司法権の限界14・謙抑性2

国家としてのあるべき制度論に戻りますと、何でも裁判で決着を付ける・・今年の春に出た原発仮処分について、国論の割れている重要テーマを選挙の洗礼を受けていない裁判所が最終決定するのは国民主権の原理から見ておかしな制度であること、ましてや、過疎地の裁判官が仮処分で決めて一時停止させてしまうのは司法権の乱用ではないか?と言う関心で書いてきました。
「裁判官の良心とは何か?」から入って、「April 7, 2016「司法権の限界13(人材と身分保障1」から身分保障〜「裁判闘争と合法的テロ?1」〜「地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)」を書いている途中でテーマが横に逸れていましたが このシリーズのテーマと基礎思考が同じ・・その続きでもあるし、ある程度繰り返しになっています。
沖縄の普天間基地移転が裁判で争われているのも、公有水面埋め立て工事許可権限・取り消し権限が知事にある・・国は県の構成員・・住民や企業ではないのに、国が県の許可を受けねばならない変な仕組みを前提に裁判しているようですから、この仕組み自体が狂っているから漫画っぽい争いになっているのです。
※ただし沖縄での知事と国の訴訟内容を直截知っている訳ではありませんので、本当の争点を知りません・・ここは憶測にわたる意見です。
http://www.news24.jp/feature/110/feature110_01.html2016年7月22日 12:20
「米軍普天間基地の名護市辺野古への移設をめぐり、国が指示した「埋め立て承認取り消しの撤回」を行わないのは違法だとして、22日、国が沖縄県を再提訴した。移設については、国と県が法廷で対立していたが、今年3月、和解が成立していた。」
上記によると国に指示権があるとしても、知事が従わないときには裁判しないと効果が出ない制度らしいです・・この裁判の必要により、工事が約2年遅れると言う見通しもあります。
・この辺のテーマは今年の春頃原発運転停止仮処分が出たときにMarch 26, 2016「高浜原発停止と司法権の限界1」以下で書き始め、その後国家的テーマについて過疎地の裁判官→過疎地自治体首長・が決めるべきことか?
・・地元にも大きな影響があるので、ある程度地元意見を尊重すべきですが、最終決定権まで地元住民持つことが妥当かのテーマで、April 20, 2016「地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)」前後で連載しました。
以上考えて行くと、自治体の各種の許認可事項については、国を何故例外扱いの制度設計にしていないのか?の疑問です。
占領軍は地方自治を置き土産として決めただけでしたが、その後を受け継いだ学者が拡大発展させて中央政府をがんじがらめにして各地の自治体の協力がないと政府が何も出来ないようにドンドンとガン細胞のように拡大させて来た印象を受けます。
国策として国権の最高機関である国会の議論の結果、過半数以上の支持で決まったことでも、全国の一部・人口比で言えば数百分の1もない過疎地の1つが反対すると全国的国防網に穴があいてしまう仕組みが統一国家のあり方として合理的である筈がありません。
与那国島の例で言えば人口1500ですから約8万分の1の人口です。
10月16日に紹介した災害対策法に「協力」と言う文言が明記されていますが、政府が決めてもあらゆることで各自治体に協力を求めるしか出来ないのが戦後法制度の骨格です。
今は末端の拒否権が上記のとおり事実上(裁判その他の是正手続が一応ありますが・・)認められている上に、住民が拒否するかどうか決める投票資格が3ヶ月前からその自治体に居住していれば良いと言う緩い要件・・その上外国人にまで投票権を認める自治体がある・・与那国島の例を紹介して書いています。
ここで司法権の謙抑性に戻りますが、March 29, 2016,司法権の限界4(謙抑性1)の続きです。
原発稼働基準は、政治の手続に則って新基準が合法的に設定されているとした場合、司法権はこの基準に合致するかどうかしか判断する権利がない・・基準そのものを批判して政治決定を「間違っている」と決定するのは憲法の予定する司法権限の逸脱であって、許されないと思います。
喩えば、金融政策でもその結果どうなるかを必ずしも専門家も分っていません・・市場が専門家の予想どおり動く保障はありませんが、専門家の意見で兎も角やって見るしかないものです。
