人口ボーナス論の誤り2

日本も国民の数が多ければこれに比例して多くの輸出が出来る訳ではありません。
輸出でどれだけ稼げるかは、技術力の差であって、人口とは関係がありません。
輸出代金では全部賄えずに不足分を親世代の残した海外資産の収益配当を中心に食って行く時代・・即ち貿易赤字分を海外からの収益で補填する時代が来れば、収益配当にあずかる人数が少ない方が一人当たり受益額が増えます。
人数が少なくなれば食糧や原油等の輸入額が減り・・貿易赤字も少なくて済みます。
今の思想では単独相続は不公平と言うことで許されませんが、子供一人ならば結果的に単独相続になります。
江戸時代初期の新田開発の盛んなときには子供が多くても(分家で来て)良かったのですが、その後の超低成長時代には、子供に均分相続・田分けを繰り返して行くと一族みんなが食えなくなってしまいます。
江戸時代の長子単独相続の場合、子供を2人でも3人でも好きに生んでも良い・・自由に任せるが、長男以外は分家や養子に行かない限り結婚出来ない・・次世代を持てない仕組みでしたから、(男子が生まれたらその次は生まない・・女子が生まれれば、もう一人生むと言う傾向になるので、女性の方が多くなる傾向があります)自然に人口調整が出来ていました。
江戸時代の長子単独相続制度は、生まれた子供間の不公平と言う意味では、批判対象かも知れませんが、もっと大きな目で見れば巧まずして人工膨張抑制策になっていたことを評価し直す必要があります。
子供を多く産んで子供間で平等に家督相続権を争う仕組みにすれば平等かも知れませんが、大量に生まれてしまった子供同士には過酷な闘争が待っていることになります。
子供同士で争うのを見るほど親にとっての不幸・・悲しいことはありませんから、事前に出産抑制して子供間で争わないように多くの子を意識的に産まないようにするのは当然です。
間違って子供が二人生まれても長幼の順が決まっていれば、親にとってどちらも可愛い子供の内どちらを家督相続者に決めるかと言う重たい選択をしなくて済み気楽です。
現在社会で遺言しておくのが良いと分っていても、なかなか遺言を書き切れないのは、複数の子の間で誰により多くやりたいと言うことまで決めかねる親心に由来します。
遺言を予め書きたがらない親心は、結局子供は平等に可愛いものですから、最後の最後の段階で子供の状況をを見極めてその段階で結果平等にしたいのが親心ですから、よく考えてみると法定相続制度が結構良く出来ているな!となるようです・・。
今から先のことは分らないから、いつ自分が死ぬか分らない・・将来自分が死んだときにはそのときの状況に応じて公平に分配したら良いと言うところに落ち着くことが多いようです。
男の場合自分の方が普通先に死ぬので、自分の遺産は子供のことを1番心配している母親である妻が決めれば良いだろうと思うのが普通ではないでしょうか?
中国の一人っ子政策のように権力で強制しなくとも「生むのは勝手だが2人目以降の子供は結婚できず子供を持てないで一生を終わりますよ」となれば、次男で生まれた子は可哀相だから、誰でもあまり子供を産み育てなくなります。
結果的に一家に一人づつしか次世代が広がらない・・人口が殆ど増えない賢明な仕組みでした。
国民が本当に出産の自由を獲得して家のためなどの余計な目的がなくなり真に子供の幸福を考える親になれば、子供が少ない方が親の愛情を一身に受けて丁寧な教育投資を受けて育った方が幸せだと思うのが普通です。
非正規雇用で貧しい・・職が安定しないから子供を産めないと言う人が(マスコミはこう言う宣伝して)いますが、もっと貧しい時代にも子供を多く生んでいましたし、お金さえあれば大勢の子供を産むような経験則は歴史上ありません。
豊かな社会になると少子化現象がどこの国でも始まることから明らかなように、
少子化現象は豊かさの象徴です。
この後で書いて行きますが、(人口ボーナス論自体反対ですが人口動態でみれば)人口ボーナス終了時期が、アジアで言えば日本〜韓国〜中国その後インドネシアやインド等近代化の進んだ順に進んで行く状態になっていること自体からも証明されていることです。
世界の少子化進行の歴史を見ると社会が豊かになると少子化が進むのが明らかです。

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