内政経験未熟2(ロシアの場合1)

国政担当者になれば、市民運動のように一方の立場だけ言い募れば良いものではありません・・。
革命成功には(まずは従来の対立を棚上げしての大同団結成功によりますが)多くの集団利益の糾合によりますが、権力奪取に成功してみると権力を倒そうという共通の目的がなくなります。
政策のすり合わせで一つの党になったのではなく当面の敵・政権打倒のための薄氷の団結では、政権を奪った後に棚上げが解消されれば対立が復活するのが当たり前で統一政権の展望がもともとありません。
命がけの革命が成功した以上は、各集団構成員は当然自分たちの現状に対する不満解消=要求が通ったものと感激し期待しますので、革命騒乱前の対立利益の棚上げ我慢が解消される期待・・革命勃発前以上に自己集団利益・主張の実現期待が高まっています。
政権運営者運営になると従来以上に妥協が必要なときに逆に出身母体の要求実現圧力が高まり利害対立が尖鋭化します。
戦国大名の合戦勝利後の恩賞争いは参加豪族の求めるものが同じ方向、領地等ですから競合豪族の得た恩賞が自分より多く(他の武将が60の恩賞もらい自分が40しか恩賞がもらえないのは悲しいですが、)自分の領地が減らされる関係ではありません。
革命後の政策争いの場合には、競合相手の主張が通ると自分の主張が否定される関係が多いので、「主張がとおってよかったね」とお祝いするどころではない・・簡単にはおさまりません。
もともと意見が相容れないから別組織を作り相互に敵対していたのですから、革命実現後の昂揚感で小池氏(は選挙で勝つ前に表明したのですが・・)のいう通り「さらさらない」譲る気持ちが薄れていますのでまとまるはずがありません。
最大共通の敵である政権(たとえば3〜4割の支持を受けていた最大政党の政権)を打倒するために残り6~7割の大同団結で(内部党派の内訳が15%〜13%〜12〜10〜9、5〜8%〜・・.=6〜70%)で政権奪取した場合、革命成功後の妥協が難しくなり離合集散を繰り返した挙句、最後は血で血で洗う内部抗争が始まるのが普通・西洋革命やロシア革命の経験です。
日本では、民主党の寄り合い世帯の矛盾がいつも言われていましたが、要は「自民党を倒し政権交代のための大同団結」という呼びかけに応じること自体に、政権獲得後の政権運営の展望がないことを自己表現しているのですから論理帰結というべきです。
家の建て替え案について借家に引越すかを含めて10種類の案の対立があってまとまっていないのに、先ず取り壊すことの賛否をとって取り壊してしまい、後で野宿しながらゆっくり決めるようなものです。
もともと合理的妥協できない体質の集団同士が、(中国の国共合作や日本で言えば選挙協力)当面の敵を倒すだけの目的で団結しているのでは当面の敵を倒して政権を取ったのちの熾烈な政争・国政混乱を前提にしているのですから、政権担当能力の無さを自ら示していることになります。
民進党内の保守系や連合が、共産党との選挙強力に断固反対していたのは、その後の熾烈な内部抗争では鉄の規律を誇る共産党に負けてしまう・3日天下の恐怖があるからです。
ロシア革命ではボルシェビキが多数の支持を受けたのではなく選挙では負けていたのに、武力圧倒(言わばクーデターです)した歴史があります。
クロムウエルの独裁も鉄騎兵という武力背景によるものでしたし、ナポレンも軍を背景に頭角を表したものです。
メデイアは総選挙得票数を見れば野党合計が与党合計を上回っているとしきりに宣伝しますが、妥協能力のない政党選挙目的で団結してもが仮に7割あっても大同団結の結果政権を取ると、外敵がなくなった後はお互い妥協能力のない人の集まりですから、ロシア革命の推移を見れば明らかなように連立政権の内部抗争で四分五裂し、最後に勝ち残ったグループも政治運営経験がない上に相手が合理的説得になじまない原理主義的傾向グループばかりですから、結果的に国民支持が10%以下の最も残忍なテロ行為を行える狂信的集団の政権確立・・内政では独裁・恐怖政治や対外冒険主義に陥ります。
ロシアや中国のような後進国でない先進民主主義国においても、民選議員が離合集散を繰り返すことに対する国民不満を背景に強力な政府・統領制への期待が高まるので、統領政治→独裁(前近代では中国のようにその都度前王朝制度の踏襲・あるいはフランスのようにナポレン帝政となるなど・1党独裁制度の場合には終身党首)→恐怖政治のパターンとなる確率が高まります。
第一次第二次ナポレン帝政を見ても分かるように、内部抗争がなくなると次々と敵を求めて対外戦争や紛争を起こすパターンです。
革命主導したレーニンは資本主義→帝国主義戦争が必然と主張していましたが、歴史を見れば逆に革命(素人で内政能力欠如)→対外戦争が必然的というべきでしょう。
日本の薩長土肥政権・古くは鎌倉や室町幕府・徳川政権の成立後この構成集団間で粛清政治にならなかったのは、もともと主義主張や利害対立で反目していたのではなく地盤が遠く離れていて別の領地を持っていたから別集団になっていたに過ぎない・・上記の通り論功行賞の競合関係しかない面と、構成大名それぞれ小なりと言えども先祖代々からの領地内の内政経験が豊富にあったから利害対立の捌きかたをよく知っていたことによります。
政権運営経験のない後醍醐政治が失敗したのは、失政を誤魔化すための恐怖政治に走ることを許さない民度の高さによります。
清教徒革命の場合クロムウエルの独裁、フランス革命の場合ジャコバンの恐怖政治・ロシアの赤色テロなど世界で有名な革命では例外なく独裁→恐怖政治に陥っていることが知られています。
以下は、赤色テロに関するウィキペデアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/の引用です。

