財政健全化路線14(信仰2)

我が国の場合第一次大戦後におけるドイツのハイパーインフレ経験があったので、食糧その他配給・統制経済が続きました。
驚くかも知れませんが、物価統制令は今でも生き残っていますので紹介しておきましょう。
(ちなみに、地代家賃統制令・昭和14年10月18日勅令第704号が廃止されたのは、漸く1986(昭和61)年最後の12月31日です。(実質昭和62年まであったということです。)
・・若い人にとっては26年も前のことは、過去の歴史の1つに過ぎないかも知れませんが、昭和40年代終わりに弁護士になったときには、戦後は終わっていると思っていたのに、弁護士になってから実務処理の過程でこの法律がまだ生き残っているのに初めて気がついたのですから、私にとっては驚きの記憶でした。
・・弁護士の職務として当時はまだ、借地借家の紛争は交通事故と並んで大きな比重を占めている時代でした。

物価統制令

(昭和二十一年三月三日勅令第百十八号)

最終改正:平成一八年六月七日法律第五三号

第一条  本令ハ終戦後ノ事態ニ対処シ物価ノ安定ヲ確保シ以テ社会経済秩序ヲ維持シ国民生活ノ安定ヲ図ルヲ目的トス

第二条  本令ニ於テ価格等トハ価格、運送賃、保管料、保険料、賃貸料、加工賃、修繕料其ノ他給付ノ対価タル財産的給付ヲ謂フ

第三条  価格等ニ付第四条及第七条ニ規定スル統制額アルトキハ価格等ハ其ノ統制額ヲ超エテ之ヲ契約シ、支払ヒ又ハ受領スルコトヲ得ズ但シ第七条第一項ニ規定スル統制額ニ係ル場合ヲ除クノ外政令ノ定ムル所ニ依リ価格等ノ支払者又ハ受領者ニ於テ主務大臣ノ許可ヲ受ケタル場合ニ於テハ此ノ限ニ在ラズ

3条2項以下省略

経済官僚が赤字国債発行を拒否していれば、戦争をやめさせられたかと悔恨の念を抱くのは間違いとは言えないまでも正しくはないでしょう。
軍資金がないと何も出来ないことは事実ですから・・武器弾薬だけではなく、徴兵して毎日食わせるだけでも大変なお金がかかりますので、観念をこねくればそう言えないことはないというだけです。
国民総懺悔の一環として「そう言えば自分にも落ち度があったかなあ・・」という程度でしかありません。
経済官僚が戦費支出に反対・赤字国債発行に反対したくらいで、戦争への大きなうねりを止めるなどは不可能だった筈です。
官僚としては数時間程度支出行為にサインしないで粘るのがやっとで、法(国会決議)に基づく年単位の長期支出を止めることなどは、官僚が束になっても出来ません。
予算書/原案を作るのを拒否してもどうにもならなかったでしょう。
経済官僚には悲壮な使命感は必要がないことです。
ドッジ・ラインを強制されて経済官僚は自己の無力感・・戦争協力責任を痛感し、それが未だにトラウマとして残っているのかも知れませんが、ドッジラインは占領軍の強制力の後ろ盾があってこそ緊縮財政を強行出来たことで、戦時下で軍に抵抗して戦時国債発行を阻止出来たとは到底思えませんから、彼らの思い過ごしというものです。
各種藩政改革も強力に後押ししてくれる君主がいてこそ成り立ったもので、これががないとうまく行かず後押ししていた君主が途中で死亡すると失脚することが多いに(中国で言えば商鞅の故事が有名)です。
経済官僚は余計な思い込みをしないで、経済の論理・・国民生活を守るために官僚の職務範囲で出来ることは、何かと言う合理主義で決めて行けば良いことです。
ですから、財政健全主義などと言う頑な原則(憲法でも何でもない単なる思い込み)を掲げて柔軟な発想・・本来国民にとってを今何をするのが良いのかの検討を拒む・・何でも反対したり、マスコミを利用して健全財政主義のマインドコントロールに精を出すのは本末転倒です。
景気対策として内需拡大が必要ならば、(これが必要かどうかはまた別の議論が必要ですが仮に今必要とした場合の話です)国際収支黒字の範囲であれば、資金源が国債でも税でも国家経済の持続可能性としては同じです。
財政が赤字であろうとなかろうと、それはコップの中の計算に過ぎず、国際収支が黒字になっている限り日本国内で、対外収入以上の資金を使っていないこと(収入以上に使えば赤字になります)に変わりがありません。

財政健全化路線13(信仰1)

