聞の事態になったばかりで、メデイア界でのパフォーマンス戦術で生きて来た小池氏が本当に具体的利害調整の必要な都政をできるのか正念場が始まります。
利害調整政治をするには(数日前に勇将の下に弱卒無しと紹介したように)都知事一人ではできませんので、トップの意を体して手足となって根回ししてくれる人材が必須ですが、内田前自民党都連幹事長の根回し政治をブラックボックスと批判して来た咎めが(都民ファーストの離党騒ぎの原因も要は根回し不足です)今後自分に降りかかって来ます。
都民の小池氏に対する現在の評価が11月13日に葛飾区議会議員選挙結果で出ましたが、これによると定員40名中都民ファーストの当選者がたったの1名というニュースです。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/

時事通信
都民ファ、当選1人のみ=小池人気衰退続く-東京都葛飾区議選
任期満了に伴う東京都葛飾区議選が13日開票された。定数40に対し59人が立候補、16人を擁立した自民党は12人が当選、公明党は9人全員が当選した。小池百合子知事が特別顧問を務める地域政党「都民ファーストの会」にとって初めて挑む区議選となったが、候補者5人のうち当選は1人にとどまった。
小池氏は、自ら率いた希望の党が10月の衆院選で敗北。衆院選に続き苦戦を強いられた今回の区議選は、小池人気の衰退を改めて印象付ける結果となった。

区議選とはいえ、都知事与党が40分の1しか当選しないで(もしも都民全体がこの比率でしか支持していないとすれば)都知事が何を言っても「お手並み拝見」と冷ややかな姿勢に徹するでしょうから)利害調整の必要な難しい問題の処理できるか?という印象です。
小池氏は以下に紹介する希望の党代表選挙の結果を受けて、新代表と会談し数日前に順調な2人代表制を演出したばかりでしたが、上記都民の厳しい審判を受けて、希望の党代表に止まる(2束のわらじを履くの)は得策でないと判断したらしく、14日に突如辞任発表したようです。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/

【小池代表辞任】希望の党分裂の引き金か-所属議員は淡々/ar-BBEXbYW

今朝の日経朝刊では概ね当然の論調でサプライズ性がない・・いわば遅きに失した・・・もっといえば、都政で実績を上げた上で、その実績をもとに知事を辞任して国政に出るべき手順・・体制が整わないならば整うまで4〜5年でも待つべきであるとこのシリーズで4〜5日前に書きましたが、元々国政進出が無理筋であった・/当然の結果という受け止め方が大方のようです。
民進党系議員にとっては、小池氏がいなくなれば気を使う必要がなくなり、元々の持論(民進党員であったときの主張)に基づく自由な政治主張が出来るという淡々とした受け止め方のようで、そうなると民進党系議員は保守系という希望の党の看板だけ丸々手に入れたことになります。
看板ではわからない希望の党の本来的体質を見るために4〜5日前に行われた希望の党代表選の立候補者2名の主張を紹介します。
総選挙後の希望の党の当選者50中45名が民進党系との報道でした・代表選では議員53名と出ているので、参院の議員が3名いるのか?その後に誰か3名加入したのか(今のところ私には)不明です。
民進党出身者2名が立候補して代表選がおこなわれましたが、その主張は以下の通りです。

TOKYO MX
2017/11/08 に公開
民進党出身議員による一騎打ちとなった「希望の党」の共同代表選挙は、その結果が今後の党の在り方や、代表を務める東京都の小池知事との関係にも影響してきそうです。共同代表に立候補したのは共に民進党出身の、玉木雄一郎衆院議員と大串博志衆院議員の2人です。
2人の候補者は共同で記者会見を行い、争点となっている憲法改正などの考え方を示しました。
憲法改正について大串氏は「地方分権含めたことに関しては大いに議論はあってもいい。ただし、一方で9条の改正に関しては、いまは不要」、玉木氏は「9条を含めて議論すればいいと思うが、優先的に議論するのは地方自治や解散権の制約」だと述べました。  安保法制に関して大串氏は「集団的自衛権を含む安全保障法制は、容認していないという立場。その上で、現下の安全保障環境に鑑み、現実的な外交安全保障政策を取っていく」、玉木氏は「既存の法律に溶け込む形で改正が行われている。根っこから自衛隊法を全部廃止するというのは現実的ではない。従来の憲法解釈に合致するような形に具体的な条文改正を提案していく」としました。  小池代表との関係について玉木氏は「国会のこと、国政のことは、一義的には私たちがしっかりと責任を持つ。代表は小池代表だから、よくコミュニケーションを取って、しっかりと連携して進めていきたい」、大串氏は「相談や連携連絡を取るのに、非常にフットワーク軽く動くたちなので、しっかり連携を取れていけるのではないかと思う」と述べました。 」

