民意に基づく政治10(テロと暗殺3)

暗殺批判の前に・・言論ではどうにもならない・・暗殺・命がけの抗議で反発するしかないように仕向けている、マスコミや強い立場の横暴が酷すぎないかの視点こそが必要です。
赤穂浪士の討ち入り・・今で言うテロ行為が義士・義挙として当時から支持されているのは,幕府裁定の不条理に対する不満・言論で解決出来ない・・命をかけて抗議した行為に対する支持があるからです。
今のところアラブ系しか命をかけた暗殺行為をしていませんが、日本にとってはアメリカが背後で中韓をけしかけている虚偽宣伝に腹を立てている人が一杯いるでしょうが、このように世界中でアメリカの横暴・マスコミ支配に我慢しかねている人が一杯いる原因を直視すべきです。
「赤ちゃんが泣くにはそれなりの理由がある」と書いたことがあります。
ところで、強者による不当な抑圧に対する抗議態様としての暗殺ならば義挙でありこれに対する報復はありません。
赤穂浪士は処罰されるし、刺客はその場で殺されますから報復の応酬がありません。
権力に対する抗議行動としての暗殺と違い、国内の対立勢力に対する勢力減殺を狙う暗殺行為を一旦始めると際限ない報復の繰り返しになって行く可能性が高いので、民族?(地域住民)の一体感がズタズタにされてしまう最悪の民意の表現形態となります。
イラクやアフガンでの自爆テロ・報復合戦は権力に対する抗議ではなく、競合相手(イスラム教内のスンニ派対シーア派など)を標的にしているので収拾がつかない感じになっています。
アラブ諸国でもエジプトの場合は基本が農業社会ですから、7月3日に起きた軍主導の反革命的行為に対しても、ムスリム同胞団幹部の動きは一応抑制が利いています。
しかし基本が農業社会というだけであって遊牧民的色彩の人も多いので、デモを繰り返しているうちに、いつ暴力→暗殺行為に走るようになるか予断を許しません。
実際に暴力から暗殺に走りたい人が10万人に一人しかいなくとも、爆破物等が発達していることから、その一人が数十人を爆破等で殺傷するとその被害に対する報復感情が高まり、それまで我慢していたテロ予備軍が動き出します。
報復攻撃は被害に対する倍旧の加害を目的にする傾向があるので,スパイラル的過剰報復の繰り返しになりがちで、あっという間に増幅して行く傾向があります。
集団間の暴力・テロ行為が一旦始まるとエスカレートする危険があるので、政府や軍は滅多に強権発動・・発砲しないのですが、中国の場合は政府発表だけでも年間何十万件と言う集団暴動があって、その都度強権弾圧が行なわれているのですが、テロに発展しません。
中国地域で興亡した歴代王朝の末期では、いつも農民の流民化→集団化→暴徒となって最後はあちこちに発生した農民・暴徒軍の連合体・有力集団が王朝を倒してその後は有力集団同士の抗争の結果新王朝を樹立することの繰り返しでした。
中国の歴史では、個人的報復意識が希薄と言うか政治政策不満があっても、暗殺やテロには走りません。
最近中国の三中全会直前に天安門広場に突入した自爆車はテロではなく、武装警察に非合法に家族を殺された家族の抗議だったと言われていますし、その直後に起きたウイグル族による地方共産党本部前の爆破事件も内部権力闘争一環として行なわれたと言われています。
直ぐに政府は、国連でテロ集団として指定されている組織のテロだと言って世界的に認知されてるテロ集団による許されない行動だと宣伝してことを納めようとしています。
石場自民幹事長発言同様に強い方が都合の悪いことを何でもテロだと言えば、これで終わりに出来る時代です.
真の問題点は武装警察の暴走を中央政府が最早制御出来なくなっている点と権力抗争が内部で激しくっていることをを世界に知られたくないことにあるようです。
中国の地では、漢の時代以降、義挙としての刺客・暗殺はしない代わりに、一定間隔でいつも流民化→暴動に発展するので、それで不満のガス抜きになって間に合って来たのでしょうか?

