民主主義の基礎5・信頼関係4(people1)

日本では政府は国民の渾然たる一体感によって負託された世話役(町内自治会であれ、我々弁護士会であれ、基本は世話役)でしかありませんから、基本的に党派的運用に馴染みません。
衆議で決める調整型能力に優れた人材が求められているので、党派的利害を舌鋒鋭く?主張する(人の意見を汲み取るのではなく自分の主張を実現したい)政党は幅広い支持が得られない原因です。
他国では政府は人民とは別に存在する・・逆に多民族国家では特定支配民族をバックにしているソ連や中国の場合や資本・労働者対立前提のアメリカの場合、支配権力を握った方が非支配階層を最大限搾取する構造が生まれ易くなります。
異民族支配の場合、被支配民族の反乱を警戒し、選挙制度の場合、次の選挙が怖いという抑制があるだけです。
アメリカ社会を実質的に見ると周知のように黒人差別やヒスパニックやアイルランド系差別その他諸々の人種間利害があるにもからわず、彼らの声を代表する政党が事実上認められていないし、人種横断的に見れば、労使の利害対立があるにも拘らず、労働者系政党さえ許されない状態ですから、事実上の一党(資本政党)独裁体制になっています。
the peopleは、投票出来ると言っても、資本家の推薦する民主・共和両党の候補から2者択一選択しか出来ない仕組みです。
ですから、アメリカでは牛馬にも死なない程度の餌をやり健康管理,機械でも油を注し修理する必要があるように功利的目的による一定の歯止め(フードスタンプ受給資格を上下し、死なない程度に医療を施す)しか関心がないし、異民族間競争を制した中共やロシアの場合には、(大量殺戮兵器を要する近代権力は異民族の反乱が怖くないのでやりたい放題になります・・これに対してテロが発達して来たのは必然です)仕返し・報復の心配さえなければ(モンゴル族や満州(女真)族。チベット、ウイグル族に対するように)どんな残虐なことでもしてしまえる社会になります。
民族的、党派的利益実現を目指して選挙戦や内戦を勝ち抜いた以上、ガバメントは党派的、民族的利益実現を目指すのは当然の結果と言うことで、相手が仕返し出来ないとなれば国際法違反の原爆をドンドン落とす・そう言う国が、民主主義・人権尊重の先進国家と自慢しているのです。
民意を汲み取る必要を認めないで、どの程度まで社会保障するか・・支配者の憐憫・・思いやりを人道主義と言ってきたように見えます
日本の村落共同体は、構成員そのものの渾然一体たる組織・・言わば法人よりも前の組織・組合のもっと前の渾然たる集合体意識が一番似合う感じですが、主観と客観・神と人間・自他峻別世界である西欧の目から見れば、こんな集団は原始集団とバカにするだけなのでしょう。
我が国の場合・・基礎的集団である村落共同体を見れば分るように共同体と個々人との利害が峻別されないアニミズム的集団を維持して来たのは、最先端技術国家でありながら、天皇制その他古い文物行事を大量に維持伝承しているのと同じで誇るべきことであっても恥ずかしいことではありません。
日本ではちょっとした偉人がすぐに神様になって神社に祀られます。
我々法律家(その他各分野の文化人)は 西欧的基準に合わないと前近代で恥ずかしいという意識が強く、西欧基準に合わないと恥ずかしいとか否定的に見る傾向があります。
法律論としては法人実在説と擬制説との争いがありますが、日本の場合村落共同体に始まり各種組織が今風に法人化しても、法人が社員や国民とは別に超然とあるいは対立する存在するものではなく、みんなの集合体・・(これを大きくした) 象徴天皇のように考えている人が多い(西洋法を学んで来た大多数の学者はそうは言いませんが・・)でしょう。
昨日、パーテイー券が政治資金規正法の寄付にあたるか否かの論文があったので読んでいると、その中に例示として出て来た政治献金の合法性に関するリーデイングケースである八幡製鐵事件の最高裁判例が出て来て、その論者(法学者)は、最高裁の前提では何だか法人の実在性についてアニミズム的社会・法人を前提としているかのようだと言う印象?(をついでにちょこっと)書いていました。
学者からすれば、そんな時代遅れの発想が基礎にあるのはおかしいと言う意味でしょうが、西欧法に従って多くの学者が構成員である個人を超越した法人が実在するとしていても素朴な国民意識(いくら子供の人権と言われても母子一体感がなくならないように)では受入れていない実態をいみじくも最高裁が言外に匂わせたものではないでしょうか?