上記によれば、公約や公認条件の曖昧表現を利用した民進党系議員のなだれ込みの実態が如実に現れています。

都民ファーストの失速(前任者の批判ばかり?)

民進党も森友•加計問題追及ばかりで何を追及したいのか不明・・いかにも意味ありげに大騒ぎするばかりで着地点が見えない不明の言いがかりっぽいイメージが定着し、健全な国民をうんざりさせてしまった・・
あおり効果があったと喜んでいるのはメデイアだけで、これにおどろされて本来の国政そっちのけで森友・加計ばかり主張している民進党は世論調査のたびに支持率落ち込みを続けていました。
民進党や共産党系がもしも政権を握るとどんなに恐ろしい社会になるのかがが目に見えるような動きでした。
マスメデイアを味方につけて流行語を利用してイメージをふりまくだけの政治家が国政の中枢に関与するようになると、いざ政権を取っても何をどうして良いか不明のために先ずは前政権がやったことの全否定から始めるのが常套手段です。
もともとじっくり調整して練り上げた政策ではない・メデイアの無責任な聞こえの良い政策を採用するために、実行に入ると現地関係者の利害対立が起きて暗礁に乗り上げるのが普通です。
このあとで希望の党の公約を紹介しますが、「正規雇用を増やす」とか「満員電車をなくす」「電線地中化」その他など、どうやって実現するかの道筋がありません。
クールビズのようなファッション系提案はメデイアさえ味方につければ利害調整不要ですが、具体的政治実現には掛け声だけではなく(強権政治以外には)必ず利害調整が必要です。
パフォーマンスに頼る政治家が幅を利かすようになると利害調整能力不足を棚に上げていうことを聞かない不平分子?を「上手く行かないのは抵抗勢力のせい」だと吊るし上げ対象にする安易な方法になりがちです。
乱暴な政治が日常化して行くと社会分断を招き民族和合の知恵が破壊されて行きます。
マスメデイアや左翼系は何かと韓国や中国のシステムを礼賛する意識(・・なぜか中韓の不都合を一切報道しません)が目立ちますが、韓国のように感情9割の社会にしていきたいのかもしれません。
韓国では(日韓慰安婦合意した)パク大統領を許せないとなると証拠がなくとも、感情の高まる集会に合わせて思わせぶり政治におもねる検察が検挙する恐怖政治になっています。
今まさにパク大統領追及だけでは気が済まなくなったらしく、積弊清算と称してその前の李明博大統領時代の違法行為?のほじくり返しが始まっています。
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/

10 時間前朝日新聞デジタル
韓国の李明博元大統領は12日、文在寅(ムンジェイン)政権が進めている保守政権時代の高官らの摘発について「政治報復ではないかと疑い始めている」と批判した。記者団に対して語ったもので、「国論を分裂させるだけでなく、重大な時期にある安保や外交の助けにもならない」と述べた。李氏は保守派で、2008年から5年間、政権を担当した。
韓国検察は11日、李政権と朴槿恵(パククネ)政権で安保政策を担当した金寛鎮(キムグァンジン)元国防相を軍刑法違反(政治関与)の疑いで逮捕。金元国防相には李政権時代、韓国軍に命じて、インターネット空間に与党に有利な書き込みをするように指示した疑いなどがかけられている。
韓国検察は、同事件をめぐって情報機関の国家情報院幹部らの事情聴取も続けており、年内にも李元大統領への事情聴取に踏み切る可能性が高まっている。

