組織犯罪向け手続法の必要性3

何十年か前に在日に対する指紋押捺制度を計画したときに「犯罪者扱いするな!」と反対運動していましたが、何も悪いことしなければ指紋を登録していても何ら困ることがない筈です。
私の知っている限りでは、あるヤクザが、ある組では、◯◯の氏名でこの組では△△名で警察では、本名の韓国名でといくつも通名を使い分けている人がいました。
こういうことで、統一的な把握が難しいことから、在日に関しては指紋押捺性が考案されたと思いますが、左翼人権擁護家?は人権侵害だとこれに反対していたのです。
今度のマイナンバ−制に対しても左翼・人権擁護家が、国民総監視社会になると言って反対していましたが、要は在日の通名使用特権?あちこちでいろんな名義の口座を作れる仕組みを守りたいことに帰するようです。
今年の夏から外国人登録制度から住民票制に移行したこと、来年からのマイナンバー法施行によって、在日特権の1つ・・である、通名による複数口座利用の旨味・・通名による隠し預金があっても、所得を隠して生活保護を受けるなどの旨味が剥奪されるようになります。
政治運動と言うのは、その結果によって利益受けるのは誰か、どのグループかによって誰の利益擁護ために運動しているかが浮き彫りになります。
余談にそれましたが、犯罪予防にはいろんなデータの事前収集制度が必要です・・これを人権侵害と言うばかりでは、犯罪・・大規模テロを防げません。
防犯カメラも人権擁護家・・弁護士ですが、肖像権侵害と言って反対運動していましたが、さすがに最近言わなくなりました。
実体法的には共謀罪法案が大問題になっていましたが、これは実害が起きる前の行動を犯罪に出来るようにしようとするホンの数ミリ程度だけ前に進める試みだったかも知れません。
上記コラムでも書きましたが、実務的には共謀段階だけでは証拠がない・・会話録音が仮にあっても冗談で言ってたのかの区別がつかないので、実際の実行があったときに・・しかも実行犯が関係者を全部しゃべったときに始めて、遡って何日か前に共謀に参加した人も処罰出来るようにする程度・・ヤクザの親分の処罰に後で使えるようになるだけと思われることをそのコラムで書きました。
自爆まで覚悟しているテロ犯の場合、仮に検挙しても任意に過去の謀議や組織の詳細を話すことは!%の可能性もないので、実は殆ど役に立ちません。
マスコミや左翼が宣伝しているように、何の事件もないのに話し合った程度で処罰出来るようなことは実務上想定できません。
この意味では、事件発生前の事件防止・・テロ対策には最近問題になっている共謀罪法案でも従来型・・直ぐに反省するような事件以外に役立たないように思えます。
テロ等が頻発して来ると、謀議だけで処罰する方向へ運用が変わるかも知れませんが・・今のところと言う意味です。
テロ予防に関しては、実体法の規定だけではなく従来型の手続法(勾留関連や証拠法則その他)や捜査手法(犯罪に着手するまで捜査が許されない・・事件が起きるまで何も出来ない・・)を前提にすると無理があることが分ります。
この無理をどうするか・・?と言うことで、幕末の新撰組や見廻り隊のように、怪しいグループをドンドン殺して行く・・事件が起きれば、無差別現場射殺と言う方法でなるべく裁判に持ち込まない・・捉えた場合アメリカのグアンタナモ基地での拷問が知られていますが、非合法取り調べが横行するようになっています。
この辺はテロだけではなく組織犯罪共通のものですから、言わば近代法で確立された個人主義・個人責任主義理念の限界となっています。
この辺は特定秘密保護法関連のコラムでも少し書いています。
日本の刑事訴訟で矛盾が露呈しなかったのは、私が経験している限りでは、検挙されて目が覚めたと言うか、反省している人ばかりだったからと思われます。
成田基地反対闘争以来の確信犯では、現場で逮捕されても自分の氏名さえ言わない・・完黙のママの人が多くいましたが、こう言う人は極く例外だったからではないでしょうか?
多くの日本人は自白強要しなくとも、この機会に過去の悪いこと全部話して気楽になろうとする人ばかりで、聞かれてもいない過去の窃盗など成功した分までみんな話してしまう人が殆どです。

組織犯罪向け手続法の必要性2

手続法では、組織犯罪に対するこの種修正が一切ありません。
個人犯罪と組織犯罪では手続法でも対象に応じて違う法的手続が必要なことが明らかになっているの、にこれが出来ないので、(軍法会議のような特別裁判所禁止)フランス、アメリカ、イスラエル等では、事実上の皆殺し作戦が行なわれているのが現実です。