ロシア
レーニンは、早くから革命にはテロリズムは必要であると考えていた。彼はフランス革命や自らの兄アレクサンドル・ウリヤノフも信奉したロシアの虚無主義、セルゲイ・ネチャーエフを研究し、熱心にテロを奨励したと言われている。
1918年8月30日、左翼社会革命党の党員ファニヤ・カプラン(英語版)がレーニンを狙撃した暗殺未遂事件が発生すると、同年9月にレーニンは「赤色テロ」政令を発して、「白色テロには赤色テロで応じる」ことを宣言した。しかし既にボルシェビキによるテロはいたる所で行われており、この宣言はそれを正当化した形であった。レーニンは、秘密警察チェーカー(後のKGB)を動員して反対派を徹底的に粛清。国民に密告を奨励して「反革命」とみなされた人物を次々と逮捕・処刑した。ロマノフ朝最後の皇帝であったニコライ2世一家もエカテリンブルクで全員虐殺された。この他の皇族や、資産家、クラークなども、亡命できた者を除いて「人民の敵」というレッテルを張られて裁判もなしに殺害された。これらの事実は欧米に衝撃を与え、ナチズムなどの反共主義が広がる要因となった。
カンボジア
1976年に親米政権を打倒して政権を掌握したクメール・ルージュは、農村部から都市部に至るまで、反対派を大量に殺戮した。クメール・ルージュによる大量殺戮は、1979年にベトナム軍が介入するまで続いた。
中国
毛沢東の主導で行われた大躍進政策や文化大革命は中国において行われた典型的な赤色テロの例であろう。大躍進政策では数千万人が餓死し、文化大革命でも数千万人が虐殺されたとされている。」

上記の通り、もっとも温和な国民性と思われていたカンボジアで共産党政権になると大虐殺がおこなれていたことを見ても、ソ連のおそるべき粛清政治はスターリン個人の資質によるものではありません。
共産主義政党に限らず西欧流の主義主張の強調によって、(相手をけなして)政権を取る方法(集団内部で結果的に妥協を拒む原理主義者・・純粋主張・純化論が幅を利かしがちです)はこうしたことになり易いことを示しています。
日本のように尖鋭な主張を嫌い茫漠とした人格採点の方が穏当なところ落ち着きます。

アメリカの自治体4(自然発生的集落の未発達→内政経験未熟1)