こういう前政権批判・中国文化大革命式の根拠なき吊るし上げ〜韓国風社会実現を理想化しているのが、日本の革新系政治家やマスメデイアです。
日本では、こんな幼稚な振る舞いをほとんどの人が支持していないことを表しているのが、思わせぶりばかりで一種の吊し上げ政治に狂奔して(もしも多数党が行えば簡単に特別委の多数決横行・粛清に結びつくでしょう)大事な国会審議を空転させている民進党に対する支持率激減の原因でした。
政党は評論家集団やシンクタンクではなく政治実務家集団であるべきですから、党内意見をまとめてしかも実現できる政策を主張して行かないと信用を落とすばかりです。
標語が立派でイカしていれば政治が出来るのではなく、多角的利害を根気よく調整し関係者の納得出来るところで決めて行くのが政治家の力量です。
11月11日頃に、ベトナムのダナンでのAペックの首脳会談と並行して行われたTPP11の交渉で大筋合意に至ったのがその典型で、まとめ役の日本の政治家・官僚はよくやりました。
鳩山氏の「少なくとも県外へ」のフレーズは実現すべき根拠(利害調整)のない主張であったことが象徴ですが、その他「埋蔵金を出せば赤字財政を解消できる」とか、八ッ場ダム工事廃止主張も一旦停止したものの、結局再開するしかなかったこと・実態無視の主張をしていたことが原因で信用をなくしました。
小池都知事の五輪会場や築地移転の見直しも何のために騒いだのか不明・そっくり同じ経過です。
そこで前原〜細野氏ら民進党グループと小池氏が語(謀って)らって決めたのが(観念論の左翼系切り捨ての)合流方針だったでしょうが・・これが国民の希望の党に対する疑念を引き起こす一方で、小池氏の自己中心主義というよりも組織運営能力(結局は根気の良い根回し)不足が表面に出てしまいました。
「国家の運営を任せてくれ」という政党には、有言実行・実務(利害調整)能力が必要なのですが菅元総理に代表されるように市民運動家中心・・批判経験しかなくて自分は何もできない人の集まりでは困ります。
味にうるさい「通」の客が自分で料理できるのかということです。
民進党自身でもこれに気がついているからこそ蓮舫前代表は政策提言・原発廃止で勝負しようとしたのですが、支持労組内の利害対立があるのに利害調整をしなかっために公式発表前に足元をすくわれ都議選大敗北の結果辞任表明するしかなくなりましたが、前原氏も対案を出せる政党を目指したのですが、山尾不倫騒動で出鼻を挫かれました。
仮に前原氏の党運営が始まって何か具体的政策提言しようとしても、民主党〜民進党はもともと結党時に旧社会党系議員を大量に受け入れていることから、どこまでいってもまとまりようがない宿命ですから、無理だと思っていたでしょう。
今回の総選挙を前にしてどうにもならない頑固左翼系議員を切り捨てて希望の党へ合流すると言う意思表示が「排除論理」ですが、この論理の延長で考えれば、希望の党への民進党系議員の大量受け入れ自体が希望の党内での意思統一の壁になっていくのが目に見えています。
民進党員が9割も占める党になれば、希望の党の「実現可能な政策提言をしていく」という結党理念を、民進党的(彼ら的には中道思想と信じているようですが・・)思想が縛っていく・旧社会党系議員が重しになって、民主党時代から現実的政策提言ができなかったことを繰り返すことになります。
この後で代表選立候補者の主張を紹介しますが、それぞれが出身母体民進党時の主張を引きずるしかない状態が如実に現れています。
希望の党失速を受けて小池氏の責任・進退問題を受けて、「創業者利益がある」という小池氏が辞任しないままの解決策・・民進党系議員にとっては義理があって直ちに解任できないので、小池氏単独代表から共同代表制に変更した上で代表選が行われましたので立候補者の主張を明日紹介します。

希望の 党失速の真因・渡辺喜美氏の発言

上田、音喜多両氏の経歴では「みんなの党」が出てきましたが、みんなの党創設者の渡辺喜美氏は希望の党創設に影で関与していた記憶です。
渡辺喜美に関する11月5日現在のウィキペデアの記事です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%96%9C%E7%BE%8E

