財政健全化路線14(信仰2)

我が国の場合第一次大戦後におけるドイツのハイパーインフレ経験があったので、食糧その他配給・統制経済が続きました。
驚くかも知れませんが、物価統制令は今でも生き残っていますので紹介しておきましょう。
(ちなみに、地代家賃統制令・昭和14年10月18日勅令第704号が廃止されたのは、漸く1986(昭和61)年最後の12月31日です。(実質昭和62年まであったということです。)
・・若い人にとっては26年も前のことは、過去の歴史の1つに過ぎないかも知れませんが、昭和40年代終わりに弁護士になったときには、戦後は終わっていると思っていたのに、弁護士になってから実務処理の過程でこの法律がまだ生き残っているのに初めて気がついたのですから、私にとっては驚きの記憶でした。
・・弁護士の職務として当時はまだ、借地借家の紛争は交通事故と並んで大きな比重を占めている時代でした。

物価統制令

(昭和二十一年三月三日勅令第百十八号)

最終改正:平成一八年六月七日法律第五三号

第一条  本令ハ終戦後ノ事態ニ対処シ物価ノ安定ヲ確保シ以テ社会経済秩序ヲ維持シ国民生活ノ安定ヲ図ルヲ目的トス

第二条  本令ニ於テ価格等トハ価格、運送賃、保管料、保険料、賃貸料、加工賃、修繕料其ノ他給付ノ対価タル財産的給付ヲ謂フ

第三条  価格等ニ付第四条及第七条ニ規定スル統制額アルトキハ価格等ハ其ノ統制額ヲ超エテ之ヲ契約シ、支払ヒ又ハ受領スルコトヲ得ズ但シ第七条第一項ニ規定スル統制額ニ係ル場合ヲ除クノ外政令ノ定ムル所ニ依リ価格等ノ支払者又ハ受領者ニ於テ主務大臣ノ許可ヲ受ケタル場合ニ於テハ此ノ限ニ在ラズ

3条2項以下省略

経済官僚が赤字国債発行を拒否していれば、戦争をやめさせられたかと悔恨の念を抱くのは間違いとは言えないまでも正しくはないでしょう。
軍資金がないと何も出来ないことは事実ですから・・武器弾薬だけではなく、徴兵して毎日食わせるだけでも大変なお金がかかりますので、観念をこねくればそう言えないことはないというだけです。
国民総懺悔の一環として「そう言えば自分にも落ち度があったかなあ・・」という程度でしかありません。
経済官僚が戦費支出に反対・赤字国債発行に反対したくらいで、戦争への大きなうねりを止めるなどは不可能だった筈です。
官僚としては数時間程度支出行為にサインしないで粘るのがやっとで、法(国会決議)に基づく年単位の長期支出を止めることなどは、官僚が束になっても出来ません。
予算書/原案を作るのを拒否してもどうにもならなかったでしょう。
経済官僚には悲壮な使命感は必要がないことです。
ドッジ・ラインを強制されて経済官僚は自己の無力感・・戦争協力責任を痛感し、それが未だにトラウマとして残っているのかも知れませんが、ドッジラインは占領軍の強制力の後ろ盾があってこそ緊縮財政を強行出来たことで、戦時下で軍に抵抗して戦時国債発行を阻止出来たとは到底思えませんから、彼らの思い過ごしというものです。
各種藩政改革も強力に後押ししてくれる君主がいてこそ成り立ったもので、これががないとうまく行かず後押ししていた君主が途中で死亡すると失脚することが多いに(中国で言えば商鞅の故事が有名)です。
経済官僚は余計な思い込みをしないで、経済の論理・・国民生活を守るために官僚の職務範囲で出来ることは、何かと言う合理主義で決めて行けば良いことです。
ですから、財政健全主義などと言う頑な原則(憲法でも何でもない単なる思い込み)を掲げて柔軟な発想・・本来国民にとってを今何をするのが良いのかの検討を拒む・・何でも反対したり、マスコミを利用して健全財政主義のマインドコントロールに精を出すのは本末転倒です。
景気対策として内需拡大が必要ならば、(これが必要かどうかはまた別の議論が必要ですが仮に今必要とした場合の話です)国際収支黒字の範囲であれば、資金源が国債でも税でも国家経済の持続可能性としては同じです。
財政が赤字であろうとなかろうと、それはコップの中の計算に過ぎず、国際収支が黒字になっている限り日本国内で、対外収入以上の資金を使っていないこと(収入以上に使えば赤字になります)に変わりがありません。