日本の場合、例えば青森の三内丸山遺跡はhttp://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/によれば、
「今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。」
「膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。
ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。」
とあるように、これだけ大規模な集落が営まれていた上に、遠隔地でしか取れないヒスイや黒曜石を交易によって入手していたことから見ても(石しか残っていないだけでその他の物品も当然交換していたでしょう)ということは当時すでに周辺諸集落どころか遠隔地とも円滑に交流していたと見るべきでしょう。
原始的集団同士の協調・折り合いさえつけられない・・アメリカではまだうまく解決する知恵がない状態が最近顕在化しています。
各人が言いたいことを言い、協調できない社会・・これを許せないと喧嘩(戦争)していられないから言いっ放しにしておく程度の知恵・・言論の自由論ですが、(アメリカの場合広大な原野にそれぞれ入植し近い集落でも数十キロ以上離れていれば、意見の違いを調整する必要性がなかったし、都市部では隣と付き合う必要がないから近所の人の意見など気にしないで済む面があります)これを多様性を許す社会と言い換えているように見えます。
アメリカが世界をまとめ切れないどころか、国内の近隣自治体間の協調さえできていません。
外敵のために作った国家でしかないから、星条旗(戦争)のために団結できるだけの関係です。
広域自治体ができないで失敗している状況を12日のコラムで引用紹介しましたが、もう一度一その部分だけ引用しますと以下の通りです。
http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/h18-1.pdf1

カリフォルニア州の地方自治体について
東海大学政治経済学部政治学科教授牧田 義輝氏
6 カウンティ政府と広域行政
・・・カリフォルニア州同様、アメリカには連合型の広域政府が一例としてない。1960・70 年代に犯罪、福祉、暴動、環境、人種差別問題が大都市問題として噴出したときこれらの問題を解決するために大都市圏総合広域政府の創設の提案が、全米で 100 例以上提案された。
しかし、この種の広域政府は実現していない。」

このようにカナダなどでは多数作られている連合型広域政府でさえ作られない理由は、地方自治体の自治権が強力であることに尽きる。カナダなどの場合、たとえば「トロント大都市圏自治体」の設置のように上位政府である州政府の議決で創設できるのに対し、アメリカの場合は大都市圏広域政府を作る場合に近郊自治体と中心大都市自治体の利害が不一致である場合(人種、経済格差、文化、環境などほとんどが利害対立しているが)住民投票において近郊の多数、中心都市の多数をそれぞれ要件とすることなどによってすべてが挫折したのである。

自然発生的集落から周辺との協調を経て発展してきた社会の場合には、周辺自治体との交流を経て生活習慣が似てくれば、価値観が似ているので必要に応じた話し合い解決の土壌があり、合併・広域化に違和感がありません。
また協調行動も容易ですが、何もない原野の先まで馬で走っていって、そこに国旗を立ててくればそこまで自分の領域と宣言し、まずは周辺を囲ってから内部に習慣の違う民族の移民を進めて集落を作り埋めていくやり方社会との違いです。
内政充実の結果周辺に信用が広がり自然に生活領域が広がって行く・・商売で言えば本店の人材・実力を蓄えてからの周辺支店網拡大の場合安定的です。
あるいは徐々に従業員を増やして行くと従業員が仮りに数千人になっても企業カラーが一体化しますが、大きな企業をM&Aで買収すると社風が10〜20年たっても違ったままになるのと同じです。
外延的伸長に対する関心で急膨張し縄張りだけの急拡大・・1時的に鳴り物入り進出・派手な宣伝で売り上げをあげても、地についていないと何かあると脆いものです。
内部充実を待たずに武力や資金力だけで領域を広げてきた結果、内部住民の福利に対する関心は2の次3の次の社会(自前文化が生まれない外延社会)のもろさがアメリカで出てきたのが治安悪化だと思われます。
アメリカの共和党は軍事力を背景にした外交だけあり、民主党は内政に関心があるがバラまきしか知らないと一般に言われています。
民主党が内政重視と言っても利害調整をしない豊富な資金力を背景したフードスタンプ配布条件の底上げや福祉中心ではまともな国政とは言えません。
今でも後進の地域大国では簡単に外敵に焦点を当てる政治に偏り勝ちなのは、民度が低くて内政充実能力が欠如しているのに対して、周辺國威圧による対外的成果を求める方が簡単だからです。
ロシアもピョートル大帝(領土拡張を重視する人にとっては素晴らしい帝王でしょうが)逆から見れば、国民生活充実・内的発展に使うべきエネルギー(民度が低くてこれにエネルギーを注いでもうまく行かないので)を外延拡張に使ってしまった君主とも言えます。
ロシアは正面の西と南へ(対トルコ)の進出では英仏に阻まれたので誰もいない裏のシベリアに向かうしかなかったのですが、シベリアの大規模な囲い込みに成功した結果、国民の生活向上に使うべき資源を巨大な領土経営資源としてどんどんつぎ込み、内部空洞化→ロシア革命になったものですから、見方によればもともと遅れていたロシア社会後進性維持の元凶になったような人物と評価できます。
今でも広すぎる領土を守るために中露国境だけでも何千キロとあって膨大な国境守備隊が張り付いていると言われます。
ロシア革命で民衆が本来求めていたのは、国土領域拡大や外国に対する主導権を持つことよりは国民の貧しさの克服(・その不満の蓄積)であり、いわばイワン雷帝以来歴代帝政が続けてきた外延的拡張政策の内政重視政策へ方針変更であるべきでした。
イワン雷帝の治績はhttps://jp.rbth.com/arts/2016/10/14/638545によれば以下の通りです。