渡辺 喜美(わたなべ よしみ、1952年3月17日 – )は、日本の政治家。参議院議員(1期)。
衆議院議員(6期)、内閣府特命担当大臣(規制改革)、内閣府特命担当大臣(金融)、みんなの党代表(初代)、日本維新の会副代表を務めた。
父は元衆議院議員で副総理、外務大臣、大蔵大臣、通商産業大臣等を歴任した渡辺美智雄
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙が間近に迫った同年9月に小池百合子による希望の党の設立に影の存在として関わり[10]、衆議院栃木3区へのくら替え出馬に意欲を示していたが[11]、小池側の要請で出馬断念し[12][13][14]、代わりに妹の渡辺美由紀を栃木3区から希望の党候補として擁立したが落選[15]。その後、「当面は無所属議員として仕事をやらせてもらう」と述べ、希望の党に参加しない意向を明らかにした

http://www.sankei.com/politics/news/171023/plt1710230321-n1.htmlによると以下の通りです。

希望失速に渡辺喜美参院議員「排除発言でなく、民進合流が原因。保守路線に疑念」

今ごろこの記事が出ていたのに気が付きましたが、内部から(私同様の)意見が出ていたのを知りました。
希望の党創設に陰で骨折っていた渡辺氏の公式発言ですから、創設母体の有力組織であった「みんなの党」関係者が、都議選準備段階を機に民進党員の大量合流が始まった前後から脇役に追いやられる展開になっていたことが窺い知られます。
小池氏にすれば国政担当目的での旗揚げですから、所帯の小さな「みんなの党」にこだわっていられない・・もっと大きな組織を取り込むしかなかったと言うことでしょう。
小池氏の都知事選立候補〜結党に協力していた戦国時代で言えば地元小規模豪族・保守系政治家を切り捨てる小池氏流儀の民進党取り込み決定に不満をもっていたとするこの連載・・私の推測が当たっていたことになります。
離党理由によれば当初支持者切り捨て準備として?外野にうかがい知れない内部統制・・一切の意見を言わせない組織運営が始まっていたように見えます。
また巷間漏れ出ていた小池氏の資金問題その他、小池新党の全般的問題点が離党者側の意見で具体的に出ていますが、マスメデイアではほぼ無視して排除発言で失速したと繰り返しています。
排除発言がなければ立憲民主党系の支持がへらなかったでしょうが、それでは解散前の民進党支持率6〜7%にとどまっていたことになります。
頑固左翼を切り捨てて寛容な保守を標榜したので、何割かの保守票が希望の党に流れたので、立憲民主と野田氏らの無所属を合わせると元民主党系合計が120名前後になって一応焼け太りになりました。
小池氏にとっては大失敗でも、希望の党の当選者50名の内民進党出身者が、希望の45名も占めるのですから、民進党系の伸長を図る立場から見れば大成功だったのではないでしょうか。
ところで草の根の意見を大切にとか、口当たりの良い主張をする集団ほど肝心の足元・組織内意見を全く聞かない・指導者が独裁運営することが多い実態が離党者発言でモロに出てきました。
小池氏はまだ(汚職その他刑事犯罪者にでっち上げる)恐怖政治をするほどの権力を持つ前に失速したのですが、上記離党騒動をナチス台頭やロシア革命に当てはめると、一旦権力を握ると政治経験があって自分の意見を言いたがる人材はすぐさま抹殺されていたロシア革命に当てはめるとゾッとする流れになっていたことになります。
ロシア2月革命は帝政を倒して民主化を求めるものでしたが、これに成功するとレーニンはたちまち本音をむき出しにしてクーデターで政権を奪ったのを10月革命と称しています。
意見の違う・民主的選挙で選ばれた政敵を武力で追い出し殺しただけですから、これは革命でも何でもなく、ギャング・山賊行為で国を乗っ取ったものでしかありません。
その点ではヒットラーより悪質です。
その後レーニンは対抗意見を主張できる政治経験のあるグループをテロで次々と抹殺していき、レーニン死亡後スターリンがこのやり方を継承し共産党に対抗する政敵がいなくなるとこの方式を応用して党内政敵粛清に向かったものでした。
10月革命という名で始まった政敵抹殺方式はスターリン粛清に引き継がれ、結果的にイエスマンしか生き残れない状態となり第X次5カ年計画はいつも大成功のインチキ報告で埋め尽くされ・・約70年間も続いた結果、ついにソ連崩壊になりました。
むしろ革命前の帝政の方が大貴族その他各代表の意見を取り入れて漸進的改革を繰り返していた点で民主的でしたしこんなに悲惨な状態ではありませんでした。
10月革命100周年に当たる今年、ロシアでは何の国家的行事もしないことがそれとなく報道されていますが、国民が冷めているのは帝政時代よりもその後の100年の方が、国民にとって不幸な時代であった意識が強いことが現れています。
マスメデイア合体のフィーバーがもしも続いて希望の党の候補者が大量当選していたら、日本も小池氏の思いつき的キャッチフレーズに頼る大衆煽り型の政治になっていた可能性があります。
メデイア受けのする気の利いたフレーズで大衆に訴える政治手法・政策提言では、現実的裏づけがないので実務に入るとうまく行く訳がないので、その都度誤魔化すためにスケープゴートを作ってはメデイアがやんやの喝采を繰り広げるやり方に振り回されて日本社会は大変な代償を払うことになってしまうところでした。
築地移転や五輪関係見直しで見せた強引な政治手法が、国家規模で繰り返されるところでした。
彼女が国家権力を持っていないので、いかにも石原元都知事や森元総理に問題があるかのような思わせぶり吊るし上げだけで終わったのは幸いでした。
旧悪と言えるほど国民の怨嗟の声が高まっていたのならば別ですが、何が「悪」なのかすら不明・思わせぶりだけで何代も前の80代の高齢の元都知事を特別委員会に引きずり出して「旧悪?」を暴くかのような追及をするのは邪道です。
新権力者・新社長交代等で期待されていることは、今後はこういうやり方でやって行く方法や方向性の変更を示しその方針に従って新たな課題を自分が処理していくことで過去の担当者との違いを示し実践してその結果で有権者や社員・株主等から評価を受ければいいことです。
新任者は新たな実績を積めば済むことなのに、就任後ほとんど何もしないで過去に決まってすでに事業が動き出していて、現在目に見えた不都合も起きていないのに「前任者のやったことが気にいらない」という程度のムードだけで「リセット」と称して?ガタガタにするために都知事を交代したものではありません。
幸い、小池氏の言う「リセット」とは何だったのか?という不信感を広げただけで終わりましたが、これがスターリンや毛沢東のような権力者になっていた場合には、思わせぶりだけではすみません。
恐怖政治権力確立後に先ずメデイアで煽るだけあおってから「怪しい」というだけで議会で吊し上げを受けわけのわからない多数決・・問答無用で牢獄につながれ、自己批判させられて社会からの抹殺〜獄死でしょう。
小池氏がそこまでの権力を持たない内に希望の党が失速したのは、日本のために本当によかったと思っています。