財政健全化路線13(信仰1)

今でも経済官僚が何故貨幣価値維持にこだわるのかという疑問に戻ります。
Aug 18, 2012「健全財政論12(貨幣価値の維持6)」の続きです。
これは戦後直ぐのハイパーインフレに懲りた記憶が最大の悲劇として原始的に刻み込まれていて、これが組織のDNAとして受け継がれ色濃く残っているからではないでしょうか?
これを収束したのは最近(と言っても60年も前ですが)では、戦後のドッジライン(1949)によりました。
財政均衡→超緊縮政策を原則とするドッジライン実施の結果、翌年の株価は大幅下落し(我が国株式市場最安値の記録として今も残ります)大変な不況が到来します。
当時占領下でしたのでGHQの指令として強制力がありました・・この指令を受けたトキの大蔵大臣は後の経済成長路線の池田勇人ですから皮肉なものです。
97年のアジア危機でもIMFは韓国その他アジア諸国に対して超緊縮政策を強制しましたし、(現在のギリシャに対しても同じ傾向です)アメリカの経済学者はこの種の政策発動が好きらしいです。
我が国でも戦時中の軍事費と言う名の無制限財政出動を支えるために行われた戦時国債の無制限発行に協力した結果、敗戦後の超インフレに苦しむことなりました。
これをあっさり退治したのはドッジ・ラインによる超緊縮政策でした。
勿論日銀の頑固な「羹(あつもの)に懲りてなますを吹く」たぐいのインフレ恐怖症も同根です。
超不景気政策に対して当然経済界は反発した筈ですが、(政府は占領軍には逆らえないことから財政出動ではなく日銀貸し出し増加で対処したようです。
・・これが日本企業の借入金過大・・自己資本不足傾向の源流です)他方で内需抑制していても運良く?朝鮮戦争勃発(1950年6月38度線越境開始)が内需の代わりに外需をもたらして景気刺激となったので、ドッジ・ラインのマイナス効果がそれほど国民に意識されない内にうやむやになりました。
このトキのインフレ退治の成功体験ばかりが大きく信仰の一種になっているような気がします。
その後の田中角栄総理による狂乱物価を引き起こした失政の記憶の追加があり、更には平成のバブル発生(物が足りるようになって、あるいは量産追加可能になってから消費材の値は上がりようがなくなったので、量産追加供給の不可能な土地バブルになったのですから、インフレの現在版です)と、記憶が途切れることがなく続いて来たことが大きかったと思われます。
経済官僚が財政健全化にこだわるのには、無謀な軍事費に充てるために国民の財産を供出させて根こそぎ使ってしまったことに対する慚愧の念もあったと思われます。
平和に暮らしていた国民を徴兵して中国等の戦地であるいは太平洋上で特攻その他で多くの人命を無駄死にさせたことに対する軍事関係者の悔恨の念の財産版です。
「過ちは二度と繰り返しません」という広島原爆の碑同様に、経済官僚としては、「赤字国債さえ発行しなければ戦争に突き進むことがなかった」という悔恨の念が沸々と湧いて来たのでしょうか?
日本は戦争で多くの人命だけではなく多くの財産も失ったのですが、財産喪失は戦時中に生じていたものですが、国家が存続する限りに額面だけの国債として残っていたのが、敗戦後遅れてインフレになって実質価値が明らかになったに過ぎないとも言えます。
第1次大戦後有名なドイツの超インフレ・・トラック一台ほどの紙幣を持って行って本が1冊買えるほどであったという話も同じで、戦時中に国内資産が破壊され尽くされていたことに原因があったと理解すれば分ります。
閉鎖された1国経済で考えれば、紙幣量が一定でも国内資産が1000分の1に破壊されれば1000倍のインフレになる道理です。
実際に資産がなくなっていて膨大な国債や紙幣が残っていれば、当然その比率でインフレになるか国債価値の暴落になるしかありません。
とすればインフレになったのが悪いのではなく、実際にはその前に国債で造った艦船や戦闘機が沈没・撃墜され、国内資産はすべて空襲で燃えてしまったことによる財産喪失に原因があった・・負ける戦争をしたことそのものの責任に過ぎません。
火災・爆発事故で工場が燃えてしまえば資産価値(保険をかけていない場合や・・掛けていても工場再起動までの売上)が減少するので株価が下がるのと同じです。
株価下落の責任は経理課職員にあるのではなく、火災や爆発事故を起こした関係者の責任です。