魚などが自然に隊形を作って危機行動するように、日本社会では何かあると自然に役割分担して対応する・・今回の博多駅前の陥没事故でもあっという間にアリが群がるように集団で役割分担して治してしまいました。
これを原始的「アニミズム」とバカにするのは勝手ですが、何も恥ずかしいことではない・・他国ではこう言う能力を今後数千年かけても作り出せないのではないかと言うのが私の年来の意見です。
日本列島では組織・政府・宗教が組織構成員・国民と対立していて、国民を弾圧する、害悪を加えるなどの西洋的感覚は、古代から何千年も考えたことはありませんし、自分と所属集団は一体化しているので(お上を信頼しているから直訴はありますが)組織を敵視した打倒運動もありません。
佐倉宗吾郎その他の一揆は飽くまで「お上に声が届けば改善される期待」であって、声が届いた段階でお裁きはお上にお任せする・・その段階で引き下がる仕組みです。
忠臣蔵の討ち入りも後は御裁きを待つ・・同じ原理です。
お上はいつも民を如何にして良くするかを考えているものと言う信頼があり・・それがうまく行かないことがあるとしても・・直訴で修正してくれると信頼しています。
日本の神様は民に過ちがあっても、罰する神様ではなく許してくれる神ですし、外国から入って来た佛教でも慈愛に満ちた観音様が一番人気ですし薬師様その他優しい系が人気です。
中世以降は念仏を唱え阿弥陀さまや観音様ににすがりさえすれば救われると言う観音信仰や念仏系信仰が広がったのは、まさに助け合い社会・民族性をあらわしています。
神様も民族や地域集団から超然としている別の存在ではなく、氏神様・住民と渾然一体的存在です。
占領軍が日本から神道を排除しようとしてもうまく行かなかった所以です。
アメリカでは民族意識の強調すら出来ない関係で、民衆とは別の存在・・実在の支配機構が必須です。
政府と民衆とは主客対立関係にあるガバメント・統治機関を預かる・民主・共和両党の伝統的政治家は、民衆とは別の独立の超然たる統治機構(内部支配する企業・資本家)の発展に関心があって、国民は仕入れ原材料や工場設備的存在・・入れ替え可能な人的資源・商品であり、対象でしかありません。
民主共和両党(伝統的政治家)の本音は、企業利益・株主資本利益の最大化が目的ですから、本音・極端な話が、能力の割に高賃金の現在アメリカ人が全員出て行き、低賃金の中南米〜アジア〜アフリカ人に全部入れ替わっても、今の10〜20分の1の低賃金化実現の方が良いのでしょう。
イギリスが羊毛で儲かるとなれば羊を飼うために小作人を追い払ったエンクロ−ジャー(囲い込み?)を見ると農民が、貴族の農地経営方針転換のために簡単に追い出されてしまう弱さに驚くのが日本人です。
アメリカやEUではエンクロ−ジャーの現在版・労働現場では、(非効率な機械を最新機械に入れ替えるように)自国民と低賃金移民との入れ替えが進んでいます。
農民の弱さと言うよりも、企業や政府(お家・お城)が何のためにあるかの根本が違うからでしょう。
神社やお城が民衆威圧のためにあるのではなく、その地域の民の誇り・象徴になっている社会と被支配者を威圧・支配するための宗教施設や拒絶的な西欧各地の城がある社会とは違いがあります。
無宗教と言われる日本人が村の鎮守様や神社仏閣・・概ね質素な造りで威圧的はありません・・で思わず手を合わせるのが普通ですし、これと言った信仰心がなくともお伊勢様や出雲大社等に行く(参拝する?)人が多いのですが、西欧で古びた教会に「郷愁を感じ?)御参りする人が今どれだけいるかの違いです。

政策決定と司法の拒否権5

私は原発推進の可否や自衛隊基地がどこにあるべきかの賛否自体を書いているのではありません。
原発の安全性基準や基地設置の可否は国政レベルで決めるべきことであって1地方自治体の意見あるいは1地方の裁判所の意見で最終的あるいは事実上数年単位の差し止めを認めるのは、統一体としての国家制度としておかしいと言う法律家的思考で意見を書いているだけです。
原発安全性基準が合理的かどうかに付いても私は門外漢であって、固有の見識がある訳がないし、基地の必要性についても軍事評論家的な意見の優劣についても全く分りません。
左右どちらの立場であっても、日本と言う共同体の一員として共同体運営のあり方を考えると国家枢要の政策については民意によって国家が決めたら国民や下部組織はこれに従うべきです。