小池氏の都知事選で手足となった両都議の略歴

上田都議に関するウィキペデアの略歴です
2005年、東京都議会議員選挙に千代田区選挙区から出馬したが、現職の内田茂自由民主党東京都連幹事長に敗れ、落選した。2007年、江戸川区議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選した(44人中6位)。2009年、みんなの党の結党に参加し、2011年の江戸川区議選ではみんなの党公認で出馬してトップ当選を果たした[7]。2012年、江戸川区議を2期目の任期途中で辞職し、第46回衆議院議員総選挙にみんなの党公認で東京16区から出馬したが、自民党新人の大西英男、日本維新の会前職の中津川博郷の後塵を拝し、得票数3位で落選した[8]。
2013年、東京都議会議員選挙に江戸川区選挙区(定数5)からみんなの党公認で出馬し、得票数4位で当選した[9]。当選後間もなく、東京都議会のみんなの党会派の幹事長をめぐり、上田、両角穣、音喜多駿、塩村文夏の4人の都議の会派異動届が野上ゆきえ都議により提出されたため、会派は分裂し、上田を含む4人が新会派「みんなの党」を結成した[10][11]。2014年、みんなの党が解党し[12]、都議会会派の名称が「かがやけTokyo」に変更された後は、同会派幹事長を務める。翌2015年3月7日、地域政党「自由を守る会」を設立し、代表に就任した[13]。同年、地域創生型の地方分権改革による議会改革を全国で実現をするため、全国各地の地域政党の連絡協議会である地域政党サミット(全国地域政党連絡協議会)を設立し、副代表に就任した[14]。
2016年7月、音喜多駿に代わり都議会会派「かがやけTokyo」政策調査会長に就任した[15]
2017年1月23日、所属する会派「かがやけTokyo」は「都民ファーストの会 東京都議団」に名称変更し、同時に2017年夏に予定される都議会議員選挙における地域政党「都民ファーストの会」の1次公認候補となった。同時に、自身が代表を務めていた地域政党「自由を守る会」の代表を退任した[4]。