日本憲法
第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
○2  特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。

先進国では特別裁判所・・特別な刑事手続が許されない・全てにわたって人権保障の仕組みですが、これを貫徹すると組織犯罪のテロ組織取締に対応出来ない実態・・悪用する事態が生じています。
私は、テロ事件に人権保障が不要と言うのではありませんが、・・実際の不都合を書いています・・どうすれば良いと言うほどの意見を持っていません・・・。
兎も角、現行法制度や理念では、対応出来ない状態になっているのが明らかで、この対応能力欠如・・新しい病原菌対策が出来ないスキに新型感染症・・サールスなどが猛威を振るうのと同じ状態になっています。
現行手続法では、テロ犯人は訴訟手続上自分のやったことを認めるかどうか、刑罰を受ける判断上有利かどうかの利害判断で自白した方が得か損かを考えれば良いだけです。
仮りに自白する場合も、自分の犯行だけ認めれば良いのであって、共犯者・組織・・どこで訓練を受けたか、今後どう言う予定か、どこで何をしていたかまで供述する仕組みになっていません。
しかし組織犯のテロの場合、「やったことだけ認めてその他は関係がありません」と言うのでは、次に続くテロの拡散を防げません。
テロは財産犯と違い取り返しのつかない損害ですので、特に予防が重要ですから明日、明後日〜10日後の次なるテロ防止が最重要ですが、過去の犯罪事実確認しか関心のない現在の司法制度はこの必要性に全く対応していません。
刑事に限らず民事・行政訴訟を含めて、司法の本質が過去の事実確認にあるとすれば、将来の危険防止のための制度設計としては、ソモソモ司法とは別の手続法が必要な分野です。
言わば、現行司法制度は過去行為を裁くのに対して、将来の犯罪予防に重点を置いた手続法が必要です。
病気でも災害でも予防が重要であって、災害が起きてから救済すれば良い・病気になってから治療すれば良いと言うのではなく、如何に転落事故を防ぐとか、病気にならない・・なり難い健康な生活をするかとか、という防災予防を考える時代ですし、犯罪も大規模なテロが起きるようになると、テロが起きてから犯人を検挙すれば良いと言う発想では時代遅れです。
全ての分野で予防的行動を模索している現在において犯行が実際に行なわれるまで何も出来ない・・放任しておくのでは、法律家が時代の進展に対応出来ていない・・怠慢と言う外ありません。
この危険を少しでも早く察知して防ぐために、一定要件での通信傍受を認めるとか、共謀段階の犯罪化とか、微々たるものですが少しずつ時代の必要に合わせて改正の方向へ進んで来ましたが、それでも近代法の個人中心時代への郷愁か、あるいはテロリストを応援したいのか分りませんが、兎も角文化人?では、反対論が日本では強力です。
通信の秘密を守れと言っても政府もヒマじゃなし、普通人の会話を一々聞いているヒマはないので、ある程度偏見?情報に基づいて怪しい人の通話だけ傍受するしかないのですから、テロ被害と引き換えにしてまで自分の通信の秘密を守りたい人が、そんなに大勢いるとは思えません。
・・・傍受される恐れのある怪しい人だけが、反対しているのではないでしょうか?
普通の人・・たとえば私の会話を事件の相手方が傍受するのは困りますが、事件に関係のない警察が聞いていても何も困ることはありませんし、警察も聞いても仕方ない・無駄ですので、傍受制度があってもこちらは気楽に話せます。
テロに強迫されている場合、こちらから警察に頼んで脅迫電話が来そうなときに一緒に聞いていて欲しいくらいですから、聞かれるのを何故それほどいやがるのでしょうか?
※12月9日追記です。
12月9日日経朝刊の社説には、先進国では令状なしの通信傍受を認めている・・これを日本も必要としているのではないかと言う意見が社説として遅ればせながら遂に出ました。
日本マスコミは左翼に遠慮しているのか先進国の実態を報道しないで、共謀罪やスパイ防止法など新たな法律案が出ると「これを認めたら暗黒社会が来る」ような一方の主張ばかり報道していましたが、反対運動盛んなときにこそ世界の実情を客観的に報道するべきです。
「◯◯の問題に関してはどこの国にどう言う法律があり、どこのくにはない・・どう言う必要性でどこの国では認められている・・その結果どう言う効果があり弊害が起きている」
など前提事実を含めた客観事実報道をして国民の公正な判断を導くことこそが報道機関の使命であって、一方の主張ばかり報道するのでは、報道機関とは言えません。
朝日その他の慰安婦報道の許されないところは、吉田氏の単なるフィクションをあたかも事実かのように一方的に大々的に流したことです。