民主主義政治とは、決めるまでに国民の意見を充分に汲み取るべきですが、みんなの意見で決めた以上は決まったことについては、反対派も従うルールであり、いつまでも抵抗する権利を認めることではありません。
しかるに現在の制度や運用が、末端組織が(拒否ないしサボタージュで)最終決定権を事実上持っているようなことになっているかのように振る舞っているが、国家制度としてそれで良いのか?・・どう言う勢力がこういう変な運用を推進して来たのか?と言う法律家としての疑問を書いているだけです。
中間組織の長が上位機関の指示命令に従わずに好き勝手なことをするようになると、その配下組織の長もこの真似をするでしょうし、順次進んで行くと世の中がまとまらなくなって行きます。
組織トップの腐敗が著しいとその組織全体が腐って来るのと同じ原理です。
これこそがCHQ・占領軍が狙った一体感の強いニッポン民族意識の分断政策であり(同質民族否定論・アイヌ民族を強調し、如何にも日本には虐げられた異民族を強調する運動もその一種で今や沖縄県民も異民族の仲間に入れようとしているように見えます)・・サンフランシスコ平和条約で日本独立後は中ソが期待して止まない究極の効果でしょう。
弁護士数年目頃に千葉市まで来ていた高速道路延伸反対運動に勧誘されたときに、違和感を感じて・・よく分らないので参加しませんでした。
自由主義国でもソ連でも高速道路や飛行機利用が趨勢になりつつあるときに、何故日本が計画すると反対するのか、意味不明だったからです。
いま考えるといろんな反対運動の共通性は、日本社会の発展になりそうな新技術や工場設置等には全て公害だとか、電子レンジやパソコンでさえ電磁波が身体に悪いとか言って反対し、最近では防犯カメラに反対していましたし、勿論日本の核保有も公害も反対ですが、中ソの軍拡や核実験や酷い公害には頰っ被りのママでした。
大分前に引用したのは、大会で研究発表した学者の論文だったように思われますが、今「防犯カメラ九州弁連」で再検索するとすぐに出たネット記事を引用しておきます。
http://www.meinohamalaw.com/activity01/5.htmからの抜粋引用です。
監視カメラ問題
2004年10月29日、九州弁護士会連合会の主催で、「監視カメラとプライバシー」と題するシンポジウムが開かれました。
1 監視カメラの有用性に対する批判的検討
・・・国民の意識、世論調査だけによって監視カメラの有用性を結論づけるのは絶対に認めるべきではありません。
(2) 防犯効果に関する検討
・・・犯罪が、「監視カメラがないから起こる」のではなく、貧困や差別等の別の原因によって起こるものであり、監視カメラの設置はこのような犯罪原因の根本的な対策ではなく、単にその場所から犯罪を押しのけるという対症療法にすぎないことを示しています。」

上記主張を見ると,「国民の意識、世論調査だけによって・・結論付けるのは危険」自分たち「エリートに任せろ論」の延長です。
庶民は無知蒙昧・・「庶民の意見を無視しろ」と言う印象ですが、革新系文化人が何かと言うと「民意を無視するな」と運動をしているコトが多いのと矛盾しています。
上記議論の中では勝手に写真を撮るのは人権侵害とも言うのですが、「ファクト」の動画を11月3日紹介したとおり基地反対運動家は無理矢理公務員のマスクを剥がして写真を撮りまくっています・・こんな暴力的撮影が人権侵害ではないのでしょうか?
彼らの言う人権論を見ると、左翼系・反権力系なら言論封じも何をやっても良いが、民族の発展維持方向には何でも反対し反対派に体する言論封じ・民族系デモには、デモ前に取り囲んだりして妨害して結果的にデモや講演を妨害するのは陰で応援してる?全然問題にしていません。
こう言う動きを見ると、彼らの言う人権論は特定政治目的に都合の良いところだけ主張している傾向が多いのではないでしょうか?
上記弁護や九州弁連の弁護士は上記動画に出て無理矢理写真を撮っている人と何の関係もないのかも知れませんが、関係なくとも喩えば、同じことでも日米関連には猛烈な反対運動するのにソ連や中国の核実験・軍拡や公害には一切発言しないのは、偏頗な運動ではないかと言う批判を受けるのと同様の評価を受けるべきでしょう。
人権団体ならば、シバキ隊らによる嫌韓団体の講演会や討論会妨害に対しても、言論の自由擁護の立場から、何故声を上げないのでしょうか?