音喜多議員に関するウィキペデアによる略歴です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E5%96%9C%E5%A4%9A%E9%A7%BF
2013年、東京都議会議員選挙に北区選挙区(定数4)からみんなの党公認で出馬し、得票数は最下位の4位ながら、初当選を果たした[5]。当選後間もなく、東京都議会のみんなの党会派の幹事長をめぐり、音喜多駿、両角穣、上田令子、塩村文夏の4人の都議の会派異動届が野上ゆきえ都議により提出されたため、会派は分裂し、音喜多を含む4人が新会派「みんなの党」を結成した[6][7]。2013年9月、会派「みんなの党」政策調査会長に就任した[8]。2014年11月、みんなの党の解党が決定され[9]、会派が「かがやけTokyo」に改称された後も引き続き政調会長を務めた(2016年7月で退任[10])。
2015年1月、みんなの党所属の参議院議員だった松田公太を党首に結党した日本を元気にする会に参加した[11]。同年11月23日、シングルマザーだった江東区議会議員の三次由梨香と入籍し、三次の7歳の長女との養子縁組を行った[2][3]。2016年1月、「日本を元気にする会」に離党届を提出し、以後は無所属で活動する意向を表明した[12]。2017年1月23日に所属する会派「かがやけTokyo」は「都民ファーストの会 東京都議団」に名称を変更し、その幹事長に就任。同時に、夏の都議会議員選挙における地域政党「都民ファーストの会」の1次公認候補となった[13]。地元の北区選挙区は東京都議会自由民主党の幹事長を務める高木啓が盤石な地盤を持っていたが、前回より大幅に得票数を伸ばしてトップ当選した[14][15]。同年7月22日、選挙後の役員人事を受け都民ファーストの会 東京都議団の幹事長を退任[16]。
2017年10月3日、小池百合子東京都知事(希望の党代表)の国政関与は政治姿勢として疑問がある、という理由で、上田令子とともに都民ファーストの会を離党することを表明し、10月5日に記者会見を行った。その後、会派「かがやけTokyo」を上田都議と2人で設立した[17][18]。

上田/音喜多両名の経歴を見ると素人野心家が小池フィーバーに乗って出てきたのではなく、その前から相応の政治経歴を有していて、都政に関する政治意見・理念を持っていたように見えますし、小池氏を盛り立てることによる理想の政治実現を夢見て、小池氏を応援してきたイメージが伝わります。
政治の現場では希望の党の設立につれて多様な政治的立場の政治家が参加するようになあると、当初理念が薄まって行くのは避けられません。
多種多様な意見の人がどっと入ってくると、当初の数人〜10数人規模のグループで作り上げた理念・カラーを守るのは不可能になります。
規模急拡大組織にはつきもののジレンマですが、こうした場合総大将自身は急拡大に比例 して対外交渉が拡大して多忙を極める結果、草創時の仲間に自分で目配りする暇はありません。
古来大成した政治家にはこれをフォローする役割・・秀吉の場合で言えば弟秀長や妻などが穴埋め役をやって行くのですが、小池氏周辺にはそのような役割を担う人材がいなかったのでしょう。
先日司馬遼太郎原作の「関ヶ原」という映画を見てきましたが、映画では若い三成が老練な家康に手もなく捻られていく様子が出ていましたが、私は周辺人材の厚さの違いが大きかったような印象を抱きつつ見てきました。
家康には手足となって政治工作をしてしてくれる老練な家臣が多数いたのに対して、新興の石田三成には先祖からの家臣がいない・・臨時召しかかえの島左近一人しかいなかった点が大きな違いでしょう。
今回の小池フィーバーの失速は、政治判断としては合流計画失敗が国民の支持を受けなかった点にありますが、人材面で見れば、(根拠不明ですが・・)世上いわれていた「人望がない」と言われる弱点がソノまま出てしまった印象です。