テロと戒厳令制度(組織犯罪向け手続法の必要性1)

折角共犯者や煽動者を供述しても、共謀しただけでは検挙出来ない・・犯罪実行しないと検挙出来ないのでは社会の安全が保てません。
このために世界的に共謀段階で発覚すれば、テロを現実に実行しないでも処罰する制度設計になって来たのです。
我が国では、左翼系の反対で法案が国会通過しないままになっていますが・・・。
近代法の個人責任人原理を貫徹すると、個人の人権保障の必要性と社会全体の損害防止との兼ね合いがうまく行かないのです。
個人の窃盗程度ならば、人権保障に重きを置いても良い・実行するまで泳がせておくのが良いでしょうが、大規模テロになると計画だけでは駄目・・・実行するまでは検挙出来ないと言う悠長なことを言ってられないと言うのが世界の大勢です。
アルジェリアだったかで数年前に日揮が被害を受けたテロ事件を見ても分るように、気違いがイキナリ刃物を振り回すのとは、桁違いで、一旦起こるとテロ被害は甚大ですので実行されるまで何も出来ないような法制度は無理があります。
この隙をついて集団テロが横行する仕組みです。
難民も個々の難民に何の罪もないが、そこにテロリストが混じり込む社会のリスクとの兼ね合いですし、特定グループに犯罪者が多いとそのグループ全体との付き合いが敬遠されるのは仕方のないことです。
会社で言えば個別社員が詐欺行為や狡いことをしても、その会社全体の信用に関わるし、同業者で不祥事が相次ぐとその業界の信用がなくなるので、各種業界ごとに自主基準を作って信用維持に努めているのです。
個人の悪行が一家・一族の信用に関わる・・逆に名誉な行為が子孫の誉れになる・このように組織の信用が重視されることで、内部締め付けが自然に生じこれによって、世界の秩序が保たれて来たのです。
一家から罪人が一人出ても、犯行に関係していない親兄弟まで白い目で見られたりすることでみんなが自重するし、その効果に比例して周囲の締め付けもあります。
これが一族に広がっても同じです。
マイナス面だけではなく、ノーベル賞受賞者やスター選手が出ても、みんなが同じ性質能力ではありませんが誇らしいと思うし応援もある社会でした。
これの大型判が高校野球で同じ◯◯県選出と言うだけで、自分の能力と関係ないのに応援したりします。
更に大型になったものが愛国心と言うものです。
一族から1人犯罪者が出たことによって、関係していない若者が就職試験で不採用になれば納得出来ないことは分るし、罪九族に及ぶと言うことで一緒に刑務所に入れるのはおかしいことも確かです。
とは言え、個人の信用と自分たちグループの信用に関係がない・・差別だ「偏見」といって、完全に断ち切ると社会の安全が保てません。
ここでは、個人の人権保護と社会の秩序維持とは、基準が違うべきではないかと言う関心で書いています。
だからと言ってどうすれば良いと言う決まった意見持っている訳ではありません・・その調整が必要な時代が来ていると言う疑問を書いているだけです。
近代法の「個人主義思想」をあまりにも貫徹し過ぎた結果、逆に破綻が始まったように見えます.
表現の自由を悪用して名誉毀損行為をしたり猥褻に走る人がいるのと同様で、テロ等組織犯罪になると個人の人権擁護の基準を当てはめていると悪用する人が出て来ます。
実態法では早くからこれに対して凶器準備集合罪に始まって、オーム真理教関係で有名な解散命令などの仕組みがある程度整って来ています。
また所得面からの規制として組織犯罪の不法利益を蓄積させないための、マネーロンダリング規制等も発達してきました。
以上のとおり、実体法の組織対応が始まったばかりですが、左翼系は何故か必死になってこれに抵抗していることは、衆知のとおりです。
世界中でスパイ処罰等のない国がない状態なのに、彼らの好きな国連や世界標準をこの場合には全く言いません。
そこで犯罪組織集団から資金援助を受けているのではないか?と言う疑いをもたれるようになっています。