今でも経済官僚が何故貨幣価値維持にこだわるのかという疑問に戻ります。
Aug 18, 2012「健全財政論12(貨幣価値の維持6)」の続きです。
これは戦後直ぐのハイパーインフレに懲りた記憶が最大の悲劇として原始的に刻み込まれていて、これが組織のDNAとして受け継がれ色濃く残っているからではないでしょうか?
これを収束したのは最近(と言っても60年も前ですが)では、戦後のドッジライン(1949)によりました。
財政均衡→超緊縮政策を原則とするドッジライン実施の結果、翌年の株価は大幅下落し(我が国株式市場最安値の記録として今も残ります)大変な不況が到来します。
当時占領下でしたのでGHQの指令として強制力がありました・・この指令を受けたトキの大蔵大臣は後の経済成長路線の池田勇人ですから皮肉なものです。
97年のアジア危機でもIMFは韓国その他アジア諸国に対して超緊縮政策を強制しましたし、(現在のギリシャに対しても同じ傾向です)アメリカの経済学者はこの種の政策発動が好きらしいです。
我が国でも戦時中の軍事費と言う名の無制限財政出動を支えるために行われた戦時国債の無制限発行に協力した結果、敗戦後の超インフレに苦しむことなりました。
これをあっさり退治したのはドッジ・ラインによる超緊縮政策でした。
勿論日銀の頑固な「羹(あつもの)に懲りてなますを吹く」たぐいのインフレ恐怖症も同根です。
超不景気政策に対して当然経済界は反発した筈ですが、(政府は占領軍には逆らえないことから財政出動ではなく日銀貸し出し増加で対処したようです。
・・これが日本企業の借入金過大・・自己資本不足傾向の源流です)他方で内需抑制していても運良く?朝鮮戦争勃発(1950年6月38度線越境開始)が内需の代わりに外需をもたらして景気刺激となったので、ドッジ・ラインのマイナス効果がそれほど国民に意識されない内にうやむやになりました。
このトキのインフレ退治の成功体験ばかりが大きく信仰の一種になっているような気がします。
その後の田中角栄総理による狂乱物価を引き起こした失政の記憶の追加があり、更には平成のバブル発生(物が足りるようになって、あるいは量産追加可能になってから消費材の値は上がりようがなくなったので、量産追加供給の不可能な土地バブルになったのですから、インフレの現在版です)と、記憶が途切れることがなく続いて来たことが大きかったと思われます。
経済官僚が財政健全化にこだわるのには、無謀な軍事費に充てるために国民の財産を供出させて根こそぎ使ってしまったことに対する慚愧の念もあったと思われます。
平和に暮らしていた国民を徴兵して中国等の戦地であるいは太平洋上で特攻その他で多くの人命を無駄死にさせたことに対する軍事関係者の悔恨の念の財産版です。
「過ちは二度と繰り返しません」という広島原爆の碑同様に、経済官僚としては、「赤字国債さえ発行しなければ戦争に突き進むことがなかった」という悔恨の念が沸々と湧いて来たのでしょうか?
日本は戦争で多くの人命だけではなく多くの財産も失ったのですが、財産喪失は戦時中に生じていたものですが、国家が存続する限りに額面だけの国債として残っていたのが、敗戦後遅れてインフレになって実質価値が明らかになったに過ぎないとも言えます。
第1次大戦後有名なドイツの超インフレ・・トラック一台ほどの紙幣を持って行って本が1冊買えるほどであったという話も同じで、戦時中に国内資産が破壊され尽くされていたことに原因があったと理解すれば分ります。
閉鎖された1国経済で考えれば、紙幣量が一定でも国内資産が1000分の1に破壊されれば1000倍のインフレになる道理です。
実際に資産がなくなっていて膨大な国債や紙幣が残っていれば、当然その比率でインフレになるか国債価値の暴落になるしかありません。
とすればインフレになったのが悪いのではなく、実際にはその前に国債で造った艦船や戦闘機が沈没・撃墜され、国内資産はすべて空襲で燃えてしまったことによる財産喪失に原因があった・・負ける戦争をしたことそのものの責任に過ぎません。
火災・爆発事故で工場が燃えてしまえば資産価値(保険をかけていない場合や・・掛けていても工場再起動までの売上)が減少するので株価が下がるのと同じです。
株価下落の責任は経理課職員にあるのではなく、火災や爆発事故を起こした関係者の責任です。

財政健全化路線1(無借金経営論と知能レベル)

8月6日に書いたとおり、今のところ財政赤字が許容範囲かどうかの合理的な議論をするのに必要な情報開示がありません。
支出に対応して取得した資産がどうなっているかの議論すら全くないまま「大変なことになるのは自明だ」という大合唱ですが、・・情報開示して合理的議論に発展すれば「財政赤字大変論」の矛盾が明らかになるのが分っているのでマスコミはマトモな議論をしないようにしていると思われます。
マスコミが問答無用式の不公正な報道に終始している状態をみると、結局財政赤字論は、日本の経済破綻を心配してのことではないことになります。
マスコミが何のために半端で不公正な報道し続けるのか疑問ですが、財務官僚が信奉している財政健全化論→増税路線を推進しようとする勢力の代弁をしているのでしょうか?
(官僚にとっては財源が寄付→国債→税の順に自由度が高く、うまみがあることをこれまで書いてきました)
ところで、自明のこととされている官僚の信奉する「健全財政論」もそのこと自体何を意味するのかとなると、実は不明な議論です。
支出に対応して形成されている資産をまるで問題にしないで、金銭収支だけ取り出して均衡していることに自己満足する財政健全化論の精神は何に由来するかということです。
お金を使えば対応する有形(自宅を買えば不動産)、無形(ロケットを5〜6回打ち上げればその技術蓄積・・子供の教育投資など)の資産を取得しているのに、これとのバランスで考えないで、単年度の金銭の収支均衡だけをもとめて、もしも金銭収支だけが均衡していればこれで満足する精神構造はどうなっているかということです。
取得する資産を考慮に入れずに、金銭収支のバランスだけ考える健全財政論は、現在一般的である(商売人に限らず一般サラリーマンでも自宅の価値と負債(住宅ローン)のバランスで家計を考えています)バランスシート思考方式からいえば不思議な議論ですから、・・今や官僚特有の一種の宗教(合理的理解を超えたもの)になっていると言えるでしょう。
年収1000万円の人が預貯金1000万円と4000万円の借金で5000万円のマンションを買った場合、その年の金銭収支あるいはその後のローン残高だけみれば大赤字で不健全となりますが、こんな議論をすることの無意味さは、今の時代、誰でも分ることです。
(マンション購入価格が割高だったか・・値下がりしたらショックですが、大きな関心になるべきで、金銭収支だけみて今年は大幅マイナスだとしょげる人はいないでしょう。)
ただし、目の前から現金がなくなれば・・本能的に心細いことは分ります・・そこにマスコミが訴えるので国民が惑わされてしまうのです。
(ただし短期的資金ショートを防ぐために決済準備金の必要性については、2012/08/07「マスコミによる世論誘導の害1(世代対立を煽る愚1)のコラムで検討しました)
財政健全化論とは言い換えれば、不動産を買うにも、子供の教育にも「借金すること自体が悪である」という(バランスシート的思考の未発達な時代の)原始的本能に由来しているように見えます。
2012/07/27「世代対立を煽る愚3」でも書きましたが、人工衛星打ち上げ成功その他・教育設備の整備、次世代への教育投資・公園、道路・その他諸々の公共設備の整備など次世代に残すべく蓄積した資産効果を論じないで、資産形成のために支出したマイナスだけをみて次世代が損だと言っているのですが、これも何事も無借金が良いという原始的意見の焼き直しです。
次世代に借金を残す訳に行かないと言う論法も、国債保有者という債権者も国民である面をみない借金だけをみているのと同じですから、借金そのものが悪いと言う思考形態です。
マスコミの論理立て・・世に言う財政健全化論によれば、政府が次世代のために何もしなければ、(支出が発生しないので)健全な良い政府になります。
子供を大学へやるために借金するよりは、進学させないで無借金の親の方が健全な良い親だと言う論理です。
探査衛星ハヤブサやロケットなど将来の技術蓄積のために打ち上げ費用を借金してまで使うのは、不健全だということでしょう。
以上によれば、財政健全化論とは、原始的主張である結果却ってムード・本能に訴え易いキャッチフレーズですが、内容実質は借金は危険であると言う原始的本能に訴えているに過ぎません。
現在社会では、優良企業も相応の借金で投資している時代・・優良企業かどうかは借金の絶対額を基準にするのではなく、借金の使い道・・投資効率こそが判定の基準にすべき時代です。
金銭収支・・負債の大きさだけに着目する財政健全化論は官僚・政府が投資効率を判定を怠っている・・あるいは判定能力がないことから生じる意見であって、官僚の能力が時代に適応していないことを表しています。
・・今でも知能の低い子供を残して行く親としては、「危ない投資しないでともかくお金を抱え込んでいるのが安全だからね・・」と教え諭すのが基本的生き方でしょう。
大福帳しか知らなかった江戸時代と違い、現在社会で損得をバランスで考えられない・・目に見える紙幣の量でしか考えられない(マイナスになれば訳もなく怖がる)知能レベルと言えば、かなりの低レベル者と言えるでしょう。
投資効率チェック能力が低いことを基準にすれば、借金して儲けようするのは危険ですから、何が何でも無借金経営が良い・・借金で投資してはいけないと言う本能になるのは正しいことですが、世の中殆どの人がバランスシート的経済観で生きている時代・・すなわち平均的能力の時代に、バランスシート的計算に馴染まない知能レベルの人が官僚では困ったものです。
官僚の信奉する財政健全化論は、投資効率を見定めて投資する現在主流の運用環境・・現在的経済観念に官僚がついて行けないことを前提にしているとすれば、今や財務諸表的合理的思考に馴染まない宗教の一種みたいな印象を受けるのです。
ちなみに政府・官僚が投資効率の判定を放棄するとバラマキになりますが、バラマキのために借金をする必要があるかという議論は、財政赤字論とは別に考える余地があり得ます。

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