都民ファーストの実態4(離党議員の主張2)

昨日引用のhttps://thepage.jp/tokyo/detail/20171005-00000013-wordleafからの続きです。

音喜多氏が離党を決意した経緯
私が離党を決断した理由は大きく3つございます。1つ目は、都民ファーストの会のガバナンス、とりわけ情報公開の不徹底です。そして2つ目は国政政党・希望の党への抵抗感、そして3つ目が小池都知事の都政に対する姿勢への疑問です。それぞれ、ご説明をさせていただきたいと思います。
1つ目のまず都民ファーストの会の運営方針。とりわけ公約の一丁目一番地である情報公開が極めて不徹底な状態にあることでございます。もちろんそれぞれの職責のある方々、とりわけ都議会議員の皆さまが十分頑張っていらっしゃることは、私はよく存じております。しかしながら数度にわたる代表交代の際に象徴されるように、55人もの都議会議員がいながら、この代表人事は密室でたった3名、数名の役員によって行われ、われわれには一切の理由、その過程が知らされることはありませんでした。これでは、いつ、どこで、誰が、何を決めているのか、さっぱり分からない。ブラックボックスそのものではないのか。われわれが非難をしてきた、まさにそのブラックボックスを、今度は私たち自身がつくり出しているのではないか。そのように率直に感じています。
これは情報公開、そして民主的なプロセスという観点からも極めて重大な問題です。議員によって程度の差はあったようですが、少なくとも言論統制、取材規制、こういったものも行われておりました。私に関して言えば、ほとんどのメディアに出ることは事実上、禁じられ、議員個人の自由な意見を述べることはできませんでした。議員が自分の考えを外部に伝えるのは、民主主義の極めて重要な役割の1つです。これを制限されれば都民、有権者に十分な情報を伝えることはできません。政党としてやってはいけない、致命的な、ガバナンスの欠如ではないかと思います。
こうしたことを許す党規約自体も、代表や一部幹部による独裁とも言えるものが可能となっているもので、早急に改善が必要であると考えています。新人が多く、まだ未熟な組織であるから、制約が必要であるということも一定数、理解はいたします。しかしながら、まだまだこのように、公約にあった情報公開、これが不十分なうちに国政政党の選挙に力を尽くすような状態は、私は順番が逆であると思います。
2点目は国政政党・希望の党への抵抗感です。小池百合子知事が代表として発足した希望の党にはまだ詳細な公約も発表されないうちから、右から左まで思想も政策も理念も異なる政治家たちが200名近く集まっておられます。私にはどうしてもこれは選挙目当ての野合のようにしか思えません。仮に私が都民ファーストの会にこのまま残れば姉妹政党として、この希望の党を無条件で応援しなければならなくなる。それは私は政治家としての許容範囲を越えていると、そのように判断をいたしました。
3点目は、以上の2点も含めまして小池知事の政治姿勢に、残念ながら私自身が疑念を持ってしまったことです。国政政党の代表と東京都知事。二足のわらじが悪いというわけでは必ずしもありません。しかしながら今の東京都には豊洲市場の移転問題、オリンピック・パラリンピック、さまざまな課題が山積しています。この状態で国政進出に手を伸ばすことが果たして正しいのでしょうか。そして何より都知事自身が都議選の直後、都民ファーストの会の代表を都知事職に専念するからと言って突然、退任をされました。そういった理由であるからということで私自身も、急な発表ではあったものの自分自身を納得させてここまでやってまいりました。しかしそこから期間を待たずして国政政党を立ち上げて自らその代表に就任される。これはどうしても私は受け止めきることができません。」

