被害想定基準3

マスコミや日弁連「自由と正義」3月号の原発被害特集を見ると地元被害が如何に大きいかを強調して何十年経ってもまだ復興出来ていない・・こんなに被害が大きい・如何に原発被害が大きいかを(原発被害なのか過剰避難命令による被害なのかの検証姿勢がなく)自作自演して(それどころか自主避難者も救済すべきと損害を拡大させて)行く印象が見えます。
高台移転を言っていた古人の業績ばかり強調し、最近これを無視していた咎めが出たかのような報道が圧倒的です。
しかし高台が安全なことを知りながら危険な筈の海岸沿い居住を大多数現地人が何故選択していたかの合理的検証を全くしていません。
これは1000〜800年に1回くらいの被害ならば、そのとき逃げればいい・・ある程度の人が運悪く逃げ損なっても統計的に大した損害ではないと言う庶民多数の自発的に選んで来た智恵ではないでしょうか?
ちなみに「市」とは、5万人以上が基本要件です。
ウイキペデイアでは以下のとおりです。

市・町・村の条件[編集]
市は以下の要件を満たさなければならない(8条第1項)。
人口5万人以上。ただし1965年(昭和40年)以降は、市町村の合併の特例に関する法律(平成16年法律第59号の新法では第7条)の規定が適用されれば3万人以上。

昨日紹介したとおり、陸前高田市等特殊被害最大地域でも被害者は人口比11%あまりでしかなく、その次に被害の大きい22市町村では、100人前後の被害とすれば、人口5〜10万人平均として500〜1000分の1しか被害者がいません。
要するに殆どの人が助かっている・・逃げるのに成功していたと言うことです。
殆どの人が助かっていると言うことは、彼らが津波に逆らって勝ったのではなく逃げる判断・ルートさえ適切であれば助かったとおおよそ推定出来るでしょう。
そうとすれば、広報活動や水門を閉じる仕事などをしていて逃げ後れる人を減らす計画や病気等で逃げられなかった人を今後どうするか程度の議論でいいのです。
海抜5〜10メートル前後の大規模人口集中地は全国至る所にあって、工場や商店街も高台しか設置できないとなれば日本列島では生活が成り立ちません。
自然に逆らう巨大堤防を作っても限界がある・そんなことに頼るよりも早く逃げた人は皆助かっている現実を何故報道しないのでしょうか?
早く逃げる・逃げられる設備造り・・ここに防災活動の原点・眼目をおくべきです・・。
イザと言うときに逃げられない病人・高齢者・・病院・老人施設等は高台に作っても日常元々自分で買い物や仕事などしていないから、高台に設置しても実害が少ないし抵抗が少ないでしょうが、日々仕事する漁業施設・仕事場は海辺直近にないと不便です。
これを無視して「高台で魚介類の水揚げ作業しましょう」と言っても無理があり,仮にこれを法で強制すれば生産現場に近いからこそ成り立っている各種漁業系産業が(競争力を失って)壊滅します。
その他近代産業は物流を含めて大量の水を必要としているので,(世界中で内陸国が発展出来ないのはこのせいです)海岸から隔離するマスコミ宣伝によれば各種産業はほぼ壊滅です。
被害の大きい陸前高田市の景色を見れば、近くに小高い丘や山がない地域では徒歩で逃げるのに無理があったことが分ります。
日本中の大都会は全て海岸沿いの平坦地ですから、高台移転論は現実的でないことが分ります。
大都会では、何十万人も一斉に逃げるのは無理があるので、身近な高層の避難場所を中心に準備すべきでしょうし少人数地域では先ず逃げる準備中心であるべきでしょう。
小集落裏の岡へ逃げるのに便利なように至る所に石段を作るとか、ある程度の距離の場合、クルマ等移動手段が発展する一方ですから、(自動運転化技術の進化によって高齢者・弱者も簡単に使える時代がもうすぐ来るでしょう)から、海岸線に平行する道路が多い現状から普段使わなくても海岸から、内陸に向かう道の増設、地震発生と同時に水平移動よりは、上下移動方向優先に信号を切り替えるなどのソフトの工夫・・によって人口の少ない地方都市の場合大方助かるのではないでしょうか?
津波に逆らう巨大堤防を作っても維持コストが膨大で、しかもその間邪魔になるだけで有効利用する方法もありませんが、高台に移動する道路を多めに作っておいても堤防と違って邪魔になりません・・地域の人にとって日常生活が便利になるだけです。
ところで古代から津波被害を知っている地元民の多くが、この教訓を守らずに何故高台移転しなかったかを「バカにしないで」その身になって考えて見ましょう。
最大でも1000年×365日に1回でしかも人口の10分の1しか犠牲にならないとすれば、自分がある日、被害を受ける確率は言わば365万分の1の確率ですし、人口の500分の1の被害ならば、約1800万分の1の確率でしかないのですから、毎日遠くから海岸の漁港まで通っていられるか?と言うことではないでしょうか?
高齢になれば住み慣れた自宅が良いし、80〜90歳になって逃げられなくとも、どうせいつか死ぬし・・「そのときはそのとき・・」と言う達観した考えの人も一杯いるしょう。
私自身に置き換えれば「もう十分に生きたし焦ることはない、日々便利な方が良い」と言う判断に傾きそうです。
今後は高齢者やリタイヤーした人の中で、集団生活するようになった人中心に高台移転・・老人ホーム病院などを作れば良いと言うことではないでしょうか?
まだ命の惜しい人でも、海岸にしか病院や老人ホームがないと自分の意志で高台を選べないことになります。
何万日に1回のリスクよりは毎日海の近くで潮の香を嗅ぎたい人は、本人の意思に任せるべきです。
保育所や小学校などは毎日の通学送迎があるので利便性を考えて居住地付近・・便利な海沿いに作っても、その代わり、避難マニュアルや避難用バスなど充実させれば済むことです。
学校や保育園など被害は、避難判断次第であったことが分っています。
こうしたいろんな選択肢があるのにマスコミが全くこれに触れないで、「大変、大変だ」と騒ぐばかりで結果的に地域の人が元どおりに住む意欲をなくす方向ばかり煽り続けるのは、地域社会の破壊破壊効果があります。

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