テロと暗殺2

アラブの宗派争いから始まってフランス革命〜ロシア革命にいたって次第に大規模化していったテロリズムとは、どちらかと言えば権力争い・・集団抗争事件を暗殺的非合法手段で遂行する戦術・・恐怖を基本とする主義主張・行動に対する英語ですから、勝てば恐怖政治をする政治行為を含みます。
実際にスターリン治下のソ連では収容所列島と言われていたように権力者による恐怖政治が横行していました。
ロシア革命で白色テロなどが頻発して集団間での殺し合いが常態化していたことから政治的目的で相手を非合法に暗殺する行為をまとめて「テロ」というのが世界標準になったものと思われます。
しかし欧米支配のマスコミがアラブの暴力的抵抗行為をまとめてテロと報道しているのは、少数集団または個人的な爆破事件等を含めて言うのが普通です。
アラブの宗派間抗争に伴う爆破事件等はまさにテロでしょうが、アメリカの9・11は抵抗行為に過ぎず、アメリカを支配しようとして行なったものとは考えられません。
ロシア〜ソ連のように強者が、集団で敵対集団を数百万単位で皆殺しにして恐怖政治をしようとするものではありません。
今年初めころに日揮社員が犠牲になったアルジェリアでのテロ事件と言っても、(長期的には別として当面)政治権力を握るための闘争ではなく、単発的でしかありません。
このように暗殺・テロには集団抗争事件の手段としての非合法行為と個人的恨みを晴らす行為または二種類を含んだものを含んでいることになります。
ソ連の場合は、国内同胞間でさえ、テロ・・恐怖政治の繰り返しで、千万人単位でシベリヤ流刑等の悲惨な歴史があるだけではなく、支配下に入ったキルギスタンやモンゴル等多くの周辺国では、地域の幹部になりそうな文字の読める人材を根こそぎなくすために文字の読める人は皆殺しにしてしまっていたと言われています。
ソ連で大規模に行なっていたことによって世界的に有名になってしまったテロは、こんな恐ろしい・・身の毛もよだつことが、(ナチスのユダヤ人虐殺よりも大規模でしかも長期間でした。)鉄のカ−テンの奥で行なわれていたのですが、こちらでは社会主義を理想とするマスコミの立場からは全く報道されませんでした。
この応用編が、カンボジアでのポルポト派による大虐殺事件でしたが、この場合には鉄のカーテンの域外で行なわれたので、世界の注目するところとなりました。
多分日本がソ連軍に蹂躙されていたら、日露戦争の恨みもあって満州からシベリアへの75万人の連行程度では済まなかった・・日本人口の半分くらいは殺されて、残りはシベリヤへ全員強制移住が待っていたのではないでしょうか?
ソ連のテロ・・恐怖政治には関東軍だけが犠牲になったのですが、当初から皆殺し目的ではなかったので、強制労働だけで済んだものの、劣悪な条件下の強制労働ですから、多くが死にました。
それでもかなりの人が漸く戻って来られたのは、朝鮮戦争を契機に米ソ冷戦が始まってアメリカとの競争が始まり、世界共産革命を日本でも起こそうと考えていたのでこれを有利に進める必要性が大きくなったからでしょう。
ソ連としては、日本国内に共産主義思想を洗脳した人材を送り込む戦略があったからです。
(昭和30年代ころにはソ連から帰還した兵士とセットで洗脳という言葉が流行語だったように記憶しています)
実際に私の青春時代には、ロシア文学全集の刊行が相次ぎ(私もせっせと読みました)、ロシア民謡全盛時代だったのは、今にして思えばソ連のこの宣伝政策が一応成功していたことになります。
結婚したときに妻から「いつかバイカル湖に連れてって!」と言われ、「豊かなるザ・バイカルの・・」の歌詞に二人で憧れていたのは、こうした大きな歴史の影響だったことになります。
12月2日まで書いて来たように元々暗殺とテロとは、まるで違うのに今ではアラブの欧米支配に対抗する暗殺行為をも含めて「テロ」というようになっています。
韓国が売春婦を「強制された従軍慰安婦」と宣伝しているのと同じで、イスラム世界やアラブ諸国の抵抗行為を貶める目的でキリスト教徒であるソ連の行なったおぞましい集団虐殺〜恐怖政治を連想されるように、仕向けるデマ宣伝の一場面ではないでしょうか?

