テロと暗殺2

アラブの宗派争いから始まってフランス革命〜ロシア革命にいたって次第に大規模化していったテロリズムとは、どちらかと言えば権力争い・・集団抗争事件を暗殺的非合法手段で遂行する戦術・・恐怖を基本とする主義主張・行動に対する英語ですから、勝てば恐怖政治をする政治行為を含みます。
実際にスターリン治下のソ連では収容所列島と言われていたように権力者による恐怖政治が横行していました。
ロシア革命で白色テロなどが頻発して集団間での殺し合いが常態化していたことから政治的目的で相手を非合法に暗殺する行為をまとめて「テロ」というのが世界標準になったものと思われます。
しかし欧米支配のマスコミがアラブの暴力的抵抗行為をまとめてテロと報道しているのは、少数集団または個人的な爆破事件等を含めて言うのが普通です。
アラブの宗派間抗争に伴う爆破事件等はまさにテロでしょうが、アメリカの9・11は抵抗行為に過ぎず、アメリカを支配しようとして行なったものとは考えられません。
ロシア〜ソ連のように強者が、集団で敵対集団を数百万単位で皆殺しにして恐怖政治をしようとするものではありません。
今年初めころに日揮社員が犠牲になったアルジェリアでのテロ事件と言っても、(長期的には別として当面)政治権力を握るための闘争ではなく、単発的でしかありません。
このように暗殺・テロには集団抗争事件の手段としての非合法行為と個人的恨みを晴らす行為または二種類を含んだものを含んでいることになります。
ソ連の場合は、国内同胞間でさえ、テロ・・恐怖政治の繰り返しで、千万人単位でシベリヤ流刑等の悲惨な歴史があるだけではなく、支配下に入ったキルギスタンやモンゴル等多くの周辺国では、地域の幹部になりそうな文字の読める人材を根こそぎなくすために文字の読める人は皆殺しにしてしまっていたと言われています。
ソ連で大規模に行なっていたことによって世界的に有名になってしまったテロは、こんな恐ろしい・・身の毛もよだつことが、(ナチスのユダヤ人虐殺よりも大規模でしかも長期間でした。)鉄のカ−テンの奥で行なわれていたのですが、こちらでは社会主義を理想とするマスコミの立場からは全く報道されませんでした。
この応用編が、カンボジアでのポルポト派による大虐殺事件でしたが、この場合には鉄のカーテンの域外で行なわれたので、世界の注目するところとなりました。
多分日本がソ連軍に蹂躙されていたら、日露戦争の恨みもあって満州からシベリアへの75万人の連行程度では済まなかった・・日本人口の半分くらいは殺されて、残りはシベリヤへ全員強制移住が待っていたのではないでしょうか?
ソ連のテロ・・恐怖政治には関東軍だけが犠牲になったのですが、当初から皆殺し目的ではなかったので、強制労働だけで済んだものの、劣悪な条件下の強制労働ですから、多くが死にました。
それでもかなりの人が漸く戻って来られたのは、朝鮮戦争を契機に米ソ冷戦が始まってアメリカとの競争が始まり、世界共産革命を日本でも起こそうと考えていたのでこれを有利に進める必要性が大きくなったからでしょう。
ソ連としては、日本国内に共産主義思想を洗脳した人材を送り込む戦略があったからです。
(昭和30年代ころにはソ連から帰還した兵士とセットで洗脳という言葉が流行語だったように記憶しています)
実際に私の青春時代には、ロシア文学全集の刊行が相次ぎ(私もせっせと読みました)、ロシア民謡全盛時代だったのは、今にして思えばソ連のこの宣伝政策が一応成功していたことになります。
結婚したときに妻から「いつかバイカル湖に連れてって!」と言われ、「豊かなるザ・バイカルの・・」の歌詞に二人で憧れていたのは、こうした大きな歴史の影響だったことになります。
12月2日まで書いて来たように元々暗殺とテロとは、まるで違うのに今ではアラブの欧米支配に対抗する暗殺行為をも含めて「テロ」というようになっています。
韓国が売春婦を「強制された従軍慰安婦」と宣伝しているのと同じで、イスラム世界やアラブ諸国の抵抗行為を貶める目的でキリスト教徒であるソ連の行なったおぞましい集団虐殺〜恐怖政治を連想されるように、仕向けるデマ宣伝の一場面ではないでしょうか?

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