しかもスーパー店内や公園や街路等の防犯カメラは元々プライバシー性が低いうえに、犯罪事件等が起きなければそのまま一定時間で自動的に消えて行く性質のものであるのに猛反対しているのに対して、・・沖縄での反対運動家の行動動画を見ると防衛局公務員を大勢で押さえ込んで暴力的にマスクを引きはがしたうえで拡散目的で写真を撮っているのですが、こうした行為に対する非難声明を一切出さないところが不思議です。
第2の論理もおかしなものです。
暗くて寂しい夜道の犯罪を防げないから明るい大どおりを遠回りして帰る・街灯を増やしても街灯のないところの犯罪を防げないから街灯設置は無意味・・日暮れ前に帰る必要がない・・夜遅くなった子供を家族が迎えに行く必要がない・・迎えに来てくれない子供が可哀相だから・・各個人の自宅や企業が戸締まりをしたり夜間警備するのは意味がない・・戸締まりをしない家や警備を頼んでいない企業に泥棒を誘導するだけだと言うのと同じで、倒錯した議論をしているように見えることを以前紹介したことがあります。
犯罪の原因をなくすことが重要だと言う子供みたいな議論は、非武装平和論と同じ論理です。
お題目だけで犯罪がゼロになり戦争がなくなるならば、社会は苦労しません・・犯罪をゼロに出来ない(少なくする努力は可能ですが・・交通事故死は激減していますが、これも道徳教育面だけではなく、信号機設置や道路改良の寄与が大きいでしょう)ので、警察や防犯カメラや戸締まり国家として軍備も必要なのです。
経済政策の失敗も犯罪を誘発しますが、だから政治が悪いと言うだけで、犯人検挙は筋違いだ・戸締まり不要とは言えません。
何かと「人権」を楯に主張する勢力は、非武装平和論同様に観念だけで満足して思考停止している傾向の人が多い印象です。
「犯罪のない社会にすることが先決だ」と言うことで防犯カメラ不要論で満足するインテリは、・・彼ら自身の自宅や事務所には戸締まり装置がないのでしょうか?・・自分の小さな子供に物騒な場所に近づかないように言わないのか?・・自宅や自分の事務所には鍵をかけているのに他人には防犯より犯罪のない社会にする方が先だと演説している・・日米にはモンクばかり言うが、中国の軍拡や領海侵犯には何も言わない偏頗な論理と大小の違いがありますが,行動矛盾の点では共通でしょう。
頭の良い人の議論はこうなり易い適例です。

自治体の意思決定6(居住期間2)

文化人・憲法学者の言うとおり政治制度は、政治家を信頼するものではなく権力に対する猜疑心で三権分立制度や情報公開制度があります。
自治体選挙制度が濫用される疑いがあるならば(猜疑心だけで制度を作るべきとすれば濫用の事実認定まで要りません・・権力集中→腐敗→三権分立論が腐敗の事実認定がいらないのと同じです)、これらを牽制する制度設計が必要です。
自治体選挙で本来の支持率・・実力以上の地位をどうやって得るかとなれば、特定自治体の重要性に応じて支持者を(自主的に)そこへ集中させればその地域での支持率が急上昇します。
しかも10月22日紹介したとおり3ヶ月前から住民登録していれば良いのであれば、活動家が自主的に?順次移動して行けばアチコチの自治体で重複して投票出来る・・・悪用する組織が増えて来た現実を直視してこれを早期に改正する必要があります。
3ヶ月以上前に住民登録を移動しておけば、選挙権がある仕組みならば自衛隊基地問題や原発立地あるいは原発ゴミ処理施設の賛否などの国政上の重要問題が起きてから活動家が住所移動しても十分間に合う仕組みになっているから、選挙制度を濫用するリスクが高まっているのですから、・・これの放置こそ重大な違憲状態です。
現在合法的節税目的で一定期間海外への住所移転問題がクロ−ズアップされていますが(私が知ったのは武富士元会長長男の2000億円に上る税還付訴訟の判例を見たことによりますが・・)21日の日経朝刊1面に相続税対象者として従来5年超の海外在住期間者には海外資産に対する相続税免除規定を変更する予定と言う記事が出ています。
昔と違って海外移転でさえ簡単になり、税逃れ目的に住所移転が容易になっている・・本当に住んでいるかどうか近所の人には分り難くなっている現状を直視して制度改正する必要があります。
法的には住所=「生活の本拠」の移動ですから、生活の本拠を移さずに住民票だけ移動するのは違法ですが、・・選挙作業現場では実態調査している暇がないし選挙目的移動の認定が困難なので、住民登録を基準に選挙人名簿を選挙に間に合うように機械的に作成し投票用紙送付を間に合わせるのに必死です。
これを5年以上の居住期間を必要とすれば、選挙準備もかなり早くからやれますし、生活実体のない不審な移動をあぶり出す調査力がアップするでしょう。
5年にもなると偽装負担(資金負担団体のコスト)も大きくなり、不正移住に対するブレーキになります。
ただし、21日の新聞記事によると海外資産の相続税対象から外す基準として5年超でも悪用する例が多いので改正すると言う記事です。
上記のように税制ではしょっ中対応しているのに民主主義の根幹に関わる選挙権について戦後約70年間も何故放置して来たかが(野党が反対していて改正し難いのでしょうか?)疑問です。
仮に5年以上の居住要件してもその人が選挙出来ないのではなく、従来の選挙区での選挙権があるのですから、(今は海外転勤者の現地選挙まで導入されている時代で、遠隔地の不利益はそれほど大きくはありません)まして本来の転居の大多数は、隣の町あるいは同一通勤圏(鉄道沿線間)からの移住が多いのでそんなに不便にならないのが普通です。
転居すれば職場への通勤や友人知己と遠くなる・・子供の転校その他一定の不都合があるのを考えた上で転居するものですから、その内の1つとして考慮しておけば足りることで予測不能の損害とは言えません。
加えて地方自治制度発足当時と異なり、原発、空港、基地設置も地元意見が重視されるようになって来ると・・日常生活的争点ではなくなって来ると自治体選挙も、長期居住を要件とした方が合理的です。
村全部水没するダム建設賛否について先祖代々住んでいる人と4〜5ヶ月前に来た人あるいは来春転勤で移動する予定の転勤族も同じ発言権があること自体がおかしいと思う人の方が多いのではないでしょうか?