私有財産権侵害といえば憲法問題ですから、何でも気に入らなければ裁判出来ることになってしまいます。
司法が日銀の金融緩和決定が(いくら何でもマイナス金利は行き過ぎだとして)間違っている(最近はやりの「国民の理解を得られていない」と言う理由で?)として、(金利が下がるのは預金者の権利侵害には違いないですが・・・)停止を命じるのは、司法権の逸脱です。
年末の日韓合意で言えば、間違っている・・憲法違反として、司法権が無効判決する事自体が許されません。
社会のあり方(無限に近い膨大な要素判断が必要)の判断は民意を受けた政治・国会意思→法で決めて行くべきであって、司法が法の内容が民意にあっているかどうかを決めつける権利がありません。
法と言うものの多くは実際上の必要性が認識されてから、利害関係者双方の綱引きの結果規制法が制定されるのが一般的ですから、実際の不都合発生よりも遅れるのは仕方がないことです。
法がないからと言って利害調整する機関・民意吸収の場でない司法権が前もって判断するのは憲法上許されません。
これが罪刑法定主義の基礎理念で、人権保障の意味で、一般に事後法処罰は出来ないと言われますが、それは結果的効果から見た意見に過ぎません。
法理論・本質的には、司法と政治を分ける基礎思想・・司法は過去の事実を見て当時の状況から見て、違憲判断や有罪判決するのが原則的業務で、将来こうなるべきとして法改正を要求することは許されません。
最近出た非嫡出子の相続分が半分しかない点に関する違憲決定も、当該事件の相続開始時に既に差別するべき合理性が失なわれていた・・国民意識が変化していたと言う過去の事実認定です。
最高裁判所大法廷平成25年9月4日決定
「・・・以上を総合すれば,遅くともAの相続が開始した平成13年7月当時においては,立法府の裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する合理的な根拠は失われていたというべきである。」

上記のとおり、判決時の約12年前の事実認定であって将来このようにすべきと言う判決ではありません。

政策決定と司法の拒否権5

私は原発推進の可否や自衛隊基地がどこにあるべきかの賛否自体を書いているのではありません。
原発の安全性基準や基地設置の可否は国政レベルで決めるべきことであって1地方自治体の意見あるいは1地方の裁判所の意見で最終的あるいは事実上数年単位の差し止めを認めるのは、統一体としての国家制度としておかしいと言う法律家的思考で意見を書いているだけです。
原発安全性基準が合理的かどうかに付いても私は門外漢であって、固有の見識がある訳がないし、基地の必要性についても軍事評論家的な意見の優劣についても全く分りません。
左右どちらの立場であっても、日本と言う共同体の一員として共同体運営のあり方を考えると国家枢要の政策については民意によって国家が決めたら国民や下部組織はこれに従うべきです。
民主主義政治とは、決めるまでに国民の意見を充分に汲み取るべきですが、みんなの意見で決めた以上は決まったことについては、反対派も従うルールであり、いつまでも抵抗する権利を認めることではありません。
しかるに現在の制度や運用が、末端組織が(拒否ないしサボタージュで)最終決定権を事実上持っているようなことになっているかのように振る舞っているが、国家制度としてそれで良いのか?・・どう言う勢力がこういう変な運用を推進して来たのか?と言う法律家としての疑問を書いているだけです。
中間組織の長が上位機関の指示命令に従わずに好き勝手なことをするようになると、その配下組織の長もこの真似をするでしょうし、順次進んで行くと世の中がまとまらなくなって行きます。
組織トップの腐敗が著しいとその組織全体が腐って来るのと同じ原理です。
これこそがCHQ・占領軍が狙った一体感の強いニッポン民族意識の分断政策であり(同質民族否定論・アイヌ民族を強調し、如何にも日本には虐げられた異民族を強調する運動もその一種で今や沖縄県民も異民族の仲間に入れようとしているように見えます)・・サンフランシスコ平和条約で日本独立後は中ソが期待して止まない究極の効果でしょう。
弁護士数年目頃に千葉市まで来ていた高速道路延伸反対運動に勧誘されたときに、違和感を感じて・・よく分らないので参加しませんでした。