共謀罪6と立法事実3

今になって見ると社会防衛思想は元ナチスの思想であったか否かは別として、個人の人権擁護一辺倒ではなく社会防衛の比重が大きくなって来ているのを否定出来ないのではないでしょうか?
個人のプライバシイ保護も重要ですが、エボラ出血熱騒動を見れば分るように、必要に応じて渡航の経歴を聞いたり隔離したり(罹患者は何か悪いことをした犯罪者ではありませんが・・)人権が制約される場合が多くなっていることを否定出来ません。
我が国のデング熱の場合もそうでしたが、どこの公園へ行ったかなどのデータによって危険地域が分るなど・・「個人の勝手だ、どこをどう歩いて来ようと答える必要がない」と言う人は滅多にいないでしょう。
安全・安心社会はみんなで協力して作って行くものであって、個人にとっても有益ですし、害悪ばかりではありませんから要はその兼ね合いです。
みんなが自宅前の道路など綺麗に掃除すればみんなが気持ちがいいのですが、掃除する人には負担が発生するようなものです。
全体と個の関係は一方だけ主張すれば、済むものではありません。
戦後と言うか、文化人と称するグループは個の負担になることを全て「悪」と主張し過ぎる傾向があります。
この後でも書きますが、防犯カメラをプライバシー侵害と批判的に書くのがはやっていますが、公衆道路や商店街で人に見られて悪いようなことをしなければ良いのであって、その程度を知られる被害と何かあったときに犯人が被害者に近づき暴行を加えたりひったくったりした犯行状況、その後逃走する経路が分るメリットなどとどちらを選ぶかの問題です。
時々再審無罪事件が起きますが、我が国ではこうした事件は全て政治的捜査によるものではなく、末端警察の捜査能力不足や思い込みによるミスが基本です。
(あるいはDNA鑑定能力の精密化によって違いが分ったなど・・)
政府の歪んだ検挙方針(政治弾圧目的・秘密警察)や末端機関の不正・気に入らないものを検挙するなど濫用行為の被害にあった人は、戦後70年間皆無です。
このように司法権の独立は信頼されていますので、共謀だけで処罰すると司法権の独立のなかった19世紀までの絶対君主や専制君主制時代の恐怖政治の再来があるかのように言い立てるのは、亡霊を騒ぎ立てるようなもので時代精神にあっていません。
犯罪成立要件の決め方で見ても、20世紀に入って(今や前世紀ですよ!)車や原子力・航空機など危険物が出て来ると全く事件が起きていない前段階の細かい規制→犯罪化が必要になり、個人生活でも無免許運転や危険運転行為や飲酒運転等を事故(傷害等の結果)が起きなくとも処罰するようになって来ています。
これらいろんな分野で犯罪化の前倒しが進むのは、人権侵害になると言う批判を聞いたことがありません。
犯罪成立要件の前倒し化や、自己申告義務化が進んで来ていても、これを社会が受入れて来たのが現在社会です。
交通事故を起こした場合、直ちに報告義務が法定されていますが、これを自白の強制として憲法違反と争う人もいましたが、最高裁は(被害者救護の必要を理由として)自白を強制するものではないと(ちょっとこじつけっぽいですが・・)これを退けていますが、近代刑法の精神違反だと言う批判を聞きません。

道路交通法
(交通事故の場合の措置)
第72条 交通事故があつたときは、当該交通事故に係る車両等の運転者その他の乗務員(以下この節において「運転者等」という。)は、直ちに車両等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。この場合において、当該車両等の運転者(運転者が死亡し、又は負傷したためやむを得ないときは、その他の乗務員。以下次項において同じ。)は、警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官か現場にいないときは直ちに最寄りの警察署(派出所又は駐在所を含む。以下次項において同じ。)の警察官に当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度、当該交通事故に係る車両等の積載物並びに当該交通事故について講じた措置を報告しなければならない。
(罰則 第1項前段については第117条第1項、同条第2項、第117条の5第1号 第1項後段については第119条第1項第10号 第2項については第120条第1項第11号の2)

上記のように報告しないと刑罰まで決まっている・・一種の自白を強制されているのですが、誰も文句を言いません。
日本社会では、交通事故を起こしたのは仕方がないとしても「ひき逃げ」してしまった!などは、人間として最低ランクの評価を受けるのではないでしょうか?
事実上自白強要されるのは憲法の基本精神に違反しているから、「自白を拒んだのは偉い」と評価するよりは、日本では一刻も早く救急治療を受けさせる必要性と潔く自己申告する方に価値をおいているのです。
近代法の精神に違反するかどうかの命題ではなく、どこまでの変容を社会が受入れられるかの問題であることが分ります。

