規制と停滞1

規制・基準を設けるとこの規制に努力して適応した企業にとっては既得権益となるので、参入規制の緩和や技術革新の進行による新たな基準への変更に対しては抵抗勢力になります。
国際競争に負けると心配するグループによる規制緩和大合唱の根拠がここにあります。
(新技術革新について行き、新しいことに挑戦するのは最初の内はいつも少数派ですから、ついて行けない多数企業・関係者は時期尚早と主張するのが普通です・・遅れる人はいつも多数ですから多数意見に従うと社会が停滞します。)
各種ネット申し込みやネット販売、ネット選挙あるいは診療報酬請求の電算化に対して、パソコンを使えない人が可哀想などの擁護論が幅を利かしていて、電算化が大幅に遅れているのはこの範疇です。
およそ「可哀想だ」という論法ほど、非生産的議論がありません。
我が国の場合、規制がブレーキになっているというよりは、ネット社会について行けない弱者が可哀想・・弱者切り捨て論が・その先の言論を封殺してしまっていて、進歩を阻害している傾向が強いように思います。
これから進んで行く方向へ誘導するために早めに軌道修正するか、99%の人が対応してから規則を変えるかの意識の問題です。
我が国では後者の主張が強過ぎて新時代に対応するルール作りが遅くなり過ぎています。
これでは、一旦出来た規制は全ての分野で社会発展のブレーキ役になってしまいかねず・・世界競争から脱落してしまう危機感が募って来ます。
進歩のために規制を大胆に撤廃すると言う極端な主張を採用して、訴訟社会にするか否かの二者択一的議論・・小泉元総理の得意なワンフレーズ型政治になりかねません。
必要なことは極端なブレよりは、これから進むべき方向の議論をしてその方向が決まったら、規制・基準を2〜3通り用意して古い基準でやりたい人はそのままやってもいいが社会の目指す方向の新基準を取り入れた業者には、何らかの優遇措置を設けるなど順次誘導して行く姿勢が必要です。
上記のように守旧的反対論を抑えるには、旧基準と新基準併存方式が有効です。
市の指定管理者選定会委員をやっていますが、ネット申し込みの是非を問うアンケーとに「ネット弱者がどうの」という回答が多いのですが、身体で行って申し込みたい人は今まで通り申し込めばいいのであって(申し込み順ではなく一定期間経過後の抽選です)併存方式ですから、何ら問題がありません。
世の中の複雑化に併せてマニュアルや規制が精密化して行く必要があるとしても、精密化に比例してちょっとした機能変化や技術革新に迅速・柔軟対応出来ないとかえって進歩阻害要因になってしまいます。
民法のように骨子しか書いていなくて細かい運用は判例や学説で補っている場合、社会の変化に百年単位で対応出来ます。
民法は以下のとおり、すでに100年以上たっています。
  民法(明治二十九年四月二十七日法律第八十九号)
  民法第一編第二編第三編別冊ノ通定ム
  此法律施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
  明治二十三年法律第二十八号民法財産編財産取得編債権担保編証拠編ハ此法律発布ノ 日ヨリ廃止ス

ルールがあまり細かすぎるとしょっ中規則・ガイドラインの変更が必要で、変更修正能力がない(反対論に気兼ねばかりしている)と日々刻々に変わって行く社会変化に対応出来ず、進歩に対するブレーキ役になってしまいます。
規制があると社会が停滞するのではなく、柔軟適応力が低いことに問題があるだけです。
規制が始めっからなければ変更しなくとも良いと言えて簡単ですが、これまで書いているように社会が複雑化して来ると常識任せではどうにもならないので、原子力発電に限らずいろんな分野で規制をより精密化して行くしかないでしょう。
規制が悪いのではなく、規制を柔軟に修正して行けるような「変更ルール」の研究こそが要請されているのです。

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