2、最初のツァーリ(皇帝)になった。
イワンは1547年、成人に達した日に戴冠した。イワン以前にはモスクワ・ルーシの支配者はすべて大公の称号を持っていたが、彼は初めて、ローマ皇帝「カエサル」の名に由来するツァーリ(皇帝)を名乗った。これは西欧の「皇帝」と同じく、その権力が直接、神に起源をもつとされている。
「5、戦争を行った。
イワン雷帝は、国土を拡大しようとして、治世の全期間にわたって戦争した。一方で彼はカザン、アストラハン・ハン国を粉砕して両国をロシアに併合した。彼の時代にヴォルガ川沿岸地方と沿ウラル地方がロシア国家に併合され、広大なシベリア各地の開発が始まった」

ロシア革命に戻りますと、実際に革命当初まず第一にやったのは対ドイツ戦からの離脱であり平和国家を目指したものでしたが、内政に手を出してみるとすぐにどうして良いか分からなくなってしまった印象です。
・・実は利害の錯綜する内政はスローガンだけでは何も進みません・・・実務経験のない革新系政治運動家→運動家であっても、批判してきただけで政治運営の経験がないのでどのように利害をさばいて良いか分からないので無理です・・。
日本の民主党や敗戦直後の片山内閣だけの責任ではありません。
建武の親政を断行した後醍醐天皇が失敗したのも同じことです。
日本の民主党や片山内閣が能力不足を隠すための粛清に走らなかったし、走らせなかった点が我が国の民度の高さです。

アメリカの自治体3(州・地方政府の関係)

今回のシリーズでは自治体にどのような権限があるのか?ですが、外国制度は理解に時間がかかりますが、順を踏んで行くしかありません。
まずは連邦と州の関係を見ておきましょう。

https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/zk079/zk079_02.pdfによれば以下の通りです。
65第2章アメリカにおける連邦・州・地方の役割分担
橋都由加子
1.アメリカの政府構造
アメリカの政府は、合衆国憲法に根拠規定をおく、それぞれ主権を持つ連邦政府と州政府と、州の下部単位である地方政府から成っている。
2. 連邦・州・地方の法的な役割分担
2.1 合衆国憲法
合衆国憲法における地方自治の規定は、1791年に成立した憲法修正第10条による。
ここでは「憲法が合衆国に委任し、または州に対して禁止していない権限はそれぞれの州または人民に留保されている」と定めていることから、連邦と州の間での役割分担は、連邦の権限が具体的に列挙されて州が残余権を有するという、州権の強い形となっている。
2.1.1 連邦の立法権
連邦の立法権は、第1条第8節に列挙されている。
・・列挙事項省略・・稲垣
2.1.2 州の立法権
州は一般的に州域のすべての事項について権限を持つが、その権限は合衆国憲法によりいくつかの制限を受けている。
まず、第1条第10節第1項には、以下の州への禁止事項が列挙されている。
1 条約・同盟・連合の締結
2 捕獲免許状の付与
3 貨幣の鋳造、信用証券の発行、金貨・銀貨以外による債務弁済
4 私権剥奪法・遡及処罰法もしくは契約上の債権債務関係を害する法律の制定
5 貴族の称号の授与また、同節の第
2 項と第3項では、以下の州の一定の行為は連邦の同意を必要とするとされている。
1 物品検査法執行のために絶対必要な場合を除き、輸入税または関税を賦課すること
2 トン税の賦課
3 平時における軍隊もしくは軍艦の保持
4 他州もしくは外国との協約もしくは協定の締結
5 現実に侵略を受けたときもしくは猶予しがたい緊迫の危険があるときを除き、戦争行為
2.3 州憲法・州法における地方政府条項
2.3. 1地方政府条項13
州憲法における地方政府や地方自治の規定は州によって異なっている。例えば、アラスカ州憲法では「地方自治」が明確に規定されており、オクラホマ州憲法には地方政府に関する制約や規制に関する条項が多く盛り込まれている。一方で、州によっては、「地方政府」に関する条項や「地方自治」に関する条項が規定されていないものもある。しかし、それらの州憲法にも「収入支出制限条項」があり、カウンティや市などの地方政府について言及しているため、地方政府について全く規定がないわけではない

