高浜原発停止と司法権の限界1

原発事故の被害想定が過大であったかどうかは別として、そもそも国民の信任を受けない司法が、どの程度の確率の安全ならば良いかについて最終決定権があるのでしょうか?
地震予知は科学的合理性では不明の状態にある・・現在科学では何年も前から具体的な地震予知が出来ないことが世界の常識です。
100%確かではない事柄は世の中に有り余るほどありますが、それでも日々何かを決めて行くしかないのが現実社会です・・。
企業で言えば、設備投資リスクや企業買収や、国外工場進出のリスク不明でも一定の情報でやるかやらないかを決断するしかないのですが、その代わり失敗すれば決断したトップが責任をとるしかないのが政治責任と言うものです。
原発安全基準もどの程度の地震がいつ来るか全く不明なので、原発設置するべきか否かも工場進出同様の政治決断しかない分野です。
政治が決めた決定基準・・その道のプロ集団がしている安全基準や適合性判断を司法権が否定するのは憲法違反行為です。
革新系は頻りに政治運動で負けると憲法違反を叫びますが、本来政治で決めるべきことを司法で決めるべきだと裁判を仕掛けること自体が憲法違反を(ガードの甘い裁判官が一定割合でいるでしょうから、)誘発するための運動になります。
権限外の判断をして憲法違反するのは担当裁判官であって、仕掛ける弁護士の責任ではないとしても、しょっ中仕掛ければタマにドジな裁判官に引っかかると言う意味で違反を誘発する方にも相応の道義責任があります。
国家にとって重大な事柄を、本筋の訴訟手続でない簡易な仮処分で決めるとなれば、二重に権限逸脱の可能性があります。
上記のとおり慎重審理の本案訴訟の結果決めても司法の範囲外・・権限外の疑いがある上に、軽易迅速を旨とする仮処分手続で決定をするには慎重審理する時間を待てないほどの巨大な被害が起きることプラス緊急性認定が必要です。

民事保全法(平成元年十二月二十二日法律第九十一号)
(申立て及び疎明)
第十三条  保全命令の申立ては、その趣旨並びに保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性を明らかにして、これをしなければならない。
2  保全すべき権利又は権利関係及び保全の必要性は、疎明しなければならない。

上記保全の必要性がこれにあたります。
保全の必要性とは本格的訴訟手続による判決を待てないほどの緊急性と被害の大きさの掛け算です。
これまで被害想定の重要性を書いてきました・・・・昨日伊方原発再稼働にはコストがかかり過ぎるので断念するとのニュースが出ていましたが、過大に被害想定すると対策費用がこれに比例します・・産業を活かすも殺すもコスト次第・被害想定次第であることが明らかにされたと思います。
以下事案の緊急性認定に関心を移して行きます。
判例時報などで決定文が活字化するのは約半年後ですので、まだ決定理由を見ていませんので詳細不明ですが・・。
どこかネットに出ているかも知れませんが、私は仕事の合間にこのコラムを思いつきで書いているのでまだ見る暇がありません・・判例時報に出れば仕事の一環として読むヒマがあります。
高浜原発のある地元福井地裁の停止決定が(同地裁の別の部か高裁だったか記憶していませんが)最終的に否定されているのに、もっと遠い隣県の大津地裁の方が危険・・本案訴訟の結果を待てないほどの緊急性があると言う決定になったのが不思議です。
(ただし決定の違いが危険性の差であるとした場合です・・)
28年3月11日に医療事故のミス認定判断との比較で書きましたが、実害が起きた後の医療ミス判断は、いわゆる「後講釈」ですからそれほど難しくないし、司法判断に馴染まないとは思いません。
交通事故や予防接種などを見ても分るように、事故が起きた以上は余程のことがないと、過失なしと言う判決を受けるのは難しいことも国民が納得しています・・。
実際に死亡事故など実害が起きている場合、相応の補償か賠償して補填すべき必要性もあります。
しかし,事故が起きる前に道路交通法の基準・・あるいは建築基準法の基準・・飲食で言えば保健衛生基準等々が緩過ぎるかどうかの合理性を事故前に司法が判定して良いか・・しかも他の批判を許さないかのような即時効(仮処分)を認めて良いかは別問題です。
数学の公理のようにはっきりしている分野では専門家が最終決定する仕組みで良いのですが、上記のとおり専門家でも地震予知不可能である以上は最終的に政治が決めるべきです

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