自由主義国でもソ連でも高速道路や飛行機利用が趨勢になりつつあるときに、何故日本が計画すると反対するのか、意味不明だったからです。
いま考えるといろんな反対運動の共通性は、日本社会の発展になりそうな新技術や工場設置等には全て公害だとか、電子レンジやパソコンでさえ電磁波が身体に悪いとか言って反対し、最近では防犯カメラに反対していましたし、勿論日本の核保有も公害も反対ですが、中ソの軍拡や核実験や酷い公害には頰っ被りのママでした。
大分前に引用したのは、大会で研究発表した学者の論文だったように思われますが、今「防犯カメラ九州弁連」で再検索するとすぐに出たネット記事を引用しておきます。
http://www.meinohamalaw.com/activity01/5.htmからの抜粋引用です。
監視カメラ問題
2004年10月29日、九州弁護士会連合会の主催で、「監視カメラとプライバシー」と題するシンポジウムが開かれました。
1 監視カメラの有用性に対する批判的検討
・・・国民の意識、世論調査だけによって監視カメラの有用性を結論づけるのは絶対に認めるべきではありません。
(2) 防犯効果に関する検討
・・・犯罪が、「監視カメラがないから起こる」のではなく、貧困や差別等の別の原因によって起こるものであり、監視カメラの設置はこのような犯罪原因の根本的な対策ではなく、単にその場所から犯罪を押しのけるという対症療法にすぎないことを示しています。」

上記主張を見ると,「国民の意識、世論調査だけによって・・結論付けるのは危険」自分たち「エリートに任せろ論」の延長です。
庶民は無知蒙昧・・「庶民の意見を無視しろ」と言う印象ですが、革新系文化人が何かと言うと「民意を無視するな」と運動をしているコトが多いのと矛盾しています。
上記議論の中では勝手に写真を撮るのは人権侵害とも言うのですが、「ファクト」の動画を11月3日紹介したとおり基地反対運動家は無理矢理公務員のマスクを剥がして写真を撮りまくっています・・こんな暴力的撮影が人権侵害ではないのでしょうか?
彼らの言う人権論を見ると、左翼系・反権力系なら言論封じも何をやっても良いが、民族の発展維持方向には何でも反対し反対派に体する言論封じ・民族系デモには、デモ前に取り囲んだりして妨害して結果的にデモや講演を妨害するのは陰で応援してる?全然問題にしていません。
こう言う動きを見ると、彼らの言う人権論は特定政治目的に都合の良いところだけ主張している傾向が多いのではないでしょうか?
上記弁護や九州弁連の弁護士は上記動画に出て無理矢理写真を撮っている人と何の関係もないのかも知れませんが、関係なくとも喩えば、同じことでも日米関連には猛烈な反対運動するのにソ連や中国の核実験・軍拡や公害には一切発言しないのは、偏頗な運動ではないかと言う批判を受けるのと同様の評価を受けるべきでしょう。
人権団体ならば、シバキ隊らによる嫌韓団体の講演会や討論会妨害に対しても、言論の自由擁護の立場から、何故声を上げないのでしょうか?
しかもスーパー店内や公園や街路等の防犯カメラは元々プライバシー性が低いうえに、犯罪事件等が起きなければそのまま一定時間で自動的に消えて行く性質のものであるのに猛反対しているのに対して、・・沖縄での反対運動家の行動動画を見ると防衛局公務員を大勢で押さえ込んで暴力的にマスクを引きはがしたうえで拡散目的で写真を撮っているのですが、こうした行為に対する非難声明を一切出さないところが不思議です。
第2の論理もおかしなものです。
暗くて寂しい夜道の犯罪を防げないから明るい大どおりを遠回りして帰る・街灯を増やしても街灯のないところの犯罪を防げないから街灯設置は無意味・・日暮れ前に帰る必要がない・・夜遅くなった子供を家族が迎えに行く必要がない・・迎えに来てくれない子供が可哀相だから・・各個人の自宅や企業が戸締まりをしたり夜間警備するのは意味がない・・戸締まりをしない家や警備を頼んでいない企業に泥棒を誘導するだけだと言うのと同じで、倒錯した議論をしているように見えることを以前紹介したことがあります。
犯罪の原因をなくすことが重要だと言う子供みたいな議論は、非武装平和論と同じ論理です。
お題目だけで犯罪がゼロになり戦争がなくなるならば、社会は苦労しません・・犯罪をゼロに出来ない(少なくする努力は可能ですが・・交通事故死は激減していますが、これも道徳教育面だけではなく、信号機設置や道路改良の寄与が大きいでしょう)ので、警察や防犯カメラや戸締まり国家として軍備も必要なのです。