上記によれば一般に言われている「州兵保持」と連邦憲法の関係がどういう関係になるのか・個別同意によるという程度の弱いもののようです。
日本の幕藩体制では、各大名家保有の兵力は天賦不可譲の権利の扱いでしたが、アメリカの場合連邦政府結成の条約で連邦政府の同意によってのみ州が独自の軍を保有できる弱い関係になっていたことがわかります。
もしかしたら南北戦争で懲り懲りしたので再度の内乱を恐れてこうなったのかもしれません。
同意が必要と言っても、事実上全部同意する前提で憲法が成立したのでしょうが、いざとなれば(州の独立運動になれば)同意を取り消せるのかもしれません。
日本では武士以外の刀狩がありましたが、アメリカの場合(10日ほど前にもラスベガスで大規模な銃乱射事件が起きましたが)個々人の武装権の放棄が進んでいない点は周知の通りです。
州と連邦の関係では、独立戦争時には州から出す兵力中心で連邦政府軍自体がないのですから州軍の存在価値が高かったでしょうが、連邦政府軍が充実していくと各州が独自兵力保持する必要がなくなっていきます。
せいぜい州内の大規模騒乱鎮圧の仕事?くらいですから、日本の警察の有している機動隊程度で十分です。
対外兵器である大陸間弾道弾や核兵器や戦闘機をいっぱい作っても内政に寄与しません・内政が充実していない・・これが端的に現れるのは道義の退廃・治安悪化の結果個々人の自衛権を放棄させられない現状を表しています。
日本で秀吉の刀狩りが成功し明治の廃刀令が浸透したのは、もともと応仁の乱〜戦国時代と言われますが、武士団同士の領域争いであって、庶民はおにぎりを食べながら合戦を見物していたような「のどかで・安全な社会」が続いていました。
刀狩りがあっても庶民が身の安全を守るためにはそんなに困らなかったのでその通り従ったし、明治維新後の廃刀令がそのまま受け入れられたのも、当時治安が良くて武器携行義務の方が武士にとって重荷になっていたからです。
アメリカは国の外形を腕力で大きく囲ったが、(文字通り大ふろしきを広げただけ)未開の原野を広く囲っただけの国土でしたから、(中東やアフリカ等で人為的地図上の直線の国境線びき同様)その中身がスカスカ状態で始まっている点が特徴です。
スカスカの原野に一定の集落・コミュニュテイーができたらその都度申請によって自治・組織体を認めるという仕組みで、日本などと発展の順序が逆である点に問題があると見るべきでしょう。
日本の場合、・・・濃密で阿吽の呼吸で理解し合える信頼関係のある原始氏族共同体〜生活規模の拡大に応じて順次協調していき、氏族を超えた集落共同体へ〜ムラ社会〜と一体感を育成し、必要に応じて市が立ちさらに遠隔地の集団と折り合いをつけながら生活ルールの共通化を図ってきました。
城下町や門前町の発達〜幕藩体制になりましたが、各大名家間の往来が頻繁でしたから御定書のシリーズで10年ほど前に書きましたが幕府の判例を各大名家が導入参考にするなど事実上価値観一体化が進んでいました。
だから、廃藩置県で多くの藩が一つの県になるのをスムースに受け入れ、ほとんどの県で一緒になった住民間でも違和感を感じず民族的軋轢が生じなかったのです。
(部分的に長野県では南信地域と北信地域の反感が根強いことと福島県では会津を中心とする山間部と海岸線の文化の違い・いわゆる「浜通りと中通り」に分かれている程度でしょう)
このように日本列島では、近代〜広域自治体へと順次発展し・民族一体感を築き上げてきた社会ですが・・アメリカの国づくりは何もないところに広大な領域だけ囲った・集落関係は自治体はまだ原始的初歩段階にあると11日のコラム末尾に少し書きました。
その弱み・・空白地帯の大きさ〜コミュニュティ関係の一体感欠如が治安問題に端的に現れていることがわかります。
この後で事例紹介しますが、警察署設置のためだけの自治体結成が行われている事実・・必要に迫られていることからも分かります。
10月12日に引用文で紹介しましたが、環境その他広域処理しなくてはならない事項がどんどん発生しているのに、我が国のような広域連合構想や自治体広域化のこころみが全て挫折している・各自治体のエゴ主張が強くてまとまらない・・現状にも現れています。