原発の誘致や空港の誘致も同じで、転勤族で、来春転勤が決まっている人がその町の将来に関する決議に参加出来るのはおかしいでしょう。
こう言う問題は5〜10年の居住期間では解決不能、文化は3代と言いますが3代以上住み続けている人に限定すべきと思います。
町内会ではアパート・借家の人を元々期待していないし、アパート・借家の人も町内会に入ろうとしないのは「定住していてこそ一緒に決めて行く仲間」と言う暗黙の合意を表しています。
ただ現実論として当面3ケ月間を5年に変更してはどうかというだけです。
県知事選挙なども政党色が強まると、党派的主張を貫徹するために熱心な支持者が自発的に?住所移転する人が増えて来るのを防げません。
自治体首長の政党色化が悪いのではなく、国政テーマに自治体が口出しするために政治裁量権を予定しない技術的基準による許認可権の行使を色付け運用するようになった結果、自治体政治がイデオロギー化して来た逆の関係です。
自治体に決定権があるコト自体をすぐに変えられないとしても、居住期間を5年以上にすれば自治体選挙の半年前後の時間差を利用して次々巡業的移動の濫用行為は最低防げます。
ただし、基地問題や原発新規設置やダム設建設などの国家百年の計・・大きな計画は事前準備も長期化して行きますので、5年前後前から地元調整などが始まり最終的住民投票や選挙はそのごとなりますから、5年程度の居住期間要件では選挙目当ての移住を防げません。
以下は噂に過ぎませんが、現在ホットなニュースでは、次の総選挙解散の時期を巡っての憶測では、総選挙日程を与党で決めるには公明党が総選挙と都議会選挙には最低3ヶ月以上の(最小でも半年前後の)期間を空けることが至上命題になっている・・これが長年政界の常識とされています。
ところで、実際の住民票を意図的移動するには、選挙日の3ヶ月前の数ヶ月〜半年以上前から徐々に転入・・選挙後も数ヶ月〜半年前後かけて少しずつ出て行く方法しかないのが普通です。
選挙期日のピッタリ3ヶ月前に何万人と一斉移動出来ない・目立ち過ぎます・・選挙が終わって翌日に直ぐに・・何万人も一斉に元に戻す住民票移動が出来ないので、結果的に選挙予定日(これも半年前には具体的期日が確定していない・・ハバがあります。)前後合計8〜9ヶ月間は公明党が衆院解散に同意出来ないのが政界の常識になっていると言われています。
解散時期については公明党が同意しなくとも総理の専権ですが、そこは貸し借りの複雑な政治駆け引きの世界です。
自民党としては、公明党に貸しを作って損がないので、公明党の(脱法行為ミエミエの)勝手な都合を尊重して都議会選挙前か後にするしかないのですが、都議会選挙後だと衆議員任期が迫って来るので今度は政権の方が追い込まれ解散になってしまうリスクがあります。
そこで今年の「通常国会での冒頭解散しかないだろう」と一般に言われて政治家が走り出しています。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016050100063&g=polからの引用です
衆院解散、年内か=年越せば任期満了近くも-政局シミュレーション
◇17年は解散なし?