健全財政論12(貨幣価値の維持6)

8月16日から書き始めていた政府の国債発行権限に話題を戻します。
これによって政府が国債を無制限に発行出来ると実質的に大量の紙幣を入手出来ます。
ただし国債の国内消化を基準にしている限り、無制限紙幣発行と違い日銀の発行ずみ紙幣を市中から吸い上げるだけですから、税で市中から吸い上げるのと市中に出回っている紙幣量は変わりません。
ですから、国内消化を中心として日銀無制限引き受けを禁止しておきさえすれば、政府が無制限国債を発行しても(従来の紙幣発行量とインフレが連動するという理論によっても)インフレ・・紙幣価値が希薄化されることはありません。
ユーロ加盟諸国は独自の紙幣発行権がなくとも国債発行を自由に出来るのですが、この国債を国内消化せずに仏独蘭など外国人投資家に買って貰っていた結果、ギリシャやスペイン国内で均衡するべき紙幣量以上の紙幣を一種の輸入により入手していたことになります。
紙幣輸入により、貿易赤字のファイナンスとなって貿易赤字に対する歯止めがなくなった(ファイナンス出来なければ自然に輸入が減少しますが・・・)外に、国内では紙幣がだぶつくことになり・・輸入出来ない土地などのバブル演出→崩壊になった結果、今回のギリシャやスペイン危機に発展したことになります。
このように書くと国債発行・・あるいはその残高累積はそれ自体危険であるかのような誤解を招きますが、(マスコミはこれを悪用して危機感を煽って増税路線の応援をしてます)経済危機になるかどうかは繰り返し書いているように外国人保有額が多すぎるかどうかにかかっているに過ぎません。
外国人国債保有額が我が国過去の国際収支黒字累積分=対外債権額を超えているとイザとなったら買い戻せませんので危機ラインになりますが、国債発行自体が危険なのではありません。
我が国のように黒字が溜まって仕方がない・・対外世界最大債権国で金融機関自体が国民から預かった資金の使い道が分らないで困っている国と、貿易赤字の穴埋め・・資金不足解消のために国債を発行している・・この場合当然購入者の殆どが外国資本となります・・国と一緒には出来ません。
無免許や飲酒運転、居眠りで運転して事故を起こす人がいるからと言って「車は危険だから製造禁止しろ」と言うのはおかしなものだと直ぐか分るでしょうが、この場合車自体に問題があるのではなく運転能力に問題があるに過ぎません。
国債も同じで、国際収支を見極めながらの処理能力次第ということですが、仮にその見極めが実際には難しいならば、国内保有比率を何%と決めてそれ以上の外国人購入になれば(国内機関の入札が足りなければその限度までしか)発行出来ないルールを作れば足ります。
この辺の意見は2012/07/21/「国債発行限度(外国人保有比率1)」のコラムで書きました。
政府が国債の外国人保有比率さえルール化しておけば、その範囲内で国債を無制限に発行してもその殆どが国内消化している限り中央銀行の発行した限度の紙幣しか市中に出回っていないので、それを政府が回収して自分で使うだけですから、民間と政府の資金の取り合いになるだけで流通紙幣量としては変わりません。
民間資金需要が強いときには政府は民間が必要としている金利よりも低い国債利回りでは資金調達出来ませんが、それはより有効利用出来るところで限られた資金を使うことになって(市場経済のメリットで)いいことです。
現在の0、何%の低金利でも民間が喜んで国債を購入しているだけではなく地方自治体債まで大幅に買い増している現状は、それ以上の高利回り運用先・・資金需要がないことを表しています。
ところが、国内保有比率ルールなしで、紙幣発行権のある日銀(中央銀行)の国債引き受けが無制限に出来ると結局歯止めがなくなります。
March 28, 2012「日銀の国債引き受けとインフレ論1」のコラムで紹介したように今では国会議決の範囲内という歯止めがありますので無制限ではないですが、それで、問題がないということになっているのは、紙幣増発は景気対策・・デフレ対策として行っているので、物価が少々上がった方が良い(マスコミに出て来るエコノミスト意見は全体としてデフレ脱却・インフレ待望論だ)と言うスタンスだからです。
実際には、信用創造機能の縮小によってちょっとやそっと増刷したくらいではインフレになりようもない現実を8月17日に書きました。
紙幣増発制限の歴史はインフレ恐怖症に由来するものですから、経済界挙げて(マスコミが主張しているだけかも知れませんが・・)デフレ脱却に必死の現状では、紙幣発行制限制度は意味がなくなっている状態です。
ただし、この意見は世界で唯一金あまりで困っている日本にだけ妥当する意見・・昨日書いたようにいくら紙幣発行してもインフレにはなりようがないから)であって、アメリカその他資金不足国でこれをやると本当のハイパーインフレ・・ひいてはデフォルトになり兼ねません。
経済官僚が貨幣価値を守る意気込みがあることは歴史的には理解出来る(DNAがある)とは言え、今では8月13日〜14日に書いたとおりインフレもデフレ(金利動向や貨幣価値)も国力(国際収支の結果)次第であって、中央銀行官僚のさじ加減でどうなるものでもありません。
ただし、何回も書いていますが我が国はデフレは国民の利益であるばかりか国力充実の総合評価の結果でもあるのでこれを無理に脱却する必要はありませんので、そのための国債増発の必要はありません。
デフレ脱却のためではなく、内需拡大=国民生活水準向上の資金源にするためには、国際収支黒字の範囲内である限りは増発した方が良いでしょう。
民間で使い切れない余った資金を国債発行で吸い上げて、政府が足りないところに分配するのは国民の強固な同胞意識とも合致していて良いことです。
税で強制的に徴収すると資金の有効利用出来る人や企業からまで徴収してしまうミスマッチが起きますが、国債の場合、買いたくない人は買わなければいいのですから、ミスマッチがないしソフトで民主的でより良い方法です。
要は国内消化を原則にすれば税(税も国内からしか取れない点が共通になります)よりも優れていて何の問題もないのですが、国債残高膨張の危機ムードを煽るマスコミが、一方で何故か外国人に魅力のある国債にすべき・・外国人(株式も含めて)保有を増やすべきだという変な誘導をしているのが危険で、不気味です。
マスコミは日本を滅ぼすために画策しているのでしょうか?