アメリカの自治体2(政府形態1)

昨日引用の続きです。
素人の私が自己流解釈するよりそのまま引用の方がわかり良いので、そっくり(と言っても関心のあるところだけの抜粋です)引用さていただきます。
今日のコラムは私の意見部分がなく引用だけです。
http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/h18-1.pdf1

3 カリフォルニア州地方自治体の政府形態
(1)アメリカ全土地方自治の政府形態
アメリカ全土には、下記の表が示すようにさまざまな地方自治体の政府形態が示されている。
表 2 政府形態の年代推移
推 移      2005      2004    2000    1996   1992   1988     1984
支配人制   3,475(48.9%)  3,453   3,302   2,760   2,441   2,356   2,290(35%)
市長議会制  3,091(43.5%)  3,089   2,988    3,319   3,686   3,686   3,686(56%)
委員会制   145( 2.0%)   145    143     154   168    173   176(3%)
町総会制   338( 4.7%)   338    334    365    363    369    370(5%)
町総会代表制 63( 0.9%)    63 64    70     79    82    81(1%)
不明 3
計     7,112(100%)    7,091    6,381   6,668  6,737    6,666    6,603
(100%)
出典:The Municipal Year Book 2005,Published by the International
City/County
Management Association (ICMA)
注① 上記の表中の合衆国の地方政府の総計は、2,500 人以上の人口をもつ自治体のみを
示している。また、2,500 人以下の人口をもつ地方政府は 30,000 ほどである。
注② 理事会・支配人制政府のもとで運営されている自治体に住む住民は、9、200 万人以上である。
注③ 25,000 人以上の人口の自治体の 63%は、理事会・支配人制を採用している。
それぞれのシステムについて、簡単に解説しよう。
イ 市支配人制
この制度は、1908 年ヴァジニア州スタウトン市 (Staunton, Virginia) において初めて採用された。
多くの市で急速に採用され、今日では、25 万以下の自治体では半数以上で採用されている。また、ヨーロッパのほとんどの国、またアジアにまで広まっている。
この制度は、理事会によって任命された支配人に全行政をまかせ、理事会は、支配人の任免の他には予算や政策の決定を行うに過ぎない。市長の選出は、理事会の互選か、有権者による直接公選であるが、その任務は、理事会の議長、また対外的代表など数が限られている。支配人は、「行政大学院」で教育を受けた行政の専門家で、予算・政策案の作成、行政組織の管理、情報の収集、市民との交流などの仕事を行う。企業に極めて似た制度と言える。
カリフォルニア州のこの制度の採用率は、非常に高く、また採用してもそのバリエーションに富んでいる。州内 465 自治体のうち、32 自治体が「議会-市長制」であるのに対し、後は、「理事会-支配人制」である。
例えば、第3章で示す「トーランス市」の場合は、もとより「理事会―市支配人制」であるが、支配人はこの半世紀ほどで2人だけである。専門職としてのマネージャーは、通常日本では自治体の「わたり職人」のようなイメージであったが、必ずしもそうではないようである。
ロ 弱市長制
連邦政府の統計では、弱市長制と強市長制は、「議会―市長」と解されて、一緒に取り扱われている[U.S. Census Bureau, Government Organization, 2002CensusofGovernments,Vol.1No.1.]。しかし、ここでは、政府形態のバリエーションを増やす意味からも別々に説明する。
弱市長制は、現在の制度のうちで最も古く 19 世紀前半に始められた。
この制度の特徴は、主任行政官としての市長の地位が極めて弱いことである。議会は部長の任免権を持ち、それによって行政権を遂行する。また議会は、予算案の作成と採択に責任を有する。この他に行政権は、多数の行政委員会にも与えられており、しかもその委員は有権者によって選出される。
この制度は、州制度に類似しているが、地方自治体レベルでは比較的小規模自治体で使われるのが通常である。しかし、例外的に 37 万都市のミネソタ州ミネアポリス市とカリフォルニア州ロスアンジェルス市(市部人口 3,957,875 人)でも採用されている。
ハ 強市長制
1870~80 年頃、この制度が採用され始めた。この制度は、首長と議会がそれぞれ有権者によって直接選出される。首長は、強い行政権をもち、全行政過程の決定・執行に責任をもち、また政治的リーダーでもある。
この制度の欠点は、行政に素人の市長が採用され、政治と行政を区別することが困難な場合が多いことである。
強市長制は、わが国の自治体制度と類似している。
なお、行政管理官制は、強市長制に基本的には類似しているが、行政管理官は首長のもとで支配人制の支配人と類似した機能を果たす。
ニ 委員会制、町総会制
上記の3制度以外には、カリフォルニア州においては見当たらない。少なくとも「自治体年鑑(municipal year book)」や連邦統計局編纂の「政府組織(Government Organization)」には見当たらない。