経済政策の失敗も犯罪を誘発しますが、だから政治が悪いと言うだけで、犯人検挙は筋違いだ・戸締まり不要とは言えません。
何かと「人権」を楯に主張する勢力は、非武装平和論同様に観念だけで満足して思考停止している傾向の人が多い印象です。
「犯罪のない社会にすることが先決だ」と言うことで防犯カメラ不要論で満足するインテリは、・・彼ら自身の自宅や事務所には戸締まり装置がないのでしょうか?・・自分の小さな子供に物騒な場所に近づかないように言わないのか?・・自宅や自分の事務所には鍵をかけているのに他人には防犯より犯罪のない社会にする方が先だと演説している・・日米にはモンクばかり言うが、中国の軍拡や領海侵犯には何も言わない偏頗な論理と大小の違いがありますが,行動矛盾の点では共通でしょう。
頭の良い人の議論はこうなり易い適例です。

政策決定と司法の拒否権・・仮処分4

仮に安保条約や自衛隊違憲論に固執する人が数%になり、あるいは岩盤とも言うべき1%以下に支持率が下がっても、司法が最終決定権を持つようになると、支持率(民意)には関係がなくなります。
裁判官の中に同率の思想共鳴者がいると大きな影響を及ぼします。
本日現在のウイキペデイアによれば平成25年5月16日現在の定員は、高裁長官8人、判事1,889人、判事補1,000人、簡裁判事806人である(裁判所職員定員法1条)。最高裁判所裁判官15人を含め、3,718人。」
となっています。
その2%でも約70人もいることになります。
司法の場合には地裁も高裁も、最大で3名の裁判官で大きな影響のある原発稼働停止命令や基地関連工事差し止めなどの仮処分決定や判決を民意と無関係に言い渡せる点が恐ろしいところです。
3名平等の表決権と入っても一人は見習い的新人裁判官であり、もう一人は裁判長より約10年あまり後輩なので多くは裁判長の主導で基本方針が決まる仕組みです。
70人を3で割ると、全国で20数名の裁判長クラスの人がいることになります。
偏った考えの人は裁判官としての適格性が低いのであまり出世しない・・年季上中堅・裁判長クラスになっても僻地・裁判官数名の小さな地方裁判所に勤務している率が高くなります。
以上は私の偏見だと言われるかも知れませんが、東京や大阪の地裁所長で定年になった人と、人口100万に満たない県の地裁所長で定年を迎えた人を比較すればどちらが・・相応の人物として評価されているかを見れば明らかでしょう。
企業でもどの程度の地位で終わったかが一般的(例外がありますので特定裁判官の人物評価が低いと言う意味でありません・「一概に言えない」のは当然です)人物評価です。
原発停止仮処分を出した大津地裁の裁判官担当表がネットに出ています・・全裁判名は以下のとおりです。
「合議A係 山本善彦,小川紀代子,平井美衣瑠
毎週火曜,随時の金曜 1 合議B係 山本善彦,溝口理佳,芝田由平,岡田総司
毎週木曜 1 1係 山本善彦  第2,4金曜 1 2係 溝口理佳
毎週火・金曜 2 3係 芝田由平  毎週水・金曜 3 3S係 佐藤克則
随時の火・金曜日 3,4 4係 小川紀代子 毎週木曜 3」
上記によれば山本裁判官がAB両合議体を仕切っていることになるので、同裁判長の出した仮処分が本案訴訟に移ってもほぼ同じメンバーで再審理することになります。
この夏に同裁判長名の保全異議の結果が出ましたが、結論は同じです・・何百年に1回起きるか否かの科学知見が半年やそこらで変わる訳がないので、結論が変わる訳がないでしょう。
東電側としても証拠評価に関して余計な主張をしても、どうせ採用されない・・長引くだけ損なので一刻も早く高裁に移って別の裁判官に審理して欲しいでしょうから、何も主張しないですぐに結審してもらったと見えます。
http://www.asahi.com/articles/ASJ7C4S44J7CPTJB01D.html高浜原発の運転差し止め維持 大津地裁、関電異議認めず2016年7月12日15時58分
 関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定について、同地裁(山本善彦裁判長)は12日、取り消しを求めた関電の保全異議を退けた。関電側は大阪高裁へ保全抗告する方針だが、差し止めの効力は維持され、2基を動かせない状態が続く。
「異議審は、差し止め決定を出した山本裁判長ら3人の裁判官が担当。山本裁判長は関電側が申し立てた執行停止も6月却下した。」