17年7月には、任期満了を迎える東京都議選が控える。公明党は都議選を国政選挙並みに重視しており、衆院選との重複を避けたいのが本音。
追い込まれリスク
 そこで浮上するのが18年の解散だ。・・任期満了が迫れば「追い込まれ解散」の様相を呈し、劣勢を強いられるリスクは高まる。」
「公明党は・・重複を避けたい」と言う婉曲的表現ですが、この不文律・・政界公知の噂・推測?公明党の至上命題の前提には、公職選挙法の三ヶ月期間の規定がある・・と言うのがもっぱらの噂さです。
以上のとおり公明党が「意図的住所移転を利用している」と言う公然の前提になっていることになります。
住所移転を離れて考えると本来同日選の方が一般的に投票率が上がりますが、これが困る政党は投票率が低い方が有利→活動家率が高いことも表しています。

自治体の意思決定5(沖縄の心2)

非武装平和論の本家・社会党思想を継承している社民党が沖縄での反基地闘争に力をいれる→これに沖縄県民が頼って本土に対する不満拡大をテコにする・・相互依存関係になっているとすれば長期的には沖縄の不幸です。
ただし沖縄県民は「自分たちは日本人ではない・中国人になりたい」と言うならばそれも「あり」ですから24日に書いたように、「国策に協力する気があるのかないのか」真意をきちっと聞く選挙をした方が良いでしょう。
真意がはっきりしたらイギリスのEUからの離脱同様に冷静な交渉相手としてやって行くべきです。
ところで防衛ライン・・通商路確保と言うものはどこまで行ってもキリがない・・沖縄を守っても台湾が中国領になっても、フィリッピンが中国と同盟を組んでも同じですし、シンガポールやインドネシアでも通商路が阻害されてしまう点は同じです。
尖閣諸島があり、沖縄があるから、尖閣諸島や沖縄がなくなると困ると思っているだけでしょう。
大阪府警警察官よる「土人発言」に関連した記事を見ていると女優の吉永小百合が、海兵隊を東京に持って来れば良いと言う趣旨の対談発言をしていることが分りました。eadlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160821-00058457-okinawat-oki「吉永小百合さん「海兵隊を東京に持ってきたら・・・」
沖縄タイムス 8月21日(日)11時40分配信
女優の吉永小百合さん(71)が9日発売の週刊誌「女性自身」(23、30日合併号)で、沖縄県東村高江周辺のヘリパッド建設に住民らが反対していることに触れ「そんなに必要なら海兵隊を東京に持ってきたらどうかと思うくらい、申し訳ない気持ちがある」
上記の記事は「言ってみれば・・」と言う程度の意見でしょうが、軍事基地は場所適性こそが100%の存在価値である前提を見事に反語的に言い表しています。
商品製造には生産地と消費地の選択肢がありますが、軍事基地を首都に持って来れば良い・・離島や国境周辺に要らないという発想を見ると・その立ち位置の偏頗性に驚くばかりです。
首都駐在軍隊が辺境の領土・領海を守れる訳がないのですから、沖縄基地に関する限り(何でも)反対闘争をしている人たちの本音は、非武装平和論の貫徹・軍事基地不要論を前提にしていることを見事に言い表しています。
非武装論貫徹・・自衛隊=国防の必要性については国政の場で、既に決まっている・・民進党でさえ自衛隊違憲論を出していません。https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit#heading=h.3ggacz464341
2016.6.27 11:00「自衛隊=違憲」の共産党と統一戦線を張る民進党はどう弁明するのか?
と今夏の参議院選挙では批判されていて、自民党は政策の違う野党連合は「野合」であると批判していました。
上記吉永小百合の意見は、国政の場で民進党でさえ自衛隊違憲論を封印しているテーマについて、地方自治にかこつけて蒸し返すために基地移転や武器配備に関連して「沖縄住民のため」と言う衣をまとって悪用している過ぎない本音が現れています。
あるいは、この思想に沖縄県民が頼っているのか?
土人発言直前に本土から応援にはいっていたシバキ隊男組隊長が逮捕されたと報道されていますが、地元メデイアが社民党系報道に偏っていると言われている外、実際に多くの本土人が応援に入って来てこれを地元メデイアが大大報道すると、本土の人が圧倒的多数?で支持してくれているのか!と沖縄県民が誤解してしまっているのではないでしょうか?
一億数千万の人口での内、2%前後の支持者でも数百万も人います・そのまた1%でも数万人ですから、活動家率の高い組織の場合、500や1000人の応援者を来てくれたのを見て、沖縄県人が本土から圧倒的多数の支持を得ていると誤解しているとすれば不思議ですが、集団自衛権反対の国会周辺の数千〜1万のデモ動員を誇って「国民の圧倒的多数の意思表示」と表現しているのがマスコミであり文化人ですから、沖縄人の多くが自己暗示集団に入ってしまったのかも知れません。
日本全国では直近選挙では100人に2人前後しか支持されていない(沖縄を除けばもっと少ない)ような政党(社民党)に沖縄県民が頼り切るのは危険ではないかの心配がないのでしょうか?