アメリカの自治体1(法定市と憲章市)

アメリカでは自治体が各州ごとに独自の発展をしてきたとはいえ、結果的に今では自治体の大枠は一般法定市と憲章市の2種類に大別されているようです。
http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/h18-1.pdf1
カリフォルニア州の地方自治体について東海大学政治経済学部政治学科教授牧田 義輝氏によれば以下のとおりです。

第2節 カリフォルニア州の政府構造
1 地方政府は自治化区域と未自治化区域に別れる
州内の統治、行政サービスは、州政府の責任である。州政府は、そのために州域内をく4まなく区分し、カウンティ政府を作って、地域の問題に対処し行政サービスを行うのである。しかし、人々が自らのためにサービス機関としての自治体を作ったほうが良いと考えた場合、地方自治体を創設するのである。
このようにして自治体はますます増加傾向にある。今日では、多くの州で自治体の新しい創設に制限を設ける傾向にあるが、「結論」で述べるがアメリカ人の思想では、自治体政府を富追求の手段と位置づけるのが多くの研究者の見解である。このような考えから今日でも依然として多くの自治体を作っているのである。
カリフォルニア州には、「カウンティ」は、現在 58 機関存在している。カウンティは、州内の行政に責任をもつ州政府の任務を遂行するために設置されているが、その意味で「準自治体」(または、州政府の下部組織であるとして「半自治体」という人もいる)といわれている。
カリフォルニア州においては、統合された自治体として「市・カウンティ」がある。例として、サンフランシスコ市・カウンティ(City and County of San Francisco)、ロサンゼルス市・カウンティ(City and County of Los Angeles)として存在する。
このほか、地方自治体は、通常「市(City)」であるが、「町(Town)」と呼ばれる場合もある。その町にも「自治体化された町(Incorporated Town)」と単なる「町(Town)」といわれる「未自治体の町(Unincoporated Town)」がある。さらに「村(Village)」といわれる場合は、すべて未自治体である。
2 特別区政府 (special district governments)
特別区政府は、「一般目的地方政府 (カウンティ、市、町、村など)から実質的に管理・財政上独立し、限定的な目的をもった自治政府機関」である。ここでの定義からは、日本の「事務組合」などとは異なっている。なぜなら、日本の場合は、ほとんどが自治体を母体として、そのための広域行政であるからである。つまり、日本の事務組合などは、財政的に人事的に独立しているということはない。
特別区政府は、近年増加傾向にある。その背景には、大都市圏問題の多様化と深刻化の中で広域需要が増大してきていることがある。これに対応して自治体統合や連合などの方式によって広域自治体を作った方が得策であることはいうまでもない。しかし、このことによって公選公務員や職員が削減されることに対する反対、また個々の自治体の強い自治意識が阻止要因となって、広域自治体の実現は不可能である。それで、その妥協の産物として特別区が増加しているのである。
第3節 カウンティ政府
1 アメリカにおけるカウンティ政府の状況
カウンティは、約 1,000 年前のイギリスのシェア(Shire)に起源があるとされている。
当時、市民政府であると同時に国家政府の行政を受け持っていた。合衆国憲法の起草者達は、カウンティを州の問題とし、州の行政手段として位置づけた。
カウンティ政府の最高意思決定・執行機関である理事会(カリフォルニア州では、board of supervisors”、本報告書では「監理委員会」と訳している。なお、他の州では通常“board of commissioners”と呼ぶ)は、条例・規則の制定、予算案の審査・採択などの立法責任、それらを執行し、首席行政官、および部局の活動を管理監督する行政責任などを持つ。通常、理事は、小選挙区制で選出され、4年に1度の選挙で選出される。
2 カウンティの創り方、憲章の制定・改定
知事は、カウンティの創設が住民から提案されたとき審査をする「カウンティ形成審査委員会(County Formation Review Commission)」を作り、5人の委員を任命する。
カウンティ憲章の制定、および改定の手順は、カウンティ監理委員会のメンバーが過半数以上の賛成で採択された条例に基づいて発議される。条例の制定には、直近の選挙によってカウンティの有権者によって選出された 15 名の有権者から構成される憲章委員会の選出が必要である(Code Sec.23000-23027)。
6 カウンティ政府と広域行政
・・・カリフォルニア州同様、アメリカには連合型の広域政府が一例としてない。1960・70 年代に犯罪、福祉、暴動、環境、人種差別問題が大都市問題として噴出したときこれらの問題を解決するために大都市圏総合広域政府の創設の提案が、全米で 100 例以上提案された。
しかし、この種の広域政府は実現していない。
このようにカナダなどでは多数作られている連合型広域政府でさえ作られない理由は、地方自治体の自治権が強力であることに尽きる。カナダなどの場合、たとえば「トロント大都市圏自治体」の設置のように上位政府である州政府の議決で創設できるのに対し、アメリカの場合は大都市圏広域政府を作る場合に近郊自治体と中心大都市自治体の利害が不一致である場合(人種、経済格差、文化、環境などほとんどが利害対立しているが)住民投票において近郊の多数、中心都市の多数をそれぞれ要件とすることなどによってすべてが挫折したのである。
第4節自治体政府
1 自治体の権限
自治体政府 (municipal governments) とは、「一定地域に集住する人々に対する政治区画であって、一般目的地方政府として設立される自治体法人である」と定義されている。自治体政府は、具体的にどのようなサービスを行い、またどのように課税するかについて自ら決定することができる。それはサービスを提供する「企業」を作るという考えに似
ている。しかし、自治体は無制限に自治権を有しているのではない。
2 一般法定市と憲章市
このように州政府(日本ならば基本的に国家)は、自治体に権限を与えるに制限列挙方式であるが、しかし自治体に広範な自治権を与えていることも事実である。
アメリカの場合、自治体を作るということは、自治権を与えるということであり、州議会が憲章 (charter)を与えるということである。1850 年頃まで州議会は、自治体を設置する毎に特別立法を制定していた。しかし、それは、いかにも繁雑で非効率的であった。結果として、今日では、自治体の作り方に2つの方法がある。
1つの方法は、自治体の人口規模や課税資産価値などによって類型化し、あらかじめ州議会によって制定された法手続きに基づき自治権を与えるという方法である。カリフォルニア州においては、「一般法定市(General Law Cities)」と呼ばれている。
もう1つの方法は、自治体が独自に憲章を作る場合で、通常ホームルール憲章といわれる。この方法は、ホームルール憲章を州議会が認める場合と、州憲法に付与されている権限に基づき憲章を作る場合がある。