上記のとおり地方の地裁では裁判長クラスが一人しかいないので(千葉の場合では民事5部まであり、1部内に裁判長クラスが2人いることもあるので5人以上います)・・ひとたび停止決定が出ると高裁判決が出るまで稼働停止になってしまうのですから、全国で2%=70人しかいなくても大変な影響力を持ちます。
これが自衛隊基地が危険だとか騒音が酷過ぎると言う理由で使用停止命令が出るとどうなるかの関心です。
オスプレーの墜落危険性強調による配備反対運動(マスコミも如何にオスプレイが危険かの報道が続いていました)がありましたが、米軍基地関連では、安保条約が国内法より上位規範ですから「砂川基地訴訟」のように安保条約が憲法違反と主張して裁判しない限り仮処分申請をしても法的に無理があります。
駐留軍がどう言う兵器を使うかについては原則として駐留軍の勝手ですから、特別な約束がない限り、(核兵器を持ち込まないと言うのも紳士協定でしかない・・米軍は軍事機密を前もって日本に通告する義務がありませんし日本は検閲する権利もありません)日本政府が口を出せるかは、条約で決まっていることですので、左翼系の得意な裁判闘争が出来ないままウヤムやになっていたと思われます。
ヘリパッド工事禁止仮処分申請が出ていることを11月4日に紹介しましたが、基地内で米軍発注工事をするには沖縄県知事・市長の許可がいらないと思われますので、ヘリパッド移設工事に県知事が許認可しないと言えないので?上記のとおり、工事が近隣住民に危険などの理由で運動体の名で工事禁止仮処分申請をしたのでしょう。
騒音被害や墜落危険被害を理由に差し止めが求められるならば、与那国島にレーダー基地があると「中国の先制攻撃を受けるから危ない」と言う主張も、訴訟論理とすれば似たようなものでしょう。
与那国島の基地使用禁止仮処分申請が出た場合の管轄で言えば、那覇地裁石垣支部(事件の重大性から普通は合議事件にするのですが、(ソモソモ石垣支部には裁判官が一人しかいないので本庁に移送するのかな?)の裁判官になりそうですが、仮に差し止めの仮処分命令が出ると、その異議審では上記のとおり結果が変わらないのが普通です。
高裁に移って初めて別の裁判官による仕切り直しですから、高裁で仮に仮処分が取り消されるにしても結果的に1年くらいはかかってしまいます。
それまでの間基地使用が出来ないと中国のやりたい放題ですから、その間に戦争の勝敗が決まってしまうので、漫画的システムです。
(尖閣諸島で言えばそんなに長い戦闘行為は想定出来ません・・半年も占領されたままにしておけば、既成事実を前提にした和平交渉が始まってしまうのが普通です。)
以上の実際的効果を想定すると、自衛隊基地に対する反対運動は中国が攻めて来たときに当面・・半年程度自衛隊が機能しないようにする目的・・社会党が放棄した筈の非武装論・・国防力無力化の貫徹を目指した運動そのものと評価出来ます。
ウイキペデイアの記事のとおり、60年安保はソ連の資金で動いていたと一般的に思われていますが、沖縄での反対運動では本州から大勢が行き、働かないで毎日座り込みなどをするには相当の資金がいりますから反対運動資金をどこが出しているのでしょうか?
今は、ソ連はなくなっているしロシアにとって沖縄騒動は基本的に遠い場所の話ですから、沖縄の基地機能を低下させ沖縄県民を日本人とは別民族だと言う意識を強化して利益を受ける国はどこかとなれば、尖閣諸島〜沖縄の切り離しを狙う中国ではないかと想像する人が多いのではないでしょうか?
沖縄進出・・長期滞在しているシバキ隊の資金源・・回り回って大元の出し手が分らないようになっていると思われますが、どこが大元の出し手になっているかが問題です。

政党は約束を守らなくて良いか3(ロシアのデフォルト2)

日露戦争前から帝政ロシアが何故デフォルト寸前の破綻状態に陥っていたかを考えると・・中世から近世に掛けて、スペイン王室が戦争ばかりしていてその都度イタリア商人から借金を繰り返していて、スペインのお王様が何回も(アメリカ大陸から莫大な金銀が入って来たのにこれを使い果たして)破産したのと似ています。
ロシアの経済破綻はクリミヤ戦争で負けたことだけが原因ではなく、大きな目で見れば、歴代皇帝が支配地拡大に入れ込み過ぎた結果と見るべきではないでしょうか?
支配地拡大を為政者が本能的に求める傾向がありますが、日本で言えば北方領土や竹島が戻っても(心情論を別とすれば)経済的に何か得るところがあるでしょうか?
