財政健全化路線1(無借金経営論と知能レベル)

8月6日に書いたとおり、今のところ財政赤字が許容範囲かどうかの合理的な議論をするのに必要な情報開示がありません。
支出に対応して取得した資産がどうなっているかの議論すら全くないまま「大変なことになるのは自明だ」という大合唱ですが、・・情報開示して合理的議論に発展すれば「財政赤字大変論」の矛盾が明らかになるのが分っているのでマスコミはマトモな議論をしないようにしていると思われます。
マスコミが問答無用式の不公正な報道に終始している状態をみると、結局財政赤字論は、日本の経済破綻を心配してのことではないことになります。
マスコミが何のために半端で不公正な報道し続けるのか疑問ですが、財務官僚が信奉している財政健全化論→増税路線を推進しようとする勢力の代弁をしているのでしょうか?
(官僚にとっては財源が寄付→国債→税の順に自由度が高く、うまみがあることをこれまで書いてきました)
ところで、自明のこととされている官僚の信奉する「健全財政論」もそのこと自体何を意味するのかとなると、実は不明な議論です。
支出に対応して形成されている資産をまるで問題にしないで、金銭収支だけ取り出して均衡していることに自己満足する財政健全化論の精神は何に由来するかということです。
お金を使えば対応する有形(自宅を買えば不動産)、無形(ロケットを5〜6回打ち上げればその技術蓄積・・子供の教育投資など)の資産を取得しているのに、これとのバランスで考えないで、単年度の金銭の収支均衡だけをもとめて、もしも金銭収支だけが均衡していればこれで満足する精神構造はどうなっているかということです。
取得する資産を考慮に入れずに、金銭収支のバランスだけ考える健全財政論は、現在一般的である(商売人に限らず一般サラリーマンでも自宅の価値と負債(住宅ローン)のバランスで家計を考えています)バランスシート思考方式からいえば不思議な議論ですから、・・今や官僚特有の一種の宗教(合理的理解を超えたもの)になっていると言えるでしょう。
年収1000万円の人が預貯金1000万円と4000万円の借金で5000万円のマンションを買った場合、その年の金銭収支あるいはその後のローン残高だけみれば大赤字で不健全となりますが、こんな議論をすることの無意味さは、今の時代、誰でも分ることです。
(マンション購入価格が割高だったか・・値下がりしたらショックですが、大きな関心になるべきで、金銭収支だけみて今年は大幅マイナスだとしょげる人はいないでしょう。)
ただし、目の前から現金がなくなれば・・本能的に心細いことは分ります・・そこにマスコミが訴えるので国民が惑わされてしまうのです。
(ただし短期的資金ショートを防ぐために決済準備金の必要性については、2012/08/07「マスコミによる世論誘導の害1(世代対立を煽る愚1)のコラムで検討しました)
財政健全化論とは言い換えれば、不動産を買うにも、子供の教育にも「借金すること自体が悪である」という(バランスシート的思考の未発達な時代の)原始的本能に由来しているように見えます。
2012/07/27「世代対立を煽る愚3」でも書きましたが、人工衛星打ち上げ成功その他・教育設備の整備、次世代への教育投資・公園、道路・その他諸々の公共設備の整備など次世代に残すべく蓄積した資産効果を論じないで、資産形成のために支出したマイナスだけをみて次世代が損だと言っているのですが、これも何事も無借金が良いという原始的意見の焼き直しです。
次世代に借金を残す訳に行かないと言う論法も、国債保有者という債権者も国民である面をみない借金だけをみているのと同じですから、借金そのものが悪いと言う思考形態です。
マスコミの論理立て・・世に言う財政健全化論によれば、政府が次世代のために何もしなければ、(支出が発生しないので)健全な良い政府になります。
子供を大学へやるために借金するよりは、進学させないで無借金の親の方が健全な良い親だと言う論理です。
探査衛星ハヤブサやロケットなど将来の技術蓄積のために打ち上げ費用を借金してまで使うのは、不健全だということでしょう。
以上によれば、財政健全化論とは、原始的主張である結果却ってムード・本能に訴え易いキャッチフレーズですが、内容実質は借金は危険であると言う原始的本能に訴えているに過ぎません。
現在社会では、優良企業も相応の借金で投資している時代・・優良企業かどうかは借金の絶対額を基準にするのではなく、借金の使い道・・投資効率こそが判定の基準にすべき時代です。
金銭収支・・負債の大きさだけに着目する財政健全化論は官僚・政府が投資効率を判定を怠っている・・あるいは判定能力がないことから生じる意見であって、官僚の能力が時代に適応していないことを表しています。
・・今でも知能の低い子供を残して行く親としては、「危ない投資しないでともかくお金を抱え込んでいるのが安全だからね・・」と教え諭すのが基本的生き方でしょう。
大福帳しか知らなかった江戸時代と違い、現在社会で損得をバランスで考えられない・・目に見える紙幣の量でしか考えられない(マイナスになれば訳もなく怖がる)知能レベルと言えば、かなりの低レベル者と言えるでしょう。
投資効率チェック能力が低いことを基準にすれば、借金して儲けようするのは危険ですから、何が何でも無借金経営が良い・・借金で投資してはいけないと言う本能になるのは正しいことですが、世の中殆どの人がバランスシート的経済観で生きている時代・・すなわち平均的能力の時代に、バランスシート的計算に馴染まない知能レベルの人が官僚では困ったものです。
官僚の信奉する財政健全化論は、投資効率を見定めて投資する現在主流の運用環境・・現在的経済観念に官僚がついて行けないことを前提にしているとすれば、今や財務諸表的合理的思考に馴染まない宗教の一種みたいな印象を受けるのです。
ちなみに政府・官僚が投資効率の判定を放棄するとバラマキになりますが、バラマキのために借金をする必要があるかという議論は、財政赤字論とは別に考える余地があり得ます。

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