テロと暗殺1

暗殺・刺客では、始皇帝暗殺に失敗した刺客列伝の荊軻が有名です。
上記に明らかなように暗殺自体アラブ特有の問題ではなく、どこの国でもあるものです。
刺客列伝の特徴は「義士」であると言うものですが、その理由とするところは刺客は依頼者が自己を認めてくれたことに対して義を感じて、自己の生命を犠牲にしてでもその恩に報いるための行為だからです。
赤穂浪士を義士というのもこの流れでしょう。
テロと刺客・暗殺の違いは、自己犠牲を前提にするか否かで大きな違いがあると言えます。
テロはソ連のテロで有名なとおり自己犠牲ではなく、集団抗争の一手段・・自己政策実現のための支配権力行使策・・恐怖政治のことですが、暗殺や刺客は自分の命を犠牲・死を原則的前提にした義挙のことです。
今では遠くからの狙撃が可能なので自分も助かることがありますが、昔は刀槍しかないので仮に成功しても多くはその場で斬り殺されます。
今でも自爆テロが普通であるし、今年プラント企業の日揮が被害を受けたアルジェリアのテロ(マスコミはテロという汚名を着せますが,実際は上記のとおり暗殺の一種です)でもテロリストみんな死亡したことからみても、自分の死を恐れない・・義(本当の正義を守るためか、単なる思いこみかは別ですが・・)のための戦いが彼らの行動原理であることが分ります。
自己を犠牲してもやりたいのは、已むにやまれぬ抑圧等をしている相手の非正義を正すための行為・・正義のための行為と位置づけられることが分ります。
どんなに相手(政府権力の行使)が不当であろうとも弱者の武器である命をかけた実力行使・抵抗がいけないといえるのでしょうか?
強いものが権力を握り、権力行使に名を借りて実質不当なことを合法的に押し付けて来る場合、弱者グループの正義感実現には命がけの暗殺しかないと言う追いつめられた立場を道義的非難出来るのでしょうか?
この辺は、史記の刺客列伝に詳しいところで,狙われた君主自身が刺客を「勇士」であるとか「義士」であるなどと、その名誉を讃えています。
本当に狙われた君主が讃えたか否かは不明ですが、史記の編者・司馬遷の正義感が(李陵を弁護して武帝に官刑に処せられた悲憤が背景にあって)こう言う記述になっているのでしょう。
欧米マスコミはこれ(弱者の命がけの抵抗を正義の戦いと言われるの)をいやがって(欧米の世界支配が不正・非人道行為と認めるような感じがするので)フランスのジャコバン〜ソ連の恐怖政治とすり替えてアラブの命がけの抵抗をテロと言い張っているように見えます。
今でも盛んにあるアラブの宗派間(主としてシーア派対スンニ派)のテロは、フランス〜ソ連で世界的に知られるようになったテロの創始者・本家としての行為そのものですが、アルカイダ等による欧米社会に対する襲撃はテロと言うべきか、正義の抗議と言うべきかは別問題です。
ここ数日問題になっている自民党の石場幹事長のブログでの発言・・秘密保護法案反対デモはテロ行為だという発言も同じで、弱者の行動をテロという汚名を着せる欧米マスコミ流の意図が濃厚です。
殺傷行為を全く含まないデモ行進までマイクの音量が大きいだけで「テロ行為」と言い出すと、政権批判行為を封じ込めるために何でもテロと名付ければ良いという安易な意図が明白になります。
4〜50年前まで流行していた何か批判すると「あいつはアカだから」と言って問答無用式に批判していたやり方を、最近流行の「テロ」批判に石波氏が置き換えているのではないでしょうか?
assassin・暗殺者、assassinate・アサシネイトは元はアラブの発祥の単語でしょうが、英語の始まりは十字軍に対抗するために、アラブのキリスト教徒に対する暗殺集団がいるのではないかと憶測した・・せいぜい刺客を意味する英語が使われるようになったのが英語の語源らしいです。
十字軍が相手に刺客がいると思うようになったのはその前から、アラブ社会ではシーア派対スンニ派の異宗派に対する暗殺の応酬が繰り返されていたことによります。
これに対してテロはフランス革命初期ジャコバンの恐怖政治が発祥らしいですが、英語になったterrorismが世界的に行き渡ったのはロシア革命で政権争いのための集団的な殺しあいの繰り返しが大規模にあって、世界的に知られるようになった英語で、これは本当にあった歴史事件です。

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