逆に過疎地が増えて国民負担が増えるだけ・・ましてこのために戦争まですれば、まるで無駄遣いです。
ロシアは元々イワン雷帝やピョートル大帝以来、バルチック海への入り口を求め、シベリアにあるいは、南に支配地を拡大していって、何か得るところがあったかの疑問です。
ソ連経済も同じで、中核のロシア共和国の支配力維持のために域内共和国へは国際相場の何分の1かの超低価格で天然資源の供給をして来たことが知られています。
日本でも村の顔役を張ると余計な寄付をする羽目に陥るし、威張るには金がかかります・・アメリカもそれが嫌になって世界の警察官をやめたいと言い出したのです。
現在の尖閣諸島であれ、南沙諸島であれ、中国がこんな無駄なことに(大量の漁船団に日当を払っていると言われています)国力をつぎ込んでいるのは、国家財政→国民の大きな負担になっています。
世界中で威張りたい一心で、中国は不要な軍事力の膨張を続け経済合理性のない資金をバラまいていますが,長期的には国運を衰退させてしまうでしょう。
古代からみても、漢の武帝が遠征を繰り返した結果次の世代がダメージを受けましたし、随の煬帝も高句麗遠征でつぶれ、モンゴル・元も日本への2回遠征で倒れました。
戦争に負けるとダメージがすぐに表面化しますが、勝っていても戦争を続ければ古代から多くの国がつぶれています・・。
スペイン王室も戦争に負けてばかりだったから、破産したのではありません。
ウイキペデイアによれば、以下の通り最盛期の王様です。
「スペイン王にして神聖ローマ皇帝に選出された父カルロス1世は当時のヨーロッパで最大の勢力を持ち、ヨーロッパ以外の広大な領土とあわせて、その繁栄は「太陽の沈まない国」と形容された。なお、現在のフィリピン共和国、フィリピン諸島などの「フィリピン」は、1542年、スペイン人のコンキスタドールによってラス・フィリピナス諸島と命名されたことに起源を発するが、これは、当時アストゥリアス公だったフェリペの名に由来する。」
「フェリペ2世は、1556年の即位と同時に膨大な借金も受け継ぎ、翌1557年に最初の破産宣告(国庫支払い停止宣言:バンカロータ)をせざるを得なかった。在位中にこれを含め、4回のバンカロータを行っており、フェリペ2世の時代の厳しい国庫事情が伺える。しかしイタリア戦争においては1559年、カトー・カンブレジ条約でフランスのイタリアに対する要求を放棄させた。」
話題が飛びますが、デフォルトの繰り返しの結果(日本の大名貸しが危険だと言われていたのと同様に不良債権のために)イタリア商人も没落して行き・・産業革命に成功した英仏蘭の時代に移ります・・。
このように物造りあるいは実業によらないで、金融資本に頼ると貸している方も危なくなるのが歴史の教訓です。
ロシア経済・貨幣制度の発展段階に深入りするのがここのテーマではないので、社会党→社民党の一体性に戻りますと、ロシア革命後のソ連→現在のロシア同様に、社会党時代の資産(プラスマイナスを含めて)を引き継いでいるのが社民党です。
現在の集団自衛権反対や基地に対するケチ付け運動の基本は、「日本がアメリカの戦争に巻き込まれるリスクがある」と言う主張が基本ですから、元々の60年安保反対運動時の主張と同じ・・今も繰り返しているのでは、村山内閣の「安保堅持」を守っていないことになります。
60年安保に関する本日現在のウイキペデイアの記述は以下のとおりです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D%E9%97%98%E4%BA%89
「安保は日本をアメリカの戦争に巻き込むもの(※在日米兵犯罪免責特権への批判もあり)」として、多くの市民が反対した。これに乗じて既成革新勢力である社会党や日本共産党は組織・支持団体を挙げて全力動員することで運動の高揚を図り、総評は国鉄労働者を中心に「安保反対」を掲げた時限ストを数波にわたり貫徹したが、全学連の国会突入戦術には皮相的な立場をとり続けた。とりわけ共産党は「極左冒険主義の全学連(トロツキスト集団[4])」を批判した。これに対し批判された当の全学連は、既成政党の穏健なデモ活動を「お焼香デモ」と非難した。
なお、ソ連共産党中央委員会国際部副部長として、日本をアメリカの影響下から引き離すための工作に従事していたイワン・コワレンコは、自著『対日工作の回想』のなかで、ミハイル・スースロフ政治局員の指導のもと、ソ連共産党中央委員会国際部が社会党や共産党、総評などの「日本の民主勢力」に、「かなり大きな援助を与えて」おり、安保闘争においてもこれらの勢力がソ連共産党中央委員会国際部とその傘下組織と密接に連絡を取り合っていたと記述している」
上記によれば50年前の安保騒動のときも今の集団自衛権反対論同様に巻き困れリスクが争点だったコトが分ります。
安保反対論の根幹が「戦争巻き込まれリスク論」であったのは上記のとおり明白ですから、村山総理が国会で、安保反対を言わないどころか「堅持する」と約束しながら一体性のある社民党が今も「戦争巻き込まれリスク」「騒音があ・・」とか「危険がある」とかを理由にして米軍基地の利用妨害のために次々と足を引っ張るための反対するのは、約束違反です。
ヤクザでもギャングでも、組員や関係者に対する約束を守らないと組織が保ちません・・。
大もとの約束・・社会秩序も守らないで仲間内だけの約束だけは守る・・政府や真人間の落ち度追及には(鼻が利き)言いがかりをつけてダニのように食い下がり、ヤミでのオトシマエを求めて行くのが違法組織・テロ組織(テロ組織も現場へ行く交通や破壊すべき電車その他社会機能が予定どおりやって来る前提でそれを破壊することを予定しています)の特徴ですが、そう言う違法組織と大差ないコトになりませんか?