上田、音喜多両氏の離党理由を見ると、小池氏が都知事選に立候補した時に応援してくれた大切な当初支持者を大事にしなかった実態・しかも都民ファーストが、都議選で50名だったか?大きくなった結果当初支持者が隅に?追いやられるようになっていった流れや、内部にいたことから、小池氏のグループ統率の仕方が如実に伝わってきます。
http://otokitashun.com/blog/togikai/12196/からの引用です。

通例であれば都議会議長や各会派の代表者が参列する登庁セレモニーになんと、通例であれば都議会議長や各会派の代表者が参列する登庁セレモニーに軒並み都議会議員たちが欠席し、出席したのはかがやけTokyo3人のみ

上記の通り上田議員や音喜多議員は、小池フィーバーによって急浮上した新人ではなく、小池立候補を担ぎ上げたたった数人の都議3人の内の2人であったようです。
文字通り最も大切にすべき股肱の仲間です。
都議選の結果50名もの都民ファーストの議員が当選したことで彼らがはずされ始めたようです。
都議選が終わって9月都議会が始まるとほとんどが新人中心の都民ファーストの会派では、それまでの都の懸案も具体的実情も不明で、どこでどの程度の発言をしてよいか不明・・結果的に都知事の都政方針を黙って聞いて拍手するだけの翼賛機関化している・・議会の意味は何か?という遠慮がちな批判報道が出ていました。
何のための知事と議会との二元代表制か?小池知事前よりも双方の緊張関係がなくなっている批判です。
この辺が議員内閣制の国会との違いです。
国会議員の中から総理が選任されていますが、二元代表制と言われる都知事の場合、与党議員から選任される選任関係がありません。
与党とは言っても公約や思想方向を支持するというだけの関係ですから、行政府の政策は与党意見が政府意見になるのではなくまず行政府内で作りあげた政策に、議会側としてはこれを承認するかという順序の違いがあります。
与党でも議会は議会の職務として、知事とは別個独立して首長をチェックする職務があります。
アメリカのトランプ大統領と共和党の関係は文字通りそういう緊張関係で運営しています。
メデイア情報によれば新人が多いなら当面そういうものだろうと思っていましたが、上記議員を当初都議団幹事長にしていたものの、公的資料要求をしてはならない→議会側の独自政策提言や議員の対外発言禁止しをしていたというのですから驚きです。
(当面野党であっても)所属議員に対外外発言を禁じていたとは国政の一端を担うべき政党の運営方法としては驚きです。
「党ができて間がないので個々の議員が好き勝手な意見を言われては困る」という仕方のない面もあったでしょうが・・。
それは禁止によるのではなく、「発言には気をつけてください」という指導の問題でしょうし、その前提として党内意思統一に努める努力・成果があってのことでしょう。
離党した両都議にとっては政治の「透明化」がキーワードであったようですが、小池氏が都知事になってからの政治手法が真逆だったというのが彼らの主張で、そうなると彼らの政治理念に基づく政治発言は、都知事当選=都議会戦後の小池氏周辺に集まる多数派と相容れない結果あつれきを生み発言禁止となっていったのでしょうか。
ちょっと読むと物言う政治家は邪魔・議会多数を握るコマでさえあれば良いと言わんばかりの小池氏の独善的党運営のイメージですが、小池氏の政治手法がメデイアパフォーマス中心である以上は、小池氏の直感的発言に頼る→意見を積み上げる政治向きではない面もあるだろうなとは思います。
小池フィーバー失速前から内部では都知事選で応援した小グループの政治集団の人材を次々と弾き出している・あるいは遠心力が強まっている基礎構造が出てきましたが、音喜多氏らの所属していたみんなの党といえば渡辺喜美氏の創設した国政政党の流れを組む地域政党でしょうか?
あながち大量得票には右翼や左翼の両端が邪魔になったというばかりではなさそうです・独裁運営するには経験のある政治家あるいは「独自の理想を主張する政治家はいらない」点に共通項がありそうな印象が出てきました。
簡単に言えば自分一人に焦点が当たれば良いパターンでナンバー2は不要というよりも邪魔なタイプです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC