消費者信用の拡大1(商法の消滅?)

中国や米国の車ローンのサブプライム化→節度なく借金にのめり込む状況を見ると国ごとに庶民レベルに大きな差があるように見えます。
新興国・・貧しい環境から脱却できると食べ過ぎて肥満や糖尿病になる人が多いのですが、その場合にもはじめっから自制する人と、一定の経験で学習しますから、肥満比率の上昇がどこまで上がって止まるかは民度次第です。
消費者信用も初めてのときにどの程度まで爆発的に広がるかも民度次第ですが、2回目3回目には学習して広がりが小さくなる傾向も民度次第です。
自然災害でさえ繰り返されたときの対応力はその民度次第です。
消費信用急拡大大傾向を見ておきますと、金融対象変化の側面から見ると、何のために貸すのかと言えば古くから事業資金の不足を補うもの・融資とは実質的に見て投資資金の融通でした。
税や利息の語源から見ても、種モミを貸せば秋には実る前提でその回収をはかる仕組みから始まっていることからもわかります。
株式投資との違いは確定利回りを約束するかどうかの違い(満期に払う能力がなければ結局回収不能になる点は同じ)ですから、投資と金融は(相手の品定めが重要な点でも)元は同根です。
近年では(例えば国債やサブプライムローン販売で知られるように)満期が来る前に換金売りするのが普通ですので、売買価格・市場相場が発行体の信用と金利動向によって変動する結果、確定利回りといっても券面額のない株券と機能的に似て来ました。
金融と証券の分離または融合などとこの数十年騒いでいますが、金融の本質を考えれば本来の業務・・目利き能力が必要になるのは当然のことでしょう。
融資対象の分類では、元々は種もみの貸付から始まった=自営農民が対象であったことからも分かるように従来(戦後だけを見ても)金融を必要とする人・顧客ターゲットは経済合理的に行動する経済人・企業・事業主を主たる対象にしていたものであって、事業主や経営する法人の代表者であっても事業を離れた個人にとっては、銀行はお金を預ける関係であって借りる関係ではありませんでした。
同じお任せでも貸付債権の回収リスクを銀行が負う点で、投資ファンドや保険商品と実は結果がちがっています。
リスクを持ってくれると言っても失敗が多くなって取り付け騒ぎがおきれば預金保険機構ができるまではただになってしまった点では同じです。
(今は1000万円までの保証です)
預金者が銀行の貸付先の信用状態を全く分からないで預ける以上は、銀行にとっては大量の貸付の中から一定率の回収不能債権が発生してもトータルで中和して預金利息以上の利潤をあげれば良い・以下になれば赤字になる関係です。
回収不能・・不良債権率を低く抑えることが銀行にとって生命線ですから、貸付段階の審査能力・目利き能力が最重要です。
リスクの高そうな事業者には銀行が貸せませんが、高度成長期には資金需要が高かったのでグレーゾーンの企業は高利金融業者から借りる(私の弁護士業務での経験では昭和50年始めころには月利5分が標準相場でした)ようになり隆盛を誇りましたが、多くは正規金融機関が相手にしない弱小事業者向けのものでした。
借りる方も事業経営者の場合、それなりの経営能力・自己規制能力を前提としていたし、消費財は買うための資金が溜まってから自己資金で買うのが、原則的生活態度でした。
戦後でも消費者向け融資は例外的で担保のしっかりした住宅ローンのみの時代が続いていました。
その後自動車や耐久消費財の月賦販売が始まってから、耐久消費財と言えない商品購入にまで各種クレジット販売が発達しましたが、いずれも物販の分割払い・・「物(ブツ)」の裏付けを伴うものでした。
純粋に消費目的のクレジット(信販系)や借入・貸付が(以前紹介したように日本でも古くは土倉〜現在の質屋がありましたが)昭和40年ころから徐々に広がり、公然と行われるようになったのは、50年前後頃のいわゆるサラ金の発達以降になります。
大衆社会・・経済主体としての訓練を受けていない一般消費者が経済活動の主役に躍り出た時代の1側面です。
法の世界でも近代法では、商人対象の商法と素人対象の民法の2階層の仕組みでしたが、過去約10数年の法令改正の大筋方向を見ると民商法の垣根を崩していく方向性が顕著です。
民法では特約しない限り無償が原則ですが、今どき他人にタダで物事を頼むことなど想定すらできませんから、今はみんな商法(商行為法)の世界に生きています。
今国会で成立した民法大改正でも時効や金利制度を民商法で共通にするなど垣根をなくす方向が顕著ですから(最近の15年前後では商法から会社法や保険法が抜けてしまうなど空洞化が進んでいます)「商法」という大法典の存在意義がそのうち無くなるように思います。
私のような関心を持った研究論文がすでに2008年に発表されています。
http://wwr8.ucom.ne.jp/sh02/pdf/shiryou0601.pdf
[商行為法WG最終報告書]
商行為法に関する論点整理
(第504条~第558条,第593条~第596条)
2008年3月31日
商行為法WG
(東京大学 山下友信 京都大学 洲崎博史 東京大学 藤田友敬 学習院大学 後藤 元)
【前注】
(1)以下の検討は,民法(債権法)の想定される改正に際して商行為法の規定についていかなる調整が必要かという観点から行ったものであり,商行為法ないし商法全体の立法論的あり方について根本的に検討しているわけではない。例えば,商法の適用範囲を画する基本概念である商人および商行為の概念自体については,根本的な検討が必要であり,その結果如何では,以下の検討結果にも影響が及ぶことがありうる。・・・・
(2)以下において「一般法化」とは,商人・商行為という要件をはずして規定を民法に
移すこと,「統合」とは,何らかの要件(商人性・事業者性・有償性等)を付加した上で民法に組み入れることをいうものとする。
・・以下面白そうですが、長くなり過ぎるので省略します。
このように民=一般人と商人の区別がなくなりつつある社会では、社会の一体化が進んでいるかと言うと逆で、格差社会と言われるように消費者と供給者・企業という隔絶した社会構造になっています。
いわば民商の2階層の社会から消費費者保護法が成立していることが象徴的ですが、フラットな消費者・大衆と事業者の2元社会・・中間の市民がいなくなりつつある社会です。
消費者契約法
(平成十二年五月十二日法律第六十一号)
  第一章 総則
(目的) 
第一条 この法律は、消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差にかんがみ、事業者の一定の行為により消費者が誤認し、又は困惑した場合について契約の申込み又はその承諾の意思表示を取り消すことができることとするとともに、事業者の損害賠償の責任を免除する条項その他の消費者の利益を不当に害することとなる条項の全部又は一部を無効とすることにより、消費者の利益の擁護を図り、もって国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする。

マスコミの信用失墜5(マスコミの節度)

中韓のあまりにもレベルの低い虚偽報道に反論するのもバカバカしいと高みの見物をしていると世界中の人が日本が悪いことをしていると誤解しかねないのが残念です。
誹謗中傷も短期間ならば、放置しても良いでしょうが、何十年も繰り返されて放っておくと世界中の人がそうかな?と誤解してしまいます。
企業が大金を投じて何故繰り返し広告するかと言うと、繰り返しの刷り込み効果が大きいこと知っているからです。
日本では「広告している会社はロクな技術がないから広告している・・そんなのに乗せられるのはバカだけだ」と言う人が多いですが、実際には宣伝どおり受け止める受動的なバカの方が世の中には多いのですから、広告業が成り立っています。
この辺は今後ネットの発達によって利口な人・・読み書き能力の高い日本が情報戦で有利に展開して行くだろうという意見を書く予定です。
中韓両国の虚偽教育も国内向け反日宣伝戦の一環でしたから、これに対しても「マトモな政治をする努力をしないでバカなことをしている」と放置していために、今や両国民の殆ど(40代半ば以降の若者)が日本に対する悪意の固まりになっています。
中韓両国が急に大人しくなった程度で(領海侵犯回数や告げ口外交が減ったが減った程度)では、反日教育をやめない限り首脳会談に応じない・経済協力しない等のきっぱりとした態度が必要です。
反日教育をやめさせない限り中韓両国は必要なときにすり寄って来るだけで、必要がなくなればいつでも反日がぶり返しますので、いつまで経っても本来の友好国にはなりません。
マスコミは中立であるべきだ=中立報道していると言う・・(日本人はルールが出来れば守る国民性です・・)善意・道徳律だけに頼る日本は、世界中に蔓延する反日虚偽報道に困惑するばかりで太刀打ち出来ません。
国際関係は虚偽宣伝戦でもあるという冷厳な事実を直視して、日本も国益を守るための国際宣伝は政府の方針に従って一丸となってやって行くべきでしょうか?
この辺は多種多様なな意見・方法があってもいいし、その方が健全で結果的にしなやかで強い社会になるようにも思えますので、言論の自由自体を縛るのは良くないでしょう。
マスコミは政府意見にも、どのような意見にも偏しないということは必須ですが、それとは別に国益を守ると言う1線だけは守るべきではないでしょうか?
勿論どのような報道が国益か国益に反するかは議論があり誰にも決められませんが、(少数意見の方が正しいこともあるので大事にしなければなりません)国益を守らなくて良いという意見自体は許されないと思います。
中立さえ守れば良いのではなく、そもそも特定意見を主張すべきではないという程度しか今は書けません。
意見と銘打って報道するならまだ良いのですが、中立と言いながら悲惨な状況ばかりを報じたらその社会の悪イメージが広がりますし、特定国賛美報道ばかりすればその国へのイメージが良くなります。
どこの国でも少しは良いところがあるし悪いところがあり,要は比率の問題です。
政治家の表情もいろいろあり、不機嫌そうな表情も自信に満ちた表情・不安そうな表情等々いろいろありますが、マスコミが意図的に嫌みそうな表情ばかりアップすればその政治家への攻撃になります。
うまく行っていることは極力報道しないで、うまく進まない場面ばかり報道するのもその政治家への攻撃になります。
一定の意図を持ってその一部を大げさに報道するのは、仮に事実であるとしてもマスコミの中立性を犯していることになるでしょう。
国際問題ばかりではなく、国内でもマスコミが自制心を失い(広告や接待等で)マスコミに食い込んでいる特定勢力の期待する方向へ中立を装って世論を誘導すると、マスコミしか情報源のない国民にとっては言論を統制して政府に都合の良い情報しか発信しない独裁権力者の君臨する社会と同じになってきます。
中韓両国はロビー活動や資金提供等で各国マスコミ(我が国マスコミはその主な対象です)に食い込んで反日宣伝に精出して来たのですが、ネット時代が来て誰もがナマの情報に接し易くなったことから、中韓寄り報道に徹して来ていた日本のマスコミの虚構性が白日の下に曝され、その信頼が足下から崩れ始めたのが昨今の情勢と言えるでしょうか?

増税と景気効果1

仮に外貨準備が足りなくなっても純債権国の場合、海外に買ってある土地や工場売却・・・投下資本の売却などで資金回収が可能ですから、更に厚みがあることになります。
(実際には投資してしまった工場や店舗・採掘権などを直ぐ売るわけにはいかないので、実際には簡単ではないですが、そう言う厚みがあるという意味です)
今回の大地震直後イキナリ円高が進んだのはこの連想作用によるものでした。
すなわち、日本は復興資金需要のために海外投資を引き上げるのではないか、そうなると海外資産を売って円に両替する→円高の連想作用・単なる思惑で急激な円高になったのです。
このように純債権国の場合、危機になってもギリシャなどの純債務国のように(海外から借りる必要がないので)その国の通貨が暴落するのではなく逆に円高になります。
日本は今のところ国内金融資産自体が部厚いので、(国内で国債発行すれば間に合う・・国内で殆ど消化出来る実力があります)海外から資産を引き上げる必要すらないことが分って、投機家の思惑が間違いであったことが分り、春先の円高が一旦収まっていました。
復興資金として東京メトロの政府株を売却すると言えば、直ぐに都知事が買いたいと名乗り出たことからも分るように国内でまだ資金余裕があります。
海外にまでメトロ株を売りに行く・海外勢に購入してもらう必要がありません。
ただし、本来は復興需要が始まるとインフラの被害で輸出が停滞する上に無資源国日本では復興用に輸入が増える→貿易黒字の減少または赤字転落ですから、短期的には円安傾向になるべき局面に戻っていました。
これがギリシャ問題で日本の安定性が見直されて再び円高局面になって来たのです。
東京メトロ株の売却の話題が出たついでに、復興資金用に増税あるいは国有資産売却をするのと赤字国債で賄うことの違いをこの際書いておきましょう。
巨額の災害対策・復興資金が必要ですが、これ以上赤字国債発行ばかりでは大変だという常識・大震災後急に日本の国債は国内総生産の何倍だとか言ってマスコミが騒ぎ始めました。(財務省のお先棒担ぎでしょう・・?)
このマスコミのムードに乗って国の借金を余り増やさないために増税で賄うべきだと言う議論・野田政権が出て来たかと思ったら、(増税に対する反対論を和らげるために、)最近では政府の保有株や不動産を売って復興資金の一部に当てる話になって来ました。
どこかの資金の出方次第で節操なく報道するマスコミに惑わされないように、災害復旧資金源として増税・国債発行、国有資産売却の功罪を考えておきましょう。
(幸い私は弁護士業の収入で書いているのでスポンサーが不要なので気楽です)
今回は災害によって、被災した分の資産が減少していて、これを政府が何らかの補填・復旧をすることになるのですが、その補填・復旧資金を仮に100%増税で賄えば、復旧後の政府の総資産は被災前と同額まで復活します。
復旧費用100%を借金(国債)で賄えば、復旧前後を通じて資産は(被災によって政府資産が減損したまま)同じです。
(1000億円掛けて復旧しても1000億円の借金が増えているとプラスマイナス零です)
復旧資金全額を国有財産の売却で準備した場合・・橋や道路の回復に1000億円掛けて完成しても同額分の国有財産を売却していれば、借金した場合と同様一方で資産の喪失があるので資産の増減はありません。
不要・遊休資産を売却して被災地の復旧資材等に置き換えただけです。
いずれの方法も市中から紙幣を必要額だけ吸収してしまう点は、同じです。
企業施設が被災した場合、増資して復旧すれば資産が回復しますが、増資しないで、どこかの施設を売って資金を作り、それで被災施設を復旧すれば、企業の総資産は、被災のよって痛んだままです。
政府の場合、企業の増資あるいは売上増に対応するのが増税による増収です。
増税による増収がない限り、借金で賄っても国有資産を売り払っても、政府資産の増減は同じです。

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