健全財政論11(貨幣価値の維持5)

マスコミを中心とするデフレ脱却論、インフレ期待論の合唱に応えて日銀による超低金利・「量的緩和」が長年実施されていますが、いくらゼロ金利にしても量的緩和をしても需要がないと金融仲介機能が働かず乗数効果がないのでどうにもならないのが現状です。
April 28, 2012「税金と国債の違い1)で書きましたが、リーマンショックまでは国際経済界では貨幣が発行されれば銀行の信用創造機能によって1万円札が何回も回転することによって約50倍に広がって利用されていました。
ところがずっと前から我が国に限っては、銀行の金融仲介・信用創造機能が落ちて来て発行した紙幣の大部分が(比喩的表現ですが・・)翌日には国債購入資金(創造機能ゼロ)になるようでは、信用創造機能が1〜2倍にしかなっていません。
仮に紙幣量を2倍に量的緩和をしても、50分の1に収縮したマネタリーベースが50分の1補充されるだけですから経済インパクトとしては殆ど意味がありません。
紙幣を2倍にすれば物価が2倍になるという旧来の理論が仮に今でも正しいとしても50倍利用されていたところから30倍〜20倍に収縮(収縮率は比喩的に書いているだけでデータに基づくものではありません)した状況で、元になる紙幣発行量(原料)を2倍にする=50分の1の原料だけ供給してもどうなる筈もありません。
(まして先進国・飽食の国民は紙幣供給が2倍になっても牛乳やアイスクリーム消費をこれ以上増やさない・1昨年地デジ移行で一度買ってしまったテレビをもう一度買わないばかりか、不足があればいくらで増産出来る消費材・大量生産社会になっていること、更には輸入品が穴埋めするので閉鎖社会の理論は妥当しなくなっていることを12日に書きました)
量的緩和・紙幣増発をすればそれに比例して貨幣価値が下がる・同率で物価が上がるという経済学者の理論通りになるならば、国債保有者あるいは今後の購入者にとっては死活問題ですから、インフレ目的で低金利・量的緩和を始めると報道しただけで将来の保有国債値下がりを見越しての売りが殺到し、新たな買いが成り立たなくなってしまいます。
インフレが進行する前からインフレになる見通しだけで予め新規国債引き受けがガタベリ・金利急上昇することになるでしょうが、量的緩和を始めてから何年もたつのに実際には国債は値下がりするどころか欧州危機後値上がりして(金利低下が更に進んで)います。
政府の思惑だけで経済実態に反してインフレを実現する能力が政府・日銀に仮にあるとしても、インフレ目標政策・・インフレを実現して国債価値を仮に1割減〜半額に評価減する施策を実施しながら、「これから大幅に国債相場を下げるけれど、手持ち国債を売らないで保有したままにしてくれ、今の高値でもっと買ってくれ」という都合の良い政策は実際には実行出来ません。
もしもそんなアナウンスで実施したらインフレの効果が出る前に、国債が大暴落になるでしょう。
実務の世界では銀行の信用創造機能喪失によって、紙幣の信用収縮中に原料の紙幣を仮に2〜3倍刷っても従来の50倍から20〜30倍(縮小率がはっきりしませんので比喩的表現です)に収縮している現状では物価上昇効果がまるでないことを国民全部が先刻承知ですから、日銀による量的緩和・国債引き受けを誰も恐れず国債や公社債売却に殺到しないのです。
量的緩和や超低金利政策が何の効果も出(政府には経済実態に反した政策をする能力が)ない・・無駄・効果のないことをやっているのをみんなが知ってるので、市場の反撃を受けずに政府が助かっているパラドックスです。