違法組織と大差ないと善良な国民が知れば、今後益々支持率が下がって行くでしょう。

政党は約束を守らなくて良いか2(ロシアのデフォルト1)

ソ連解体後の新生ロシアは、帝政ロシアの旧債務支払義務を認めて国際取引社会復帰を果たせたとその頃報道されていたようなうろ覚えですが、ネット検索してみると、新生ロシア「共和国」がソ連の債務を引き受けて完済したのは出て来ますが、帝政ロシアの債務をその債務に含んでいる意味なのかがはっきりしません。
(ソ連は帝政ロシアの債務支払を拒否していたので、国際取引に必要な信用状発行を国際金融界から何十年も拒否されていた・現金取引しか出来ない状態がロシア革命以降続いていたという解説がありますが、そこには根拠が引用されておらずデータ的にはよく分りません。)
http://www.ier.hit-u.ac.jp/rrc/Japanese/pdf/RRC_WP_No57.pdf
帝政ロシア・ソ連・現代ロシアの金融統計の発展
と言う論文を見ると、そもそも(それまでの農奴制社会が崩れ始め)帝政ロシアで漸く貨幣経済・銀行制度が始まりかけたときに,日露戦争敗北〜第一次世界大戦〜ロシア革命前後の動乱が約10年間続き、その間貨幣経済が機能しなくなり物々交換経済に逆戻りしていたことが分ります。
およそ何千倍と言うハイパーインフレ(貨幣価値が1万3千分の1に下落)が続けば結果的に物々交換社会になって行くしかないでしょうし、モノ不足が極限化すれば共産主義かどうかに関わらず配給=貨幣不要社会にならざるを得ないのが現実です。
以下は上記論文の一部引用です
「内戦が激化した 1919年5月には人民銀行に対するすべての通貨発行制限が廃止され,通貨は国民経済の必要に応じて発行することとなった.1920年 1月には,人民銀行そのものが廃止され,紙幣発行は財務人民委員部(財務省)の業務となった.形式的には, 1897 年以前の国家紙幣発行が再現されたことになる.もっとも,実状は第1次世界大戦から革命,内戦へと続く混乱の中でハイパー・インフレーションが進行し,金融制度も通貨も機能しない状態であった(Alkhimov(ed.)[1981]pp. 8–9).1920年7月1日時点で,1 ルーブルの価値は1913年ルーブルの 1/13,000 まで低下し,1921 年初期において賃金の 93% は現物給付であり,税金納付も現物化されていた」
国内でさえ貨幣経済が機能しない混乱状態では、ソ連新政府が帝政ロシア政府の債務を返すどころではなかった・・本来デフォルトで良かったのにこれをしないで開き直って政府が違うから払えないと強弁していたに過ぎない印象です。
約10年間の原始的物々交換時代を経てNEP(新経済政策)で漸く経済混乱が治まった後に銀行制度の萌芽が始まりますが、それも共産主義経済強化・イデオロギーによる自己正当化によって(この辺の印象は私の個人感想です・・念のため・・)話がややこしくなってしまった印象です。
貨幣経済化の遅れを共産主義と言う理念で正当化する・・銀行制度などいらない・そもそも(民間企業がないとすれば)企業が融資を受ける必要がない・・全部国有企業・国有農場であれば、必要な資金は融資や投資ではなく、政府が予算として分配する仕組みで理屈だけは一貫します・・。
個人消費は全て配給制にするなど・・。
上記論文によれば、そうは言っても貨幣がないのは不便なので、中央銀行制度を作ってみたり、行きつ戻りつの繰り返しをソ連崩壊直前まで繰り返して来たことが分ります。
ソ連のデータが全くインチキで信頼性がないと言われていましたが、金融史の専門家の上記論文を見ると、ソモソモ統計以前に前提たる貨幣経済・・信用・与信システムが充分に浸透していなかった社会状況に唖然とします。
帝政ロシアの国家債務がどうなったかの根拠のありそうなデータが見つかりませんが、帝政ロシアの債務承継については以下のとおり(根拠不明?)のやり取りが出ています。  http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13140977113ベストアンサーに選ばれた回答
