総選挙と民度3(合流の奇策→愚策2)

小池氏旗揚げ時の支持母体を見ていきます。
http://www.sankei.com/politics/news/171006/plt1710060114-n1.html

希望の党から衆院選比例代表九州ブロックに立候補する中山成彬元文部科学相は6日、宮崎県庁内で記者会見し、首相に望ましい人物について「小池百合子代表が(衆院選に)出ないなら、安倍晋三さんがいい」と述べた。希望の党は「安倍政権打倒」を掲げているが、中山氏は、小池氏が安倍首相の交代を求めている点にも触れ「そこまで(党内で)意思統一ができていない」と語った。希望の党で出馬の中山成彬元文科相「安倍晋三首相がいい」・・中山氏は、希望の党に参加した中山恭子・日本のこころ前代表(参院議員)の夫で、自民党衆院議員として文科相や国土交通相を歴任。

中山恭子氏は保守論壇の寵児であり、自民党内超保守系のホープとして有名です。
ウィキペデイアによる中山恭子の経歴は以下の通りで、麻生内閣で拉致担当相をはずされると批判殺到で拉致問題担当補佐官として復活した経緯からも保守系の人気ぶりが分かる経歴です。

2007年(平成19年)7月に第21回参議院議員通常選挙へ自由民主党から比例区で立候補し、385,909票を獲得して党内得票数第3位で初当選した。同年8月27日に発足した第1次安倍改造内閣で留任、同年9月7日に拉致問題対策本部事務局長職を離任した。同年9月26日に発足した福田内閣でも内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)に再任。11月15日、町村派に入会。
2008年(平成20年)、福田康夫改造内閣にて、内閣府特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画担当)として初入閣を果たした。さらに、福田康夫改造内閣では、特命事項として拉致問題担当と公文書管理担当が発令され、国務大臣として同時に兼任した。しかしおよそ1ヶ月後の内閣総辞職に伴い内閣府特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画担当)および拉致問題担当、公文書管理担当を退任。
同年9月24日に発足した麻生内閣では中山の入閣は見送られ、拉致問題担当の特命事項は内閣官房長官の河村建夫が兼任することになった。拉致問題担当の国務大臣に中山を任命しなかったことに対して総理大臣官邸に批判が殺到したため[7]、中山は内閣総理大臣補佐官(北朝鮮による拉致問題担当)に再任。
2010年(平成22年)6月18日、夫・成彬が同年7月の第22回参議院議員通常選挙にたちあがれ日本から出馬することが確実になったことを受け、「夫を支援するため」として、自民党に離党届を提出し[8][9][10]、6月21日、夫と共にたちあがれ日本へ入党した[11
2015年(平成27年)10月1日に次世代の党代表に就任[12]。12月21日、党名を「日本のこころを大切にする党」と改称。2017年(平成29年)2月7日、日本のこころに党名を変更した[13]。
2016年(平成28年)9月、党代表のまま党政策調査会長を兼任[14]。
2017年(平成29年)9月、無投票で党代表に再選[15]。同月24日、夫と共に希望の党へ参加する意向を示し[16]、翌25日、日本のこころに離党届を提出し受理された[17]。同月27日、小池百合子東京都知事を代表とする新党「希望の党」設立会見に、結党メンバーとなる国会議員14人の一人として参加した。

中山恭子氏の希望の党参加でわかるように、もともと小池氏の都知事立候補は中山氏を教祖のように信奉する保守系運動家が中心になって動き出し超保守にとどまらず幅広く保守浮動票に広がって成功したものです。
小池氏の都政への挑戦は、もともとメデイアの支持を受けた左翼系鳥越俊太郎氏に対する対抗馬として始まったもので、左翼系の支持を標的にして拡大したものです。
都知事選で対する鳥越俊太郎氏はもともと民主党系のメデイアの寵児としての著名人で、彼に関するウィキペデイアの記事は以下の通りです。

2014年8月15日にNHKで放映された「戦後69年 いま“ニッポンの平和”を考える」で、集団的自衛権について政治家や有識者と公開討論している。その番組内で、現在皆さんの安全が脅かされているという前提でお話されておりますが、そんなの虚構ですと述べ、北朝鮮ミサイル問題や尖閣問題がありますとの意見に対して、「どこの国が日本に攻めてくるんですか?必要ないでしょ」として、集団的自衛権や米軍は不要であるとの考えを示している。
日本未来の党が解党した後は民進党を支援しており、2016年には、4月の衆議院北海道第5区補欠選挙で敗れた池田真紀の応援演説や、7月の参議院選挙長野県選挙区で当選した杉尾秀哉の応援演説を行うとともに、民進党のポスターにも登場している[25][26]。
2005年4月5日、呼びかけ人の一人として『マスコミ九条の会』結成に参加[3]。
2007年2月、民主党が東京都知事候補としての擁立を打診するも、自身が依然として癌療養中であるため、「(任期の)4年間に責任を持てない」として打診を断る[4]
2016年7月12日、東京都知事選挙への立候補を表明する
都知事選立候補者に関するウィキぺデアの記事中鳥越俊太郎氏関する記事からです。
鳥越俊太郎
(とりごえ しゅんたろう) 76 無所属
(民進党・日本共産党・社会民主党・生活の党と山本太郎となかまたち・新社会党・緑の党グリーンズジャパン・東京・生活者ネットワーク 推薦)

都知事選での小池フィーバーの基礎票・主役は、反メデイア+保守系の中でも右寄り勢力だったのに、民進党が丸ごと合流した場合小池氏の都知事選立候補時から協力してきた右翼系グループの意見と相容れないことが明白です。
ここで小池氏が目先の候補者と資金と運動員ほしさに民進党の全面受け入れを決めた時点で、都知事選立候補に際して中山氏らに協力を求めたときの政治理念の変質を前提にしていた・・中山氏ら(結党メンバー14人自体が民進党離党したメンバーがすでに多数を占めるようになっています)が選挙後は圧倒的少数派に転落し党内孤立・居心地が悪ければ離党していけば良い・切り捨て方針を明白にしたことになります。
都知事選開始当時はっきり小池氏を支持していたネット発信者の意見が、都議選の頃から「用済み扱い」されている雰囲気に微妙に変わってきていました。
都議選後自信を持った小池氏が国政に出るには「大量立候補者と資金・運動員が必須」という現実が待っていました。
そこで表向き当初から支持さになっていた有名人である中山氏ら既存政治家の比例上位優遇を示しながらも、彼ら数人程度選挙後党に残っても圧倒的多数の民進党系の主張に黙るしかない・離党すれば比例候補だから代議士の地位を失う・次順位民進党系候補に継承されるだけという結果が待っています。
小池氏はメデイア界で有名なだけで政治家同士では個人的に信奉する人が皆無・あまりにも露骨に切り捨てすぎる評価が言われていますが、あまりにも短期間にどんどん切り捨てていくやり方が露骨すぎました。
小池氏は民進党内極左グループ「排除の論理」発表以前にその日まで一生懸命に自分を盛り上げてくれていた仲間を切り捨てる方針を先に示していたのです。

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