高浜原発仮処分と原発被害想定基準1

話を戻しますと、事故発生率と予防接種によってすくわれるメリットとの兼ね合いで、その事業をやめるか・鉄道を緊急停止するか、その地域での居住をやめるかを決めるのは、民意を吸収した政治判断で行なわれます。
司法がこれに介入して事故発生率が100%ないと言えないことを理由に予防接種禁止命令を出したり、鉄道運行停止、居住禁止命令を出すのは行き過ぎ・・越権です。
飛行機やロケットの歴史を見れば分りますが、科学技術に限らず、(どんな仕事・スポーツでも最初は失敗しながら改良して行くものです)ものごとの最初は失敗リスク率が高いのが普通です。
失敗はつきものですから、実害が生じてからの損害賠償請求は、これを人類発展のために予定されたリスク分担として補償や保険と言うか名称の問題は別として、(・・ロケットが民家に落ちれば被害弁償すべきでしょう)何らかの被害補填すべきである点は争いがありません。
他方でまだ何の損害も発生していないのにリスクがあることを理由に、実験や操業停止を命じられるのではどんな既存の商売も・・ましてドローン利用や仮想通貨など新規商品はリスク一杯ですからやって行けません。
日本一の名医と言われている人でも、回想録などによると年何百回の手術例の中で何割かの失敗があると書いています。
長島,王などの名選手(たとえが古いかな?)でも空振り3振が一定率あるのと同じです。
100%の安全性を事前に要求するのは、「空振りする可能性があるならばバッターになるな」と言うようなものですが、空振り3振は実害が少ないから同じ問題ではないと言えますが、そうなると仮処分の成否は実害の想定次第になるでしょうか?
実害と言えば、監督や選手にとっては9回裏ツーアウトの場面で一打逆転するかどうかと言う意味ではその「一打」がどうなるかの損得は「命がけ」です。
小は小なりに必死・・重要性は、同じではないでしょうか?
被害想定の大きさに比例して停止の影響の大きさも甚大ですから、「ものごとの禁止や推進には、大は大なりに、小は小なりに」対の比例関係にある点は同じです。
政治運動には必ず利益を受ける層と損する層があると書いてきました。
被害の大きさを主張する勢力は、操業停止による産業発展その他に波及する国民的被害を見ないことにしているし、操業停止の被害を言う場合事故被害を過小に見ている関係があります。
私の子供の小さい頃に親子劇場の鑑賞を楽しんでいたところ、専用ホール建設運動の署名を求められたことがあります。
商業的に成り立つならば結構だが、税で作るとその税負担が将来どうなるの!と言う疑問を言うと、運動家は怪訝な顔をするだけでした。
対になる税負担を見ないことにしているのです。
大方「運動家」と言うのは自分の懐を痛めない税で負担させようとする自己中心の運動が大多数です。
税になると一般人にとって、直截自分が損をしない・・拡散するので反対するほどの損ではないとなり勝ちで自分の損が目に見えないので署名活動に反対し難いし、稀に議論まで行くと大企業からもっと税を取れば良いと言う方向へ話題が行くの(消費税で言えば、軽減税率など自分だけ良ければという発想)が普通です。
以前には自衛隊戦闘機1機でこれだけ作れると言う言い方がはやっていました。
弁護士会でも何かと言えば、「会」で主宰して欲しいと言う要望が出るのはこの一種です。
年初以来保険財政赤字原因として連載しましたが、高度医療の「保険適用が漸く◯◯から認められるようになって良かった」と言う一方的朗報としてマスコミ報道されるのが普通です。
トクテイ難病者にとっては、朗報ですが国民は難病者だけではありません・・・資金負担するだけの国民の方が圧倒的に多いのが原則です。
本来少数者の利益・・多数の損になることを、マスコミはあたかも国民多くのメリットのような報道をしています。
可哀相な人を救う気持ちは尊いことですが、それは国民がはっきりと利害を開示された上でそのように思ってこそ尊いのであって、特定高度医療に保険適用すると年間どのくらいのコスト増になり、一人いくらの負担になるかの試算をその都度発表すべきです・・。
コスト負担を紹介しないで、マスコミが国民意思を勝手に代弁して「目出たい」ことになったと言う方向ばかり誘導するのは・・一方に偏った報道です。
我田引鉄・・有力政治家がコストを無視して自分の政治地盤に国鉄を誘致した結果巨大赤字になったのも同じでした。
何事も目出たいことの対になるコストを考えておかないと際限なく赤字が膨らんで行くし、あるいは安全のために規制さえすれば厳しくすれば良いと言う一方的意見ばかりだと産業基盤をぶちこわしてしまいます。

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