第三者委員会の役割2(朝日新聞慰安婦報道1)

慰安婦報道と池上氏コラム掲載拒否問題については、別の第三者委員会の検証対象になっています。
以下第三者委員会見解の紹介です。
この委員会では慰安婦強連行に関する吉田氏の著書や講演が虚偽であったこと自体については後に吉田氏自身が認めていることなどから、委員会意見は(最高裁判決で言えば法廷意見?)約30年間も訂正・取り消ししなかったことの是非に焦点が当たっています。
発表当初に裏付け取材を一切しないまま発表した経緯とその後修正・取り消しが遅れた経緯・・トップの責任追及的視点・・その後の処理対応が悪い点に力点を置いていて、(どうせやめるに決まっている人に責任を取らせる図式です)国民が知りたい朝日の基本的体質・・日本民族非難目的的報道体質そのものの掘り下げは緩い感じを否めません。
原発吉田調書同様に、事実経過報告とどめて主観的意図の判断は、読者に委ねると言う姿勢でしょうか。
事実羅列の中で注目すべきことは、報道前に吉田氏に面会したところ、慰安婦連行に関する吉田清治氏から根拠になる資料すら「焼却した」などと言う、如何にも怪しい応答されているのに、疑いもせずに独自取材せずに真実であるかのように大規模報道していたことが分りました。
こんな大事件報道をするのに言い出しっぺの調査研究発表者・吉田清治氏が取材時点で取材資料を既に焼却してしまっていることなどあり得ないことですから、検証委員会にはこの点をもっとツッコンで追及して欲しかったと突っ込み不足に不満を抱く人が多いでしょう。
しかし、仮に突っ込んでも「そのころはそう言う判断でした」と言う答えしか却って来ないと言うことも十分想定されます。
以下のとおり重大記事の最初の執筆者さえ分らないと言うこと自体、怪しい朝日新聞の対応ですが、委員会が家捜しすることも出来ないので、これも読者判断と言うことでしょうか。(怪しいと思うかは読者の判断に委ねるのも1方法です)
以下原文からの引用です。

(1)1982年9月2日付記事

(1)吉田証言について
朝日新聞は、同社記者が執筆した1982年9月2日付朝刊紙面に「朝鮮の女性/ 私も連行/元動員指揮者が証言/暴行加え無理やり」の見出しの記事において、同社 として初めて、吉田証言を紹介した。
同記事は、前日の1日に大阪市内で行われた集会において吉田氏が述べた内容を紹介す る。当初この記事の執筆者と目された清田治史は記事掲載の時点では韓国に語学留学中で あって執筆は不可能であることが判明し、当委員会において調査を尽くしたが、執筆者は 判明せず、執筆意図や講演内容の裏付け取材の有無は判明しなかった。
(2)1983年10月19日、同年11月10日及び同年12月24日付記事
これらの記事は、大阪社会部デスクの意向で、ソウル支局ではなく当時大阪社会部管内 の岸和田通信局長をしていた清田により強制連行の全体像を意識した企画として進められた。清田は、吉田氏宅を訪問し数時間にわたりインタビューをした。裏付け資料の有無を 尋ねたが焼却したとのことで確認できなかった。吉田氏の経歴等についても十分な裏付け 取材をせず、証言内容が生々しく詳細であったことから、これを事実と判断し記事を書いた。」

科学発明発表の記者会見で、実験データを全て焼却したので再現出来ないと言う説明をした場合、その論文の価値を認める人が一人もいないでしょう。
こんなずさんな説明で第三者(検証)委員会が「あ、そうですか」と安易に?矛を収めているのでは、何のための検証かと疑問を抱く人が多いのではないでしょうか?
第三者委員会の認定事実によれば、朝日新聞は、「焼却してしまった」と言う吉田氏の不思議な説明で裏付けをとったことにして?日韓関係を揺るがし世界に日本の蛮行を大宣伝する大記事にしたことになります。
これに対する意見書の評価は以下のとおりです。

「吉田証言は、戦時中の朝鮮における行動に関するものであり、取材時点で少なくとも35年以上が経過していたことを考えると、裏付け調査が容易ではない分野におけるものである。すると、吉田氏の講演や韓国における石碑建立という吉田氏の 言動に対応しての報道と見る余地のある1980年代の記事については、その時点では吉田氏の言動のみによって信用性判断を行ったとしてもやむを得ない面もある。
しかし、韓国事情に精通した記者を中心にそのような証言事実はあり得るとの先入観がまず存在し、その先入観が裏付け調査を怠ったことに影響を与えたとすれば、 テーマの重要性に鑑みると、問題である。
そして、吉田証言に関する記事は、事件事故報道ほどの速報性は要求されないこと、裏付け調査がないまま相応の紙面を割いた記事が繰り返し紙面に掲載され、執筆者も複数にわたることを考え合わせると、後年の記事になればなるほど裏付け調 査を怠ったことを指摘せざるを得ない。特に、1991年5月22日及び同年10 月10日付の「女たちの太平洋戦争」の一連の記事は、時期的にも後に位置し、慰安婦問題が社会の関心事となってきている状況下の報道で、朝日新聞自身が「調査 報道」(1994年1月25日付記事参照)と位置付けているにもかかわらず、吉田氏へのインタビュー以外に裏付け調査が行われた事実あるいは行おうとした事実がうかがえないことは、問題である。

上記によれば、当時としては焼却したと言われてそのまま信用して、裏付け取材しなくとも(その後の対応が悪いだけで)「やむを得ない面もある。」と言い切っているのですが、35年前のことではっきりしないならば「朝鮮の女性/ 私も連行/元動員指揮者が証言/暴行加え無理やり」の大見出しで書かなければ良いことです。
新聞記事と言うのは根拠があってこそ書くべきですし、ましてや国家の命運に関わるよう大問題を「根拠が不明だから書いても仕方が無い」と言うのでは、マトモな論理的説明になっていません。
朝日新聞のように世界中に拠点を持たない1個人が現地取材して事実がないと言う報告をしていることから見ても、韓国内の拠点・ソール支局もある大組織の朝日が何故簡単な現地調査をしたり、吉田氏の経歴調査・・主張の時期に主張する職にあったのか、その当時の職ム内容など公式記録にあたるなど、するべきことが一杯あった筈ですが、(委員会も認定しているように急いで発表する必要がないのでゆっくり事実調査してから記事にして良かったことですが)全く調査する気もなかったのを不思議に思うのが普通の国民感情ではないでしょうか?
(これだけ慰安婦報道が大問題になっているサナカの2014年5月20日に発表された原発吉田所長調書事件も肝腎の東電職員一人にも取材しないままの大スクープ?記事でしたが、急ぐ必要もないのに、取材しないで想像で書くのが朝日の基本的体質でしょうか?)
次の段以降の「しかし」付きとは言え、先ず前段で「やむを得ない面もある。」とまで言い切るのは、根拠のない正当化ではないでしょうか?
「やむを得ないかどうか」の検証のために第三者委員会が選任されたと国民は期待していた筈なのに、委員会は35年経過していることだけを根拠に「やむを得ない面もある」と断言しているのでは多くの国民は驚いたのではないでしょうか?
「面もある」と言う半端な表現ではありますが、基本姿勢としては朝日の行動を肯定したことになるのでしょう。
後の文章はその後の行動に力点を置いていて、取材なしでセンセーショナルな記事発表した当初の姿勢に関する国民の疑問に答えていません。

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