zuoteng1981さん2015/1/2916:14:53
「ソ連はその成立時に対英国だけではなく、全ての国に対する債務を一切拒否しています。
英国の損害も少なくありませんが、最大の損害を出したのは仏国です。仏露同盟の関係で多くの投資を行っていたんですね。」
歴史では仏露協商ばかり習いますが、11年頃から続いている南欧危機同様に、ロシア革命前に何回もロシアのデフォルト直前の危機が発生していて、貸し込んでいた西欧諸国が何とか支えて来た経緯があります。
上記論文http://www.ier.hit-u.ac.jp/rrc/Japanese/pdf/RRC_WP_No57.pdf
帝政ロシア・ソ連・現代ロシアの金融統計の発展の一部の引用です。
「・・・1854年のクリミア戦争の敗北は,政府主導による近代化・工業化をさらに強化する契機となった.帝国ゴスバンクは農奴解放の前年の1860年に設立された.この時期の帝国ゴスバンクは,中央銀行というよりは,国家資金の経済への供給を主要な役割としていた.近代化・工業化の加速に伴い資金需要が増大していた一方で,1857-1859年金融危機により従来の諸国家金融機関はほぼ破たん状態であった.外国銀行からの借入は月利2%の高金利であった・・省略。
月利2%と言えば年利24%ですから、政府がデフォルトしてくれないで国民に緊縮・増税を要求するならば、(贅沢して借金したのは王侯貴族ではないかと言う不満・・)国民は革命でも起こしたくなるでしょう。
ギリシャ・・南欧諸国危機では緊縮政策=貸し込んでいる債権国の独仏蘭(の金融機関は2〜3割有していると言う噂でした)がデフォルトされると自国銀行が連鎖倒産→自国の公的資金投入が必要になることから、「南欧の債務国が質素倹約して借金を返せ」その代わりECB+IMFが南欧諸国の国債買い入れを認めて当面救済することに決めました。
多分ロシア革命前に繰り返されたロシア危機でも、似たような繰り返しが行なわれていたでしょう。
ECBによる国債買い上げでギリシャやイタリアは何とか息をついたのですが、少し落ち着くと国民が緊縮の継続に耐えられなくなり、ギリシャでは緊縮反対派のリプラス氏が今年7月に国民投票に掛けて6割以上の支持を受けています。
緊縮の継続に国民が我慢出来ない・・(ギリシャのような国民投票制度がなかったことが)ロシア革命の経済的要因・・だからこそ、革命政府が支払を拒否したとも言えます。
元々債務超過国で苦しんでいたロシアが巨額戦費のかかる戦争などしている余裕がなかったのに、遠隔地の極東で日英同盟のある日本と戦端を開いたのが失敗でした。
薩長同盟が出来ている状態下で、沽券に関わる程度の意味で?第2次長州征伐を敢行した幕府に似ています。
国民からしてみれば、自分たちの生活にはどうでも良い遠くの極東での覇権争いのために自分たちに戦費負担や生命の提供を求めるのは納得がいかなかったでしょう。
日露戦争では、日露共にユダヤ資本から戦費を借りたのですが、日本は戦争に勝ったのと経済興隆・勃興過程にあったことから(第一次世界大戦による好景気到来で)1916年までかかって漸く返せたのに対し、ロシアの方は、元々デフォルト寸前を繰り返して漸く息をしているような脆弱な体質であった上に戦争に負けて借金だけ膨らんでしまった。
ツアーの威信が大きく傷ついてしまったので国民に対する抑えが利かなくなって混乱状態が激しくなっているときに第1次世界大戦に巻き込まれてしまったこと(好景気が来た日本とは好対照)が致命的でした。
国内不満が大きくなる一方で内政混乱に陥ってしまったことから、国民が借金返済に堪え切れなくなった・・・デフォルトの政治的表現がロシア革命であったと見ることが可能です。

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