日米関係で言えば、アメリカの2%政党に頼ってアメリカの草の根では支持されていると誤解して強気で対米交渉する危険を考えれば分ることです。
基地縮小のための工事?ヘリパッド反対のように「何でも反対」になって来ると、日本全国が「沖縄県民が日本の防衛に協力する気があるのないのかはっきりさせた方が良い」と言う意見が増えて来るでしょうから、そこまで行ってしまうと沖縄県人にとっても得がないように思えますが・・。
韓国が日本の偏ったマスコミ報道を・・日本人の心と信じて慰安婦騒動を中韓連携で仕掛けた結果、嫌韓感情を引き出してしまい、「ごめんなさい」と日米同盟に戻って来て(政府間では大人の関係ですから日韓合意して)も日本人は韓国や中国人の本音を見てしまいました。
心底からの友好感情を取り戻すには1000年単位の時間軸が必要になるでしょう。
沖縄県民もそこまで行かないと気が付かないのでしょうか?
沖縄の反基地闘争激化を煽ってこれを利用している政党(慰安婦騒動の日本側中心人物は福島瑞穂もと党首と言われていますし、いま沖縄で頑張って応援しているのも同議員です)にとっては、場所を選べない自衛隊基地に関しては、2〜6%政党でも1自治体さえ押さえれば国政の重要決定を反古にしてしまえる・・メリットがあります。
沖縄がいやがってるならば北海道に持って行くかと言う選択肢がないからです。
http://www.pref.okinawa.jp/toukeika/so/topics/topics_385.pdf
で平成21年10月1日国勢調査に基づくデータが出ています。
これによると沖縄県への転入増加率が全国1位と出ています。
大都会経済圏に属さない地方圏では普通転出が増えるのが普通で、転入率が増えているのは異常と思われますが・・。
原因・・有意性までは分りません。

国家的事業と自治体の拒否権6(一坪地主運動)

自治体には自主性が重んじられるからと言って、国で決めた開発方針に逆らって、開発予定地の学校や道路付け替えなどに応じないのは「自治の本旨」に反していませんか?
国会で十分な審議をして折角決議しても全国〜広域規模の施設が必要な施策について、その計画地の1つの自治体が反対すると政策実行出来ない不思議な国家制度となっています。
たとえば、全国〜広域規模の新幹線や高速道路は、・・誘致競争しているので政党による反対がない=問題が起きていないだけ→もしも与野党で新幹線や高速道路敷設に関して意見対立あったた場合、その予定沿線の一部にでも野党系首長がいると前後数百kmの工事が貫通しなくなります。
こう言う運動をしている野党は、与野党一致の政策以外は何も出来なくて良いと言う考えによるのでしょうが、これでは自治体が独立国になっている・・友好国・連合の関係と同じで統一国家内の自治体とは言えません。
ソモソモ民主主義制度とは意見が対立する前提で違った意見・・議論を尽くした上で多数決で決める前提で成り立っています。
その議論の結果評決で負けた以上はその結果に従い次の選挙で雪辱するのが民主主義の原理です。
スポーツでも何でも一定のルールで試合して負けた以上はその結果に従うべきです。
昨日アメリカ大統領選最後の討論会の模様が報じられていましたが、(マスコミのでっち上げテーマかも知れませんが)最終討論会の大きなテーマは「選挙結果に従うかどうか」が大きなテーマであるとして掲げられていました。
ブッシュ氏に選挙で負けたゴア氏も相応の言い分があったでしょうが、「敗軍の将兵を語らず」で不満を言っていません。
スポーツで相手が卑劣っぽい勝ち方をしたときに負けた方にマイクを向けるとこれには答えず、「私が弱かっただけです」と答えるのが普通です。
負けてもグジグジ言うのは、アメリカでも嫌われているからこそ,このルールをトランプ氏が守りそうもない印象を強調するためにこう言うテーマを民主党系マスコミが大宣伝していると思います。
成田空港の例で言うと最大野党社会党が反対して1坪地主運動を推進したのですが,全国の国民が支持していない・・選挙で負けた結果をイレギュラーな方法で国策実施段階で妨害をするのは民主主義ルールに反しています。
「飛行機は騒音があるだけで何の国益もない金持ちの贅沢品に過ぎない」と言う政策のママ(私が弁護士若手の頃にこう言う理由で反対運動参加の勧誘を受けていたことをこのコラムの始め頃に紹介したことがあります)でいたら、日本経済はどうなっていたかと思う人の方が多いでしょう。