カリフォルニア州の場合は、「憲章市(CharteredCities)」と呼ばれる(Code.Sec.34101- 34102)。
(1)一般法定市政府
一般法定市政府は、州法によってあらかじめ定められた手順によって市(自治体)を作
る。次のような職制が定められている。
(a)最低5名からなる市理事会(b)市書記(c)市財務官(d)警察署長
(e)消防署長(f)法によって規定されている下位公務員・職員
(2)憲章市

要は、州のモデル通り設立するのが法定市と言い、自前の定款で市をつくるのが憲章市ということでしょうか。
ただし自前の 憲章を作れると言ってもホームルール法で決まった範囲の自由度でしかないようですし、法定市と憲章市の 違いを書いた以下の比較表表を見ても議員定数や報酬の基準、任期や再選回数の制限など・・それほどの違いはないようです。

表1 一般法定市と憲章市の比較
特徴
政府形態
一般法定市  州法が政府形態を設立するために市理事会が行う手続きを規定している。
憲章市    市長制、または市支配人制を含むいかなる政府形態も採用できる。
契約
一般法定市  公共事業の契約 5,000 ドル以上の公共事業の契約には競争入札が要求される、等。
憲章市  競争入札が要求されていない。交渉力による契約が用いられるかもしれない
その他省略

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