(中央銀行の役割は終わったと書いてきましたが、量的緩和や金利政策は日銀政策委員やエコノミストのお遊びの域を出ませんので、経済実務界では誰も相手にしていない証拠です)
今回の増税論の論拠に1000兆円もの国債があると、もし将来金利上昇になったら大変なことになるという意見がマスコミを支配していますが、国際収支黒字を維持出来ている限り黒字=資金余剰状態・・すなわち借りたい人が少なくて貸したい人が多いのですから、金利が自然(政府が上げたくとも上げられないことを昨日書きました)に上がることはあり得ません。
要は日本経済が破綻して大変なことになるか否かは、国際収支黒字を維持できるかどうかにかかっているのであって国債残高の量には関係のない話をあえてごっちゃにして国民に不安感を抱かせているのです。
心配すべきは国債発行残高の問題ではなく、繰り返しますが国際収支の結果次第です。
マスコミを覆うインフレ期待論・あるいは円安期待の結果が我が国でもしも実現するときを想定してみると、国際収支赤字(長期赤字継続で黒字の蓄積を食いつぶしたとき)が長期間連続したときしかないでしょう。
(高度成長期も物価上昇が続きましたが、このときはまだ我が国は十分豊かになっていなくてあれも欲しいこれも欲しい時代で飽食に至っていなかったからです)
長期国際収支赤字連続が実現したときには、とどまるところのない円安が始まり輸入物価の持続的上昇→インフレが来るし、国際収支赤字=資金不足状態ですから日銀が金利引き締めをしなくとも資金需要が超過しているので自然に金利が上がって、国債価格も暴落するし、日本経済にとって大変な事態になります。
国民はギリシャのように消費抑制で対応するしかない・・耐乏・緊縮生活が到来します。
財界人やエコノミストが頻りに訴えるデフレ脱却、インフレ目標・期待論は、何を期待していることになるのか、結果的に日本亡国・衰退を期待しているとしか考えられない、無責任・無茶苦茶な意見であることをFebruary 21, 2012為替相場と物価変動2(金融政策の限界1)前後で紹介しました。
繰り返しますが、デフレが続く=持続的円高によって持続的に輸入品価格が下がっていることですが、これは国力充実・国力伸張継続中の証で目出たいこと限りないことです。
失われた10年とか20年とか事実無根のデマをマスコミが流していますが、その国の通貨の評価こそが国力に対する諸外国の評価の動かぬ証拠であって、それ以上のことはありません。
国の評価が上がればその国の通貨が持続的に上がるのであって、そんな目出たいことをマスコミが何故目の敵にしているのか理解不能です。
昨年の大震災を契機に貿易黒字が縮小して逆に赤字になるなどで、日本経済に黄信号がともると、円高傾向が緩みひいては円安に振れ始めてその分いくらか物価が(電力料金を筆頭に)上がり始めます。
デフレ−ターが下がったとマスコミが喜ぶ記事が出るのですが、大局的に見ればニッポンの体力が下がるのを喜んでいるかのような変な構図です。
国債の国際化や株式の国際化(外国人に株を保有して貰って日本に何のメリットがあるのか・・例えばトヨタの株の9割を外国人が保有して日本のためになるの?)など、いろんな報道を見ても日本にとってマイナスになるようなことばかり推奨するマスコミは、もしかして外国人が牛耳っているのじゃないかと心配したくなります。

健全財政論10(貨幣価値の維持4)