多分当時の社会党や共産党も飛行機の有用性を知っていたでしょうが、「日本人に飛行機にさわらせない・絶対に作らせない」と言うアメリカ占領軍の置き土産を代弁していたのだと思われます。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/editからの引用です。
「 一坪地主 」 とは土地登記簿上の名義人 ( 地権者 ) を増やして、土地収用手続きを煩雑化させる目的で作られたものですが、三里塚・芝山連合空港反対同盟が、空港内の地権者から土地を購入し昭和41年(1966 年)に始めました。一時は約1,260 人におよびましたが、成田空港が開港すると約 400 人に減少しました。
昭和 58 年(1983年)に反対同盟は、2期工事阻止をねらい再度「 一坪地主 」運動を始めた結果、平成7年(1985年)には約1,400人に増えました。
社会党 ( 現社民党 ) も空港反対闘争の一環として、組織的に 「 一坪地主 」運動を推進しましたが、当時の土井たか子委員長も 一坪地主になりました。空港建設に反対し妨害行為をしながら、彼女と社会党 ( 現社民党 )員たちは、訪朝、訪中の度に成田空港から出入国していました。
ある時成田空港へ帰国した土井党首に対して、 カメラの前で テレビ記者からその矛盾点を追求されると、記者を無言でにらみ付けただけで何も答えませんでした。( 正しくは 答えられなかった のでした )
公の立場にある政党の党首が 成田空港を常に利用しながら 反対派の 「 一坪地主 」 に名前を連ね、空港建設工事を自ら妨害するという矛盾や、その愚行を テレビの視聴者の前に露呈した結果になりました。」
土井党首が答えられなかった問題はマスコミで大きく報道されたので、記憶されている方も多いでしょう。
「飛行機製造絶対禁止政策」の結果飛行機技術者が新幹線製造研究に方向転換したことは良く知られているとおりです。
このような激しい反対運動の連続の結果、今頃、ホンダや三菱の国産旅客機が漸く離陸出来るかどうかと言うほど国産旅客機製造が遅れてしまいました。
統一地方選挙制度であればこう言う「ズル」を防げますが、地方選挙・・例えば今回の新潟知事選や東京都議会選挙は時期がずれているし、各種反対決議等は時間差があるのでいわゆる「プロ市民」が巡業的に何回でも参政権?を行使出来る制度設計になっています。
例えば国民の1%しか支持されていない勢力でも活動家率が高いと、これを組織してあちこちの選挙の都度移動して行くと・・仮に100カ所に移動すると全く移動しない人から支持を受けている政党に比べて100倍の得票が出来ます。
以上によれば自治体選挙結果は実は当てにならない・全国一斉の国政選挙での得票率こそが本来の国民意思の現れと言うべきでしょう。
活動家が押し掛けて来て投票しても、彼らがいなくなれば、もう一度選挙し直せば良いかと言うとそう簡単には行きません。
アメリカのグランデール市の慰安婦像設置と同じで、集中的運動期間を決めて一度勝てば良いのです・・その後中韓系移民がどこかへ行ってしまっても一旦設置されてしまった像は簡単に撤去されません。
ダムでもロケット基地でも公民館でも一旦建設されれば、再決議をして簡単に撤去出来ませんし、あるいは一旦撤去され、否決されててしまえば、再設置の機運は(空港でも工業団地、港湾整備でも反対運動が激しくて予定が立たなければ・・事業家は別のところに進出してしまうので)簡単に再度の機運が盛り上がりません。
自衛隊基地や原発立地・空港設置やダム工事の可否も同じで1回否決してしまえば、その後活動家がいなくなっても、計画そのものを一旦頓挫させたり、施行を長引かせて時機遅れにしてしまえれば或る国策反対論者としては、目的を達することが出来ます。
与那国島の基地問題で言えば、レーダー基地を設置するかどうかで小田原評定を続けているうちに中国に占領されてしまえば議論不要になります。
成田空港も何十年も計画完成を遅れさせ、その後拡張が必要になっても簡単でない(上記のとおり拡張工事が必要になると又一坪地主が増えました)結果、国際ハブ空港の地位が韓国に移ってしまいました。
先進的産業発展計画も「◯◯があったらどうするのだ」と言う反対ばかりして、実験用地買収に反対しているうちに国際的先端技術開発競争に負けてしまいます。
与那国島の例で言えば住民投票条例は6年前に出来ていると言うのですから、長い間掛けた争点だったこと・・あるいは成田空港の例で言えば、野党が反対している国策決定後実現までには何十年もかかる我が国の実態が分ります。

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