共謀罪と組織犯罪防止条約5(立法事実2)

私は大部隊出動ニュース(カナリアまで用意して行きました)を見て「なんだ前から分っていたのに泳がしていたのか?」と家族で話し合ったものですが、今になってみると当時サリン製造していることが分っただけでは、警察としては何か事件を起こしてくれないことにはどうにもならなかったからではないかと思われます。
アメリカの9・11事件では、ビル崩壊の状況がビル解体に使う爆破とそっくりであって、飛行機が上の方でぶつかって上から崩れたにしてはおかし過ぎることや、アメリカの政府高官が一人も犠牲にあっておらず、情報に疎い日本の銀行マンが大量に被害を受けるなどからブッシュのやらせ事件ではないかと言う意見が根強くあります。
「やらせ」かどうかは別としても、情報機関が大方の計画をつかんでいても、実際にどの飛行機を乗っ取るかまでは分っていなかったと言うこともあり得ます。
(テロリスト実行犯をあちこちの空港に待機させておいて、どの飛行機に乗り込むか3〜40分前に連絡しテロ道具支給する場合、実行直前の盗聴が出来ない限り事前摘発出来ません)
こういう大規模被害を未然に防ぐには、実行する前の計画が発覚した段階で規制や検挙出来る必要があります。
この教訓からでも、アメリカ政府が乗っ取り計画を把握した段階で検挙したいと主張しているとすれば(議論の詳細を知りませんが・・)合理的です。
我が国も、法が予め決めた決めた定型行為に着手する前の共謀段階で検挙したいと言う立場だったのではないでしょうか?
そうとすれば我が国でも既に共謀罪の制定の必要な社会状況・・法律家の言う立法事実が発生していたことになります。
ただし、以上は飽くまで共謀罪制定問題の委員でもない門外漢・素人である私の推測です。
私はこの議論の素人ですが、素人しての希望は、プロが反対論を展開する以上は、単に近代法の精神に反すると言うスローガンだけではなく、現在は近代から2世紀も経過していて社会も大幅に変わっているのですから、現在社会に生きている素人が・・現在社会ではどうなのかの疑問を抱くのが普通ですから、この疑問に答える説明が必要です。
20世紀以降は大衆社会とひとくくりに言われていますが、2世紀前には反乱等を企画出来るのは地域有力者なり、軍資金の出せる一定の勢力を保有している限定された勢力を監視していれば良かったのですが、数日前に起きたカナダ議会での乱射事件のように名もない個々人が一人で結構大きな事件を起こせますので、土豪・有力者など監視していれば良かった2世紀前までとは段違いです。
あるいは元北大生がテロ組織「イスラム国」に参加するために出国しようとしていたことが話題になっていますが、ホンのちょっとした閉塞感から孤独な若者がひょっと過激組織に共鳴してことを起こす危険が高まっているのが現在社会です。
19世紀までの刑事法制は「結果が出てから処罰するのが刑法の原則で、例外的に(殺人のような重大事件に限って)未遂を罰する」法体系でした。
刀や槍での殺傷中心時代ならば、武器の準備は目に付くし、結果が出てからでも(秋葉原事件のような大事件もありますがそれにして爆発物やサリン等ほどの大規模化リスクはありません)大したことがないので、この程度で処罰するのがえん罪や不法な逮捕を防ぐ・人権意識とバランスが取れていました。
これが反対論者が錦の御旗にしている近代刑法の精神です。
近代刑法が出来たのは絶対王政や独裁政がフランス革命等で倒れてからの新理念ですから、成立時の政治情勢・・革命前時代に対する反動と言う面を無視出来ません。
絶対王制かあるいは専制君主制・独裁制下での恣意的連行を防ぐ意味もありましたが、先進国(中国や韓国ではまだ人権侵害の危険性の方が高いでしょうが・・)では、司法機関の独立性が高く最早そうした恣意的逮捕・検挙は滅多に出来ないし、仮に恣意的逮捕しても訴訟手続が完備しているので、無罪になってしまい・・政権の打撃になるので滅多なことは出来ない時代です。
今では、・・そちらの危険よりは社会不安を煽るテロ被害・・社会防衛の方が心配な時代に入っています。
社会防衛思想はナチス刑法で強調されて発展した思想だったので危険思想化する傾向があり・・我々も刑法の勉強ではそのような本バカリ読んで育ったので無意識のうちにそう言う思想が身に付いています。

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