我が国の場合、・・長期間の国際収支黒字による累積金が半端ではない・・世界最大の債権国で金あまりで大変ですが、それだけではなく生産工場の海外展開加速状況→国内生産力慢性過剰状態ですから、国内工場新設等の資金需要が弱い・・資金需要のないところで日銀がどうあがいても金利も物価も上がりません。
大手企業の今年の投資水準が高い低いと報道されますが、それは各企業の国外投資を含めた報道ですので国内だけでみないと国内景気がどうなるかという関心には余り意味のない報道です。
国外投資が進むと企業が円をドル等に換金して外国で使うのでドル買い→円安要因になってその方面では意味がある程度です。
国際収支黒字の多過ぎる国では、・・ゼロ金利にしても借り手(国内設備増強用需要がない・・全くないという意味ではなく増強する企業・業種もありますが、需要縮小する企業の方が多い傾向という意味です)が少ないので、銀行は国債や自治体債を買うか、資金需要のあるよその国で貸すしかない状態に陥っています。
お金・貨幣も輸出商品として考えれば、日本の銀行は世界1安い仕入れ価格で輸出出来るのですから、国際競争上もっとも有利な状況になっているのですが、銀行では、大蔵省の顔色をうかがういわゆるモフ坦ばかりが出世して来たことを以前書きましたが、長い間本来の商売をして来なかったので他流試合する能力がありません。
円高は強い円を武器に儲けるべきチャンスがあるのに儲けられない弱い銀行を抱えていることで我が国では円高に対する悲鳴なばかりが聞こえて来る結果になっています。
(日本の銀行は海外で運用能力がないので、せっかくのチャンスを生かせず外国人投資家がこの運び屋的運用で儲けています)
円キャリー取引で外国人投資家が借りてくれる意外にはどうして良いか分らないので、残った使い道のない資金が国債に流入していて国債相場が上がる・・金利低下する一方になっています。
以前どこかに書きましたが、どこかの国で高金利にしてインフレを押さえ込もうとしても、日本から低金利で借りて自国内に資金を持ち込んで貸せば利ざやを稼げるので、(円キャリー取引)資本自由化が進んで来ると国内金融引き締めは尻抜けになります。
内需拡大予算を組むと新興国の安い製品がドンドン輸入されて国内産業育成になり難いのと同じ傾向があります。
このように1国閉鎖経済で成立していた時代の中央銀行の金利政策や紙幣発行量の調節は、今や機能不全に陥っていますから、いろんな場面で存在意義がなくなっているというのが私の従来からの意見です。
また閉鎖社会での需給だけを前提とする経済理論(貨幣量とインフレ等の関係)は、根底から作り直す必要があるという意見も書いてきました。
中央銀行と行政府の役割分担思想に戻ります。
国債と紙幣の違いの連載でも書きましたが、政府が自分で好きなように紙幣発行出来なくなった代わりに国債を発行出来るようになりました。
(ユーロ諸国・ギリシャ、スペインも紙幣発行権がないものの国債を発行出来るから問題が大きくなったとも言えます)
政府が税収による資金不足に対して、江戸時代の悪改鋳のように紙幣増発で誤摩化すよりは、国債発行でけじめを付けた方が合理的・・国民に対して透明性があります。
マスコミやエコノミストの多くが提唱する現在のインフレ期待論(デフレ脱却)は、言わば江戸時代の政府が貨幣改鋳で貨幣価値を薄めて、手元不如意を誤摩化していたのと同じ結果を企図(自然に貨幣価値の下落が起きないかなあと期待)していることになります。
そんなことならば直截的に貨幣価値を何割か薄める紙幣増発を提言すれば良いようなものですが、紙幣増発によるインフレ・物価上昇は貨幣価値維持を至上命題とする官僚のDNAが許さないからインフレ目標などと回りくどい言い方をしているに過ぎません。
以前紹介しましたが、インフレ期待論とは、仮に物価が5割上がって貨幣価値が5割下がれば、現在の1000兆円の国債の償還実質負担が5割減ることを期待した議論です。
(債権者にとっては債券の目減り・評価減です)
イキナリ5割の物価上昇は無理でも年1割ずつでも上がれば、債務者にとってはその割合ずつ償還負担が軽くなります。
何のことない、貨幣価値を1割ずつ下げる計画ですから、そんなことなら江戸時代の悪政同様に始めっから、素直に1割ずつ紙幣発行量を増やして行けば良いとなる道理です。

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